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第百八十四話 鮮血香る闇の庭師

 太陽が沈み、すっかり暗くなった侯爵家の庭に怪しげな気配があった。その気配はひとつだけではない。複数の気配は屋敷を囲む高い塀を超え、敷地内にあった茂みに身を隠し、庭園内の様子を探っている。


 なぜ身を隠しているのか。

 それは彼らが侵入者であり、招かざる客であるからだ。


 ここまで入り込むのは簡単だったと侵入者の一人はこれまでのことを振り返る。街にいた魔族の一部に姿を見られてしまったが、彼らは自分たちを見て驚くものの、襲ってくる者はおらず、声をかけてくる者もいなかった。それが怯えによるものか、無警戒だったのかはわからない。


 目的地であるこの屋敷にたどり着いたとき、門の前に見張りはいなかった。それどころか門は不用心にも開いており、あっさりと中に入ることができたのだ。


「なあ、本当にここなのか?」


 するとそこへ別の気配の一人が不安げにつぶやいた。

 誰かに向かって言ったわけではなく、ただ口からこぼれたような小さな独り言だ。しかし、あまりにも順調すぎたためか、思ったことがつい口に出てしまったようだ。

 そのつぶやきにほかの一人が反応する。


「なによ、私の友達を疑っているの? ここで間違いないわよ。街で一番大きな建物だし、それにこの子もそう言っているもの」

「ぐるるる」


 つぶやきに答えたのは一人の少女。彼女はそう言いながら地面に視線を落とす。彼女に続いて発せられたうなり声は、確かに足元から聞こえてきた。だが、そこにあるのはただの地面と月明かりに照らされてできた彼女のぼやけた影だけだ。


 侵入した屋敷の庭はかなり広いうえに薄暗く独特の雰囲気がただよっている。明かりをともすことができないため、空に浮かぶ月からの明かりだけが頼りだ。


 だが、しばらくするとその闇にも目が慣れる。


 月明かりに照らされた薄暗い庭は立派な庭園で整えられた花壇には晩夏から秋にかけて咲く草花が整然と咲き誇っていた。また歴史を感じさせる樹木がいくつも立ち並ぶ場所はまるで小さな森のようだ。さらに虫の美しい声が風にのってあちこちから聞こえてくる。


 この美しい庭園を管理する腕のいい庭師がいるのだろう。

 見る者が見れば一目でわかるほどの腕前だ。

 だが、侵入者たちの中にそれがわかるものはいなかった。


「魔物使いはそう言うけどよ。そのシャドウウルフは本当に信用できるのか?」


 気配のひとつが振り返り、いぶかしげに尋ねた。振り返った拍子に腰にぶらさがっていた剣がカチャリと音を立てる。

 魔物使いと呼ばれた少女は、少しムッとした声で言葉を返した。


「何よ、魔剣士! 疑っているの? 信用しなさいよね。偵察は影に潜ることができるこの子の得意技なんだから」


 魔物使いの少女は自信ありげに言った。そして足元にうかぶ自分の影から顔をのぞかせるシャドウウルフの頭をなでる。その獣毛は真っ黒で闇に溶けてしまいそうだったが、その毛並みは月明かりに反射にとても柔らかそうに見えた。


 話はこれで終わりとシャドウウルフをなで続ける魔物使いの姿を見て、魔剣士と呼ばれた男は、やれやれと言いながら肩をすくめた。

 そこへ別の人物から声がかかる。


「魔法が試せるならどの魔族でもかまいませんよ。魔族が住むこの地はダンジョン以上に濃密な魔力に満ちあふれています。この発見は魔法を使う僕にとって好都合。それにこの屋敷には魔族の子供がいると聞いています。そいつを捕まえ、ぜひとも解剖して――」


 分厚い本を手にしていた人物は言葉を途中で切り、「ふひひっ」と笑みをもらす。そんなローブ姿の仲間にシャドウウルフの頭を撫でていた少女は、「……うわぁ。いい笑顔」と顔を引きつらせた。


「魔力のことはわからないが、賢者の気持ちはよくわかる。俺も早くこの魔剣の試し斬りがしてぇ。いつものように首を一太刀でたたき切ってな」


 魔剣士の目が持っている剣のように鋭く細められた。

 口元には喜色すら浮かべている。


「やれやれ。首狩りの異名を持つ魔剣士は相変わらず趣味が悪いですね。あと魔族の子供は僕のですよ」

「魔族とはいえ、子供を解剖するとか言っている賢者に言われたくねぇよ」

「この場合、子供とはいえ魔族というべきでしょう。それに首を斬ってしまったら、止まりゆく心臓のはかなさを観察することができないじゃないですか」

「うへぇ。ったく。どっちの趣味が悪いんだか」


 腰に剣をぶら下げた男は顔をひきつらせながら苦笑する。

 すると彼は持っていた剣を片手の指だけでわずかに引き抜き、すぐに戻した。そしてそれを幾度となく繰り返す。そのたびにカチッという心地良い金属音が辺りに響く。

 これは彼の癖のようなものだ。


 彼が剣を引き抜くたび、ぼんやりとした光がさやから漏れ出していた。

 よく見れば片手剣の刃がうっすらと光を放っている。

 見る者が見れば、その剣が魔力を帯びたものだとわかるだろう。


「あの魔剣士さん、賢者さん。これは神の敵、悪しき魔族を滅ぼすための試練なのです。誰でもいいとか、剣の威力を試すとか、己の欲望を満たすような発言は控えるべきですよ」


 軽口を叩く二人に仲間の一人からとがめるような声がかけられる。声をかけたのは魔物使いとは別の少女。彼女は胸のあたりで両手を組み、神官服を身にまとっていた。肩まで伸びた艶やかな銀髪は月の明かりに反射して輝いている。二人をじっと見る瞳は神秘的な銀色で今にも吸い込まれそうだ。


「かぁー。相変わらず真面目だねぇ、聖女は。それと、その目を俺たちに向けるのはやめてくれ」


 彼女の瞳から視線をそらせた魔剣士は大げさに肩をすくめた。賢者は彼女の声が聞こえていないふりをしながら顔を背けている。


 すると少女は静かに目を閉じ、慈愛に満ちた笑みを魔剣士に向けた。


「私は修行中の身。それに巫女(ミーア)様を差し置いて、聖女などとおこがましいですわ。ですが、そうありたいと心より思っております」

「あー、はいはい。それでこれからどうすんのよ。勇者」


 目を閉じたまま、神に祈りを捧げ始めた聖女の姿を見て、魔剣士はうんざりした顔で話を切り上げる。そして、これまで黙っていた一人に声をかけた。


「んー、どうしよっか」


 勇者と呼ばれた人物は薄い笑みを浮かべながら、「なぜ僕に聞くのだろう」と心の中でつぶやいた。勇者というのは過去、サクリス神聖国に攻め込んで来た魔王を退しりぞけたという伝説の人物だ。だが、自分に魔王を退けるような力はなく、勇者という名にふさわしいとは思っていなかった。


 そんな彼が浮かべた笑みは青年というには、あどけなさが抜けていなかった。どちらかといえば少年に近い。それは彼だけでなく、ここにいる全員に言えることだ。


「とりあえずは指示通りにして、あとは臨機応変に対応かな。フィスタン様の情報によると、ここには魔族の中でも一、二を争うほど危険な侯爵級魔族とその家族たちが住んでいるらしい。当然、その手下も恐ろしい相手に違いない。皆、油断しないことが大切だよ」


 勇者の言葉にほかの皆は黙ったまま、うなずいた。

 異論はなかった。

 それは皆、彼の実力を認めているからだ。

 その実力を本人自ら疑っているとしても。

 勇者と呼ばれた黒目黒髪の少年は、ここにいる自分以外の一人一人に視線を送る。


 目つきの鋭い赤毛の少年魔剣士。

 魔物を使役する魔物使い(テイマー)の少女。

 強力な魔法を操る研究狂いの少年賢者。

 神聖魔法の使い手で銀の瞳と髪を持つ聖女。

 そして――。


「あ、あれ? あの子はどこ行ったの?」

「あっ! あいつ、また勝手に行きやがった……」


 戸惑う勇者の問いに赤毛の魔剣士が投げやりに答えた。


「はあ、まいったなぁ」


 勇者は小さくため息をつく。

 あの子の独断専行はいつものこと。

 とはいえ勇者は仲間に対し、常々思うことがあった。

 フィスタン様に仕える名誉ある近衛にふさわしい行動をして欲しいと。だが、そう願う勇者の思いは今日も届かない。


 現在、この場には五人しかいないが、いなくなった一人を加えた六人が『真の教皇(フィスタン)』に近衛と呼ばれた者たちだ。今回、彼らはここにいる魔族を倒すため、巫女(ミーア)が使う神の奇跡によって送り出された。

 ただ、その巫女が使った神の奇跡が悪魔の力だと彼らは知らない。


「元気出して、勇者。あの子がさくっと侯爵級魔族を倒してくれれば、私たちも楽だし。ねー、ウルフィー」

「バウッ」


 少女はシャドウウルフにウルフィーという名前をつけていた。

 そのウルフィーが返事をするように小さく吠える。ウルフィーはもっと撫でてもらいたいらしく、すでに影から飛び出しており、真っ黒な毛で覆われた背中をクネクネと地面にこすりつけていた。そのたびに口からはみ出した長い舌がだらしなく左右に揺れる。

 少女はお腹を見せて転がるウルフィーをわしゃわしゃと撫でまくりながら話を続けた。


「でもさぁ、勇者。指示通りはいいんだけど、いつまであのおっちゃんたちを待つつもりなの?」

「指示通りですと、もう始まっているはずですよ。勇者」


 魔物使いの言葉に賢者が続く。


「フィスタン様の指示だと、屋敷に突入するのは彼らが街で暴れるのを待ってからって話だったけど……」


 その時間はとっくに過ぎていた。

 兵を率いた(おっちゃん)が正面から門に近づくことで魔族たちの目を引きつける。その隙をついて、勇者たちは賢者の魔法で防壁を飛び超え、街に潜入。勇者たちが屋敷にたどり着くころには、門を突破した兵士たちが陽動のため、街で暴れ出す。その間に勇者たちは屋敷に潜入し、中にいる魔族を皆殺しにして脱出、というのが本来の作戦だった。


 しかし、街で騒ぎが起きているような気配はない。


「もう待たなくてもいいのではないでしょうか? 早く魔法を使いたいのですし」

「あのおっさんって偉そうなだけで何もしてねえよな。側近のなかでも古株らしいけど、なんか俺たちを見張っているみたいな目つきだったし」

「私もあのおっちゃん嫌い。筋肉が気持ち悪いし、聖女のこといやらしい目で見ていたし、ハゲハゲしいし」


 魔物使いの少女はそう言って聖女に同意を求めた。

 目を向けられた聖女は困った顔をしながら言葉を絞り出す。


「そんなことを言ってはいけません。……あれは神の試練なのです」

「試練って……。それってある意味、嫌がっているってことよね」

「い、いえ、それは――」


 魔物使いの言葉を否定しきれない聖女が口をつぐむ。

 だが、そのように人をおとしめるようなことを考えてしまうのは、自分の修行が足りないからだと思っている。聖女は自分の未熟さを反省し、神に祈った。

 再び祈り始めた聖女を見て、仲間たちは、「またか」と苦笑を浮かべる。聖女は熱心かつ敬虔な神の信者だった。

 ただし、『狂』という文字がつく。

 仲間たちにその文字が見えないのは幸いだ。


「勇者。もう僕たちだけで始めましょう。これ以上、貴重な時間を消費するのは合理的ではありません。もたもたしていると『真の教皇』フィスタン様の期待を裏切ることになりますよ」


 待ちきれないといった賢者の一言に勇者以外の全員がうなずいた。

 彼らの視線は勇者へと注がれている。

 その勇者は少し考える素振りをしてから、答えを出した。


「じゃあ、あと五分だけ待とう。それでも動きがなかったら僕たちだけで――」

「――僕(たち)だけで何()するつもり(なの)?」


 ――ぞくり。


 突如、氷水を浴びせられたような寒気が全員の身体を襲った。

 少し眠たそうなその声は一番後ろにいる魔物使いの背後から聞こえてきた。頭から背中にかけて、しびれるような戦慄せんりつを覚えた彼らは反射的に振り返る。

 だが、振り向いた彼ら彼女らの視界には誰も映らず、高い塀が見えるだけ。ただ、そこには花の香りがうっすらと残っていた。


「……い、今、確かに聞こえたよね」


 一番後ろにいた魔物使いの少女が震える声で尋ねた。

 その言葉にほかの全員がうなずく。

 そんな魔物使いが、ふと地面に視線を向けると先ほどまで撫でていたはずのウルフィー――シャドウウルフ――の姿がない。


「え? ウルフィー!? ウルフィー!」

「おい、大声を出すな。気づかれるぞ!」

「だってウルフィーが!」


 魔剣士が魔物使いをなだめようとする。

 しかし、友達と呼ぶシャドウウルフがいなくなった魔物使いはそれどころではない。彼女は動揺し、言葉にならないほど焦っていた。


 魔物使いは使役した魔物や動物と特殊な繋がりを持つことで意志の疎通ができる。


 そのウルフィーとの間にあった繋がりがぷっつりと切れていた。

 繋がりが切れたということは、使役した魔物や動物が魔物使いの管理下から離れたことを意味する。その原因の多くは使役した魔物や動物の死によるものだ。

 だからこそ魔物使いの少女は冷静さを失っていた。


「ウルフィー! ねぇ、ウルフィーったら!」

「ちょっ、声がでかい! ちょっと待て! あっ、おい! 馬鹿野郎!」


 走り出した魔物使いの少女を引き留めようと魔剣士が手を伸ばす。だが、彼女の腕は魔剣士の手をするりとすり抜けた。少女はそのまま庭の奥へと一人、暗闇の中に消えていった。


「おいおいおいおい。どうする、勇者!」


 珍しく焦った様子の魔剣士は自分の気持ちを落ち着かせるかのように何度も剣を抜きかけては、さやに戻す。そのたびに金属が打ち合うカチッという音が鳴る。その音が鳴る間隔は短く、正直、カチカチとうるさい。だが、魔剣士の焦りがひしひしと伝わってくるのがわかる。


 その動作が魔剣士のくせだと知っている勇者だったが、彼にバレないようため息をついた。なぜわざわざ目立つように大声を出し、不審な音を立てるのか。皆、我々が侵入者であることを忘れているのではないかと悩まずにはいられない。


 何より、勝手な行動をしたのはこれで二人目だ。

 どうして皆、近衛にふさわしくない行動をするのだろう。

 やはり僕が勇者として頼りないからではないか。

 そんな暗澹あんたんたる――悲観的な――思いが彼にのしかかる。

 するとそこへ冷ややかな声がかけられた。


「神の試練を放棄するとは、なんて嘆かわしい。もう放っておけばいいのです、勇者」


 いなくなった魔物使いに対し、聖女はそう断じた。

 彼女の神に対する信仰は少々過激だ。『狂』の文字は見えないが、少々過激なことはこの場にいる誰もが知っている。一応、言っておくとこの場にいない二人も知っている。自覚がないのは聖女本人だけだ。


「ところで魔法はいつになったら使えるのでしょうか」


 賢者は相変わらず魔法が使いたくて仕方ないという顔をした。

 彼は仲間のことより、魔法と魔族の解剖にしか興味がない。


 とはいえ聖女や賢者のように仲間を放っておくわけにもいかず、勇者は魔物使いが走って行った暗闇へと目を向ける。

 そして軽くため息をつきながら言った。


「まずは彼女を追いかけよう」


 その決断に好き放題言っていた聖女と賢者は文句を言うことなく無言でうなずくのだった。


 ◆


「ウルフィ~。ウルフィーったら。どこにいるの~」


 たくさんの木に囲まれた薄暗い庭の小道。

 その小道を、音をたてないようゆっくりと歩きながら、声を抑え、ウルフィーの名を呼ぶ。


 勢いで飛び出してきた魔物使いだったが、今は冷静さを取り戻していた。とはいえウルフィーを見捨てて戻るわけにもいかない。


 魔物使いは強力な魔法が使えるわけでもなく、大きな剣を振るうこともできない。その代わり使役する魔物の種類と数によってどこまでも強くなれる。

 逆に言えば、魔物のいない魔物使いは魔族どころか魔物と戦うことすら難しい。


 ここは人に仇なす魔族が住むという屋敷の敷地内。

 まさに敵のまっただなかといえる場所だ。

 そんな場所で魔物使いが一人でいるのは危険極まりない行為だ。

 そのため彼女は、さっそく別の魔物を呼び出していた。

 彼女が従えているのはシャドウウルフだけではない。


 新しく喚び出した魔物は彼女を先導するかのように、小道をちょこまかと歩いている。大きさは三十センチほどで、柔らかそうな真っ白の毛に覆われた姿は、どこからどう見ても小動物にしか見えない。その姿はまるでネズミのようであり、リスのようでもあった。

 ただ明らかに違うのは額にある大きな真紅の宝石だ。


 魔物の名はカーバンクル。

 額の宝石を手にした者は富と名声を得ることができると言われている伝説の魔獣だ。


 魔物使いに喚び出されたカーバンクルは、いなくなったウルフィーを見つけるため、小さな鼻をひくひくと動かした。


 するとカーバンクルは振り向き、少女に向かって、「キュキュ」と鳴いた。その鳴き声は見つけたという知らせだ。その自信にあふれた可愛い声に魔物使いの少女は喜色を浮かべる。


「さすがカーくん! ありがとう! 案内して!」


 その言葉にカーくんことカーバンクルはちょこちょこと走り出し、少女はそれを小走りで追いかけた。



 どれほど小道を走っただろうか。

 聞こえてくるのは木々のざわめきと虫の声。

 そして走る魔物使いの息づかいと足音だけだ。


 左右から空を覆う木々の枝はいまだ途切れることがない。一本道にも関わらず、少女は次第に森で迷ったような錯覚におちいる。走った距離から考えて、あまりにも広すぎる庭に少女がおかしいと思い始めたとき、突然、視界が開けた。

 木々のトンネルが途切れ、月明かりが目に飛び込んでくる。


 開けた場所には植物のつるや様々な植物に覆われた小屋らしきものがあった。それも扉が見えていなければ、小屋かどうかもわからないほどだ。


 すると小屋をはさんだ向こう側から白い光が漏れて見えた。

 少女は揺らめくことのない白い光に見覚えがあった。それは宮殿にあったランタンの光にそっくりだ。魔道具が出す光だと、前に賢者が教えてくれたことを思い出す。


「カーくん、おいで」


 声をかけると案内をしてきたカーバンクルは、「キュッ」と可愛らしく鳴き、少女の身体を上り始めた。そのまま肩まで駆け上がると、肩の上で丸くなる。


 少女は光に向かって歩き出した。

 足音を立てぬよう、ゆっくりと。

 そして小屋に近づき、物陰からそっとのぞく。


 すると、そこには探していたウルフィーの姿があった。

 後ろ姿とはいえ、見間違えようもない。


 よかった、生きていた。


 魔物使いの少女はホッと胸をなで下ろした。

 でも、それならなぜウルフィーとの繋がりが切れてしまったのか。

 その原因を調べるため、ウルフィーに近づこうと思ったとき、少女は慌てて身を隠した。


 それというのもお座りをしているウルフィーのそばで、しゃがんでいる人影が見えたからだ。バレないよう顔をぎりぎりまで出してのぞいてみると、その人影は気品を感じさせる女性だとわかった。

 年齢は少女よりも少しだけ年上に見える。だが、総合的な女性らしさは相手の方がはるかに上だ。思わず視線を落とし、自分のものと見比べてしまう。比べるまでもないことは本人も気づいていたが、確認せずにはいられなかった。


 しゃがんでいる女性の足元には、魔道具らしいランタンが置かれていた。

 宮殿で見たものとはデザインも意匠も違っていたが、こちらのほうが立派に見える。魔道具のランタンは熱を発するほどがない。そのため地面に置いても土や芝生を焼くことなく、ただただ辺りを照らし続ける。


 魔法の光に照らされた女性は黒いドレスを身にまとい、ほとんど素肌を見せていなかった。しかし、七分袖からのぞく細い手や顔の肌は雪のように白く、同性から見ても美しかった。黒いドレスを着ているせいか、その白さがより際立って見える。

 ウルフィーに向けられる笑みは優しく、その緋色の目は慈愛に満ちていた。


 女性は少女に気づいていないようだ。

 ただウルフィーの頭を優しくなでながら、何やら話しかけている。

 少女は小屋の陰からそっと耳をすます。


ふとか(大きな)声で起こされて、まだ眠か(眠いわ)

「クゥゥ~」

よかとよ(いいのよ)。ゴブリンの隊長のしぇいやけん(せいだから)あんたん(あなた)のせいじゃなか(ないわ)

「ウォン。クゥンクゥン」

「へえ、そうなん(そうなの)

「クゥワゥン」

「ふぅん、それで頼み事()聞いて欲しかと(いの)?」

「ウォンウォン! ワフッ。ワフゥ」

「あらあらっ。ふふふ」


 それは気の合う者同士で会話をしているかのようだった。

 女性の話し方は独特だったが、彼女が声をかけるとウルフィーはうなずくように返事をし、否定をし、何か説得しているように見えた。


しょんなかね(しょうがないわね)。でも、ご主人様がおとなしゅうしとったら(しくしていたら)の話よ。よかとね(いいわね)?」

「クゥン」


 女性の一言にウルフィーは少しだけ寂しそうな声を漏らし、うなだれる。まるで願ったとおりの頼み事が聞き入れられなかったような様子だ。

 うなだれるウルフィーを見て、笑みを浮かべた女性の口の端に小さな牙がちらりと見えた。


「緋色の瞳、口から伸びた牙。もしかして……」


 魔物使いの少女は、これまで魔物についていろいろ学んできた。特に使役できる魔物や使役できない魔物は頭にたたき込んでいる。魔獣、幻獣、竜種、アンデッドなど、学んだ魔物の種類は多岐にわたる。


 その中に黒いドレスの女性の特徴とほぼ一致するものがいた。

 明らかに人族とは違う特徴に魔物使いは小屋の陰から飛び出した。


「ウルフィー! こっちにおいで!」


 飛び出した魔物使いが短剣を抜き、シャドウウルフの名を叫ぶ。

 油断しないよう警戒心を強めながら。


 その声にドレス姿の女性がちらりと少女に目を向けた。だが、そこに驚いた様子はない。女性はため息混じりに立ち上がると、ドレスのスカート部分を軽く手で払った。その態度はまるで、ようやく来たのねといわんばかりだ。


 しかし名を呼ばれたウルフィーはじっとしたまま、振り向く様子がない。


「どうしたの! こっちに来なさいってば!」


 魔物使いの少女が焦ったように叫ぶ。

 これまで仲間になった魔物たちが彼女の言葉を無視することなど、一度もなかった。繋がりが切れているせいかと少女は焦る。

 それでも、もう一度名前を呼んだ。するとウルフィーはゆっくりと振り向き、「くぅん」と鳴いた。その声は「聞こえているよ」と言っているようだ。


 しかし、それでもウルフィーは女性のそばから離れようとしない。それどころかドレス姿の女性を見上げ、悲しそうな顔をする。するとドレス姿の女性はランタンを拾い上げながら優しくウルフィーに話しかけた。


「ウルフィーちゃんだったかしら。少し離れていんしゃい(いなさい)。そばにおったら(いたら)あぶなかけん(ないから)ね」

「え?」


 その女性の言葉に魔物使いの少女は困惑した表情を見せた。

 それというのも声をかけられたウルフィーが大人しく歩き出し、小屋から離れた場所で『伏せ』をしたのだ。


 自分の言うことはきかなかったのに、目の前の女性には従った。

 その衝撃は少女の心を激しくかき乱した。

 だが、油断は大敵だ。

 少女は最大限の警戒心を持って女性をにらみつける。

 そして手に持った短剣を握りなおした。


「これでゆっくり話ができるわねー。魔物使いのお嬢さん」

「ちょっとそこのあなた! 私のウルフィーに何をしたのよ!」

「さぁ、何をしたのかしらー。うふふ」

「ふざけないで!」


 女性のとぼけた態度に少女がいらついたような声を上げ、足を踏み出す。すると肩に乗っていたカーバンクルが怒ったように、「シャァッ」と威嚇する声をあげた。


 その声を聞いた魔物使いの少女は、ハッとした顔で足を止めた。

 今、なぜ自分は不用意に近づこうとしていたのか。

 警戒していたはずなのに、なぜ無意識に足を進めていたのか。


 ふと気づけば闇の中で緋色の瞳が怪しく輝いていた。

 少し眠たそうな顔をした女性は足を止めた少女を見て、残念そうにため息をつく。


「あらー。やっぱり寝起きは調子が悪いわねー」


 女性は手で口を押さえながら小さく欠伸あくびをする。

 だが、すぐに真面目な顔になった。

 眠そうだった顔はどこにもない。

 すると女性はドレスのスカートをつまむと、軽く膝を折り、魔物使いの少女に向かって丁寧なお辞儀を見せる。


「ようこそ招かざるお客様。私はウルナ。ミストファング侯爵家に仕える庭師にございます。あなたがたのお越しを使用人一同、心より歓迎いたしますわ」


 あなたがた。

 ここには魔物使い一人しかいないのに、あなたがたと言った。

 それは勇者たちの侵入がバレているということだ。


「あのときの声……」


 ウルナと名乗った女性の声は、仲間たちと一緒にいたとき、不意に聞こえた声と同じだった。


「はい、そのとおり」


 そうつぶやいた魔物使いの少女に返事をしたウルナは、にっこりと笑い、その牙を見せる。先ほどまで口元からわずかに覗くだけだった牙は今や四センチ近くまで伸びていた。

 肌の色以上に白いその牙は、わずかな湿り気を帯びているのか、月明かりに反射して艶めかしく光っている。

 その牙を見て、少女は確信した。


「やっぱり! 生命を吸い取るアンデッド! 吸血鬼!」


 暗闇で怪しく光る瞳、口から伸びた鋭い牙。

 間違いない。

 目の前に立っているのは紛れもなく吸血鬼だ。

 吸血鬼は人族の敵であり、生あるすべての者に敵対する強力なアンデッドと言われている。吸血鬼に血を吸われた者は、血を吸った吸血鬼の命令を忠実にこなす下僕となり、アンデッドとして生者を襲うようになる。また吸血鬼の瞳は相手を魅了する魔眼だと伝わっていた。


 少女は察した。

 先ほど、無意識のうちに近づこうとしてしまったのは、不覚にも吸血鬼の瞳を見てしまい、魅了されてしまったからだ。

 カーバンクルが魅了の力を打ち消してくれたおかげで助かったが、あのまま近づいていたら鋭い牙の餌食になっていただろう。そして生きている物を襲う化け物になるところだった。

 最悪の結末を想像した少女の身体に悪寒が走る。


「ありがとう。もう少しで血を吸われてアンデッドにされるところだったわ」


 少女は恐怖を誤魔化すようにカーバンクルへと頬を寄せ、感謝の気持ちを優しく伝えた。カーバンクルも嬉しそうに少女の頬へ頭を優しくこすりつける。


「あら、仲がいいのね」


 ウルナは一人と一匹の関係を見て微笑んだ。

 だが、魔物使いの少女はその笑みを見ても警戒を緩めない。

 もう魅了されるものかと吸血鬼の瞳を直視しないよう、わずかに視線を外す。


 少女に油断はない。

 『真の教皇』に近衛として選ばれた一人とはいえ、吸血鬼は恐ろしい敵だ。

 だが、彼女にはまだとっておきの魔物がいた。いつでも喚び出せるよう準備をしておく。


「ところでっ」


 そこにウルナから少女へと声がかけられる。それは幾分いくぶんきつい口調だった。その声に反応して、少女の身体に緊張が走る。


「確かに私は血を吸う吸血鬼よ。だけどアンデッドなんかじゃないわっ。あんな魔物と一緒にしないでくれるかしら?」


 ウルナはそう言うと不機嫌そうに頬を膨らませた。魅力的な大人の女性が見せた子供っぽい仕草に少女は呆気にとられ、警戒心が少しだけ緩む。


「え? そうなの?」

「そうよ。吸血鬼はアンデッドなんかじゃないの。種族名もちゃんとあるし、由緒ある魔族なんだから」

「あっ、うん。ごめんなさい」


 魔物使いは素直に謝った。

 よくわからないが本人が違うというのだから、そうなのだろうと少女は思った。


「ふふっ、許してあげる。素直な子は好きよ」


 好きと言われた少女は照れたように頬を染める。

 ウルナの声はとても安心できる声で、まるで友人と話すような気軽さと心地よさがあると少女は感じていた。


「ところであなたたちはなぜここに来たのかしら?」


 その問いに少女は笑みを浮かべて答えた。


「私たちはここに住んでいる危険な侯爵級魔族とその仲間を退治しにきたの」

「侯爵級魔族? 爵位のことじゃなくて?」


 ウルナには侯爵級という意味がわからなかったが、人族の国では貴族のことをそう呼ぶのだと解釈した。


「それがなんだかわからないけど大変そうね」

「うん。でも私には心強い仲間がいるから大丈夫よ」

「まあ、素敵。そのお仲間は何人くらいいるのかしら?」

「私を入れて六人ね。それに街の外に二十人以上の兵がいるわ。悪しき魔族が住むこの街を浄化する予定なの」

「へえ。ずいぶんたくさん仲間がいるのねぇ」


 ウルナは六人と聞いて首をかしげた。

 隠れている彼女たちに声をかけたとき、その場にいたのは五人だった。


「でもこのお屋敷に来た子って、一人足りなくないかしら」

「あの子、すぐにどこかにいっちゃうのよ。たぶん単独で行動していると思う」

「あらあら。困った子がいるのね」

「そうなの! ウルナさん(・・)もそう思うよね」

「うちの見習い執事くんも、すぐにどこかへ行ってしまうわ」


 その言葉にどちらともなく二人は声を出して笑いあった。


「でも本当に危険な魔族なんているの?」

「フィスタン様が言っていたから間違いないわ」


 フィスタンの名を聞いたウルナの瞳がきらりと光る。


「それは怖いわ。でもそのフィスタンっていう方は信じられるの?」

「もちろんよ! 私たちを育ててくれた、とても偉い教皇様なの」

「へぇ……そいつが主犯っぽいわね」

「え? 今何か言った?」

「ううん。なんでもないわ。ところで私も危険な魔族なのかしら」

「違う! あなたはそんな魔族じゃない」

「でも私も魔族よ。それに吸血鬼だし」

「魔族だって吸血鬼だっていろいろだと思うの。人と同じよ」

「ええ、そうかもしれないわね」


 そういうとウルナはにっこりと笑みを見せた。

 だが、少女が続いて口にした言葉にその表情は一変する。


「そうよ! 本当に危険なのは、さっき言った侯爵とその娘――」

「――ハ?」


 少女がそう口にした途端、ウルナから発せられた濃密な殺気が少女の身体を覆い尽くした。間近にぶつけられる殺意に少女の身体は自然と震えだし、嫌な汗が止まらない。

 なぜ友人であるはずのウルナが殺気を向けてくるのか。

 恐怖に怯える少女にはわからない。


「シャァッ! シャァァ!!」


 そこへカーバンクルが思い出したように毛を逆立て、震えながらウルナに向かって威嚇する声をあげ始めた。カーバンクルの震えが肩越しに伝わってくる。

 その声に少女はようやく我に返った。


「……あっ」

「あーら残念。解けちゃったわね。――でも、あなたが侯爵様の娘なんて言うからよ。私の可愛いお嬢様に向かって何様かしら。つい殺してしまいそうになったわ」


 ウルナは蠱惑的な笑みを浮かべながら、内心では怒っていた。その緋色の目は怒りに燃えているかのように爛々(らんらん)と輝いている。

 今もなお少女に向ける殺気は止まらないし、止めるつもりもない。


 震える身体を両腕で抱えながら、魔物使いの少女はこれまでの会話を思い出す。先ほどまで自分が吸血鬼にとっていた態度はなんだったのだろうか。


 安心? 友人? 魔族が人と同じ?

 少女は頭を左右に振りながら、自ら口にした言葉を否定した。

 目の前にいるのは人族の敵。魔族であり、吸血鬼なのだ。

 それなのになぜ、親しげに話をしていたのだろうか。

 思い当たることはひとつしかない。


「また魅了されていた? な、なぜ。目を見ないようにしていたのに」


 魔物使いの少女は吸血鬼の魅了に惑わされないよう、意識的に目を合わせないようにしていた。それにも関わらず、いつの間にかまた魅了されていたのだ。


 ただ、おかしなことがある。魅了状態になればカーバンクルが即座に異常を感知し、解除してくれたはずだ。しかし今回、その反応はなかった。それどころかカーバンクルまで魅了されていたかのようだ。


 そのことに気づいた魔物使いの少女は自分の肩が軽いことに気づく。

 そして同時に気づいてしまった。

 ウルフィーに続き、カーバンクルとの繋がりも切れていることに。

 少女はまさかと思いながら、自分の肩を見る。

 だが、先ほどまで肩の上にいたカーバンクルの姿はない。


 少女がカーバンクルの名を呼ぼうとしたとき、聞き慣れた鳴き声が聞こえてくる。そのとき、ようやく少女に降り注いでいた殺気が霧散した。


「――よし。落ち着いたわ。ねえ、ちょっと。邪魔したのはあなたよね。ダメでしょ。魅了が解けちゃったじゃない」

「キュ~」


 少女が目を向けると、そこには説教をする吸血鬼の手のひらで申し訳なさそうに縮こまるカーバンクルの姿があった。震えているが逃げだすつもりはなさそうだ。


「カーくん!」


 魔物使いの少女は声を振り絞り、カーバンクルの名前を呼んだ。

 ウルナはそんな魔物使いの少女にちらりと目を向けたあと、手のひらに乗る小さな魔物に視線を戻す。


「そう。カーくんっていうの」

「キュ~」


 ウルナの問いかけに丸まっていたカーバンクルが後ろ足で立ち上がる。

 そして返事をするように一言鳴いてから、立ったままうなずいた。


「ウルフィーちゃんに頼まれたのよ。ご主人様を殺さないであげてって。せっかく私が穏便にすませてあげようとしているのに、なぜ邪魔をしたのかしら。あなたのご主人様を殺していいわけ?」

「キュッ!? キュキュキュッ!」

「だったら余計なことしないで黙っていなさいな」

「キュフ~」


 細い指先で鼻をつつかれたカーバンクルは小さな身体を小さく縮ませた。それは脅されて仕方なくというよりも、反省した態度だ。

 ウルナは地面に手を下ろし、カーバンクルに離れているよう声をかける。するとカーバンクルは大人しく伏せているウルフィーのところに行き、彼の頭の上で丸くなった。


 伏せをするオオカミの頭の上で丸くなるカーバンクル。

 なかなかなごむ光景だ。

 だが、少女はそれどころではない。


「カ、カーくんまで……」


 少女は衝撃のあまりひざをついた。

 その姿を見たウルナが魔物使いの少女に声をかける。


「あら? 知らなかったのかしら。私たち(吸血鬼)はオオカミやネズミ、コウモリの仲間を使役できるのよ。動物、魔物問わずね。どんな子であろうと、どのような状態であろうと、ね」


 それを聞いて魔物使いの少女は息を飲んだ。

 確かに吸血鬼はオオカミやネズミなどに変身できる能力があると聞いたことがある。だが、魔物使いのように使役するというのは初めて聞いた。

 驚いたのは使役する対象がどのような状態であっても使役できるということだ。実際、目の前で起きていることを考えれば、「どのような状態でも」という言葉の意味が、繋がりのある魔物を含んでいるのは明白だ。


 オオカミやネズミなど種類が限定されているとはいえ、それは魔物を使役する魔物使いにとって自らの手足を奪われるに等しい恐ろしい能力だった。特に魔物使いの少女のように使役した魔物を友人と呼ぶような者にとっては最悪の能力だ。


「ところで、あなた名前は?」

「……なぜ、そんなことを聞くの?」


 少女は警戒を緩めることなく、また魅了されないよう大きく目を逸らした。

 そんな態度にウルナは肩をすくめる。


「ウルフィーちゃんやカーくんのような素敵な名前をつけたあなたを知りたいと思うのはおかしいかしら」

「そうやってまた私を魅了しようとしているに違いないわ」

「大丈夫よ。もう声に魔力を乗せるのはやめたから」


 声に魔力?

 思ってもいない言葉に魔物使いの少女は少しだけ吸血鬼に目を向ける。


「え? その瞳が魅了の魔眼じゃないの?」

「……どうりでさっきから視線を合わせないわけね。てっきり照れ屋さんなのかと思ったわ」


 ウルナはため息をつき、何かを考えながら言葉を続けた。


「アンデッドだと間違えたり、魅了の魔眼と言いだしたり、吸血鬼のことが人族にどう伝わっているのか、一度じっくり話し合う必要がありそうね。なんだか、すごいこと言われていそう」


 整った顔立ちの美女が眉間にしわを寄せたところで、その美しさが損なわれることはない。逆に憂いを帯びた悩ましげな表情は彼女の新たな魅力を引き出していた。


「それで、名前くらいは教えてくれるんでしょ?」


 ウルナがもう一度尋ねると魔物使いの少女は少し迷ってから口を開いた。


「……私の名は魔物使いよ」


 侯爵家の庭に数秒ほど沈黙が訪れる。

 庭で鳴いていた虫たちもわざわざ鳴くのをやめたくらいだ。

 その静けさがしばらく続いたあと、虫たちがまた鳴き始める。


「……はい? えっと、あなたの名前なんだけど」

「? だから私は魔物使いよ」


 再度、侯爵家の庭に沈黙が訪れる。

 庭で鳴いていた虫は今夜の演奏会の中止を決めた。


「魔物使いって職業の名前よね。……あれ? そもそも職業なのかしら」

「ふざけたことを言わないで! 私に名前を授けてくれた『真の教皇』様を侮辱するのは許さない!」

「じゃあ、ほかにいた勇者、魔剣士、賢者、聖女というのも?」

「『真の教皇』がつけてくれた名前に決まっているじゃない!」


 魔物使いと名乗った少女は憎々しげにウルナをにらむ。

 そんな少女の目を見たウルナはため息をつき、説得を諦めた。

 ウルナは頭が痛いと目頭を軽く押さえる。


 少女の目は真剣そのものだ。

 魔物使いというのが自分の名前だと疑うこともなく、その名前を誇りとしている。そして誇りある名前をバカにされたと思い、ウルナに向かって本気で怒っていた。


 ウルナは少女をあわれに思うと同時に、ふざけた名前を与えた『真の教皇』とやらを心の中で侮蔑ぶべつした。それはもう淑女とは思えないほどの罵詈雑言である。


「わかったわ。じゃあ、今日からあなたはティアね」

「ティア? なにそれ」

「あなたの新しい名前よ。気に入らない?」

「私には魔物使いという素晴らしい名前がある。そんな私になぜ名前をつける必要があるの?」

「あら? 決まっているじゃない」

「?」

「だって――ペットには名前をつけるんでしょ?」

「っ!?」


 ウルナが微笑を浮かべた瞬間、彼女の身体から恐ろしいほどの魔力が噴き出した。それは普段、魔力に敏感ではない魔物使いが感じ取れるほどの魔力だ。魔力の奔流はウルナが着ているドレスのすそを激しくなびかせる。周りの植物たちもその影響を受け、激しく揺れていた。


 そのとき魔物使いは見た。

 正面に立つウルナが瞳を大きく見開き、口を三日月のように歪ませながら、伸びた牙を少女に向かって見せつけるのを。

 その姿はまさに恐怖の象徴だ。


「マハズール!」


 身の危険を感じた魔物使いは用意していた魔物を喚び出すため、その名前を叫んだ。その魔物は魔族と戦うためにと、『真の教皇』様から授かった魔物だ。あまり好きな魔物ではないが、背に腹は代えられない。ただ魔物の力が強すぎるためか、少女の言うことをあまり聞かないのが難点だった。


 名前を叫ぶと同時に、地面に魔方陣が浮かび上がり、そこから何かが姿を現す。

 魔方陣から現れた魔物の手には太い爪があり、長い首の先にある頭には何本もの角が生えていた。大きく開かれた口には何十本もの鋭い歯が並んで見える。身体は固そうな鱗に覆われ、その鱗はランタンの光に反射し、真紅に輝いていた。背中に生えたコウモリのような羽を動かすたび、強い風が巻き起こる。長い尻尾はまるでムチのようにしなり、小屋の近くにあった花壇へと振り下ろされた。


「……あっ」


 そのときウルナが小さく声を漏らしたが、誰もそれに気づいていなかった。


 魔方陣から現れたのはレッドドラゴンと呼ばれるドラゴンだった。その全長は五メートルほどで、某執事見習いが知り合ったグリプロというグリーンドラゴンよりも小さい。


 とはいえレッドドラゴンは気性も荒く、力も強い。

 何より魔物でも最強を誇るドラゴンなのだ。

 全身を見せたドラゴンは口から、「フシュゥゥ」と硫黄臭い息を吐いた。そして、ゆっくりと鎌首をもたげ、周りを鋭い目で見回している。その目に二人の女性と尻尾を丸めて震えるイヌとネズミが映し出された。


「マハズール! あの魔族を殺しなさい!」


 ウルナに指をさしながら魔物使いはマハズールに命令を下す。

 その命令により、マハズールの頭の中で喚び出した魔物使いの言うとおりにしなければならないという思いと、なぜ我がそのようなことをしなくてはならないのかという思いが交差する。


 その交差する思いに悩みながら、マハズールは金色に輝く目をひ弱そうな魔物使いから魔力を放つウルナへと視線を移した。そのマハズールの視線と緋色の瞳を持つウルナの視線が一瞬交わったとき、マハズールの動きが止まった。


 アレはまずい。

 その瞬間、魔物使いの命令は己の防衛本能によってかき消された。

 マハズールは恐ろしい命令を出した魔物使いをひとにらみし、鼻からフンと息を吐く。

 そのどこか小馬鹿にしたマハズールの態度に少女は眉を細める。


 今のマハズールの目には、何やらぶつぶつ言いながら小屋の脇にある花壇へと目を向けるウルナの姿が映っていた。あまりにも隙だらけだったが、動いてはいけないという本能が身体中を駆け巡り、爪先ひとつ動かせない。


 そばにいる魔物使いが不機嫌な声で命令を繰り返しているが、マハズールは動かないし、動けない。それより、なぜこの主人ヅラした少女は目の前の恐怖に気づかないのか、不思議で仕方がなかった。


 ウルナは今も花壇のあった場所をじっと見つめている。

 その花壇は大好きな侯爵家令嬢ティリアのためにウルナが用意したものだ。ティリアはこの花壇を気に入り、雪の精霊からもらったという雪菜の種を植え、心を込めて育てていた。幸いなことに収穫は終わっており、今は何も植わっていない。

 だが、今やその花壇はマハズールの尻尾による一撃によって見るも無惨に破壊されていた。


 ウルナは破壊された花壇を呆然と見ながら思い出す。

 この花壇をきっかけにティリアとの接点が大幅に増えたことを。

 最近では次に植えるものを何にするかティリアと手紙の交換をしているほどだ。秋植えの野菜や花の数は多い。なによりティリアはもうすぐ三歳の誕生日を迎える。魔族の三歳は離乳食を卒業する大切な年齢だ。


 そんなティリアのため、三歳となった彼女にふさわしい野菜や花をいくつか選び、手紙に書いた。しかも、どんな植物なのかわかりやすく説明するため、絵まで描く熱のいれようだ。

 大好きなティリアと起きている時間が真逆のウルナにとって、手紙でのやりとりは至福の時間だった。


 その花壇が壊された。

 ティリアのお気に入りを壊したことは、ウルナを始めミストファング侯爵家に仕える使用人にとって許されざる行為であり、罪だ。特に『お嬢様(ティリア)大好き四天王』と呼ばれる四人はお嬢様への想いが特に強い。


 ウルナはその四天王のうちの一人である。

 結果、マハズールの運命が決まった。


「またドラゴンと《なの》? きさんら(お前ら)たいがいに(いい加減に)しとけよ。くらす(なぐる)ぞ? このトカゲ野郎がっ!」

「え?」


 魔物使いは自分の耳と目を疑った。

 何を言っているのかよくわからなかったが、豹変した言葉遣いに身体が自然と硬直する。そして何より、言い終わるが早いか、ウルナの姿が霧散するようにその場から消えていたからだ。

 一瞬の間を置いて、彼女が持っていたランタンがその場に落ちる。

 それに続いて何か重いものが地面に落ちる鈍い音が庭に響いた。


 硬直していた少女は呼吸を整えると、音がしたほうへと顔を向ける。

 するとそこには目を細め、無表情のまま、少女を見つめるウルナが立っていた。

 それを見た魔物使いが、「ひっ」と短い悲鳴をあげる。


 地面に転がったランタンの光が、離れた場所に立つウルナを照らす。その光に照らされたウルナの身体は大量の血を浴び、全身を赤く染めていた。顔半分も血まみれで、伸びた牙から血がポタリポタリとしたたり落ちている。

 左腕は何かを支えるように頭上へと伸びており、反対側にある右腕はだらりと力なく下げられていた。その右手の白い指先をつたった血が地面を赤く染めていく。


 それらの血はウルナが流したものではない。

 その証拠に大量の血は今もウルナの頭上から降り注いでいた。

 魔物使いの視線が自然と彼女の頭上へと向けられていく。


 すると、そこには――。

 彼女の左手に首を掴まれたマハズールの姿があった。

 だが、その首の先にあるべきはずの頭がない。鋭利な刃物で斬られたような首の傷口からは生々しい血があふれ続けている。その血こそウルナを赤く染めた原因であった。


 血の臭いが充満しているなか、無表情だったウルナが少女を見て、にたりと笑う。

 その姿は猟奇的で、まさに悪夢そのものだ。


 血を浴びて笑みを浮かべる吸血鬼の姿に生物としての本能が働き、身体が震えてくる。口からは、「ハッ」、「ハッ」と荒い呼吸音が漏れ、心臓は狂ったように激しく波打っていた。酸欠のせいか、頭は締め付けられるような痛みに襲われ、むせかえるような生臭い血の臭いに吐き気が止まらない。


 動揺と恐怖のせいか、きょろきょろと目が泳ぐ。

 その際、胴体から離れた地面に転がるマハズールの頭が見えた。さすがのドラゴンも首を斬られては生きられない。死んでいるのは明白だ。


「ねぇ、ティア」

「ひゃっぃ!」


 震える魔物使い――ティアと名付けられた――に感情のない声が投げかけられた。氷のような冷たい声に少女はビクンと肩を震わせる。勝手につけられた名前にも関わらず、反射的に悲鳴とも返事ともとれる返事をしてしまう。

 少女は今もドラゴンの血を浴び続けている血まみれの吸血鬼と視線を合わせた。


「このトカゲが壊した花壇。とても大切なものだったの」


 その言葉にティアは壊れている花壇へと目を向ける。

 何も植わっていないがウルナの言ったとおり、花壇は壊れていた。


 ティアが花壇を見ていると、突然、「ジュオッ」という音が鳴り響く。慌てて視線を戻すと、そこには血の跡など微塵も残っていないウルナが立っており、背後にあったはずのマハズールの亡骸なきがらが消えていた。

 ウルナの肌は会ったときのように白く、染み一つない。ただ大量の血を浴びた黒いドレスだけが妙に艶やかで美しい色を放っていた。


 そのウルナの背後に見慣れぬ何かが転がっている。

 赤茶けた何かの塊だ。

 それは土で出来た人形のようだった。


 ――違う。

 あ、あれは――。


 その赤茶けた塊が何かわかったティアの全身から血の気が引いた。よく見れば、その塊には鱗のようなものがびっしりとついており、手足のようなものが生えていたのだ。


 あれはマハズールだったものだ。

 マハズールは一瞬のうちに身体中の水分が抜き取られ、ミイラのように朽ちた姿となっていた。


 ティアはそのときになって、ようやく魔族の本当の恐ろしさを理解する。

 ウルナは魅了の力を使わなくても、殺そうと思えばいつでもティアを殺すことができたのだ。


 結果として『真の教皇』から預かったマハズールは何もできずに無残なむくろをさらしている。シャドウウルフやカーバンクルと違い、特別な思いこそなかったが、使役していた魔物の哀れな姿に少女は自分のふがいなさを知った。


 そんな気落ちしたティアに再度、ウルナから感情のない一言がかけられる。


「ねえ、誰がこのドラゴンを喚んだのかしら」


 声をかけられたティアは生きた心地がしなかった。

 ウルナは答えを知っているにも関わらず、あえて自分に尋ねているのだとすぐにわかったからだ。

 だが、続けられた一言はさらにティアの心臓を凍り付かせた。


「悪いことをしたペットにはしつけが必要だと思わない?」

「――あ」


 無表情のまま告げられた言葉にティアの緊張の糸がぷっつりと切れた。そのまま意識が遠くなり、ゆっくりと地面に倒れてしまう。そんな彼女に慌てて駆け寄る二匹の魔物がいたが、少女がそれに気づくことはなかった。


 魔物使いとしての繋がりが切れていても、自分が認めた主人に駆け寄る絆にウルナは一瞬だけ微笑んだ。

 彼女が微笑んだ理由。

 それは侯爵家のお嬢様に仕える某執事見習いの姿が重なったからだ。さしずめ黒い毛並みを持つシャドウウルフが執事見習いで、カーバンクルはあの妖精といったところか。


「ウルナ様」


 そこへ控えめに声をかけてくるものがいた。

 その者はいつの間にかウルナの正面で姿勢良く立っている。執事服を着ており、ウルナに向かって頭を下げていた。魔族に見えるが、これが悪魔であり、元はただのインプであることを彼女は知っている。

 声をかけてきたのは某執事見習いの使い魔だ。


「あら、セルヴァじゃないの」

「はい。ご無沙汰しております。じつは――」


 某執事見習いからの伝言を確認したウルナは少し悩んでからうなずいた。そして自分が少女から聞き出した情報をセルヴァとすり合わせていく。


「わかったわ。じゃあ、もうそのフィスタンとやらはいないのね。街のほうもゴブリアーノくんがきちんと仕事をしたと。それでダンジョンに残ったという執事見習いくんは今どこに?」

「申し訳ございません。主からは先に脱出するよう言われまして」

「そう。どうせ彼のことだからお嬢様のために何かをしているんでしょうね」

「恐らくは。では、ほかの方にも伝言がございますので私めはこれで」


 そう言うとセルヴァは恭しく一礼したあと姿を消した。


「さてと。それじゃあこの子を運びましょうか」


 そう言うとウルナはティアの身体を優しく抱き上げた。

 その様子を二匹の魔物が心配そうな顔で見上げている。


「大丈夫よ。悪いようにしないわ。とりあえずお屋敷に連れて行くけど、よかったらあなたたちも来る? 庭全体に迷いの術式を使ったから私と一緒じゃないと迷っちゃうわよ」


 ウルナはそう言ってにこりと笑った。

 そして空を見上げながら、某執事見習いからの伝言を思い出す。


「あの子はそう言うけれど、ほかのお客様がどうなるかは彼ら次第よね。特にプレスは騎士隊の副隊長だし、侵入者を許すかしら」


 意味ありげなその声は誰の耳にも届かなかった。

 ウルナは月明かりに照らされた庭の小道をお屋敷に向かって歩き出した。途中、壊れた花壇を一瞥したあと、明日の朝までに直せるだろうかと思い悩む。

 そんな彼女の後ろを二匹の魔物が大人しくついていった。



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