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第六話 報告

「……ク。……アルク」

「アルクくん。アルクくん」

「アル坊。アル坊よぅ」


 真っ暗の中、僕を呼ぶ声が聞こえる。


 (侯爵様、セイバスさん、それにイーラさんにメイドさん、最後の声はレイゴストさんかな。ああ、身体がだるい。そういえば、ここはどこだっけ。ええと、とりあえず邪神様に聞いて……あ、そうか。戻ってきたんだ)


 薄目を開けると、僕をのぞきこんでいる皆の顔が見える。


「……うっ、うぐ」


 身体を起こそうとするが力が入らない。湧き上がる強烈な吐き気と手足の痺れを感じる。それでも、なんとか首を動かし周りを見回す。


「ここは……」

「無理に起き上がってはいけませんよ、アルクくん。解毒魔法をかけたとはいえ、まだ動けないでしょう」


 息も絶え絶えに絞り出した声に、執事長のセイバスさんが答える。


 その声に身体を起こそうとするが、まだ痺れが残っていて起き上がることができない。その様子を見たセイバスさんが手を貸してくださり、なんとか上半身を起こす。


「……すいません」


 いつもは冷静沈着な執事長が、珍しく狼狽した表情を浮かべている。


「大丈夫か、アルク」


 水が入ったコップを手ずから口元に差し出してくれたのは侯爵様だ。その好意に甘えて、僕は水を一口、また一口と飲ませてもらう。どうやらかなり喉が渇いていたらしい。冷たい水が喉に染みわたる。


 解毒魔法の効果なのか水の効果なのかわからないが、吐き気もようやくおさまってきた。手足の感覚も徐々に戻っている。


 皆に迷惑をかけてしまったことを謝罪しなければ、そう思って立ち上がろうとしたのだが、思ってたより身体に力が入らない。そのまま膝をついてしまい、主である侯爵様に支えられることになってしまった。

 そのままの体勢で侯爵様に頭を下げる。


「申し訳ございません、侯爵様。とんだ醜態を晒してしまいました」


 謝罪とともに身体の力が抜け、前のめりに倒れそうになる僕を、今度はセイバスさんが支えてくれる。


「アルク、無理をするな。今は身体を楽にするんだ」

「旦那様のおっしゃるとおりです。まだ動けるような状態ではないのですよ」


 多少は動かせると思った身体は、力を込めるほど回復していなかった。これ以上、迷惑をかけたくない僕は、二人の言葉どおりおとなしく座ることにした。


 僕の周りには、お嬢様を抱きながら、きゅっと眉を寄せ心配そうに僕を見つめる奥様と涙目のイーラさん。そして心配そうな顔をしたメイドさんたちがいる。

 それに料理長のレイゴストさんが、いつもよりも透明な姿になってこちらを見ていた。


「大丈夫かぁ、アル坊ぅ。生きてたかよぅ」


 感情によって、存在感が濃くなったり、薄くなったりと透明度が落ち着かない様子のレイゴストさん。その声はいつもより弱々しい。


「ご心配をおかけしてすいません。僕が魔族として、執事として未熟だったのです」

「いやいや、執事関係ないだろ。俺が作った料理が原因でお嬢を泣かせたみたいだし、アル坊は倒れるし、生きた心地がしなかったぜぇ」

「すいません。もう大丈夫ですから」


 弱気になり、ますます薄くなるレイゴストさんを励ますためにも、一刻も早く邪神様から聞いた話を侯爵様たちにお伝えしなくてはならない。手と足に力を込めてふらつきながらもなんとか立ち上がる。


「侯爵様、奥様。それにセイバスさんもレイゴストさんも聞いてください。これは侯爵家の皆様、ひいては魔族全体の問題でもあるのです」



――十数分後



 お嬢様を部屋で寝かしつけるため、お嬢様を抱っこしたイーラさんは食堂から出ていった。メイドの皆さんもご自分の仕事に戻っている。


 食堂に残っているのは、侯爵御夫妻、執事長のセイバスさん、料理長のレイゴストさんだ。その四人に、邪神様から教えていただいたことを一通り話す。


 邪神様から教えていただいたことは『お告げ』だと説明した。

 もちろん、転生したことや、前世に存在する知識、技能や技術の話は伏せたままだ。今は僕のことよりも邪神様の話を信じてもらわないと話が進まない。


 皆に僕が話した内容は、次のとおり。



・魔族は、生まれながら味覚オンチな種族である

・魔族は、味や食事に無関心であり興味がない

・魔族の料理に使われている食材の多くには毒が含まれている


・お嬢様は、魔族には珍しい正常で鋭敏な味覚を持っている

・お嬢様にとって、毒のある食材や料理は大きな苦痛になる

・お嬢様のために毒のない食材を探し、料理を作る必要がある


・魔族が発見していない食材がこの世界には多く存在している

・使用人の食事、離乳食に使っている食材は無毒である



「――と、いうわけなのです」


 簡単に説明したが、どこまで信用していただけるだろうか。お嬢様の成長に関わってくることとはいえ、あまりにも突拍子もない話だ。


 話し終わって周りを見ると、皆、どう答えていいかわからないようだ。確かにこんな話を十歳の見習い執事に言われても信じられないだろう。


 侯爵様は腕を組んで考えこんでいらっしゃるし、奥様は首をかしげていらっしゃる。セイバスさんにいたっては目を閉じたままで、身動きひとつしていない。

 ……レイゴストさんはあまりよくわかっていないようだが。


「邪神様のお告げ……か。にわかには信じがたいところではあるが」

「あなた~」


 腕を組みながら天井をあおぐ旦那様に、奥様が話しかける。


「邪神様に限らず神々の言葉を聞くことは~、さほど珍しいことではないのですよ。各神殿に仕える巫女らには天啓が与えられることがあるそ~なんです」

「それはわかるが、我が侯爵家は神殿じゃないしアルクは執事だ。さすがに啓示を得られるとは思えんのだよ、エリス」


 侯爵様のおっしゃるとおりだと思う。邪神様に仕える巫女ならまだしも、見習いの執事が神様のお告げを聞きましたなんて、にわかには信じがたい話だ。


「……では、アルクちゃんが嘘をついているとでも」


 普段はおっとり気味な奥様の口調が急に早くなり、部屋の温度がスッーと下がる。さきほど、侯爵様が渡してくれた水入りコップの表面にうっすらと霜がつき始めているのは気のせいではない。


 その間にも部屋の気温はどんどん下がっていく。


 侯爵様、申し訳ありません。原因は間違いなく僕ですが、これは不可抗力です。

 心の中で言い訳する。


「お、おい、待て。エリス。私もアルクがウソをついていないことはわかっている。わかっているとも。普段のティリアへの接し方を見ればわかる」

「そ~よねぇ。アルクちゃんはウソなんてつかないわ~」


 普段の口調に戻った奥様は、いつもの優しげな笑顔を浮かべている。

 奥様は僕の荒唐無稽な話を信じてくださっているようだ。そんな奥様には頭が上がらない。


 (侯爵様、本当に申し訳ありません。僕がこんな話をしたばっかりに)


 侯爵様に軽く頭を下げ、心の中で謝罪する。それに気がついた侯爵様も、「気にするな」と言わんばかりに、僕に向かって肩をすくめ苦笑いを見せた。


「二人は仲良しねぇ~」


 侯爵様とのやりとりを見ていたのだろう。

 微笑ましいものを見るかのように満面の笑みを浮かべる奥様は、実に楽しそうにしてらっしゃる。


「ゴホッ。それはそうと」と侯爵様は咳払い。

「魔族が味オンチで、味に対して無関心だったことは理解した。……したつもりだ。私も関心がなかったからな。だが正直、味の重要性についてはよくわからん。毒を含む食材だろうと、我々高位魔族には糧にしかならんのだ。例の今日のスープも多少ピリピリした感覚が面白かったが味と言われてもなぁ」

「だけど、このままではティリアちゃんが……」


 お嬢様のことを心から心配されている奥様が、悲痛な面持ちで言った。自分の愛する娘が魔族の料理によって苦痛を味わうと聞けば、誰しも不安になるだろう。


 (ん? 待てよ)


「侯爵様、あのスープですが、ピリピリしたっておっしゃいました?」

「あぁ、多少だけどな。なかなか刺激があって面白かった」

「私もあの感じ好きよ~」


 (おぉ。もしかしたら侯爵様御夫妻は……)


「侯爵様、奥様。スープに刺激があることを感じていらっしゃったんですね。それはキノコの成分がお二人の舌を刺激したのです。その刺激を感じることも味覚のひとつなのです。……まぁ、今回は毒キノコでしたけど」

「ほう。あの感覚が味覚のひとつなのか」

「あらあら。私たちにも味覚というものが理解できるかも――」


 言葉を途中で止めた奥様が、ハッとした表情を浮かべる。


「ねぇ、アルクちゃん。もしかしてティリアちゃんが感じた刺激というのは……」


 その口調は、先ほどと同じように早口で、焦りの色がうかがえる。


「申し訳ございません、奥様。……恐らく毒の刺激かと。それもお二人が感じられた刺激よりも何倍もの痛みとなった可能性が高いと考えられます。これは僕の不注意です」


 一瞬にして先ほどとは比べられないほど室内が冷え込んだが、すぐに元に戻り始める。奥様は悲しそうな顔をして涙を浮かべながら顔を伏せる。


「ああぁ。やっぱり、私があげたのが原因なのね」


 奥様の目からポロポロ流れる大粒の涙が床の上で珠となっていくつも転がっている。


「奥様。そ、それは違います。僕がもっとしっかりしていれば」

「いやいや。奥様、自分を責めちゃいけねぇ。アル坊の責任でもねぇ。全ては料理を作ったあっしの責任だ」


 僕もレイゴストさんも奥様のせいではないことをお伝えする。この件は奥様のせいでは断じてないのだ。


「エリスもアルクもレイゴストも自分を責めるな。さっきもアルクが言ってただろう。これは魔族全体の問題だ」

「でもティリアちゃんにあげたのは毒の痛みなのよ。私がちゃんと味について理解していたらティリアちゃんにあげることもなかったんだわ~」


 ご自分を責める奥様の震える肩を抱きながら、「そうではないよ、エリス」と優しく声をかけておられる侯爵様。奥様は、その肩に頭を預けている。涙は止まっているようだが顔色は青白さを超えて白に近い。


 奥様をなだめている旦那様が顔を上げて言った。


「アルク。さっきの話を聞いて我々は何をすればいいのだ。ティリアにとって、何が駄目で何が好ましいのか、私たちではわからないのが一番の問題だ」

「可愛いティリアちゃんのためにも、なんとかしてあげられないの?」

「なんとかしてやりたいが、どうすればいいのか……」


 すっかり元の透明度に戻ったレイゴストさんが言う。


「なぁ、アル坊。食材を探すにはどうすればいい」

「手探りで地道に探すしかないでしょうね。まずは侯爵様の領地をくまなく探すことになると思います」

「侯爵領のどこにあるか、わからねぇんだろ」

「ええ、残念ながらどこにあるかまではわかりません。ただ、この世界には毒のない食材が多数あることは教えてもらっています。もちろん侯爵様の領地にも数多くあるそうです」

「神さんももう少し教えてくれてもなぁ」


 レイゴストさんの言い分ももっともだが、やはり自分たちで探すべきだと思う。邪神様はそれをお望みだったみたいですし。


「まぁ、試練ってやつでしょうか。そうそう、レイゴストさん。領地内を探す前にお嬢様の離乳食や我々が食べている食材を調べましょう。毒のない食材があるのはわかっていますから」

「ん? お、おう」


 なぜか戸惑いながらレイゴストさんが返事をする。


「……まずはそこからだな。新しい料理ができるかもしれねぇ」


 邪神様の話では、お嬢様の離乳食や使用人が食べている料理には毒がないとおっしゃっていた。その料理に使われている食材を全て調べるのだ。


「じゃあ、私がその食材を見てくるわ」


 僕たちが話をしているところに、いつの間にか戻ってきたイーラさんの元気な声が混ざる。


「イーラさん。お嬢様は?」

「ええ。気持ちよさそうに眠っておいでよ」

「お加減のほうは?」

「えぇ。大丈夫。いつも以上に愛くるしいわよ」

「じゃあイーラ嬢よぅ。悪いけど厨房でお嬢の離乳食やうちら使用人の食事に使っている食材をもらってきてくれるかい。一度、アルクに見せるからよぅ。運ぶのは厨房の連中を使ってくれ。あと包丁も一丁持ってきてくれないか」

「はい、承りましたわ、レ・イ・ゴ・ス・トさん」


 イーラさんは、名前を強調して厨房に向かう。

 なぜか苦々しい顔をする料理長のレイゴストさんは、苦笑しながら僕を見る。

 

「そういや、なんでアル坊だけが毒の影響を受けたんだ。アル坊も高位魔族だろう」

「邪神様によると、僕は高位魔族でも毒に耐性がほとんどないそうなんです。今までの食事で毒に当たらなかったのは、ただ運がよかっただけだそうです」


 その言葉を聞いた料理長の顔が、ひきつったような苦笑いに変わる。恐らく今の僕の顔も、料理長と同じように苦々しい顔が浮かんでいるに違いない。


 (運が悪かったら転生してすぐに死んでいた可能性もあるよなぁ)


「じゃあ毒のある料理を食べると、アル坊はまた同じように死にかけるってことか」

「毒の強さにもよりますが、その可能性が高いですね」


 ため息まじりに答えると、レイゴストさんもため息まじりに、「なんてこった」とつぶやいた。僕とレイゴストさんの間に少しばかりの沈黙が訪れた。


 その沈黙の中、不意に料理長が何を思い出したかのように口を開く。


「あー、そういやアレだ。さっき旦那と奥様に言ってた。ピリピリするってやつだけどな」

「ええ。毒キノコですね。本来であればピリピリとした刺激よりも苦味が――」

「それそれ。ドクキノコってどんなものなんだ」


 僕の言葉にかぶせるように問いかけてきたレイゴストさんは、興味津々といった顔で僕の言葉を待っている。


 (えっ。ああ……そうか。そこからなんだ)


 料理人であるレイゴストさんでも食材の名前がわからないのだ。そういえばこの世界にある食材のほとんどは僕と同じ前世から来た人がつけたと邪神様が言っていた。食材の名前も広めないと駄目なようだ。


 これは思ったよりも時間がかかるかもしれない。一人で食材を探していたら絶対に間に合わないだろう。


「ええっと。キノコはわかりますよね。スープに入ってた……」

「ん? なんだ? ニョキニョキしてるヤツのことか」

「……ええ。毒を持ったキノコが毒キノコです。毒キノコというのは総称でそれぞれに名前があります」

「ほぅ。そんなにたくさんあるのか」

「今回のスープに使われてたのは、カエンタケ、ベニテングタケ、ニガクリタケの三種類の毒キノコです。指のように細長くて赤いのがカエンタケ、上に赤いカサがあって白い粒のような模様があるのがベニテングタケ、黄色っぽい平べったいのがニガクリタケです」


 僕の説明を聞いていた料理長の姿がまた薄くなってきている。


「旦那方の料理に、三つも毒いれてたってわけかい」

「高位魔族は、毒ですら魔力として吸収します。邪神様が言われてましたが、長い間、魔族の料理人に求められていたのは味ではなく見た目。神様も料理長に責任はないとおっしゃっていました。あくまで魔族の問題だと」

「……そうか、ありがとよ。アル坊」


 僕の言葉を慰めるための方便だと思ったのだろうか。


 (神様が言ってたのはウソじゃないんだけどなぁ)


 少しでもレイゴストさんが元気になってくれるのならそれでいい。

 奥様といい、レイゴストさんといい、責任感が強い人ほど心を痛めている。


 離乳食期の終わりが近いお嬢様のためにも、毒のない食材を手に入れ、新しい料理を作り出す必要がある。その期限まで半年しかない。



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