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第百八十九話 祝うと呪うは紙一重

 今、僕は馬車の中にいる。

 複数人が乗れる大きな馬車だ。

 品がよく、華美ではない落ち着いた内装は随所に職人の技術力を感じさせる。

 座面も適度な弾力を感じさせ、乗り心地は悪くはない。

 その造りは高貴な人物が乗るにふさわしいものだった。


「今日は無理に誘ったようで申し訳なかったね」

「いえ、とんでもございません。私のようなものをお招きいただき、恐悦至極に存じます」

「ははは。そんなに堅苦しく考えなくてもいいよ。キミには野営地の料理ではなく、帝都でちゃんとした食事をしてもらいたくてね。妹もぜひにと言っているし」


 微笑む男性が隣に目を向けると、そこには小さな女の子がコクコクと首を縦に振っていた。お嬢様と同じくらいの年頃の女の子は僕の視線に気づいたのか、にぱっと笑みを浮かべる。


 今、僕の目の前にはこのアッテンドリア帝国のトリバス第三皇子とビアンカ皇女が座っている。

 トリバス第三皇子は二十歳。

 ビアンカ皇女は三歳になったばかりだ。

 第三ということからわかるように、この二人には第一皇子と第二皇子の兄がいる。


 縁あってこの国の皇族と知り合うことになった僕は朝食を一緒にとろうと約束させられていた。監視付きで。

 正直な話、二度と会うことはないだろうからと約束を反故してもよかったかもしれない。

 だが、将来的に帝国で食材集めをする予定である。

 そうであれば、わざわざ繋いだ縁をこちらから切る必要はないと考えた。


 僕は誘ってくれたトリバス第三皇子との約束を守るため、彼らのもとに戻ってきたというわけだ。

 使い魔のセルヴァ、ミスチフ、フィエルダーを引き連れて。

 もちろん昨夜のうちにこっそり抜けだし、お嬢様の安否を確認したり、いくつかの用事をすませたりしている。


 こちらに戻る前、ふと思いついたことがあった。

 それは帝都での食材集めである。


 この国の権力者である皇子たちの元には各地から様々な食材が届けられるはずだ。

 それも帝国中から厳選に厳選を重ねた素晴らしい食材たちが。

 自分で探しに行かなくても向こうから食材がやってくるのだ。

 それが、皇族たちが住まう帝都だった。

 だったら、その帝都で食材集めをすればいい。

 この機会を逃す手はない。

 何かお嬢様の離乳食卒業パーティーにふさわしい食材が見つかるかもしれない。


 だが、お嬢様の離乳食卒業パーティーまで時間がない。

 食材の手配やパーティー会場の準備があるし、出す料理の下ごしらえをレイゴストさんと一緒に行う予定なため、帝都でゆっくり食材探しというわけには時間が足りなかった。


 しかし、一人で探さなくても僕には優秀な使い魔たちがいる。

 セルヴァたち使い魔を連れてきたのはそのためだ。

 時間的に帝都で食材が探せるのは数日程度だが、手分けして探せばひとつやふたつ見つかるはずである。


 これでも手が足りなければ、ほかにもある。

 アスタロトを助け出した礼として、ベルゼブブとサルガタナスには一度だけ対価なし(ただ働き)で僕の願いを聞いてもらうよう約束させているのだ。

 当然のごとく、ベルゼブブが駄々をこねたが、彼には『貸し』があった。

 以前、クレベリとリリィに埋め込まれた魔核の件でお嬢様を危険に晒したことに対する『貸し』だ。

 その『貸し』を返してもらうため、条件をませた。

 そもそも、「僕たちができることなら何でもやる」と言ったのはベルゼブブ本人である。

 「おめぇ、一生パシリな」と非人道的、いや非魔族道的なことを言わなかっただけ感謝してもらいたい。


 もちろん頼みごとの内容が嫌なら断わってもいい。

 「ただ働きそのものが嫌なんだ」というベルゼブブの叫びは聞こえない。

 今のところ何をさせるか決めていないが、いざとなれば食材探しを手伝わせてもいいかと思っている。最悪、彼らの部下を貸してくれれば十分だ。


 皇子との約束を果たしたあと、すぐに帝都へ向かうつもりだった。

 もちろん皇子たちには黙って、こっそりと。

 皇子たちにはスミール王国へ帰るため、スミール王国行きの船がある港町に行くと伝えておけばいい。

 帝都まで馬車で一日の距離と聞いている。

 時間にしておよそ八時間くらいだ。

 馬車で向かえば日が沈んだころには着く。

 だが僕が全速力で走れば、昼頃には帝都に着くはずだ。

 はずだった。


 トリバス第三皇子と約束していた野営地での朝食会も終わり、それではさようならと思っていた矢先のこと。

 なぜか同席していた皇女に引き止められた。

 とはいえ、丁寧に固辞(ごめんなさい)すればいいだけの話。

 そう思って辞去しようと思っていた矢先。


「アルクもいっしょに、ていと、いこ?」


 朝食会では、皇女本人とあまり会話をしていなかった。

 ただ、皇子たちにダンジョンや魔物と戦ったときの話をした覚えはある。

 彼女は興味深そうに聞いていただけだ。


「ね?」


 理由はわからない。

 だが、どうやらなつかれてしまったらしい。


 こうなると皇女の願いを無視するわけにもいかない。

 皇族や王族のお願い=命令に限りなく近い。

 ここで断って、せっかくの縁が切れても困る。


 しかもトリバス第三皇子が乗っかってきた。

 「だったら今度は帝都でちゃんとした食事をごちそうするよ」と誘われてしまったのだ。皇子いわく、「野営地で食べた食材が帝国の料理だと思って欲しくない」らしい。

 だから、そのお誘いは命令だと何回(以下略)。


 皇族二人からのお誘い。こうなると断れない。

 もともと帝都で食材探しをするつもりだったのだ。

 少々、この強引な皇族たちに時間を取られることになるが仕方がない。

 結局、僕は皇女たちの誘いを受けることにした。


 丁寧に固辞(ごめんなさい)するんじゃないのか、と言うなかれ。

 お嬢様くらいの女の子に服のすそを握られ、涙目で見上げられて無視できるだろうか。仕える主人はお嬢様だけだが、幼い女の子のお願いを一蹴できるほど僕は鬼畜な執事ではない。


 とりあえずセルヴァたち使い魔たちは先に帝都へ向かわせた。

 帝都のどこに何があるのか先に調べておいてもらう。もちろん食材を売っている場所を中心に。時間があれば、先に食材になりそうなものを探すよう指示しておく。


 そういうわけで僕は馬車に乗っている。

 馬車にはトリバス第三皇子とビアンカ皇女のほか、助けた侍女二人と怪我から回復した隊長が同席していた。


 隊長とは朝食会で挨拶を交わしており、ブラン=クロードだと自己紹介された。

 雰囲気はレイゴストさんに似ているだろうか。

 貴族だそうだが、気にするなと肩をバンバン叩かれている。青年と呼ぶには無理があり、中年と呼ぶには早すぎる年齢の彼は複数ある皇族近衛騎士隊を率いる隊長の一人らしい。また彼のような皇族近衛騎士をインペリアルガードと呼ぶそうだ。昨夜、盗賊と戦ったのも彼らである。

 ちなみにブラン隊長は第三近衛騎士隊の隊長だそうだ。


「ところで皇子たちを護衛するはずの隊長が馬車に乗っていていいんですか?」

「ガッハッハッ。いいんだよ。外ではほかの騎士たちが警備しているからな。それに俺の役目はアルクが何かしでかさないか見張るためだ」

「……それ、本人に面と向かって言うことではないですよね?」

「問題ないぞ。なにせ建前だからな」

「はい?」

「周りの連中にアルクを見張っていると思わせるのが目的だ。突然、現れた謎の冒険者を見張っていないと、ほかの連中に何を言われるかわからんからな。もちろん俺はアルクが悪人だなんて思っていない。善人ってわけでもなさそうだがな。ガッハッハッ」


 ほかの連中という言葉の意味に何か引っかかりを覚えたが、それよりも彼の大声のほうが気になった。彼の言う、ほかの連中とやらに丸聞こえに違いない。

 笑い声も外に漏れそうなほど大きな声だ。

 ところがブラン隊長によると、この馬車の中は完全防音設計になっているらしく、外に声は漏れないらしい。

 ちなみにそう説明する声もこれまたでかい。


 隊長の大きな声に皇女が驚いていないか心配したが、彼女は隊長を見て御機嫌そうな笑顔を浮かべていた。昨晩、副隊長の大声に驚いていたような気配はない。

 すると、トリバス第三皇子が話しかけてきた。


「ビアンカは人見知りでね。なかなか人になつかないんだよ。ブランもそうだが、キミが助けてくれた侍女たちは(ビアンカ)が心を許す数少ない者たちなんだ」


 そう言ってブラン隊長と皇女付きの侍女二人に目を向ける。

 するとブラン隊長はニカッと笑い、彼女たちは誇らしげな顔を見せた。

 お姉さんっぽい雰囲気を持ち、髪を後ろでシニヨンにまとめている侍女Aさんがジュリアさん。

 髪を肩くらいまで伸ばし、くりくりした目で僕を見る侍女さんBがルアンナさんだ。


「そんなビアンカが会ったばかりのキミに心を許した。正直、私は驚いているよ」

「そうでしたか。それは身に余る光栄でございます」


 かしこまって礼をすると、皇女は恥ずかしそうにニコッと笑う。


「相変わらず固いなぁ。もっと気楽に話をしようよ」

「殿下は気軽すぎます」とブラン隊長。

「うわっ、こっちに飛び火してきた」


 ブラン隊長とトリバス皇子のやりとりは和やかなものだ。

 侍女たちはそんなやりとりに笑みをこぼし、ビアンカ皇女は、きゃっきゃっと声をあげて笑っている。


「ところでアルクくん」

「はい、なんでしょう」

「昨夜はよく眠れたかい?」

「ええ。おかげさまで」

「それならいいんだけど。ちょっと疲れたような顔をしているから気になったんだ」


 正直いえば、睡眠不足気味だ。

 昨夜はこっそり天幕を抜けたあと、奥様に報告をしたり、突然ベルゼブブが来やがったりと慌ただしかった。それにダンジョンで死にかけ、エリクサーで回復したばかりだったこともある。やはり栄養剤(エリクサー)では疲れは取れない。

 それでも怪我は完治しているし、魔力も回復しているけど。


 皇子とは数時間しか顔を合わせていないはずなのに、よく見ている。

 本当、油断のならない皇子である。

 それに隊長も見張っているとアピールするのが目的だと言いながら、しっかり僕を見張っていた。見張りというのもあながち嘘ではないのだろう。

 僕がふところに手を入れれば、ブラン隊長をはじめ、ジュリアさんもルアンナさんも途端に目が鋭くなる。

 いやぁ、皆さん。職務に忠実ですなぁ。

 じつに好ましい。


 だが、彼らは間違いなく僕を警戒している。

 いや、警戒というよりも見極めと言ったほうが正しいかもしれない。

 いったい僕の何を気にしているのだろうか。

 そちらがそのつもりなら、こちらも彼らの様子を観察するとしよう。


 ◆


「さあ、もうすぐ帝都に着くよ」


 そう言われて窓から外を覗く。

 すでに時刻は夕方。

 空は茜色あかねいろに染まり、馬車が向かう先に見える街を包み込んでいる。

 帝都はかなり大きく、広いことがわかる。

 これまで僕が見てきた街の中で最大の街であった。


 到着予定は日が沈んだころと聞いていたが、少し早く着くらしい。

 街道は帝都まで残り十数キロといったあたりから舗装されており、非常に快適な馬車旅となった。


 アッテンドリア帝国の帝都『アッテンドリア』は魔王国の王都以上の大都市だ。

 帝都全体を五メートルほどの城壁が囲んでいる。


 さらに帝都中央の小高い場所には城があり、十メートルを超える城壁に囲まれている。堅固な城は帝都に比例して広大で、街のどこからでも見ることができた。

 城には皇帝や皇族が住むのと同時に、この国を担う行政、立法、司法機関が入っている。


 帝都の大通りは城を中心として八方向に伸びており、それぞれが外壁にある門へと続いていた。各大通りを繋ぐ通りも整備されており、交通の便もいい。

 帝都の街並みを俯瞰ふかんすると、八角形の蜘蛛の巣みたいに見えるはずだ。


 門を素通りし、大通りを進む。

 街中の様子を見ておきたかったが、それは叶わなかった。

 帝都内に入ってから窓はわずかな隙間を残し、閉められてしまったからだ。

 警備上の理由らしい。


 乗っている人物がトリバス第三皇子とビアンカ皇女だとわかっているのか、住民たちの歓声が聞こえてくる。二人はかなりの人気者のようだ。

 ……それなのに警備上の理由で窓を閉める?

 要人を乗せた馬車の対応としては間違ってはいないけど、顔くらい見せたらいいのにと思う。


 馬車はなだらかな坂道を進み、そのまま城門をくぐったようだ。

 しばらく進むと、馬のいななきと共に馬車は止まる。

 開けられた扉から外に出ると、ひんやりとした冷気が肌を刺した。

 あとで知ったことだが、馬車には中を温める魔道具が使われていたそうだ。


 高さこそかなわないが帝国の城は魔王国の『リモワール・ノイシュ城』より遙かに規模が大きかった。なんといっても敷地が広い。無駄に広い。庭園もさることながら城そのものが広大だ。

 前世にあった東京駅を思い出す。


「僕たちは報告があるので一旦さようならだ。ジュリアに案内させるから、しばらく部屋でゆっくりするといい」

「ありがとうございます。ところで、この格好でいいんですか?」


 今、僕はいかにも冒険者といった姿をしている。

 このまま城に入ってもいいのか気になった。

 夕食に誘われているが、替えの服などない。

 ……昨晩、新たに持ってきた執事服に着替えるわけにもいかないだろうし。


「旅装束のままだと疲れるだろう。着替えは用意させてあるよ。今日は晩餐会みたいに格式ばったものじゃないけど、帝国の服を着た感想を聞かせておくれ」

「そ、そうですか。何から何まで、ご配慮ありがとうございます」

「ではアルク様。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」


 二人の皇族とはしばしのお別れである。

 別れ際、ビアンカ皇女が手を振っていたので手を振り返した。

 ジュリアさんも一緒になって手を振っている。


 その後、ジュリアさんに案内され、城内を歩く。

 廊下は大人五人が横に並んで歩けるほどの幅があり、壁には絵画がいくつもかけられていた。端には頑丈そうなローテーブルが等間隔に置かれており、その上には僕の身長くらいの壺や今にも動き出しそうな石像が飾られていた。

 どれも芸術品として価値が高そうなものばかりだ。

 その完成度は高く、帝国の芸術に対する理解と発展を感じさせるものであった。


 どれほど時間が経っただろうか。

 まだ着かない。

 ジュリアさんに尋ねると部屋までもうしばらくかかるそうだ。

 城の規模からある程度は覚悟していたが、やはりこの城、中もかなり広いらしい。

 そこで案内される間、彼女に帝国の話を聞くことにした。


「では帝国の歴史からお話ししましょう。アッテンドリア帝国の歴史は古く、建国は千五百年以上前になります。始祖であるアッテンドリア皇帝は――」


 帝国の歴史を語るくらい、まだ時間がかかるということか。

 そう思ったけど、口には出さない。


 帝国は『勇者と魔王の戦い』以前からすでにその基盤を作り上げていたそうだ。

 それ以前はいくつかの国に分かれており、帝国の祖となるレイ=アッテンドリアによって統一される。

 絶対的な支配者と呼ばれた初代皇帝の武勇は有名だそうだ。

 剣を持たせたら負け知らずで、あらゆる魔法を使いこなしたと言われている。一人で数万の敵軍に突撃し、敵軍の大将を捕らえたという逸話も残っている。しかも、かなりの美男子で、女性からの人気は高かったそうだ。

 うん、まあ、本当かどうか確かめる術はない。


 統一後、皇帝は荒れた国土を立て直すため内政に力を入れた。

 街道は帝国にある主要都市を繋ぐよう整備され、舗装が施される。

 舗装されたおかげで流通がはかどり、帝国の街はさらに発展を遂げていった。


 また様々な分野に投資が行われた。

 これから伸びる分野には特に力を入れたらしい。

 この判断をしたのも初代皇帝レイ=アッテンドリアだ。

 そのおかげもあってか千五百年以上続く帝国の経済は今も鈍化ながら安定している。


「あら。とうとうこれも壊れちゃったわね。何個目かしら」


 案内の途中、ジュリアさんが取り外したのは廊下にかけられていたランプ形の魔道具だ。


 帝国の統一後、投資された分野のひとつに魔道具の研究があった。

 そのおかげで帝国は魔道具の技術が発展している。

 様々な魔道具が生み出され、一部の魔道具は住民の生活をより便利に、より快適にしてくれたそうだ。


 せっかくなので、壊れたというランプ型の魔道具を見せてもらった。

 仕組みを確認すると、タイゲン王国やスミール王国の魔道具より優れていることがわかる。

 例えば魔力の消費を極力抑えた設計は魔王国の品質に匹敵していた。

 また光量の調整ができるなど魔王国にはない工夫もある。

 ただ、耐久性など全体的な性能は魔王国のものほどではないようだ。


「アルクさんは魔道具に詳しいのですか?」

「まあ、いじって遊ぶくらいは」


 執事たるものお屋敷の魔道具くらい修理できなくてどうしますかという執事長の教えもあって、簡単な魔道具なら多少いじれるくらいにはなった。

 できるようになったのは比較的、最近だ。

 教えてもらうようになったのは、ちょうどスミール王国でクレープ屋を開いたころだろうか。

 学ぶにはちょうどいい機会だった。

 もしクレープ屋で使っている『携帯用魔力かまど』が壊れても、すぐに修理できる。

 当時はお屋敷に帰るたびに、夜中までたたき込まれたものだ。

 結局、今に至るまで『携帯用魔力かまど』が壊れたのは一台だけだけど。


 壊れた魔道具をいじっているとジュリアさんがのぞき込んでくる。

 そんな彼女に修理し終わったランプ型魔道具を手渡した。

 魔道具からあふれる光は十分使用に耐えられるものだ。


「うそっ! ……新品より明るくなってる」

「光量の調整ができるのは面白いですね。ついでに光量の調整範囲も広げておきましたよ。ほら」

「まぶしっ!」

「あっ! ご、ごめんなさい」


 彼女は最大にした光をまともに見てしまったようだ。

 僕は彼女からランプを受け取ると、調光つまみを回して通常の状態に戻す。

 しばらくして復活したジュリアさんから、うさん臭そうなやつを見る目を向けられてしまったが、何度も謝ることで許してもらった。

 彼女の機嫌が直ったところで再び案内の続きしてもらう。


「そういえば帝国の治安ってどうなんです」

「どうなんでしょう。盗賊から助けられた私が言うのもなんですが、悪くはないと思います。今回のように盗賊が出るとすぐに国が動きますし。ほかの国に行ったことがないので比較できませんけど」


 治安はそこそこといったところか。

 盗賊はどこにでも沸いてくる。

 いくら内政に力を入れたといっても格差が生じるのは、どこの国も一緒。

 帝国も例外ではない。


「それよりも魔物のほうが怖いですね。街道沿いには出てこないようですが」


 帝国は千五百年もの間、国内外問わず大きな争いは起こっていない。

 とはいえ盗賊や魔物などは存在している。

 そのため、最小限の戦力は統一後の今も維持されているようだ。

 詳しい数は教えてくれなかったが、いざとなれば万単位の戦力は用意できるらしい。


 ただ盗賊との戦いを見た限り、人同士の戦い、実戦の経験は少ないように見受けられた。

 怪我をしたとはいえ、盗賊と多対一で戦えたブラン隊長はまだマシな方らしいけど。


「しかし、他国との戦いがなかったにしては立派なお城ですよね」

「統一前の名残だそうです。これまで何度も改修や増改築が行われ、そのたびに広くなっていったとか」

「確かに広いなぁ。案内がないと確実に迷いそう」

「新しい使用人が雇われると最初に保存食が支給されるくらいですから」

「本当ですか!?」

「冗談です」

「……」

「あぁ、そんな目でみないでくださいっ!」


 侍女ギャグなのだろうか。

 まあ、いい。


 (セルヴァ。城の構造を把握できる?)

 (配下のインプを使い、すでにやっております)


 さすがセルヴァ。


 (ここって悪魔よけの結界はないの?)

 (ございます。ですが問題ありません)


 結界用の魔道具があることにはあるそうだが、かなり脆弱らしく隙間だらけとのこと。

 魔道具に優れているといっても結界の魔道具はタイゲン王国よりも劣っている。隣国と戦争ばかりしていた国(タイゲン王国)戦争がなかった国(アッテンドリア帝国)の違いだろうか。


 (それとアルク様。どうやら皇帝が病に伏せっているのは本当のようです)

 (そうか。病状はわかる?)

 (情報を集めたのですが、はっきりしないのです。直接、皇帝を見ればわかるかもしれません。ですが、皇帝の居住区にだけは強力な結界が張ってありまして)

 (入れなかったと。それなら仕方がないね。ありがとう)

 (また何かございましたらお呼びください)


 皇帝が病で伏せっているのは確定か。

 フィスタンの情報が正しいことが証明された。

 この世界では神聖魔法で病気を癒すことができる。

 しかし、すべての病気が治るわけではない。

 皇帝の病気が今も治っていないということは、病気を癒す神聖魔法では効果がなかったということだろう。


 (皇帝の病気ねぇ。寒さのせいってことはないよなぁ)


 帝国の平均気温は魔王国の北に位置するせいか、やや低い。

 また南部のドラゴンフォール山脈以外、北、東、西部のすべてが海に面しているせいか、比較的風が強いようだ。

 ただ海に囲まれていることで海産物が豊富らしく、海沿いには港町や漁村がいくつもある。

 これは食材を集める僕としては期待できる情報だった。


 話を聞いたあと、さっそくグレムリンのミスチフに念話する。

 そして彼の配下に近隣の港町や漁村を中心に調べるよう伝えた。

 帝国はそれなりに広いので本格的に食材探しをするのはお嬢様の離乳食卒業パーティー後だ。

 それでも近場の港や漁村くらいは調査しておきたい。


「――アルク様。申し訳ございません」


 僕がミスチフに指示し終わったときのこと。

 突然、立ち止まり、固い表情をしたジュリアさんに声をかけられた。

 彼女は廊下の先を見ながら、眉をしかめている。

 その方向に目を向けると、派手な衣装をまとった二十代前半の男性と仰々しいローブ姿の中年男性がこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。


「ん? あれは……」

「理由はあとでお話しします。今は廊下の端で軽く頭を下げておいてください。それと声をかけられない限り、話しかけないようお気を付けください。できれば声をかけられないことを祈ってください」

「――わかりました」


 ジュリアさんの物言いからすると、あまり好ましい人物ではなさそうだ。

 僕たちは廊下の端に立ち、軽く頭を下げたまま、しばらく待つ。

 正面から歩いてきた二人の足音が近づいてくる。

 足音はそのまま僕たちの前を通り過ぎていった。

 だが、数歩進んだところで彼らの足音が止まる。


 すると通り過ぎたはずの足音が近づいてきて、僕の前で止まった。

 頭を下げたまま、目だけを動かし、足音の主を確認する。

 そこには派手な服を着た吊り目でえらの張った男が立っていた。

 男はジュリアさんの身体をいやらしい目つきで見ながら僕に声をかけてくる。


「その方。愚鈍な弟と気持ちの悪い妹を盗人から救ったという冒険者か?」


 男の侮蔑を込めた言葉にジュリアさんの身体がピクリと動く。

 だが、彼女は何かに耐えるように黙って、頭を下げ続けていた。

 よく見れば彼女の細い指がスカートを力強く握っていることに気づく。


 (愚鈍な弟、気持ちの悪い妹、か)


 話の流れからすると、トリバス殿下とビアンカ皇女のことだ。

 その二人を弟、妹と呼ぶこの男は皇族の一人で、二人いる兄のうち、どちらかということになる。

 だが、この男。

 兄妹という割には、二人とまったく似ていない。


 おっと、黙ったままだとさすがにまずいか。


「――さようにございます、殿下」

「ふん。この私が誰か、理解する程度の頭は持っていたか。愚物が連れてきた者がどれほど卑しく愚かかと思えば、多少の知恵はあるらしい」

「殿下の素晴らしさは他国にも伝わっております。そのご威光は私のような者の耳にも入っております」

「ほほう。貴様は分をわきまえていると見える」

「私はただの平民。そのような者にお声をかけていただいただけでも、一生の誉れにございます」

「くっくっくっ。はーっはっはっ! 多少、腕が立つとは言っても、しょせんは皇族に擦り寄るブタか! だが、貴様は面白いブタだ。私の足を止めたことに対する謝罪と賠償は勘弁してやろう。今、私は気分がいいからな」


 なんだ? 謝罪と賠償って。

 足を止めたのは自分だろうに。

 頭わいてんのか、こいつ。


 好きなだけ言いたいことを言った男はまた廊下を歩き出した。

 もう僕たちに何の興味もないようだ。


「いくぞ、()()()()()


 はぁ?


「かしこまりました。殿下」


 声をかけられたローブ姿の中年男は派手な男に向かって恭しく頭を下げる。

 そして僕たちを一瞥したあと、先を歩く男についていった。


 まてまてまて?

 おまえだろ! いや、おまえだよ!

 第一皇子に近づいたフィスタンの手の者って!

 ということは、あいつが第一皇子か。

 近づくどころか、べったり隣にいるじゃないか。

 あと、名前! なんだよ、ザルクリフって。

 もう少し考えようよ!

 アナグラム(言葉遊び)さんが自分の存在意義に悩み始めているぞ!

 量産型ザールクリフって総称つけて、番号で呼んでやろうか!

 顔も年齢も死んだザールクリフ(宮廷魔術師)とは違うけど、どうせ疑似生命体でしょ、あんた。

 もういい。もういいよ。

 お前は今日からザールクリフ二号だ。


 (セルヴァっ!)

 (かしこまりました)

 (まだ何も言ってないよっ!)

 (二人を見張るよう手配しました。同時にフィスタン関連の証拠がないか探させておきます)

 (お、おう――あと)

 (あと、ほかにも仲間がいないか確認するよう付け加えてございます)

 (あ、うん、はい)


 完璧だった。

 最近、セルヴァの優秀さが際立っている。

 フィエルダーに名前を与えてから、特に。

 あれかな? 後輩ができて先輩としての意地を見せたいとか?


 死んだ死に損ない(フィスタン)の配下であるザールクリフ二号がこの帝国で何をしているのか。

 本来、これらは帝国の問題だが、第一皇子が僕にケンカを売ってきた以上、高値で買い取るつもりだ。


 しばらくして二人の姿が見えなくなると、ジュリアさんがため息をついた。


「アルク様、申し訳ございませんでした。不愉快な思いをさせてしまって」

「あー、大丈夫、大丈夫。ところで『一応』聞くけど、アレ誰?」

「え? ご存知ではなかったのですか。先ほど他国まで伝わっているとおっしゃられていましたが」

「ううん、全然伝わっていないよ。ああ言っておけば、あの手の人なら喜ぶかなと思って、でまかせ言っといた」


 あっさり白状するとジュリアさんは目を見開いたあと、慌てて顔を背けた。

 ときおり笑いが漏れてくる。


「あ、あの方は、こ、この国の第一皇子ウリナムス=アッテンドリア様で、です」


 こちらに視線を戻したジュリアさんは笑い過ぎたせいか、うっすらと目尻に涙が浮かんでいた。

 それでも、なんとか男の名前を口にする。


「あー、やっぱり。だよねぇ」

「やっぱり?」

「ううん、こっちの話」

「よく殿下の暴言に我慢してくださいました。感謝いたします」

「そりゃあ、ここで言い返しでもしたら僕を連れてきたトリバス殿下とビアンカ皇女に迷惑がかかるでしょ」

「まあ」


 そう言って肩をすくめると、彼女はとても嬉しそうな顔を見せた。

 仕える主(ビアンカ皇女)に配慮したことが嬉しいようだ。


「この国の第一皇子を前にずいぶんと余裕があるんですね」

「うん。あの程度ならその辺にいくらでも転がっているよ。女性の敵にいそうな感じ」

「――ぷっ」


 あのジュリアさん?

 いくら姿が見えないからって、そんなに大きな声で笑うと聞こえますよ?

 そこは皇族に対して不敬ですと怒るべきではないでしょうか。

 え? 城の女性使用人全員から嫌われている?

 あー、わかります。


「しかし、あれが次期皇帝ですよね。大変そう」

「いいえ。違います」


 ひとしきり笑ったジュリアさんは一転して真面目に答えた。

 そんなに嫌な顔をしなくてもいいのに。


「んんん? だって第一皇子なんでしょ?」

「いえ、帝国では――」


 その後、ルアンナさんに帝国の継承権について聞いた。

 帝国の法によると、継承権は生まれた順番ではなく、正妃の男児から優先となる。ウリナムス第一皇子は最初に生まれた皇帝の子供だが、母は側室とのこと。

 トリバス第三皇子とビアンカ皇女は正妃の子供で、ジュミノス第二皇子という実の兄がいる。

 正妃が生んだ二人の皇子と一人の皇女。

 側室が生んだ第一皇子。

 その結果、ウリナムス第一皇子は継承権第三位となるらしい。


「じゃあ、ジュミノス第二皇子が次期皇帝?」

「いえ、それが……申し訳ございません。これ以上、私の口から申し上げることはできません。ただ、今の継承権第一位はトリバス殿下である、とだけお伝えしておきます」


 次期皇帝はトリバス第三皇子、か。

 本来はジュミノス第二皇子が正当な継承者らしいが、何やら事情があるらしい。彼女も皇帝が病気であることを漏らしていないし、皇位継承に関する話題は深く追究しないほうがいいだろう。


「おまたせしました。こちらでございます」


 案内された部屋は非常に豪華だった。

 もともと客室として用意された部屋なのだろう。

 でも本当に遠かった。

 城内に入ってから二十分の距離って、小さな美術館かと勘違いしそうだ。


「着替えはご用意してあります。夕食の準備が整いましたら迎えに参りますので、それまではこちらでおくつろぎくださいますよう」

「帝都の街並みを見に行きたいんだけど――」

「こちらでおくつろぎくださいますよう」

「……はい」


 部屋から出るなということだろう。

 お茶を用意してくれたあと、ジュリアさんは部屋を出て行った。

 その後、すぐに見張りらしき気配がふたつ現れ、扉の前で止まる。

 うーん。

 これって軟禁じゃないかなぁ。


「まあ、いいや」


 ここから出ようと思えば『執事ゲート』でいつでも出られるし、まずはやれることをしよう。

 とりあえず着替えか。

 さっそく用意された服に袖を通す。

 サイズは測ったようにピッタリだった。

 服はやや厚手の生地が使われており、ゆったりとしている。魔王国より気温が低い帝国でも非常に暖かく動きやすい。中世ヨーロッパの貴族が着ていたようなデザインだが、ゴテゴテした飾りはほとんどない簡素なものだ。


 着替え終わったことだし、しばらくは大人しくしていよう。

 帝都内を調べさせているミスチフとフィエルダーから途中経過を聞いてもいい。

 その後はお嬢様の離乳食卒業パーティーに使う食材とメニューの再確認かな。

 帝都で使えそうな食材が見つかれば組み入れていきたいし、ものによってはメニューを変更する必要だってある。


 結局、僕はジュリアさんの迎えが来るまで、充実した時間を過ごすことができた。


 ◆


 トリバス殿下とビアンカ皇女が参加する夕食会には様々な料理が並んだ。

 その内容の多くは海産物を使ったものだ。技巧を凝らした料理だけでなく素材そのものの味をうまく引き出しており、帝国の食文化の発展を感じさせる。

 見た目にもこだわっており、魔王国に似た感性を感じさせた。


 何より帝国の料理は出汁だしを取る文化が深く根付いていた。

 肉を使ったフォンや魚や海産物を使った出汁、それに様々な野菜を煮込んでとったスープストックなどは料理ひとつひとつを更に美味しく変化させていた。

 レイゴストさんも基本的な出汁を使っているが、それに匹敵する旨さだ。


 特に前世の日本のように海産物を使った出汁だしは非常に洗練されていた。

 帝都内を調べさせていたミスチフとフィエルダーの報告でも、海エルフが作っていた乾燥コンブやドワーフの国で手に入れたカツオブシに似た食材、荒節らしきもの(モルディブフィッシュ)を見つけている。

 もちろんこれらは帝国産だ。


 それ以外にも肉を一切使わず野菜やキノコなどでとった精進出汁のほか、出汁用の煮干しなどがあり、『しょっつる』と呼ばれる魚醤ぎょしょうに似たものまで存在していた。

 残念ながら醤油や味噌はなかったが、どこか前世の食材を彷彿とさせる調味料が多く見られた。


 夕食会の給仕はビアンカ皇女付きの侍女ジュリアさんとルアンナさんの二人。

 それになぜか隊長まで夕食会に同席していた。


 どれも素晴らしい料理だが、使われている食材も珍しいものが多い。

 そして中には見たことも作ったこともある料理がいくつかあった。

 そのうちの一つが茶碗蒸しである。

 しかも具の中に新たな食材を発見した。ショウロ(松露)と呼ばれるキノコにイワタケ、コウタケ(香茸)だ。前世でも希少なキノコとして名高いキノコたちである。


 さらに並べられた料理の中で一際、僕の目を引くものがあった。


「イセエビっ!」


 それは大皿に乗せられたイセエビのカルパッチョだ。

 姿造りになっており、大きな頭が皿からはみ出している。

 これまで生の魚貝類を食べたことは数えるほどしかない。

 ドワーフの国で『煎り酒』を作ったときと醤油が完成したとき、あとは同じようにカルパッチョを作ったくらいか。


 イセエビといえば高級食材であり、かつては宮中にも納められていたとされる由緒正しき食材である。

 前世の過去には殻が鎧に似ているとか、威勢がいいとかいう語呂合わせで武家に人気があった。今も鏡餅の上に載せるなど祝い事の飾りつけのほか、神饌しんせん――神社や神棚に供える供物――として用いられている。


 こうしたことからイセエビはお祝いにもピッタリの食材であった。

 まさにお嬢様の離乳食卒業パーティーにふさわしい。

 パーティーにも一花咲かせてくれるだろう。


 ああ、持っている醤油とワサビで食べてみたい。

 行儀が悪いのでやらないけど。


 帝国の食材はあなどれない。

 そう思うほどイセエビのインパクトは強かった。


「帝国ではロブスターと呼んでいるが、スミール王国ではイセエビって言うのかい」

「――いえ、スミールでは見かけませんでした。ただ、そういう名前のエビがいると本で読んだことがあるんです」

「へぇ。さすがA級冒険者ともなると博識だね」


 危ない危ない。

 毎回、毎回見たこともない食材をなぜ知っているの? 的なツッコミを入れられてしまうところだった。


 本って本当に素晴らしい。

 知識を増やすだけでなく、本で知りました的な言い訳にも使える。

 間違っていても本のせいにできる。

 へそくりも隠せるし。

 ……こんなこと言っていると本好きな人に本のかどで殴られそうだな。

 おっと、武器(鈍器)にもなるじゃないか、さすが本。


 このイセエビのように帝国では生の魚が普通に食べられている。

 主な食べ方はカルパッチョやオランダで良く食べられるニシンのレモンがけのような食べ方だ。野菜などと一緒に酢やレモン汁などの漬け汁に浸して食べるマリネのような調理方法もあるらしい。


 目を引いた食材はイセエビだけではない。

 前世では希少価値の高いセミエビに加え、ヒゴロモエビ(ブドウエビ)クロザコエビ(モサエビ)など滅多にお目にかかれないエビまで並んでいた。


 エビばかり目につくのはエビを使った料理が多いからだ。

 なぜこんなにも多いのか疑問に思っていると、エビはビアンカ皇女の大好物だとジュリアさんが教えてくれた。


 次に出てきた料理はクルマエビを使った『エビフライ』。

 エビフライはお嬢様の離乳食卒業パーティーに出す予定の料理のひとつだ。

 魔王国のクルマエビは海洋族から仕入れているが、帝国内でもクルマエビが手に入るらしい。


 ビアンカ皇女は運ばれてくるエビフライから目を離さない。

 その目は期待と歓喜に満ちあふれている。

 一目でエビフライが大好きなんだとわかるほどだ。


 エビフライが彼女の前にそっと置かれた。

 その身の大きさは目算十五センチ。なかなか大きめのサイズだ。

 きつね色の衣から、ほのかにあがる湯気がまだ揚げたてであることを示している。

 ビアンカ皇女は目の前のエビフライを真剣な表情で見ていた。

 何かを確かめているような鋭い目だ。

 しばらくして湯気の勢いが少し弱まった。

 次の瞬間、ビアンカ皇女の目が光り、小さな手が素早くフォークに伸びる。

 彼女はエビフライの温度を見極めていたに違いない!

 その手の動きは、まるで川を流れる水のように滑らかだ。

 ビアンカ皇女は華麗な動きで手にしたフォークを勢いよく、躊躇なく、力強くエビフライに突き立てた。


 その様子を見たジュリアさんが、「あっ」と小さな声を漏らす。

 どうやら帝国のマナー的には、よろしくない行為だったらしい。


 ちなみに、トリバス皇子はナイフとフォークを使って優雅に口へと運んでいる。妹のワイルドな行動に苦笑を浮かべているが、見慣れているのか何も言わない。


 ビアンカ皇女はジュリアさんの苦言めいた声にも満足げな表情だ。

 エビフライ一本まるごと手中に収めた彼女は、次にタルタルソースの入った容器にそのエビを突っ込んだ。

 動きに一切の迷いがない。


 さらタルタルソースを少しでも多くからめようとフォークを動かす。

 そして、ゆっくりと持ち上げられるエビフライ。

 たっぷりのタルタルソースをまとうエビフライ。

 きつね色の衣と白いソースの対比が美しいエビフライ。


 それを皇女は口へと運ぶ。

 エビフライがゆっくりと彼女の小さな口へと近づいていく。

 そのときタルタルソースが、たぁらりとこぼれそうになる。

 ソースが落ちる――誰もがそう思った。

 だが、ソースがたれるよりも早く、ビアンカ皇女は口を大きく開けてエビフライにかぶりついたっ!

 からりと揚げられた衣が、サクッと小気味よい音を立てる。

 その瞬間、ビアンカ皇女はとろけるような表情を浮かべた。


 気づけば、ここにいる全員が彼女の様子を見守っていた。

 トリバス皇子をはじめ、隊長や侍女の二人もどこか微笑ましい笑みを浮かべている。


 んくんくと小さな口で咀嚼そしゃくする皇女は今、エビフライと一緒に幸せを噛みしめている。

 そんな皇女の姿に誰がマナーうんぬんと言えるだろうか。

 ジュリアさんも笑みを浮かべながら、仕方がないわねと諦めている。

 今のビアンカ皇女の姿は、まるでティリアお嬢様そっくりだった。


「ビアンカはエビ料理の中でもエビフライが大好きでね。特にタルタルソースをたっぷりつけて食べるのがお気に入りなんだよ」


 見ていればわかることだが、トリバス皇子(お兄ちゃん)は妹の好みをちゃんと把握していた。えらいぞ、お兄ちゃん。

 だが、そう言った彼の言葉に違和感を覚える。


「んん? あれ?」


 エビフライ? それにタルタルソース?

 そういえば、なぜエビフライとタルタルソースがあるんだ?


 しばし考え込んでいると僕の様子に気づいたトリバス皇子が言葉を続けた。


「あー、エビフライっていうのは今、ビアンカが食べているエビ料理の名前だよ」


 トリバス皇子の言葉にビアンカ皇女がフォークに刺したままのエビフライを高々と掲げ、僕に見せてくれた。

 なぜか少しドヤ顔で。


 一度はマナー違反を見逃したジュリアさんも苦笑気味だ。

 淑女として食事中の、「とったどー」的な仕草はさすがに看過できなかったらしい。

 優しく皇女の手をとり、そっと下ろしている。


 もちろんエビフライの名前は知っている。

 お嬢様の離乳食卒業パーティーに出すつもりだったし、前世では馴染みの深い料理だ。

 だけど、なぜエビフライという名前をトリバス皇子が知っているのだろう。


 するとビアンカ皇女が話しかけてきた。


「あのね。ほかにも すきなもの あるよ」

「そうなんですね。ビアンカ皇女はほかにどんな料理がお好きですか」

「おむらいす すきっ!」

「オ、オムライスですか!?」


 勢いよく答えられた皇女の『好き』は、なんとオムライス。

 以前、お嬢様はオムレツを喜んでくださった。

 そのため卒業パーティーでは同じような卵料理であるオムライスを出すつもりだった。

 まさかエビフライに続いて、オムライスまであるとは。


「アルクくんに言ってもわからないよね。簡単に説明するとトマトケチャップという調味料で味付けしたご飯を卵で包んだものなんだ」


 オムライスは知っています。

 知っていますけど、驚いているのはそうじゃないです。

 ここにあることに驚いているんです。


「トマトケチャップもあるんですか! それにご飯!? ということはお米も!」

「ん? トマトケチャップとお米も知っているのかい。帝国ではトマトケチャップの原料となるトマトもお米を作っているよ」


 エビフライとタルタルソースに続き、オムライスにトマトケチャップか。

 帝国でその名を聞くとは思わなかった。

 ふとロールキャベツのことが頭の中をよぎる。

 ロールキャベツは転生者であるアカリさんがこの世界に残した料理だ。


「お米もトマトケチャップも食べたことがあるんです。馴染みのあるものが帝国でも食べられていることに驚きました」


 ということにしておいた。

 お米もタルタルソースもトマトケチャップも魔王国で生産中である。

 どこで食べたの、と聞かれても答えられないし、答えない。


「ところで殿下。料理に使われていたエビは帝都で手に入るのですか」


 お嬢様のためにも、ぜひ持って帰りたい。

 尋ねるとトリバス皇子は困った顔をする。


「じつは今日の料理に使った食材は皇族のみが食べることを許されているものが多くてね。市場には流れていないんだ。特にエビ類はそうだね。密漁は罪になるよ」


 例えばセミエビ、ヒゴロモエビ(ブドウエビ)クロザコエビ(モサエビ)ビは処罰の対象となる。


「イセエビは! クルマエビは!」

「イセエビもだね。ただ褒美として功績のあった貴族に下賜されることはある。期待された目でみられても困るんだけど、イセエビを下賜するのは皇帝の役目で、皇子である私では、こうして食事会に出席した客人に出すくらいしかできないからね」


 皇子はそう言って苦笑した。


 クルマエビも同様だ。

 しかもこちらは養殖しているにも関わらず、ダメらしい。

 なんでも皇皇族主催の晩餐会や食事会などで多く使われるエビらしく、養殖されたクルマエビはほとんどそこで消費されてしまう。

 ミストファング侯爵領リバシールでもクルマエビの養殖を始めているが、話を聞く限り帝国のほうが一歩も二歩も進んでいた。

 そうなると現物(クルマエビ)も欲しいが養殖技術も欲しいところ。

 とはいえ無理強いはできない。


「そう……でしたか。残念ですが今日の料理をしっかり味わっていきたいと思います」

「ぜひそうしていってほしい。たくさんあるからね。遠慮しないで食べていっておくれ」


 ……皇族限定かぁ。

 しかもイセエビは皇帝だけが下賜できるときたもんだ。

 その皇帝は病で伏せっているし、僕はこの国の貴族でもなんでもない。

 つるの肉みたいな江戸時代の献上品じゃあるまいし、エビが貴重すぎる!


 帝国が魔王国に敵対していれば遠慮なく根こそぎいただいていくんだけど……。


 腹黒いことを考えているとデザートが運ばれてきた。

 ビアンカ皇女も楽しみにしていたようだ。

 椅子の上で落ち着きがなくなっている。


 デザートはひとつだけではない。

 色とりどりの果物やお菓子などが次々と運ばれてくる。

 どれもデザートバイキングのように一口ほどの大きさだ。

 これなら幼いビアンカ皇女もいろいろな種類のデザートが楽しめる。

 そのとき並べられたデザートのひとつを見て、僕は思わず目を見開いた。


 デザートの中にあったもの。

 それはプリンだ。

 しかもただのプリンではない。

 プリンの乗っている器には様々なフルーツに加え、小さなケーキにアイスクリーム。極めつけはたっぷりの生クリームの上に乗せられた枝付きサクランボ。

 シロップ漬けのサクランボを生クリームに乗せるこだわりは喫茶店の再現かよ、とツッコみたくなる。

 これは、まさにプリン・ア・ラ・モードで間違いない。


「これは帝国で採れた食材を使ったプリン・ア・ラ・モードというデザートだよ」


 誇らしげに教えてくれたトリバス皇子によれば、これはやはりプリン・ア・ラ・モードだった。


「これも だいすきー」


 可愛らしい声に目を向けると、ビアンカ皇女がスプーンを握りしめていた。その目はプリン・ア・ラ・モードに注がれている。

 しかも先ほどより背筋が伸びており、姿勢がいい。


 ジュリアさんは満足げな表情でビアンカ皇女を見ると、彼女の前にプリン・ア・ラ・モードを用意する。それを見たビアンカ皇女は大切な儀式を待つように神妙な面持ちで何かを待っていた。


 するとルアンナさんが笑みを浮かべながら、彼女のプリン・ア・ラ・モードにトロリとした褐色の液体をかけた。

 褐色の液体がプリンを伝っていく様子に皇女は、「むふぅ」と声を漏らす。


 僕の隣にも同じものが用意されている。

 液体の入った小瓶を手に取ると、特徴的な甘い香りが鼻をくすぐる。

 この匂いに覚えがある。

 しかもごく最近、いだ匂いだ。


 間違いない。これはメープルシロップだ。

 しかもダンジョン産ではなく、地上産のメープルシロップである。

 この場にいない妖精が小躍りしている姿が目に浮かぶ。

 もしかすると今ごろ、帝国に向かっているかもしれない。

 帝国のメープルシロップ産業の危機である。


 プリン・ア・ラ・モードに乗っている小さなケーキに手を付ける。

 一口食べてみると、それはクリを使ったモンブランであることがわかった。しかもマロングラッセ(クリの砂糖漬け)が一個丸ごと入っている。

 帝国にはサトウカエデだけでなく、クリの木もあるということだ。


 次々と見つかる新たな食材に心が躍る。

 帝国にはまだまだ発見していない食材が豊富にある可能性が高い。


 気になっているのは食材だけではない。

 これまでに出てきた料理たちだ。

 エビフライ、タルタルソース、トマトケチャップ。プリン・ア・ラ・モード。オムライスの名前も耳にした。


 なぜ、これら前世にあった料理が出てきたのか。

 魔王国や侯爵領に優秀な帝国の諜報員がいて、僕の作った料理のレシピをことごとく盗み出して再現したというのなら、多少は納得できる。

 だが、エビフライを作ったことはないし、モンブランは作ろうにもクリを見つけていなかった。


「帝国の料理はどうだったかな」

「どれもすばらしかったです。これまでにない料理に感動しましたよ。エビフライもですが、イセエビやプリン・ア・ラ・モードには驚きました」


 これは正直な感想だ。

 特にプリン・ア・ラ・モードは素晴らしかった。

 僕が作るもの以上の出来だ。

 メープルシロップとモンブランがプリン・ア・ラ・モードの格を一段階引き上げ、より上品に仕上げていた。また酸味のある柑橘系の果物も口直しとしてポイントが高い。


 あと枝付きのサクランボの再現には驚いた。

 加工前のサクランボや砂糖漬けは見つけていたが、シロップ漬けは初めてだ。

 やはり、これがあるとしっくりくる。


 それに味だけではない。

 複数のデザートを一口ずつ出す手法はお嬢様の離乳食卒業パーティーでも採用したいと思う。

 今すぐ帰って、レイゴストさんに伝えたい。


 これら料理の出所について聞かなければ。

 そう思っていると、その答えはトリバス皇子本人から語られた。


「じつはこれらの料理は、ある人物が編み出したレシピなんだ」

「これだけのものを一人で?」

「ああ、しかも全部、ビアンカのために用意されたものなんだ。ただ本人は困った顔で、知っていただけだと言っていたけどね」


 トリバス皇子は肩をすくめながら、「でも、どこで知ったのか教えてくれなかった」と付け加えた。


「それって、どなたなんですか?」

「私の兄。第二皇子であるジェミノス=アッテンドリアさ」


 ◆


 食事会終了後、トリバス皇子から少し付き合って欲しいと言われた僕はジェミノス=アッテンドリア第二皇子の部屋にいる。


 ランプ型魔道具に照らされた広い室内は高価そうな調度品が並び、いかにも高貴な方が住んでいらっしゃいますといった雰囲気が漂っていた。

 同行しているのはトリバス皇子のほかにブラン隊長が一緒だ。

 ビアンカ皇女と侍女の二人はすでに部屋に戻っており、ここにはいない。


 てっきりジェミノス皇子に会わせるつもりだと考えていたが、第二皇子は部屋にいなかった。


「よろしかったのですか。本人不在の部屋に平民の僕を通して」

「かまわないさ。今、兄はいないからね」

「いない? ああ、ご公務か何かですか」

「いや。兄は他国に留学している」

「なるほど留学でしたか」

「――と、いうことになっている」


 ……。


「――はい?」

「話は聞いているよ。アルクくんはジュリアに兄のことを聞いたそうだね」

「ええ。ウリナムス第一皇子とお会いした流れで」

「ああ、もう一人の兄が失礼な振る舞いをしたようだね。キミには申し訳ないことをした」

「いえ、お気になさらず」

「じつは兄ジュミノス=アッテンドリアは現在、どこに行ったのかわからない状態だ。平民風にいうなら家出中だね」

「はいぃぃぃ? い、家出!? 殿下っ! そのようなこと僕に話していいんですかっ!」


 皇族が一人いなくなった。

 しかも家出。

 大ごとである。


「隊長のブランをはじめ、私と近い騎士や使用人たちは皆、知っている話なんだけど――いやぁ、まずいね。じつにまずい。どうやらキミは帝国の機密事項を知ってしまったようだ」

「聞かせたのは殿下ですよね!?」

「あれ? そうだったっけ? 先にアルクくんが兄のことを聞きたがったんじゃないの?」


 そう言ってトリバス皇子はニヤニヤと笑う。

 隣ではブラン隊長が疲れた顔をしながら、目頭を押えていた。


 うん、わざとだな、こりゃ。

 はあ、やれやれ。

 皇子には困ったものだ。

 ブラン隊長は相当苦労していそうだ。


「それで? 殿下は僕に何をさせたいんですか?」

「……キミ、察しが良すぎない? こうなんていうか、もっと言葉の駆け引きというか、すったもんだしながら互いの妥協点を探りつつ、会話を楽しもうという気はないの?」

「何をおっしゃっているんですか。すったもんだすると物理的に首が飛びそうな皇族を前にして、ただの平民に会話を楽しめる度胸なんてあるわけないでしょう。それに妥協点って殿下の手の中にありますよね。せめて盤上の真ん中に置いてから言ってください。あと駆け引きしたいのなら身分を明かす前の殿下を連れてくるべきです。俺、皇族だけど何かと宣言してから、ケンカしようぜと言わないでください。平民の顔を引きつらせて面白いですか?」

「……いいね! いいよ! そういうのだよ! そういうのを私は求めているんだ!」


 ああ、この国の権力者もどこかおかしいのか。

 平民の執事見習いに外交官を無理強いする魔王とか、妹狂い(シスコン)王族兄弟(スミール王国の王子ら)とかを思い出した。


「それなのにアルクくんは全部省略したよね。ひどくない?」

「そ・れ・で? 何をすればよろしいのでしょうか。トリバス=アッテンドリア殿下?」

「……ねえ、ブラン。この子ひどいよね。私と会話をする意志が感じられない」

「殿下ほどではないと思いますよ。それに面倒ですし」

「くっ、味方がいない!?」


 さすがブラン隊長。よくわかっている。

 しばらく立ち直ることのできなかった皇子だが、その後、なんとか復活した。

 その皇子から頼まれた内容は難しいものではない。


「魔道具の修理?」

「そう。今日、キミはランプ型の魔道具を直してくれたそうじゃない。その腕を貸してもらいたいんだ。直せても直せなくても報酬は出すよ」

「ああ、あれですか。いい魔道具でしたね。さすが魔道具の発展著しい帝国だと感心したものです」

「そう言ってもらえると誇らしいね。でもあの魔道具、じつはこれまで修理できる者がいなかったんだ」

「作った人ならわかると思いますけど」

「あの魔道具を作ったのは城から出て行った兄なんだよ」

「第二皇子が?」

「ああ、兄は料理の知識のほかに魔道具の作成も得意でね。我々では思いつかないような魔道具を次から次へと編み出したものさ。城に設置されたランプ型魔道具は全部、兄が作ったものだよ。それも十歳のときに」

「十歳!? 十歳であれを?」

「十年はもつと言ってたけど、もう十年以上経つね。さすがにいくつか壊れちゃったけど」


 トリバス皇子は懐かしそうに言うと当時のことを思い出しているのか、しばらく宙に目を走らせた。


 第二皇子は十歳の時点で、魔王国の質に近い魔道具を作った。

 見本を手に同じものを作ることは、なんとか僕でもできるだろう。

 だが、見本もなしに最初から設計し、作れと言われたら無理だ。

 何者だよ、第二皇子。


「トリバス殿下。修理はお受けしますが、状態によっては直せないかもしれませんよ」

「かまわないさ。元々直せなくて放置してあるんだから。ランプ以外の魔道具もあるから一度みてもらえるかい」


 そう言うと部屋の奥にあった小部屋に通された。

 小部屋といって十畳ほどの広さがあり、そこは様々な魔道具で溢れていた。

 乱雑に置かれた魔道具は百や二百どころではない。

 その量に思わず、冷や汗が流れた。


「あの~、さすがに全部を直す時間はありませんけど」


 僕には時間がない。

 確実に失踪する自信がある。

 すでに失踪したい。

 疾走して失踪したい。

 第二皇子はこれを修理するのが嫌で家出したんじゃないか。


「さすがにそこまでは言わないよ。直して欲しいのはこれだけさ」


 トリバス皇子が示した台には五つの魔道具が置いてある。

 そのうち三つは僕が直したランプ型の魔道具と同じもの。

 もうひとつはL字を半回転したような筒状の魔道具。

 最後のひとつは何やら平らな板のような魔道具だった。


 さっそく目新しい筒状のL字型魔道具を手に取る。

 手に持つ部分と空洞になった筒部分に分かれている。

 手に持つ部分に赤と青の丸印が上下に刻印されており、その真ん中につまみがあった。

 つまみを上下に動かしてみたが何も反応しない。


「それは本来、起動させると暖かい風と冷たい風が出る魔道具さ。兄は『ドリャア』と言っていたかな」


 なにその気合いの入った魔道具名。

 投擲武器か何かなの?

 ところがブラン隊長が皇子の言葉を一刀両断する。


「……全然、違います。殿下」

「記憶力には自信がある方なんだけどなぁ。どうも兄が作った魔道具の名前だけは覚えられない」


 そう言って苦笑する皇子に変わってブラン隊長が教えてくれた。


「それは『ドライヤー』という魔道具です。洗った髪を乾かしてくれるもので、ジェミノス殿下は『携帯用魔力(かみ)乾燥機 カミカワーク』と言っておられました」


 ドライヤーだって!?

 まさかあのドライヤーか!?

 僕の心の中にもやもやとしたものがうごめき出す。


「そうだ! ドライヤーだ! いつも最初に変な名前をつけるから覚えられないんだよ。あとで不満そうな顔をして、言い直した名前のほうがセンスいいのにね。同じ人物が考えた名前だと思えない、あのセンスの差は何だったんだろう」


 『カミカワーク』の名をスルーした僕は、次に板型の魔道具を手に取った。

 板の端には目盛りが刻印されており、回すタイプのつまみがある。

 ランプ型魔道具にあったような調整用のつまみっぽい。


「それは『ホットプレート』ですね。焼く、煮る、炒める、保温ができ、温度調整可能な調理用魔道具です。皇子は『設置用魔力焙烙(ほうろく) ヤイターリニターリ』という名前をつけておられましたが」


 ……ホットプレート。

 ややこしいほうの名前はこれまた全力でスルーである。

 だが、これではっきりした。

 間違いない。


 この国の第二皇子であるジェミノス=アッテンドリアは転生者だ。

 しかも僕やアカリさんと同じ世界から来た可能性が高い。

 『ドライヤー』や『ホットプレート』の名前が何よりの証明だ。

 転生者ならエビフライやプリン・ア・ラ・モード、それにドライヤーとホットプレートを知っていてもおかしくない。


 魔道具を持った手が自然と震えてくる。

 僕以外にも転生者がいるという話は白の賢者様から直接聞いていた。

 すでに亡くなっているアカリさんも転生者だった。

 でも同じ時代に生きる転生者は初めてだ。

 こういうとき、なんて言えばいいのだろうか。


 ……。


 ――あのさぁ。白の賢者様。

 ちょーーーっとガバガバじゃない?

 記憶消えてないんだけど!

 以前、「前世の記憶はほとんど消しちゃってあるし」って言っていたよね?

 白の賢者様は魔族の神で、人族は管轄じゃないとか?

 仮にそうだとしても、神様たちいい加減すぎやしませんかね。


 ――あっ! 今、思い出してみれば、「ほとんど」って言ってやがった!

 全部消していないじゃないか!

 もしかして、ほとんど消えていないの間違いなんじゃないの!


「ほう。さすがだね。もう直してしまったのか」

「……ええ。こういった工作は得意なんで」


 くっ。

 神様に文句を言っている間に勢いで直してしまった。


「ありがとう。助かったよ。報酬は何にしようか。何か欲しいものはあるかい」

「エビ以外で?」

「エビ以外で」


 やはりダメか。

 本当にエビの価値が高いなぁ。

 だったら――。


「もし差し障りがなければ城を出られたジェミノス殿下のことを教えてもらえませんか?」

「兄のことを?」

「はい。不遜かと存じますが第二皇子とは何か深い繋がりを感じます」


 主に前世からの転生者的な意味で。


「うーん。兄が家出したという皇族の醜聞は聞かれちゃったし、これも縁かなぁ」


 醜聞を聞かせたのはトリバス皇子です。

 その言い方には悪意と語弊があります。


 僕の声なき抗議は聞こえない。

 そんなトリバス皇子から語られたジェミノス=アッテンドリア第二皇子は非常に興味深いものだった。


 ◆


 ジェミノス第二皇子はトリバス皇子やビアンカ皇女の兄であり、正妃が生んだ第一位の皇位継承者である。

 彼は剣術や魔法に優れた才能を見せ、八歳のときには神童と呼ばれるようになった。そんな彼を貴族たちは初代皇帝レイ=アッテンドリアの生まれ変わりともてはやす。


 ジェミノス皇子自身は剣術が好きではなかった。

 逆に魔法は好きで、いくつか独自の魔法も開発したという。

 だが、魔法は誰もが使える便利なものではない。

 そこでジェミノス皇子は誰でも使うことのできる魔道具に注目し、研究に没頭していった。


 彼は魔道具作りでもその才能を開花させる。

 これまでにない発想で数々の魔道具を開発し、帝国の発展に貢献した。

 戦争や内乱がなかったこともあって、その多くは生活をより便利にするものが中心だったそうだ。


 だが魔道具作りに夢中になる息子に父である皇帝はあまりいい顔をしなかった。

 父と息子というより、皇帝と皇子という立場もあってか、二人の仲はどこかよそよそしいものだったという。


 そんな第二皇子が家出したのは今から三年前。

 ビアンカ皇女が生まれてすぐのこと。

 彼が十八のときだった。


 第二皇子は年の離れた妹の誕生を心から祝福し、喜んだそうだ。

 ところがビアンカ皇女を生んだ正妃は産後の肥立ちが悪く、しばらくしてから亡くなってしまった。

 これがきっかけで皇帝とジェミノス皇子との仲に決定的な亀裂が生じることになる。


 トリバス皇子によると、ある日、ジェミノス皇子はアッテンドリア皇帝と大げんかをした。

 母の死に悲しそうな顔ひとつ見せない皇帝が許せなかったらしい。

 第二皇子の目には、愛する者の死すら平然としている血も涙もない皇帝としか映らなかった。彼は、そんなやつの後継者など願い下げだと言い放ち、そのまま城を出ていってしまったという。


 出て行く前、トリバス皇子には迷惑をかけると伝えていったそうだ。

 まだ赤子のビアンカ皇女に寂しそうな笑みを向けていたことが忘れられないとトリバス皇子は付け加えた。


「兄の気持ちもわかるんだけどね。ただ最近になって皇帝の、父の気持ちも分かるようになった。本当はきっと兄もわかっているじゃないかな」


 皇帝は配下に弱気なところ見せられない。

 常に毅然きぜんとした態度で国を導くのが皇帝の役目である。

 それは家族に対しても同様だ。

 たとえ心が裂けそうなほど悲しかったとしても。


 兄は優しすぎたのかもしれない。

 皇帝である父は厳しすぎたのかもしれない。

 皇帝の立場を理解できなかった兄は覚悟が足りなかったのかもしれない。

 兄の思いを受け止めることができなかった父は皇帝という立場に固執し過ぎていたのかもしれない。

 そして二人とも言葉が足りなかった。


 トリバス皇子は目を伏して寂しそうに語った。


 家出したジェミノス皇子だが、数多くの魔道具を残していた。

 妹がよく眠れるようにと自動で揺れる『ゆりかご』を。

 妹の髪が美しくありますようにと『ドライヤー』を。

 妹が冷たい食事をしなくてもいいようにと『ホットプレート』を。

 妹が暑がらないようにと『クーラー』を。

 妹が寒がらないようにと『ヒーター』を。

 ちなみに、この『クーラー』と『ヒーター』は馬車にも搭載されている。

 それとジェミノス皇子が最初につけた名前は割愛した。


「ビアンカ皇女のために、ですか」

「ああ。母が懐妊してからずっと考えていたみたいだ。ビアンカが生まれてから、寝る間も惜しまず、黙々と作っていたよ」

「すごいですね」

「ほかにも様々な髪型が楽しめるようにと『ヘアアイロン』。美しい歯を保つための『魔道歯ブラシ』。のどを痛めて美しい声がかすれないようにと『加湿器』とやらまで作っていた」

「生まれて間もない妹のために?」

「髪も歯も生えていない、泣くことしかできない生まれたばかりの妹のために」

「……」

「……」

「弟だったらどうしたんでしょうね?」

「フッ。私は兄から魔道具をもらったことがなくてね」

「……はい」


 妹、大好きか第二皇子。

 トリバス皇子、どんまい!


「当然のことながらビアンカは兄の顔を知らないし、留学中だと信じている」

「生まれてすぐ城を出ていかれてますからね。ところで一度も帰っておられないのですか」

「ああ、一度も帰ってきていない。それでもビアンカは自分のために魔道具をたくさん作ってくれた兄を心から敬愛しているし、いつか会える日を楽しみにしている」

「いらっしゃる場所はわかっているのですか?」

「いや、どこにいるのかわからない。ただ元気ではいるようだ。毎年、ビアンカの誕生日には必ずプレゼントが届くからね。しかも、どうやって城に届けたのかわからないんだよ。突然、置いてあるんだ」


 妹、大好きだな第二皇子。

 あと、そこまで居場所を知られたくないのか第二皇子。


「ちなみにビアンカ皇女一歳の誕生日に何を送ってこられたか聞いても?」

「温度が変わらない『設置型魔力保冷箱 ミッペイサンドシータモーツ』に『バースデーケーキ』というお菓子を入れて送ってきた。魔道具はそこに置いてあるはずだ」


 そう言って示したのは五十センチ四方で高さ三十センチくらいの箱型魔道具だった。

 名前がジェミノス皇子流なのは、彼が城にいないのでほかの候補が聞けなかったからだと推測する。

 名前からすると、ケーキに最適な温度摂氏三度(3℃)に保ち、密閉できる魔道具のようだ。

 そのまんまだな、おい。


 この魔道具。もともと『バースデーケーキ』を送るためだけに作ったようで、すぐに動かなくなったそうだ。再利用しようとしたが、城の魔道具士に見せてもさっぱり仕組みがわからなかったらしい。


「ん?」


 保冷用魔道具を手にしたときのこと。

 箱の表面に何かの絵が描かれていることがわかった。

 ただ塗料の大部分がはげてしまっており、何が描かれていたのかよくわからない。


「そこには帝国のおとぎ話に出てくる妖精の絵が描かれていたんだ。妹がその絵を気に入っていたんだけど、時間とともに剥がれちゃったんだよ」

「もしかしてその絵も第二皇子が描かれたものですか?」

「ああ。兄は絵心があってね。そういえば、ビアンカのために書いたおとぎ話が残っていたな。ここにも予備があったと思うんだけど――あー、あったあった」


 皇子から何冊か本を渡される。

 渡されたのは絵本だった。

 話の内容は零時になると魔法が解けるガラスの靴で有名な物語や赤と青の服を着た二匹のネズミの物語などだ。

 描かれた絵はそれぞれメルヘンチックな優しさと美しさ、何より可愛らしさにあふれている。

 それらは素人目からしても卓越した腕前だと分かる絵だった。


「こういうのならいいんだ。えっと……ほかにも兄の残していった絵画がこの部屋のどこかに残っていたはずだけど」

「殿下、こちらです」


 ブラン隊長が取り出したのは用紙のたばだ。

 前世でいうスケッチブックみたいなものである。

 さっそく広げて見せてもらう


「こ、これって……」

「うん。言いたいことはわかるよ。兄は独特な絵を描く人でね」

「確かに独特……ですね」

「妖精の絵や絵本のおかげもあって妹は兄の描いた絵が好きなんだ。だけど、ほとんどの絵は見せたり、城に飾ったりするのに不向きでね」

「ビアンカ皇女含め、城内には女性も多いですから」


 トリバス皇子とブラン隊長はそう言って苦笑した。

 見せてもらった第二皇子が描いた絵画たち。

 最初のほうの用紙に描かれた作品はポーズを取る妖精や神秘的なエルフ(女性)の姿絵だった。絵本にも出てきたような可愛らしさと美しさがある。


 ここまでなら問題はないし、ビアンカ皇女に見せても文句は言われない。


 だが、彼の描いた絵はそれだけではない。

 用紙をめくるたび、それは明らかになる。

 きわどいミニスカートタイプのメイド服を着たエルフ女性。

 ロングスカートをたくし上げる侍女のお姉さん。

 破れた服を必死で押える女性神官。

 ベッドで仰向けになって無防備に寝転ぶ獣族と思われる猫耳の娘。

 頭から角を生やし、コウモリのような翼を持ち、長い尻尾の生えたビキニ姿の悪魔の絵もある。

 純粋さと可愛らしさからかけ離れた、きわどい衣装を着せられた女性の絵のほうが多かった。


 うん。

 これは飾れないし、ビアンカ皇女には見せられない。


 その画風はこの世界ではお目にかかれない、前世のとある町の看板に描かれているような作品だ。


 家出した第二皇子の様々な顔。

 神童と呼ばれた剣術と魔法の才能。

 様々な魔道具を生み出す魔道具士。

 この世界にはない画風と前世にあった物語。

 そんな彼は僕と同じ転生者。


 まだ会ったことのない第二皇子。

 だが、この転生した世界で彼が描いた画風と同じ絵に、僕は見覚えがあった。


 ◆


 魔道具の修理を終えたあと、トリバス皇子から城に泊まっていくよう勧められた。

 昨晩から妙に引き止められるのはなぜだろうか。

 少しでも早く食材を探しに行きたかったが、すでに日は落ち、外は暗く、店も市場は閉まっている。


 それに明日の朝、ブラン隊長自ら帝都の案内をすると申し出てくれた。

 隊長の好意に結構ですとも邪魔ですとも言いづらい。

 『毒を食らわば皿まで』という言葉もある。

 本当に食らったら、死んでしまうので食わないけれど。

 結局、僕は城で一晩を過ごすことにした。


 ――そう、表向きは。


 皆が寝静まった頃合いをみて、昨日と同じように『執事ゲート』で魔王国に戻るつもりだ。

 レイゴストさんにパーティーで出すデザートについて相談する必要がある。

 朝までに戻れば大丈夫。

 できれば、お嬢様におはようのご挨拶くらいはしておきたい。

 とりあえず今は皆が寝静まるまで仮眠をとるつもりだ。


 だが、予定は思わぬ事態により変更せざるを得なくなる。


 魔王国に戻る前、仮眠していたときのこと。

 寝ている部屋に突然、セルヴァが現れた。

 それが、僕の予定を狂わせた一日の始まりの合図であった。


「――ク様。――アルク様」

「……ん? セルヴァか。そろそろ戻る時間かな?」

「いえ、予定よりも早い時間です。じつは――」


 姿を見せたセルヴァ。

 彼から話を聞いた僕は思わず呆れてしまった。


「――それって本当?」

「間違いございません」

「ハァ。そんな稚拙な計画を実行に移すとか、なんて愚かなんだ」


 魔王国に戻ることができなくなった。

 レイゴストさんと打ち合わせもできなくなった。

 何より、お嬢様におはようの挨拶ができなくなった。


 こうなると僕が今、城を離れるのはまずい。

 というよりも非常に面倒くさいことになる。


「いかがいたしましょう」

「それで、()()()()()ビアンカ皇女()()は無事なの?」

「皇女と侍女ジュリアともに無事です。今は薬で眠らされており、ベッドに寝かされております」

「場所は?」

「帝都内にある貴族の屋敷です。部下のインプを数匹つけていますので、今すぐ救出は可能かと。いかがいたしましょう?」

「いや、二人が無事なら救出はあとでいい。インプはそのまま待機。ただし、二人の安全を第一に考えるように。彼女たちに危険が迫るようなら救出するように。それと――ミスチフ。フィエルダー!」

「「はっ」」


 僕の呼びかけに対し、瞬時に現れる二人の使い魔。


「ミスチフはスミールの拠点にいるアリシアさん宛てに手紙を届けてもらいたい。大至急、会ってもらいたい人がいる。それと、もしヒミカさんが拠点に残っていてくれたのなら彼女にも手紙を渡して欲しい」

「はっ。かしこまりました」

「フィエルダーは魔王国に戻って王室管理局局長のオフェリアさんに連絡。いや、オフェリアさんにも手紙のほうがいいか。手紙は魔王国()()()アルクからだと伝えるように」

「外交官として、ですか。よろしいので?」

「面倒なことになりそうだけど、今はこの立場を利用させてもらうさ。まだ外交官から解任されていないしね。本当に面倒だけど」

「かしこまりました」


 本気で面倒だと思っていることがわかったのだろう。

 セルヴァたちも苦笑している。

 なんで食材を探しに帝都に来ただけなのに、次から次へと問題が起きるのだろうか。

 外交官としての仕事は終わったつもりだったのに。


 紙とペンを取り出し、さっそく手紙を書く。

 はあ、アリシアさんとヒミカさん宛ての手紙はともかく、オフェリアさん宛ての手紙が面倒くさい。


 オフェリアさんにはあるお願いをするつもりだった。

 ただ、そのお願いを聞いてもらうためには帝国と交流する場合のメリットを提示する必要がある。

 ところが外交官として冷静に判断すると、今の帝国と国交を結んでもメリットがあまりないのだ。


 問題は両国の位置にある。

 両国はドラゴンフォール山脈を挟んで、南北に位置している。

 地図上では極めて近い。

 だが、ドラゴンフォール山脈が両国の交流を阻んでいた。

 徒歩で超えられない以上、魔法に頼らず行き来するためには航路しか残されていない。


 ところが航路にも問題があった。

 まず魔王国が海に面しているのは南と東のみ。

 そしてそのほとんどは断崖絶壁だ。

 そんな魔王国から帝国に船で行こうとすると、大陸を東回りにぐるりと大きく迂回する必要がある。それでも一番近い航路だ。


 帝国の港がどこにあるか把握していないので何ともいえないが、最短距離でも数ヶ月はかかるだろう。

 結局、帝国とは近くて――山脈のせいで――遠い国なのだ。


 もしオフェリアさんに、「そんな帝国と交流を結ぶ必要ってあるの?」と言われてしまうとぐぅの音も出ない。

 そうなるとお願いは聞いてもらえない。

 お願いを聞いてもらえないと計画の見直しが必要となる。


 とりあえずメリットとして魔道具の独自機能について触れておく。

 帝国は柔軟な発想する者が多いですよ、と。


 あとは、イセエビのことを書いておくか。

 帝国にしかない食材は魅力的だ。

 エビ類は入手できるかわからないから、そこは確実に取引できるかどうか明言しないよう要注意だ。嘘は良くないからね。

 それでも皇帝が食す最高級食材と書いておけば、話だけでも魔王の一匹や二匹釣れるだろう。

 まさにエビでタイを釣る、だ。

 魚の王様はタイだと言われていたし、魔王は一応、魔族の王だからある意味、間違っていない。

 魔王はタイみたいに食えないけど。

 油断できないという意味とカニバリズム的な意味、両方で。


「セルヴァはこのまま僕と一緒に待機。ここでお迎えを待つとしよう。どうせそのうち来るでしょ」

処分(ころころ)しますか?」

「それは最後の手段に取っておこうよ」


 なんでも処分すればいいというものではありません。

 モノは大事に使いましょう。

 修理して使えないものや価値のないものは処分すればいいけど、処分にも理由が必要だよ、セルヴァくん。


「魔力は十分残っているから問題なし、と。ほかにやることあったかな。あっ、そうだ――」



 明け方前。

 そのときはやってきた。

 正直言うと、やっときた。

 こちらはすでに準備万端。

 いったい何時間待ったと思っているんだ。


 ドンッ!


「冒険者アルクっ! 貴様を皇女ゆ――」


 ゴンッ!


 部屋の扉が勢いよく開くのと同時に武装した騎士たちがなだれ込んできた。

 皇族近衛騎士インペリアルガードたちだ。

 ブラン隊長とは別の第四近衛騎士隊の印がちらりと見える。


 だが、なだれ込んできた騎士たちは先頭に立つ隊長らしき男を筆頭に次々と転倒していった。あとに続く騎士たちも倒れた仲間につまずき、巻き込まれていく。

 入ってきた勢いを殺さない見事な転びっぷりである。

 ぐえっと何かが潰れるような声がしたが、誰の声なのか僕にはわからない。

 僕は座っていたベッドから立ち上がると転がる彼らを見下ろした。


 彼らを床に転がした物の正体。

 それはローテーブルである。

 ちょいと城の廊下から借りてきて、扉の前に並べておいた。

 さすがは大きな壺や石像を乗せていただけのことはある。

 武装した男がぶつかっても壊れていない。


「大丈夫ですかっ! なぜこんなところにローテーブルが!」


 何食わぬ顔で助け起こそうとしたが、隊長はその手を乱暴に振り払った。

 騎士に埋まっていた隊長は立ち上がると、ぶつけたすねをこするようにさすっている。

 顔を真っ赤にして僕をにらみつけているが、痛みが引かないのか黙ったままだ。ほかの騎士たちはすでに起き上がり、剣を構えて、僕を半円状に囲んでいる。


 しばらくすると、第一皇子が部屋に入ってきた。

 ザルクリフことザールクリフ二号の姿はない。

 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる第一皇子

 その吊り目は、ほとんど糸のようになっており、どこを見ているのかわからない。目があるのかもわからない。


「冒険者アルク。貴様、とんでもないことしてくれたな」

「はて? 何のことでしょうか」

「しらばっくれても無駄だ。貴様がビアンカをさらったことは明白だ」

「えっ! ビアンカ皇女がさらわれたのですかっ!」

「ふっ。まだしらばっくれるか。貴様がやったという――」

「ビアンカ皇女をさらうなら城に来る前にできたはずの僕がですか!?」

「そのような言い訳――」

「それなのに、わざわざインペリアルガードたちが守る堅固な城の中で皇族をさらう? その時点でおかしいでしょう!」

「く、苦し紛れの戯言を――」

「しかも僕は昨日、帝都に来たばかり。この広大な城のどこに皇女の部屋があるか知りませんし、どうやって行くのかもわからないんですよ!」

「ま、前もって入り込んでいたに――」

「前もって入り込んでいたらとしたら、あっさり入り込まれたこの城の警備ってどうなっているんでしょうか。内部構造を把握し、ビアンカ皇女をさらうまで、インペリアルガードは気づかなかったということですよね」

「そ、そうやってインペリアルガードに責任――」

「作り話にしても程があります。熟慮が足りない、賢さが足りない、何より皇女をさらう動機がないです」

「口先で言いくるめようと――」

「――それで? 僕が皇女をさらった証拠は? 城からさらった皇女をどこへ連れて行けるというのです? そもそも皇女がさらわれたとき、インペリアルガードってどこで何をしてたんですか? さらわれてから騒ぎ出すなんて片腹痛い。何かある前に皇族を守るのが役目じゃないの? それは守るとは言わない。対処しているだけだ」


 僕をビアンカ皇女誘拐の犯人に仕立てようとする陰謀。

 今回の件は、すでにセルヴァから聞いていた。

 聞いて耳を疑った。

 なんと、この陰謀はすべて思いつきで行われているのだ。

 無計画、風任せ、中途半端、行き当たりばったり。

 そんな思いつきのせいで、お嬢様のための食材探しが邪魔された。


 絶対に許さない。絶対にだ。

 呪えるものなら思いついたやつを呪ってやりたい。

 ベルゼブブって呪うの得意かな。


 ビアンカ皇女を守れなかったことを指摘されたインペリアルガードたちには苦渋と戸惑いの表情が浮かんでいる。


 一方、第一皇子のこめかみには苦渋や戸惑いではなく、太い青筋が浮かび上がっていた。何度も言葉を遮られたことが気に入らないらしい。

 雨が振った次の日、巨大なミミズをたまに見るが、青筋はそれと同じくらいの太さがある。色もどことなく似ていて気持ちが悪い。


「(翻訳中)ええい! 黙れっ! 減らず口を叩きおって! この私が話しているのだぞ! 私の発言を邪魔したことに対し、謝罪と賠償を要求するっ!(翻訳終了)」


 怒りのせいか舌が回っていなかった。

 獣のようなうめき声と言ったらいいだろうか。

 そこでなんとか人の言葉に訳してみた。

 多分、先ほどのような内容だったはずだ。

 正直、翻訳できた自分に驚いている。


 インペリアルガードたちを見れば、彼らは互いに顔を見合わせている。

 しかも、かなり困った顔だ。

 どうやら彼らも第一皇子の言葉が理解できなかったらしい。

 もし命令が含まれていたとしたら、何もしなければ皇族の命令を無視したことになる。彼らもなんとか皇子の発言を理解しようと必死なのだ。


 だが、続けて第一皇子が言った言葉は理解できた。

 インペリアルガードたちも理解できたようで、その命令に従うようだ。

 全員がホッとした顔をしているので、間違いない。


「このガキを最下層の牢へと放り込めっ!」



 こうして僕は城の地下最下層にある牢へと放り込まれた。

 もちろんおとなしく従いましたとも。


 最下層の牢に窓はなく、明かりすら用意されていない。

 完全な闇。

 寒さのせいで湿気こそないが、ひどい悪臭が鼻をつく。

 床はぬるぬるしており、油断すると滑りそうだ。


 放り込まれたときに確認したが、牢は三メートル四方くらいの広さだった。扉は分厚い鉄でできており、こちらをのぞくための小さな窓がついている。

 ただし、食事を差し入れるような隙間はない。

 ボロボロのベッドと臭そうな毛布が見えたが、正直言って触りたくない。


 なるほど。

 ここは死んでもかまわない連中が放り込まれる死の牢屋ということか。


 扉の向こうには気配ひとつない。

 不用心なことに見張りはいないらしい。

 都合がいいから、かまわないけど。


「やれやれ。この程度で閉じ込めておけると思っているのかねぇ」


 見た目は子供の冒険者。

 人族だったら十分だと思うけど、あいにく僕は人族ではない。


 これから忙しくなる。

 食材を探すためにも時間は無駄にできない。


「――アルク様。おまたせ致しました」


 そんなことを考えていると、暗闇にセルヴァの声が響いた。



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