第百八十二話 決着(後編)
こちらは後編となります。
「ぐぅっ」
「なんだ、まだ生きていたんだ」
魔力の膨張を感じた場所に目を向ければ、人とは思えない力で瓦礫を押しのける元教皇の姿があった。
「っ!?」
その姿を見たヨーコさんが息を飲む。
「おやおや。いつ人族をおやめになったんです?」
今の元教皇は人族と呼ぶにはほど遠い姿だった。
まず頬からアゴにある肉が大きくえぐれていた。そのせいで頬骨から下顎骨が丸見えとなっている。だが、不思議なことに血はまったく流れていない。さらに左目のあった場所はぽっかりと穴があき、真っ赤な怪しい光が揺らめいている。
異常なのはそれだけではない。
右腕も二の腕から指先まで、骨が剥き出しになっている。しかも、その骨だけとなった腕を動かし、瓦礫を押しのけていた。
まるで痛みを感じていないかのような動きだ。
「フィスタン、その姿――ハッ、まさか! 貴様、自ら禁術を使ったな!」
「禁術?」
「ああ。邪法の中でも禁忌とされているものだよ。やつは自分にその術を使い、そして――アンデッドに身を堕としている」
アンデッド。
ヨーコさんが指摘した通りだ。
瓦礫を押しのけ、一歩一歩こちらへと近づいてくる元教皇はまさにアンデッドそのものだ。
―ずるり。べちゃ。
―ずるっ。べちゃり。ぐちゃ。ぼとっ。
元教皇が足を進めるたび、やつの顔から、身体から肉片が床に腐り落ちていく。そのたびに白い骨が剥き出しになっていった。
「くはっはっはははは」
「何がおかしい!」
突然、笑い始めた元教皇に向かってヨーコさんが叫んだ。
笑った拍子に顔と頭から肉片がずるりと落ち、頭蓋骨が露わになる。
僕は剥き出しになった頭蓋骨の額を見て、息を飲んだ。
その頭蓋骨の額に、紫に光る宝石が輝いていたのだ。
アスタロトが欲しがったというベルゼブブの魔核。フィスタン=ザールクリフが持っていた二つのうちのひとつ。
ひとつはミーアさんに。
そして残りのひとつは自らの額に埋め込んでいた。
元教皇と対峙したとき、やつの身体から別の魔力を感じた。
あれは魔道具だけじゃなくて、ベルゼブブの魔核も影響していたのか。
そうだとすれば、やつの魔力が成人した上位魔族並なのも理解できる。
ヨーコさんが声をあげると、元教皇は笑うのを止め、眼球のなくなった目で僕たちをにらむ。
「アンデッド? ただのアンデッドだと思うな! 我はベルゼブブの魔核を身に宿し、究極の不死者、不死王となって永遠の命を得たのだ! 出来損ないの魔族になった貴様とは違う!」
「何が不死王だ、フィスタン。スケルトンやゾンビと変わらないそのおぞましい姿はお前を映す鏡だと知れ!」
ヨーコさんはアンデッドとなった元教皇にもひるむことがない。
それどころかフィスタンの面影がなくなった彼を罵倒している。
不死王とは、生ある種族が邪法によりアンデッド化したもので、アンデッドでも最上位に属している魔物だ。スケルトンなどの下級アンデッドと違い、自らの意志を持ち、魔族並の魔法を操る。
「ふんっ! なんとでもいうがいい。不死王となった我は魔族にも劣らぬ力を手にいれた! そして今、我が手には念願だったエリクサーがある!」
『無色透明』の薬の入った瓶を高々と掲げ、元教皇は笑った。
「あっ、それ偽物だから」
「――へ?」
「それは毒を判別する『毒物判別薬』。教えた作り方もでたらめだよ。嘘だったことに気づいていなかったみたいだね。大事なことだからもう一度言おう。全部、嘘♪」
「な……な……なんだとっ!」
「一度希望を見せておいて、その希望が絶たれたとき、希望は絶望にかわる、だっけ? どうだい? 希望が絶望に変わった瞬間は?」
「アルク殿。絶望のあまり、激やせしているようですぞ」
「本当だ! 骨しかない」
「「あははははは」」
二人で笑ってやると、元教皇の身体が震え始めた。身体中の骨がカタカタと鳴っている。わずかに残っていた肉片もその振動で、次々と床に落ちていく。まさにローブを羽織った骸骨となった元教皇は、どう見てもただの魔物にしか見えなかった。
「やれやれ。教皇が死霊術士ってだけでもシャレにならないのに、本人までアンデッドとか、どうなっているんだろうね、人族ってのは」
「アルク殿。人族は恨みを晴らすため、我々悪魔を頼る者も多いのですよ。その場合、自分はどうなってもいいと話す者もいます。その場合、身内を殺させたりして遊びますが」
「うわぁ、さすが悪魔だな。しかし、恨みねぇ。そのために千数百年も化け物になって過ごすとか、哀れな人生だよ。あぁ、もう人じゃないけど」
「そのような魂は腐っておりますからな。正直、悪魔ですら拒否するレベルです」
「あぁ、わかるよ。生ゴミってやつだね」
「その通りです」
「そうなると、だ。やはり生ゴミは――」
「焼却処分が妥当ですな」
「ところでさ?」
「はい、なんでしょう」
僕はじろりとサルガタナスをにらんだ。
先ほどから彼は腰をかがめ、口を開くたびに揉み手を繰り返している。
しかも無表情な顔に、わざとらしい笑みを強引に貼り付けていた。
「……その揉み手やめてくれる? 何のつもりかわからないけど、まだアスタロトは渡さないから」
「そ、そんな」
「うん。結局、フィスタンからアルクくんに所有権が移っただけだよね」
「やだなぁ。違いますよ、ヨーコさん。僕はアスタロトの魔力に興味ありません」
まだサルガタナスには協力してもらう必要があるし、ベルゼブブとの取引に使う予定があるのだ。
「そういう問題じゃないんだけど――おっと、危ない」
喋っていると、僕たちに向かって黒い槍のようなものが飛んできた。
それをあっさりと避けた僕たちは、槍が飛んできたほうを見る。
「この不死王をぉ! ここまでコケにするとはっ! いい度胸だっ!」
僕たちの視線の先には元教皇が骨となった手のひらをこちらに向けていた。
顔が骸骨なので表情はまったくわからないが、かなりお怒りのご様子。
「コケにするつもりはないんだけど、もうあなたに用はないんだよね」
「なに?」
「――お嬢様を害そうとしたことで、処分は決定しているんだよ。あなたのくだらない復讐劇もここで終わりってこと」
「処分だと? 我をか? 矮小な魔族の子供の分際で」
「でもその前に、お嬢様への暴言を謝罪してもらいましょうか。とりあえず、跪いてもらおうかな?」
僕の言葉に、ピリピリとした空気が広間に広がっていく。
だが、この張り詰めた空気がじつに心地良い。
「ばかな、なぜ我が魔族の小娘なぞに――」
「……小娘ダト」
元教皇のふざけた態度に、やつが吐いたお嬢様を侮辱する言葉の数々を思い出す。
やつはお嬢様を殺すと言っタ。いたぶると言ってイタ。
僕の大切なお嬢様ヲダ。
それらを思い出すたび、ふつふつと怒りが湧いてくる。
それは今にも爆発しそうだ。
「なにが謝罪だ! 王たる我に対し、不敬極まりないっ! 万死に値するぞ! その娘とやらのはらわたを生きたまま、ひきずり出してく――」
――爆発した。
「ふざけたこと抜かしてナイで、さっさと『跪け』って言ってンダヨっ、この死に損ナイガっ!」
これ以上、お嬢様への侮辱は許サレナイ。
引き金を引いたのはヤツダ。
逆鱗にフレ、トラの尾をフミ、執事が仕える主を侮辱シタノダ。
そう思った瞬間、額の中心が急に熱くなった。
だが、その熱はすぐに消えてなくなる。そして消えたと同時に、妙に頭が冴えていることに気がついた。そのとき自然と自分に宿る能力について理解できた。
「――くひっ、ああ、これがフォメット族の力か。こりゃダメだ。危険過ぎる。くふふふっ」
「ア、アルクくん?」
「ア、アルク殿?」
二人は言葉遣いが豹変した僕を驚きの目で見ている。
だが、大丈夫だ。
目の前の野郎の骨を一本一本へし折りたくなる衝動に駆られるが、その破壊衝動をなんとか抑え込んだ。
そう、僕はまだ大丈夫。
僕はまだ冷静ダ。
レイセイ……レイセイ。
「死に損ないだとっ! 我に向かって ――ぐぉっ! 何だぁ、身体がっ!」
戸惑う声に目を向ければ、そこには両膝をついた元教皇の姿があった。
本人も何が起きたかわかっていないようで困惑した様子だ。
立ち上がろうとしているが、思うように身体が動かせないらしい。
同時にやつの骨となった右手の甲に小さな星形の紋様が浮かび上がっているのが見える。
「おっと、向きが違うな。『東を向いて跪け』」
再度、僕が命令するとやつは跪いたまま、魔王国のある東へと姿勢を変えた。
「なんだ! なんなのだ! なんだというのだ!」
「なんなんなんなん、ほざいてんじゃねぇよ。すでにてめぇの扱いは決まっているって言っただろうがっ! いいからさっさと、『土下座し、床に頭をこすりつけながら、お嬢様、誠に申し訳ございませんと百回繰り返せ』っ!」
「なぜ、我がそのような――『お嬢様、誠に申し訳ございません』――ハッ!?」
「ほれ、あと九十九回だ」
「こ、この力はいったい――『お嬢様、誠に申し訳ございません』――ぐおぉぉ」
頭蓋骨を床に打ちつけながら、土下座し、東方向に向かって謝罪を繰り返す元教皇。
抵抗のつもりか、自然と下がる頭を腕の力で支えようとしているが、その腕も意に反して曲がり、結局、床に頭をぶつけることになった。
そのなんともいえない姿を見た僕はひとまず溜飲を下げる。
そのときふと、「執事たるもの、常に冷静でなくてどうするのですか」というセイバスさんの言葉を思い出した。
いかんいかん。まずは落ち着こう。
深呼吸し、黒歴史を繰り返さないよう心を落ち着ける。
昔、この教えをセルヴァに話したことがあった。それなのに自分ができないのでは示しがつかない。それについ先ほどサルガタナスに、お互い常に冷静でいようと話したばかりだ。
「アンデッドにも効果があるのか。以外と便利だな、この能力」
「あ、あのぅ、アルクさん殿様? その力はいったい? あと額にある星形のあざのようなものは?」
「サンドノサマ?」
敬称は増やせばいいというものではない。
恐る恐る尋ねてくるサルガタナスに目を向ければ、なぜか彼は僕の目を見ながら、ビクッと身体を震わせた。
まあ、正直に教える必要もないだろう。
「他者を操る能力だ。裏切ったり、嘘をついたりする敵対者を意のままに操る能力さ」
「裏切りや嘘をついたものを操る!? それは悪魔を支配下に置くことも可能……」
「そういえば身近に嘘をついた悪魔がいたなぁ。一度試して――」
「いっやぁ! 素晴らしい能力ですなぁ。よっ、さすがはアルクさん殿様」
「……その揉み手、やめろって言ったよね?」
「申し訳ございませんっ!」
フォメット族の『他者を操る能力』は非常に強力だ。
敵対した相手を意のままに操れるのである。本来は成人したフォメット族でも、その一部しか得られない能力だ。しかし、なぜか成人していない僕も使うことができている。
だが、欠点もある。
例えば、同時に操れる数は少ない。
また心を許した者には効かない。
とはいえ、あまりにも強力であることには変わりない。
この能力を秘密にしようとしたロシュロス魔法の判断は正しかった。
「お、おのれぇ、この不死王が魔族なぞに――『お嬢様、誠に申し訳ございません』――無礼者がっ!――『お嬢様、誠に申し訳ございません』――下賎な魔族めが!」
「はぁ? あほか。不敬なのは貴様だよ。乾ききっていないイカの丸干しみたいな存在のくせに。もっと『心をこめて謝罪しろ』よ」
「貴様! ――『お嬢様、誠に申し訳ございません』―― ぐぬぬっ」
頭をこすりつけたあと、そのまま数秒ほど頭を下げ続ける元教皇。
その姿に満足していると横からヨーコさんの視線を感じた。
「うん。少し乱暴な口調も男の子っぽくていいね。結婚する?」
「いえいえ、結構でございます。やだなぁ、いつもと変わりません? ヨーコさん」
「なぜ口調を戻したのかなっ!」
うん、一気に冷静になれた。
さすがはごにょごにょと十七歳。
ご年配の方の言葉は珠玉である。
そのとき広間の中央に魔力の気配を感じた。
視線を向けると、魔力の中心にヒミカさんと、ヨヨさん、そして額に紫の魔核が光るミーアさんの姿があった。彼女たちはミーアさんの『空間跳躍』で転移してきたらしい。
「アルクさん! ――ってアルクさん!? 大丈夫ですか!」
「やっほー、来たよー」
転移してきた途端、ヒミカさんが慌てて駆け足で近づいてくる。
そういえば、血まみれの服を着替えていなかった。
まあ、あとで説明すればいいか。
ヨヨさんはヒミカさんの頭の上だ。しかも彼女は、どこかで見たことのある小さな容器を抱えていた。それはメープルシロップが入っていた容器とそっくりだ。
その後ろから、ミーアさんが申し訳なさそうに歩いてくる。一瞬構えたが、すでに強制の呪いは解呪されているようだ。
「アルクさん! そのお怪我は――っ!?」
「もう治ってますから大丈夫ですよ。ヒミカさんもお怪我はありませんでしたか?」
「…………」
「ん? どうしました、ヒミカさん?」
近くに駆け寄ってきたヒミカさんはなぜか僕を見たまま、固まっていた。頬を染め、僕と視線を合わせたまま、動かない。
「あの?」
「あ……はい。ご、ごめんなさい。大丈夫ですね。だいじょうぶい!」
だいじょうぶい?
まったくもって大丈夫なように見えない。
じっと彼女を見つめると、今度は顔を真っ赤にさせ、目を伏せてしまった。
怪我はなさそうだが、頭でも打ったのだろうか。
もしかして……。
僕は眉を寄せながらヨヨさんを見る。
「ヨヨさん。ヒミカさんに何か変なものを食べさせたんじゃないでしょうね」
「そんなわけあるかー!」
「あっ、そうですか。それは失礼しました」
「本当、失礼よ、まったく……って、またアルクんの顔が怖くなってる! しかも額に星みたいなアザがっ! きもっ!」
「ヨヨさんも十分失礼だよっ!」
別に変なものを食べさせられたわけじゃないならいいんだけど。
それにしてもヒミカさんの様子がおかしい。
伏し目がちのまま、こちらを盗み見るように上目遣いで僕を見るのだ。
そんな彼女はミーアさんとの戦いで魔力を消費してしまったようで、ほとんど魔力が残っていない。
「そうだ。今、この部屋には徐々に身体に浸食してくる無味無臭の毒が蔓延しています。即効性ではありませんが、身体は大丈夫ですか?」
「え? そうなんですか?」
「私は平気」
ヒミカさんは戸惑っていたが、ヨヨさんは問題ないそうだ。
なぜ妖精族の彼女は平気なのだろう。
人魔一族のミーアさんを見ると、彼女も問題ないらしい。手にはめた指輪をわざわざ見せたことから、毒に対抗できる魔道具だと判断する。
そうだとすると、まずいのはヒミカさんだけか。
「サルガタナス。このエリクサーをヒミカさんに。念のため、解毒しておこう」
「はっ。かしこまりました」
「え? この執事ってサルガタナスなの?」
「左様でございます」
「うっわぁ、大きくなったね」
「ええ、まあ」
元の姿を取り戻したサルガタナスを見て、「大きくなったね」という言葉はどうなのだろう。それは、「へー、あっそう」くらいの反応でしかない。
サルガタナスも、あまりにあっさりした反応に戸惑っているようだ。
「ヒミカさん、エリクサーを直接お腹に送りますけど、よろしいですか?」
「え? あっ、はい? 直接?」
僕は最後となったエリクサーの原液を取り出し、サルガタナスに渡す。
サルガタナスは瓶の中身に指をつけた。
(もちろん、ちゃんと手を洗わせたあとだ)
その途端、瓶の中身がすべて消え去り、ヒミカさんが驚いた顔をした。
「んっ。……あっ。魔力が」
顔を赤くしたヒミカさんがハッと顔を上げる。
だが、僕と目が合うと、すぐに恥ずかしそうに目を伏せてしまった。
うん。絶対におかしい。
「とりあえず、これで万全ですね。ところで持っていたエリクサーは飲まなかったんですか?」
「いえ、じつは……」
「あの薬は私に使ってくれたようなのです」
声をかけてきたのは、ヒミカさんたちの後ろに立つミーアさんだった。
目を向けると彼女は無言のまま首肯する。
ヒミカさんたちに話を聞くと、僕が以前、渡したエリクサーはミーアさんに飲ませたという。
それというのもミーアさんとの戦いで魔力を使い果たしてしまったヒミカさんは、ミーアさんにかけられていた強制の呪いをすぐに解呪できなかった。だが、いつ目を覚まし、襲ってくるかもしれないミーアさんをそのままにしておくわけにもいかない。
何より強制の呪いに背いたせいで、出血がひどかったらしい。
「でしたらエリクサーを自分で飲んで魔力を回復させたほうがよかったのでは?」
「あとから考えればその通りなのですが、つい夢中で……。それにエリクサーには強力な解呪の力があるとアルクさんから聞いておりましたので」
そういってヒミカさんは頬を染め、照れながら苦笑した。
自分のことより、怪我をしているミーアさんを優先させたようだ。
まあ、ヒミカさんらしいといえば、ヒミカさんらしいか。
珍しく、おっちょこちょいだけど。
するとヨヨさんが、ふよふよと近づいてきた。
耳打ちしてきたヨヨさんによると、ミーアさんの怪我はヒミカさんがやったらしい。どうも、少しばかりやりすぎたようだ。少しくらいならいいじゃないですかとヨヨさんに返したら、微妙な顔をされてしまった。
え? 少しじゃないの?
……ヒミカさん、何したん?
そう思ってヒミカさん本人に目を向けると、彼女と目があった。
すると今度は目をそらさず、じっと僕を見つめ、ぽぉっと呆けた顔のまま、動かなくなった。
「あの、ヒミカさん? 先ほどからおかしいですよ。熱でもあるのでは?」
「あっ、いえ、その、そうではなくアルクさんが……」
「ん? 僕ですか?」
「あの、その……今のお姿がとても素敵だなと」
「「「えっ?」」」
ヨヨさん、ヨーコさん、サルガタナスが揃いも揃って声をあげた。
その驚きの声と、「嘘でしょ!」的な顔はどういう意味なんですかね。
「んん? あー、いえ、その、ありがとうございます?」
思いもよらない言葉に僕の頬も少し熱くなる。
なぜ急にそんなことをヒミカさんが言い出したのだろうか。
するとミーアさんが僕を見ながらこう言った。
「ヒミカさんの言うとおりよ。魔族の美醜はよくわからないけど、アルクさんの顔立ちは整っているもの。特にその瞳と立派な角は男らしく、とても美しいと思うわ」
「「「えぇっー!」」」
はい! そこの三人、あとで正座です。
それと、僕の目の前で堂々とひそひそ話をしないように!
それにしてもどういうことだ。
ミーアさんまでおかしなことを言い始めた。
なぜか僕を見るミーアさんの耳が赤い。
ヒミカさんがおかしなことを言い始めた理由。
それはミーアさんが言ったように、僕の瞳と角が原因っぽい。言われて気づいたのでだが、ヒミカさんの視線も僕の目と角に向けられている。
ほかに思い当たることはない。
もしかしたら魔族にしかわからない本能的な何かがあるのかもしれない。
例えばクジャクの雄が雌の興味を引くため、羽を広げるみたいなものが。それとも足の速い小学生男子がモテる的なものだろうか。
以前、僕が仮面をつけたとき、ヒミカさんとヨーコさんは似合っていると言ってくれた。逆に妖精族のヨヨさんと山猫族のミケーネさんには不評だった。
これは魔族とほかの種族では感性が違うせいだろう。
ただ今回、ヨーコさんの様子に変化はない。
彼女も魔族なのだが、元人族だからだろうか。
ヒミカさんやミーアさんのような反応はしていない。
二人だけがおかしいのだ。
なんにせよ今の僕の姿が魔族であるヒミカさんをおかしくしているのだと思う。ただ、人魔一族のミーアさんまでおかしくなっている理由がわからない。人魔一族は魔族の血を引いているが、それが関係しているのだろうか。
それとも何かほかの理由でもあるのかもしれない。
まあ、今はどうでもいいことだけど。
そんなことを考えているとミーアさんが改まって僕に頭を下げてきた。
「アルクさん。話はヒミカさんとヨヨさんにお聞きしました。このたびは人魔一族だけでなく、ソフィアまで助けていただいたそうですね。本当にありがとうございます」
「いえ、とんでもありません。皆さんがご無事でなによりです」
「それと私、アルクさんに失礼なことをしませんでしたか?」
「ん? それはどういう?」
「ところどころ記憶がないのです。強制の呪いの影響だとヒミカさんから聞きました。特にフィスタン=ザールクリフからの命令に背いた場合、前後の記憶がなくなるようで」
「そうですか。いえ、特に何かされたってことはありませんよ」
「それならよかった。ただ、アルクさんにフィスタン=ザールクリフの言葉を伝える前、強制された命令を実行していた可能性があります。そのときの記憶が抜けていますので」
「わかりました。覚えておきます」
「……ところで、あれは?」
「ああ、あれがフィスタン=ザールクリフの正体です。本人は不死王って言ってますけどね」
「人ではないことは薄々気づいていましたが……それより、なぜあのような行動を?」
そう尋ねてきたミーアさんの視線の先には、土下座しながら東方向に向かって、「お嬢様、誠に申し訳ございません」と繰り返す、元教皇の姿があった。
骨となったフィスタン=ザールクリフを見ても、驚く様子のないミーアさんだったが、やつの行動は奇異に映ったようだ。
「まあ、フォンにも、せんべいにもならない自動謝罪機能付き骨格模型と覚えておけば十分ですよ」
「フォン? せんべい? 骨格模型?」
「ところで、どうします? あなたの手で人魔一族の敵を討つなら、僕は止めませんよ」
元教皇フィスタン=ザールクリフは人魔一族の村を滅ぼし、子供たちを実験に使い、ミーアさんに強制の呪いをかけた張本人。人魔一族のミーアさんにとって敵ともいえる相手だ。フォメット族の集落を襲ったことに関して、僕が敵討ちをすることはないが、彼女はどうだろうか。
ミーアさんの返事を待っていると、彼女は小さく首を振った。
そして、「復讐はなにも生みませんから」と付け加える。
「過去の話とはいえ、もともとザールクリフ一族の者を受け入れたのは村の者です。滅ぼされてから気づいても遅いのですが、私たちの考えが甘かった。援助を受け入れ、飼い慣らされてしまった仮初めの平和に気づけず、自らを滅ぼしたのです。これも自業自得、弱肉強食ということでしょう」
「そうですか」
僕は軽くうなずく。
そして彼女に見えないよう小さく笑みをもらした。
弱肉強食ね。
魔族の血が流れる人魔一族にも、その考えがしっかり伝わっているようだ。
これならやっていけるかな。
「あとミーアさん。その額の魔核ですが、外したいと思いませんか?」
「……もし外せるのであれば外したいです。ですが、その方法はなく、今となっては諦めています」
「そうですか。もしかしたら外せるかもしれませんよ」
「え? それはどういう――」
そのとき僕の隣にセルヴァとフィエルダーが現れた。
セルヴァとフィエルダーは僕の姿を見て、「ほぅ」と感嘆の声を漏らし、恭しく頭を下げる。
まず口を開いたのはセルヴァだった。
「アルク様。お待たせしました。ベルゼブブ様ですが、後日、分身体をスミールの拠点に送ってくださるとのこと。そこでミーア様の魔核を回収されるとのことです。もちろんミーア様に何ら影響を残さないことを約束してくださいました。あと、『例の件』も快く引き受けてくださっており、合図次第ですぐにでも実行していただけます」
「そうか。これでひとつ貸しを返してもらったことになるね」
「あと、オフェリア殿から手紙を預かっております」
「おや? 意外と早かったね」
「オフェリア殿は反乱分子を制圧すべく、戦場にて魔王殿とご一緒でした。そのため話はとんとん拍子に進んだようです」
「今の状況はどうなっているの?」
「魔王殿及び侯爵殿率いる魔王軍の精鋭とペドリア伯爵家を始めとする有象無象のボンクラどもは、王都の東部にある平原でにらみ合っております。兵力差はほとんどありません。一触即発の状況ですが、双方ともまだ目立った動きはありません」
「へえ、魔王軍と同じくらいの兵力を集めたんだ。いや、魔王様が合わせたのかも。何を考えているんだろうね。おっと、手紙を見せて」
手紙を開くと、そこには魔王様の名のもと、人魔一族を魔王国で受け入れると美しい文字で書かれていた。
目を閉じているのに字がうまいなぁ、オフェリアさん。
「あっ、そうだ。配下のインプってまだオフェリアさんのそばにいる?」
「はい。戦況を確認させるために数体残してありますが」
「じゃあ、インプ経由でオフェリアさんだけに伝えて。ペドリア伯爵及び王室管理局のディガンマが魔王国への復讐を謀る不死王と手を組み、裏切っていたと」
「かしこまりました。――無事、伝え終わりました」
「ありがとう」
これでディガンマのことはオフェリアさんがなんとかしてくれるだろう。
「それとミストファング侯爵様たちは?」
「侯爵様は兵站のすべてを任されることになりました」
「通商貿易局局長の侯爵様に、『執事ボックス』をはじめとする執事魔法が使えるセイバスさん、それに料理長のレイゴストさんか。物資の補給は完璧だね。それに豪勢な食事になりそうだ」
「また、そのサポートとして使い魔のワイアー及びニーナ殿とサキを始めとする『妖精の祝祭』のメンバーも動いています。ワイアーによるとティリア様の離乳食卒業パーティーに使う食材集めを兼ねて各地を回っているとか。その際、反乱を起こした貴族の領地に兵を送り込んだり、偵察の手伝いをしたりしているようです」
「ドラゴン便を使えば、兵の輸送も偵察も楽だし、物資の補給も早いからね」
「せっかく各地の兵士たちが集まったのです。ワイアーは新たな食材を発見する良い機会と申しておりました」
「なるほどね。あの子もしたたかだよなぁ。しかし、なんでまた反乱した連中が正々堂々と魔王軍と対峙しているのかね。街を個別に襲うとか、ゲリラ作戦とかあるでしょ。ペドリア伯爵ってバカなの?」
「バカだからこそ、反乱を起こしたのだと愚考します」
「あ~、そりゃそうだ」
そういうとセルヴァは一礼して一歩下がった。
「というわけでミーアさん。額の魔核は明日にでも外すことができます。よろしければ、スミールの拠点までご一緒いただけませんか。そこにはソフィアさんも滞在していらっしゃいますので」
するとミーアさんは口元を抑え、目尻に涙を溜めながら何度もうなずく。
ベルゼブブのばっちぃ魔核なんて身につけていたくないよね。
その気持ち、よくわかる。
「それと人魔一族の皆さんのことです。もし行く場所がなければ魔王国で暮らしてみませんか? すでに魔王様の許可は得ていますし、生活の基盤ができるまで国から補助も出ます。ただ、今のところ住む土地は決まっていませんし、家もありません。しばらくはご不便をかけると思います。何より魔族は弱肉強食、実力主義の国。魔王様が認めた以上、人魔一族は魔族として扱われることになります。それでもよろしければ、ですけど」
そう尋ねると、ミーアさんはふぅと息を吐いた。
「ご配慮ありがとうございます。恐らく人の国で我々が住む場所はもうないでしょう。ただ、お返事は皆と相談してからでもよろしいでしょうか」
「ええ。結構ですよ。今日のところはひとまずスミールにある拠点に皆さんを連れて行きますので、ゆっくり考えてください。もちろん魔王国に来ることを断わっても、ある程度は僕がお手伝いします」
「何から何まで。心から感謝します」
そう言ってミーアさんは頭を下げる。
顔を上げたとき、ミーアさんはようやく笑みを見せた。
そして、「皆と相談してきます」と言って、『空間跳躍』を使い、その場からいなくなった。
「アルク様」
「おっと。待たせたね、フィエルダー。じゃあ、報告を聞こうか」
「はっ。セルヴァ殿経由で指示された件、無事完遂してございます。戴冠式中の出来事であり、式は大混乱でしたが、今のところ、つつがなく進行しています」
「それはなにより。でも、あとからセドリック王子に文句言われそう」
「いえ、セドリック殿からはよくやってくれたと伝言を頼まれております」
「それならよかった。今度、国王となった祝いの品を持って行かなきゃ」
王子には前もって話していなかったから、どうなるか心配だったけど、特に問題がないようで何よりだ。これで余計なものが排除できた。
「あのさ、アルクくん。セドリックに何かしたの?」
心配そうな顔で尋ねてきたのはヨーコさんだ。
「いえ、王子には何も。ただちょっとフィエルダーに現教皇テオフィルスを暗殺してもらっただけです」
「「「ハァッ?」」」
「なにっ!」
セルヴァ、フィエルダー、サルガタナスら悪魔勢を除く全員が一斉に視線を向けてくる。その中には土下座する骨格標本もいた。
「皆さん、息ピッタリですね。あとフィスタン、『謝罪が終わるまでこっちを見るな』。うざったい」
「くっ」
こちらに憎々しげな視線を向けていた元教皇の視線を、『命令』して外しておく。謝罪中によそ見とか誠意が足りない。
「な、なんでテオフィルスを暗殺しているのさ!」
「そうよ! アルクん! タイゲン王国と戦争になっちゃうわよ!」
「なりませんよ。セドリック王子にも褒められたでしょ」
「あれ? そういえば」
「では、なぜテオフィルス教皇を?」
ヒミカさんも不思議そうな顔をしている。
「テオフィルスも魔術師のザールクリフや同じ顔の兵士同様、疑似生命体だったからですよ」
「ええ! あのザールクリフって疑似生命体だったの!」
「人と変わらないように見えました」
「テオフィルスもだって! 本当かい、アルクくん!」
転がっているザールクリフの遺体を見ながら、ヒミカさんとヨヨさんは驚いていた。そういえばヒミカさんとヨヨさんは元教皇(骨)が話をしたとき、ここにいなかったな。
それはともかく、なぜヨーコさんまで驚いているんですかね。
「僕も確信はなかったんですけどね。そこの土下座骨格標本が、自分の近衛や側近も疑似生命体だとか言ってましたから。やつに関わっていた連中、全員を疑ったんですよ。それでセルヴァに念話を送ってフィエルダーに確かめさせたってわけです」
「それでテオフィルスが疑似生命体だとわかったんだね」
「いえ、ヨーコ殿。心臓を抜き、黒い魔核を取り出すまではわかりませんでした」
「ダメじゃん!」
「どっちでもよかったんですよ。教皇が死ねば」
「そういう問題!?」
「そういう問題です。だって、今の教皇は巫女を利用し、悪魔に魂を売り、奴隷や人身売買に手を染めていた。その欲望はとどまることを知らず、宮廷魔術師ザールクリフと手を組み、おぞましい人体実験まで行っていた。ところがあまりのおぞましさに悪魔からも怒りを買い、殺されてしまいましたとさ。とまぁ、これが今回のシナリオです」
するとヒミカさんがぽつりと言った。
「教皇も悪魔と関わっていたのですか?」
「教皇と関わっていた役の悪魔がここにいます」
「役?」
僕はそう言ってフィエルダーを指差す。
「我との契約を破ったな教皇よ! 契約に足りない魂はお前の魂で補おう。ワーッハッハッハッ。確かに受け取った! ――では、さらばだ。ワーハッハッハッ」
立ち上がったフィエルダーによる、一人芝居が始まった。
だが、あっという間にそれも終わる。
「省略すると、このような感じでございます」
「うん、まぁ、なんとなくわかった」
「うっわぁ。それで信じちゃうんだ」
ヨヨさんが驚いている。
正直、僕も驚いている。
「また私めの独断で、王子の部屋に置いた証拠の資料とアルク様の手紙を前もってセドリック王子に渡しておきました。教皇暗殺後、王子はその場で教皇の悪事と私……ごほん、悪魔との関わりを発表。詳細は後日とのことでしたが、神殿関係者には厳しい罰が下るでしょう」
「うん、いい判断だ。新国王となるセドリック王子の采配を見せつけるいい場になった」
使い魔たちに自主性が出てきたようで何よりだ。
失敗もするだろうが、彼らの成長が楽しみである。
「とまあ、ここまではタイゲン王国内向けのシナリオです」
「タイゲン王国内向け? じゃあ本当の目的があるっていうの?」
「もちろんですとも、ヨーコさん。本来の目的。それは元教皇の配下を一人たりとも残さないためです。もし残しておけば、いつかお嬢様に牙を剥くかもしれません。だったらその可能性を今、摘み取っておくのも執事の役目です。誰一人生かしておくものですか」
「……うわぁ」
「やだなぁ、ヨヨさん。そんなに褒めても何もでませんよ?」
「……うわぁ」
二度目の、「うわぁ」はどういう意味なんです?
「ま、まあ、あとはセドリック、いやセドリック王がうまくやってくれるはずだよ」
「うーん。ヨーコさんの言うとおり、うまくいけばいいんですけど。宗教ってのは、なかなか厄介ですから。そこで、もう一手打っておきました」
「え? それはどういう……」
「セルヴァ。アレに連絡を」
「かしこまりました」
セルヴァが返事をしてから数分後。
突然、ダンジョンをも揺るがす振動と轟音が鳴り響いた。
しかもその振動と轟音は一度だけではない。
立て続けに何度も何度も頭上から鳴り響く。
「なんなの、これは!」
「ちょっと! アルクん! 何をしたの!」
ヨーコさんとヨヨさんが非難めいた目を僕に向けてくる。
だが、やったのは僕じゃない。
「なんでもかんでも僕のせいにするのはやめてくれませんかね。やったのはベルゼブブですよ、ベルゼブブ」
セルヴァが言っていた『例の件』とはこれのことである。
「だから、何をしたのかって聞いてんの!」
「アルバゼーレの街と神殿の敷地内に特大の落雷を連続で打ち込むよう頼んだだけです」
「……なんて罰当たりな」
巫女だったヨーコさんが眉を寄せた。
「罰当たりなのはミーアさんを巫女として担ぎ上げ、散々、唯一神の名前を利用して悪事を働いていた教皇たちです。今日の落雷は神の怒り、断罪として信者たちに伝わることでしょう。これでセドリック国王が発表する、悪魔に魂を売っていた教皇の話もすんなり受け入れられるはずです。それに商売の神様からも頼まれていますし、問題はありません」
巫女のアリシアさんから伝えられた啓示には、神殿への断罪が含まれていた。僕はそれを実行しただけである。
「そうかもしれないけど。さすがに神殿に雷を落とすのはやりすぎじゃないかな?」
「もちろんアレには神殿の建物や街の住民に被害を出さないよう伝えてあります。商売の神様に目をつけられたくないでしょうから、きっとうまくやるでしょう。もし万が一、当たっても悪いのは全部、ベルゼブブです。僕は知りません」
「うっわ~」
ヨーコさんがドン引きしているが、僕は被害を出さないよう伝えている。
「やるなよ? 絶対にやるなよ?」と匂わせたわけでもないし、ベルゼブブが余計な空気を読むこともないだろう。
「くくく。我の神殿にふざけたことを――」
そこへ地の底から響くような声が聞こえてきた。
どうやら百回の謝罪が終わったらしい。
僕たちに背中を見せながら土下座していた元教皇がゆっくりと立ち上がる。
「我の神殿って。神殿は神を祀る場所であって、お前の家じゃないぞ、まったく」
「しかもまた我の手駒を――。貴様だけはっ、貴様だけはっ! 絶対に殺す!」
「どうせまた失敗するんだから、あきらめたらどう?」
「これからだ! まだ終わりではない!」
そう言うと元教皇は手のひらを僕たちに向けた。
だが、遅い。
「いや、終わりだよ」
「!?」
僕は軽く指を鳴らす。
その途端、元教皇の周りを透明な壁が囲んだ。元教皇から放たれた黒い槍は透明の壁に当たって霧散する。先ほどから、何度もあの黒い槍を飛ばしてくるが、こちらに当たったことはない。魔法攻撃すら失敗続きだ。いい加減、学べばいいのに。
「ぬぬっ、こ、これは何だ! や、破れん!」
やつを囲う透明な壁。
これは『執事オーブン』で作り上げた、巨大な炉だ。
元教皇が内側から狂ったように壁を叩き、何度も魔法を打ち込むが炉はびくともしない。元は結界魔法だ。それにたっぷりと魔力を注いでおいた。その程度で脱出できるわけがない。
そんな彼を僕は冷ややかな目で見つめる。
千年以上、妄執に駆られた愚者の末路、か。
「お前を生かしておくとお嬢様のためにならない。それに、これはお嬢様を侮辱した罰だ。例え神が許そうと、悪魔が許そうと、百回謝ろうと僕はお前を許さない」
「何を偉そうに! 王たる我をこのような場所に閉じ込めおって! 早く出さぬかっ!」
「なあ、知っているか? 不死王って燃えるんだよ」
「なに? それはどういう意味――っ!?」
「身をもって知ればいいさ――『八種族の神に願い奉る。罪人を焼く業火、熱核に踊る恒星、狂熱に浮かれる愚者、灰燼と化す魂、清き炎を司る死の炉に躯を捧げる』」
これは以前、試したことのある詠唱付き『執事魔法』に改良を加えたもの。
改良前は青い炎がフライパンを熱しただけだった。
魔族、妖精族、エルフ族、ドワーフ族、獣族、海洋族、龍族、そして人族の八種族。それら種族を守護し、天界に御座す神々に願うことで発動する執事魔法。
ちなみに竜族は魔物なので入っていない。
「――『常世の理は漆黒に覆われ、現世の非は純白によって消失せん。我に仇なす者を滅するものよ! 我が手に来たれ』!」
詠唱が終わった瞬間、僕の右手が白い炎に包まれた。
だが、まったく熱を感じない。
燃え上がった炎は瞬く間に太陽のような球体となり、手のひらの上で浮いている。
真っ白な炎はとても美しく、輝きに満ちあふれていた。
詠唱により発動した魔法は、エリクサーで回復したばかりの僕の魔力をごっそり奪っている。その魔力はすべてこの白い炎に凝縮されており、濃密な魔力の塊となった。あまりの魔力量にこの場の空間がきしむような音を立て始めている。
「ちょっと! アルクん!」
「何、その魔力!!」
「まぁ、なんて綺麗――神のお力を感じます」
ヨヨさんとヨーコさんが驚きの声をあげるなか、二人とは異なる感想が聞こえた。その声はヒミカさんだ。間違いない。神様に願ったことで、巫女である彼女の琴線に触れるものがあったのだろう。
だが、これは執事魔法である。
「待て! なんだっ! その異常な魔力の塊はっ!」
「さあ、なんでしょう。はい、『受けとって』」
元教皇の叫びを軽く流した僕は、白い炎を炉の口へ放りこんだ。
そしてすぐさま炉を塞ぐ。
すると白い炎は突然、二つに分かれた。それらは姿を変え始め、二匹の白い蛇の姿になった。白い蛇は身体をくねらせ、元教皇へと向かっていく。その蛇たちから逃れようと、元教皇は炉の端に寄るが、すぐに見えない壁に阻まれる。
そして床を這う蛇を受け取るように、自然と両腕が伸びていく。
「や、やめろぉぉぉぉぉ」
その叫びも虚しく、二匹の蛇は跳ね上がり、絡みつくように左右の腕へと巻き付いた。その瞬間、元教皇の両腕は白い炎に包まれる。だが、白き炎をまとった蛇たちは止まらない。元教皇の身体を這い上り、瞬く間にやつの身体は白き炎に包まれた。
「ギャアアァァァァァァ」
魂を焼かれたような絶叫が広間に響く。
痛みを感じるはずのないアンデッドにも苦悶を与える執事魔法。
白い炎は瞬く間に、着ているローブを燃やし尽くしていく。
この『執事魔法』に名前はない。だが、その威力は絶大だ。
とりあえず『執事のおしおき(仮)』とつけておこう。
ちょっと威力が高すぎて、いたずらレベルのおしおきには使えそうにないけど。
「おのれ、おのれ、おのれえぇ! このままではすまさんぞ!」
元教皇は白い炎に灼かれながら、僕をにらんだ。
骨の身体に細かいヒビが走りはじめ、骨の破片がポロポロとこぼれ落ちる。
「いやいや。すまさんも何もお前はここで終わりだよ」
「いいや、まだだっ! 今ごろ、我の近衛や側近たちがミストファング侯爵の屋敷を襲っている。お前は大切な者たちを守れずに一生後悔の中で生きるのだっ!」
「……なに? それはどういうことだ」
「くくく。魔族の伯爵ペドリアは、よほどミストファング侯爵とやらに恨みを持っていたようだな。エリクサーと交換する条件のひとつに、侯爵家の魔族どもを皆殺しにせよと言ってきおったわ!」
エリクサーを管理しているのは白の賢者様の神殿だが、その材料を取引できるのはミストファング侯爵家だけだ。自分たちがエリクサーをもらえなかった逆恨みか。
しかし、どうやってお屋敷まで……っ!
「――そうかっ、ミーアさんの『空間跳躍』かっ!」
元教皇とポチをフォメット族の集落に送ったのもミーアさんの『空間跳躍』だ。
場所さえわかれば、ウスイの街に送ることもできる。
「ぐふふふ。なぜ王である我の元に近衛や側近がいないのか疑うべきだったな。あやつらは宮廷魔術師や教皇よりも優秀な者たちばかりだ」
ミーアさんが言っていた抜けた記憶というのはこのことか。
彼女は元教皇の側近たちを送る命令に対し、強制の呪いに背いてくれた。結局、抗えなかったが、そのせいで、側近たちを転移させた記憶を失ったのだ。
侯爵様の屋敷の場所を教えたのは、恐らくペドリア伯爵に違いない。
「息子を殺されたうらみを晴らすとペドリアは言っておった。あやつの狙いは侯爵の娘だ。貴様が仕えているというお嬢様のことだ。違うかね?」
「逆恨みだろ、それ」
「くっくっく、その娘は我が側近の手によって無残に殺されるのだ。いやはや、そのあわれな姿が見られないのが残念だよ。はーっはっはっ!」
言いたいことだけ言うと、白い炎が噴き上がり、元教皇フィスタン=ザールクリフを飲み込んでいった。その空洞の目から二匹の蛇が顔を覗かせている。やつはその渦巻く炎に包まれ、高笑いをあげながら足元から灰となって崩れていった。その灰は白い炎に巻き上げられ、一粒も残らず、消滅していく。
フィスタン=ザールクリフのすべてが燃え尽きたのと同時に、二匹の蛇は溶けるようにして消えてしまった。炉を解除してみると、熱すら残っていない。
僕の足元には焼けたあともなく、ただただ紫色に美しく輝くベルゼブブの魔核だけが残っていた。
アレと一緒でじつにしぶとい魔核である。
僕は魔核を拾い上げ、『執事ボックス』へとしまった。
そのとき。
突然、地鳴りのような振動音が響き、ダンジョンが大きく揺れ始めた。
立っていられないほどではないが、壁や天井には無数のひびが入り始めている。揺れが止まる気配はなく、ひびの入った壁や天井の一部が崩れ始めた。しかも、揺れは徐々に大きくなっている。
「ちっ。まさか自分が死ぬとダンジョンが崩れるような仕掛けでもしてあったのか。そういえば我がダンジョンとか言ってたな」
いかにも三流ボスが仕掛けそうな罠にため息がでる。
もっと早く、ぐちゃっと崩壊すれば確実だというのに。
僕がダンジョンを作るなら、瞬時に崩壊するよう仕掛けを作る。
いや、そもそもここに来る前に一部を崩して生き埋めにするという方法も――
「ちょっと! アルクん! 何をぼーっと考え込んでいるのよ! 早く逃げましょう! それにティリアちゃんが危ないわ!」
「アルクさん! 急いで戻りましょう!」
「私も手伝うよ、アルクくん。お嬢様とやらにまだ会わせてもらっていないしね」
「「「我々もお手伝いいたします」」」
ヒミカさん、ヨヨさん、ヨーコさん、そしてセルヴァ、フィエルダー、サルガタナスがお嬢様のことを気にかけてくれる。
さすがはお嬢様だ。
お嬢様を心配し、お嬢様のために駆けつけてくれる者たちがこんなにもいる。
「いえ、お嬢様は大丈夫ですよ」
「ちょっと! アルクん! 何言ってるのよ! ティリアちゃんが心配じゃないの!」
「もちろん心配ですともっ!」
僕は声を荒げて、ヨヨさんに反論する。
「心配に決まっています! お嬢様やお屋敷の皆を狙う連中がいるというのに、なぜ今、専属執事の僕がお嬢様のおそばについていないのか! 誰よりも早くお嬢様をお守りするべき執事だというのに!」
「……アルクさん」
ヒミカさんが心配そうに僕を見ている。
そんな彼女の目を見て、少し落ち着きを取り戻す。
やれやれ、もしかして成人したフォメット族って気が短いんじゃないのか。
そんなことを思いながら、自分の角に手を当てる。
「――すいません、大きな声を出して。ただ、お嬢様は大丈夫です。皆さんは先に脱出してください」
「え? それってどういうこと?」
ヨヨさんが小さく首をかしげた。
ダンジョンの揺れは次第に大きくなり、広間にあった柱も何本か倒れ始めている。早く逃げないと生き埋めになりかねない。
「サルガタナス。ミーアさんと協力して、二階にいる人魔一族全員をスミールの拠点に『空間跳躍』で転移させてくれ。時間がないができるか?」
「問題ございません」
「では頼む。それとこれを預ける」
僕は『執事ボックス』の中から、アスタロトが封印されたダンジョンコアを取り出し、サルガタナスに渡した。
「おや? よろしいので? 受け取ったあと、何もせず逃げるかもしれませんよ」
「かまわない。信頼しているよ」
「くくっ。悪魔を信頼ですか。面白い方だ。ならば、しばらくの間お預かりします。不肖、サルガタナス。その信頼に応えてみましょう」
「ああ、任せた。――フィエルダー」
「はっ」
「きみはセドリック王子の戴冠式に戻れ。教皇以外にも疑似生命体がいないとも限らない。怪しい動きをしたやつは目立たぬよう裏で仕留めろ。そして引き続き、王を護衛せよ」
「かしこまりました」
サルガタナスとフィエルダーは返事をしたあと、僕の指示に従って消えた。
「セルヴァ。ヒミカさんたちをスミールの拠点まで護衛しろ。拠点到着後、送られてきた人魔一族が泊まれるよう手配してくれ。男性には悪いが庭で野宿だな。寝泊まり用のテントなどはゴブさんにいえば手配してくれるはずだ」
僕はそう言うと『執事ゲート』を開き、スミールの拠点前に繋げる。
「かしこまりました。――それでアルク様は?」
「ヒミカさん、ヨヨさん、ヨーコさんは先にここから脱出してください。僕は少し調べたいことがあるんで残ります」
「え? このダンジョンに! アルクくん! 危ないって!」
「危険です! アルクさんもご一緒しましょう!」
「申し訳ありません。どうしても調べておきたいことがあるんで。用がすんだらすぐに脱出します」
皆、不安そうだが迷っている時間はない。
天井に大きなひびが入り始めた。崩れるのも時間の問題だ。
空間がおかしいダンジョンが崩壊した場合、階と階の境目はどうなるんだろう。気になるが、そこまで調べている時間はなさそうだ。
するとヒミカさんは決心したような目で僕を見る。
「でしたら、私だけでもティリアちゃんのところに送ってください」
「私も行くわ!」
「うーん。二人が行くなら、私はスミール拠点で人魔一族の皆の面倒をみたほうがよさそうだね」
「すいません、ヨーコさん。よろしくお願いします」
「うん。じゃあ、先に行っているから」
「アルク様。どうかご無事で」
そう言い残すとヨーコさんとセルヴァは『執事ゲート』をくぐっていった。
二人を見届けたあと、僕はすぐさま侯爵家に繋がる『執事ゲート』を張り直す。
「んじゃ、アルクん。さっさと戻ってきなさいよ」
「ええ。もちろんです。お嬢様のためにも、それほど時間はかけません」
「そう。それならいいわ」
笑みを浮かべたヨヨさんはヒミカさんの頭から飛び上がり、先に『執事ゲート』をくぐっていった。もちろんメープルシロップの容器を抱えたままで。それにしてもヒミカさんと一緒に行けばいいのに。一人で行くとは、なんとも珍しい。
最後に残されたヒミカさんに向かって僕は頭を下げる。
「ヒミカさん。どうかお嬢様のこと、よろしくお願いします」
「わかりました。ですが、ティリアちゃんにはアルクさんが必要です。そのことを忘れないでください」
「やだなぁ。忘れるわけないじゃないですか」
「……じつは身体の調子が悪くて、これ以上動けず、それを悟らせまいと無理していませんか?」
「えー! いやいや。むしろそうだとしてもお嬢様のためなら、例え死んでも駆けつけますよ」
僕は手足を動かし、動けることをアピールする。
魔力も残っているので、問題はない。
「……本当ですか?」
「本当ですよ! 僕はそんなに虚弱じゃありませんから」
「もしそれが嘘だったら私、許しませんから。死んでしまったアルクさんがティリアちゃんの前に化けて出て来ても、会わせる前に成仏させてあげます」
「うへぇ。それは恐ろしい」
僕がおどけてみせると、ヒミカさんは楽しげに笑った。
彼女が笑う姿に思わず、僕もつられてしまう。
「お嬢様が悲しませることなど、執事の僕がするわけないじゃないですか」
「ええ。そうですね」
「はい。それにヒミカさんを心配させるわけにはいきませんから」
「――現在進行形で心配しているんですけど? それと……」
「ん?」
ヒミカさんの視線が下に向く。
「その穴のあいた血まみれの執事服の件は、あとでちゃんと話を聞かせてもらいますから」
「……あっはっはっは」
やぶへびだった。
そのとき突然、甘い香りが鼻孔をくすぐり、頬に柔らかいものが当たる。
「え?」
気づけば僕に身を寄せ、背伸びをするヒミカさんがいた。
目を閉じ、頬を染める彼女は僕が何か言う前にすっと離れ、後ろを向いてしまう。
「ほんといつも無理ばかりして。早く帰ってきてくださいね」
少し震える声を残し、『執事ゲート』に駆け込んでいたヒミカさんの耳は真っ赤だった。僕は感触が残る頬に手を当て、呆然と彼女の背中を見送ることしかできなかった。
そして何が起きたのかを思い出し、思わず声が漏れる。
「ふええぇ!?」
突然の出来事に、一瞬とはいえ、ダンジョンでやろうとしていたことをすべて忘れてしまったアルクだった。
天井が崩れてくる前に思い出したことで、すぐに行動することができたのは幸いである。