第七十七話 才ある者? 歳ある者?
「アルクさんがこちらにいらっしゃると、ジュロウさんからお聞きしまして」
「なるほど。何か御用でしたか」
ヒミカさんは、はい、と答え、姿勢を正した。
凛としたその姿勢は神官としての役目であることを感じさせる。
どうやらプライベートの要件ではなさそうだ。
「大神官様がアルクさんを神殿にお招きしたいと申しております」
「大神官様が? 確か、ほかの町にお出かけでしたよね」
「はい。すでにお戻りになっておられます。そこで、アルクさんの話をしましたら、絶対に連れ――ぜひともお招きしたいと」
「今、絶対に連れて来いって言いかけてませんでした?」
「……なんのことでしょう?」
そう言って、彼女は目をそーっとそらす。
しかし、大神官様から突然のお招きとはいったいなんの用だろうか。
どうも嫌な予感しかしないのだが、「行くとまずいぞ」という予感と、「行かないとまずいぞ」という予感が、至近距離で殴り合いを始めている。
「そ、それは今日じゃないとダメでしょうか」
「本日、今から、ぜひ、お越しいただけると幸いです。いかがでしょうか」
今日ですよー、今からですよー、断ると大変ですよー、来ますよねー、覚悟決めてくださいねー、的な意味だと僕は解釈した。
「い、行きます」
「ありがとうございます。私もご一緒しますね。ところでアルクさん。禁忌の件、覚えていらっしゃいますか」
いつぞやか、大神官様の年齢に関する話をしてはいけないと、ヒミカさんから聞いたことがある。おそらく禁忌とはそれのことだろう。
年齢の話に触れると、「覚悟を決めて武装してからもう一度来い」とか言われて戦うはめになるらしい。
「ええ。覚えていますよ。大神官様のねん――」
「いけません!」
「あ、はい」
「気をつけてください、本当に」
あれは確か、王都近くの草原の川沿いでウシドンパーティーをしていたときのこと。
大神官様の年齢の話をしようとしたとき、今のようにヒミカさんに止められたのだ。当時、大神官様は、ほかの町に出かけており、王都には不在だった。それにもかかわらず、彼女は草原と王都程度の距離では聞こえてしまうようなことを暗に言っていた。
いったい大神官様はどれほどの地獄耳なのだろうか。
「もし、禁忌を破ったら?」
「絶対にダメです! そうなったら私も無事ではすみません」
「わかりました。そのときは一緒に逃げましょう」
「にゃ、にゃにをいってるんでしゅか、アルクしゃん」
あれ? 何かまずいこと言ったか?
ヒミカさんを見ると、彼女の顔は若干赤くなっていた。
口をパクパクさせながら、慌てたように小さな手を握ったり、開いたりしている。
更に、周りにいた局員たちも顔を真っ赤にして、バシバシと殺気を飛ばしてくる。そういえば、ここが森林管理局の前だということを忘れていた。
僕は大神官様の年齢に関することは言っていないはずだ。
それなのになぜ、ヒミカさんと局員たちは顔を真っ赤にして怒っているのだろうか。ヒミカさんはともかく、若い局員らが顔を赤くする理由がわからないし、管理局の前で殺気を飛ばしていたら、局の品位にも関わるだろう。
「やれやれ、これだから今の若いもんは」
(……アルク様、十歳です……よね)
僕のつぶやきに、呆れたような雰囲気でインプが念話を飛ばしてきた。
このインプにも困ったものだ。僕は何度も十歳だと言っているではないか。そろそろ契約者の年齢くらいは覚えて欲しい。
(十歳だよ。そろそろ覚えてよね)
(いえ、そういう意味ではなく)
そんなインプの念話を隅に追いやり、ヒミカさんにどうしたのか問う。
「ヒミカさん、怒ってます?」
「怒ってませんよ」と、にこやかな顔で返事が返ってくる。
「喜んでます?」
「よ、喜んでもいみゃせんってば!」
ふるふると首を振る彼女の反応がどうにも理解できない。
その代わり、なぜか若い局員たちの殺気が増えた。このチクチクと藁でつつくような殺気も、さすがにそろそろ面倒くさい。セイバスさんや森林管理局で会った『山さん』に比べたら、殺気かどうかも微妙なレベルとはいえ、伸びた前髪が目に入りそうな感じくらいに、わずらわしい。
(……アルク様。先ほどから、わざとやってるんですか?)
(何が?)
とうとう雰囲気だけでは収まらないような、心底呆れたような念話をインプが送ってきた。わざとってどういう意味なの、と念話を送り返す。
(ハァ……なんでもありません)
悪魔もため息をつくらしい。
そんなことより、お嬢様のおやつの時間までに戻らなくてはならないのだ。さっさと大神官様にお会いして侯爵家に帰ろう。
「そろそろ行きましょう。ご挨拶は早いほうがいいでしょうし」
「わ、わかりましたわ」
僕たちは二人並んで、白の賢者様の神殿へと向かうのだった。
背後から、「大神官様にご挨拶だと!」という声と、壁を殴る音、それに、「壁を殴ったのは誰だ」という怒鳴り声が聞こえてきた。
まあ、僕たちには関係ない話だろう。
白の賢者様の神殿にやってきた。
この神殿に来るのは、何度目になるだろうか。
本殿や本殿まで続く石畳は白で統一され、神秘的な雰囲気を醸し出している。本殿前にある白の賢者様の像も相変わらず美しい。
神殿には今日もたくさんの信者たちが参拝に訪れている。大神官様に会いに行く途中、何人もの信者とすれ違う。ヒミカさんに気がついた信者たちは、彼女に軽く会釈をし、彼女もそれに答えるように会釈を返していた。
ただ、気になることがひとつあった。
すれ違う若い男性信者たちのほとんどがヒミカさんに会釈した後、僕を睨んでいくのだ。
恐らく彼女が配っているバナナやアボカドを独り占めするとでも思っているに違いない。僕は『悪食』じゃないし、そんな意地汚いことをするつもりはないのだ。
立ち話をしている何人かの男性信者たちも、ちらちらとこちらの様子をうかがっている。
その姿はまるでエサを持った飼育員さんの登場に、牽制し合うサル山の猿のようだ。
だから独り占めしないってば。
「あ、そうだ。ヒミカさん」
「はい、なんでしょうか」
僕は立ち止まり、その場で『執事ボックス』から取り出した袋を彼女に手渡す。
彼女は、中身を確認すると嬉しそうに笑った。
「まあ! これはスイレンの球根ですね。それにこんなにも。母さまがお喜びになられます」
これは今日の朝、マンドラゴラのドラゴからもらったものだ。
今から植えても十分間に合うだろう。暑くなる頃には、きれいなスイレンの花が咲くはずだ。庭いじりが得意だというアルティコ伯爵夫人もいらっしゃるし、花を咲かせることのできる呪歌を操るヒトニスさんもいるので育て方の説明は必要ないだろう。
「ファンガスの件で、枯れてしまったと言っておられましたから」
「ありがとうございます。覚えていらしたんですね」
「たまたま今日、知り合った根っ……マンドラゴラの勇者からいただいたものです」
「マンドラゴラの勇者ですか?」
「ええ、自称、のようでしたけど」
「アルクさんは変わった方が知り合いにいらっしゃるんですね」
「知り合ってしまったという表現のほうが正しいですけどね。あと、これもどうぞ」
それに加えて、同じくドラゴからもらったレンコンと、今日の朝食時にラミさんからもらった卵も渡しておく。卵は割れないよう麦わらを敷いた箱に入れておいた。
「これは?」
「レンコンという野菜とウコッケという鳥の卵ですね。レンコンの見た目は悪いですが、クセも少なく美味しいですよ。どちらも毒はありません」
卵とレンコンの料理法を簡単に説明する。
卵は基本、茹でるか、焼くだけで十分美味しい料理になる。それにお菓子作りには欠かせない食材だ。
レンコンは、油との相性がいいので、レンコンチップスのように揚げたり、焼いたりすることをオススメしておく。オリーブオイルはこの神殿で作られており、聖油として使われているのでたくさんあるはずだ。
ヒミカさんは貴族の令嬢でありながら、自炊経験も長く、基本的な調理は説明すればすぐに作ることができるし、飲み込みも早い。
レシピについては、後日、まとめたものを書いて渡すことにしよう。
「卵はお菓子の食材としても使えます。今度、卵を使ったお菓子をお持ちしますよ」
「まあ! それは楽しみ」
ポンと軽く手を叩きながら微笑むヒミカさん。
「卵はスープにも合いますし、焼いたものをパンに挟んで食べても美味しいですよ」
「スープならまかせてください。上手にできたらご馳走しますわ」
「それは楽しみです」と僕は微笑み返す。
新しい食材を受け取って、幸せそうに笑う彼女の笑顔は実に魅力的だ。お嬢様の次くらいに。
先ほどからこちらをうかがっていた男性信者たちが、ヒミカさんの屈託のない笑顔を見た途端、涙目になりながら、「手料理だと……うわあぁ」と叫びながら走り去っていった。
(……なんだ、あれ?)
そんなことより、ヒミカさんの偏食はずいぶんと改善しているみたいだ。話を聞くと、彼女にあげた『毒のない食材リスト』がかなり役に立っているとのこと。毒のない食材を使って、いろいろと料理に挑戦しているらしい。
「うちにもご馳走してくれる?」
突然、後ろから声をかけられた。
その聞き慣れない声に、僕は振り返る。
しかし、そこには誰もいなかった。
「どこを見てるの、お兄ちゃん」
続いて聞こえてきたその声は、僕の真後ろ。
しかも、下の方から聞こえてきた。
目を下に向けると、そこにいたのはお嬢様と同じくらいの女の子。僕を見上げるその勝ち気な瞳は、燃えるような真紅だ。長い髪は太陽の光を反射して艶やかなオレンジに見える。そのきれいな髪をポニーテールにして、黄色のリボンで結んでいた。神官服によく似た赤い服もよく似合っており、非常に可愛らしいお嬢さんだ。どことなく前世の縁日で売っていたカラーひよこ(赤)を思い出す。
いつからここにいたのだろうか。
僕たちの話を聞いていたらしく、食べ物に興味をもったようだ。魔族の子供だというのに、見たこともないはずの食べ物に興味を持つとは珍しい。
僕はしゃがんで、女の子に視線を合わせた。
「お嬢さんも食べてみたいのかな?」
「うち、お嬢ちゃんじゃなくて、お嬢さんなの?」
「女の子はみんな立派な淑女ですから」
「そうやって、女の子を口説くんだね、お兄ちゃん」
ずいぶん、ませた子のようだ。
女の子の成長は早い、と前世でも言われていたが、この子はティリアお嬢様と同じくらいの年齢のようだし、さすがに『口説く』という言葉を使うには早すぎる。
……もし、お嬢様を口説こうとする奴が現れたら、どうしてくれよう。とりあえず社会的に潰しておくか。そいつが貴族だろうが王族だろうが、ゼッタイニユルサナイ。
「お兄ちゃん、お顔が怖い」
「あ、ごめんね。違うこと考えていたよ」
それにしてもどこの子だろう。
周りを見ても親御さんらしい姿はない。
「お父さんとお母さんも一緒に来ているのかい?」
「ううん、うちはいつも一人だよ」
女の子が首を振りながら、笑って答えた。
こんな小さな子が一人で参拝とは感心する。しかも、いつもと言ってるから、一人で参拝するのも一度や二度ではなさそうだ。
しかし、さすがにこんな小さい子が一人でいるのはまずいだろう。王都ではあまり聞かないが、この世界にも子供をさらうようなクズ魔族もいるのだ。
このまま一人で帰すのも心配だ。
大神官様のお招きもあるが、この子を送っていくほうが先だろう。何度も参拝しているのであれば、ヒミカさんがこの子の家を知っているかもしれない。
「ヒミカさん。このお嬢さんを家まで送って行きたいのですが、この子の家をご存知ありませんか」
僕は、しゃがんだままヒミカさんへと顔を向ける。
そんなヒミカさんは、ちらりと女の子を見たあと、困ったような顔をする。察するにどうやらご存知ないらしい。この歳で神殿に来るくらいだから、王都の住民だと思ったが違うのだろうか。
本人に家の場所を聞こうと振り向いたとき、その女の子は可愛らしく口元に人差し指を当てていた。
「お嬢さん。良かったらお家まで送っていくけど家はどこかな?」
家の場所を聞くと、彼女はコテンと首をかしげながら言った。
「お兄ちゃん。送ってくれるの?」
「うん。一人で帰るのは危ないからね」
「わーい。お兄ちゃん優しいね。送り狼みたい」
……いやいやいやいや。
送り狼という言葉は、断じて優しいお兄ちゃんに向ける言葉ではない。
怪しいお兄ちゃんにいう言葉だ。
「えーと。じゃあヒミカさんも一緒に来てくれませんか」
「えー、その子も来るのー? うち二人きりがいいな」
露骨に嫌な顔をする女の子。
送り狼の意味を知らずに使っていたのだろう。
ヒミカさんと二人で送っていけば安心すると思ったのだが、なぜか拒否された。しかも巫女であるヒミカさんに向かって、その子扱いとはどういうことだ。
それにしても、気になることがある。
女の子が声をかけてきたとき、この子は僕の真後ろにいた。ある程度、気配を感じることのできる僕の背後に立っていたのだ。
いくら僕が修行中の執事見習いだからといって、小さな子供の接近に気づかないなんてことあるだろうか。
「お兄ちゃんも若い女の子のほうがいいよね」
僕が考え込んでいると、女の子がとんでもないことを言い出した。
三歳くらいにしか見えない女の子がいいと言うお兄ちゃんは、危険なお兄ちゃんです。むしろ魔族としてもダメなお兄ちゃんです。
それにヒミカさんがいいというお兄ちゃんもダメなお兄ちゃんです。
彼女もまた十歳なのだから。
「淑女たるもの年齢で測るものではありませんよ。多くのことを経験し、活かし、学び、克服してこそ、淑女たり得るのです。お嬢さんも、もう少し大きくなるとわかると思います」
女の子に伝えながら、ふとヒミカさんを見る。
そんな彼女と目が合った。
淑女たる品位は、日々の積み重ねで磨かれるものだ。
ヒミカさんは僕と同じ捨て子だった。大神官様に拾われ、伯爵の養女になってからは命まで狙われている。それでも巫女として日々努力し、最近では、偏食すら克服しようとしている。
だからこそ、多くの魔族から支持されているのだ。
狂信者が生まれるくらい……淑女というより、教組に近い。いや、むしろ教組だろう。
照れたように僕から視線を外したヒミカさんは、少し怒ったような顔で女の子を見た。
「もう。いい加減にしてください」
「おや、残念。もうばらすのかい」
女の子の口調が突然変わったことに驚き、声がしたほうに目をやる。と、そこには歯を見せながらニカッと笑う女の子が腕を組んで立っていた。
「子供のふりとは……大神官様にも困ったものです」
「よく来たね! お兄ちゃん」
困り顔のヒミカさんと、笑う女の子を何度も見比べる。
今、ヒミカさんはとんでもないことを言わなかっただろうか。
「え? 大神官様? あっ、はい? ん? ええぇぇー!」
大神官様(?)が住まうのは、神殿敷地内にあるそれなりに立派な家だ。部屋の数こそ多いようだが、内装は質素なものだ。ヒミカさんの個室よりも多少賑やかだが、華美にならず落ち着いた雰囲気がある。
大神官様(?)の執務室に案内された僕は、勧められるまま椅子に座り、ヒミカさんが入れてくれたお茶を飲んでいる。執務室には本棚がいくつか置かれ、分野問わず様々な本が揃えられているようだ。
「突然、口に指を当てて、「しっ」とか、いたずらにも程があります」
お茶を配り終えたヒミカさんが僕の右隣に座りながら、頬を膨らませる。
口に人差し指を当ててたのは、可愛らしい仕草ではなく、ただ単に黙っていろという意味だったらしい。
そりゃあ、大神官様(?)の家は神殿内だし、黙っていろというジェスチャーをされれば、さすがのヒミカさんも困った顔になるというものだ。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないか、ヒミカ。淑女なんだから」
「そうですよ。ヒミカさん。淑女なんですし」
「なんで、会ったばかりのお二人が意気投合しているんですか!」
大きな声を上げて、ますます頬を膨らませているが、いったいどこまで膨らむのだろうか。
テーブルを挟んで対面に座る大神官様(?)も彼女の頬をつつきたくて、ウズウズしているようだ。
「わざわざ来てもらってごめんねー。うちがアルクくんを呼んだのはほかでもないよ」
つつくのを我慢して、そう切り出した大神官様(?)から告げられたのは、アルティコ伯爵の治療と病気の原因解明に対するお礼だった。
お礼を言おうにも、多忙故に神殿から出ることもできず、仕方なしに僕を呼び出したそうだ。
「うちとアルティコ坊やの夫婦とは付き合いも長いからね」
七百歳を超えていた(今では四百歳程度まで若返った)伯爵を、坊や呼ばわりする大神官様(?)の見た目はどう見ても三歳くらいだ。
椅子に座ると足が床につかないほど小さい。今も、その小さな足を空中でプラプラと揺らしている。椅子の背もたれに置いたクッションに背中を預けている姿はどうみても幼女だ。
話し始めた大神官様(?)に、僕の隣に座るヒミカさんは、どことなく緊張しているようだ。目の前の大神官様(?)は、捨て子だった彼女を保護した親とも呼べる大恩人。しかし、やはり神殿における最高位の方を前にすると緊張するものなのだろうか。
いくら背が低い幼女でも、神殿の頂点に立つ御方だ。一番上に立っていれば、背の高さなんて関係ない、……きっと。
「大神官様(?)。僕は手伝っただけですよ。アルティコ伯爵のご夫妻が元気になられたのは、ヒミカさんのお力とヨヨさんという友人のおかげです」
「その友人というのが啓示にあった妖精だね。でもアルクくんがいなかったら二人は会わなかったと思うよ」
ヒミカさんが白の賢者様に託された啓示は、僕たちに協力すればヒミカさんの願いが叶うというものだ。ヒミカさんの願いとは、病気だった両親を治療するため、妖精族に伝わる命の水を手に入れることだった。
この白の賢者様こと魔族の神様(通称、邪神様)は、妖精の神様に僕の手伝いをしてくれる妖精を派遣するようお願いしてくれたり、自分の巫女であるヒミカさんを啓示経由で紹介してくれたりと、かなり面倒見の良い神様だ。
更に言えば、僕を魔族に転生させた神様でもある。
「そういえば、大神官様(?)は妖精を知っているんですか」
「もちろんだよー。昔から知ってるよー」
ほとんど伝説となっている妖精の存在を知っているとは、さすがは知識の神である白の賢者様の大神官様(?)である。まさかとは思うが、この執務室の本棚には『妖精族入門冊子』があったりするのだろうか。
「妖精界に戻る前、うちと懇意にしている妖精女王から挨拶があったしー」
妖精たちが妖精界に帰ったのは千年以上前だ。
その妖精の女王自ら帰る前に直々に挨拶があったという。
(挨拶をしてから、帰った?)
ふと、ある疑問が脳に浮かぶ。
それは、白の賢者様と妖精には何か深い関係があるのか、ということだ。
なぜそう思ったのかといえば、当然理由がある。
ひとつは、毒のない食材を探すため、白の賢者様は、妖精の神様にお願いしてヨヨさんを派遣してくれたこと。なぜほかの種族ではなく、妖精族だったのだろうか。
もうひとつは、今聞いたとおり、白の賢者様に仕える大神官様(?)に女王自ら挨拶をして帰ったことだ。妖精のことが書かれた本を回収し、自ら痕跡を消したはずの妖精が、なぜ挨拶に来たのか。
いくら懇意にしているからといって、痕跡を消したはずの妖精がわざわざ会いに来ることなんてあるのだろうか。
白の賢者様と妖精族。どうもこの関係が気になって仕方ない。
……しかし、この大神官様(?)。いちいち面倒くさい。
「ところで大神官様(?)」
「なにかなー」
「さっきから、アルティコ伯爵を『坊や』と呼んだりとか、『長い付き合い』とか、『昔から』とか、『妖精が帰った話』を持ちだしたのは、僕を引っ掛けるためだったりします?」
「チッ」
盛大な舌打ちが執務室に響く。
やっぱりか。
神殿内で幼女のフリをして近づいてきたのも、隙があれば引っ掛けるつもりだったのだろう。何気なしに、「お嬢ちゃん、何歳?」とか絶対に聞いてしまいそうだ。
さっきから僕の隣で落ち着きの無かったヒミカさんが、少しほっとしたかのように小さな息を吐いた。
どうやらヒミカさんも大神官様(?)の企みに気がついていたようだ。緊張気味だったのも、「アルティコ坊やと付き合いが長い」という話を聞いてからだった気がする。きっと、そのときから何かを感じ取っていたのだろう。
僕が大神官様(?)の口車に引っ掛かり、年齢のことを口にするのではないかという思いから、緊張していたのかもしれない。
「かなり露骨でしたね」
「もう大神官様! アルクさんを引っ掛けるようなマネやめてください。先ほどから悪ふざけが過ぎます。なぜアルクさんに限ってこんなマネを……」
大神官様(?)を非難するように睨むヒミカさんの態度に、大神官様(?)は微笑ましいものを見たように、笑みを浮かべている。
「すまん、すまん。それにしても賢い坊主じゃのぅ。たいていの連中は引っ掛かったのに。さすがはヒミカと議論を交わせるだけのことはある」
また口調が変わる大神官様(?)。
今度のしゃべり方はかなり年寄りくさい。たぶんこちらが普段の大神官様(?)なのだろう。
幼く見せる口調は作戦のようだ。なんとも恐ろしい老幼女である。
しかし、「たいていの連中は引っ掛かった」という言葉は、僕以外にも引っ掛けようとしたことがあるという自供である。つまりヒミカさんが言ったように、僕に限ってこんなマネをした、わけではない。
衝撃の事実に、ヒミカさんが呆れと驚きの顔で大神官様(?)を見る。
どうやらヒミカさんは知らなかったらしい。その証拠に、「ほかの方にもやっていたとは……」と眉間を押さえていた。彼女のこの癖を見るのもひさびさである。
「ところでアルクくんは、うちが大神官であることをさっきから疑っておるようじゃの」
「そんなことありませんよ。大神官様(?)」
「うそつけ! まったく。性格まで師匠のセイ坊そっくりじゃな」
「師匠? セイバスさんのことですか」
「ほかに誰がおるんじゃい」
ヒミカさんのように頬を膨らませ、すねた様子の大神官様(?)。
僕のことはヒミカさんからある程度聞いているだろうが、ご自身でも調べたに違いない。
それにしてもセイバスさんの昔を知っているとは貴重な方だ。
侯爵家では、レイゴストさんをはじめとする少数の魔族しか、セイバスの若いころを知らないのだ。侯爵様も話には聞いているだろうが、実際にセイバスさんの若いときを見たわけではない。それもそのはず、セイバスさんは侯爵様が生まれる前から侯爵家に仕えている。
執事長のことを、「セイ坊」と呼ぶ大神官様だが、セイバスさんはアルティコ伯爵よりもかなり年上のはずだ。千年以上前の出来事である妖精の帰還を知ってることといい、この大神官様(?)、本当にいくつなんだ?
「セイ坊のことが気になるようじゃの」
「そりゃあ、気になりますよ。尊敬する執事長ですから」
「今はミストファングのいたずら坊主のひ孫に仕えているんじゃったな」
……なんかおかしな言葉が出てきたぞ。
現ミストファング侯爵様を『ひ孫』と呼ぶということは、いたずら坊主と呼んだのは侯爵様の曽祖父、今から三代前の侯爵家当主ということになる。俗に言う、ひい爺さんである。
「セイバスさんの昔話も気になりますけど、侯爵様をひ孫と呼ばれるとは……。いったいおいくつなんです?」
「あっ」
「え? あっ」
ヒミカさんの声に、自分が何を言ったのか気づく。
身近な人物たちの話に、つい油断した。
『ひ孫』というでかい釣りエサを丸飲みしてしまったようだ。
心の底から、「してやったり」と満面の笑顔を一瞬浮かべた大神官様(?)は、勢い良く椅子の上に立ち上がり、僕を睨みつけながらこう言った。
「よおし、覚悟を決めて武装してからもう一度来い!!」
僕は、この言葉で確信した。
間違いなくこの幼女は、大神官様だ。
ヒミカさんから聞いていたとおりの反応をした大神官様に、先ほどまでの幼女らしさはない。
燃えるような真紅の瞳は、今や金色に輝いていた。その小さな体からは、僕が今まで感じたことのないほど、強大な魔力があふれだしている。その魔力は、彼女の神官服同様、赤く輝いて見えるようだ。
僕を威圧するかのように広がっていく魔力の奔流に、ポニーテールでまとめたオレンジの髪が大きく揺れている。あふれる魔力に影響されたのか、部屋の本棚がガタガタと音を立てて動き、何冊かの本を床に落とす。
しかも大神官様の力はそれだけではないようだ。
その小さな身体からは、まだ何か秘められた力を感じる。これだけの力を示しても、本人はまだ本気ではないのだろう。大神官様の底知れぬ力は測りきれそうもない。
「……と言いたいところじゃが、アルティコ坊やのこともあるし、今回は大目に見よう」
またも、いたずらが成功したかのように、ニカッと笑う大神官様。
すでに瞳の色も元の燃えるような真紅に戻っている。
部屋に蔓延していた膨大な魔力はすっかり消え、大神官様は、「よっこいしょ」と言いながら椅子に座り直した。首を左右にコキコキと揺らし、背もたれのクッションに身を預け、小さな手で肩を揉むその姿は、完全におバアちゃんである。
しれっとした大神官様に唖然とするヒミカさんだったが、安心したかのように大きく、ほぅっと息を吐く。
(やれやれ……)
「大神官様、悪趣味ですよ。ヒミカさんまで驚かすのはいただけません」
「なんじゃ、ヒミカ。うちが本気でアルクくんと戦うと心配したのか。ええのぅ、青春じゃのぅ。微笑ましいのぅ」
大神官様がヒミカさんをからかうようにニヤニヤと笑う。対するヒミカさんは、「知りません」と顔を背け、無視することに決めたようだ。
「ところで大神官様。本当は年齢なんて関係ないでしょ」
「えっ!」
顔を背けていたヒミカさんが驚いたような声を上げる。
神殿では、大神官様の年齢に関する話題は禁忌と伝わっている。ヒミカさんも間違いなくそう思っているはずだ。
しかし、先ほどの大神官様の魔力から感じたのは、年齢の話題に対する怒りや嫌悪ではなかった。どちらかと言えば、ワクワク感というか高揚感のようなものだったのだ。
「ただ単に闘いたかっただけでは?」
「おー、鋭いな」
「なぜそんな面倒くさいことを」
「大神官やってると、体がなまってなぁ。長生きすると刺激が欲しくなるじゃろ?」
じゃろ? と言われても十歳の僕にはわかりません。
「神官も体術や神聖魔法の鍛錬をやってますよね」
「若い神官を鍛えているとき、神官長にやりすぎだと怒られ、かなり前に禁止になった」
「ああ、なるほど」
神官長に怒られる大神官様って、どういうことだろう。
大神官様を見ていると、親御さんに怒られる子供の姿しか浮かんでこない。
「……大神官様」
「なにかな、ヒミカ」
「先輩の神官から、大神官様の年齢に関わる話はしてはならぬ、と教えられていたのですが、これは誰が決めたことなのですか」
「あー、それな。うちが広めた表向きの理由じゃ」
「理由をお聞きしても?」
「一応、大神官やってるし、こちらから勝負を挑むわけにもいかんからの。神官長がうるさいしな。うちと勝負したいという連中のために考えた、合い言葉みたいなもんじゃ」
「ということは、大神官様と勝負したい方のための合図と?」
「まあ、そうじゃな」
「なぜわざわざそんなことを?」
「ほら、うちと闘いたい連中が正面から来ると、神官長がうるさいからのぅ。大神官様ともあろう方が、とか言って全力で止めるんだもん。年齢の話ってことにしておけば、うちの個人的な話だしー」
「アルクさんを引っ掛けようとしたのは?」
だんだんとヒミカさんの声のトーンが低くなっていくのは気のせいだろうか。
「ほ、ほら、可愛いヒミカにちょっかい出してきた男が、どの程度の実力を持っているか試してみたくてな」
「なるほど。そうやって闘ってみたい相手に、禁句という合い言葉を言わせるように仕向けてきたんですね」と横から口を出す。
「アルクくん。それではうちが戦闘狂みたいじゃないか」
いやいや。立派な戦闘狂です。
十分かつ、確実に、間違いなく、紛れも無い、完璧な戦闘狂です。
『覚悟を決めて武装してからもう一度来い』
挑戦者側からの勝負の申し込みが、年齢に関する話をすることだった。その返礼として、受けて立つから勝負する日を決めよう、という意味が込められているらしい。
なんともぶっ飛んだ隠語である。
だが、この隠語、武道家界隈の間では有名のようだ。
表向き、神官や一部の信者たちには、年齢のことを言われると怒る大神官様と言われていた。
しかし、現実は己の力量を試してみたい連中に向けた『合い言葉』。
この大神官様。
先ほどの魔力からもわかるが、かなりの実力の持ち主だ。
もともと武術の才能もあったのだろう。『昔の話じゃが――』と前置きして語られた話では、種族問わず、様々な流派を学び、剣術から無手の技まで極めたらしい。過去に廃れた流派も知っているそうだ。
そんな戦闘狂が、なぜ神官をやっているのか不思議であるが、これがまた、ほかの追随を許さないほどの信仰深き神聖魔法の使い手だった。
一瞬で敵を凌駕し、一瞬で自ら怪我を治す大神官様が負けたのは、たった一度。しかも数代前の魔王様のみって言うんだから、その実力を疑うことはない。
ところで、この小さな身体でどうやって剣を使うのだろうか。
ふと頭に浮かんだのは、緑色の光の剣と魔力を操るマスターと呼ばれた緑色の小さい老人だ。名前は……ヨークだったか、ソーダだったか、確か飲み物のような名前だった。
「……大、神、官、様」
僕が、大神官様の身長と一般的な剣の長さを脳内比較していると、ヒミカさんが大神官様に話しかけた。
顔を伏せ、身体を震わせている彼女の声は少しかすれている。
これは、間違いない。
そう思った瞬間、ヒミカさんの背後から黒いオーラのようなものが見え始めた。
(あー、これは完全に怒ってますわ)
数日ぶりに見るヒミカさんの黒いオーラ。
(アルク様、危険です。逃げましょう)
そのオーラに何かを感じ取ったのだろう。
大神官様の強大な魔力には何ひとつ言わなかったインプから警告の念話が入る。そういえば彼がヒミカさんの黒いオーラを見るのは初めてのはずだ。
彼の忠告はありがたいが、それは得策ではない。
逃げたいけど、逃げたあとが怖いのだ。
いざとなれば、彼女は『探知』の魔法が使える。
以前、彼女から逃げ出したときの経験をインプに説明した。
あのときは、妖精族であるヨヨさんを『探知』していたようだが、僕の名前や魔力の質を知られている以上、少なくても魔力が遮断できる環境か探知魔法の範囲外に逃げないと見つけられてしまう。
見つかったら最後、目の前で繰り広げられた大神官様とヒミカさんのような『お話し合い』をしなくてはならない。そのお話し合いは、十何手先で投了が確実な詰め将棋に等しい。
(なんと恐ろしい)
悪魔に、恐ろしいと言わしめたヒミカさんだが、伏せた顔をあげたときには穏やかな笑みを浮かべていた。
その笑みは、魔道具好きの侯爵様が、奥様に黙って魔道具を購入し、それを見つけた奥様が侯爵様をお呼びになったときの微笑みとそっくりだ。
「あとでこの件について、神官長とお話しましょうね」
「えー。やだー。神官長怒ると面倒だしー」
「お話しましょうね」
「それに、うち、あの神官長苦手」
「お話しますよね」
「うち、苦手なん――」
「お話します」
「……で、でも、うち――」
「お返事は?」
「……はい」
ほら、詰んだ。
幅がひとマスしかない縦長の将棋盤で、王の前に、歩、香車、銀、金、飛車が隙間なく並んでいるようなものだ。ほかに例えるなら、鞭を持った考古学者が脇道のない坂道を登っていると、坂の上から道幅いっぱいの鉄球が勢い良く転がってくる状態だ。当然、下った先は行き止まりである。
にこりとした笑みを絶やさない態度にも関わらず、凍てついた吹雪の中に放り込まれたような錯覚すら覚える。
当事者である大神官様は、うつむき加減のまま、下唇をきゅっと噛んでいる。
……大神官様、涙目になってないか。
この構図は、姉ちゃんが幼い妹を叱っているようだ。
そんな妹……じゃなかった大神官様はいじけるようなしぐさから一転、なにやら名案でも思いついたように話しだす。
「そうじゃ、ヒミカ。さっきアルクくんが言ってたパンに卵を挟む奴を作ろう!」
「なんですか、突然。ダメですよ、神官長とお話してからです」
「えー、朝、焼いたパンがあるのにー」
「そういえば――そろそろ食べ頃ですわね」
本気で悩み始めたヒミカさん。
確かに、パンは種類にもよるが数時間置いたほうが美味しい。
ヒミカさん、パンで誤魔化されていますよ。
「今朝焼いたパンも、魔力もふもふだよ!」
(なんだ、魔力もふもふって)
「そういえば大神官様。僕たちの話いつから聞いていたんです?」
「えーっと。いつからじゃったかな。スイレンの球根で母親から懐柔しようとする男が――」
「……ほぼ最初からですね」
僕もまだまだ修行が足りないようだ。
そんな前から、大神官様が後ろにいたことに気が付かないとは。
「というわけで、用意よろしくねー!」
勢い良く片手を上げた大神官様が、幼女のように元気よくヒミカさんにお願いする。
あまり反省したようには見えない大神官様に、ヒミカさんは、やれやれといった表情を浮かべた。口元は笑っているので、恐らくいつものことなのだろう。
幼女と老女を行ったり来たりする忙しい態度にも慣れてきたが、本当にいくつなんだ、大神官様。
「仕方ありませんね。じゃあ準備してきます」
「卵は僕が焼きましょうか」
「お願いします。焼き方教えて下さいね」
ヒミカさんは、嬉しそうに軽い足取りで執務室から出て行った。
なんだかんだいう彼女も結局は食べたいのだろう。結局、誤魔化されてしまったようだ。
(でも大神官様が焼いたパンか。これは楽しみだ)
ふと振り向くと、大神官様が僕をじっと見ていた。
先ほどまでの明るい様子とは打って変わって、真剣な表情を浮かべている。
「あの……なにか?」
「君に、ひとつ頼みがある」




