第二話 朝食に添える一騒動
朝を迎えられ、食堂にお揃いになった侯爵御一家。
お嬢様は、既に自分より高い椅子に座ってらっしゃる。言うまでもなく椅子に座られるときもご自分で登られるのだ。専属執事として、そばに控えてはいるのだが、正直気が気でない。座られた瞬間、ホッとした顔の侯爵様と僕の目があった。軽くうなずく侯爵様に、「お任せください」と目で返事をする。
奥様がそんな侯爵様と僕を見て、「あらあら、娘を心配する父親と妹を心配する兄のようね」と笑っていらっしゃる。
過保護気味だとセイバス執事長に諫言されるほど、侯爵様のお嬢様に対する愛情は深い。しかし、子を思うのは親であれば当然のこと。それは人族でも魔族で変わらないと教わっている。
いや、むしろ子供の数の少ない魔族のほうが、情が深いのかもしれない。
こういったことは『魔族学』の講義で教わったことだが、内容は確かこうだ。
一般に魔族と言われているが、魔族も様々な種族に分けられる。
魔族の種族(以下、魔種族)の中では、純魔族、不死族、巨人族、半獣族、魔獣族などが有名だ。魔種族は魔力の量によって高位、中位、下位と三つにランク分けされている。
更に氏族(中分類)ごとに分けられる。例えば、半獣族には、ミノタウロス族、ケンタウロス族、ハーピー族などの氏族が存在している。
寿命は、高位に位置する魔種族ほど、人族より寿命が長いものが多い。
特に魔王様をはじめ、侯爵家ご一家のような貴族のほとんどを占める高位魔族のひとつ『純魔族』。純魔族は、魔力も多く魔法の扱いに長けており、人族よりも十倍以上長生きする。例外はあるものの魔力の多さが寿命の長さだとする説を、人族の中に唱えている者がいるそうだがあながち間違ってはいないのかもしれない。
魔族の容姿については氏族ごとに姿が異なる。
純魔族を含む高位魔族の場合、人族には存在しない赤い瞳や角など一部の容姿が異なっている以外、ほとんど人と変わらない場合が多い。
以前起こった種族間戦争中には、人族の集団に入り込み諜報活動をするため、人と同じ姿を模する魔族もいた。なかには人族などの他種族に興味を持ち、好んで人の姿になる魔族もいたのだ。戦争が終わった今も人族の街に混ざって暮らす奇特な魔族もいる。その多くは魔族だとわからないよう魔法や己が能力で姿を変えているらしい。
だが、容姿が似ている純魔族であっても、そこはやはり魔族。
生活習慣など人間と似ている部分も多々あるが、成長速度などは大きく異なる。
人の場合、生まれてからすぐに授乳され半年も経たないうちに離乳食を口にする。乳児期を終える一年後には歩き始める子もいる。
魔族の場合、それよりも早く成長するものもいれば遅いものもいる。
例えば純魔族の場合、歩き始めるのは生後一年ほどで人族と変わらないのだが、母親からの授乳期間が一年と長く、一歳になった頃から三歳になるまでの二年間は離乳食を口にするのだ。
それには理由がある。
魔族は、大気中の魔力と食事に使われる食材から魔力を吸収して糧としている。生まれたての魔族は、本能によって大気中の魔力を吸収するようになるのだが、まだ吸収する能力が未熟なため、そのままでは飢えてしまう。
そこで大気から魔力をうまく吸収できるようになるまでの一年間、母親から母乳とともに魔力を与えられる。
大気から魔力を吸収できるようになれば、次は食事からも魔力を吸収できるように慣れさせる。
それが離乳食の期間だ。
この離乳食期間中に、食べ物から魔力を“効率良く”吸収できるよう二年ほどの時間をかけるのだ。これは魔族にとって非常に大事な期間となる。離乳食期間中に効率良く魔力が吸収できないまま大人になると、とんでもない悪食になるからだ。
理論上、大気中の魔力が濃密であれば食事は不要だ。しかし、ほかの国より魔力濃度の高いはずのオノゴルト魔王国ですら全く足りていない。それゆえに足りない分の魔力を食事からの吸収で補うことになる。
これらを教えてくださったのはセイバス執事長だ。講義でおっしゃった言葉を今でも覚えている。
「執事たるもの、ご主人様が喜ばれる食事のひとつくらいご用意できなくてどうするのですか」
そう言われたのは、お嬢様が一歳になり離乳食がはじまる前の日のことだった。
学んだ講義の内容を思い出していると、今日の朝食の時間が始まった。
食堂に料理が次々と運ばれてくる。
数人のメイドがスープやサラダを取り分け、食事の用意をしているなか専属執事である僕はお嬢様のそばに控えている。
そろそろ離乳食を卒業される年齢となられたお嬢様は、ご夫妻の料理にも興味津々だ。サラダやスープを覗き込みながら、「わぁ~」と声を出しながら楽しそうに見ていらっしゃる。
侯爵御夫妻の今日の朝食は、柔らかくふっくらとした白いパンと、鮮やかで、きれいな具材がたっぷり入った温かい黄金色のスープ。新鮮な青々とした葉の野菜サラダに、軽くあぶられた肉、デザートの赤い実が食卓に彩りを添えている。
使用人が食すような黒いパン、葉っぱと干し肉の半透明なスープなどの食事とは違い、絵画のように色鮮やかで美意識あふれた侯爵家にふさわしいメニューである。
お嬢様は、パンをミルクで煮たパン粥とデザートの赤い実をすりつぶした離乳食を交互に口に運ばれている。そのお姿は真剣で一生懸命さが伝わってくる。
だが、お嬢様の意識は奥様がお飲みになっているスープに注がれているようだ。奥様が動かすスプーンを目で追っているのが何よりの証拠。
じぃぃっ、と見ている視線に気がつかれたのか、奥様はスープをひとすくいして少し冷ましてから、そーっとお嬢様の口元へ差し出す。
「ティリアちゃん、一口飲んでみる?」
「飲むのー!」
「はい、あーん」
「あぁぁぁん」
お嬢様は、目を輝かせながら大きな口を開け、奥様から差し出されたスプーンに勢いよく飛びついた。スープを口に含んだお嬢様は、スプーンをくわえたままじっとしたままだ。
「どう? ティリアちゃん」
奥様は微笑みながら話しかけているが、お嬢様はスプーンを離さない。
……あ、あれ? お嬢様? 奥様?
ふと奥様を見ると固い表情を浮かべて硬直されている。しかし、お嬢様がくわえたままのスプーンを持った奥様の手は震えているのだ。それに気がついた僕は、慌ててスプーンをくわえているお嬢様の顔を覗き込む。
お嬢様の目は誰かを見ているようで見ていないかのように虚ろだ。目に光がなく焦点があっていないようで、まばたきもしていない。
「お、お嬢様……?」そっと声をかけてみる。
僕の呼びかけに、お嬢様はピクリと肩を震わせて反応される。
その瞬間、お嬢様の目に涙がたまり始め、今にもこぼれ落ちそうだ。
「ティリアっ」
「ティリアちゃぁん!?」
「お嬢様ぁぁぁぁっ」
食堂に響く悲鳴にも似た侯爵御夫妻と僕の声。
同時に、スプーンを吐き出し天地を引き裂くようなお嬢様の泣き声が食堂に響く。
「ビャェァァァァァァン」
お嬢様はイスから飛び降り、僕にしがみつくと大声で泣き叫んでいる。
その様子に呆然とする侯爵様とお嬢様に差し出したスプーンを手にしたまま顔を青くして放心状態になっている奥様。どうしていいかわからず右往左往するメイドたちとお嬢様にしがみつかれて動けない僕。
「ワァァァァァァァァン」
お嬢様の泣き声は止まらない。
そんな混迷を極めるなか、セイバス執事長は、お嬢様の顔色を確認し安堵の表情を浮かべると、念のため解毒魔法と思われる魔法をかける。そのまま侯爵様にひと声かけ、奥様をお慰めするよう促す。同時に奥様にも解毒魔法を施し、放心状態の奥様からスプーンをそっと受けとり、ナプキンで包む。流れるような動作を止めることなく、侍女のイーラさんに料理長を呼ぶように指示。続いて、僕の手をとり、お嬢様の頭の上にそっと乗せる。ほかのメイドたちには落ち着くよう伝え、全員この部屋から出ないように厳命する。
この間、お嬢様が僕に抱きついてから十秒の出来事である。
泣いているお嬢様の頭を優しく撫でながら、今のセイバス執事長の流れるような動きを思い浮かべる。
セイバス執事長は使っていないスプーンを手に取ると、「失礼いたします」と侯爵様に許可を得る。許可を得てから、奥様とお嬢様が飲んだスープをすくい、口に含む。口の中でしばらく転がした後、ごくりと飲み込んだ。だが困惑したかのような顔を浮かべ、首をかしげている。
そこへイーラさんとレイゴスト料理長が慌てた様子で食堂に入ってくる。
レイゴスト料理長が見た光景は、奥様の背中に手を回し、慰めている侯爵様。僕に抱きつき頭を撫でられながら泣いているお嬢様。青い顔をしたメイドたちとスープを手にするセイバス執事長の姿である。
「旦那! 何かございやしたかぁぁぁ! お、お、お嬢ぅぅ!」
元から青白い顔色を更に青白くしたレイゴスト料理長が、悲鳴のような声をあげた。セイバス執事長は、慌てふためくレイゴスト料理長に落ち着くよう伝え、何が起きたのかを説明している。
何やらとんでもないことが起きたかのような有り様なのだが、お嬢様が泣かれていること以外セイバス執事長でも詳しいことはわからないらしい。詳しく調べてみる必要はあるもののスープや食器類に異常はみられない、とのことだった。
僕に抱きついたままのお嬢様は、「ヒックヒック」としゃくりあげてはいるものの徐々に落ちつかれてきたようだ。呆然としていた奥様は、僕に抱きついているお嬢様のそばに近寄るとしゃがんで声をかけている。
「大丈夫? ティリアちゃん、痛いところはない? ごめんなさい。かぁさまを許して」
泣き腫らした目をパッと上げたお嬢様は、抱きついていた僕の足から離れ、奥様に向かって飛びつくように抱きついた。
「かぁさまはわるくないの。ちがうのー、でもきけんなのー、だーめなのー」
そう言って何度も何度も首を振る。
奥様はお嬢様を抱き上げ、頭を優しく撫でながら、「大丈夫?」と声をかけていらっしゃる。奥様の胸に顔うずめ抱っこされて安心されたのだろう。
「……だい…じょぶなの」
泣き声混じりに首を振ってお答えになっていたお嬢様は泣き疲れたのだろう。いつの間にか『おやすみモード』に入っている。どうやらお嬢様の身体には全く影響がないようだ。お嬢様や奥様に異常がないか心配されていた侯爵様もひとまず安堵されていらっしゃるようだ。
侯爵様、セイバス執事長、レイゴスト料理長の話し合いは続いている。
どれほど時間が経っただろうか。数分程度だと思うが妙に時間が長く感じられる。途中、「おやめください」というセイバス執事長の止める声も聞かず、侯爵様が奥様の飲んでおられたスープを口にしていた。
その侯爵様も先ほどのセイバス執事長と同様に首をひねっている。
話し合いにキリがついたようだ。
セイバス執事長が僕とイーラさんを呼ぶ。
「アルクくん、イーラさん。今日のお嬢様のご様子から、何か気がつかれたことはありませんか」
まずはお嬢様を起こされたイーラさんが答える。
「いえ、お目覚めも普段と変わらないご様子でしたし、あふれる可愛さは包みたくなるくらいでしたわ」
お嬢様の可愛さに忠誠心があふれているイーラさん。
続いて僕が答える。
「お嬢様は、いつものようにお元気でしたし悪い夢などを見た様子もありませんでした」
そこに侯爵様も加わる。
「うむ、飲んだスープに問題があったのかと、私もセイバスも飲んでみたが異常はなさそうだ」
「旦那様、危険な物質の可能性もあるとご忠告いたしましたのに。軽はずみな行動はおやめくださいませ」
「まぁ、そう言うな、セイバス」
苦笑気味に答える侯爵様。
奥様、お嬢様想いの侯爵様としては、居ても立ってもいられなかったのだろう。
スープは、保温用の鍋からスープ皿に取り分けられ、ご夫婦とも同じものを口にされている。もちろん奥様の使った食器に問題がないことはセイバス執事長が確認済みだ。食材に何かしらの細工がされていることも考えられるが可能性は低い。
「旦那、使っている材料もいつもと同じだと断言できやす。今日もしっかりと確認しながら使っておりやすし」
レイゴスト料理長も素材自体変わらないという。
それにレイゴスト料理長が細工などすることはない。
侯爵様をはじめ、誰も料理長を疑っていない。なにせこの侯爵家の当主に何代にもわたって仕えている忠実な料理人であり、隠しごとが大嫌いな誇り高い幽霊族(ゴースト族)なのだ。
レイゴスト料理長は、中年のおじさんといった風貌だがその体つきはがっしりとしている。服装こそコックの格好をしているが、体格だけで見れば傭兵と言っても過言ではない。髪を短めに揃え、鋭い目つきをしている。無類の子供好きで、お嬢様や僕やイーラさんを見る目はとても優しい。ただ全身は、髪の色から服の色まで全てが半透明で青白い。
また、幽霊族であるレイゴスト料理長は、悪意があるものを見分けることができる。その能力は人物、物品問わないらしい。幽霊族特有の能力がゆえに料理人となり、料理長を任されている。多くの貴族が抱える調理人や門番に幽霊族が多いのも納得だ。
人族には悪事を働く商人や民に圧政を強いる領主の枕元に、毎夜、幽霊が立って呪い殺すという物語があるそうだが、もしかしたら幽霊族がモデルなのかもしれない。
今のところ侯爵御夫妻やセイバス執事長の身体に異常は見られない。お嬢様が大泣きされたもののお身体に異常が出た様子もなく、奥様に抱っこされて気持ちよさそうに寝ておられる姿は、実に可愛らしい。
イーラさんの息遣いが荒いようですが大丈夫でしょうか。
いずれにせよ、原因がわからなければどうしようもないのだ。
そう心に決めた僕は、セイバス執事長に聞いてみた。
「そのスープ、よろしければ僕も一口飲んでみたいのですが。何かわかるかもしれません」
「あ、私も確かめたいです」
僕とイーラさんの言葉を聞いたセイバス執事長は少し驚いた顔をしている。いつもであれば、「執事たるもの、ご主人様の毒味くらいできなくてどうするのですか」と言いそうなのに少し戸惑っているようだ。
こんなセイバス執事長は珍しい。
「アルクくん、イーラさん。先ほど旦那様にも言いましたが、飲んでしばらくしてから何かあるかもしれませんよ」
「それでもかまいません」
お嬢様が泣く原因になったと思われるスープ。
専属執事としても本当にスープに問題があったのかどうかだけは確認しておくべきだ。
「まぁ、お嬢様は、飲まれてすぐに反応されましたからね。これだけ時間が経っていれば問題ないでしょう。……わかりました。一口試してもらえますか。何か気がついたことがあれば報告してください」
セイバス執事長の言葉のあと、イーラさんは黄金色のスープをすくって口にする。
しばらく目を閉じたまま何かを確かめている。
「んー、なんともないですねぇ」
イーラさんも首をコテンとかしげている。
「では、次は僕が」
僕も続いてスープを口にする――!?
「アルクくん!」誰かが僕を呼ぶ声が聞こえた。
次の瞬間、食堂のテーブルや壁が横倒しになり、僕が立っていた床が真横に迫りくる。
いや……。
床が真横に迫ってきたのではない。僕のほうが倒れた……ようだ。
僕は何がなんだかわからないまま意識を手放した。