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第百八十三話 君臨する皇帝

「いやぁ、今日も平和に終わって何よりッス」


 突き出た大きな鼻を空に向け、一人の魔族が大きく伸びをしながら、つぶやいた。


 ここは魔王国ミストファング侯爵領にある街ウスイ。

 ミストファング侯爵領の領都であり、この地を治めるミストファング侯爵家の屋敷がある。レインウォーター川にまたがるこの街は、川を挟んで西地区と東地区に分かれている。ちなみに侯爵家の屋敷があるのは東地区だ。


 街の外に目を向ければ、西地区のさらに西にはモフォグ大森林が広がり、東地区の東側から南にかけては現在、広大な畑や水田が広がっている。もともとウスイの街の東地区側は何もない平野だった。だが、毒のない食材を育てることになり、毎日のように開墾され続けている。そのせいか、数年後には魔王国有数の穀倉地帯となると言われていた。


 ウスイの街の警備を担っているのはゴブリン族の兵士たちだ。もちろんゴブリン族以外の兵士もいるのだが、八割はゴブリン族で占められている。なんといってもゴブリン族は数が多く、仲間内での結束も固い。何より上位ゴブリンの命令は絶対という種族特性のため、統率力も高かった。


「あとは日報を書くだけッスね。これが一番大変ッス」


 最近では街中の警備だけでなく、広がった畑などの巡回も行われるようになった。ごくまれにモフォグ大森林からレインウォーター川を飛び越えて魔物がやってくるため、気が抜けない。畑で働くゴブリン族を守るためにも、巡回は欠かせないものとなっていた。

 それら畑の世話をするゴブリン族は侯爵からウスイの街の南に集落を作ることが許されている。


「日中はまだ暑いッスけど、昨日の大雨のせいかだいぶ涼しくなったッスね。秋も近そうッス」


 ウスイ街東地区にある南門の前で兵士の武装をした魔族は太陽が沈み、薄暗くなっていく日暮れの空を見上げながら、秋の訪れをしみじみと感じていた。

 その魔族こそ、すべてのゴブリン族を率いる皇帝ゴブリアーノ。

 ゴブリン族の兵士を率いる兵士隊長だ。


 彼はった肩をほぐしながら、今日の任務を振り返る。といってもウスイの治安は非常に良い。事件らしい事件もなく、今日も衛兵分隊長シールの子、アクスが民家の屋根に登っていたことを注意したくらいだ。


 アクスは大人になったら分隊長である母親を抜いて、小隊長になると日頃から豪語する元気いっぱいの子供だ。まだ五歳だというのに、「この街の治安は僕が守る」と毎日のように『見張りごっこ』をしている。その見張りごっこが屋根の上で行われていなければ子供の微笑ましい遊びですむのだが、何度言っても屋根に登ることをやめようとしない。


「おーい! ゴブ! たいへんだよー!」


 そんなことを考えていると、湧き出る清水のように澄んだ声が聞こえてきた。この特徴的な声は今日注意したばかりのアクス本人で間違いない。子供たちの中でも、アクスの声は少し高く、歌がうまいことでも知られている。


「……アクス。なんでまたそんなところにいるッスか」


 空を見上げていたゴブリアーノの視線の先には南門の屋根の上から自分を見下ろすアクスの顔があった。門の屋根は民家の屋根よりも高い位置にある。そんな場所にどうやって登ったのか、ゴブリアーノにはわからなかった。


 アクスはゴブリアーノのことをゴブと呼び捨てにしている。

 以前、ゴブリアーノの直属の部下であるゴブリンキングの一人がたしなめようとしたのだが、ゴブリアーノ本人がそれを許していた。


 アクスと名前が少しだけ似ているどこぞの某執事見習いも、幼いころ、ゴブリアーノのことを呼び捨てにしていた時期があった。そんな彼が三歳になった途端、執事になると言いだし、『隊長』と呼ぶようになったときは寂しい思いをしたものだ。すぐに『ゴブさん』と呼ばせることに成功したが、あのときは彼もまだ素直だった。


 じゃあ今は素直じゃないのか。

 もし、そう聞かれたとしてもゴブリアーノは答えないだろう。

 若き皇帝ゴブリアーノも命は惜しい。


「そんなことより、たいへんなんだってば!」

「ん? どうしたッスか」

「西の原っぱ(平野)に、へんなやつらがいるんだよ!」

「変な奴ら、ねぇ」


 西地区とモフォグ大森林の間には平野が広がっており、隠れる場所などない。アクスの言うとおり、変な奴らが立っていればすぐに気づくことができる。


 どうせまた西門で『見張りごっこ』をしていたのだろうとゴブリアーノは考えた。同時に西地区の西門に立っていたゴブリン兵は、なぜ報告に来ないのかと頭をひねる。


「それで変な奴らの数はどれだけッスか?」

「いっぱい! それにゴブや母ちゃんみたいに武器をもっていたよ」


 両手を目一杯広げながら、何度もゴブリアーノに見せるアクス。

 十より多いと言いたいのだろうか。

 五歳の子供に正確な数を聞くのは失敗だったと、ゴブリアーノは心の中で苦笑する。だが、武装した連中がいるのは間違いないようだ。


 すぐさま、ゴブリアーノは大きく息を吸う。

 そして吠えた。


「グワアァァァッ。ゴォァッ!」


 彼の雄叫びが日暮れの街に響き渡る。


「ひゃぁっ! な、なんだよ、急にでっかい声で!」

「おっ、申し訳ないッス」


 大声に驚き、拗ねたように頬を膨らませたアクスにゴブリアーノは困った顔をしながら謝罪する。


 しばらくすると日暮れの空に警告を知らせる鐘が響き渡り、空高く魔法の光が放たれた。今の雄叫びは仲間の兵士たちに警報を出すよう伝えたものだ。その警報によって街の住民は自分の家に避難することになる。

 同時にゴブリン族の兵士に、西地区へ集まるよう命令する雄叫びも上げていた。ほかにも声を届けた相手がいるのだが、こちらは念のための処置だ。


「アクス、知らせてくれてありがとうッス。あとはおいらに任せて家で待機するッス」

「何言ってんだよ! ゴブ! 僕も街のためにたたかうよ!」

「いや、戦えばいいというものじゃないッスが……」


 街の治安を維持するためとはいえ、なんでも力で解決すればいいというものではない。まずは相手の目的を探る必要もある。戦わずに済むのなら、それが一番だ。

 何よりアクスはまだ五歳の子供。

 何が起きるかわからない場所に連れて行けるわけがない。


「よし! だったら、アクス! 任務を与えるッス!」

「にんむっー! やるやる!」


 嬉しそうに顔をほころばせるアクス。

 任務と聞いて、衛兵の子供がはしゃがないわけがない。

 だが、そんなアクスをゴブリアーノはたしなめる。


「これは、ごっこ遊びじゃないッスよ!」

「ぶぅ~。わかったよ、ゴブ」

「返事は、『はい』ッスよ! あと、任務中だけはおいらを隊長と呼ぶッス」


 ゴブリアーノの真面目な声にアクスは背筋を伸ばして敬礼した。その敬礼は母親をよく見ているのか、なかなか様になっている。


「は、はいっ! たいちょー!」

「よし。では、アクス臨時隊員に任務を命ずるッス。西地区の住民がすみやかに家の中に避難できるよう誘導して欲しいとシール分隊長に連絡するッス」


 警報は街全体に広がるが、逃げ遅れた住民がいるかもしれない。

 万が一、街中に不審者が入り込んだ場合、住民に危険が及ぶかもしれない。それを防ぐため、住民はすみやかに避難してもらう必要がある。もちろんその命令には、シール分隊長が自分の子供を保護してくれるだろうという期待もあった。


「母ちゃんに?」

「シール分隊長と呼ぶッス! では、任務内容を復唱!」

「ふくしょー?」


 聞き慣れない言葉に、アクスはこてんと首をかしげた。

 くりくりっとした大きな目でゴブリアーノを見上げている。

 それを見て、ゴブリアーノは自分の言い方がまずかったことを反省した。


「今、おいらが言った任務の内容を繰り返すッスよ」

「はいっ! 僕は、西地区の住民がすみやかに家の中に避難できるようゆーどーしてほしい、と母ちゃ……シールぶんたいちょーに伝えます!」

「うん。よくできたッス。では頼んだッスよ!」


 それだけ言うとゴブリアーノはアクスの返事も聞かず、西地区にある西門へと走り出した。一刻も早く武装した連中の正体を見極めるためだ。その駆ける速度は並のゴブリン族の比ではない。さすがはゴブリン族の頂点に立つゴブリンカイザーである。


 何より急ぐ理由があった。

 くしくもペドリア伯爵率いる反乱軍が王都に迫っていると聞いている。現れた連中は、もしかしたらペドリア伯爵の手の者かもしれない。そうだとすれば相手は騎士、もしくは兵士に違いない。

 何よりミストファング侯爵たちと騎士の多くはペドリア伯爵の反乱を鎮めるため、王都に向かっており、不在だ。

 その隙を狙い、この街に攻め込んで来た可能性もある。


 連中を街に入れるわけにはいかない。

 この街の治安を維持し、住民たちを守ることこそ、ゴブリアーノたち兵士の役目である。

 だからこそゴブリアーノは急いだ。

 そんな彼の頭上から可愛らしい声がかかる。


「先に行っているよ! たいちょー!」

「んんんっ?」


 その声にゴブリアーノは顔を上げる。

 すると、そこには背中から生えた小さな羽をパタパタと動かしながら、屋根と屋根の間をジャンプするアクスがいた。必死に羽を動かしているが、飛び続けることはできないらしく、ジャンプの高度と飛距離を多少伸ばしている程度。だが、その姿はあっという間に、小さくなっていく。屋根の上を跳ねて進むアクスは、上位魔族であるゴブリンカイザーのゴブリアーノが街中を走るよりも速かった。

 隊長としての威厳は南門に置き去りである。

 もともと威厳があったかどうかは別として。


「……そういえばシール分隊長ってハーピー族だと、どこかで聞いたことがあるような気がするッスね」


 ハーピー族は半獣族に分類されている魔族だ。顔から腰までが女性の姿、下半身が鳥のような姿をしている。背中から羽が生えており、ほかの魔族同様、二本の腕を器用に使う。子供のうちは羽も小さく、飛ぶことができない。

 ハーピー族は森や山岳地帯に住む種族だが、街で暮らす者もいる。魔王国ではハーピー族専用の服や特殊な靴が作られており、ハーピー族であっても不自由なく暮らしている。ちなみに裸ではない。

 大人になると空を飛び続けることも可能で、軍に所属するハーピー族は優秀な斥候として名高い。

 また『ハーピーは女性しかいない種族』であり、男親は他種族から選ばれる。さらに『生まれてきた子供はすべてハーピー』という魔族でも少し変わった種族であった。


「あれ? だとするとアクスって――」


 街中を走りながら、ゴブリアーノは自分の勘違いに気づく。

 言っておくが、勘違いしていたのは彼だけではない。

 某執事見習いもそうだし、彼女の友人である靴屋の息子コビーも服屋の兄弟スーとボンもいまだに気づいていない。

 アクスは今も昔も自分のことを僕と呼ぶ、僕っ娘であった。


「ゴブリアーノ様!」


 アクスの姿が見えなくなり、西地区に向かって走るゴブリアーノに向かって、息も絶え絶えに声をかける者がいた。


 西地区西門に立っていた門番である。

 ここまで全力で走ってきたのだろう。ぜえぜえという荒い呼吸、全身からあふれる汗、むせかえっている姿を見れば一目瞭然だ。青白いなにか(霊体)がゴブリン兵の口からはみ出そうになっている。それは口から出してはいけないものに違いない。

 そのまま違う世界に旅立ちそうな門番だったが、己の使命を全うするため、無理矢理息を整えたあと口を開いた。


「ゴブリアーノ様! 西地区郊外に怪しい連中が――」


 だが、ゴブリアーノは手を前に出し、苦しげな顔で報告する兵士の言葉を遮った。その情報はすでにアクスによって伝わっているのだ。本職の兵士が五歳の子供に負けてどうすると叱責しそうになったが、無理矢理その感情を押さえた。


 代わりにゴブリアーノは全力で走ってきたゴブリン兵に対し、街の外を巡回しているゴブリン兵たちへの伝令を指示した。

 街の周辺警戒と警備を念入りにせよ、と。


「いいか。全員だぞ。街の外にいるゴブリン兵全員に知らせるのだ。死ぬ覚悟でな」


 ここまで死ぬ気で走ってきた兵士に対し、また死ぬ気で走れというゴブリアーノ。

 だが、反論は許されない。

 皇帝(カイザー)の命令は絶対である。


 皇帝としてのゴブリアーノの姿にゴブリン兵は息を飲む。

 息を飲むヒマがあるなら、まずは息を吸うべきなのだが、ゴブリン兵は返事をしたあと、すぐに走り出した。

 こうしてゴブリン族は(無茶ぶりによって)鍛えられる。その多くが鍛えられる途中で違う世界に旅立つことになるのだが、生き残った者はゴブリン族でもエリートとして扱われるようになる。


 実際、門番の彼は伝令のため、街の外を駆け回り、皇帝の命令を無事に果たして生き残った。

 走りに走った総距離は四十二.一九五キロ。

 死に行く覚悟を持って伝令を伝えたゴブリン兵。

 のちに彼には、ゴブリンランナーの称号が与えられた。

 どの現場にも真っ先に駆けつけることのできる速さと持久力を持った優秀な兵士。

 彼はまさに『兵は神速を尊ぶ』を体現したのだ。

 新たなエリートの誕生である。

 ただし、給料は上がらない。


 ◆


 空はすっかり暗くなっていた。

 門の周りには篝火かがりびが用意され、煌々(こうこう)と赤い光が周りを照らしている。


 西地区の西門前には、すでに三十名のゴブリン兵が整列しており、ゴブリアーノは彼らの先頭に立っていた。そのすぐそばにはゴブリン兵よりも、はるかに立派な体躯を持った大型のゴブリンが五体ひかえている。それら大型ゴブリンの背には巨大な剣が見えた。


 西門の前に陣取るゴブリアーノは目を細め、こちらにゆっくりと近づいてくる連中を見ていた。ゴブリンの目は暗い場所を見通せる暗視の能力を持っている。そのため連中の姿ははっきりと見ることができた。


 数は二十五人。

 ただし、近づいてくる連中の姿は異様の一言に尽きる。

 先頭の一人をのぞいて、全員が同じ装備、同じ仮面をつけていた。背丈すら、ほぼ同じに見える。体つきからすると全員、男性だろう。


「あいつらッスね」

「はっ、ゴブリアーノ様。いかがいたしましょうゴブ」


 首に赤いスカーフを巻いた大柄のゴブリンがゴブリアーノに話しかけた。ゴブリアーノの側近中の側近ゴブレンジャーのリーダー、ゴブレである。彼をはじめ、ここにいる大柄のゴブリンたちは皆、ゴブリンキングであり、その中でも特に優れた実力の持ち主たちだ。


「どうやら先頭を歩いているやつが指揮官ッスね。魔族に見えないッスけど、とりあえず何をしにきたか話をするッス」

「……話し合いでゴブか?」


 ゴブレとしては、どう見ても怪しい連中と話をする気になれなかった。

 話をするより、殴ったほうが早いからだ。

 とりあえず殴れば互い敵だと理解し合える。


 そんな思いが顔に出ていたのだろう。

 ゴブレの顔を見たゴブリアーノが軽くため息をついた。


「そんなことだから、脳みそまで筋肉と言われるッス。もう少し考える力を身につけるッスよ」

「も、申し訳ございませんゴブ」


 大きな身体を縮こませながらゴブレは小さな声で言った。


「ズッ友の執事見習いがよく言っているッス。まずは会話ッス。話をしてみて使えそうなら効率よく利用し、使えそうになかったら使い捨てッス」

「「「「さすがはゴブリアーノ様っ!」」」」

「お腹減ったゴブ」


 ゴブリアーノの言葉にゴブレンジャーたちが口をそろえ、ゴブリアーノをたたえる。

 一人違うことを言っていたが、いつものことだ。

 あと最初に言ったのはゴブリアーノではなく某執事見習いだ。


 不審者の第一報を知らせてくれたアクスだが、母親のシール分隊長と一緒だったのをゴブリアーノは確認している。二人はそろって住民に避難するよう促していた。ゴブリアーノの意図を察したシール分隊長がうまく引き留めてくれたのだ。二人の近くを通りがかったとき、シール分隊長が申し訳なさそうな顔で会釈してきたことをゴブリアーノは思い出した。


「ゴブリアーノ様、来ましたゴブ」


 そこへゴブレが耳打ちしてくる。

 意識を正面に戻すと、三メートルほど離れた場所に指揮官らしい男が立ち止まったところだった。男は筋骨隆々の巨漢で、その太い両腕を胸の前で組んでいる。身長は二メートルほどもあり、少し小さいゴブリンキングのようだ。年齢は三十代といったところか。


 その後ろには黒い仮面をつけた連中が整列していた。仮面の男たちは、ブラウンの髪を短くそろえており、髪型だけでなく髪色まで一緒のようだ。そのあまりにも似通った仮面の男たちの姿にゴブリアーノは違和感を覚える。

 そんなことを考えていると先頭の男が口を開いた。


「おいおい、見ろよ。門番がゴブリンとか魔族もたいしたことねぇな」


 仮面をかぶった連中と違い、顔を見せている指揮官らしい男はゴブリアーノたちを一瞥したあと、バカにしたように笑っている。


 男はよほど自分の肉体に自信があるのか、服以外、武器や防具を身につけていない。

 しかも人族の標準装備であるはずの髪の毛すら身につけていなかった。だが、これは自信の表れでもなんでもないだろう。いや、よく見れば側頭部と後頭部に、わずかながら装備のなごりが残っている。


 門前に集まったゴブリアーノたちの視線が、仮面をつけた連中の短くも豊富な髪に集中する。そしてすぐさま、目の前にいる指揮官の輝く頭に向けられ、一斉に優しい目に変わった。

 ゴブリンたちの視線と優しい微笑みは、目の前の指揮官がその意味を察するに十分なものだった。輝く頭がみるみるうちに赤くなり、顔は怒りに染まる。その赤く輝く頭頂部は煌々(こうこう)と赤く輝く篝火かがりびだけが原因ではない。


「てめえらっ、どこを見ていやがるっ!」


 指揮官らしい男は拳を握りしめ、先頭にいるゴブリアーノに向かって殴りかかった。三メートルもの距離を一瞬のうちに詰め寄る瞬発力はたいしたものだ。


 拳が当たったとは思えないほど鈍く大きな音が鳴り響く。

 だが、その拳はゴブリアーノに届く前に、ゴブレの手によって止められていた。


「無礼であるゴブな」

「なっ!?」


 ゴブレは受け止めた拳を握り、指揮官の男を突き放した。力を入れたように見えなかったが、指揮官は後ろにいた仮面たちのところまでよろめいてしまう。

 呆気にとられる指揮官を冷めた目で見ながら、ゴブリアーノが口を開いた。


「はぁ。やれやれッスね」


 直属の部下であるゴブレンジャーに負けない指揮官の脳筋ぶりに、思わずため息が出た。どうして自分の周りには、行動の前に考えることのできない脳筋が多いのだろうか。そう思わずにはいられないゴブリアーノだった。そんな気持ちを微塵も出さず、ゴブリアーノは言葉を続ける。


「さて、と。おたくが代表者ってことでいいッスね。ここはウスイの街ッス。それで、おたくらはペドリア伯爵の手の者ッスか?」

「ペドリア? はっ! 誰だよ、そりゃ。俺たちは『真の教皇』様の使命を果たすため、この街にいるミストなんちゃらという貴族の一家をぶち殺しに来ただけさ。まあ、ついでにこの街にいる魔族も全員皆殺しだがな。ぶはははっ」


 その言葉にゴブリアーノの眉がピクリと動く。


「ふむ。ペドリア伯爵家の者ではないッスか。でも、ミストファング侯爵御一家を狙っているんッスね。『真の教皇』とやらが気になるところッスが、その前にひとつ聞いておきたいッス」

「なんだ? もう命乞いか? いいぜ、言ってみろよ」

「おたくら人族みたいッスが、間違いないッスか?」

「人族みたいって――見てわかんねぇのかよ! やっぱりゴブリンはアホばっかだな」

「人族を見るのは二回目ッスが、どうも普通の人族のようには見えないッス」

「ほう。わかるのか。俺たちは『真の教皇』様の側近だ。人族を超越した存在ってやつだな」

「超越? 何ッスかそれ」

「アホなゴブリンには理解できないだろうな」

「理解したのは、頭にあるはずの標準装備がお粗末なことだけッスよ」


 ゴブリアーノの一言に整列しているゴブリン兵たちが、ゲヒャゲヒャと笑い始める。

 露骨に指揮官の頭を指差す者までいるくらいだ。


「ふざけんな! お前らだって毛がねえじゃねぇか!」

「我々、ゴブリンはっているだけッス。有るモノをあえて無くす贅沢なおしゃれってやつッス。持たざる者のおたくとは違うッスよ」

「も、持たざる者……だと」


 ゴブリンたちの笑いが一層高まった。

 中には地面の上で笑い転げている者までいる。

 これ以上は、やめてさしあげろください。


「に、人間様をなめやがってっ! てめぇら! ゴブリンどもを殺せ! そのあとは街の魔族どもを皆殺しだ!」


 指揮官の命令に仮面の連中が無言のまま一斉に動き出そうとした、次の瞬間。


「ガアアアアアアアッ!」


 雷撃にも似たすさまじい咆哮ほうこうがゴブリアーノから放たれた。大気を揺るがす咆哮は衝撃波となって、動き出そうとした仮面たちの身体を硬直させる。指揮官の男もまた例外ではない。


 その咆哮ほうこうの影響は街から遠く離れたモフォグ大森林にもおよんでいた。暗くなった空に向かって、何百という鳥や魔物の群れが一斉に飛び立った。それらの群れは右往左往しながら、その場から一刻も離れようと混乱気味に飛び狂う。


 皇帝の咆哮(カイザーロア)

 これはゴブリンカイザーが使える技のひとつだ。その咆哮は、まともに浴びたものを恐怖に落とし入れ、身体を硬直させてしまう

 だが、その実態はただ単に馬鹿でかい声にすぎない。皇帝が配下である何十万というゴブリンたちに向かって、命令を下すために編み出した技なのだ。なにせ配下が十万以上もいると、整列したとき後ろまで声が届かない。皇帝の命令は直接与えてこそ効果的であり、士気も高まる。そのため歴代の皇帝継承者候補は発声練習から始めるのだ。皇帝になるのも決して楽ではない。


「やれやれ。話の途中ッスよ。『真の教皇』について聞く前に襲いかかってくるなんて人族も短気なんッスかね。でも、これで立派な侵入者扱いとして対処できるッス」


 正直いえば、ゴブリアーノにとって『真の教皇』とやらに興味はない。

 ただ侵入者の名前、人数、目的など警備報告書に書く内容に不備があってはいけない。不備があって怒られるのはゴブリアーノである。


「しかし大声だけで硬直するとは、我が部族の下っ端よりも情けないッス」

「さすがはゴブリアーノ様。ですが油断は禁物ですゴブ」


 そう言いながら指揮官の拳を受け止めたゴブレがゴブリアーノに手のひらを見せた。ゴブリアーノが目を向けると、ゴブレの手のひらが赤く染まり、血がにじみだしている。鋼の皮膚を持つというゴブリンキングには生半可なことでは傷を与えられない。そんな彼に拳で傷をつけたということは、それなりの実力がある証拠だった。


「何やら不可思議な体術を使うようでゴブ」

「……ほほう。それは面白いではないか」

「ゴ、ゴブリアーノ様?」


 がらりと雰囲気を変えたゴブリアーノに、ゴブレは思わず後ろに下がる。

 面白そうなものを見つけたような顔でニタリと笑うゴブリアーノ。その顔はもはや一介の兵士のものではない。今、ここに立つのはゴブリン族の頂点であり、最も強きゴブリンカイザーなのだ。


 口調が皇帝モードになったゴブリアーノを止められるゴブリンはいない。

 下手に止めようとすれば、止めたゴブリンの生命活動が止められる。


「仮面どもは好きにせよ。余はあの頭上輝く筋肉男の相手をしよう」

「かしこまりましたゴブ。雑兵どもは我々ゴブレンジャーで処理しますゴブ」


 ゴブレの言葉に、後ろに整列していたゴブリン兵たちはホッと胸をなで下ろした。一般ゴブリンとしては、ゴブリンカイザーやゴブリンキングと一緒に戦うことは避けたかった。なにせカイザーもキングも戦いになると味方を巻き込むことに躊躇ちゅうちょがない。わかりやすくいうと、一緒に戦えば、彼らの戦いに巻き込まれるのは確実である。

 だから、胸をなで下ろしたのだ。

 だが、それも束の間の安堵だった。


「兵たちは密集隊形をとるゴブっ! この門を死守するゴブ! 命と引き替えにしてでも門を守りきるゴブ」


 ゴブレから命じられた内容は肉壁である。

 まさに肉壁である。

 紛うことなき肉壁である。


 もしゴブリアーノやゴブレンジャーたちが一人でも討ちもらせば、侵入者はゴブリン兵に襲いかかってくることになる。一人二人の侵入者程度なら一斉にかかれば負けないだろう。だが、できれば怪我はしたくないというのがゴブリン兵全員の思いである。


 こうなるとゴブリン兵たちができることはただひとつ。

 それは肉壁という命令を守りつつ、ゴブリアーノとゴブレンジャーたちの勝利を祈ることである。

 できれば完勝。願わくは瞬殺が望ましい。

 だからこそ、ゴブリン兵は祈る。

 双方ともこっちに来ないでくれ、と。


 そして今まさに戦いの火ぶたが切って落とされた。


 ゴブレンジャーたちゴブリンキングは指揮官の脇をすり抜けるようにして走った。そして狂気にも似た歓喜の声をあげながら、仮面の男たちに飛びかかる。

 その声にようやく指揮官の男が我に返る。


 だが、仮面の男たちはまだ身体を硬直させていた。

 ゴブレンジャーたちの身のこなしは巨体にも関わらず、ゴブリン兵よりも鋭く早い。あっという間に間合いに入ったゴブリンキングたちは身体を硬直させたまま動けない仮面の男たちに向かって、背中に担いでいた大剣を振り下ろす。


 地面には鮮血の花が咲き乱れ、あっという間に五人の男が大剣の餌食となった。少し遅れて、どさどさと何かが崩れ落ちる音が響く。倒れたのは五人だ。だが、その数は十個(・・)以上になっていることから、何が起きたのかは想像にかたくない。

 それを見た肉壁(ゴブリン兵)から、「真っ二つッス!」と歓声が沸いた。


 その歓声に仮面たちはようやく我に返り、反撃を試みようと剣を振る。だが、ゴブレンジャーたちの皮膚は固く、男たちの技量と持っている剣では切り裂けない。剣が通りすぎたあと、ゴブリンキングの皮膚には、うっすらと赤い線が残るだけだ。

 それをあざ笑うかのようにゴブレは大きな口を歪ませた。その口から太い牙を覗かせる。ゴブリンキングたちは残忍な笑みで己の皮膚に線を描いた者を次の標的とし、大剣を振り続けた。


 戦いは一方的な蹂躙じゅうりんだった。

 さらに一人、また一人と仮面の男が減っていく。しかし、地面に転がる彼らのパーツはゴブリンキングが剣を動かすたびに増える一方だ。


 ゴブリン兵はゴブリンキングたちの勇姿を見て、狂喜乱舞していた。

 それは決して血の匂いに酔ったわけではない。


 これなら助かる。うちら死ななくて済んだ、と喜んでいるのだ。

 そのまま離れたところで頑張って、とさらに祈る。

 そして、なるべくならバラバラにしないで、と付け加えた。

 物言わぬ侵入者たちとそのパーツを片付けるのは、下っ端のゴブリン兵の役目なのだ。


 だが、そんな彼らも敬愛させられる(・・・・・)べき皇帝と敵の指揮官との戦いを見て、言葉を詰まらせた。


「……これはひどい」


 誰がこぼした声だろうか。

 ゴブリアーノと指揮官との戦い。

 その戦いもまた一方的だった。

 いや、もはや戦いと呼べるものですらない。


「ウッラアアアッ!」

「セイヤッ!」

「シャアァァ!」


 指揮官の気合いのこもった雄叫びが連続して響く。

 だが、ゴブリアーノは立ち尽くしたままだ。ありとあらゆる箇所を殴られ、蹴られ、急所を突かれていた。指揮官の拳をまともにくらい、鋭い蹴りは容赦なく打ち込まれ、急所である目や喉を無防備にさらしている。


 だが、様子がおかしい。

 攻撃されているのはゴブリアーノだ。

 しかし、次第に息を荒くし、焦りと焦燥感に駆られ、苦悶の表情を浮かべ始めたのは指揮官のほうだった。

 やがて、一方的な攻撃は終わりを迎える。


「ふむ。もう終わりかね?」

「馬鹿なっ! 馬鹿なっ!」


 そこには両膝りょうひざを地面につけ、自分の震える手を見る指揮官がいた。

 その指のほとんどが、あらぬ方向へとねじ曲がっている。しかも拳からは血が流れ、蹴りを放った足は立っていられないほど震えていた。


「我らはフィスタン様の側近! 選ばれし者なのだっ! それがなぜっ!」

「それが『真の教皇』とやらの名前かね? ふすタンとは、ずいぶんと可愛らしい名前ではないか」


 ふすタンではない。フィスタンである。

 後ろにいるゴブリン兵がツッコもうとしたが、さすがに命を対価にしようとは思わない。命がけのツッコみなど、誰もしたくないのだ。


 ひざをついた指揮官を見下ろすゴブリアーノは剣すら抜いていない。

 今も無防備に立っているだけだ。


 それを見たゴブリン兵たちは思う。

 さすがはゴブリアーノ様と。

 なんで目玉を突かれても平気なんッスかと。


「なぜ私の格闘術が通用しない! 数々の魔物を素手でほふってきたこの俺が! 相手はゴブリンだぞ! 最弱のゴブリンなのにっ!」

「貴様がゴブリン以下というだけではないかね」

「な、なめるなっー! 俺の本気を見せてやるぜ!」

「ほほう。それは楽しみだ」


 指揮官は足の震えを抑え込み、かろうじて立ち上がった。

 そして折れた指を無理矢理元の位置に戻す。

 すると男はこれまで聞いたことのない独特の呼吸を始めた。何かを取り込むように息を吸い、不要なものを押し出すように息を吐く。その呼吸を繰り返すたび、彼の筋肉が徐々にふくれあがっていった。身体全体が赤く上気し、さらに赤から黒へと変わっていく。身体が黒く染まると全身からオーラのようなものがゆらゆらと立ち上り、身体中に血管が浮き上がった。

 最後に指揮官は大きく息を吐き、拳を構える。


「くっくっく。これで貴様も終わりだ」

「ほほう。まるで熟すトマトを見ているようだな」


 ゴブリアーノは喜色を浮かべ、感心したような声をもらす。

 その顔はおやつを待つ子供のようであった。

 反面、ゴブリン兵たちはおやつを取り上げられた子供のような顔をしていた。

 なぜ、今のうちに殴らなかったッスか、と。

 もちろん今回も、「黒くなったトマトは腐っているッスよ!」というツッコみは入らない。


「くらえっ! 剛傑竜神波(ごうけつりゅうじんは)っー!」


 勇ましい掛け声とともに指揮官のオーラをまとった拳が、一瞬のうちに燃えさかる炎へと変わった。その炎の拳がゴブリアーノに襲いかかる。その迫力と勢いはまるで竜が使うドラゴンブレスのようだ。

 だが、ゴブリアーノはその拳を見ながら、じっとしたまま動かない。

 指揮官の拳が完璧にゴブリアーノの頭を捕らえる。

 鈍い音が辺りに響き、大気を揺らした。

 だが、そのあとに響いたのは、失望まじりの大きなため息だった。


「はぁぁ。期待はずれもいいところッス」

「っ!? ぐぎゃああぁぁぁ」


 悲鳴をあげた指揮官は右腕を押さえ、地面の上で転げ回った

 肩は外れ、折れた骨が筋肉を突き抜けている。もはや動かすことはできないだろう。

 かたやゴブリアーノの頭には傷ひとつない。

 火傷らしい跡もなく、赤くすらなっていなかった。


「貧弱すぎるッス」


 ゴブリアーノは大きくため息をついた。

 おやつに甘いケーキを待っていたら、しょっぱいせんべいだった。

 せんべいを楽しみにしていたら、甘ったるいケーキだった。

 何であろうと、食べたいときに食べたいものが出てくれば嬉しいものだ。

 だが期待していたぶん、望むものがでてこなかったときの落胆は大きい。

 指揮官が放った全力の一撃はゴブリアーノが期待し、望むものではなかった。

 某執事見習いがゴブリアーノを本気で殴った場合、確実に二週間は仕事をさぼれ――寝込むことになったはずだ。


「あ、あ、あぁ。なぜだっ。人を超越した存在であるこの俺がなぜ負ける!」

「だーかーらー、弱いからじゃないッスかね」


 指揮官の言葉にゴブリアーノは真面目に答えた。

 弱肉強食。

 弱いものは強きものに負けるのが世の常である。


「たいちょー。たいへんだよー」


 そこへ澄んだ声が頭上から聞こえてきた。

 ゴブリアーノは今日何度も聞いたその声に目を向ける。その声の持ち主の後ろには、立派な羽を広げ、あわてて追いかけてくるシール分隊長の姿が視界に入った。


「アクス!? 今は危ないッス! こっちに来てはだめッス!」 


 だが、西門の屋根から飛び降りたアクスは止まれない。

 背中から生えた羽をパタパタと動かし、滑空するかのようにゴブリアーノの元へと降りてくる。


 そのときゴブリアーノの背後で動く気配がした。

 右腕を粉砕された指揮官である。

 指揮官はゴブリアーノに向かってくる魔族の子供を人質にするため、動き出した。滑空してくるアクスののどをつかもうと震える足にムチ打って、折れていない左腕を目一杯伸ばす。


 それに気づいたアクスは驚き、懸命に羽を動かした。だが、ハーピー族として未熟な彼女は滑空中、浮き上がることも、空中にとどまることもできない。アクスは恐怖から逃れようと大きな瞳をぎゅっと閉じた。目を閉じたところで、何の解決にもならないことを彼女はまだ理解できない。だが、それは五歳の女の子のできる精一杯の抵抗だった。

 アクスの名を叫ぶ母親の悲鳴じみた声があがる。


 だが、その悲痛な叫びは指揮官の心に届かない。

 母親らしき悲鳴によって、人質をとることが有効だと確定した。それが今、自分の手に収まろうとしている。指揮官の顔に醜悪な笑みが浮かぶ。そしてごつい左手が今にもアクスの細い首に届こうとした――。


 ――そのとき。

 とてつもない衝撃音と複数の悲鳴、そして何か大きなものが崩れるけたたましい音がアクスの耳に届いた。


 同時にアクスの身体が、ポスッと温かい腕の中に包まれる。

 アクスが恐る恐る目を開けると、そこには顔の中心から突き出た大きな鼻があった。


「あ、あれ? たいちょー?」

「来てはダメだと言ったッス。隊長の命令は絶対遵守ッスよ」

「……じゅんしゅってなーに?」

「言うことを聞くってことッス」

「わかった! じゅんしゅするー!」

「……いや、もう守ってないんッスけどね」


 すでにゴブレンジャーたちの戦いは終わっている。

 仮面の男たちは、地面のあちこちにそのパーツを転がしていた。

 息のあるものはもういない。


 ゴブリアーノは地面に転がる侵入者たちの惨劇さんげきを見せないよう、アクスの顔を門に向けて下ろす。だが、アクスを地面におろした瞬間、後悔することになった。あわてて彼女の目を手で覆おうとしたのだが、間に合わなかった。


「……門、こわれてるっ!」


 子供の正直で率直な言葉がゴブリアーノの心を突き刺す。


 アクスの言葉通り、西門は崩れ落ち、瓦礫の山となっていた。閉じられていた門扉も粉々になっている。原因は自分にあることをゴブリアーノはわかっていた。


 だが、ゴブリアーノの後悔は崩壊させた門だけではない。

 幼い子に見せてはいけない惨劇を見せてしまったという後悔だ。それというのも、背後に転がる侵入者たちとは別の惨劇が目の前に広がっていたのだ。


 瓦礫の手前には、三十名のゴブリン兵たちが仲良く地面に転がっていた。ピクピクと小刻みに痙攣けいれんしている分、まったく動かない侵入者たちより、不気味である。


 それを見た、見てしまったアクスが、ビクッと身体を震わせる。

 そこへアクスの名を呼ぶシール分隊長が羽を広げて飛んできた。ゴブリアーノが手を離すと、アクスは母親の元へと走り出す。泣いてないのがせめてもの救いだ。


 なにがどうなったのか。

 敵を全滅させ、冷静さを取り戻したゴブレたちは、その一部始終をしっかり見ていた。


 敵の指揮官がアクスを人質にしようと動き出した。それを察したゴブリアーノがアクスを助けるため、指揮官に回し蹴りを食らわせたのだ。恐らくゴブリアーノも焦っていたのだろう。つい力が入ったに違いない。不意に全力で蹴られることになった指揮官は地面と平行にぶっ飛ばされた。


 指揮官が飛ばされた先には祈りを捧げる肉壁たちがいた。大砲の弾と化した指揮官は三十の肉壁を見事に蹴散らす(ストライク)。だが、その勢いは止まらなかった。指揮官の身体はゴブリン兵に跳ね返り、西門の屋根を支える柱をへし折った。指揮官の身体もへし折れるほどの衝撃だ。その衝撃によって屋根は門扉を巻き添えにして崩れ落ちた。


 指揮官の気配はもう感じない。ゴブリアーノが放った本気の回し蹴りをくらった時点で生きているはずがないのだ。瓦礫の下敷きになったことで、その無残な姿を子供の目にさらさなかったのは幸いである。

 だが、無残な姿を子供にさらしている者たち(バカ)がいる。

 それを見たゴブレは頭を抱えた。


「ゴ、ゴブリアーノ様……ひどいッス」

「やっぱり巻き込まれたッス」

「祈りは通じなかったッス」

「神は死んだッス」

「でも生きているッス」

「そうッス! 生きているッス」

「祈りが通じたッス!」

「神はいたッス!」

「さすがはゴブリアーノ様ッス」


 地面に転がるゴブリンたち三十名は全員、生きていた。

 怪我こそしているが、いずれも軽傷だ。

 今日まで生きてきて数々の無茶ぶりに耐えてきた彼らだからこそ、軽傷で済んだ。ウスイの街を守るゴブリンたちは役職上、一介の兵士にすぎない。だが彼らはゴブリン族の中ではゴブリンナイトと呼ばれる優秀なゴブリンなのだ。身体の丈夫さはゴブリアーノの無茶ぶりに耐えるよう鍛えられている。ただ本人たちに言わせると、無茶ぶりのために鍛えたわけじゃないッスと言うだろう。


 だが、彼らの災難は終わらない。

 地面に寝転がるゴブリン兵たちに大きな影が落ちた。

 ゴブレである。

 彼はアクスの視界からゴブリン兵たちを隠すようさりげなく立っている。


「貴様たち。門を死守しろと命じたはずゴブ?」

「ゴブレ様! 誰も通してないッス!」

「うちらは門を守ったッス」

「……聞こえなかったゴブか? 門を(・・)死守しろといったゴブ。その門が壊れているではないかゴブっ!」

「「「……えぇ~」」」


 結果論だが、門を壊したのはゴブリアーノだ。

 そもそも門を死守しろというのは、敵を通すな的な意味のはずだ。恐らく百人のゴブリンに聞けば、八十九人のゴブリンはそう答える。

 どこの誰が門そのものを守れととらえるのだろうか。

 ……いや、目の前に(ゴブレが)いるか。


 理不尽という言葉はゴブリンたちのためにあるのかもしれない。

 理不尽という言葉をまだ知らないアクスですら、ゴブリン兵たちをかわいそうに思ったくらいだ。


「ところでアクス。何が大変だったッスか?」


 ゴブレとゴブリン兵のやりとりを無視して、ゴブリアーノが問いかけた。

 その一言にアクスは思い出したように、「あっ」と可愛らしい声をあげる。


「そうだ! たいちょー、たいへんなんだよ! へんな連中が街の中に入りこんでいたみたいなんだ! 街の人たちが見たって! そいつらはティリアおじょうさまのおやしきに向かったって言ってた!」


 アクスはそのことをゴブリアーノに知らせるため、母親から離れたのだろう。

 走れるようになったり、飛べるようになったりした子供というのは、少し目を離したすきにどこかに行ってしまうと街の奥様連中が言っていたことを思い出す。

 シール分隊長に目をやれば、その内容に間違いはないとうなずいている。


「……人数はわからないッスよね」

「へんな連中は六人いたって!」

「おっ、よく確認していてくれたッス。偉いッスよ!」

「えへへへ」


 アクスは褒められたことで得意気な顔をした。

 照れているのかほんの少し頬が赤い。


「それにしても六人ぽっちッスか。少ないッスね」

「すくない?」

「いや、なんでもないッスよ」


 そう言うとアクスの頭を撫でるゴブリアーノ。

 撫でるたびにアクスの羽がパタパタと動く。

 するとゴブリアーノは門を片付けるようゴブレンジャーたちに指示を出した。そしてすぐに門を作り直すようゴブリンたちに命じる。

 そんなゴブリアーノを見てアクスは不思議そうな顔で尋ねた。


「ねぇ? たいちょー、おやしきに行かないの?」

「いや、行くッスよ。でも大丈夫ッス。さっきみたいなのが六人くらいいても問題ないッス」

「だって、しんにゅーしゃだよ?」

「アクスも覚えておくといいッス。このミストファング侯爵領で最も安全なのは、ミストファング侯爵様のお屋敷ッス。その次においらたちが守るこの街ッス」

「二番じゃダメだよ! たいちょー」


 率直な意見にゴブリアーノは苦笑をもらした。

 確かにその通りだが、一番と二番の差は歴然としているのだ。


「大丈夫ッス。街ではおいらたちが一番ッスから」

「じゃあ、おやしきは?」

「あそこは最強ッス。順番はつけられないッス」

「さいきょーっ!?」


 アクスは目をキラキラさせ、激しく羽を動かした。

 この年代の子供たちは、弱肉強食の魔族らしく、最強という言葉が大好きだ。


「そうッスよ。最強ッス」

「ふわぁぁ」


 最強にあこがれているアクスには言えないが、ゴブリアーノが侵入者を追いかけないのには理由があった。その理由とは、ゴブリアーノが侵入者全員を倒してしまうと、屋敷の使用人から怒られてしまうからだ。それも、「なぜ独り占めしたのか」と何日にもわたってねちねち言われ続けることになる。

 彼ら彼女ら使用人たちにとって、『招かざるお客様』のお相手は娯楽のひとつだった。そんなことを幼いアクスには言えるはずがない。


 いつだったか忘れたが侯爵様に敵対している貴族が屋敷に賊を送り込んできたことがあった。その賊をたまたま気づいた某執事見習いが一人で全滅させたのだ。


 その後、彼は使用人たちから、なぜ残しておいてくれなかったのか、と説教されることになった。特にお嬢様大好き四天王に正座させられ、詰め寄られていたときは、さすがの彼も涙目になっていた。

 あとで知ったことだが、賊の侵入にいち早く気づいた使用人たちは賊が侵入しやすいよう結界を切って待ち構えていたらしい。そのことを知らない某執事見習いとしては、なんとも理不尽だったに違いない。


 あれ以来、某執事見習いはお嬢様のそばにいたくても、『招かざるお客様(娯楽用の獲物)』を残しておくよう心がけている。

 もちろんお嬢様の安全を最優先に考えたあとでの話だ。


 使用人たちは皆、自らの手でお嬢様を守りたいのだ。

 そして、お嬢様に褒めてもらいたい。

 特にお嬢様大好き四天王はその思いが非常に強い。強すぎる。

 ただ残念なことに『招かざるお客様』のことは、お嬢様の耳に入ることはない。お嬢様がまだ幼いということもあるし、目に触れないよう内々に処理されるからだ。

 その結果、『招かざるお客様』の件で褒められることはないのだが、そこは自分がお嬢様を守ったという満足感が得られれば十分のようだ。


 そんなことを考えるゴブリアーノだが、彼は街を守る兵士という立場と某執事見習いと仲が良いこともあって、お嬢様に直接褒められることがある。そのたびに大喜びしているのは当の本人だ。彼もまたお嬢様に褒められたいと願う一人である。


「ゴブリアーノ殿、任務中失礼します」

「ん?」


 そんな物思いにふけっていると、珍しい客から声がかかった。

 例の某執事見習い、その使い魔だ。

 確か名前をセルヴァと言ったはず。


「どうしたッスか?」

「我があるじより言伝ことづておおせつかりました」


 恭しく礼をするセルヴァの話を聞くと、執事見習い殿は人族の国で人魔一族という連中を助けたそうだ。そんな彼らを保護したのだが、スミールの拠点にある屋敷には入りきらない。そこで、当座のしのぎとして雨風がしのげるテント等を用意して欲しいとのこと。


 兵士であるゴブリアーノたちには野営用に大量のテントを保持している。

 それをスミールの拠点周りに設置して欲しいらしい。


「わかったッス。しかし、また突然ッスね。相変わらずゴブリン使いの荒い執事見習いッス」


 愚痴をこぼすゴブリアーノだが、その顔は嬉しそうに笑っていた。

 なんだかんだと頼りにされていることを喜んでいるのだ。


「それともうひとつ」

「何ッスか?」

「なんでも、こちらの平野に仮設住宅をいくつか作って欲しいとのことです」

「西地区郊外にッスか?」

「左様にございます。また、できれば店舗や宿屋などの簡易施設も用意して欲しいとのこと。我があるじは魔王殿から人魔一族を魔王国に住まわせる許可を得ており、彼らをミストファング侯爵領で抱え込む算段のご様子」

「その人魔一族は何人いるッスか?」

「ざっと八十名以上はおります。そのうち家族が十数組おります」

「また随分、助けたッスね。そうなると仮設住宅は五十棟もあればいいッスかね。それにしても、彼のことッス。ただで助けたとは思えないッス。その人魔一族は何か特技でもあるッスか?」

「人魔一族には我々悪魔の能力を写し、使うことのできる者が若干名、存在しております。それと長い間、農業に携わっておりました」

「農業経験者に、悪魔の力を使える能力ッスか。それは彼が欲しがるわけッスね。それに――」


 そこまで言ってから、ゴブリアーノは考えた。


 現在、魔王国は人族の国との交流がわずかながらに始まっている。その国とは、スミール王国というモフォグ大森林を抜けた西側にある国だ。以前もそのスミール王国からマリアという女性が代表を務める使節団がやってきた。彼女の護衛とゴブリアーノたちゴブリンとの合同鍛錬も行われ、お互いを知る良い機会となった。


 今後、この魔王国と他国との交流は益々盛んになるはずだ。

 もちろん人族だけでなくエルフ族や獣族との交流も明らかに増えている。

 そこに人と魔族の血をひいた人魔一族の受け入れを進めようとする某執事見習い。

 話を聞く限り、人魔一族の見た目は人族と変わらないそうだ。

 恐らく彼は魔王国にやってくる人族の窓口として人魔一族を利用するつもりに違いない。


 しかも仮設と言いながら、店舗や宿屋まで作って欲しいときた。

 きっと将来的に仮設住宅のある場所を、そのまま集落にするつもりだろう。

 ウスイの街にも宿屋はあるが、街にいるのは魔族ばかり。そんな場所で初めて魔王国に来たばかりの人族や他種族が落ち着けるはずもない。だからこそ、ウスイの街の郊外に人族が暮らし、休める場所を作ろうとしているのだろう。もしかしたら人族の商人を誘致することも考えているかもしれない。


 そして恐らく、この件はまだミストファング侯爵様に許可を得ていない。

 魔王様から魔王国に住まわせる許可を得ているようだが、どこに住まわせるのか、彼の使い魔は言っていなかった。きっと住まわせる場所はまだ決まっていないのだ。

 だが、人魔一族は使える。手元に置いておきたい。

 某執事見習いはそう考えたはずだ。


 もし侯爵様に人魔一族の受け入れを却下された場合でも、仮設住宅をそのまま宿屋等に使えばいい。また我々、ゴブリン族の二つ目の集落にあてることもできる。幸いなことに、ここの平野も肥沃ひよくな土地だ。開墾して新たな田畑を作ることができるだろう。


 人魔一族が住もうと、宿泊施設になろうと、ゴブリンが住もうと、ここに集落を作る意味はほかにもある。モフォグ大森林から流れてくる魔物たちからウスイの街を守る緩衝地帯として利用できるのだ。ようは、おとりである。これなら侯爵様も納得しやすくなる。


 だからこその仮説住宅か。

 あまり予算をかけず、魔物に壊されても問題ない程度の家屋。

 ゴブリンが住むのであれば、いつでも好きに改築できるし、魔物にも対応できる。


「やれやれ。行き当たりばったりで助けたと思いきや、よく考えているッスね。あれで十歳だというんだから恐ろしい。ズッ友で良かったッス」

「では、しばらくしてからテントを受け取りに参ります」

「何かほかにも用事があるッスか?」

「はい。ほかの方々にも主の言葉を伝えるよう言われておりますので」

「わかったッス。ただちょっとだけ時間が欲しいッス」


 その言葉にセルヴァは、おやっという顔を見せた。


「どうかされましたか?」

「見ての通り、西門が崩れてしまったので瓦礫の撤去に時間がかかるッスよ」


 このままでは街に入ることも、街から出ることもできない。ほかの門を使うという手もあるが、ここを先にかたづけておかないと住民の生活に支障が出る。

 崩れた門を見たセルヴァは、なるほどと小さくうなずいた、


「もしよろしければ、私めがお手伝いいたしますが?」

「おぉ、それは助かるッス。この際だから門ごと撤去したほうがいいッスね。ここまで崩れていると最初から作ったほうがよさそうッス」

「取り除いた瓦礫はいかがしますか?」

「全部廃棄ッスね。再利用はできないッス」

「かしこまりました。では危ないので人払いをお願いします」

「危ない?」


 ゴブリアーノはその言葉の意味が理解できないまま、門の周りから配下たちを下がらせた。街側にいる者たちにも離れるよう声をかけておく。


「これで大丈夫ッスよ」

「では――『分解消失ディスインテグレーション』」

「え?」


 セルヴァの指先が空中で何かをなぞるように四角形を描き始めた。そして始点と終点が混じり合った瞬間、門が瓦礫ごとその場から消え失せた。

 そこには瓦礫どころか門すら跡形も残っていない。

 もちろん指揮官の死体も消え失せていた。


 誰もが自分の目を疑った。

 皆、呆然と門のあった場所を見ている。


 すると何かに気づいた様子のセルヴァは一人、門のあった場所へと近づいていった。そしてある地点まで来ると足を止める。誰も気づかなかったが、そこは指揮官の男が瓦礫の下敷きになっていた場所だ。そこで地面にしゃがむと何かを拾い上げた。拾い上げたのは黒い宝石だ。それは疑似生命体に埋め込まれた魔核であった。セルヴァはその魔核を無造作にポケットに放り込むと、元の位置に戻った。


「はいぃ?」


 そのころになると、ようやくどこからか呆けた声が聞こえてきた。

 まるでそこだけ空間を切り抜いたかのように門そのものが消失したのだ。

 誰もが皆、「何をしたっ!」と思わずにはいられない。


 ただし、一人をのぞく。


「すっごーい! 門が消えちゃったよ! ねえねえ、たいちょー、すごいね!」


 アクスがものすごいスピードで羽を動かしながら、頬を紅潮させ、魔法の威力に喜んでいた。はしゃぐ彼女は年相応の反応を見せている。


「お褒めいただき、ありがとうございます。お嬢様」


 そんなアクスに悪魔らしくない優しい目を向けたセルヴァは、彼女に向かって恭しく一礼する。何よりアクスが女の子だと判断したことは、彼のあるじよりも優秀であった。


「それではゴブリアーノ殿。のちほどうかがいます」


 そう言って見事な礼を見せたセルヴァはその場から姿を消した。

 あとに残されたのは門のあった場所を呆然と見ながら立ち尽くす大人たちと、はしゃぐ一人の子供だけだ。

 しばらくしてゴブリアーノは静かにつぶやく。


「恐ろしい魔法ッスね。――こんな魔法を使う悪魔を従える彼とズッ友で本当に良かったッス」


 心の底からそう思ったとき、ゴブリアーノは気づいた。

 いや、思い出したというべきか。


「ああぁっ! 仮面の連中を率いていた指揮官の名前、聞いてなかったッス! 報告書になんて書けばいいッスか! いっそのこと『モヘジ』にしておくッスか。いや、いい加減に書くとプレスのあねさんに怒られるッス。まずいッス! やばいッス!」


 動転して慌てふためく彼の声はしばらく止むことはなかった。

 どこまでもしまらない皇帝である。



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