第九話 協力者と告白
「ううん?」
テーブルの上の妖精が目を覚ましたらしい。目を開けた途端、身体をバッと起こし横座りのままあたりを見回している。その瞳は青く淡赤の唇と丸い顔つきが印象的だ。整った可愛らしい顔がこちらを向き、視線が合った。
「あっ」
「え?」
一言発した妖精が、スチャッと勢いをつけて起きあがり、羽をふわりふわりと動かして僕の目の高さまでやってくる。スカートの裾を手で押さえながら足を上げ、靴の底を見せながら前方へ加速。そう僕の顔に向かって、蹴りを放った。
当然、避ける。
軽く首を横に倒すと、彼女は慣性のまま僕の顔を通り過ぎ、なぜか進行方向に立っていたイーラさんに優しく受け止められる。
「なんで避けるのよ! どうして受け止めるのよ」
「急に足上げて突っ込まれたら反射で避けますよ!」
「可愛いから?」これはイーラさん。僕じゃない。
イーラさんの手の上で器用に直立しながら、その小さな指で僕を指さして非難してくる。
「手伝いに来たヨヨに対して暴力を振るうアルクんにおしおきよ!」
「手伝い? 暴力!? アルクん!? アルクんってなんですかっ!」
イーラさんはスルーされているがご満悦のようだ。手の上で動く妖精の姿をまばたきもせず、じいっと観察している。そう見ているのではない。観察だ。
「まぁ、落ち着いてください。貴女のお名前はヨヨさんでしょうか?」
「そーよー」
この騒ぎの中でも落ち着いているセイバスさん。
さすがです。
その問いかけに、妖精は胸を張り軽くうなずきながら返事をした。
その答えを聞いたセイバスさんは、殺気をまとった目を向けながら、あくまでも紳士的に微笑みを浮かべる。
「ヨヨさんは、どういったご用件でこちらに? そしてどうやってこのお屋敷の中へお入りになられましたかな?」
どんなときも屋敷を守る執事であることを忘れない執事長。
さすがDeath。
「ちょっと! ちゃんと説明するから、その殺気をやめて! 魔族の殺気なんて、か弱い妖精に死ねって言ってるようなものよ!」とイーラさんの手の中で慌てる妖精族のヨヨさん。
(ほんっとに、もう! なんで魔族ってこんなに凶暴なのかしら。子供の骨は折るし、包丁を突きつけるし、頭を潰そうとするし――)
ボソッと言ったつもりでもしっかりとその声は聞こえている。
「私がここに来たのは頼まれたからよ。お屋敷に入った方法は妖精界経由なの」
「頼まれた?」と侯爵様。
「えぇ、そこにいるアルクんを手伝うように我らが女王様から」
「女王様から!」
「女王様から?」
「女王様から♪」
イーラさんの声のトーンがほかの反応と若干違うのは気にしない。
ヨヨさんは、妖精族の女王様から僕を手伝うように頼まれた、と言う。
隙を見てイーラさんの手から抜け出した妖精のヨヨさんは、テーブルの上を滑空し、侯爵様の前へと近づくと、その前のテーブルの天板にシュタッと降り立つ。両手を後ろに回し、前方にお見えになる侯爵様へ軽く頭を下げる。
「左様でございます。侯爵様。私がこちらに来たのは女王からの命でございます」
「私は妖精族の女王様との面識はありませんが」と侯爵。
「そうですよねぇ」
どう説明しようかと少し悩んだ様子をさせながら、彼女は首をひねっている。
「んー、魔族の神様のお願いと伝言を、私たちの神様が聞いて、それを巫女が天啓として受け、女王様に報告。そして私にアルクんの元へ行くよう命じた、って感じ?」
「感じも何もそのままですね」
ざっくばらんとした説明に僕は肩をすくめる。
「魔族の神に妖精族の神の天啓……妖精族にも啓示があったのか。アルクのように」
ヨヨさんの言葉を聞いた侯爵様は、驚いたように僕とヨヨさんを交互に見る。その様子を見たヨヨさんは、テーブルの上で背筋を伸ばした。
「まずは侯爵様とその奥方様に、改めてご挨拶を」
よく通る声で高らかに言った彼女は、先ほどまでの雰囲気と違い、力強くそして堂々とした姿をみせる。侯爵様と奥様に視線を向けた後、直立不動の姿勢から、
ローブの端を軽やかにつまむと、優雅に膝をおりながら腰を落とし、深々と頭を下げる。
「はじめまして、ヘルムト=ミストファング侯爵様、エリス=ミストファング侯爵夫人様。私はヨヨ・フェアルゼ。我が女王の命により、御夫妻が嫡女、ティリア=ミストファング様のお食事における懸念事項の件で、アルク殿に助力するためにまいりました。
無断で侯爵家に入り、姿を隠したままでいたことは心からお詫び申し上げます」
「これはご丁寧に。娘のため、そしてアルクに助力とおっしゃいましたが、それは本当ですか」
「ティリアちゃんとアルクちゃんの助力を!?」
侯爵様と奥様は、喜びのあまりあふれんばかりの笑顔を向ける。
思いがけない幸運とでもいうのだろうか。確かにこれほど喜ばしいことはない。手が足りない状況からすれば、この助力の申し出は本当にありがたい話だ。一人よりも二人のほうが心強いのは間違いない。
それに魔族だけではわからないことも、ほかの種族である妖精族の助けがあれば解決方法も見つかるかもしれない。魔王様の手記の調査もあることだ。魔族には伝わっていない伝承を知っている可能性だってある。
ヨヨさんを紹介してくださった邪神様には感謝しきれない。
「はい、左様でございます。つきましては、私にお嬢様の専属執事であるアルク殿と共に魔王国内で行動する許可と、身の安全の保証をいただければ幸いです」
「なるほど。わかり――」
「お待ちください、侯爵様」
少し気になることがある。
無礼を承知の上で侯爵様のお言葉に口をはさむ。
「お言葉を遮り申し訳ございません、侯爵様」
「うむ。かまわん。どうしたアルク」
全く気にしていない様子で僕の無礼を流した侯爵様が、説明を求める。その顔がどことなく楽しそうなのは気のせいではない。
「はい。侯爵様。少々気になった点がございます。ヨヨ様、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「なーにー。あとヨヨでいいわよ。アルクん」
「では、ヨヨさん。今回は、お嬢様のためにご足労いただき誠にありがとうございます。ところでヨヨさんのご職業といいますか、妖精界でのお立場はなんでしょう?」
「え? ……どういう意味かしら」
「この世界に、ほとんど姿を見せることもなく妖精界に住んでいらっしゃった妖精族にしては、侯爵様に対する礼儀が堂に入ってるものだと思いまして。先ほどの挨拶といい、堂々としたお辞儀といい、非常に美しゅうございました」
僕の指摘にもヨヨさんは表情を全く変えていない。
黙ったまま僕の言葉を聞いている。
「もしかしてヨヨ様は、こういった貴族との交渉に慣れておられるか、女王様に近しい御方なのか、と思いまして」
碑文に記されている内容が本当なら、妖精族が妖精界に戻ってから最低でも百年以上、下手をすれば千年近く経っているはず。そんな妖精界在住にしては、あまりにも社交的すぎる気がしたのだ。
女王がいるくらいだから、妖精界の中にも貴族階級があるのかもしれない。しかし、イーラさんが語った妖精族が自分の世界に帰った理由。それが、「つまんなーい」という『物事に関して興味本位で行動する』気質が垣間見える妖精族と、ヨヨさんの分別のついた態度が、かけ離れているかのように感じたのだ。
それに、女王様の命令で来ているとしても、僕をはじめ侯爵様御夫妻の名前や立場を正確に知りすぎている。侯爵御夫妻に対する礼儀正しい態度は、僕の手助けに来たという挨拶よりも、妖精界を代表してきた使者のような態度なのだ。
「あれ? もうばれた? やだ何この十歳」
舌をチロっと出しながらあっさり白状するヨヨさん。
やだ、何この妖精族。
「あ、でも女王様の命はウソじゃないわ。神様から頼まれたっていうのも、ティリアお嬢様とアルクんの手助けをするっていうのも本当。ただ、ちょっとお願いがあってね」
やっぱり。
ヨヨさんは侯爵様へと向き直り続きを話す。
「侯爵様、失礼いたしました。侯爵様に仕える使用人の見識の高さに、ただただ驚くばかりでございます」
「お褒めいただき恐縮です。先ほどの魔王国内で行動する許可に関しては、アルクと共に行動し、法に触れないことを承知いただければ許可いたします。また身の安全については、アルクがそばにいれば問題ありません。これはミストファング家としてお約束しましょう」
僕を護衛役として任命する侯爵様。そして監視役と読む。
侯爵様は言葉を続ける。
「して、そのお願いとやらをぜひ聞かせていただきたい」
お嬢様と僕への助力を申し出るとともに条件とも取れる発言をした。そもそもお嬢様と僕への助力は神様の天啓によるものだ。
神の言葉すら利用するような言葉に侯爵様が動じていないのは、青い血を持つ貴族たる立場として実に堂々としたものだ。交渉と言葉遣いに聡くないと貴族は務まらない。多少の騙し合いや煽りは慣れたものだ。
「はい。実は、お嬢様とアルク殿への助力の見返りに、妖精界と魔王国との通商及び貿易権の締結を一考いただければ幸いでございます」
「……なるほど、それで私の元に来たと」
と苦笑する侯爵様。
「はい。本来はアルク殿の元へ直接出向く予定でした。ミストファング侯爵家と誼を結ぶことを願ったのは、女王と私の判断にございます。申し遅れましたが、私は女王様より妖精界とこちらの世界を行き来する異界商人兼妖精界の貿易担当の職を拝しております」
侯爵様もいつもと違った雰囲気で応対する。
「左様でございましたか。ですが、愛娘のこととはいえ私事と公務を混同するわけにはいきません。顔つなぎは済みましたので、次は正式な使者として我が局をお訪ねください。もちろん話の続きは通商貿易局でうかがいましょう」
「はい、承知いたしました。ヘルムト通商貿易局局長。会談の日程は後日連絡いたします」
「お待ちしております」
「というわけでアルクん。よろしくね」
くるりとローブの裾をひるがえしながら振り向くヨヨさんの笑顔はまぶしかった。
(いやな笑顔だ)
やれやれと、僕は苦笑する。見返りに『一考』とか。
これが『締結しろ』という要求だったら、神様の天啓を盾にして、見返りを突っぱねることもできる。神の言葉を利用するつもりか! とでも言って一蹴すればいい。僕らへの助力は神からの天啓だからこそ妖精族は無理を引っ込めるはずだ。
しかし『一考』、考えるだけでいいということになれば、国として会わないわけにはいかないだろう。魔王国に利益をもたらす可能性がある以上、通商貿易局局長として話だけは聞かなくてはいけない。
仮に話を聞かなかった場合、僕らへの助力という名目で、国内や領内をウロウロする妖精族が誰に何を吹聴するかわからない。利益をもたらすかもしれないのに話も聞いてくれない通商貿易局局長、なんて『噂』は立派な醜聞になる。だからこそ侯爵様のことを調べ、直接会いに来たのであろう。
妖精族の目的は、最初から助力に託つけて魔王族と妖精族との通商権と貿易権の交渉か。
はぁ、疲れる。ヨヨさんも貿易担当なだけはある。
しかも異界商人! 魔族の言葉に『商人の言葉は金貨換算』ってあるけど、どうやら本当らしい。
そんなことを思っていると、料理長のレイゴストさんがヨヨさんに確認するように声をかける。
「ちょいまち、ヨヨさんとやら。アル坊の周りをウロウロしてたのはやっぱりあんたで間違いないか?」
「えぇ、そうよ。アルクんに飛ばされてオジさんの顔に当たったのも私」
「オ、オジさ!?」
「お兄さん?」
「いや、いい。じゃあ俺が感じたあの悪意はなんだ?」
「んー、悪気はなかったつもりなんだけどなぁ。侯爵様との交渉で有利に立てそうな材料を聞けないか探ってただけ?」
「……お、おう。わかった」
交渉を有利に運ぼうとして姿隠して盗み聞きしてました、と堂々と宣言するヨヨさん。こういった行動が興味本位重視の妖精族らしいところなんだろうか。
それにしても妖精族の隠密術って、もしかしたらすごいのか。それとも僅かな悪意ですら感じ取るレイゴストさんの能力がすごいのだろうか。少なくてもレイゴストさんがヨヨさんに対し、警戒してるのは間違いない。
それはさておき小声でセイバスさんに話しかける。
「セイバスさん、侯爵様のお仕事って通商貿易局の局長だったんですか?」
「えぇ、そうですよ。アルクくんにはまだ言ってませんでしたね。今度、王国の組織について勉強しましょうかね」
「はい! よろしくお願いいたします」
「お話は終わった? アルクん?」
僕とセイバスさんとの会話に妖精族の商人が口をはさむ。まだ何かあるのだろうか。そう思った僕は少しばかり身構えてしまう。
「え? はい」
「じゃあ、最後に神様からアルクんに伝言ね!」
「神様の伝言!!」
あっけらかんと言い放ったヨヨさんの言葉に驚く侯爵様一同。
イーラさんだけが、「神様や食材の話も本当だったの?」と驚いていた。僕の存在に対して訝しがっているとは思っていたけど、邪神様やお嬢様の話まで信じてなかったのはイーラさんだけのようだ。
そういえばイーラさんは、お嬢様を寝かしつけに行ってたり、厨房に行ったりとちゃんと話を聞く機会がなかった。あとでちゃんと説明おくべきだろう。
(しかし……邪神様。そんな気軽に伝言残していいのだろうか)
伝言なんてヨヨさんは言うが、神様からの言葉は天啓となる。人族の勇者とかが人族の神から天啓を受け、聖戦の御旗として活躍するって話を聞いたことがある。戦争の道具扱いにもなりかねないようなことを伝言に使う神様にも困ったものだ。
そんな心配を無視してヨヨさんは神様からの伝言を口に出す。
軽く咳払いをした後、大きな声で。
「伝言を言うわよ。『そうそう、アルクくん。ネギはあるけど味噌はない』、以上」
邪神様ぁぁ! あとで教えるって言ってたけど絶対忘れてたでしょ! 天啓使って、お父さんに晩御飯の買い物頼むような口調で言わないでください!
「ねぇ、アルクん。妖精の巫女も女王様も意味わからなかったんだけど、意味わかる? ネギって何? 味噌って何?」
「あ、はい。アリガト、ヨヨさん。わかり意味ございます」
「大丈夫? 何か言葉が変よ?」
神様の天啓って珍しいことではないって奥様がおっしゃっていたけど、内容はなんでもいいのでしょうか! 邪神様!
「神様の言葉も結構ですが。アルクくん。そろそろ詳しくお話いただけますね」
神様の天啓もなんのその。
執事長はやっぱり覚えていらっしゃった。
今から話すことを信じてもらえるかどうかわからない。邪神様から聞いた魔族やお嬢様の一件よりも理解してもらうのは難しいだろう。邪神様はなるべく話さないほうがいいと言っていた。間違いなく何かの理由があるはずだ。
邪神様に会い、この世界に戻ってきてから言ってなかったこと。
『前世の記憶と転生』について話す。もしかしたら、お嬢様をはじめ、侯爵家の皆と二度と会えなくなるかもしれない、という覚悟を決めて。