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第百八十五話 玲瓏(れいろう)たる響きを運ぶ断罪騎士

「やれやれ、困ったものです」


 ミストファング侯爵家の敷地に広がる庭園でローブ姿の少年がつぶやいた。

 彼の名前は賢者。敷地に潜入した侵入者たちの一人だ。

 そんな彼はいつの間にか仲間たちと離ればなれになってしまった。


 使役していた魔物が行方不明となり、一人探しにいった魔物使いを追いかけたときのこと。

 走っていると見る見るうちに、ほかの仲間たちとの距離が離れていく。様子がおかしいと警戒の声を上げたが、こちらの声は届いていないようで、やがて彼らの姿は闇の中へと消えていった。


 そのときになって彼はようやく庭園全体に何かしらの魔法がかけられていることに気づく。この国にただよう膨大な魔力のせいで、隠蔽された魔法に気づくのが遅れたのだ。

 しばらく一人で庭園を歩いたが魔法の影響下から逃れることができない。

 まんまと術中にはまった賢者はギリッと奥歯を噛む。


 もしかしたら、ほかの仲間も孤立している可能性がある。

 彼らもこの魔法の影響から抜け出せずに困っているはずだ。

 ここは自分の優秀さを見せつけるいい機会。賢者はそう考えた。

 何よりこんなところで、もたもたしている時間はないと一人うなずく。


 賢者はさっそくこの魔法を無効化するため、解除を試みた。


 多くの魔法はその仕組みを書き換えるか、核となる部分に術者とは別の魔力を流してやることで解除できる場合が多い。ただし、仕組みを書き換えたり、核を見つけたりできるのは魔法に精通したものだけである。


 賢者ならそれが容易にできた。

 できたはずだった。


 だが、この庭園にかけられた魔法の場合、その仕組みがわからず、核となる部分がどこにあるのか、まったく理解できなかった。それどころか賢者の知識を持ってしても、その原理、構成に至るまで複雑すぎて何一つわからなかった。


 ほかにも魔力を打ち消す方法はあるのだが、それは聖女が使える神聖魔法のひとつであり、神聖魔法は賢者が使えない数少ない魔法系統だ。


 結局、庭園にかけられた魔法について判明したことはごくわずか。入り込んだものを迷わせる隠蔽系の魔法であるということだけ。その効果範囲の広さに驚き、心にもやっとしたものがわき出した賢者だったが、冷静になって考える。

 迷わせるだけの魔法なら、正しい道を進めば、いずれ脱出できる可能性は高い。


「しかし、ありえないですね。賢者たる僕が理解できないなんて」


 魔法について右に出る者はいないと自負する賢者にとって、理解できない魔法が存在するなど考えられないことだった。

 賢者とは教皇(フィスタン)に選ばれた六人の中でも、最も高い知性を持ち、数々の魔法を操ることができる者に与えられる誇りある名前だ。簡単に言ってしまえば、誰よりも賢いという証である。

 その自尊心を傷つけられたことに賢者の心はかき乱された。


 思わず近くの花壇に八つ当たりをしようと足を上げる賢者だったが、なんとかその苛立ちを押さえ込む。八つ当たりは知性ある者の行動ではない。賢者である自分は常に冷静であるべきなのだと思い直した。


 やり場のなくなった足を静かに下ろした賢者は、しばらく悩んだあと、ある結論に至った。

 この複雑な魔法は幻術や隠蔽に特化した魔法を使う魔族が仕掛けたものに違いないと。そうでなければ賢者である自分が解除できないはずがない。


「ま、まあ? ぼ、僕より多少、いや、わずかとはいえ幻術や隠蔽の魔法だけが得意な魔族が一人くらいいてもおかしくはない……ええ、おかしくないですとも。きっと、それしか特技がないに違いありません。様々な魔法を操る僕とは違う哀れな者ということです。その魔族もいずれ死ぬ運命。解剖してその能力の秘密を僕が活用すればいいんです。いいんですとも」


 賢者は言い訳という名の独り言をつぶやき、自分を慰める。

 そして自分の無知を一番高い記憶の棚の一番奥にしまい込むと、幾重にも心の鍵をかけた。それこそ二度と記憶から出てこないように。

 そこまでしてようやく安堵の吐息をもらす。

 そのとき彼は何かに気づいたかのように喜色を浮かべた。


「そうだ! ここを脱出すれば、この魔法をかけた魔法使いよりも優秀だという証明になるではありませんか。僕にかかれば、解除せずともこの魔法から抜け出すのはたやすいのです!」


 賢者は忘れていた。

 魔法の存在に気づかず、あっさりと術中にはまったことを。本当に優秀なら迷い込む前に気づくはずだし、気づくべきである。

 だが、心の鍵をかけた彼の記憶の棚は優秀だ。


 何より彼は知らない。この魔法を庭にかけたのが、ただの庭師であることを。彼の中でまだ見ぬウルナは幻術や隠蔽系の魔法を使いこなす特化型魔法使いとして認識された。


 知らないということはある意味、幸せである。

 そして何より現実逃避であることに気づいていない。


「それに、一人というのも悪くありません」


 魔法は解除できなかったが、いずれ仲間たちも自分の力で脱出し、合流できるはずだ。特に勇者や聖女の二人は問題ないはずである。

 彼はそう考えた。


 それに仲間が脱出し、合流するまでは気兼ねなく自由に行動できることに笑みを浮かべる。今、賢者の魔法を止める仲間は誰もいない。


 これは自分の魔法を思う存分試すことができるいい機会だ。そう考えた賢者は仲間より、まず自分の欲求(試し撃ち)を果たそうと考えた。


 すると賢者は魔力を探るため、自分の意識を集中する。探すのは高い魔力を持つ者がたくさん集まっている場所とその方角。魔族は並の人族より魔力が高い傾向にあると聞く。そこを探し出すことができれば、向かうべき場所がわかる。


 この隠蔽系の魔法から自分一人だけ抜け出すのは簡単だ。魔力が感知できる自分なら、ここから抜け出すための正しい道も探れるはずだと余裕の表情を見せた。


 幸いなことに探知を阻害するような仕掛けはなかった。

 その結果、向かうべき場所はすぐに見つかる。ここからそう遠くない場所に人より大きな魔力が集まっている場所があったからだ。それこそ侯爵級魔族の屋敷に違いない。


「僕の手にかかれば余裕でしたね。さて、さっさと魔族の子供を捕まえてしまいますか」


 賢者は持っていた本を腰に下げていた袋状の『アイテムボックス』に放り込むと、目的の場所に向かって歩き始めた。その足取りは軽く、迷いはない。


 こうして余裕を持って歩き出した賢者。

 だが、賢者は気づけなかった。

 仲間たちの魔力が感知できなかったことに。

 庭師が庭園にかけた魔法には探知を阻害する仕掛けもしっかりとされていたのだ。ただし、それは侵入者に互いの居場所がわからないようにするためのもの。そして魔力が感知できる者を自分たちの元に誘い込むための罠でもあった。


 ちなみにその賢者だが、しばらく庭の中を迷うことになった。向かうべき場所を発見できても、進める道は真っ直ぐではない。魔法の影響もあったが、彼は普通に道に迷ったのだ。。


 それでも彼は最終的に脱出できた。

 しかも、彼の中では最速で脱出したことになっている。

 知らないということは(以下略)――。


 ◆


「はぁぁ~」


 賢者は大きくため息をついた。

 そして正面に渋い顔を向ける。


「大人の魔族……か。残念です」

「会って早々失礼だな、キミは」

「あっ、確かに。ここは知性ある者として、まず挨拶をするべきでしたね。はじめまして。僕は賢者といいます」

「賢者? 自ら賢き者と名乗るとは、不遜ふそん極まりないな」

「っ……事実を言ったまでですよ」

「まあ、いい。私の名はプレスコット」


 侯爵邸の前で顔を見合わせているのは、侯爵家に所属する騎士隊副隊長プレスコット(通称プレス)とようやくここにたどり着いた賢者だ。


 賢者が魔法の影響下から抜け出た先は、屋敷のエントランス(表玄関)

 魔族の子供の解剖で頭がいっぱいだった賢者は、待ち構えていた成熟した女性魔族と出会い、思わず、「残念」と口を滑らせていた。文章として意味がわからなくても、残念という言葉自体、好意的な言葉ではないのは明白だ。


 実際、プレスコットは不機嫌そうな顔で賢者をにらんでいる。

 だが、賢者はそんなことはおかまいなしにプレスコットを観察していた。


 賢者の目に映る魔族の容姿は人族と目立って変わりはなかった。

 身長は高く、すらりとした長い手足。色白の肌、美しい癖のある金髪。そして神秘的な紫の瞳で賢者を見ている。その立ち姿は、まるで鋭い剣を彷彿とさせるほどの凜々(りり)しさがあった。

 身につけているのは黒い胸当てと黒いマント。そして首には黒いストールを巻いており、それは微弱な魔力を帯びていた。また腰には片手剣をぶら下げている。その剣からは非常に強い魔力を感じることができた。


 パッと見は騎士のようだ。

 しかし、賢者は屋敷を守る衛兵だと判断する。

 何しろ賢者の知識の中では、女性の騎士などありえないことだった。それに騎士ならもっと立派な全身鎧を着ているはずと彼の知識が語りかける。

 ただ魔法の剣を与えられているので、もしかしたら隊長クラスかもしれないと賢者は推測した。


 同時に心の中で思う。

 女性が衛兵を務めるなど、よほど人手不足、いや魔族不足なのだろうか。それとも警備という仕事を舐めているのだろうか。男性に比べ、多くが力に劣る女性を衛兵にえるなど、愚かな行為だ。魔族は適材適所という言葉を知らないらしい。

 賢者はそんなふうに魔族をさげすんでいた。


 ただの衛兵、しかも女性の魔族。

 自分の魔法にかかればたいしたことない相手。

 相手の剣が届く前に、自分の魔法が魔族を滅ぼす。

 油断するべきではないが、勝負は一瞬のうちにつくはずだ。

 だからこそ焦る必要はない。


 そこまで考えて、賢者は魔族の言葉を思い出す。


 賢者と名乗ったとき、プレスコットは不遜と言い放った。プレスコットもふんぞり返って言い放ったわけではないのだが、賢者にはそう見えていた。

 そのため賢者は先ほどから不機嫌だ。

 言われた瞬間、間髪入れずに魔法をぶち込もうとしたところをなんとか抑えつけたくらいである。


 感情を抑えつけたのには理由があった。

 それは魔族と会話が成り立つかどうか、確認するためだ。何せ魔族と話をするのは賢者自身も初めてのこと。好奇心がないといえば嘘になる。


 そこで賢者は作戦を練った。

 円滑な会話を行うための段取りをまず決めたのだ。


 まずは主導権を握るため、自分から声をかけ、質問する。

 相手は自分の質問に答えざるを得ない。

 その答えからさらに質問を繰り返し、自分の優秀さを見せつける。

 侯爵級魔族とその子供の情報を集める必要もある。

 また自分の話術によって相手を翻弄ほんろうし、意のままに操るのも面白い。


 そう段取りを決めた賢者が声をかけようとして――先にプレスコットから声がかかった。


「それで? 大人の魔族だと何か問題でもあるのか?」

「……(ちょっと! 何、勝手に喋っているんですか!)」


 計画では賢者が質問をする予定だった。

 だが、先に質問したのは相手のほうだ。


 いきなり出鼻をくじかれてしまったことに苛立いらだちがつのり、賢者の中で渦巻いていく。


 実験を行うのは僕だ。

 実験対象は僕に従っていればいい。

 なぜ勝手なことをするんだ。


 自分の思い描いた通りに事が進まないことに、賢者は強いいきどおりを感じ、相手に聞こえないよう小さく舌打ちをした。


 だが、会話が可能かどうか確認しないわけにもいかない。

 せっかく立てた段取りも無駄になる。

 そこまで考える冷静さが賢者にはまだ残されていた。


 まだ主導権を取り返すことはできる。

 賢者はその苛立いらだちをなんとか隠し、平静を装いながら親しげに言葉を返した。


「……いーえっ。大人でもまったく問題はないですよっ」


 無理矢理感情を押し殺したような力強さとぎこちない物言いにプレスコットの目が細められる。まるで賢者の苛立いらだちを見透かすような視線だ。

 そんな視線に耐えきれなくなった賢者は思わず口ごもる。

 だが、それでもなんとかうわずった声で無理矢理、話を続けた。


「お、大人も貴重な標本サンプルですからね。ただ、出来れば子供のほうがよかったなと思っただけです」

「ほう。標本サンプルとはおだやかじゃないな。何が目的なんだ?」

「それをあなたに説明したところで理解できないでしょう。僕の研究は遙か高みにあるのですから」


 その内容は、いかにも自分は賢く、あなたは愚かだと言わんばかり。あまりにも無礼な発言だが、賢者は自分の言葉が間違っているとは微塵も思っていない。彼にとって自分が誰よりも優秀なのは当然のことなのだ。


 賢者は相手を見下す発言をしたことで優越感を覚え、冷静さを取り戻していた。そして心の中でほくそ笑む。誰しも自分の優秀さを見せつけると、怒り出したり、ムキになったり、萎縮して愛想笑いを浮かべたりするのだ。魔族も例外ではないはず。

 賢者はこれまで見てきた愚かな者たちと同じ反応をプレスコットに期待した。


「ふむ。そうか」


 だが、プレスコットは彼の発言をあっさりと受け流し、まったく気にした様子はない。その物言いは賢者を哀れむようにも見える。

 その態度は賢者をさらに苛立たせた。

 だが、なんとかその苛立いらだちを強引に抑えつける(・・・・・)


「ところで子供がよいという理由を聞いてもいいかな?」

「ふん。私の研究に興味があるのですか。わからないと思いますが、いいでしょう。教えてさしあげます」


 賢者はいらつき(・・・・)ながらも、自分が上位であることを示すためにプレスコットの質問に答えた。偉そうな態度でうなずき、軽く咳払いをする。

 その苛立いらだった賢者の物言いにプレスコットは片眉を上げた。


「子供のほうがいい理由。それは学術的価値が高いからです。すでに個体として完成された大人より子供の場合、今後どのように成長し、身体の構造がどう変化するのか、長期にわたる研究対象として適しています。環境に汚染されていないですし、別の環境に合わせた変化も実験、観察ができます。何より一番のメリットは洗脳しやすいということでしょうか。フヒヒヒ」


 賢者の思想はフィスタンの影響だ。

 フィスタンは人魔一族や奴隷の子供を使って様々な実験をしていた。その中から優秀な者を見出し、魔核を埋め込むことで力を与えていたのだ。その多くが途中で死んでいる。だが、生き残ったわずかな者たちが近衛と呼ばれ、賢者や勇者と名付けられた。


 このおぞましい実験を賢者は手伝っていた。

 ほかの仲間たちは実験の存在すら聞かされていない。

 だが賢者は実験の存在を知っていてなお、自分に力を与えてくれたフィスタンに感謝し、率先して手伝っていたのだ。

 ただし、その賢者も自分たちがホムンクルスを生み出すためだけに作られた疑似生命体であることは知らされていなかった。


「そしてっ! ここには悪しき侯爵級魔族の子供がいると聞いています。そう! 魔族の子供です」


 賢者はまだ見ぬ魔族の子供の柔肌に刃物を走らせるところを想像した。

 思わず口がにやけそうになるのをなんとか押さえる。


「そいつはっ! その子供は間違いなく素晴らしい実験体に――」


 ――キンッ


 突然、金属と金属がぶつかりあったようなえた音が鳴り響いた。だが、その玲瓏れいろう――金属や玉などが、冴えた美しい音で鳴るさま――たる響きは、身が凍るような冷たい音でもあった。


 賢者の言葉は途中で止まっていた。

 突然の音に驚いたわけでもないし、気を取られたわけでもない。

 ごく自然に言葉の途中で話せなくなっていたのだ。


 ふと視線を動かせば、魔族の女性が恐ろしい目でにらんでいた。

 賢者はその突き刺すような視線に思わずたじろぐ。


 そのときになって賢者は感じ始めていた。

 妙な息苦しさを。

 同時に自分をにらむ紫色の瞳に引っ張られそうな錯覚に陥る。

 そのまま意識が遠くなっていき――突然、身体が楽になった。

 息苦しさも消えている。

 賢者は慌てて息を吸い込んだ。

 何度か呼吸を繰り返すうち、賢者はようやく落ち着きを取り戻す。


「……え? い、今、いったい何が……」


 賢者には何が起きたのかわからなかった。

 いくら考えても答えは出ない。

 だが、冷静になってみると、ほんのわずかな時間の出来事だ。

 数秒、いや十数秒か。


 意識が遠のく前に聞こえた音には覚えがあった。

 先ほど聞こえた甲高かんだかい金属音は、剣をさやに収めたときの音に似ていたのだ。仲間の魔剣士が意味もなく魔剣を抜いたり戻したりして音を鳴らすので聞き間違いではない。ただ、魔剣士が鳴らすカチカチ音よりも、それは澄んだ音色を響かせていた。


 しかし、剣を収めた音にしてはおかしいことがあった。

 目の前の魔族が持っている剣に抜かれた様子はない。

 先ほどからずっとさやに収まったままだ。

 左右の腕も身体の横にだらりと下げており、剣を触った気配もない。

 では、金属がぶつかったような甲高い音はなんだったのか。


 ようやく声が出せるようになった賢者は音の正体を確かめるため、好奇心から今の音についてプレスコットに尋ねた。

 だが、帰ってきた彼女の声を聞いて背筋を凍らせる。


「貴様は気にしなくてもいい。どうせ地面に転がるのだからな」

「っ!?」


 それは怒りを含んだ声だった。

 思わず賢者の足が一歩、後ろに下がる。


 怒りを露わにしたプレスコットの双眸そうぼうは細められ、瞳の色はより濃い紫色に変化している。身体からあふれる魔力は先ほどよりも強まり、まるで暴風のように彼女の周りを取り巻いていた。

 その怒りの矛先はすべて賢者に向けられている。


 その身に怒りを宿すプレスコットだが、賢者をにらみつつも、冷静だった。そうでなければ侯爵家の騎士隊は務まらない。


 先ほど賢者が口にした言葉をプレスコットは思い出す。

 侯爵家の子供はティリアしかいない。

 シュリーカー族の子、シュリーがたまたま泊まりに来てるが、彼女はティリアの友人であり、侯爵家の子供ではないのだ。

 賢者が言った子供とはティリアのことで間違いない。


 プレスコットは侯爵家の騎士隊副隊長であり、お嬢様大好き四天王の一人。その大好きなティリアに実験体などと暴言を吐いた侵入者に対し、強い怒りを覚えるのは当然のことだった。


 だが、そのことを賢者は知らない。


 賢者は彼女の怒りを見て、すでに会話の継続を諦めていた。

 相手は理論的な会話ができる状態ではないと判断して。

 その怒りの原因が自分の発言であることを自覚していない。

 怒りの理由を知らないから当然だ。


 賢者はこの魔族は会話もできない愚か者だと的外れな批判を心の中で繰り返し、なんとか自分を奮い立たせる。下がった足を踏み出し、前に出る。


 相手を心の中で小馬鹿にすることにより多少、余裕を取り戻した賢者は目の前の魔族サンプルを処分することにした。残った死体は処理して骨格標本や臓器標本にすればいい。これなら倒したあとも無駄にならない。

 賢者は愚かな魔族が研究室に並ぶところを想像し、ニヤリと笑う。


「フッ。感情を表に出すとは愚かですね。まあ、いいでしょう。別の標本サンプルに期待します。次は男の魔族に会えるといいのですが」


 賢者は呆れたようにつぶやき、手のひらをプレスコットに向けた。瞬く間に手のひらへと魔力が集まっていく。そして小さな炎が現れたかと思うと、瞬時に大きくなり、一メートルほどの塊となった。炎の塊は辺りを照らし、激しく揺らめいている。


「僕ほどの魔法の使い手になると、無詠唱でも魔法が使えるんですよ」


 誰も聞いていないのに自慢げに話す賢者。


 両者の間には十メートルほどの距離がある。それだけ離れていても、その熱はプレスコットまで伝わってきた。その熱がじりじりと彼女の肌を焼く。しかし、プレスコットは左手を剣のさやに添えるだけで何もしない。

 ただ何かを探るように炎の塊をじっと見ているだけだ。


「おやおや。いいのですか。早く逃げないと丸焦げですよ」


 賢者はニヤニヤしながら、プレスコットを気遣うような声をかけた。それは自分のほうが優れている、自分こそが強者であり、そちらは弱者であると確信しているからこそ出た態度だ。


 それでもプレスコットは動かない。

 ただ賢者の言葉を聞いて、つまらなさそうにフッと笑った。

 何の根拠もない彼の自信に呆れたと言ってもいい。


 その笑みは何気ない仕草だった。

 たわいもない軽い笑みにすぎない。

 ところが、それを見た賢者の態度が一変する。

 顔を真っ赤に染め、肩をふるわせ始めた。


「き、貴様! 今、僕を笑ったなっ! ふざけるなっ! 愚かな劣等生物のくせに!」


 賢者は顔を赤くさせながら感情を剥き出しにしてプレスコットを怒鳴りつけた。賢者の口元は醜く歪み、吊り上げた目で彼女をにらみつける。彼女に向けた手のひらは怒りによって震えていた。炎の塊は彼の心の乱れに反応してか、その形をいびつに変化させている。


 突然、態度を豹変させた賢者は繰り返し、怒鳴り散らす。

 挑発になかなか乗らないやつが我慢しきれなくなり、内に溜め込んだ怒りをとうとうぶちまけた、というのならまだわかる。だが、プレスコットに挑発する気はなく、彼女はわずかに笑みを見せただけだった。


 ここまで苛烈な怒りを見せた賢者に対し、プレスコットは形のいい眉を上げ、わずかに思考し、小さく笑みを浮かべた。その笑みは某執事見習いの彼がよく見せる笑みと同類のものだ。

 そして彼女は自分の予想が正しいか確かめるため、口を開く。


「やれやれ。自分が言った言葉を覚えていないようだ」

「なにっ!」

「感情を表に出すとは愚かなものだな、だったか?」

「っ!? うるさい! うるさい! うるさい!」


 さらに顔を赤くした賢者は、まるで駄々をこねるように単調な言葉を繰り返した。もはやそれは反論にもなっていない。彼が怒鳴るたび、手のひらの炎が大きく揺らめき、乱れる。その揺れは、まるで彼の心の揺れをあらわしているようだった。


 その反応を見たプレスコットはさらに笑みを深めた。

 この侵入者は自分がバカにされたり、笑われたりすることに怒りを覚えるタイプであると。特に知識に対しては異常な反応を示すことも把握していた。

 これまでもたびたび彼の心の乱れを感じていた彼女にとって、予想はもはや確信に変わった。


 同時に見た目通り、年齢的にも精神的にも若い。さらに心に余裕がないことは明白だ。ムキになるところなど、まさに心の未熟さを示していた。

 何より自分のほうが常に上であると主張する傾向が強い。固執していると言ってもいいだろう。この手の者はある意味、自分の価値を評価できず、劣等感の塊だったりする。強すぎる自尊心の弊害というべきか。


 戦闘において相手の弱点をつき、そこを重点的に攻めるのは基本的な戦術である。急所、死角、傷を負った箇所、古傷などはもちろんのこと、精神的な攻撃もまた有効な攻撃方法だ。


 敵の弱点を突き、嫌がることをやれ。

 某執事見習いに、この戦術を教えたのはプレスコットだった。

 執事長も絡んでいたが、ほとんどプレスコットの教えである。


 当時のことがプレスコットの脳裏に浮かぶ。

 執事見習いの彼はことのほか飲み込みが早かった。

 プレスコットは精神攻撃のすべを一通り教えたあと、試しに自分に仕掛けるよう言ったことがある。そのとき彼はほかの女性と比べ、少しばかりつつましい体つきのことで精神攻撃を仕掛けてきた。そのときは、つい手が出たが、ある意味、彼の精神攻撃は成功したと言える。

 その後、彼には女性に対する礼儀とマナー、そして彼が指摘したある部分がつつましいことで非常に動きやすい事実をこんこんと教えることになったのだが、それも良い思い出だとプレスコットは心の中で苦笑する。


 これはサイクロプス族という体格に恵まれた騎士隊隊長サイロスのように、「戦術とは力押し」、「考える前に殴れ」という方法が合わなかった(できなかった)彼にぴったりの方法だった。もともとサイクロプス族の戦術など、できる種族が限られているのだから仕方がない。

 それは『特殊な身体』とはいえ、サイクロプス族のような体格に恵まれない種族であるプレスコットにも言えることだった。


 賢者を見れば、彼は顔を真っ赤にしてプレスコットをにらんでいた。


「正論を突かれて顔が真っ赤じゃないか。ねえ、坊や?」

「ぼ、坊や!? 坊やだとっ! な、なめるなよ! 魔族めっ!」


 手のひらの魔力が乱れ、炎の塊が大きく変形する。

 すでに賢者の精神はプレスコットの精神攻撃(いやがらせ)により、魔法を維持できないほど、かき乱されていた。


「おやおや。いいのかな。早く魔法を安定させないと自分が丸焦げだよー。坊や、だいじょーぶぅ?」

「ふ、ふざけるなぁっー!」


 相手が煽ってきた言葉を利用し、改変してそのまま返す。

 最近、某執事見習いと修業時代の昔話をしていたとき、彼は、「オウム返しって使い方によっては、イラッとしますもんね」と言っていた。


 オウムが何かわからなかったプレスコットだが、鳥の名前だと彼は言っていた。きっとその鳥は美味しくないのだろう。味覚を取り戻した今のプレスコットなら理解できる。美味しいものをもらえると思わず笑顔になる。反対にまずいものを渡されたら、イラッとするのだ。


「吹き飛べ、魔族め!」


 その怒声にプレスコットは目の前の相手に意識を戻す。

 顔を真っ赤にさせた賢者が手のひらにあった炎の塊を投げてきた。魔力が安定しないまま投げてきたせいか、そのスピードは決して早くはない。しかし二人の距離は十メートルほど。いくら遅いといっても到底、避けきれる距離ではなかった。


 しかも賢者の魔法はそれだけでは終わらない。

 炎の塊が賢者の手から離れた途端、分裂しだしたのだ。そして、その数を増やしていく。一つの塊が二つに、二つが四つに。最終的にその数は八つに及ぶ。


「これぞ僕のオリジナル魔法『オクタプルフレイム』だ! 焼け死ね! 魔族め!」


 炎の塊は異なる軌道を描きながら、プレスコットへとせまる。

 しかし、この状況下においてもプレスコットは動かない。


 八つの炎が無防備なプレスコットを包もうとした――次の瞬間。


 プレスコットに迫る八つの炎の塊がすべて消えた。

 それも同時に。

 しかも瞬時に。

 そしてまた、キンッという音が鳴った。

 もはやその場には熱すら残っていない。


 甲高い音に気づいた賢者があわてて目を向けると、プレスコットの右手が剣のつかを握っていた。


 やはり間違いない。

 先ほどから鳴り響くあの甲高かんだかい音は、プレスコットが剣をさやに収めたときの音だ。さやに収めたということは、剣を抜いたということに他ならない。

 だが、いつ剣を抜いたのか。

 賢者にはそれがわからない。

 剣を抜いた理由もわからない。

 何より魔法が消え去ったことに理解が追いつかない。


「はぁ!? なっ、なにをした!」

「まったく。火事になったらどうする。それに子供の火遊びはおねしょをするってうちの執事見習いくんが言っていたぞ。坊や、今日の夜、大丈夫? あっ、どうせここで終わるからいいか」


 そう言うとプレスコットは見せつけるようにニヤリと笑う。

 賢者に向けた嘲笑は、ますます彼から冷静さを削っていった。すでに賢者の顔は赤を通り越して赤黒くなっており、こめかみには血管が浮き出ている。


「ま、また笑ったな! こ、この僕をバカにしたことを後悔しゃせてやる! 絶対に許しゃない! 絶対にだ! 標本としゅて残すのもやめだ! 最大級の魔法で屋敷ごと消ししゃってやるぞ!」


 半狂乱となり、言葉すら怪しくなってきた賢者は両手を胸の前で合わせた。その手のひらをゆっくりと広げていく。すると手のひらの間に膨大な魔力が生み出され、バチバチと激しい音を響かせる。


「ほう」


 それを見たプレスコットから感嘆の声が漏れた。

 賢者の両手の間に集まった魔力の量と密度は魔族のプレスコットから見ても感心するほどのものだ。その魔力は今も濃密に、強大に、ふくれあがっていく。


 とはいえ。

 ――キンッ。


 例の音が鳴り響く。

 剣を収めるあの音だ。

 そのときにはもうバチバチと鳴り響く音は止んでいた。


「え?」


 突然軽くなった感触に嫌な予感を覚えた賢者は自分の手のひらへと目を向ける。すると、集まっていたはずの魔力は何もなかったかのようにすべて消え失せていた。


 投げた炎の魔法が消え、今度は集めていた魔力が消えた。

 それも自分のすぐ目の前で。

 理解の及ばない度重なる現象に賢者の両手は小刻みに震え、その手から目を離すことができなかった。


「その魔力、斬らせてもらった」

「なっ……ま、魔力を斬った?」


 プレスコットの声に賢者は勢いよく顔を上げた。

 その顔は血の気が引いたように真っ白だ。


「おや、賢者ともあろうものが知らなかったのかな? 魔法だろうと魔力だろうと斬れるんだよ。ただ残念なことに魔族の中でも、この私と王都で衛兵部隊の隊長をやっている弟くらいしかできないけどね」


 そう言うとプレスコットは口だけで笑った。


 そんなことできるはずがないと賢者は心の中で叫んだ。

 だが、賢者の疑問は尽きない


 プレスコットの細い腰に下げられている剣は一メートルより少し長いくらいで、どう考えても賢者まで届くはずがないのだ。しかも彼女は賢者と出会ってから一歩たりとも動いていなかった。


 いつ剣を抜いたのかもわからず、離れた場所から一歩も動かずに賢者の手にあった魔力を斬った。斬られたのは魔力だったが、あと数十センチ奥にあるのは賢者の身体だ。

 この事実はいつでも賢者を斬れるということにほかならない。

 それに気づいた賢者はガタガタと震え始めた。


「先ほど貴様はお嬢様に対し、無礼かつ不敬な発言をした。怒りのあまり、途中で『声』を斬ってやったが、許したわけではない。愚かな発言は貴様の死を持って償うのが道理だ」

「……こ、声を斬ったって。そ、そんなバカな。できるはず――」


 ――キンッ。

 そのとき、またあの音が鳴った。

 彼の身体がビクンと大きく跳ねる。

 賢者にとってその甲高い音はもはや恐怖そのもの(トラウマ)だ。


 恐る恐るプレスコットに目を向けると、彼女は凍りつくような目で賢者をにらみつけていた。その圧力はこれまでの比ではない。彼女から伝わってくる恐ろしい気配が賢者の身体をえぐるように突き刺している。


 それは純粋な殺気だ。

 今の彼女は鋭利な刃物そのものだった。

 少しでも動けば動いた瞬間、断ち斬られてしまうと賢者が錯覚するほどの殺気だ。


 賢者はあまりの恐怖に悲鳴を上げ――ようとした。

 だが喉から出てくるのは空気が流れる感触だけ。呼吸音すら聞こえない。それどころか息を吸うことができなかった。苦しさのあまり、喉に手を当て、何度となく息を吸おうとした。苦しさにうめき声を上げようとしたが、そのうめき声すら出てこない。


 そしてようやく賢者は気づく。

 現実を理解したというべきか。

 自分の声が斬られたという現実に。


 そのとき賢者の中で何かが壊れた気がした。


「うあぁぁぁぁあああ!!」


 声というより叫びだったが、賢者の口から飛び出したのは、紛れもなく彼が求めていた自分の声だ。呼吸もできる。声が出ず、息が吸えなかったのはわずかな時間だ。だが、冷静さを欠いた賢者はそのことに気づけない。

 絞り出すように放たれた悲痛な声が闇の中を駆け巡る。


「ちっ、お嬢様がお目覚めになったら、どうするつもりだ」


 侯爵家の令嬢ティリアの夜は早い。

 あと十日ほどで三歳の誕生日を迎えるティリアは、すでに友人であるシュリーと一緒に夢の中だ。


 賢者の声で二人が起きてしまうのではないかと危惧したプレスコットは軽い舌打ちをする。だが、声も舌打ちも今の賢者には届かない。


 賢者は何かに取り憑かれたように手当たり次第、魔法を放っていた。炎、水、風、石、雷など複数の属性を帯びた無数の魔法は、まるで流星のような勢いとなってプレスコットを襲う。


 だが、すでにプレスコットの手には一本の剣が握られていた。

 持っていた片手剣『ブラッディ・エッジ』を初めて目に見えるように抜いた彼女は飛んでくる魔法に対し、握った剣を上段に構える。片手剣のけんしんは血を吸ったように赤く、ゆっくりと上段に掲げられた剣の軌跡は赤い帯状の絵を薄暗い空間に描いていった。


 賢者の放った魔法が次々とプレスコットに降りかかる。


 プレスコットは上段にかまえた剣を振り下ろした。

 その動きは大河を流れる水のようにゆっくりとなめらかだ。まるで剣で空間を撫でているかのように見える。それは迫り来る魔法群とは比べものにならないほどに遅い。

 だが、それは実際の速さではない。

 彼女の剣筋があまりにも速すぎてそう見えているだけのこと。空中に描かれる剣筋の絵はすべて彼女が作り出した残像に過ぎない。


 賢者の放ったいくつもの魔法が彼女に届く前にかき消されていく。それはまるで剣の軌跡に吸い込まれていくように見えた。

 あとに残されたのは、空中を縦横無尽に走る赤い剣身けんしんの軌跡だけ。

 それはまるで一輪の赤い花のようだった。


 それでも賢者は無我夢中で魔法を撃ち続ける。なかば恐慌状態のようで、いくつかの魔法はプレスコットから大きくれて飛んでいった。幸いなことにれた魔法が屋敷に被害を出すことはなかった。


 やがて賢者が打ち続けた魔法が止まった。

 賢者の魔力にも限度というものがある。

 そのときになってようやく賢者は我に返った。


 空中に描かれた赤い花は賢者の魔法が止まった途端、何もなかったように消え去った。と同時に聞き覚えのある甲高い音が大気を震わす。


 ――キンッ。


 賢者の耳に甲高い音が飛び込んでくる。

 うつむきながら荒い呼吸を繰り返していた彼は反射的に身体を揺らした。慌てて顔を上げると、視線の先には息も乱さず、剣をさやに収めたプレスコットが冷めた目で何事もなかったように立っている。最初に出会ったときから微塵も動いていないその場所で。


「……なんだ。なんなんだ、お前は! 魔法を斬り、魔力を斬り、声まで斬るなんてありえない! まったく理論的ではない!」

「理論? あぁ、そういうのがお好みか?」


 そう言うとプレスコットは賢者にひとつずつ聞かせるように語り始めた。


「声や音というのは空気や物体の振動によって伝わっていることは知っているかい? それらの振動がなければ音が伝わらないことについては? ……うーん。わかっていないような顔だね。じゃあ、魔法の原理や核についてわかるかい? ――あぁ、これはわかるのか」


 振動によって伝わる?

 賢者には魔族の言っていることがわからなかった。

 だが、魔法の原理について既知の知識だった彼は無意識にうなずいていた。


「私は魔力や核を斬っただけだ。声もそうだ。声が伝わるのに必要な空気を斬っただけにすぎない」

「魔法の核や空気を斬る!? そんなことはなど不可能だ!」


 賢者は目を大きく見開きながらプレスコットの言葉を否定した。

 魔法の核を斬ることなど不可能だ。

 少なくても賢者の知識の中にはないことだった。

 だからこそ魔法を解除するためには、核に魔力を流し込む必要がある。

 何より魔法の核を見ることができるのは魔法に精通したものだけのはずだ。


 だが、プレスコットは軽く肩をすくめる。


「不可能? 何を言っている。実際、自分の目で見たはずだ。それを不可能と言われてもな。私は魔法の核がどこにあるかわかる。それらを剣で斬った。ただ、それだけのこと」


 例えていうと魔法がオイルランプそのもの、魔力がオイル、核がランプの芯だ。その()オイル(魔力)がなければ、ランプ(魔法)は使えない。プレスコットはその()を斬って、使えなくしたと説明する。


 最後にプレスコットは、()に何かを混ぜようとしたり、芯そのものを変えようとしたりするほうが面倒くさいと付け加えた。

 その話を聞いた賢者は、なんとなくわかったように小さくうなずいた。

 とはいえ、魔法の核がなぜ斬れるのかは結局、わからないままだ。


「まあ、これらはすべて執事見習いくんの受け売りだ。最初、彼は魔法がネンショー(燃焼)だとすると、核がサンソー(酸素)、魔力がカネンブッツ(可燃物)で、術者がネツゲン(熱源)とか言っていた。さすがに何を言っているのかわからなかったけどね。その結果、ランプで例えてくれたよ」


 そう言うとプレスコットは苦笑いを浮かべた。


「あと私の剣は任意の場所に擬似的なシンクー(真空)状態を作り出すそうだ。声が斬れるのはそのためだとか――これも執事見習いくんの受け売りだが」


 賢者は彼女の言葉に衝撃を受けていた。


 ネンショー? サンソー? シンクー?

 言葉の意味が理解できない。

 何より賢者の心を打ちのめしたのは、自分と同等以上の魔法知識を持っているのが魔族であり、女性であり、魔法とは無縁な一介の衛兵であったことだ。

 しかもそんな彼女より知識を持っているのが、知り合いの執事見習いだという。

 賢者は理解が追いつかないことに力が抜け、その場で膝をついた


「――さて、お勉強の時間は終わりだよ。坊や」


 すぐそばで聞こえた冷ややかな声に賢者は顔をあげる。すると、いつ間合いを詰めたのか、目の前にプレスコットが立っていた。月の明かりに照らされ、彼女の顔がはっきりと見える。紫の瞳が賢者を見下ろしているが、そこに感情らしきものは一切ない。黙ったまま、ゆっくりと手を持ち上げたプレスコットは賢者に向かって指を差す。


「貴様は侯爵様のお屋敷に許可なく侵入し、お嬢様を愚弄した。その罪を償うときがきた。罪の代価は貴様の命。貴様が子供でも侯爵家騎士隊副隊長として許すわけにはいかん」


 それは死刑宣告だ。

 プレスコットはさやから『ブラッディ・エッジ』を引き抜いた。この剣がお前の命を絶つのだと賢者に見せつけるようにゆっくりと。今の彼女は、まさに死刑執行人の姿そのものだ。

 真っ赤な刃に賢者の怯えた顔がちらりと映る。

 その姿を見たあと彼は力なく口元に笑みを浮かべた。


「なんだ。衛兵じゃなくて騎士でしたか。しかも副隊長だったんですね」

「ん? ああ。過去にもお前のようなヤツがいたよ。私を女性だと、格下だと甘く見た挙げ句、油断して死んでいった賊どもがな。見た目だけで判断すると――」


 プレスコットが言いかけたそのとき、闇の中できらりと光るものが通り過ぎた。その途端、プレスコットの首が胴体から離れ、ボトリと音を立てて、地面に落ちる。プレスコットの首はひざまずく賢者の前に転がり、その顔は驚きの表情を浮かべたまま固まっていた。

 落下の拍子に彼女が首に巻いていた黒い布がするするとほどけ、風に乗って地面の上を流れていく。魔道具であったその布も半分に裁ち切られていた。


「――ふぅ。転がったのは貴女のほうでしたね。……それより、もう少し早く来てくれませんかね。死ぬかと思いました」


 転がった魔族の首を一瞥いちべつしたあと、賢者は顔を上げた。

 そこにはプレスコットの首のない身体がある。

 彼女だったモノは剣を握ったまま倒れることなく、その場に立ち尽くしていた。賢者は死しても倒れることのないプレスコットから視線をずらし、首のない魔族の後ろに立つ仲間へと視線を送る。


 そこには剣を持った男が立っていた。

 トントンと剣で肩を叩くたび、その剣身が放つ光が上下し、地面を照らす。その光は魔剣が放つ光だった。

 肩の上で魔剣を担いだ彼は呆れたように言い返す。


「おいおいおい。危ないところを助けてやったんじゃねぇか。そこは、ありがとう魔剣士様、だろうが!」

「何を言っているんですか、魔剣士。この魔族の首を斬れたのは、僕があなたにかけてあげた透明化の魔法のおかげですよ」


 賢者は立ち上がるとひざについた土を払いながら、負けじと言い返す。


「はあ!? 俺の魔剣のおかげだろうが」

「それは僕の綿密な作戦があってこそです。やっと迷いの幻術から抜けてこられた哀れな魔剣士の姿を発見した僕が、わざわざ恐慌状態におちいったように見せかけ、不意を討てるよう透明化の魔法をあなたにかけたのです。そのせいで少々無駄な魔力を使いましたが、なんとかなりましたね。おかげでこの魔族の油断を誘うことに成功したでしょ。ほら、やっぱり僕の作戦があってこそじゃないですか。そもそも僕が――」

「話がなげえよ! それに本気で焦っていたじゃねぇか。あと誰が哀れだ! 誰が!」

「魔剣士こそ、誰が焦っていたというんです! 僕は常に冷静でした! あと声が大きいですよっ! ここにはまだほかにも魔族がいるはずなんですから!」

「お前も! 十分! 声がでけえよ!」


 互いの声の大きさに気づいた二人は無言になり、顔を見合わせると深呼吸を繰り返した。


「でもよ、魔族も大したことねぇな。俺が全部たたき切ってやるから安心しろ」

「魔剣士は剣の腕だけは確かですからね。それとほかの仲間たちは?」

「だけとはなんだ! だけとは! ……ったく。いちいちケンカ売らないと話せないのかよ。それとほかの連中は見ていねぇ。魔物使いも聖女も勇者もだ」

「となると合流できたのは僕たち二人だけですか」


 賢者は指を下あごに当てながら、何かを考え始めた。

 それを見ながら魔剣士は手に持っていた剣を腰に下げていたさやへと戻す。カチッという音が賢者の耳に届いた。


「別に二人でもいいじゃねぇか。俺が魔族の首を斬って、賢者が魔法をぶっ放す。十分だろ?」

「……解剖用の魔族を残しておいてくださいよ。あと子供は僕のですから」

「わかった、わかった。そういや、こいつは首をはねちまったけど、別にいいよな」

「ええ。僕のことを笑うような標本など必要ありませんから」

「賢者を笑うとか、バカだろ」

「まあ、バカだから笑ったんでしょう」

「だろうな。しっかし、こいつはいつまで立ったまま死んでやがんだ。さっさと地面に転がってろよっ――!?」


 魔剣士が首のないプレスコットの身体を蹴り飛ばそうとした。

 だが、その蹴りは当たらない。

 首を斬られ、動くはずのない彼女の身体が魔剣士の蹴りを避けたからだ。その動作は素早く、流れるような動きだった。


「「なっ!」」


 二人は気づいていなかった。

 動揺している今も気づいていない。

 彼女からは血が一滴も流れていなかったのだ。

 首のない身体からも斬られた首からも。


 それだけではない。

 プレスコットの身体は一瞬のうちに後ろに立つ魔剣士と前に立っている賢者の真横へと移動していた。そして抜いていた剣を一閃させる。


「危ねぇっ!」

「どぅわっ!」


 二人は力の限り、思いっきり飛び退いた。

 プレスコットの剣は二人のいた場所を通り過ぎた。その剣の軌跡は賢者にもはっきり見えていた。そのことが賢者を嫌な気分にさせる。まるでその場から引き離すために放った一撃のように見えたからだ。


 首のないプレスコットは体勢を立て直した剣士と賢者に剣を向けている。まるで二人の場所がわかっているかのような動きだ。しかも、ゆっくりではあるが移動していた。


「おいおいおいおい。なんで首のない身体が動くんだよ!」

「わかりませんよ! もしかしたらアンデッドかもしれません! あと油断しないように」

「わかってるよっ!」


 目を丸くして驚く魔剣士と賢者は警戒を強める。とはいえ迂闊うかつに近づくこともできない。プレスコットの身体は今もゆっくりと移動していた。魔剣士と賢者の二人は彼女を警戒するあまり、彼女が移動する理由まで気が回っていない。


 そうしているうちに首のない身体は地面に転がっている何かを拾い上げた。


 それは先ほど魔剣士が切り落としたプレスコットの首だ。身体が移動していたのは、斬られた首を手にするためだと賢者が気づいたときには遅かった。

 身体は手にした首を大切なもののように左脇へと優しく抱える。そのあと顔についていた土を優しく払い、乱れた髪を指先で器用に整え、その顔を魔剣士と賢者がいる方へと向けた。


 そして――


「――誰がアンデッドだって?」

「「ひぃっ」」


 ――喋った。


 切り落とされたプレスコットの首が不機嫌そうに話しかけてきたのだ。

 紫色の瞳がじっと魔剣士と賢者を見つめている。二人は自分の目を疑ったが、紛れもなくその首と胴体は繋がっていない。


 目の前で起きた異様な光景に驚く二人。

 だが、プレスコットはそんな二人に構うことなく、一人つぶやいた。


「ハァ。油断していたのは私のほうかぁ。反省しなくちゃ。それと……あーあー、魔道具も斬られちゃってる。首を固定する布製の魔道具って、けっこう高いんだよなぁ。まだ予備あったかな~、ハァ」


 その気の抜けた独り言は魔剣士と賢者には届いていなかった。

 最初こそ目の前に広がる光景に戸惑っていた魔剣士と賢者だったが、なんとか冷静さを取り戻している。


 目の前にいるのはただの化け物。

 首が離れている魔物だと思えば、どうということはない。

 そうなればやるべきことはひとつ。

 斬って、魔法を打ち込むだけだ。


 魔剣士は自慢の魔剣をさやから抜くとプレスコットに向かって斬りかかった。同時に賢者がいくつもの魔法を放つ。

 だが――。


「遅いよ」


 小脇に抱えられたプレスコットの首がニヤリと笑う。


 ――キンッ。


 一瞬、金属が打ち合わさった音が鳴ったかと思うと、次の瞬間には魔剣士が持っていた魔剣がバラバラになって地面に落ちる。残っているのは彼の手が握る柄の部分だけだ。柄だけとなった元魔剣を手に、魔剣士は呆然と立ち尽くしていた。

 また賢者の放った魔法はこれまでと同じく、プレスコットに届く前に、あっさりと斬られ、消滅していた。


「……お、俺の魔剣が」

「……ぼ、僕の魔法がまた」


 魔剣士は切り刻まれた魔剣の柄を呆然と眺め、賢者は力なく肩を落とす。


「うん。やはりこの方が動きやすい。頭の位置が高いと、どうも落ち着かないんだよなぁ」


 プレスコットは清々しい顔を浮かべている。

 その反面、自慢の魔剣を切り刻まれた魔剣士と今回も魔法が通用しなかった賢者の顔はどんよりと沈んでいた。まともに打ち合うことすらできなかった魔剣士は相手の剣の腕が自分よりも圧倒的に上であることを悟り、賢者は芝居ではなく完璧に心を折られていた。


 この魔族には勝てない。

 魔剣士は魔力が感じられなくなった元魔剣の柄を力なく地面に落とす。

 そして何もかも諦めたような声でつぶやいた。


「……なんだっていうんだよ。首を斬られたら普通、死ぬだろうが。なんで、てめえは生きてやがんだ」

「どうせお前たちはここで終わりだ。特別に教えてやろう。私はアンデッドなどという魔物ではなく、誇りある魔族であり、生まれながらにして騎士の道を歩む種族デュラハン族のプレスコット=レスヘドである」

「……知るかよ」


 その瞬間、魔剣士と賢者の視界が暗闇に染まった。

 何も見えず、何も聞こえず、匂いもしない。

 声は出ず、手足の感覚はすでになかった。

 もはや立っているのか、倒れているのかもわからない。

 すべての感覚が消え去っていた。

 そして最後に考えるということすらできなくなった。

 二人の意識はまるで闇の中に吸い込まれるようにして消えていった。


「むーぅ」


 そこにどこかねたような声が響く。

 二人と対峙しているときと正反対の雰囲気に変わったプレスコットが小さくうなっていた。そして動かなくなった侵入者に視線を落としたまま、独り言のように声をかける。


「ねえ。わざわざ教えてあげたのに、知るかよ、はないと思うの。……どう思う? ウルナちゃん」


 すると名前を呼ばれた本人が苦笑しながら暗闇の中から現れた。


「理解できなかっただけじゃないかしら? この二人も普通の人族じゃないみたいだし」

「あー、やっぱり? 知り合いの人族(アリシアたち)とは違う気配がしたんだよね。それで、その子もそうなの?」


 プレスコットは左脇に抱えた頭をウルナが連れてきた少女へと向ける。少女は気を失っているらしく、まったく動く気配がない。彼女はウルナの小脇に抱えられており、まるで荷物のようだ。

 そういった意味ではプレスコットの頭部も荷物に見える。


「ねえ、話をする前に頭を戻しなさいな」

「んー、固定する布を斬られてしまってね」

「もう仕方ないわね」


 そう言うとウルナは魔物使いの少女を地面に下ろし、受け取ったプレスコットの頭部を本人の胴体に乗せ、取り出したハンカチで固定した。頭部を元の位置に戻してもらったプレスコットは両手で向きを微調整しながら、ウルナにお礼を伝える。


「ありがと、ウルナちゃん」


 侵入者との会話とは違い、同僚であるウルナとプレスコットの口調は非常におだやかだった。弛緩しかんした空気が辺りを包む。


「どういたしまして。あっ、そうそう、ちょっと聞いてよ。この子の名前、魔物使いっていうんですって。あと、そこに倒れているローブ姿の子が賢者、もう一人が魔剣士っていうらしいの。ふざけていると思わない」

「えー、なにそれ」


 侵入者たちの名前を聞いたプレスコットはクスッと笑った。

 だが、すぐに真顔に戻る。


「――そんなふざけた名前をつけた親は斬りたくなるわね」

「でしょー? 名付けなめんなって感じよね。あっ、でも名付けた本人は執事見習いくんがやっつけたみたいよ」

「あら、そうなの? 残念、斬り損ねちゃったわ」

「それに彼らの本当の親ってわけじゃなさそうだし、なんか複雑な事情があるみたい」

「ふーん」


 名前というのは大切なものだ。両親が自分の子供に初めて渡すプレゼントが名前である。そこに魔族も人族もない。

 そのため、便宜上とってつけたような名前にプレスコットは不機嫌さを隠さなかった。


「だから私、この子にティアって名前をつけたのよ」

「あら、いい名前じゃない。じゃあ、私もつけようかしら。賢者くんはサビィオ、魔剣士くんはスパーダね」


 プレスコットはウルナ同様、拾った動物に名前をつける間隔であっさりと名前を付けた。名付けられた本人たちがどう思うかはともかく、彼女たちに悪気はない。何より報告書に彼らの名前を書く必要があったため、ちゃんとした名前は必要だった。

 言い替えると報告書のために、名前をつけたことになる。

 これは、とってつけたような名前をつけたヤツ(フィスタン)と同じなのだが、彼女たちは彼ら侵入者たちの親ではない。これは愛称のようなものである。


「ところでこの二人、殺しちゃった?」

「ううん。視覚と聴覚と嗅覚、あと感覚を断ち切っただけよ。ついでに四肢のけんも血が出ないように切っておいたから、逃げられる心配はないわ」

「……それって生きているっていうのかしら?」

「騎士の情けで味覚は残しておいたわよ?」

「味がわかったところで、動けないんだから食事できないでしょ」

「あー、それもそうね。ところでその後ろの子たちは?」


 プレスコットはウルナに付き従うオオカミとカーバンクルを食い入るようにじぃっと見た。足、もも、背中、胸、首とまんべんなく何かを確かめるように視線をわせる。


 その視線を受けたシャドウウルフとカーバンクルはうすら寒いものを感じた。今の二匹の思いを代弁するなら、「あの目はまずい」だ。


 プレスコットはしばらく考えた込んだあと、ポンと手を打つ。


「お嬢様の離乳食パーティ用の食材ね。美味しそうと言えば美味しそうだけど、食べられる部分がちょっと少ない気がするわ」


 当然といえば当然だが、二匹はプレスコットの言葉を理解することができない。だが二匹にとって、「まずい」状況は、相手にとって、「美味しい」状況だということだけは本能で察した。魔物使いのティアが喚びだしたドラゴン(マハズール)にらまれたときとは違う悪寒が二匹の身体を駆け巡る。


「そんなわけないでしょ。お嬢様に何を食べさせるつもりかしら」


 ウルナは眉をしかめて否定した。

 そして食材に関するプレスコットの行動を思い出す。

 彼女の食材に対する認識は少々おかしかった。今でこそ七面鳥という食材を発見した彼女だが、以前は新種のコカトリスのヒナを捕まえてきたり、五メートルはある植物系モンスターを食材として連れてきたりしている。挙げ句の果てに三十一種類もの新種生物を発見し、王立研究所から表彰されたほどだ。その全部が食材にならないというのだから、彼女の認識のおかしさがわかる。もはや食材を避けているか、食材から避けられているといったほうがしっくりくる。


 ウルナの声を聞いた二匹は彼女の後ろに避難していた。

 魔物使いに使役されていたとはいえ、生存本能は健在だ。


「この子たちはティアの友人なんだから、食べないでちょうだい。そういえば、さっき執事見習いくんの使い魔が来てね――」


 そう言ってウルナはプレスコットだけに聞こえるよう、そっと耳打ちをする。その内容を聞いて、プレスコットを少しだけ焦ったような顔をした。


「――そ、それなら、ちょうどよかったわね。この二人はあの子(某執事見習い)が帰ってくるまで牢にでも閉じ込めておくわ」

「……ほとんど死にかけている彼らのどこが、ちょうどいいというのかしら」

「生きていればいいんでしょ、生きていれば。大丈夫、大丈夫。食べなくても、一週間くらいは生きていると思うから」


 あっさりと断言したプレスコットにウルナは小さくため息をついた。

 いつもながらプレスコットの剣術は恐ろしい。

 魔法や魔力が斬れることもおかしいのに、どうやったら五感を斬ることができるのだろうか。しかも相手の血を一滴も流さずに、だ。

 倒れたまま、まったく動かない侵入者を見ながら、ウルナは少しだけ同情した。


 そのときプレスコットとウルナの二人が同時にある一点へと目を向けた。

 二人に警戒した様子はない。

 同時に視線の先にある空間がわずかに歪む。

 その歪んだ空間から現れたのは某執事見習いの使い魔セルヴァだった。

 セルヴァは地面に転がっている侵入者たちをちらりと見たあと、二人に向かって頭を下げた。


「少し遅かったようですね。ウルナ様、私めに代わり、我があるじからの言葉をプレスコット様に伝えていただいたようで感謝申し上げます」

「いいわよ、別に」


 ウルナは気にした様子もなく、あっさりとしたものだ。


「彼からの伝言は受け取った。それでキミはどこにいっていたんだい?」とプレスコット。

「はい。先ほどまでラミーシャ様とイーラ様にあるじからの伝言を告げに行っておりました」


 セルヴァはそう言ったあと、プレスコットに伝言が遅れたことを謝罪する。プレスコットもまた気にしないで、と笑みを返した。

 セルヴァのために言っておくと、伝える順番に理由はない。


「そういえばウルナちゃん。この三人以外に侵入者はいないのかい」


 プレスコットはほかに侵入者がいないかウルナに尋ねた。

 ちなみに『お嬢様大好き四天王』の中で、年齢も見た目もプレスコットが最年長である。そのため、プレスコットはほかの三人を妹のように見ているところがあり、親しみを込めて皆を『ちゃん付け』で呼ぶことがある。

 最年少は某執事見習いより二つ年上のイーラだ。

 ちなみにプレスコットの実年齢はイーラの約二十一ば――


 ――キンッ。


「ちょっと、プレスコット。突然、剣なんか抜いてどうしたの?」

「今、すごく失礼な気配がしたのよ」


 ………………。


「ほかにも勇者、聖女という侵入者がいるわよ。この二人はすでに迷いの結界を抜けたみたいだから、裏庭か、すでにお屋敷に入り込んだ可能性が高いわ。あと名前はわからないけど、もう一人いるみたいね」

「それなら、その三人を探さないと」


 そう言って屋敷に向かおうとするプレスコットをセルヴァが引き止める。


「プレスコット様。ウルナ様。聖女のほうは、すでにラミーシャ様が対応しておられるはずなので問題ないかと。また、残った勇者はイーラ様が対応されるとのことです」

「ウルナちゃん。あの子たちだけで大丈夫かな?」


 プレスコットはウルナを見ながら心配そうに言った。

 ラミーシャもイーラもプレスコットにとっては可愛い妹分だ。

 その思いに年齢の差は関係ない。


「大丈夫よ。イーラはあの歳でお嬢様の専属侍女になった子だし、普段はおっとりしているラミも、もうすぐ成人として認められる年齢よ。それだけの力は備えているわ」


 ウルナは二人のことを信頼していた。

 実力がなければ侯爵家の使用人になれるはずもない。

 見た目はラミーシャより若干年上に見える程度のウルナだが、その年齢はラミーシャの約十一ば――


 ――チュインィィ


「ど、どうしたの。ウルナちゃん。突然、魔法なんか撃って」

「……今、不愉快な気配がしたと(したの)


 ………………。


「じゃあ、聖女と勇者は二人に任せるとして、名前のわからない一人が最後のお客様ということね」

「裏庭は私に任せてちょうだい。プレスコットはお屋敷をお願いね。あと、奥様はまだ起きていらっしゃると思うから報告をお願いしていいかしら」

「ええ、わかったわ」

「あの、私めもお手伝いいたしましょうか?」


 慌ただしく駆け出した二人にセルヴァが手伝いを申し出た。

 その申し出に二人は足を止め、振り返る。

 そして声をそろえてセルヴァに言った。


「「大丈夫、私たちの楽しみをとらないで!」」

「あっ……左様さようですか」


 プレスコットとウルナはそれだけ伝えると楽しそうに駆けだした。プレスコットは屋敷の中へ。ウルナと二匹の魔物は裏庭へ。それぞれの手に自分たちが倒した侵入者を抱えながら。

 その足取りは軽い。

 魔族にとって人族の一人や二人、負担でもなんでもないと言わんばかりだ。


 ゴブリアーノが思い出していた使用人たちの娯楽は、今まさに佳境を迎えようとしていた。捕まえていない侵入者はあと三人。そのうちの二人はすでに接客係(売約済み)が決定している。


 余ったお客様(獲物)はただ一人。

 名もなき侵入者は侯爵家使用人たち全員から狙われることになる。


 誰もいなくなった庭に残されたのはセルヴァだけ。

 あるじから頼まれた用件はすべて終わっている。


「さて、と。そろそろテントの準備もできたころでしょうか」


 ゴブリン族の仕事は早い。

 もう準備は終わっているだろうとセルヴァは当たりをつける。


「ではゴブリアーノ様のところに戻るとしますか。スミールの拠点でやるべきことは多いですし、早く帰らないと」


 移動しようとしたセルヴァは立ち止まり、お屋敷を振り返る。

 そしてクックックッと楽しげな笑いをこぼした。


「しかし――このお屋敷の使用人たちは我々、悪魔よりも恐ろしい」


 そう言葉を残したセルヴァは楽しげに肩を揺らしながら、その場から姿を消すのだった。

 誰もいなくなったエントランスは元の静けさを取り戻す。

 そのとき花の香りをまとった風が静かに流れ、何もなかったように通り過ぎていった。



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