第三話 邂逅
――ん?
いつから倒れていたのだろうか。横になったままの状態で目が覚める。寝たままの姿勢で身体に異常がないか確かめた後、身体を起こしため息をつく。
(ふう。ん? ここはいったい)
座り込んだまま、あたりを見回すも、そこは一面真っ暗闇で何も見えない。そのせいか方向感覚が狂ってしまったかのような感覚にとらわれる。唯一感じるのは、座り込んで手をついている地面の冷たさだけだ。ひんやりとした感触が実に気持ちいい。
(まさか夢や幻覚を見ているのか)
頭をフル回転させるが、ここがどこなのか思い当たる節はない。
(確か、スープを飲んで倒れた……はず)
頭の中でついさっき起きたことを必死に思い出しながら、あぐらを組んで座った。真っ暗で感覚がつかめないときは立たないほうがいい。這ったまま動くことはできそうだが、何があるかわからない以上、目的も決めず闇雲に動くのは得策ではないだろう。
ようやく暗闇に慣れてきた目をこらし、もう一度あたりを見回す。しかし、何一つ、誰ひとり見当たらない。耳をすましてみるが微かな音すら聞こえなかった。そればかりか虫の気配すら感じない。
さすがに侯爵様のお屋敷ではなさそうだが、先ほどから触れている地面のなめらかな感触から、外や洞窟などではないことがわかる。
匂いもなく風を感じることもない。寒すぎず暑すぎない環境。広さもわからない虚無を感じさせる暗闇の空間だ。
「わあぁー」
周りに気配がないことを確かめたので大声を上げてみた。声を上げると自分の居場所が知られることになるが、誰もいないだろう今なら問題ないはずだ。出した声の反射で空間の広さもだいたいわかる。今回は自分の声が反射してこないことから、ここがそれなりの広さを持った空間だとわかった。
声に反応して何らかの反応があるかと思ったが、何も起こらない。
「んー。さぁ、どうしよう」
自嘲気味に独り言をつぶやく。
やれるべきことはやってみた。さすがにこのまま、あぐらをかいているわけにもいかないだろう。そろそろ移動すべきだ、そう判断して立ち上がろうとしたときだ。
※ギチィッ※
突然、僕の少し前にある暗闇から鳥肌が立つような金切り音が聞こえた。目の前の空間にヒビのようなものが見える。次の瞬間、そのヒビは一瞬のうちに縦に大きく裂けた。その裂け目から白い光が無数に飛び出し、あたりの暗闇を割くように照らしていく。このときになって初めて、裂け目の向こう側にこちらを威圧するような気配があることに気がつく。
「まずい!」そんな嫌な予感を感じ一歩退こうとしたが、驚くことに自分の足や身体が動かない。
立ち上がることもできず、動けないまま正面の裂け目を警戒する。裂け目から差し込んでくる光に目がくらみそうだ。
――そのときだった。
突然、その裂け目からひときわ白く輝く何かが突き出てきた。
それはしっかりと握られている。
それを持つのが左手であることに気がついたのは、新たに光の中から現れた手が裂け目の縁に伸びたからだ。白く輝くそれは、どうやら『ランタン』らしい。
そのランタンを持つ左腕は、空間が閉じないよう裂け目を押さえている。新しく現れた右手は、その裂け目を横へとひき裂き、広げようとしているようだ。
※ギヂヂヂィ※
先ほどより、はるかに勢いを増した金切り音は響く。あたりを照らす光はもはや漏れているどころではなく、あふれて出しているといったほうがいいだろう。そして身動きのとれない僕の目の前で、裂け目は二本の手によって一気に引き裂かれた。
その途端、まばゆいばかりの光の奔流が、真っ暗だった空間を光の空間へと一瞬のうちに変える。刹那の出来事に、目を閉じることもできず、まともに光を見てしまった。僕は、まぶしさと目を襲う激痛を味わいながらまぶたを固く閉じた。
あまりの痛みに目を開けることができない。
あの異常な気配を持つ何かが光の正体であり、それが今、目の前に存在していることは間違いない。目を閉じていてもまぶた越しに白い光が目に入る。
どれほど時が経っただろうか。目の痛みも治まってきた。裂け目があったあたりから、※ガチッ※ という金属があわさる音が聞こえ、同時にまぶたの向こうに感じていた光も、暗幕をかけたかのようにフッと暗くなる。
薄目を開けて正面を確認すると、まばゆい光は暗闇に溶けこんだかのようにすっかり消えている。しかし、暗闇が広がるだけの空間だったときと違い、目の前には、あのランタンがひっそりと床に置かれている。
ランタンの柔らかい光が周りを明るく照らしている。
その光は、僕と僕の正面に座る人物も照らしていた。
(……誰だ?)
いつの間にか、こちらを圧迫するような異常な気配は薄れている。目の痛みもすっかり消えた。戻った視力で、ランタンの光越しに正面の男の姿を一瞥し、気づかれないよう少しだけ手や足に力を入れて動かしてみる。
(よし、動く)
身体が動くのを確認し目の前の男をじっくりと確認する。
そう、目の前の人物は男だ。
年齢は二十歳くらい。見た目は青白い顔をした純魔族のようだが、見たこともない二対四枚の白い翼を持っている。男は微笑みを浮かべながら、ふんだんに意匠を凝らした白いローブを着こなし、黒い眼球に宝石のように赤く光る瞳で僕の視線を正面から受け止めている。
僕に顔を向けたまま、男は髪をかき上げる。そのときにチラッと見えた腕は白い鱗のようなもので覆われており、その手からサラサラと流れ落ちる癖のない銀白色の長髪がランタンの光に照らされて美しく光っている。
(さてこの人は誰だろうか)
押し黙ったままお互いの顔を見合わせていると、男が微笑みながら話しかけてきた。
「まずは、ひさしぶりだね。アルクくん」
見覚えのない人物に自分の名前を呼ばれたことで警戒を一気に高める。そのまま立ち上がると同時に、大きく一歩後ろに飛び退き、無手のまま構える。
「まぁまぁ。そんなに警戒しないでよ、アルクくん」
警戒するなと言われて警戒しない執事はいない。むしろさっきまで感じた気配からすれば間違いなく、まずい状況だ。
「うーん。このままだと話が進まないよね」
気が咎めるような様子で、ひと息つくと彼は言った。
「『おとなしく座ろうか、アルクくん』」
ぐっ。
相手の声質が変わり言葉が脳を刺激する。
空間が割れたときに感じていた圧迫感と嫌な気配が僕にまとわりつく。
立ったままではまずい。座らないと。
そう思わせる圧迫感に身体が蝕まれそうになる。これ以上の抵抗を続けるのは身体が持ちそうにない。重い足を引きずりながら言われたようにランタンをはさんで男の正面に座り込む。
座ると同時に身体から圧迫感が消え失せた。
ふぅっと息を吐いて緊張を解く。
「ごめんね、アルクくん。さて話を始めようか」
どうやら物理的なお話ではなく、声を交わすお話をしないと始まらないようだ。
それにしても今、何が起こったのだろう。男の言葉を聞いた途端、座らないとまずい気持ちになった。逆らったら危険、そう思わせるような感覚が脳を支配していた。
「いやぁ、さっきも言ったけどひさしぶりだね、アルクくん。今の世界はどうだい。楽しんでいる? なんで戻ってきたの? それより、どうやって戻ってきたの?」
僕が考えごとをしている間にも目の前の男は話しかけてくる。
矢継ぎ早に質問を浴びせられ困惑気味の僕の顔を見た男は、何かに気がついたような顔をする。
「あ、そっかそっか。ああ、ごめんね。ここに来たときの記憶を消したのって僕だったよね。ちょっと待って」
と、男は右手で指を二回鳴らす。
鳴らした指の音が暗闇の彼方に消えた頃、僕の記憶の奥底からこの場所とこの御方の記憶が、すぅっと浮かび上がってくる。
「……ふう。そうか。そうでしたか。僕は一度ここに来ています。今とは違う世界で死んで、そして『邪神様』に『魔族として転生』していただいた……ですよね」
「思い出してくれたみたいだね。初めてここに来たときのことは思い出せるかな。そう、君の前世のことだよ。名前とかさ」
「ここに来る前……神社……確か事故で。名前は……箱守……護……」
まだ記憶がおぼろげでところどころ思い出せないこともあるが、僕の前世の名前は『箱守 護』だった。
「うん、そのとおり。”だった”よね。でも今は違う。今のキミの名前は『アルク』だからね。ところで僕のあげた知識は役立っているかい」
「えっ? あー、いただいた知識? ……ん? 知識ですか?」
「……え?」
「……え?」
邪神様は何を言っているのという顔を浮かべ、僕は何のことですかという顔を返す。
「ちょ、ちょっと待ってね。僕、今の世界に送る前にいくつかの知識をアルクくんに渡したよね」
「何を渡されましたっけ。えっ、知識? 知識……あっ!」
「そう、それだ。それキタ! うん、それそれ!」
「あー、わかりました。転生して送ってもらう際に、『いただいた知識ごと前世の記憶を消されて』いるみたいですね」
「……え? なんだって? ほんと?」
ランタンで照らされた邪神様と僕以外、暗闇に飲まれたかのようなシーンとした静寂があたりを包む。
邪神様の黒い眼球と、きれいな赤い目は、大きく見開かれ、右へ左へと激しく動いている。ひと目でわかるほど狼狽されている邪神様は、ハッと思い出したかのように顔を横にそらしながら小さく指を二回鳴らす。
「邪神様……今、消しちゃった知識を僕に入れましたよね、それもかなり強引に。魔族百科事典の百巻セットを思いっきり頭にぶつけられたような衝撃がありましたよ」
顔を横にそらしたままの邪神様がビクッとなる。バレないとでも思ったのだろうか。
それはさておき。
「あ、なるほど。これですね。邪神様が間違って消しちゃった(ぐはっ)知識は。お聞きしたいのですが、邪神様にもらった知識は『前世に存在する知識』でしたよね」
「う、うん、そうだよ。でも前世から今の世界に持ってこられると困る知識は渡してないけどね」
これはすごい。
前世の自分からすれば、あり得ないほどの情報量だ。調べようとした内容が頭の中に瞬時に浮かんでくる。まるでパソコンでネット検索するかのような膨大な知識量だ。
「邪神様! “やっぱり”すごいですよ。貴重で素晴らしい知識を“また”授けてくださってありがとうございます」
改めて邪神様のすごさを思いだす。
「うん、初めて渡したときと同じような反応だね。でもなんか責められているようにお礼を言われた気がするよ。微妙に言葉が胸に突き刺さるんだけど、もしかして嫌味で言っているのかい」
「いーえー、とんでもございません」
さすがは邪神様。勘が鋭い。
「ねえ、アルクくん。以前、ここに来たときは言葉遣いもタメ口だったし、混乱気味だったせいか態度も酷いものだったのに、今回は妙に落ち着いているね。今はどうしてるの」
「侯爵家ご息女の専属執事を。……見習いですが」
「執事ってそんなに達観しているものなのかい」
「さぁ、どうなのでしょう。執事長には、仕えるご主人様のため悟りのひとつも開けないでどうするのですか、とよく注意されていますが」
「ヘー、タイヘンダネー」
確かにお嬢様の執事を務めてきて、いろいろ変わったと思う。
ただ、今は前世の記憶がある程度戻ったせいか、自分の変わり具合に少し戸惑っている。アルクと前世の僕が混ざったような感覚だ。
戸惑う僕に邪神様は諭すように言葉をかけてくる。
「僕としては、今のキミのほうが好ましく感じるけどね。前世の記憶を消しちゃったおかげなのか、転生した後の教育がよほどよかったのか、わからないけど」
邪神様の言われることもわかる。僕は捨て子だったが、侯爵様のおかげで普通の魔族では学べないような教育を受けることができた。それに執事になるための修行も糧となり、今の自分があるのだ。
「ところでアルクくん。あげたはずの知識を消してしまったのは僕のミスだ。知識のほかにも、前世にある『技能と技術』も渡しておくよ。もちろん今の世界に持ってこられると困る技能や技術はなしだけどね」
右手の指を二回鳴らす邪神様。
頭に響く軽い衝撃とともに、様々な物事を実現させるためのすべが浮かんでくる。
「おお。これが技能と技術ですが」
先ほどの知識と合わせればいろいろなことができそうだ。お嬢様のお役に立てることが増えるのは本当にありがたい。
「さてどんな技術や技能があるかわかるかい」
「はい、ええと。技能のおかげで刀を打てるようになっています。ほかにも細工、建築、数学、科学、農業、料理、洗濯、掃除、家庭菜園などなど。これは……キテる筋トレ法? それに……おばあちゃんの知恵袋……これって技術なんですか」
「技術なんじゃないかな。親から子へ受け継がれるものらしいし」
「ネギの根の部分を三センチほど残し――」
「残し?」
「水につけておけば薬味程度の量のネギが再収穫できる」
「味噌汁とかにいいね」
「技術?」
「技術なんだろうねぇ」
おばあちゃんの力がハンパない。
廃棄するネギの根から薬味ネギを作り出す錬金術と呼べるだろう。
……呼んでいいのか? これ。
「邪神様、今の世界にネギとか味噌ってあるんですか」
「さぁね。それはあとで教えるよ」
ランタンの光に照らされた邪神様の嬉しそう笑顔が印象的だ。
そういえばさっきよりランタンの光が暗くなったような気がする。
「アルクくん。『銃』ってわかるかい」
「じゅう? 数字のひとつですかね」
「じゃあ、『火薬』は」
「かやくは……五目御飯のことでしょうか」
「もうひとつ、『硝酸カリウム』とは」
「えーと、作物を育てるための肥料の一種ですよね」
「ん、そうだね」
邪神様は僕の答えに満足気にうなずいた。
「さてさて。お詫びとしていくつか魔法も教えておこうか」
「あ、僕、必要な魔法はちゃんと覚えているので大丈夫ですよ」
「はあ? まだあっちに転生して十年だよ。十歳だよね」
「はい、いろいろと勉強した成果です」
「ちなみに、誰が先生で、どんな魔法を覚えたのかな」
「先生は執事長ですね。覚えたのは執事魔法です」
少し間が空く。
真っ暗で何もないはずの空間に、悲しげな風が吹いたような気がした。カラスがいたのなら間違いなく鳴いている。
「うん、おかしいね。なにその魔法」
「え?」
「え? じゃないよ。……聞いたことないね、執事魔法ってのは」
「そうなんですか。執事長曰く、執事たるもの仕えるご主人様が不自由を感じないための魔法が使えなくてどうするのですか、と教えてもらったのですが」
「さっきからアルクくんの話の中に、ちょいちょいおかしい執事長がいるね。ちなみにその執事魔法って何ができるのさ」
「ええと」
僕が覚えている執事魔法の一例を列挙していく。
・お嬢様のオヤツやおもちゃを入れる『執事ボックス』
・お嬢様の送り迎えが可能な『執事ゲート』
・お湯を沸かしたり肉や野菜を焼いたりできる『執事キッチン』
・お風呂や洗濯や掃除に使う水を作り出す『執事井戸』
・暑い日も涼しい『執事そよ風』
「あとは『執事食器棚』でしょうか」
ここまで執事魔法の便利さを語った僕に、手でこめかみを押さえている邪神様が眉間にシワをよせて深いため息をつく。
「アルクくん。『執事ボックス』とか、『執事ゲート』だけど、それって絶対、空間魔法だよね。魔法名も、『アイテムボックス』と、『テレポートゲート』だよ。なにそんな高度な魔法まで覚えちゃっているの」
少し焦った様子の邪神様だが、実に人を褒めるのがお上手だ。
お褒めに与り光栄です、邪神様。
「それに火属性魔法、水属性魔法、風属性魔法まで。それにあれでしょ、『執事食器棚』って土属性の魔法でお皿とか作っちゃうんでしょ」
「はい、そのとおりです。やはり邪神様は執事魔法にも造詣が深いのですね」
どうしたのだろう。
邪神様が、手を額に当てながら首を振っておられる。
熱でもあるのだろうか。
「……なんか執事怖い」
「あっ、ほかにもお嬢様がお怪我をされたときに――」
「うん、『執事救急箱』的な名前の回復魔法も使えるんだね」
「……はい」
途中で遮られてしまったが、『執事救急箱』をご存じのようだ。
邪神様が疲れたような顔をみせているが大丈夫だろうか。
「アルクくん。キミが覚えている執事魔法は、ほかにもいろいろありそうだけど時間がないから今度改めて聞くことにするよ」
どうやら執事魔法談義はここまでのようだった。
先ほどより『ランタン』の光が暗くなっている。どうやら何かしらの制限時間を示しているようだ。
「さぁ、ここからが本題だよ」
邪神様の真っ黒な眼球の中で光る赤い瞳が僕を射抜く。
「改めて聞きたいんだけど、どうやってここに戻って来たんだい」