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第十二話 食材もと暗し

 侯爵家の厨房は食堂がある屋敷から、廊下を進んだ少し離れた場所にある。一般的な家屋は、食堂と厨房が隣接している造りが多いのだが、屋敷中に匂いが充満したり、火事の危険があったりと問題が多い。そのため貴族など、土地と資金に余裕があるものは厨房を別棟に持つのだ。


 厨房へと続く廊下の壁には、規則正しく燭台が並び、ロウソクの炎が揺らめいている。掃き清められた床がその明かりを反射している。この床の輝きを見れば侯爵家に仕えるメイドさんたちの丁寧な仕事ぶりがわかる。


「せっかくなんで厨房に着くまで、先ほどの話をしましょう」

「さっきの“美味しい”ってやつの話か? アル坊」

「ええ。“美味しい”の意味は、主に、味に対する評価や表現方法のひとつです。好ましい、好きと言った意味になります」

「てぃりあ、みんなのこと、おーしーよ?」


 お嬢様、嬉しいお言葉ですが惜しいです。

 僕たちは食べ物じゃありませんからね。


「じゃあ、食べ物を口に入れたとき、好きな味であれば“美味しい”になるのか?」

「ええ、そうですね」

「初めて食べた料理の場合もか?」

「自分の好みの味に近ければ“美味しい”になります。あとは、すごく美味しい、まぁまぁ美味しいなどのように、評価に差があります」

「なんとなくわかってきたわ」と熱心に聞いていたイーラさん。


「反対の意味の言葉はあるのか?」

「例えば、“まずい”ですね。“美味しくない”も同じ意味です」

「ほう」

「人族の料理人は“美味しい”料理を作ることが求められ、味を評価されます。“まずい”、“美味しくない”料理しか作れない料理人は失格者の烙印を押されて追放されます。王族にまずい料理を食べさせた者が死罪になったケースもあったそうです」


 この時代に合わせて言ってみたがこんな感じだろう。

 さすがレイゴストさんは料理人だけあって、料理のことに関しては熱心に聞いてくる。


「人族の料理人ってすげぇな。まさに命がけか」

「ええ。逆に美味しい料理を作れる料理人は、高い地位を得ることもあったそうですよ。今のレイゴストさんのように」

「おいおい、おれは味とかわかんねぇぞ」


「今までの魔族の“美味しい”は、見た目や匂いでしたから間違ってませんよ。ただ……」

「……ただ?」

「味覚が鋭敏なティリアお嬢様をはじめ、魔族に味覚が戻り、味も評価するようになると、このままでは非常に厳しいかと」

「……まじか」

「えぇ」


 この話を隠しておくことも考えたが、レイゴストさんは隠し事が嫌いな幽霊族。将来的な話とはいえ、正直に話すことにした。


「ありがとよ、アル坊」

「……いえ」


 言いにくい話だったが、こちらの気持ちも察してくれているようだ。邪神様に言われた問題のひとつが味見のできない幽霊族、レイゴストさんのことだった。だが寂しそうなレイゴストさんのためにも何かできることはないだろうか。

 いつかレイゴストさんも味がわかるようにしてあげたい。


 話が一段落する頃、廊下の終わりが見えてきた。廊下の突き当たりには、開け放たれた大きな扉があり、その奥に石造りの厨房が見える。お嬢様は初めて通る廊下に興味津々なご様子で、大きな目がキョロキョロと動いている。


 石を組んで作られた壁、石畳が敷き詰められた床、全体を石で作られたこの大きな空間こそが王都にある侯爵家の厨房である。壁際にかまどが三基あり、中央の一基は大きな獣ですら丸焼きにできるほどの大きさがある。また別の場所にある暖炉には鍋などを吊るすことができるようになっており、今もいくつかの鍋が火にかかっている。


 厨房の中心には大きな木製作業用テーブルが二卓置かれ、食材と思われるものが数多く上に並んでいる。井戸や流しなども完備されており、近くにある調理台の上の棚や壁には鍋や包丁などの調理器具がずらっと並ぶ。大きさ順に何本もの包丁が壁に掛けられている姿は圧巻だ。鍋やフライパンは、焦げ目ひとつなく磨き上げられ、金属特有の光沢を放っている。

 これだけ見事な厨房を前にすると、魔族が味覚オンチと呼ばれることなど想像もつかない。


 ただ驚くべきは調味料の類が見当たらないことだ。香辛料もハーブも全くない。あるのは干し肉の腐敗防止にも使っている塩だけ。砂糖ですら見当たらない。


 そんな厨房に足を踏み入れたお嬢様は、調理器具や食材に目を引かれている。その顔は、まるで宝の山を目にした探検家のようだ。興味深そうに周りを見回しているお嬢様の目は、まさに輝いている。


「お嬢様、ここには火の気や包丁など危険なものがたくさんあります。火に近づいたり、調理器具をむやみに触ったりされないようお気をつけください」

「うん、わかったのー」


 お嬢様が初めてお入りになられるだろう侯爵家の厨房。

 轟々と炎が燃え出す『かまど』、数多く並ぶ調理器具、色鮮やかな食材(鮮やかすぎる食材含む)など、目を引くものがたくさん並んでいる。


 お嬢様の好奇心をくすぐるものがたくさんあるが、聞き分けのいいお嬢様はおとなしくされている。万が一のことを考え、イーラさんに目配せをしてお嬢様から目を離さないようお願いしておく。


 セイバスさんは、浮かせたままの鉈のような包丁を調理台の目の前にある壁に飾る。ほかの包丁とは違い一本だけ特別に飾られた料理長愛用の包丁は、ひときわ目立っている。


 幽霊族の能力とはいえ念動力ポルターガイストで、手も触れず浮いている包丁はいろいろな意味で怖い。



 さっそく近くに置いてあったトングを使い、スープに入っていた真っ赤で見た目がきれいなキノコをつまんで、ヨヨさんに見せる。


「さて、ヨヨさん。キノコというのはこれですよ」

「え? これ“椅子”でしょ? これを食べるの?」


 ……さあ、おかしな話になってきたぞ。

 ほかの種類のキノコも持ってきて見せてみるが回答は同じだ。


「椅子って座るためのあの椅子ですよね。妖精族の皆さんは、これらを椅子って呼んでいるんですか?」

「えぇ、そうよ。食べるなんてあり得ないわ」

「へぇ、妖精族はこれに座って生活してるのね」


 イーラさんはどこから取り出したのか羊皮紙にメモをしている。

 お嬢様は興味津々でキノコらを見ているが、直接触ろうとはしない。

 ちゃんと僕が言ったことを守れるお嬢様、素敵です。


「ヨヨさんが言われる“椅子”ですが、人族はこの種を総称してキノコと呼んでいます。更に個々のキノコにも名前があります。まぁ、名前もない見たこともないキノコもいっぱいありますけど」


 テーブルの上に乗ったキノコ類を一瞥する。


「へー、普段使ってる椅子も種族が違うと食べ物になるのね」

「このニョキニョキがキノコねぇ」


 料理長には今後、食材の名前を覚えてもらわないといけないのでニョキニョキはやめてください。


 今のヨヨさんの一言で疑問に思ったことがある。

 種族が違うと食べ物になる、という言葉だ。


「そういえば、妖精族って何を食べるんです?」


 妖精族は、普段何を食べているのだろう。妖精族が食べている食材の中には、お嬢様が食べられる食材があるかもしれない。……キノコを椅子と呼ぶような妖精族に、過度な期待はできないが念のためだ。


「私たち、妖精族が主に食べているのは花から分けてもらった蜜ね。分けてもらう花の種類によって蜜の名前が違うわ。ちょ、ちょっとアルクん、なぜ両手を上げてるの?」


 おぉぉ! 来ましたよ、これ!

 間違いなく蜂蜜だ! なんて幸先の良い。

 拳を握りしめ両手を高々と上げる。今の気持ちを表すには、このポーズ以外考えられない。

 隣ではお嬢様も両手を高々と上げている。


「やりましたよ! お嬢様」

「やったおー」


 お嬢様が喜んでくれるのが嬉しい。

 僕の真似だとしても、意味がわかっておられなくてもだ。


 おっと、本当に蜂蜜かどうか確かめていない。この世界では常識が通用しないことが多々ある。キノコを椅子って呼ぶ妖精族のことだ。全く違う食材の可能性もある。


「ヨヨさん、ちなみにそれって蜂蜜ですよね?」

「え? 違うわよ」


 ほら駄目だ。

 この世界の食材はおかしいことだらけだよ、まったく。


「花の蜜って言ったでしょ。花蜜。蜂に蜜なんてないわよ」

「……その花蜜って甘かったりします?」

「すっごく甘いし香りもいいわよ。種類によって甘さも違うわ」

「その花蜜って今、手に入ります?」

「えぇ、持ってるわよ。魔王国との交易品のひとつとして考えてたわ」

「少し分けてもらうことできます?」

「……もちろんいいわよ」

「ありがとうございます?」

「なんでさっきから全部、疑問形なのよ!」


 ヨヨさんは腰に下げた緑色の袋から自分の半分ほどもある樽を、ドォーンと取り出し作業台の上におく。


 (あの袋、もしかして僕の、「執事ボックス」と同じ仕組みかな)


「あぁ、これ? これは妖精族のポーチ。この袋は、空間魔法のアイテムボックスと同じ仕組みになっててね。私よりも大きなものでも入っちゃうの。商人には必須アイテムよ」

「あぁ、『執事ボックス』ですね」

「執事ボックス?」

「えぇ、それと同じようなものです」

「なんだかわからないけど、同じものなのね」


 怪訝そうな顔つきのヨヨさん。

 正確には違うんですけど。それよりも今は花蜜ですね。


「一口舐めてもよろしいですか?」

「これは見本として持ってきたものだから差し上げるわ」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってから、樽のフタを取り中身を確認する。

 中にはトロリとした黄金色の液体がたっぷり入っている。見た目は間違いなく蜂蜜に違いない。


「ほう! きれいな色だな」

「すごくきれいなのー」

「少し粘り気があるみたいね」


 料理長、お嬢様、イーラさんの第一印象はよさそうだ。


 さてと。


 毒がある可能性を考えて、木のスプーンの先にちょっとだけ付け口に運ぶ。口に広がる独特の香りと強烈な甘み。更に花蜜からは、あふれんばかりの魔力を感じる。これは思ってた以上に素晴らしい食材だ。

 お嬢様はその様子をキラキラした瞳で、じいっと見ている。


「うん。間違いない。食材をひとつ見つけました」

「本当か! アル坊。もしかしてコレか?」

「ええ、妖精族にある花蜜は栄養価も高く、お嬢様のお口にも合うでしょう」


 この花蜜、一歳くらいの乳児には食べさせてはいけないと、前世の知識が警告してくる。わかってますって。確か食中毒を起こす菌がいる可能性があって子供だとお腹の中が安定してないから駄目なんですよね。

 しかし魔族のティリアお嬢様は問題なし! 人族の一歳未満の子供には絶対に食べさせてはいけない花蜜も『魔族だから大丈夫』です!


「ありがとうございます。ヨヨさんのおかげで、さっそく食材をひとつ見つけることができました」

「お役に立てたようで何よりだわ」

「これからもいろいろ相談に乗ってくださいね」

「えぇ、もちろんよ。そのためにティリアちゃんのところに来たんだから」

「ありあとー、よよちゃん」

「どういたしまして」


 にぱっ、と笑うお嬢様と、にこっ、と笑うヨヨさん。

 うん、お嬢様の愛らしさとヨヨさんの可愛らしさが相まって、実に絵になります。イーラさんの笑顔も素敵ですがクネクネしないでください。


「アルクん! この可愛いお嬢様、持って帰っていいかしら?」

「やっぱり……人知れず忍び込んで子供を……」

「冗談だから!」

「わかってますよ」


 ヨヨさんとの掛け合いが面白くてついついノってしまう。

 そろそろ自重しなくては。


 ヨヨさんのおかげで幸先良く食材を手に入れることができた。さて、厨房にはどんな食材があるのか宝探しの始まりだ!


「さぁ、取りかかりましょうかね」

「おう! そろそろやるか」

「はい、まずはこの厨房にある食材を確かめましょう」

「そうだな。お嬢は椅子に座って待っててくれるか? ヨヨとイーラはお嬢のこと頼んだぞ」

「あーい」

「はい、承知いたしました」


「まずは台の上にまとめましょうか。あ、イーラさん。あとで名前を読み上げるので紙に書いてもらってもいいですか」

「ええ、任せてちょうだい」


 お嬢様は、うんしょ! うんしょ! と厨房にある椅子を登頂制覇。

 椅子に座って花蜜の入った樽をキラキラした目で覗きこんでいる。


「お嬢様、ご昼食は花蜜を使ったお料理を食べてもらいますので待っててくださいね」

「うん、まってゆのー」


 花蜜から目を離さずに返事が返ってくる。

 どうやらお気に召したようで何よりです。味を知ったらもっと気に入ってくれるかな。


 さて、と。


 その後、野菜類の貯蔵庫を漁り、棚を覗き込み、肉の保管庫などを見て回る。何十、いや、百種以上もの食材があったが、前世の知識から推測できるものは本当に僅かだ。


 さんざん厨房の中を調べあげた結果、お嬢様が食べることのできる、毒のない食材が集まった。


 だが、それは――



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