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第五話 魔族って、魔族って(後編)

 (まさか死にかけたせいでここに戻ってきたとは)


 思わず大きなため息がでる。


 (そうだ)


 今は僕のことよりも、お嬢様のことが心配だ。


「毒キノコのスープなんか飲んで、お嬢様は大丈夫なんですか。侯爵御夫妻はどうなんです。それに執事長やお嬢様の侍女も飲んでいますよ」

「あー、さっきも言ったけど耐性の問題なんだよ、毒に対するね」

「毒に対する耐性……ですか」


 毒耐性、それは毒への抵抗力。

 それはわかる。


「あの侯爵夫妻については問題ない。味覚オンチだし毒だと気がついてもいない。むしろ毒を無効化し、毒すら魔力に変換して吸収している。すごいよね、高位魔族って。ほとんどの毒が効かないんだもの。もしかしたら毒ですら魔力吸収の素材のひとつとして身体が認識している可能性もあるよ」


 さすがは由緒正しい侯爵家の現当主とその奥様だ。

 魔族でも高い地位に就いていらっしゃるだけのことはある。


「あと執事長と侍女さんだけど、本人に確認するのが一番かな。ま、その二人も命に別状はないから大丈夫だよ」


 二人は無事だと教えられて、ホッとする。


「で、では、お嬢様は……」


 ごくりと息を飲み、お嬢様のことを案じながら言葉を待つ。


「アルクくんの可愛いご主人様も大丈夫だよ」


 僕はその言葉に心から安堵する。だがそれもつかの間、邪神様の口から続けられたその言葉に、僕の心が激しく波打つのを感じた。


「だけど、鋭敏な味覚を持っているからね。きっと口に入れたとき、想像を絶するほどの味と強烈な痛みが口の中いっぱいに広がったはずだ」


 ……そ、そんな。なんということだ。

 まだ二歳半のお嬢様がそれほどまでひどい苦痛を味わっておられたとは。知らなかったとはいえ専属執事失格だ。


「だけど高位魔族だからといって全ての毒を無効化するわけじゃないよ」

「えっ。そうなんですか」

「アルクくんのような毒に耐性のない高位魔族がいるからね」

「ええ、そ、そうですね」


 本当のこととはいえ邪神様の言葉が胸に刺さる。

 まさか嫌味を言ったときの仕返しだろうか。にっこり笑いながら説明する邪神様の顔が、したり顔に見えてくる。


「それにね、ほとんどの毒を無効化する高位魔族や多くの毒を無効化する中位魔族と違い、下位魔族や獣は毒の影響を受ける。もともと下位魔族は、料理なんてしないし本能で毒のある食材を避けているからね。だから毒の見極めに関しては下位魔族のほうが優秀かもしれないよ。腐った肉の中でも、食べても平気な腐敗具合を見極めて食べちゃうんだから」

「そういえば高位魔族や中位魔族は、腐った肉も食べられるのでしたね。食べない……いや、食べたくないと言ったほうがしっくりきますけど」

「うん。腐った肉も菌やら毒素やらがあるけれど、高位魔族や中位魔族はそれすらも無効化してしまう。あ、言っておくけどアルクくんは駄目だよ」


 (くっ。下位魔族に負ける僕の毒耐性って……)


「キノコの毒で倒れた僕は、毒耐性がないのでしょうか」

「人族並にはあるよ。でも魔族の中では最低ラインだ」


 散々な言われようだ。人並みってどれくらいなんだろう。


 高位魔族でも毒耐性を待たない魔族。親を知らず侯爵様にお世話になっている孤児の僕は、どんな魔種族なんだろう。今まで気にしなかったけど邪神様はご存じだろうか。


「あの、邪神様。そういえば僕ってどんな魔種族に転生したんですか。聞いた覚えがないのですが……」

「ん? アルクくんの種族かい。アルクくんの種族は高位魔族に位置する純魔族、フォメット族だよ」

「フォメット族?」

「そう、フォメット族。前世にいる羊に似た魔族さ」


 羊の魔族。羊の執事。

 いや、たまたまだ。侯爵様の御恩に報いるために執事になったんだ。決して狙ったわけではない。


「でも、ほかの魔族に教えないでね。あの侯爵たちはかまわないと思うけど、おいそれと自分の種族を広めるべきではない」

「えっ。どうしてですか」

「うーん。まぁ自分の種族に関しては秘匿している魔族も多いからね。あまりほいほい言うべきではないんだよ」


 確かに自分の種族を教えることは、種族が持つ特性を教えることになる。それは自ら弱点を教えるようなものだ。どことなく邪神様の歯切れが悪いような気がしたのは、僕のことを心配してくれているのだろう。


「なるほど、わかりました。ありがとうございます。自分の種族に関しては言わないよう気をつけます」

「フォメット族について気になるようなら自分で調べてみるといいよ。僕はそれを止めないし、すぐにわかることだからね」


 ようやく自分の種族を知ることができた。

 帰ったら調べてみよう。


「そうだ。邪神様。食材に解毒魔法をかければいいのではないでしょうか」

「うん。無理だね」

「どうしてですか!」

「解毒魔法は、毒に侵された状態を治す魔法だ。食材が毒を持っていてもそれは毒に侵されてはいないんだよ。毒もその食材の一部だからね。それに解毒魔法は基本的に生きているものにしか効かない」

「そういうもの……ですか」

「うん。そういうものさ」

「ありがとうございます」


 目を軽く下げてお礼を言うと、床に置いてある『ランタン』が目に入る。柔らかく感じるその光は風もないのにゆらめいている。この光もずいぶんと弱くなったものだ。


 何はともあれ、お嬢様のお命に影響がないことがわかれば十分だ。

 そんな僕の心のうちを読み取ったかのように、邪神様は少し呆れた物言いで尋ねてくる。


「アルクくんは、自分のことよりも可愛いご主人様のことのほうが気になるようだね」

「それはもう。お嬢様方の安全が一番ですから」


 そう言って笑顔を見せると、邪神様はかぶりを振って苦笑する。


「そういえば邪神様。お嬢様のことを、”魔族世界としては新たな文化を生み出せるかもしれない貴重な存在”ともおっしゃっていましたね」


 これはどのような意味だろうか。


「よく覚えていたね。何度も言うようだけど、アルクくんの可愛いご主人様は、魔族には珍しい正常な味覚を持つ子だ」


 僕は黙ったまま軽くうなずく。


「正常な味覚を持つってことは、料理の味がわかるということだ。料理の味がわかれば当然、『味を重視した料理』が必要になるよね。簡単に言えば、『美味しい料理』だ。うまい飯でもいい」

「それはわかります。ですが、いまさら美味しい料理なんて必要あるのでしょうか」


 美味しい料理があってもお嬢様以外、誰も味がわからないのだ。

 僕がこんなことを思うのも、味に理解のない味覚障害である魔族の記憶の弊害だろうか。


 僕の疑問に、「もちろん必要だよ」と嬉しそうに邪神様は言う。


「料理の味がわかるようになると、毒の食材を食べたりしないし、見た目だけの食事では満足できなくなる。口に入れて飲み込むだけの作業にすぎなかった食事の概念が変わるんだ。ここまではわかるかい」

「わかります」

「味がわかるということは、同じ味の料理に『飽きる』ようになり、『まずい』味もわかるようになるんだよ。味がわかるようになれば味覚オンチの魔族でも、食文化に目を向けるようになるだろう」


 味がわかれば、同じ味に『飽きる』ことになり、美味しさだけでなく『まずさ』を理解する。まずい料理より美味しい料理のほうがいいに決まっている。


 まさにそのとおりだと思う。

 味がわかる、とはそういうことなのだ。


 (だけど……)


「だけど邪神様。おっしゃることはわかりますけど、魔族は生まれつきの味覚オンチなんですよね。今のお話は、味がわかる魔族がいることが前提の話ですよ。今、味がわかる魔族はお嬢様くらいですよね」


 美味しい料理を生み出すことによって、食文化が生まれるのはわかる。しかし、僕としては、お嬢様のためだけに美味しい料理を作ることができれば十分なのだ。


「そこなんだよ、アルクくん」

「えっ」

「さっきも言ったように、魔族が使っている色鮮やかな食材の多くは毒が含まれている。そして毒のある食材を使った魔族料理は、キミの可愛いご主人様は食べない。それはなぜなのか。覚えているよね」

「毒のせいで、ひどい苦痛や痛みとなるんでしたよね」

「そうだね。彼女も毒を無効化するから、いざとなれば食べられないわけじゃないけどね」

「これ以上、あんな経験をさせたくありませんね」


 力なく返事をする。いくら毒を無力化するとはいえ、それではあまりにもお嬢様がおいたわしいではないか。


「うん。そうだろうね。でも、その料理は苦痛だけではない。アルクくんの可愛いご主人様にとっては、美味しくない料理、まずい料理だということもわかるよね」

「……はい、わかります」


 食べられるけど、苦痛や痛いが襲う料理。

 食べられるけど、まずい料理。

 そんなもの、食べたくないだろうし、食べてもらいたくない。

 まさに腐った肉と同じだ。


「そういえばアルクくんは、可愛いご主人様のために離乳食のメニューを料理長と一緒に考えていたよね」

「ええ。執事たるものお嬢様の離乳食くらい考案できなくてどうするのですか、と執事長に言われまして」

「僕の中の執事という言葉が跡形もなく砕けていく音が聞こえるよ。執事ってどんな仕事だったっけ」


 何をおっしゃいますやら。

 執事とは、仕えるご主人様のため、例え、火の神、水の神でも信仰心ごと滅ぼすぞ、くらいの気持ちが求められる崇高なお仕事ですよ。

 邪神様は、「なぜだろう、今日は冷えるね」とつぶやかれているが、神様も風邪をひくのだろうか。


「それはさておきだね。離乳食を作るとき、味はともかく食感や色合いをどうするか試行錯誤していたよね」

「はい、執事たるもの、クリーミィで美しい離乳食が作れなくてどう――「うん、わかった。執事長だね」……はい」


 どうやら邪神様の中で崩れた、執事という言葉は元に戻らないらしい。


「キミと料理長が考えた、その離乳食だけど運がいいことに毒の入った食材は使われていなかった」

「離乳食に使えそうな食材が少なかったことも幸いだったのかもしれませんね」


 お嬢様にそんな毒入りの離乳食を出すことがなくて本当によかった。運がよかっただけとはいえ、ほっと胸を撫で下ろす。


「ではここで執事としてのキミに聞こう。専属執事たるアルクくんは、正常な味覚を持っているかわいいカワイイ可愛いご主人様に、毒がないからといって毎日同じ料理を食べさせるのかい。それとも毒のある料理を我慢して食べてもらうかい」


「いいえ、それは執事として許されません。我慢して食べてもらうなんてこと、できるわけありませんし、させません」


 僕ははっきりと即答した。

 毎日、同じような食事を侯爵家のお嬢様に出すことなど許されるわけがない。だからこそお嬢様に満足いただける離乳食をいくつも考えたのだ。


 それに苦痛を与えるような料理をお嬢様に出す、だって。

 これこそまさにとんでもない話だ。


「そう言うと思ったよ。だからこそ、これからのことを考えないとね」

「これからのこと?」

「可愛いご主人様の離乳食期が終わるのは、あとどれくらいかな」

「……あっ」


 邪神様の指摘があって気づく。すっかり失念していた。

 こんな大事なことを一時とはいえ忘れていたなんて執事失格だ。


 確か、お嬢様の離乳食期が終わるのは……。

 僕はつぶやくような震える声で言った。


「お、お嬢様の離乳食期が終わるのは半年後です」

「あまり時間がないね。このまま毒のある食材を使った魔族料理しかない場合、彼女にとってよくないだろう」

「よくないとおっしゃいますと」

「食べられる料理や栄養が足りなくなる可能性があるんだよ。今は身体も小さいし、毒もなく栄養のある離乳食を食べている時期だから問題はない。だけどこれから身体が成長する離乳食期後には、栄養不足になるかもしれない」


 (な、なんだって)


 そんなことになったらお嬢様が体調を崩されたり、お身体に悪影響がでたりする可能性もある。なんとか解決方法を見つけないといけない。


「で、では離乳食の期間を延ばすとか、離乳食に使った毒のない食材を使って料理を作るのはどうでしょう。見た目ではなく食材そのものの味をいかした料理ならば問題ありませんよね」


「離乳食期間は、延ばせても数ヶ月だろう。しかも噛む機会が少ない離乳食を続けていると、あごや内臓に異常が出るよ」


 くっ。そういった弊害もあることを失念していた。


「それに“素材そのものの味”なんて言うけれど、素材そのものの味に飽きるからこそ料理という文化があって、調味料が存在しているんだよ。七十年程度しか寿命がない人族と違い、その十倍以上も長生きする味覚鋭敏な高位魔族の幼子が何年同じ味に耐えられると思うんだい」


 邪神様はため息をついた。


「僕には、ストレスで自我が崩壊する彼女の姿が目に浮かぶよ。前世の知識がある今のアルクくんにならわかるだろう」


 そう言われればそうだ。前世には、野菜サラダにかけるドレッシングだけでも何十種類と存在していたことを思い出す。


「もちろん、見た目もないがしろにしていいわけじゃないよ。見た目が悪い料理こそ子供は嫌がるからね」

「はい、もちろんです」


 僕はうなずいた。

 見た目も間違いなく重要だ。ちゃんとした場所で出てくるお子様ランチは、子供が興味をひくような華やかさでいっぱいなのだ。子供メニューに力を入れているかどうかでその店の質がわかるといっても過言ではない。根拠はないが。


「それにね、僕は、魔族の貴族がどんなものなのか興味ないけど、社交界に出れば外で食べることも多くなるんだろ?」


 社交界デビューはまだ先の話とはいえ、デビュー前に、ほかの貴族と一緒に食事をされることもある。そうなると当然出てくる料理は、毒の入った魔族らしい料理に違いない。


 こちらが主催する食事会ならなんとでもなる。

 だが相手側が主催する食事会の場合、毒のことなど気にもしないだろう。それこそ見た目鮮やかな料理がテーブルいっぱいに並ぶはずだ。


 当然、お嬢様は、毒のある食材を使った魔族の料理を食べることができない。食べると激痛が襲い、まずさのあまり口に入れることすらためらわれる。貴族の食事会に招かれておいて、その料理を食べないのは無礼以外のなにものでもない。


 いや、食べることができないだけじゃない。料理を食べることができなければ、栄養素はおろか、補助であるはずの魔力の吸収も望めない、ということになる。


 魔力が足りなくなった純魔族は……考えただけでも恐ろしい。


「ここで問題だ。あと半年で離乳食期が終わる正常な味覚を持つアルクくんの可愛いご主人様のために、キミはどうすればいいと思う?」


「……どうすればいいのでしょうか」


「それはね……」

「それは……」


 ごくりと邪神様の言葉を待つ。今は邪神様の助言にすがるしか方法が思い浮かばない。


「キミが料理を作るんだよ。アルクくんの可愛いご主人様のためにね」

「はいぃぃぃ」


 満面の笑みを浮かべつつ両手を広げて邪神様が宣言した。心なしか後光が差しているようにも見える。


「当然、彼女が食べられる毒のない食材も、栄養がある食材も、アルクくん、キミが集めるんだ。この世界にはまだまだ君たちが知らない食材や調味料があるからね。もちろん料理だって。これは僕のお膝元であるオノゴルト魔王国だけに限らない」


 意気揚々と語る口調には熱がこもっている。

 それに僕たちが知らない食材がこの世界にはあるらしい。


「それにアルクくんには前世の世界の知識を与えている。そこには料理や食材の知識もあるはずだ。それを活用してアルクくんの可愛いご主人様のために料理を作るんだよ。そしてそれらを魔族世界に広め、”美味しい料理”文化をもたらせて欲しい」


 邪神様は、力強く熱弁された。美味しい料理という言葉に力が入っていたようにも聞こえたのは気のせいではないはずだ。

 確かに毒の入っていない美味しい料理が魔族の世界に広まれば、ほかの貴族が開いた食事会でも、お嬢様は安心して食事ができる。


 (だがそれは……)


「それこそが、“魔族の世界に新しい文化を生み出せるかもしれない”お嬢様の秘めたる可能性だ。それを成し遂げる手伝いができるのは、アルクくん。キミしかいない」

「無理です」


 僕は、あっさりと無理であると判断した。


「なんだい、あっさり言うんだね」


 邪神様はすねたように口をとがらせる。


「僕一人で、魔族の世界に美味しい料理の文化を広めることなんてできるわけありませんよ」

「えー。執事たるもの、お嬢様のため、魔族の世界に美味しい料理の文化を広めることくらいできなくてどうするのですか」

「そんなモノマネけっこうです」

「冗談だよ、冗談。もちろんキミ一人でやる必要はないさ」

「味がわかる方はお嬢様しかいないのです。お嬢様に味見などさせられませんよ」

「もちろんだとも。そんなキミを助けるためにもいいことを教えよう」


 邪神様は、僕に向かって片目をつぶりながら、にこやかに言った。

 まあ、丹精な顔立ちをした邪神様だが、そういった仕草は、女性か女神様にやってもらいたい。


「実は、味がわかる魔族はお嬢様だけじゃないんだよ」

「えっ」

「アルクくん、キミも味がわかる魔族の一人だよ」

「えええ! ぼぼぼ、僕ですか!」


 前世の記憶がないときは、味のことなんて気にしていなかった。

 邪神様に指摘されるまで、侯爵御夫妻の朝食を見た目で判断していたし、使われていた食材すら色合いだけで見ていたのだ。


 そんな僕が味覚を取り戻した一人だと聞かされたのだ。

 あまりのことに動揺を隠せない。


「ですが、邪神様に指摘されるまで味のことなんて全然意識していませんでしたよ」

「それはキミの周りに味を理解している人がいなかったからだろうね。誰も美味しいとか、まずいとか言わなかっただろ? 味を表現する方法を知らなかっただけだよ。前世の記憶を戻した今なら味のことも理解できてるはずだよ」


「しかし、なぜ僕は味がわかるんです?」

「うん、それはね。離乳食もだけど使用人の食事には、毒のある食材は使われていなかった。それのおかげだね」


 そう言われてみれば、色鮮やかな食材はなかったように思う。ただ当時の僕は、普通の魔族らしく食事に対して関心がなかった。おかげでうろ覚えだ。


「使用人の食事には、白パンよりも栄養価の高い黒パンに、干し肉、葉物野菜等が使われていたはずだ。でしょ」

「うーん。言われてみるとそうだったような……」

「それらは毒のある食材じゃなかったのさ。運がいいことにね」

「僕がまだ生きていますからね」

「そんなに自虐的にならなくてもいいから」


 邪神様が、「くっくっく」と笑っている。


「その毒のない料理を食べていたおかげで侯爵家の使用人の中には、アルクくん以外にも正常な味覚を取り戻し始めている者がいるんだよ」

「えっ。そうなんですか」


 お嬢様と僕以外にも、味のわかりそうな使用人が侯爵家にいる。

 しかも正常な味覚を取り戻し始めているのは、毒のない料理を食べていたおかげだとおっしゃった。毒が味覚障害を引き起こすと言ってるようなものだ。


 ……いや待て。こんなに単純な話ではないはずだ。


 確かに、使用人の食事に使われている食材は、毎回それほど変わらない。だからこそ毒のある食材が使われる機会も少なかった。それはわかる。


 だが使用人の食事なんて、どの貴族の使用人でも内容は同じようなものなのだ。であれば、貴族の使用人は味のわかる魔族だらけであっても不思議ではない。だが現実にはそうなっていない。


 邪神様も、お嬢様のことを聞いて、正常な味覚を持っているのは珍しいとおっしゃっていた。


 毒のない料理を食べ続けていれば、味覚を取り戻せるといっても、退化した味覚が正常になるとは思えない。食事だけで味覚が取り戻せるのであれば、侯爵家に永く仕えてらっしゃる執事長は、既に味覚を取り戻しているはずなのだ。


 たった今、僕が予想したことについて邪神様に尋ねてみる。


「でしたら、味覚オンチの魔族でも毒のない料理を食べていれば正常な味覚を取り戻すことが可能なんですか」

「基本的には可能だよ」

「基本的には、ですか」

「運もあるし、老化による味覚の衰えは、毒のない食事を食べ続けても治らない。それに使用人だって外で食事をすることもあるだろう。たっぷりと毒の入った食事をね」


 侯爵家では、僕を含めて住み込みの使用人がほとんどだ。しかし、ほかの貴族の使用人は住み込みでない場合も多い。


 毒のない料理、運、それに年齢か。

 なるほど。毒のない食事を食べ続けたからといって全員が全員、味覚を取り戻すわけではないのか。で、あれば執事長が味覚を取り戻していないことも納得がいく。


「それよりも遺伝子レベルで味覚オンチなのが魔族だからね」

「食事だけではなんともならないのですか」

「無理だね。毒のない食事を食べ続けるより、退化している味覚をどうにかしたほうが確実だよ」

「それはどうしたらいいのでしょうか」

「難しいね。ただ、それには……」


 そのときだ。

 ランタンの明かりが一瞬消えそうになり、僕らの周りを暗闇が覆いそうになった。今やその光は弱々しく、いつ消えるのかわからないほどだ。


「おっと、時間が迫ってきているようだ」

「時間、ですか」

「うん。そろそろキミを元の世界に送り返さないとね」

「もう少しだけ待ってください。先ほど邪神様は、魔族の世界に料理の文化を広げて欲しいとおっしゃいました」

「うん、そうだね」


 邪神様は、返事をしながら立ち上がると白いローブを手で軽くはらった。二対の羽を動かす様子は、まるでここから羽ばたこうとする鳥のようだ。

 僕も立ち上がろうとすると、「そのままでいいよ」と手で制された。

 座ったまま話を続ける。


「お嬢様の離乳食期が終わるまで、あと半年もないのです。たったそれだけです。料理を広めるどころか、毒のない食材を探す時間すらありません。そして料理文化も広めるとなると――」

「そうだろうね。このままではまず間に合わない。だけど、アルクくん一人だけでやる必要はないさ。料理長やほかの仲間に協力を求めればいい」


 時間がないと告げられ焦っている僕の気持ちを察してか、僕の思っていることを代弁してくださるが、ことは簡単ではない。


 食材の育成方法や料理法の知識があっても、僕だけで、食材を育てるのは無理だし、料理をするのも無理だろう。料理は、侯爵家の料理長らに手伝ってもらうとしても、食材を育てるための手が足りない。そもそも育てる食材もないのだ。


 味に理解のない魔族の国で、見たことも育てたこともない食材を育て加工する……非常に難易度が高い問題だといえる。


「困っているアルクくんにヒントをあげよう。魔族に発見されていない食材の中には、キミが元いた世界にあった食材がたくさんあるんだよ」

「えっ。本当ですか」

「ああ、本当だ。まずは、ミストファング侯爵領から食材を探すといい。今のキミならひと目でわかるはずだ。そして食材も料理法も、僕があげた知識たちが教えてくれるはずだ」

「お言葉ですが、そんなに食材があるとは思えないのですが」

「大丈夫。アルクくんの可愛いご主人様のためにも、僕を疑ってる時間があるのなら、まずは自分の足で調べてみることだ。君は専属執事なんだろ」


 しまった。せっかくお嬢様のためにご指導いただいた邪神様を疑うとは道理に反することを言ってしまった。自分の未熟さに恥じるばかりだ。


「申し訳ございません。魔族の神である邪神様を疑うとは、執事の端くれとして恥ずべきことを申しました」

「うん、信仰心に執事は関係ないと思うけど、頑張って。さすがにもう時間がないようだ」


 そう言うとランタンを僕の前に掲げる。

 目の前にあるランタンの光はほぼ消えかけており、暗闇が光を侵食し始めている。


「帰ったらまず、お嬢様が食べることのできる、毒のない食材の洗い出しから始めたいと思います」

「それはいい考えだと思うよ」


 半年間で新しい食材が手に入らない場合は、離乳食に使っている食材を使った料理を考案する必要もあるだろう。だが、お嬢様には少しでも美味しい食事を楽しんでもらいたい。


「それにね、アルクくん。キミは優秀だ。多くの魔法……執事魔法が使えるじゃないか。探索で遠出してもすぐに侯爵領に戻ってこられるはずだ」

「確かにそうですね」

「うんうん。いつも君たちを見守っているからね。あ、そうだ。僕が与えた『前世に存在する知識と技術』のことは他言無用ね。それと前世の記憶はそのままにしておくから」

「えっと、……よろしいのですか」

「あぁ、かまわない。今のアルクくんと前世の記憶は混ざり合っている。それに魂は転生先である今の世界に定着しているからね。きみはもうあの世界の立派な住人だよ。まぁ転生者だってことはなるべく言わないほうがいいだろうけどね」


 確かに転生したと言っても信じてもらえないだろうし、奇異な目で見られるだろう。


「わかりました。知識や転生の件は十分気をつけます」

「うん。可愛いご主人様のためにも早く戻ってあげなさい」

「はい、いろいろとありがとうございました。戻り次第、侯爵様方と相談いたします」

「ああ頑張って、アルクくん。またね」


 ほとんど見えなくなった空間の中で、邪神様が指を鳴らした後、徐々に意識が薄れていく。

 さぁ、お嬢様のためにやるべきことがいっぱいだ。

 そんな決意とともに僕は意識を手放した。



アルクを送り出し、一人暗闇に残された僕はランタンを手に取ると立ち上がり一人つぶやく。


「さてこれで魔族の国にも美味しいものが増えるといいね。料理文化がどこまで魔族たちを活性化させるか楽しみだよ。まぁゆっくりやるといいよ、時間が許す限り」



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