第八話 嫌疑は訪問者と共に
セイバスさんが、出かけようとする旦那様を引き留める。
「その前にひとつハッキリさせておきたいことがございます」
「ん? なんだ」
「はい、それは……」
あっという間の出来事だった。
横に立っていたセイバスさんが、すばやく僕の後ろに回り込む。そして僕の右手首を強引に取ると、ひねりながら僕の背中にねじり上げる。右腕と肩を極められた状態のまま、頭を押さえつけられ、上半身を前方に倒された。腕が固定され、頭が押さえつけられているため全く身動きがとれない。
と同時に、侯爵様の目の前にあった抜き身の包丁が、レイゴストさんの力で宙に浮き上がり、回転しながら僕に迫る。包丁は刃の先端をこちらに向けて勢いよく迫ると、僕の首筋に刃を当ててピタリと止まる。
イーラさんも一歩前に進み、奥様をかばいながら無手でかまえる。
(ぐっ! な、なんで? いったい何が!?)
「これは何のマネだ! セイバス。レイゴスト」と叱咤する侯爵様。
奥様は目を見開き、息を呑んで立ち尽くしておられる。その前で奥様をかばっているイーラさんの瞳が僕を睨みつけている。
「旦那様、奥様。少々お騒がせしますが、しばしご容赦を」
「何っ?」眉をひそめ、訝しがる侯爵様。
「さて、アルクくん。お聞きしたいことがあるのですが」
「こ、これはどういうことですか? セイバスさん! レイゴストさん! 離してください!」
焦る僕の言葉は聞いてもらえず、セイバスさんが背中の腕を上に引き上げ、肩の関節に圧力を加える。ひねり上げられた関節に激痛が走る。
「がっぁ!」
「まずはこちらの質問に答えていただきましょう。――きみは誰だ?」
前のめりになっているため顔は見えないが、セイバスさんの発する声は鋭く冷たく、そして何よりも強烈な威圧を感じる。関節の痛みに息を吸うことさえ辛いが、なんとか声を絞り出すようにして答える。
「僕は、アルクです! アルクですよ!」
「そうですか? 見た目は確かにアルクくんのようです。しかし、アルクくんは執事見習いになってから、私のことは、“セイバスさん”と呼ばないんですよ」
「俺のことも“レイゴストさん”とは呼んでくれなくなったな」
え? 名前で呼ばないだって。そうだったか?
いやいや、何かの拍子に言ったことがあるはずだ。
「いや、そんなことはないはずです。何かの拍子にお呼びしたこともあったはずですよ。何かの間違いです!」
「いーや。それはねぇ。アル坊が三歳になって執事になるって言い出したときから、俺は『レイゴスト料理長』になった。あんときは寂しい思いをしたもんだ。だから間違いはねぇ」
「保護される立場と使用人としての立場、齢三歳にして道理を弁えている子でした。いささか弁えすぎているとも感じたくらいです。私もその日以来『セイバス執事長』になった」
言われてみれば確かにそうだったかも。
意識したことはなかったが二人にはそうではなかったらしい。
「それにね、アルクくん。君の魂、何か混ざってますね? 朝までは感じなかった、何かしらの異物を感じます。何か呪いの類、あるいは乗っ取られましたか?」
腕を引かれ上半身を起こされる。自然と顔が上がる。首筋には包丁が当てられたままだ。
「なあ。アル坊が起きてからアル坊の周りに何かしらの“悪意”を感じるんだよ。質まではわからねぇが、さっきから飛び回ってるぜ」
魂に異物が混ざる? 乗っ取り? 悪意を感じる? なんだ? なんだ! それは。僕には全く身に覚えが……覚え……。
いやいやいや、まさか!
邪神様が前世の記憶を戻したまま、僕をこちらの世界に戻したから? それで魂に変化が出た? ではそのことを説明すれば……。
駄目だ! 前世や転生のことなど言えるはずもない。
言っても信じてもらえないだろう。なんとかしなくてまずい。このまま疑われたままでは、お嬢様の件も疑われてしまうかもしれない。
それだけは避けなくては。僕は、侯爵御夫妻に訴えかける。
「侯爵様、奥様、信じてください。僕は、僕はアルクです。侯爵様に拾われたその大恩をようやく、ようやく返せるときが来たのに! お願いです、侯爵様! 奥様!」
突然、声をかけられた侯爵様と奥様はどうしていいのかわからないようで、立ち尽くしていらっしゃる。それでも必死に侯爵御夫妻に訴える。掴まれている腕が折れてもかまわない。首が切れてもかまわない。なんとしてでも信じてもらわなければ。
(このままではお嬢様が、お嬢様が)
力一杯暴れるが、十歳の身体では老練な大人であるセイバスさんの腕からは、当然逃れることはできず、暴れるだけ締め上げられる。
「腕が壊れますよ」というセイバスさんの声も無視して、暴れ――とうとう、肩の骨が外れ、ゴキッという鈍い音とともに腕の骨が折れた。
「ぎゃああああぁ。ぐっ……うっ」
一気に噴き出してくるじっとりとした嫌な汗。
意識が飛びそうになったが、下唇を噛んでそれに耐える。腕の激痛に耐えながら、必死に足掻き、悶える。痛みのあまり、無意識のうちに自由になっている左手がセイバスさんの手を振り払おうと動いた。
※バチッ※
「きゃあ」
「ぐえっ」
え? 今、何か左手に当たった?
何かが手に当たったと同時に聞こえた女性の悲鳴とレイゴストさんのうめき声。
ほんの少しの間をあけてから、僕を狙っていたはずの包丁がストンと床に落ちる。僕は左手に当たった何かを確認するため、腕の痛みを我慢して床に顔を向ける。
(ん? あれは?)
手で鼻を押さえているイゴストさんが目を見開いて足元を見ている。視線を追って視線を向けると何かが床に落ちている。
(……羽の生えた人形?)
それを触ろうと左手を伸ばした。
だが、その行動を妨げるように、セイバスさんは僕の折れた腕から手を離し、突き飛ばす。支えがなくなりバランスが崩れたところで、足を払われた。うつ伏せのまま前に倒され、受け身が取れない状態で床に身体を打ちつけられる。
「ぐはっ」
肺の中の空気が一気に吐き出された。あまりの衝撃にすぐに息を吸うことができない。痛みにしばらく耐えた後、なんとかして肺に空気を送り込む。
床に倒されたままの状態で視線を上げる。すると、先ほどの何かが目の前に倒れている。それは、一対の薄い羽が生えた……女の子のようだ。
ゆっくり観察する間もなく首筋に嫌な気配を感じ、慌てて床に手をつく。身体を支えながら、振り返るように首をひねり、横目で後ろを確認する。その視線の先には、僕の頭を踏み潰そうとしているセイバスさんの足が見えた。
くっ、右腕が動かないため防御できない! 目を閉じ、顔を背け身体を固くして衝撃に備える。
「おやめなさい、セイバス!」
いつものゆったりとした口調とは全く違う、奥様の鋭い声が食堂に響く。
同時に、ごぅっという音が僕の頭の上で止まる。数秒経っても執事長の足蹴りが、僕の頭を踏み潰そうとする様子はない。その代わりに、ひんやりとした冷気が僕の頭を伝わり、優しく頬を撫でる。
「やりすぎです、セイバス。離れなさい」
「畏まりました、奥様」と執事長。
セイバスさんの気配が離れるのを感じ、そうっと顔を上げる。セイバスさんは、僕から二歩ほど離れた位置で、いつもの姿勢で立っていた。いつでもこちらに飛びかかれる間合いと、射抜くような視線は僕から離れることない。
唯一、いつもと違うのは右ひざからつま先にかけて白い霜がびっしりと付いていることだ。
(これは奥様が?)
「セイバス、十歳の子供だぞ! もう少し考えろ。 レイゴスト! お前もだ!」
侯爵様の叱責の声に、食堂に静けさが訪れる。
「畏まりました、旦那様。以後、肝に銘じます」
「へ、へい」
姿勢を正し、美しく頭を下げるセイバスさんと、鼻を押さえ目を見開いたままのレイゴストさんが答える。
(今なら!)
一連の流れが止まった今なら話を聞いてくれるはず。
「侯爵様。セイバス執事長やレイゴスト料理長がとった行動は間違っておりません。
“執事たるもの、仕えるご主人様を狙う刺客に、躊躇せず完璧な制圧ができなくてどうするのですか”です。そうでしたよね、セイバス執事長」
「……えぇ。よく覚えていましたね。アルクくん」
執事長は、「ハァ」とため息をつき、侯爵様御夫妻に願いでる。
「旦那様、奥様。アルクくんの傷を治す許可をいただけますでしょうか」
「すぐにおやりなさい。イーラも手伝いなさい」と奥様。
その言葉に、イーラさんは構えを解く。
まずは話を聞いてもらえそうだ。
御夫妻の許可が下りた後、セイバスさんが腕や首の斬り傷を執事魔法『執事病院』で癒してくれる。
脱臼した肩は、――ごぉりっと入れられた(ぐおぉ! 外れたときよりも痛い)。折れた腕の骨は、完治とはいかないまでも全治一週間程度には回復している。
僕の『執事救急箱』では骨折や大きい怪我までは治せない。さすがはセイバス執事長だ。一日でも早く『執事施療院』を取得できるよう精進しよう、僕はそう心に決めた。
イーラさんは、骨折した部分を固定するため当て木をした腕に包帯を巻いてくれているが、その顔はこわばったままだ。
僕の傷を治療しながらセイバスさんが、「あとできちんとご説明いただけますね」と小さな声でささやいた。
その言葉に、僕はうなずき約束する。
これ以上、前世の記憶のことや転生したことを隠すのは無理だろう。邪神様もなるべくと言っておられたし、侯爵家の方には伝えるべきだと思う。
セイバスさんやイーラさんにお礼を言い、立ち上がる。
肩や腕を軽く回し、異常がないか確認する。痛みはまだあるが問題なし。セイバスさんもご自分の足の治療が終わったようだ。
セイバスさんに怪我を与える奥様って……。
「もういいか? セイバス」
「まだ疑いは晴れておりませんが、この後、本人が話してくれるそうです」
奥様といい侯爵御夫妻の両名は僕のことを信じてくださっているようだ。セイバスさんやレイゴストさん、イーラさんは侯爵御夫妻を守ろうとしただけにすぎない。侯爵家の使用人は自分の役目を全うしただけだ。
「さて、レイゴストの足元の『それ』は何だ? アルクわかるか?」
「侯爵様、僕にもわからないのです。突然、左手に何かが当たった感触があって気がついたら、『それ』が」
と、床でのびているそれを指さす。
さっきはゆっくり見れなかったが、今度はじっくりと観察する。
よく見れば三十センチほどの大きさで我々と同じような姿をしている。ウェーブのかかった肩まで伸びる黄金の髪には、蝶の羽と思われるティアラが光る。髪の隙間から見える小さな耳の先は少し尖っていた。
膝丈までのフワッとした緑白色のローブのような貫頭衣を着ており、その背中からは淡緑色をした半透明の羽が二枚生えている。その美しい羽は、食堂の光を反射している。腰には僕の小指の先ほどしかない小さな袋が下げられているのが見てとれた。
「魔族にこういった種族がいるのでしょうか」と僕。
「いや、聞いたことがねぇな、アル坊。だが悪意の元凶はこいつだろう。アル坊を疑っちまった。面目ねぇ」と頭を下げる料理長。
「気にしないでください。レイゴストさんが見間違うなんてこと、まずありませんからね」
とりあえず床に落ちている『それ』を両手ですくうようにして持ち上げ、テーブルの上にそっと置く。特に怪我をしているようには見えないが、念のため『執事救急箱』をかけておいた。指で顔の部分をつついてみるも反応はない。
テーブルの上に置かれた『それ』を凝視していたイーラさんが、ポンっと手を叩き、「そうだわ! 間違いないわ!」と喜んでいる。
「イーラさん、それが何かわかるんですか?」
「話しかけるな、アルクもどき」
「もどき!!」
なんだろう。イーラさんのゴミを見るような視線が胸に刺さる。
「執事長の後ろをカルガモンのように必死に付いて行く、頑張り屋さんで、ちょっと背伸びする姿が可愛いアルクくん(十歳)だったのに、いつの間にか成年のようなむさ苦しい雰囲気になっちゃって。元の可愛いアルクくんを返しなさい! 戻しなさい! 私のものよ!」
「私の!? いつから“私のもの”になったんですか!」
「来たときから?」首をかしげながら真面目な顔をして言い返された。
侍女やメイドさんたちの中で一番仲が良く可愛がってもらったのはイーラさんだった。五百四十度変わった態度に驚くほかない。
(あ、そういえば……)
前世の記憶から『ショ』が付く嗜好の方がいることを理解した。理解してしまった。
(でもイーラさんとは同じ世代ですよね! そんなに年齢変わりませんよ! ところでカルガモンってなんですか。どういう例えなんですか)
僕の心の叫びは届かない。
口に出していないのだから当然である。
ショの付く方にお願いするときこそいい手がある。
僕は、少し困ったような顔をしながらテーブルの上に置いた『それ』に目をやりつつ、イーラさんの顔を上目遣いで見ながら少し高めの声でお願いする。
「イーラさんのものではありませんが、『これ』の説明をお願いできませんか? 『イーラお姉ちゃん』」
「お!? お!! お姉ちゃん♪ ままま、待ちなさい。今すぐ説明してあげゆわ、お姉ちゃんが」
ふっ、ちょろ。
「あー、アル坊。おまえ、間違いなくアル坊だな」
「若干何かが混ざってますが、アルクくんですね」
「そういえばアルクって執事になる前、イーラのこと、お姉ちゃんって言ってたな」
「昔のアルクちゃんみたいね~」
レイゴストさんとセイバスさんに続き、侯爵御夫妻まで昔を思い出したように話し始めた。
そう言われて、ふと前世のことを思い出す。
前世で事故に合ったときの年齢だが、正確には覚えていないものの、恐らく十歳よりは上だったはずだ。そうなると今は少なくても二十歳以上は確定だろう。
それにしても、自分自身、意識していなかった精神年齢を即座に見破るイーラさんの嗜好ってすごいな。イーラさんといい執事長といい、魔族ってなんでこんなに察しがいいのだろうか。
その察しのいいイーラさんが軽く咳払いをして、テーブルの上の『それ』について説明を始める。
「では皆様。ご説明いたします。この子は恐らく“フェアリー族(妖精族)”と思われます。それも可愛い女の子」
「妖精族!」と驚く一同。
「妖精ってこんなに小さいのか」
「見たのは初めてですねぇ」
侯爵様とセイバスさんは、互いに顔を見合わせている。セイバスさんの話ぶりからすると妖精族の存在は知っていたらしい。
イーラさんの妖精講座は続いている。
「はるか昔、戦争などで世の中が荒れていた頃、つまんなーい! という理由で、自らの世界である『妖精界』に帰った幻に近い種族です。確か王都にある碑文に関連した一節があるはずです」
“陽気なフェアリーは陰気な世界を捨て自分の世界へ”
つ、つまんなーい?
陰気な世界を捨てた悲哀感ではなく、“つまんなーい”という興味本位かつ感情的な理由で姿を消したのか。もしかして妖精族って本能で動く種族なのだろうか。
「妖精は、レイゴスト料理長のような幽霊族と同様、自らの姿を消すことができます。また妖精界を経由することによって距離を縮め、世界中を旅する種族としても有名でした」
そこまで話すとイーラさんは皆を見回し、一呼吸ついた。
「その姿を見たものは少なく、今ある文献等にも記述が残っておりません。自分たちのことが記述されている文献などを、その能力で次から次へと持ち去ったとも言われています。王都の石碑が残っているのは、妖精族が消えた後、建ったものですし、例え見つけたとしても重たかったのかもしれません」
あー、文献のある場所に妖精界経由で結界を無視して忍び込み、姿を消して持ち去ると。なにそれ怖い。前世の記憶にあるチェンジリングってそういうことなの?
「その姿を見ることがなかったのは妖精界とやらに帰っていたからとは。それにしてもイーラさん。実に素晴らしい。妖精族に詳しいのですね」
にこやかな顔をしてセイバスさんがイーラさんを褒める。
「それほどでもありませんわ、セイバス執事長。私の所蔵品の中に妖精族に関する文献がありましたので。それに妖精族の多くがこの子のように可愛いからです」
最後、言ってる意味がわからないです、イーラさん。