第百九十話 目的のためなら手段を選ばず
アッテンドリア帝国の城にある地下牢。
夜明け前、その中でも最下層にある牢に僕は放り込まれた。
ビアンカ皇女の誘拐犯として。
「――アルク様。お待たせしました」
暗闇の中、セルヴァの声が響く。
「どう? 何か見つかった?」
「はい。アルク様の予想どおりでした。またミスチフとフィエルダーも役目を果たしております」
どうやら皆、準備は万端らしい。
「早速、行くとしようか。まずはオフェリアさんのところかな」
僕は『執事ゲート』を開くと、悪臭から逃げるように飛び込んだ。
◆
それから、どれだけ時間が経っただろう。
多分、今はお昼より少し前のはずだ。
そんなことを考えていると、牢に近づいてくる気配がひとつ。
ようやくのおでましである。
気配は厚い鉄扉の前で止まった。
ランタンを掲げ、扉にある小窓から牢をのぞきこんだのは――。
「やあ、ブラン隊長。思ったよりも遅かったですね」
「よう、アルク。思ったより元気そう……って、おいおいっ! その格好はなんだっ! あと、その明かりはどこから出した!」
「格好? ああ、これですか。やはり正装と言えば執事服ですね。明かりは魔法ですけど」
「おまえ魔法使えたのかよ……って、そうじゃなくてだな! なんで執事服を着ているんだっ!」
「これを着ると落ち着くし、気合いが入るんですよ。これでも執事見習いなんで。あっ、借りた服は洗ってお返しますね」
セルヴァと一緒に地下牢を抜け出したあと、僕はまたこの牢に戻ってきていた。
その際、執事服に着替えておいたのだ。
やはり冒険者や帝国の服より、執事服のほうがしっくりくる。
そう答えるとブラン隊長は諦めたように眉間にしわを寄せた。
「A級冒険者が執事見習い? い、いや、まあいい。――アルク、これだけは聞いておきたい。ビアンカ皇女をさらったのは、おまえか?」
真剣な目で尋ねてくるブラン隊長に対し、僕も真面目な顔で言葉を返す。
「いいえ」
「わかった」
「おや? 信じるんですか」
「もちろんだ。トリバス殿下も同じ考えだ。今はビアンカ皇女をさらった真犯人を探している。そいつが見つかるまで、殿下はここに来られない。ここから出すこともできない。……遅れてきて言うのもなんだが、本当にすまん」
ブラン隊長は扉の向こうで頭を下げた。
いやはや、律儀な人だね。まったく。
「気にしないでください。むしろ正解です。逆に来るほうがまずいですね。自分たちが城に連れてきた容疑者に会えば、余計に怪しまれます。逃がすつもりかってね」
「そう言ってもらえると助かる」
「でもブラン隊長が来てもまずいんじゃないかな」
「問題はない。私は皇族近衛騎士だからな。トリバス殿下専属ではない」
「そういう建前で?」
「そういう建前で、だ」
ニカッと笑うブラン隊長。
トリバス皇子から信頼厚いブラン隊長だが、あくまで彼の立場は第三近衛騎士の隊長だ。トリバス皇子の専属になれと皇帝から命じられたわけではない。
「ところで隊長。今回の誘拐事件をどう思います?」
「トリバス殿下を貶めるため、だろうな。アルクを連れてきたのは殿下だ。アルクがビアンカ皇女を誘拐したことにすれば殿下の責任となる。そのためにアルクは利用されたのだろう」
「僕もそう思います。それとトリバス殿下って何度か命を狙われていませんかね?」
「……なぜそう思う?」
「予定より早く帝都に着いたから、かな。妙に急いでいましたよね。それと帝都に入ったとき、警備上の理由で馬車の窓を閉めた。国民にあれだけ人気なのに顔を見せることもなかった。何を警戒しているのかと不思議に思ったものです。何より皇族の紋章を掲げた馬車をわざわざ襲ってきた盗賊たちも怪しい。襲撃犯の中に盗賊とは思えない手練れが混ざっていましたが、あれもトリバス殿下を狙ったものではないでしょうか」
ブラン隊長はその手練れたちに囲まれて怪我をした。
しかも生かして捕らえた手練れは毒で自害している。
ただの盗賊とは思えない覚悟があった。
「……トリバス殿下が狙われているという情報は以前からあった。実際、何度もお命を狙われている」
「心当たりは?」
「殿下はこの国の貴族が持っている権力を削ごうと常に動いておられた。これまでも貴族に悟られないよう、そのための政策を皇帝に進言していたのだ。そのひとつがスミール王国との貿易拡大だ。表向きは皇帝からの命となっているが、発案は殿下だ」
「あー、それで……」
「それで、とは?」
「いえ、こちらの話です。でも、よくわかりました。一部の貴族たちは貿易拡大によって、これまで国内で独占していた既得権益が脅かされると考えたわけですね。そいつらからしたらトリバス殿下は邪魔で仕方がない、と」
「そのとおりだろうな。……しかし、政治を担う貴族じゃあるまいし、おまえ本当に冒険者か? 冒険者って脳筋だろうが」
「本業は執事のほうなんですけどね」
第一、ほとんど休むことなく日夜、訓練を欠かさない騎士たちにだけは言われたくない。
「あくまで推測ですよ。それに殿下を暗殺するにしても、今回の皇女誘拐にしても、その理由が既得権益を守るためだけにしては、やりすぎです」
「どういう意味だ?」
「皇族の恩恵にすがる貴族にそんな大それたことはできないってことです。皇族あってのアッテンドリア帝国なのですから。そんなわけで、貴族以外で次期皇帝のトリバス殿下がいなくなって得をする人物に心当たりはありませんか?」
「貴族以外で? ……いや、心当たりはないな」
「本当にそう?」
「……何が言いたいんだ?」
僕の意味ありげな問いかけに訝しげな顔をするブラン隊長。
彼はしばらく考える仕草を見せたあと、何かに気づいたように勢いよく顔を上げた。
「……いや、そんな、まさか」
「そのまさかですよ。トリバス殿下がいなくなって得をする人物。それは僕をここに投獄した皇位継承第三位のウリナムス皇子だ」
「待て! 確かにウリナムス殿下の評判は良くない。しかし、弟であるトリバス殿下を暗殺しようとしたり、妹を誘拐したりすることなどありえない!」
隊長は強く否定し、真意を探ろうと僕の目をじっとのぞきこむ。
だが、彼の目はどこか自信なさげだ。
「本当にそうかな? 権力に取り憑かれると人は思いもよらぬ行動をとるものだよ。人を捨てて不死者になり、ダンジョンに千年以上ひきこもるヤツもいるくらいさ。ジェミノス第二皇子がいない今、トリバス殿下さえいなくなれば、次の皇位継承者は彼だ」
黙ったままのブラン隊長を尻目に僕は話を続ける。
「暗殺も失敗が続けば、ボロが出る。暗殺に成功しても証拠が見つかれば、ウリナムス皇子はおしまいだ。でも暗殺以外に、皇位継承を確実に諦めさせる方法を思いついたとしたら?」
「まさか!」
「さっきブラン隊長が言ったとおりだよ」
ビアンカ皇女を誘拐して、犯人を僕に押しつける。
その犯人を連れてきたのはトリバス皇子だ。恐らく僕を犯人として処刑したあと、口封じにビアンカ皇女は殺され、見つかりやすい場所で遺体が発見されることだろう。
たぶんトリバス皇子が関係する施設で。
そうなればトリバス皇子は妹殺しを疑われる。皇族なので死刑になるかは微妙だが、責任をとらせるため皇位継承権は剥奪。あとは幽閉ってところか。
もしくはビアンカ皇女を生かしておいて、彼女の命と引き替えに自ら皇位継承権を放棄させるという方法もある。
どちらにせよトリバス皇子とビアンカ皇女はいずれ口封じのために事故か病気で消されることになるだろう。生かしておくのは彼らをかつぐ連中に口実を与えかねないため、危険でしかない。
ただ、僕が計画を立てるならビアンカ皇女の誘拐などしない。
違う方法をとる。
それは皇帝の暗殺だ。
この方法なら僕を犯人に仕立て上げたあと、城に連れてきたトリバス皇子も皇帝暗殺の主犯格として処刑できる。それほど皇帝と皇位継承権を持たないビアンカ皇女では命と罪の重さが違うのだ。
「ウリナムス皇子は今が絶好の機会だと考えたんだろうね。皇帝陛下が病で伏せっているし」
「――っ!?」
皇帝の病を指摘するとブラン隊長は大きく見開いた。
動揺したせいか鉄扉に身体をぶつけ、大きな音が牢に響く。
「陛下が病に伏せっておられることをなぜアルクが知っているっ!?」
「そりゃあ――僕が魔族だから?」
「っ!?」
「やだなぁ、隊長。驚いたふりをしているけど、トリバス殿下も侍女の二人も知っていたよね。なぜ僕が魔族だと気づくことができたのかわからないけど、知ってて監視を付けていたでしょ。皇子が何度も僕を引き止めたのは目の届かないところに留めておきたかったからだろうし?」
「……」
「身内で話をするときは結界を張らないとね。魔族を前に城の中が安全だと思ったら大間違いだよ。どこに目や耳があるかわからないから。あー、これは魔族に限った話じゃないか」
「……」
「でも魔族だと知りながら、なぜトリバス殿下とビアンカ皇女と一緒にいさせたり、見極めようとしたりしたのさ。万が一、僕が暴れたらどうするの?」
鉄扉の小窓からこちらをにらむように覗くブラン隊長は答えない。
「ところでさ。自分でこんなことをいうのもなんだけど、おかしくない? 普通、人族って魔族を恐れるか嫌悪するものでしょ。何、普通に会話してるの?」
「ああ。帝国民のほとんどはそうだろうな」
ようやく口を開いたブラン隊長は独り言のように小さく声を漏らす。
何かを隠している。そんな様子が見て取れた。
「もちろん僕にとっては歓迎すべきことなんだろうけどね。でも理由がわからなくてモヤモヤするんだよ。ところで話は変わるけど、チョールー侯爵って知ってる?」
「……チョールー侯爵がどうしたというのだ」
ようやくまともな反応をしたかと思えば、目つきを細め、威嚇するような声を出す。やれやれ、そんな怖い目をしなくてもいいのに。
ああ、そうか。
「言っておくけど、僕はチョールー侯爵とは何も関係ないよ。もちろん雇われたわけでも、手を結んでいるわけでもない」
そう言うと、ブラン隊長はあからさまにホッとした顔をした。
反トリバス皇子派の筆頭がチョールー侯爵だから、その気持ちもわかるけど。
「彼が治める侯爵領って肥沃な土地が広がっているよね。それも帝国最大の農業地帯だとか。ほかにもトリバス殿下に反感を持っているのはチョールー侯爵をはじめとする耕作が盛んな領の貴族が多いみたいだし。それに、これまで競争相手がいなかったからか、アッテンドリア帝国の食材って他国に比べて四割ほど高いんだよ。スミール王国から安価な食材が入ってきたら、チョールー侯爵たちは大変だろうなぁ。困るだろうなぁ」
「なにを言って――いや、ちょっと待て。どうやって帝国の物価を調べた?」
「そりゃあ、見に行ったに決まっているでしょ。市場やお店って朝早くからやっているんですよね。みんな朝早くからありがとっー!」
多くの住民たちがまだ寝ている時間、市場やパン屋など一部の店はすでに開店していた。彼らのおかげで帝都民たちは充実した朝ご飯を食べることができる。感謝の心を忘れてはいけない。
「はぁ! 見に行ったぁぁっ!? 牢に放り込まれたアルクがどうやって!」
「行きましたよ。でも今はそんなことよりビアンカ皇女とジュリアさんを誘拐したチョールー侯爵を気にしようよ」
「なっ! チョールー侯爵がビアンカ皇女誘拐の犯人だとっ!」
「あ、でも囚われていたビアンカ皇女たちはすでに救出したけどね」
「はあああぁぁぁ!? んんんんぅぅ!?」
二段階で驚きの声をあげるブラン隊長。
なぜチョールー侯爵がウリナムス皇子に加担し、ビアンカ皇女たちを誘拐したのか疑問だった。それを調べる時間もなかった。
でも先ほど、ブラン隊長からトリバス皇子が貴族の権力を削ごうとしていたという話を聞いて納得した。
食材の流通大手であるチョールー侯爵家がウリナムス皇子と手を組んだのは、帝国内の既得権益を守るためだ。皇帝の座を狙うウリナムス皇子が皇帝になったとき、スミール王国との交流拡大をしない、もしくは禁止するという約束でもしていたのだろう。
トリバス皇子を貶めようとしたのは、両者の思惑が一致したということだ。
「彼女たちを助けたことで、一宿一飯の恩義は返した。――ほとんど牢屋だった気もするけど、エビ料理は美味しかったからね」
「それでっ! ビアンカ皇女とジュリアの二人は今、どこにっ!」
ブラン隊長は身を乗り出した。
鉄扉が邪魔しているので牢の中に入ってこられないが、彼は小窓に顔をねじ込むようにしている。
気持ちは分かるけど、その小窓からは入れない。
「とても安全なところで保護しているよ」
「だからっ! そこはどこだと聞いているんだっ!」
ブラン隊長は目を剥き、つばを飛ばしながら、怒鳴り声を上げた。
焦る気持ちはわかるんだけどねぇ。
「そんなことより本人たちを連れてきたほうが安心できるでしょ。ブラン隊長はこのことをトリバス殿下に知らせておいて。ただし、会わせるのは今から一時間後。第二皇子の部屋に集合ってことで」
「何を言ってるんだ! この牢から出られないだろ!」
「そっちこそ何を言ってんのさ」
僕は鉄扉に近づくと、隊長に離れるよう伝える。
別に『執事ゲート』で抜けてもいいのだが、ここは魔力の薄い人族の国。
無駄な魔力は使いたくない。
僕は扉に手を当て、徐々に力を込めていく。
次第に鍵がかかっていた鉄扉がギリギリと金切り音を上げ始める。
そのまま押し込むと、鍵の部分と蝶番の部分が弾け、扉は派手な破砕音を立てながら勢いよく開いた。開いたというよりも外れたというほうが近いか。
僕が押したせいで、真ん中から歪んでしまった鉄扉を立てかけたあと、ブラン隊長に笑みを向けた。
「ねっ?」
「ねっ? じゃねぇよ」
僕が同意を求めると、ブラン隊長は引きつった笑いを浮かべた。
◆
――時は明け方ごろまで遡る。
ブラン隊長が地下牢に来る前の話だ。
牢を『執事ゲート』で抜け出したあと、僕はオフェリアさんに会いに行き、そこでお願いしていたものを受け取った。
「外交官として頑張っているのね」と言われたけど、苦笑しか出ない。
その後、僕はスミール王国の王都『スミール』に向かい、そこでアリシアさんとヒミカさんに合流。その場にはモーゼフさんとオーレリアもいた。
僕からの手紙を受け取ったアリシアさんは、お願い通り、スミール国王に面会を求めてくれたようだ。
本来であれば、予定もなく国王に会うことはできない。
だが、ジョナサン王はアリシアさんの突然の訪問にも関わらず、早急な対応をとってくれた。国王にも心の中で感謝しておこう。
アリシアさんにお礼を伝えつつ、お目当てのものを受け取り、中身を確認する。それは僕が望んでいたとおりのものだった。
「悪用はしないようにね」
「もちろんですよ」
アリシアさんはこれから大神殿建立の打ち合わせをするため、関係者と会うそうだ。そう言うとモーゼフさんとオーレリアさんを連れ、去って行った。
アリシアさんたちが去り、二人きりになったヒミカさんと顔を合わせるのは少々気まずいが、彼女が気にした様子はない。
こちらもなるべく意識しないようにしよう。
僕たちはある場所に向かうため、王都の中を歩き出した。
その途中、急なお願いにも関わらず、呼びだしてしまった彼女にお礼を言うと、なぜかものすごく嬉しそうな顔を返された。
……突然、呼びつけたせいで怒られなくて本当によかった。
「ところでアルクさん。アリシアさんから受け取ったその書類は何ですか?」
「あー、これですか? これはスミール国王に発行してもらった令状ですよ」
「令状?」
「はい。王の命令として僕に協力するよう書かれています」
「……そのようなものが必要なのですか?」
ヒミカさんが眉をしかめるのも無理はない。
王の命令は絶対である。
ということは、この令状を持った僕の言葉は王の言葉も同然だ。
限度はあるが、強権を発するものであることは間違いない。
もちろん有効期限があり、今日一日だけ効果を発揮する。
アリシアさんにお願いしたのは僕では発行してもらえないと思ったから。
娘の恩人であり、将来の大神殿を率いる巫女の願いなら、王も断われないだろうという思惑があった。
「順を追って説明すれば納得してもらえると思うのですが、今回はその時間がありません。それに――」
「それに?」
「目的の人物に気づかれると逃げられそうなんで」
「逃げるって、誰に何をするつもりなんですか」
ヒミカさんに睨まれた。
大丈夫ですって。
向こうが何かしてこなければ。
「んと、それはですね」
「おぉ。アルクくんじゃないか。ひさしぶりだね」
目的の場所に着いたとき、声をかけられた。
ここは『オサンの雑貨店』。
そして声をかけてきたのは、この店の主人オサンさんである。
朝早くから開店の準備をしたようだ。
「え? なに? その獲物を見るような目っ!」
◆
渋々といった様子のオサンさんから聞き出した場所は『オサンの雑貨店』から十分ほどのところにある。
国王の令状がなければ素直に教えてもらえなかっただろうが、そこはスミール王国の王都に店を構える一人の商人。国王の命令とあっては無視もできない。
強引に聞き出したことは今度、謝るとして今は目的地に急ぐ。
やってきたのは閑静な住宅街。
立派な家が建ち並ぶ中にその家はあった。
それなりに大きく庭もある上品な家だ。
さっそく玄関に立ち、装飾が施されたノッカーで扉を叩く。
やがて家の中でひとつの気配が動き出し、扉へと近づいてきた。
「――誰だ。こんな朝早くから」
中から気だるそうな声が聞こえてくる。
鍵を外す音のあと、ゆっくりと扉が開いた。
開いた扉の隙間から顔だけを出したのは切れ長の目を持つ整った顔立ちの青年だ。男は僕と後ろにいるヒミカさんを見て、やや目つきを鋭くした。
よく見れば目の下にクマができている。
「突然、朝早くからお邪魔して申し訳ございません。お会いするのは初めてですが、以前、クレープ屋の看板や調理器具を頼んだものです」
「あぁ。あの看板と『携帯用魔力かまど』を大量に依頼してくれたお客さんか……」
令状を使ってまでオサンに教えてもらったのは、『妖精のクレープ屋』で使っている看板とクレープを焼くための『携帯用魔力かまど』を作ってもらった、ひきこもりの魔道具士の家だ。
「ところで坊主。誰にこの場所を聞いた?」
「オサンさんからですよ」
「オサンのおっさんがここを教えた? ……まあ、いい。近所迷惑になるから入ってくれ」
案内されると、家の中は様々な魔道具でいっぱいだった。
正直、無造作に置かれた魔道具のせいで足の踏み場も限られている。
作りかけの魔道具もあれば、何に使うのかわからない魔道具まで様々だ。
客間に案内されると、男はソファーを指差しながらこう言った。
「その辺に座ってくれ。今、茶でも入れてくる」
「ああ、おかまいなく」
「子供が遠慮すんな」
……ひきこもりと聞いていた割には思ったより社交性が高いな。
それとも子供好き?
もしくはひきこもる理由があるから、か。
「アルクさん。あのクレープ屋さんの看板を描いたのは男の方だったんですね」
小さい声で尋ねてきたヒミカさんの顔は困惑気味だ。
確かにあの絵は受け付けない人もいるだろう。
こちらの世界で絵といえば、権威と思想が芸術という家に同居した作品がほとんだ。
『キャハ☆』とか『もぇ~♪』的な擬音が聞こえてくるイラストは存在しない。
だが、その分、良くも悪くもインパクトは強い。
「なかなか可愛い絵を描く方でしょ」
「もう慣れましたけど、あのような絵を見るのは初めてで驚きました」
「特徴的ですものね」
しばらくするとカップにお茶を入れた男が戻ってくる。
男は僕たちの前にお茶を差し出すと、正面に座り、持ってきたお茶を一口飲んだ。
「で、あれから『携帯用魔力かまど』の調子はどうだい?」
「その節はお世話になりました。問題なく稼働しています。看板のおかげもあり、クレープ屋は大人気です」
「それはよかった。先に言っておくが、頼まれていたものはまだ完成していないぞ」
彼にはオサンさん経由で、『八百屋オイシー』王都店で使っている濾過槽用のポンプを特注で依頼している。簡単な説明をしただけだったが、すでに製作に取りかかっているようだ。
「気長にお待ちしておりますよ。今日は違う用件で来ましたので」
「違う用件? しかし、オサンのおっさんに聞いていたけど、本当に子供なんだな」
「私はアルクと申します」
「ジェイミーだ。その前に聞きたいことがある」
「はい、なんでしょうか」
「――てめえ、どうやってこの場所を知った?」
口調ががらりと変わり、ジェイミーと名乗った男の目つきが変わった。
「先ほども行ったとおり、オサンさんに――」
「あのおっさんはな、口が固くて約束を破ることなんてありえねぇんだよ。オサンのおっさんが俺の家を言うわけがねぇ」
不機嫌そうな顔でジェイミーは言った。
よほどオサンさんを信頼しているらしい。
ここは正直に言ったほうがいいだろう。
「じつはスミール王国ジョナサン国王の令状を持って、オサンさんに無理矢理聞き出しました」
「ちっ。オサンのおっさんには迷惑をかけちまったな。しかも令状だと? 王族と知り合いとか、とんでもねえガキだな、てめぇ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「誉めてねえよ。権力者に擦り寄るなんぞ、おれが一番嫌いなタイプだと口調を聞いて悟れやっ」
そう言って凄むジェイミーだが、その程度ではひるまない。
ヒミカさんもまた、ひるんだ様子はない。彼女は優雅にお茶を飲みながら、「あら、美味しい」とつぶやいている。
「あははははっ」
「何がおかしい、クソガキがっ!」
「面白いこと言いますね。――アッテンドリア帝国の後継者。第二皇子ジェミノス殿下?」
「あら? そうでしたの?」
ヒミカさんはお茶の入っていたカップを持ったまま、そうつぶやいた。
彼女には教えていなかったが、驚いた様子はない。
だが、目の前に座るジェイミーことジェミノス第二皇子は鋭い目つきを益々鋭くして僕をにらみつけている。
「――おい、てめぇ、何モンだ」
ドスの利いた声をぶつけてきた瞬間、ジェミノス皇子は腰に下げていた剣の柄のようなものを取り出していた。
刃は一切ついておらず、柄の部分しかない。
だが、それを取り出したのは一瞬だった。
ジェミノス皇子は取り出した剣の柄を握ると、魔力を流した。
すると、「フゥォン」という音とともに青い光の刃が現れる。刃の長さは一メートルほど。ジェミノス皇子が剣を振るたびに、「ブゥォン、ブゥォン」と風を切る音を響かせる。
そのとき皇子の持つ光刃が床に接触した。
刃が触れた部分は一瞬で燃え上がり、床に焦げ跡を描く。
炎はすぐ消えたため、火事にならずに済んだが、かなりの熱量であることがわかった。
間違いない。
見たことのある武器だ。
それも前世で。
……かっこいいのはわかる。異論はない。
正直、心惹かれるものがある。
だが、なんで作っちゃったんだろうか、この男。
見る人が見ればわかる武器だ。
転生者であることをアピールしていくスタイルなの?
とりあえず光の剣を振り回す皇子に向かって、僕は両手を上げながら話しかけた。
「殿下。話を聞いてください。あなたの妹、ビアンカ皇女が誘拐されました」
そう伝えた瞬間、皇子は詰め寄り、剣を持っていない手で僕の胸倉をつかんだ。
その動きは早かった。
あえて抵抗しなかったけど、顔が近い。
間近に見える彼の額には青筋が何本も浮かんで見える。
「可愛い妹をさらったのはどこのクソ野郎だっ! おぉん?」
「ビアンカ皇女はチョールー侯爵の屋敷に囚われています。実行犯はウリナムス皇子だと推測されます」
「妹をさらったクソ野郎はあの細目の卑怯者かっ! ぜってぇ死なすっ! 身内でも死なす! 超死なすっ!」
「ちょっと、ちょっと! まだ推測の段階です! 証拠はありません!」
「んなもん、あとで作りゃいいだろうがっ!」
どこの新聞ですか。
それ捏造って言いますよね。
「あのクソが得意な捏造をそっくりそのまま返すだけだっ。この俺を怒らせたらどうなるのか思い知らせてやる。調子に乗りがって! 今度は助けずに引導渡してやるっ」
あっ、この人、怒らせたらアカン人だ。
それはともかく、間近で怒鳴られるとさすがに耳が痛い。
「はぁ、やれやれ。声はでかいし、口、悪すぎだよ、殿下。病気で倒れた皇帝が泣くよ?」
「うるせえ! 俺を殿下と呼ぶな! ――おい、ちょっと待て。あのクソ親父が倒れた?」
「ええ。今のところ死に至るほどではありませんが、病に伏せっておられます」
「まだ生きてんならいいや。それよりもビアンカだっ!」
親よりも妹優先ですか。
「当たり前だろうが! 妹という存在は全次元、全世界に共通する至高の存在だ。それを誘拐だと! あの、クソがっ! 妹の存在価値をなんだと思っているんだっ。妹がいるという幸せは、自分の努力や実力ではどうにもならないんだぞ!」
口は悪いが、言っていることはわかる。
自分が先に生まれている必要があるし、両親が女の子を産んでくれないと妹はできない。お兄ちゃんがどう頑張ってもなんともならないのが妹だ。
その理屈だと弟もそうなんだけど、彼の中に弟の存在はないらしい。
どんまい、皇子。
「ところでビアンカ皇女を助けるのに、手を貸すつもりはありませんか?」
「ふざけるなっ! 話を持ってきたおまえが俺に手を貸すんだよ、魔族小僧!」
「まあ」とヒミカさんが驚きの声を上げた。
「おや? 僕が魔族だとわかるんですか?」
「てめえのような魔力持っている人間がいるかっ!」
「エルフや龍族かもしれないじゃないですか!」
「エルフの魔力は草っぽいんだよ! 龍族はつるつるした魔力だ! 極めつけはその魔力量。そんな強大な魔力を持っていんのは魔族くらいだろうがっ!」
草っぽいとか、つるつるとか……意味がわからない。
魔力は押えていたつもりだったけど、魔力感知に優れているのか?
「それで、おまえはどういう魔族だ?」
「どういう魔族といいますと?」
「人と敵対する魔族か、人と共存できる魔族かって聞いてんだっ」
「ええっと。しいていうなら立場と状況によってはどちらにでも転ぶ中立ってところでしょうか」
「ちっ、つまらん答えだ。答えによっては斬ってやるつもりだったのに」
「怖いなぁ。魔族も人族と一緒ですよ。人それぞれってやつです」
「そうだな。ところで――そちらの麗しいお嬢さんも魔族で間違いございませんか?」
「はい。申し遅れましたがヒミカと申します。突然、お邪魔したことをお詫び申し上げますわ」
「いえ、いいんですよ。あなたのような可愛らしい方はいつでも歓迎します。それにあなたような方が魔族で本当によかった」
僕に向けていた冷ややかな目から一転して、ヒミカさんに問いかける彼の目は非常に温かく、優しいものだった。言葉遣いもまったく違う。
最初は警戒していたヒミカさんも僕とジェミノス皇子のやりとりを聞いて危険はないと判断しているようだ。
「ちょっとっ! 殿下! その差はなんですかっ!」
「あ・ほ・か? 男の魔族は敵対するかどうかは関係なく悪だ。女性の魔族は善であり、美だ。異論は認めない。あと殿下って呼ぶなっ。さっきも言っただろうが!」
「じゃあ、殿?」
「殿下も殿もバカっぽく聞こえるだろうがっ!」
わかる。
だからわざわざ殿下と呼んでいるのだ。
「アルクさん、悪だったんですか」
「……ヒミカさん、この人に合わせなくてもいいです」
「ヒミカさん。妹を救うべく、あなたのお連れ様を少しお借りしてもよろしいでしょうか」
「ええ。結構ですわ。それに私もご一緒するつもりですし」
「おぉ。それはなんと心強い。心より感謝いたします。あなたの助力が得られれば妹の救出は成功したも同然」
「まあ、お上手ですのね」
……何、この人。
ちょっとヒミカさんになれなれしいぞ。
ムッとした顔をしていると、ヒミカさんが僕に顔を向けてきた。
んー、なんでそんなに嬉しそうな顔をしているんですかね。
「よし、さっそくビアンカを助けに行くぞ。で、どうやって行くつもりだ?」
「こうやってですよ、殿下。『執事ゲート』っ!」
「おいおいおい。これなんだよ。あと、そのありえない魔力量はなんだ! さては魔力を抑えていやがったな! 抑えていてあの魔力量かよっ! チートかっ! チートだなっ!」
空間に現れた真っ黒なゲートを見て一歩下がるジェミノス皇子。
魔法を使った際に、一瞬だけ解放した魔力を感知したらしい。
口は悪いけど本当に感覚は鋭いな、この人。
「何って、『執事ゲート』ですよ。魔族の魔力はこんなもんです」
「ふざけてるな、魔族。想像よりすげぇわ。ちょっと魔族のこと教えてくれよ」
「はいはい、あとで、あとで! それと殿下が持ってる剣ですが、名前を言ってはいけない超有名SF作品に出てくる騎士が持っている武器ですよね。素晴らしい再現力ですが、ちゃんと一から自分で部品を調達しましたか? そもそもここにフォースなんて存在していないでしょうが」
「はぁ!? まてまてまてまてっ! 何でお前がこの武器のことを知っているんだ!」
「それもあとで! こっちもあなたが家出前に作っていた魔道具について、色々聞きたいのを我慢しているんですから! ほら、さっさと入るっ! 早くしないと『あなたが描いたイラスト』を妹に見せますよ?」
「はぁっ!? なぜお前がアレを知っている!?」
最後の言葉にうろたえた様子を見せたジェミノス皇子。
彼はしばらく考え込んだあと、意を決したように大きなため息をついた。
「……ふぅ、わかった。さっさと行こう。だが、ひとつだけいいか」
「なんですか?」
「――フォースと共――」
「はい! アウト!」
僕はそう言うと、皇子の尻を蹴り、『執事ゲート』の中に放り込んだ。
◆
――時はブラン隊長と約束をしたあとに戻る。
あれから一時間が経った。
約束の時間、約束の場所。
アッテンドリア帝国の城内にあるジェミノス第二皇子の部屋に突然、真っ黒な空間が現れた。
その中から出てきたのは一人の魔族。
そう、僕である。
『執事ゲート』をくぐり抜けた僕の前にはトリバス皇子のほか、ブラン隊長と侍女のルアンナさんが立っていた。ほかには誰の気配もない。
皆、驚愕の表情を浮かべながら、僕と開いたままの『執事ゲート』を交互に見ている。
「お集まりいただいたようで何よりです」
「そ、その黒い物体はなんだい! 魔族の特殊能力か何かかな?」
僕が魔族であることを知っていたトリバス皇子たち。
もう隠すつもりはないようだ。
「あとで説明しますよ」
「アルクくん。ビアンカ皇女はご無事なのか!」
敬称付きで僕の名を呼んだブラン隊長は眉をひそめていた。
ビアンカ皇女たちを連れてくると言いながら、僕一人しかいないのだから、当然の反応だ。
「今から連れてきます。安全確認もできましたし」
「一人で来たのは、それが理由か」
ブラン隊長は苦笑いを浮かべたが、警戒するのに越したことはない。
トリバス皇子やブラン隊長を疑ったわけじゃない。
だが、『執事ゲート』で開いた先は、どうなっているのかわからないのだ。
最悪、トリバス皇子たちが捕らえられ、ウリナムス皇子たちが待ち構えている可能性だってあった。
僕は再び『執事ゲート』に入り、すぐに戻る。
後ろにはビアンカ皇女とジュリアさん、それに家出中の一人の男、それとヒミカさんが続いている。
「トリバスにいさまぁ!」
『執事ゲート』から飛び出したビアンカ皇女はトリバス皇子の姿を見つけると、跳ねるように駆け出した。
「ビアンカッ! ごふっ」
駆け寄るビアンカ皇女を受け止めようと、しゃがもうとしたトリバス皇子の腹に彼女の頭が勢いよく刺さる。だが、皇子はなんとか耐えた。トリバス皇子はビアンカ皇女の小さな身体を優しく抱き、彼女の無事を喜んでいた。
隣を見れば、ジュリアさんもルアンナさんと涙ながらに抱き合っている。
ジュリアさんはルアンナさんから離れると、トリバス皇子に向かって跪く。そしてビアンカ皇女を危険な目に合わせてしまった自分を罰するよう進言した。だが、トリバス皇子は優しい笑みを浮かべ、首を横に振る。
二人に怪我はない。
チョールー侯爵は思いのほか二人を丁重に扱っていたが、念のため、ヒミカさんには回復魔法をかけてもらっている。
再会を果たしたトリバス皇子たちは僕たちに向き直り、頭を下げて、礼を言った。
「アルクくん、なんとお礼を言えばいいのか。ビアンカとジュリアを助けてくれて本当にありがとう」
「いえ。気になさらないでください」
「にいさま まぞくのくに すごいの! よーせいさんがいたの! せーれいさんがいたの! おともだちもできたの! すっごいの!」
「なんだって! ビアンカたちは魔族の国に行っていたと?」
「僕は『執事魔法』が使えますからね。先ほどの『執事ゲート』もそうです」
「「「……???」」」
なぜ皆そろって首をひねっているんですかね?
何その、何を言っているんだコイツみたいな顔。
「……わかりやすく説明しますと、先ほどの黒い物体は空間魔法の『ゲート』に類似した魔法によるものです。空間同士を繋げ、どのような距離でも転移することができます。その魔法を使い、ビアンカ様たちを魔王国にお連れしました」
ヒミカさん、なぜそんな説明をするんです?
それに、わかりやすくってどういう意味なんですか?
「おぉぉ! 先ほどの黒い物体は空間魔法だったのか! なるほど。これで地下牢から脱出したことやこの部屋に突然現れた理由がわかった。さすがは魔族というべきか」
さっき言いましたよね。
もしかしてバカにされてるの?
あとヒミカさん。
トリバス皇子に向かって、私はそんな魔族じゃありません的な目で首を横に振っているのはなぜでしょうか。
「ところで、そちらの女性は?」
ヒミカさんを見てトリバス皇子が尋ねてくる。
「こちらは魔王国の巫女ヒミカ=アルティコ伯爵令嬢にございます」
「魔王国の巫女っ!」
「魔族の伯爵令嬢だって!」
「彼女は神聖魔法の使い手でもあります。今回はビアンカ皇女救出に『も』協力いただきました」
「なんと! ビアンカのために伯爵令嬢である巫女殿まで。妹を助け出してくださったこと、改めて心より感謝いたします」
「ビアンカ様が無事で何よりにございます。これも殿下のビアンカ様を思う心が神に通じたに違いありません」
トリバス皇子はヒミカさんに改めてお礼を言ったあと、僕の方をちらりと見る。
「魔族のことはよくわかっていないのだが、伯爵家のご令嬢であり、神の巫女である彼女を連れだすことのできるキミはいったい何者なんだい? ブランから聞いているが、ただの執事、それも見習いにできることじゃないだろう?」
なんて答えよう。
知り合いだから? 友人だから?
それとも――。
答えに窮していると、トリバス皇子の目が後ろでそっぽを向く男に向けられた。同時にトリバス皇子の目が大きく開かれる。
「ジェミノス兄上!」
「ジェミノス殿下だって!?」
思いもよらない再開にトリバス皇子とブラン隊長の声が響く。
口元に手を置いたルアンナさんは驚きのあまり、声もでないようだ。
今さら気づいたのかと言いたいところだが、ジェミノス皇子はここに来てからというもの、ずっと気配を消していたのだ。
「お、おう。三年ぶりだな、トリバス。それにブランとルアンナも」
「なぜここに兄上が? なぜアルクくんと!?」
「いや、まあ、その、なんだ。話せば長くなるんだが」
◆
ジェミノス皇子の話をまとめるとこうだ。
アッテンドリア帝国を家出したジェミノス第二皇子はスミール王国の王都スミールにたどり着く。そこでジェイミーと名乗り、魔道具士として様々な魔道具を作り始めた。
僕は、たまたま店で彼の作った魔道具を手に入れる。
その魔道具を作った魔道具士がジェミノス皇子だと気づいたのは、この城で見せてもらった第二皇子の描いた『あの絵』がきっかけだった。絵はクレープ屋の看板に描かれているものと酷似していたのだ。
第二皇子の居場所に気づいた僕は、ビアンカ皇女たちをチョールー侯爵のもとから助け出さないかと彼に声をかけた、というわけだ。
まあ、だいたいこんな感じになる。
その後、ビアンカ皇女とジュリアさんを助けたあとのことを皆に説明した。
ビアンカ皇女は兄であるジェミノス皇子に会ったことがないと聞いていたが、どういうわけか自分の兄だとすぐに認識した。
助け出したときも、「お兄様ぁぁぁぁ」と真っ先に抱きついていたくらいだ。
彼に何か感じるものがあったのだろう。
そのときの彼は到底、人に見せられない顔をしていたが黙っておく。
助けた二人は不安と慣れない環境に疲弊しており、休息が必要だと感じられた。
そこでジェミノス第二皇子とともに魔王国にあるミストファング侯爵家に連れて行き、しばらく休んでもらうことにしたのだ。
もちろん奥様とお嬢様の許可を得たあとで。
助けたビアンカ皇女とジュリアさん、そしてジェミノス第二皇子の三人は朝早かったこともあり、食事をしていなかった。
すると奥様の招きもあり、急遽、朝食会が催されることとなった。
魔王国の料理はジェミノス皇子とビアンカ皇女の口にも合ったようで、ビアンカ皇女はすぐに元気を取り戻す。
侍女のジュリアさんだけはビアンカ皇女たちの食事が終わるまで、食事をとろうとせず、イーラさんたちに混ざって給仕を手伝っていた。そのことがきっかけでイーラさんやラミさんと打ち解けたようだ。
種族が違っていても侍女同士通じる者があったらしい。
僕やお嬢様たちが魔族であることを知っても、ビアンカ皇女とジュリアさんが気にした様子はない。
ジュリアさんに魔族が怖くないのか尋ねると、ビアンカ皇女が怖がっていないのだから、彼女の侍女である自分が怖がってどうするのと言われてしまった。
ジェミノス皇子は魔族についていろいろ聞きたがった。
挙げ句に侍女服姿のイーラさんやメイド服姿のラミさんを見て、スケッチブックをどこからともなく取り出し、何やら描き始める始末。
「本物でござる、本物でござる」と興奮する様子に手元をのぞき込んだ僕は、彼の右肩をがっしりとつかんだ。肩に食い込む指先にジェミノス皇子はぷるぷると震えていたが、やめさせることに成功した。
……まったく。
何を描こうとしていた、何を?
そんなふざけた男なのだが、ヒミカさんのとき同様、奥様やお嬢様の前ではアッテンドリア帝国の皇子として振る舞っていやがった。
それが妙に様になっているから腹立たしい。
スケッチブックを持たず、黙っていれば見た目だけは皇子なのだ。
『腐っても鯛』という便利な言葉を思い出す。
お嬢様は同じ年頃のビアンカ皇女とすぐに仲良くなられた。
むしろビアンカ皇女がお嬢様になついたというべきか。
会ったばかりだというのに、兄のジェミノス皇子と同じくくらい安心しきっている。
さすがはお嬢様。
これもお嬢様の魅力のなせる技に違いない。
その後、ヨヨさんが来てからは三人で大はしゃぎだ。
初めて会う妖精にビアンカ皇女は目をキラキラさせながら大喜びだ。
初めて会う妖精にジェミノス皇子は目をキラキラさせながら、またスケッチブックを取り出した。
同じキラキラでもどうしてここまで純粋度が違うのだろうか。
いい加減、何度も注意するのが面倒くさいのでスケッチブックは没シュートしておいた。
それにしても小さな子が仲良くなるのは本当に早い。
年齢的にも身体の大きさ的にも。
彼の視線に気づいたビアンカ皇女が、「ジェミノスにいさま~」と手を振る姿を見れば、彼になついているのは一目瞭然だ。
ビアンカ皇女に手を振り替えし、デレデレしているジェミノス第二皇子の気持ち悪さも一目瞭然だ。
デレデレどころかデロデロになりかけながら、「これが兄妹愛だ」と相好を崩している。そんな兄妹愛とやらを試すため、ビアンカ皇女に彼の描いた絵を見せようとしたら、隙を突かれ、没シュートしたスケッチブックを奪い返された。
妹に見せられない絵だという自覚はあるらしい。
すでに匂わせていたが、ジェミノス皇子には僕が転生者であることを改めて打ち明けている。
そのほうが信用してもらうのに早いと思ったからだ。
実際、すぐに打ち解けたし、短い時間だったが超有名SF映画の話は盛り上がった。
そのあと帝国人三名を侯爵家に残し、ヒミカさんと一緒にアッテンドリア帝国の帝都に戻った。
彼女にはビアンカ皇女救出以外に『も』手伝ってもらいたいことがあった。
さっそく目的の場所に向こうとすると、見張っていたセルヴァから連絡が入る。
どうやら今は人が集まっており、時間をずらしたほうがいいとのこと。
それならばと、まずは帝都で扱っている食材や物価などの市場調査を行うことにした。使い魔たちに探らせているが自分の目でも確認しておきたかったし、時間を潰すのにちょうどいい。
朝早くから開店していたパン屋で、ヒミカさんと一緒に菓子パンを買い、食べ歩きをしながら市場を見学する。
ヒミカさんも楽しそうだ。
市場では、いくつか新しい食材を発見した。
ハクサイ、パプリカ、フキノトウ、エシャロット、グリンピースなどだ。
また海に囲まれている帝国らしく、これまで手に入れている魚以外に、リヴァイアサンの幼魚ではない正真正銘のサンマやカマス、それにシラスが見つかった。
特に、体に色素がない白い稚魚の総称であるシラスは骨を気にせず食べられるため、お嬢様の食事にぴったりの食材だ。
『アイテムボックス』持ちの商人が港から運んでくる新鮮なシラスは、値段も高かったが質は申し分なかった。それに港町を重点的に調べればもっと安価に手に入るだろうし、もっと多くの海産物が見つかるだろう。
「アルク様。今なら問題ありません」
「わかった」
市場を一通り見終わったタイミングで、セルヴァから問題ないとの連絡が入る。
わずかな時間であったが、楽しい時間だった。
また一緒に食材探しをすることを約束した僕たちは、さっさと用事を終わらせるため、目的の場所へと移動することにした。
途中で合流したセルヴァがにやけていたが、デートではない。
ヒミカさんのおかげもあり、その用事はすぐに終わった。
お礼を伝えた僕は一旦、彼女を侯爵家に送り届ける。
あちこち連れ回してしまったが、満面の笑みで、「楽しかったです」と言ってくれたのでよしとしよう。
彼女には今度、今日のお礼を贈ろうと思う。
言っておくがプレゼントではない。
あくまでお礼である。
ヒミカさんを送ったあと、すべての用事を終わらせた僕は地下牢に戻った。
いずれトリバス皇子側から接触してくるだろうと考えて。
そして僕が思ったとおり、ブラン隊長がやってきた、というわけだ。
助け出したビアンカ皇女たちと一時間後に会わせると言ったのは、お嬢様とビアンカ皇女の友誼を邪魔されたくなかったことと、ジェミノス皇子との時間を作ってあげたかったのが理由。
あんな兄であっても、彼女にとってはずっと会いたかった敬愛する兄である。
何よりヒミカさんに手伝ってもらった件で、少し時間を必要としていたということもある。
黙ったまま、僕の話を聞いていたトリバス皇子たち。
最後に、チョールー侯爵にビアンカ皇女誘拐を持ちかけてきたのは、予想通りウリナムス第一皇子だったことを明かした。
そのチョールー侯爵は現在、自分の屋敷で大人しくしている。
トリバス皇子たちは彼の逃亡を心配したが、大丈夫と答えておいた。
むしろ逃げ出すことができたらすごいと思う。
僕の浮かべた満面の笑みを見て、トリバス皇子たちは僕を信じると言ってくれた。
彼らの顔が引きつっていたのは気のせいだろう。
「ブランからの報告は聞いていたが、ウリナムス兄がね。可能性としては考えていたが……」
ブラン隊長にはウリナムスがビアンカ皇女誘拐に関わっていると話しておいたが、トリバス皇子はそういう可能性もあると考えていたようだ。
ただその表情を見る限り、まさかという思いのほうが強いように感じた。
「ただな、トリバス。ウリナムスの野郎がビアンカの誘拐に関わっていたという証拠は、チョールー侯爵の自白しかない。ほかに証拠は見つからなかった。それに、あのクソ野郎がこんな大それたことをするかというと正直、疑問だ」
「私も戸惑っていますよ。声が大きいだけで実際に行動に移すような覚悟があるとは思わなかったですから」
ジェミノス皇子とトリバス皇子の二人はウリナムスの起こした行動に懐疑的らしい。
「お二人はどうしてそう思うんです?」
「ウリナムスってのはな。おぼれた者を棒で叩くような臆病で、姑息で、卑怯なやつなんだよ。そんな小物の塊みたいなやつが、誘拐など大それたことをやらかしたことが気になるんだ。あの野郎にそんな勇気はない」
「アルクくんを捕らえたときもそうだ。わざわざ本人が姿を見せたのも、おかしいんだよ。騎士を矢面にして自分は影でほくそ笑むのがあの兄だからね」
「しかも、被害者意識が異常なほど強い。あと、軽い気持ちで謝ると一生それをネタにタカるような人間なんだ。しかも自分が窮地に陥ると急に媚びを売り始める」
話を聞いていると、ウリナムスのクズっぷりがこれでもかと伝わってくる。
「そういえば兄の態度が大きくなったのはザルクリフが来てからだね」
「ザルクリフ? 誰だ、そりゃ」
「ああ、兄上は知らないはずだ。ザルクリフがこの城に来たのは数ヶ月前かな。ウリナムスがどこからか連れてきたんだ。魔法の腕も確かだし、要領がいいのかいつの間にか兄に取り入っていた」
「怪しいな、ソレ」
そりゃあ、怪しいでしょうね。
僕もそう思っていますから。
なにしろそのザルクリフは人族ではない。
まあ、でも『ソレ』はすでに問題ない。
すると、外から騒がしい音が聞こえてきた。
この部屋に向かって近づく気配がいくつもある。
やがて部屋の扉が勢いよく開かれた。
騎士たちが足下を見てるのは、何か痛い目にあった覚えがあるからだろう。
その騎士の間から、先頭に出てきたのはウリナムス。
騎士たちの手は剣の柄に置かれており、いつでも抜ける状態だ。
ローテーブルこそないが、つい最近、見た光景である。
「見たぞぉ、見たぞぉ! 脱走者アルク。トリバスとずいぶん親しいようだなぁ~」
ウリナムスはねっとりとした笑みを浮かべながら、僕を指差す。
あー、そういえば脱走していたんだった。
「皇族を誘拐しただけでは飽き足らず、脱獄を謀るとは言語道断。トリバスよ! そのような極悪人と結託し、ビアンカを誘拐した罪は明白。断じて許さ――はあぁぁんっ!? ビアンカっ!? なぜここにっ!」
ウリナムスはようやく気づいたようだ。
トリバス皇子の後ろに隠れるにして、冷たい視線をぶつけるビアンカ皇女に。
連れてきた騎士たちの間に安堵の声が漏れる。
同時にトリバス皇子が僕と結託していたという言葉に動揺する声も聞こえた。
騎士たちの反応からすると、彼らは何も聞かされていないことがわかる。
「ウリナムス殿下。あなたがチョールー侯爵と共謀してビアンカ皇女とジュリアさんを誘拐したことはわかっている。侯爵が全部、吐いたよ」
「兄よ。ここにいるアルクはさらわれたビアンカを助け出してくれた英雄だ」
「んなっ!?」
そう指摘するとウリナムスはあからさまに動揺した。
周りの騎士たちは僕とトリバス皇子の言葉に困惑気味だ。
ウリナムスとトリバス皇子、どちらの言葉が正しいのか悩んでいる。
「ぐぬぬ。騙されるなっ! 騎士たちよ! 正義はこちらにあるっ!」
「なーにが正義だよ。正義って言えば、誰もが味方してくれると思ったら大間違いさ。あなたは僕がビアンカ皇女をさらったっていうけど、証拠を示せるのかい? いい加減、すぐバレるような捏造やめたら?」
「だ、黙れ、黙れ! それを言うなら貴様だってチョールー侯爵が自白したという証拠がないではないか!」
ウリナムスは顔を真っ赤にさせ、つばを飛ばしながら逆切れしたように声を荒げる。
「やれやれ。本当に諦めが悪いなぁ。――サルガタナス!」
「はっ。これでようやく私の役目は終わりですね。どうかご武運を。次はパーティーでお会いしましょう」
サルガタナスの声が僕だけに届く。
こちらの世界で活動するのに制限がある彼は姿を見せることなく、その能力だけを貸してくれた。これで彼の無料奉仕は終了である。
そのとき、僕とウリナムスの間に一人の男が現れた。
顔は真っ青に染まり、力なく座り込んでいる。
「なっ! チョールー侯爵!?」
男の姿を見た騎士たちから、驚きの声が上がる。
今、僕たちの目の前にはサルガタナスの能力によって、転移してきたチョールー侯爵の姿があった。
この部屋にいる者たち同様、いきなり転移させられてきた侯爵は何が起こっているのかわからないようだ。ガタガタと震えており、血の気のない蒼白の顔で辺りを見回している。
やがて僕とウリナムスの姿を見つけたチョールー侯爵は、ウリナムスを指差してこう言った。
「ウリナムス殿下の甘言に乗り、ビアンカ皇女をさらうよう言われた私は間違っていた! 殿下は手を出してはならないモノに手を出したのだっ! だから、だから、もうこれ以上、やめてくれ! あのような恐ろしい目に合うのはこりごりだっ! 約束どおり私は嘘偽りなく真実を話したぞ! アルク殿ぉ!」
ウリナムスの罪を白状したあと、チョールー侯爵はすがりつくように僕の前にひれ伏した。
チョールー侯爵を捕まえたあと、サルガタナスには無料奉仕として彼を見張らせておいた。ついでにちょっとだけ脅すよう言ってある。
でもサルガタナスのやつ、何をしたんだ?
いずれにせよ、よほど怖かったらしい。
(サルガタナス殿が呼び出した中級、下級悪魔の中に放り込まれたようです)
念話で解説をしてくれたのはセルヴァだ。
ただの人族にとって、悪魔に囲まれるなど恐怖でしかない。
ふと気づけば、この場にいる皆の目が僕に向けられてた。
全員、「何をしたんだ」と言わんばかりの顔で僕を見ている。
僕は何もしていない。やったのはサルガタナスである。
「チョールー侯爵の自白は聞いての通りさ。悪いのは誘拐を企て、僕に罪をなすりつけようとしたウリナムス殿下、あなただ。そもそも妹思いのトリバス殿下がビアンカ皇女に危害を加えるわけがないじゃないか」
後ろに目を向ければトリバス皇子の服をぎゅっと握っているビアンカ皇女の姿があった。トリバス皇子も彼女を守るようにして立っている。
兄を頼る妹と妹を守る兄の姿がそこにあった。
もはや誰が見ても、仲の良い兄妹である。
「アルクは びあんかのともだち。わたしたちに ひどいことをした うりなむす なんか だいきらい!」
もともと兄と思われていないのか、呼び捨てで呼ばれるウリナムス。
思いっきり嫌われているようだ。
そんな彼の顔は真っ赤に染まった。
「ええい! ガキの戯言など耳に入れるな! 貴様ら極悪人アルクをただちに処刑せよ!」
騎士たちから返事はない。
ウリナムスの命令だけがむなしく響く。
騎士たちはすでに剣から手を離しており、動く様子はなかった。
皆、ビアンカ皇女の言葉に嘘がないことがわかっているのだ。
「殿下……」
神妙な顔をした隊長らしき騎士が声をかける。
だが、ウリナムスはその隊長を突き飛ばし、自分の剣を抜いた。
「ええい! だまれっ! 第一皇子であるこの私の命が聞けぬとは何事だ! ならばこの私、自ら極悪人を処刑してくれるわ」
はあ、やれやれ。
逆切れにしても程があるだろうに。
もうセルヴァの言ってたとおり、殺しちゃってもいいんじゃないかな?
殺っちゃっていい?
そんな目をトリバス皇子に向けると、彼は焦ったように首を横に振った。
あー、だめなのかー。
面倒くさいなぁ。
ウリナムスは手にした剣を僕に向かって振り下ろす。
ゆっくりと向かっている剣先を見ながら、僕は素手でその刃を握った。
「はぁっ!?」
「なんと!」
ウリナムスと騎士たちが驚きの声を上げた。
「こんなへなちょこの剣。避けるまでもない」
「ば、ばかな!」
「何言ってんの? この程度、誰にでもできるでしょ」
素手で刃をつかんだ僕を見て、ウリナムスの顔は引きつっていた。
種明かしをすると手のひらに『執事コンテナ』で結界を張って、受け止めている。
後ろから小さく、「できるかっ!」とツッコみが入ったが、今のはジェミノスの声だ。彼は僕たちの後ろで気配を消しつつ、隠れている。いつでもビアンカ皇女を守れる位置にいるのは、さすが過剰な妹思いである。
しかし隠れるのがうまいな、あの皇子。
さすがはひきこもりである。
「ええい、離せ! 離さぬか! 私はこの国の皇子だぞ! たかが冒険者風情が逆らっていい相手ではないのだ!」
暴れるウリナムス。
だが、僕が握った剣は動かない。
そのうち剣の柄から手をすべらせたウリナムスは勢いよく床に尻餅をついた。
思いっきり強打したらしく、声も出せないようだ。
彼は尻を押えて悶えている。
その間に意図せず奪った彼の剣はとりあえず、『執事ボックス』に放り込んでおいた。
ようやく声が出るようになった彼が放ったのは、「謝罪と賠償を要求するっ!」だった。それしか言えないのか、このクズ皇子。
そのとき、部屋に迫力のある声が響く。
「いい加減にせよっ! ウリナムス!」
「げぇっ! なぜここに!」
皆が声の主に目を向けた瞬間、僕とヒミカさん、そしてウリナムス以外の全員がその場で跪いた。
名を呼ばれ、尻をさするウリナムスは目の前の人物を前に驚きの表情を浮かべている。
先ほどの勢いはどこへやら。
真っ赤だった顔を一瞬で青くさせ、立ったままカタカタと震えていた。
そんなウリナムスに冷たい視線をぶつけると、その人物は不機嫌そうに声をかけた。
「なぜ、だと? ビアンカの様子を見に来たに決まっておろう。それで貴様はいつまで余の前で立ち呆けておるのだ」
その声に慌てたウリナムスは崩れるようにして、その場に跪く。
部屋の前に立つ人物の眼光は鋭く、やせこけた顔に長い髭を蓄えていた。姿勢よく立つ姿はまさに巨木のような迫力と威厳がある。
この人物こそ、アッテンドリア帝国の皇帝陛下、その人だ。
皇帝はその鋭い視線で僕たちの顔を見回した。
彼はブラン隊長のような立派な鎧を身につけた者たちを従えている。その数、九人。彼らこそブラン隊長と同じ、皇族近衛騎士隊の隊長たちだ。九人の中には女性エルフと一際身体の大きい黒虎族の男性が一人。ほかにも人族の女性が二人いた。
ほかにも隊長たちの後ろに侍従数人と皇帝専属の医師たちの姿があった。
皇帝を前に立ったままの僕とヒミカさんを見た隊長の一人が何か言おうとしてきたが、皇帝自らその騎士を制した。
するとトリバス皇子が顔を上げる。
「陛下。お身体の具合はよろしいのですか!」
真っ先に皇帝の体調を案じたトリバス皇子に、皇帝は一瞬だけ嬉しそうな笑みを浮かべる。皇子に向かってうなずいた皇帝は己の健在ぶりを示すように声を張り上げた。
「皆の者、よく聞くがよい。余の病は完治した。皆には心配をかけたな」
「「「おおぉ」」」
皇帝の声には病に伏せていたとは思えない力強さがあった。
その宣言にトリバス皇子やビアンカ皇女はホッとした顔を浮かべ、騎士たちは嬉しそうな声を上げる。
アッテンドリア帝国の関係者で声を上げていないのは震えているウリナムスと完全に気配を消した上で、いつの間にかテーブルの下に隠れることに成功したジェミノス皇子だけだ。
いつでも暗殺者に転職できそうな隠蔽術である。
それにしてもいつまで隠れているんだ、あの男。
「家臣一同、陛下のご快癒、心よりお祝い申し上げます!」
「「「アッテンドリア王国陛下、万歳! 皇帝陛下万歳!」」」
次々と皇帝の回復を祝う声が上がる。
それらの声はご機嫌取りや白々しいものではない。
心から皇帝の回復を祝うものだ。
「これもすべて、そこにいるヒミカ殿とアルク殿のおかげだ」
「「「えぇ!?」」」
僕とヒミカさんに目を向けながら発せられた皇帝の言葉に驚きの声が上がる。
「しかもアルク殿はさらわれた余の娘ビアンカを助け出してくれたそうだ」
皇帝の発言はウリナムスの言い分をすべて否定するものだ。
当の本人はビクッと身体を揺らしたが、顔を伏せたまま動かない。
「それだけでない。余に毒と呪いをもたらした不孝者と賊まであぶり出してくれたわ」
「毒と呪いだって!」
「なんですとっ!」
皇帝は怒りを込めた声で、毒と呪いが原因で伏せっていたことを明かす。
その鋭い視線はウリナムス皇子に注がれている。
「アルクくん。これはいったいどういうことだい?」
トリバス皇子の問いかけに皆、僕の言葉を黙ったまま待っている。
皇帝に目を向けると、彼は小さく首肯した。
皇帝の許可が出たため、僕は皇帝の病を治したときのことを話す。
これはビアンカ皇女を救出後、帝都で市場調査をしたあとの話だ。
◆
ようやく誰もいなくなったとセルヴァから連絡が入ったあと、僕とヒミカさんは皇帝の居住区に忍び込んだ。
理由は皇帝の病の症状を知るためと、状況によってはエリクサーを飲んでもらうためだ。
このエリクサーこそオフェリアさんにお願いしたもののひとつ。
部屋を見つけた僕たちは、さっそく意識のない皇帝を診察する。その結果、病だと思っていたものが特殊な毒であることと、呪いがかけられていたことを知った。
その症状は重く、一刻も早く治療しないと手遅れになることもわかった。
そこで強引ではあるが、すぐに治療を施すことにしたのだ。
特殊な毒というのはザールクリフの研究所で研究されていた痕跡の残らない毒だった。この薬は病のようにゆっくりと身体を蝕んでいくという恐ろしいものだった。しかも、呪いと複雑に絡みあっており、解毒魔法や解毒薬が極端に効きづらくなっていた。
問題なく治療できたのは、エリクサーの効力とヒミカさんの神聖魔法のおかげである。
目を覚ました皇帝陛下に病の原因が毒と呪いであったことと、この毒がどこで、どのような経緯で作られていたかを説明する。
またセルヴァにザルクリフの部屋を調べさせ、同じものを発見していた。
この毒はヤツが持ち込んだもので間違いない。
さらわれたビアンカ皇女を助け出したことも報告しておいた。
ビアンカ皇女が誘拐されたと伝えても皇帝は無言だったが、彼女が無事であることがわかると、ホッとした表情を見せていた。
皇帝に毒を盛り、ビアンカ皇女の誘拐をそそのかした犯人。
それはザルクリフであり、ウリナムスである。
そのことを告げると、皇帝はしばらく無言になり、口を開いたときにはただ一言、「わかった」とだけつぶやいた。
そのときになって、ようやく部屋に近づいてくる気配があった。
それも複数。
皇帝の居住区に結界があることはセルヴァから聞いていたが、恐らく警報もあったのだろう。
慌てて部屋に入ってきたのは侍従と専属医たち。
彼らは僕たちの姿を確認すると、すぐさま騎士を呼ぼうとした。
だが、それを皇帝自ら押しとどめる。
そして皇帝は僕とヒミカさんを恩人として扱うよう命じたのだ。
侍従や医師らにはその場で僕たちが魔族であることを明かしている。
大きな混乱と動揺、そして恐怖が部屋中に満ちあふれたが、平然としている皇帝の一喝により、全員が落ち着きを取り戻した。
魔族であろうと、僕たちが皇帝を治療し、ビアンカ皇女を助けたことに変わりはない。
突然の魔族宣言にも冷静さを保ち、堂々たる姿を崩さない皇帝に僕は好ましいものを感じたものだ。
皆に説明が終わったあと、僕は皇帝にあるお願いを持ちかけた。
持ちかけておいてなんだが、今を思えば皇帝の部屋に侵入し、頼んでもいないのに病を治療した怪しい魔族二人組に対し、よく『許可』を出したものだ。
ただ、『許可』を出す前、皇帝が確認してきたことがある。
それは助け出したビアンカ皇女と話をしたか、というものだった。
意味はわからなかったが、彼女になつかれたことや助けたときに持っていたお菓子をあげたこと、そして友人になったことを話す。
すると皇帝は面白そうな目で僕を見たあと、『許可』を出した。
『許可』をもらった僕たちはビアンカ皇女を第二皇子の部屋に連れてくることを約束してから、皇帝の部屋から立ち去ったというわけだ。
◆
「――というわけです」
「アルクくん。キミはこの短い時間の間にビアンカを助け、陛下の病を治療し、この陰謀を明るみにしたというのか」
トリバス皇子の質問に僕は答える。
「ヒミカさんがいましたし、僕には優秀な部下がいますからね」
セルヴァたち悪魔の使い魔のことは伏せておくが、彼らがいてこその結果である。
「ほかにもお話ししたことがあったのですが、陛下は病み上がりでお疲れのご様子でした。そこで僕はヒミカさんを魔王国に送ったあと、陛下の体調がある程度回復するまで放り込まれていた地下牢に戻ったというわけです」
ブラン隊長に一時間後と言ったのは、お嬢様とビアンカ皇女の交流や兄妹が触れ合う時間を作っただけではない。
皇帝が回復するために必要な時間でもあったのだ。
ただ、皇帝にはビアンカ皇女を連れてくる時間は伝えてなかった。
だが、いいタイミングで来てくれた。
地下牢という言葉を聞いたとき、皇帝の眉がぴくりと動く。
皇帝を治療したとき、ビアンカ皇女を助けたことは説明したが、ウリナムス皇子に捕まり、地下牢に放り込まれたことは『わざと』言わなかった。
「余も病から回復したばかりでゆっくりと話すことができなかった。それに何の目的があって治療してくれたのか理由も聞いておらぬ。内密の話でないのならば今ここで、ほかの話とやらも聞こうではないか」
「お身体の具合はよろしいのですか?」
「かまわぬ」
力強い皇帝の言葉に、跪いていた者たちが一斉に立ち上がり、左右へと分かれた。ブラン隊長を含む騎士隊長たちは左右に五人ずつ並び、皇帝と僕の間に道を作る。少しでも変な真似をしたら、左右から剣が振り下ろされるのだろう。
臨時とはいえ、謁見の場が整ったことになる。
僕は皇帝の前まで恭しく進むと、そこで初めて跪いた。
跪くと言っても儀礼上のもので、敬意を示しているだけのもの。
とはいえ、これまで皇帝を前にしても立ったままだった僕が突然、膝をついたことで皆がざわめき出した。
皇帝自身も怪訝そうに眉をひそめている。
「まずは偉大なるアッテンドリア帝国バーレンス=アッテンドリア皇帝陛下のご快癒を心よりお喜び申し上げます。合わせて皇帝陛下に申し上げます。魔族の国、オノゴルト魔王国が国王、ロンメル=オノゴルト魔王陛下より貴国への親書を預かっております。申し遅れましたが私、オノゴルト魔王国外交官アルクと申します」
エリクサー同様、この親書もオフェリアさん経由でお願いしたものである。
「魔族だってっ!?」
「魔族の国からの親書だと!」
「外交官!? アルク殿がっ!」
僕が魔族であること。
魔王国の外交官であること。
それらを聞いた彼らの間に動揺が走った。
僕が魔族であることを知らなかったウリナムスや騎士たちだけでなく、僕が魔族であると知っていたトリバス皇子からも驚きの声が上がっている。まあ、こちらは外交官という立場に驚いているだけだろう。
左右に立つ騎士たちはブラン隊長とエルフの女性騎士以外、魔族だと言った瞬間、剣に手をかけていた。その騎士たちからは並ならぬ緊張感が伝わってくる。
反面、すでに僕が魔族だと知っている侍従と専属医たちは落ち着いていた。
ただ彼らもトリバス皇子同様、外交官と聞いて少しばかり驚いているようだ。
皇帝の部屋で彼らに魔族だと明かしたとき、外交官であることを明かさなかった。
これも『わざと』言わなかった。
皇帝陛下はビアンカ皇女の話をしたあと、僕が外交官とは知らず、身分も役職もないただの魔族に『許可』を出したのだ。
剛胆というか、恐れ知らずというか、皇帝の胆力には恐れ入る。
彼らのざわめきと緊張感は皇帝陛下が軽く手を上げたことで、一瞬のうちに消え去った。唯一、動揺した様子のない皇帝の姿に家臣たちは皆、尊敬の眼差しを向けていた。
すでに魔族だと明かしていたとはいえ、その姿は堂々たるものだ。
僕が差し出した魔王国の親書を騎士隊長の一人が受け取ると、すぐに皇帝陛下へと手渡した。皇帝陛下は目を通したあと、手にした親書を侍従へと渡す。
「アルク殿。ロンメル魔王陛下からの親書、確かに受け取った。アッテンドリア帝国はオノゴルト魔王国との交流に向けて、交渉のテーブルにつくことを約束しよう」
皇帝の宣言に周りの者から様々な声が上がる。
その多くが動揺と驚きであることは間違いない。
なんといっても僕たちは魔族だ。
タイゲン王国ほどではないとはいえ、不安は大きいに違いない。
「ありがとうございます。スミール王国やタイゲン王国ら人族の国に加え、アッテンドリア帝国との交流が無事結ばれるよう、私も一人の魔族として心より期待しております」
言ってからトリバス皇子を見ると苦笑する彼と目が合った。
彼には僕がスミール王国の出身だと偽ったときも、似たようなことを言っている。そのことを彼も思い出したのだろう。
魔族と交流している人族の国がすでにあることを明かした。
不安そうな彼らにも伝わっただろう。
この発言も驚きを持って迎えられたが、この事実は今後の交渉を後押しすることになるはずだ。
「ところで余を癒した功績と治療の対価はどのようにすべきだろうか。薬もタダではあるまい、外交官殿」
「その件に関しましては、勝手に陛下の寝所に立ち入り、許可なく治療したことを不問にしていただいたお礼としてお考えください」
「それでは話が逆ではないかね」
「いえ、むしろ陛下の寛大なご処置に頭が下がる思いにございます」
あれは、どう考えても不法侵入だしなぁ。
むしろそのことを咎められても仕方ないくらいだ。
だが、皇帝を治療したことやエリクサーの対価をなしと宣言したことで、咎めることはできなくなった。どこかの誰かみたいに、謝罪と賠償を求めてきたら、帝国はただの恩知らずということになる。
お互いの立場は貸し借りなしのイーブン。
ただし、帝国の心情的にはイーブンではなかろう。
ここまでは僕の計画通り。
「ふむ。ならば聞こう。帝国の第一皇子が何の咎もない魔王国の外交官殿を問答無用で地下牢に押し込み、あまつさえ剣を振り下ろした場合、両国の関係はどうなるとお考えか」
皇帝の一言に、事の重大さに気づいた臣下たちが騒ぎ出した。
他国の外交官を殺める。暴力を振るう。牢に入れる。
これが何を意味するのか気づいたのだ。
「帝国の外交官殿を魔王国の者が殺めようとした場合と同じでしょう」
「……宣戦布告という意味か」
皇帝は大きくため息をついた。
その内容に臣下たちのざわめきがさらに大きくなった。
トリバス皇子が慌てたように声を上げる。
「ア、アルク殿! ちょっと待ってくれ!」
「黙れ、トリバス。今、お前に発言する権利はない」
「ぐっ」
だが、ここは正式ではないものの皇帝と外交官との謁見の場だ。
皇子でしかない彼の言葉は皇帝によって遮られた。
「この場合、どのように詫びたらいいのだろうか。私やウリナムスの首を差し出して済むなら安いものだが」
「陛下っ!」
「少しお待ちを!」
その一言にここにいる全員が驚きの声をあげた。
皇帝があっさりと、自分と皇子の首を差し出そうとしたのだ。
発言する権利どころの話ではない。
皇帝はもちろんのこと、皇位継承権こそ低いもののウリナムスも皇族の一人。
だが、皇帝は帝国と魔王国との戦争を回避するため、自分と息子を差し出すことに言及した。
それは皇帝の覚悟であり、帝国の頂点に立つ為政者の姿でもある。
ウリナムスを見れば、震えがさらに大きくなっている。
大量の汗が彼の首筋をつたい、床に落ちる。
残念ながら、彼には皇帝のような覚悟はないらしい。
「陛下、お待ちください。陛下はこの国に必要なお方。それにウリナムス殿下もこの国の皇族。そのような方々の首は不要にございます」
ここで、「おう、首でええわ」と言えば、戦争不可避である。
皇帝がその気でも、家臣たちが絶対に止めるだろうし、皇帝陛下に忠誠厚い彼らのこと。確実に兵を挙げるはずだ。
僕としては皇帝の覚悟を見ただけで十分である。
僕の言葉を恩情とでも思ったのか、ウリナムスがすがるような目を向けてくる。
だが、あえて言おう。
こっち、見んな! 擦り寄るな!
戦争の火種にしかならない皇帝の首もだが、役立たずの首など絶対にいらん。
どうせこいつは帝国を危機にさらしたことで、味方なく孤立していくだけの運命だ。
あの日の夜、ウリナムスが僕を捕まえに来るという情報をセルヴァから得た僕はこの一件を『使える』と判断した。
だからこそ僕はわざわざ外交官の立場を利用した。
そこで必要となるのが、僕が外交官であるという証拠。
証拠となるものは色々考えられる。
「外交官でーす」と宣言してもいいが、説得力は皆無。
最も確実なのは魔王国からの外交文書、中でも親書は効果的だ。
その親書を魔王国から得るためには帝国との交流をダシに使うのが一番早い。
ただし、帝国と交流するからには魔王国にメリットがないといけない。
そこで魔道具文化が発達していることと、イセエビのことをオフェリアさん宛ての手紙に書いた。
だが、それだけでは正直弱い。
そこで優秀な魔道具士の協力が得られる可能性について付け加えた。
優秀な魔道具士というのはジェミノス皇子のこと。
彼の発想は魔王国の魔道具をより素晴らしいものにしてくれるだろう。ドライヤーの存在は僕も知っているが、それを魔道具にできるかは別の問題。
彼にはビアンカ皇女に残した数々の乙女魔道具をお嬢様用に作って欲しい。
それに帝国の皇子の協力となれば、交渉も有利になる。
ただ、あの時点では会ったこともないジェミノス皇子の協力をどうやって得るかが課題だった。彼がどこにいるかは、彼の描いた絵のおかげで見当がついている。
そこでビアンカ皇女が誘拐された件を利用させてもらった。
おかげで転生者であるジェミノス皇子に会いに行くきっかけができた。
ビアンカ皇女の救出を手伝ったのもジェミノス皇子の心証を良くし、帝国との交渉に協力してもらうためだ。
僕が転生者であると明かしたのも心証を良くするため。
これはオフェリアさんから親書の発行を断わられた場合の保険でもあった。
家出したジェミノス皇子を連れて、皇女救出の手伝いをすれば、外交官だと言っても信用されやすいと考えた。
実際には親書が発行されたため、ビアンカ皇女救出の手伝いをする必要はなかった。とはいえお嬢様と同じくらいの子を放っておくのも目覚めが悪い。
今後、ジェミノス皇子に協力をしてもらうためにも、彼に貸しを作っておいて損はなかった。売れる恩は多い方がいい。
結果として帝国とジェミノス皇子に貸しを作ることができている。
いずれにせよ帝国、いやウリナムスは悪手を打った。
知らなかったこととはいえ、他国の外交官を地下牢に放り込んだのだ。
外交官の立場を示すことができた今、ごちそうさまとしか言いようがない。
それにビアンカ皇女を紹介したことでお嬢様の友人も増えた。
帝国への貸し、ジェミノス皇子への貸し、お嬢様のご友人ゲット、まさに一石三鳥である。お嬢様とご友人になったビアンカ皇女も嬉しそうにしていたので、四鳥かもしれない。
さて、ここまで手間のかかることをしたのはなぜか。
もちろん、ある目的を果たすためだ。
外交官としてウリナムスに捕まったことも。
ビアンカ皇女を助け出したことも。
帝国やジェミノス皇子に貸しを作ったことも。
皇帝を治療し、魔族への警戒を解いたことも。
すべては目的を達成するための布石!
「帝国としては魔王国との戦は避けたい。本来であれば、迷惑をかけた国や本人に尋ねるべきことではないが、あえてお聞きしたい。魔王国はどのような責任を帝国に望まれるだろうか」
皇帝は神妙な顔で尋ねてきた。
尋ねるべきではないと言いつつ尋ねてきたのは、魔族や魔王国の情報がないからだろう。
皇帝や皇子の首は不要だと言われた。
では魔族が望むものは何か。
金か、領土か、はたまた帝国との戦争か。
わからないからこそ、あえて聞いてきたのだ。
その言葉を待っていた。
僕は悩むふりをしてから、神妙な顔で皇帝に伝える。
「では、ひとつお願いしたことがございます」