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第十一話 幽霊と妖精

 ある日の朝食、お嬢様が飲んだスープがとんでもないものだった。それはなんと毒キノコのスープ。毒なんて平気な魔族のお嬢様だったが、天地がひっくり返るほど大泣きしものすごい拒否反応をみせた。


 魔族は味覚オンチなんだよ、そう教えてくれたのは魔族の神様。毒キノコのまずいスープを飲んだ魔族のお嬢様は、魔族には珍しい鋭敏な味覚の持ち主だったから大変な騒動に。味覚オンチの魔族の料理ではお嬢様は満足されない。それどころか食べることすらできないなんて。このままではお嬢様が!


 その話を聞いた僕は、前世の記憶を取り戻すとともに数多くの知識と技能や技術を授かった。そして魔王国内には発見されていない食材があることを知り、それを集めるために奮闘する。


 お嬢様に美味しい料理を食べてもらうため、まずは食材探しから始めよう!

 専属執事(見習い)たるもの、お嬢様にご満足いただける食事のひとつくらい用意できなくてどうするのだ!



「ヨヨさん、一人で何をしゃべっているんです?」

「ん? なんでもないよー」


 腰から下げた袋にペンと『メモ葉紙』をしまい込むと、手を後ろで組みながら僕の周りをふわふわ飛んでいる。

 ヨヨさんの淡緑色の半透明の羽が食堂の照明に反射している。


 さあ! 時間は限られている。お嬢様のためにも迅速な行動を心がけよう。


「侯爵様、奥様。これから料理長と共に、今ある食材から毒のない食材を洗い出そうと思います」

「食材の件はアルクに任せる。先ほどの魔王様の手記に関してはこちらで手配しておこう。どうせ許可が下りるまで数週間の時間がかかるだろう。それに邪神様の話だと、我が領地に食材があるのだったな」

「はい、左様でございます」

「私は、まだ公務があるので王都を離れることはできないが、アルクの準備が整い次第、エリスとティリアを連れて先に領地へ戻ってくれ。王都でやることがあるのならそれが終わった後でよい。領地に戻るころには人手の準備が整っているよう手配しておく」

「ありがとうございます、王都でも何か食材がないか探ってまいりますので、十日ほどお時間をいただけますか」

「わかった。エリスもそれでかまわないか?」

「大丈夫よ~。早めに準備だけはしておくわ~」


 奥様と専属メイドさんたちはそのまま自分の仕事へ取りかかるため食堂を出て行った。


 魔族の世界では貴族の奥方であっても、才があり意思さえあれば公務を任せられることはめずらしくない。まれに王宮から依頼されることもあるそうだ。


「セイバスは私と共に王都に残ってくれ。領地に戻るのはエリス、ティリア。アルクにレイゴスト、イーラだな。あとはエリス付きのメイドくらいか」

「畏まりました。こちらの調整はお任せください」

「頼んだぞ、セイバス」

「レイゴスト、イーラ、そしてアルク。以上だ。領地へは十日後に出発する。その間、エリスとティリアを守ってやってくれ」


「「「はい」」」


「旦那様、そろそろお時間が」

「うむ、わかった。――ではヨヨ殿。会談の日程は、通商貿易局に連絡してください。できる限りそちらのご都合に合わせるようにいたしましょう。実りある話ができることを楽しみにしております」

「はい、それでは局の窓口にご連絡いたしますわ」


 ヨヨさんが一礼すると、侯爵様と執事長は食堂から出て行かれた。侯爵様はお仕事(通商貿易局)だろう。執事長は、侯爵様と時間の調整後、恐らくそのまま局へと侯爵様を送っていかれるはずだ。


 これで食堂に残っているのはレイゴストさん、イーラさん、ヨヨさん、僕だ。メイドさんたちは既に自分たちの仕事に戻っている。


 僕もイーラさんが持ってきてくれた食材を確認しようと籠を覗く。


「あれ? 入ってない」


「あー。“例の件”で、レイゴスト料理長からは包丁だけ持ってくればいいという意味だと思って食材は入れてこなかったわ。ごめんなさいね」

「いえいえ。お嬢様の件、あとでちゃんと話をお聞かせしますね」

「ええ、お願いね。とりあえずは毒のない食材を調べるのと、毒のない素材で料理を作るってことだったわよね。今から取ってくるわ」


 今からだったら、持ってきてもらうより厨房に行ったほうが早い。


「イーラさん、待って」と呼び止める。

「レイゴストさん。今から食材を調べに厨房にお邪魔してもいいですか」

「おう、かまわねぇ。だが昼の準備もしなきゃなんねぇんだ。いつもご昼食は奥様もお嬢も軽いものだから時間はかからねぇけどな。でも今から毒のない料理は作り出せないぞ?」

「まぁ、それも含めて一度見に行きましょう」

「おう、楽しみにしてるぜぇ。おっと包丁持っていかんと。それはそうとやっぱり『さん』付けのほうが落ち着くな」

「そ、そうですか」


 なんだか改めて指摘されると照れる。

 イーラさんとヨヨさんは二人で、「さっきのアルクくんの『私』って言葉は似合わなかったわね」と笑っている。妙なところで息の合う二人だ。


「そうそう! イーラさんひとつ聞いてもいいです?」

「ん、何かな?」

「僕が倒れたときのスープですが、イーラさん平気でしたよね?」


 倒れた僕と同じものを飲んだはずなのにイーラさんは平気な顔で飲んでいた。

 そんなイーラさんは、「何言ってるの?」と青い瞳で僕を見ながら首を傾ける。その仕草に合わせるように肩まで伸びた暗青色の髪がさらさらとなびく。


「私には毒が効かない、知ってるでしょ?」

「え? 知りませんでした。イーラさんは高位魔族でしたか」

「いいえ、今の私は中位魔族よ。あれ? 私の種族教えてなかった?」

「あ、いいです、いいです。魔族の種族は秘密にされているのが普通だと聞いてますから」

「あら、そう? じゃあまた今度、機会があったら教えるね」


 そう言ってにっこり笑う。彼女も普通に話していれば十代前半の可愛らしい女の子って雰囲気なのだ。普通に話していれば、だ。


「私は、先にお嬢様の様子を見てくるわね。そろそろ目を覚まされるかもしれないしね。そのときは、アルクくんに連絡するわ。朝のお散歩もできなかったし、昼のお食事の時間も近いですからね」


 そう僕に伝えると、寝顔♪ 寝顔♪ と言いながら、嬉しそうに食堂を出て行った。イーラさん、わかりましたからクネクネしないでください。

 あれさえなければ立派な方なのだ、と思わずため息がもれる。


「あと、ヨヨさんにも聞いてみたいことがあるのですが?」

「なーにー?」

「ヨヨさん、さっき僕の手に当たったときレイゴストさんの顔にぶつかってましたよね。壁をすり抜ける幽霊族に当たるってどうなっているんです?」

「おう! 俺も気になってたんだよなぁ。あれには驚いたぜ」

「え? 幽霊族ってすり抜けるものなの?」


 そういってレイゴストさんの肩の上にちょこんと『座る』ヨヨさん。


「「えええぇ」」驚くレイゴストさんと僕。

「えっ? えっ? えええぇ」負けないヨヨさん。


 肩に乗られたレイゴストさんの声が一番大きかった。

 壁をすり抜け、物理的な接触ができないはずの幽霊族に座る妖精族。本来、あり得ないことが目の前で起きているのだ。


「ど、ど、どういうことなんです? ねえ、ヨヨさん」

「どういうことって言われても」

「ヨヨさんって、もしかして壁抜けとかできます?」

「どこの世界に壁抜けできる妖精がいるのよ」

「え? いや、そこのレイゴストさんとか」

「ない、ない。え? オジさんって壁すり抜けられるの?」

「お、おう」


 そう言うと料理長はヨヨさんを肩に乗せたまま壁に向かう。そのまま肩の上のヨヨさんを壁に“ぶち当てて”壁を抜け、普通にドアから食堂に戻ってくる。ちょっと面白い。


「ちょっと! 痛いじゃないの! ちょっと! 本当じゃないの!」

「お、おう。すまん」


 文句を言いながら、ヨヨさんは僕の肩に座る。


「妖精の嬢ちゃん、面白いな。他種族に触られたのは初めてだ」

「そ、そう? 私も壁抜けできる種族に会ったのは初めてよ。これからは敬意を込めて、オジさまって呼ぶわ」


 そう言って、今度は僕の肩からレイゴストさんの肩へと移った。

 落ち着きのないヨヨさんである。


「オジさま……オジさま……いいな」


 大きな口を開けて大笑いしてた料理長が、青白い半透明な顔を赤く染めながら照れている。……うわぁ、似合わない。


 あれ? そういえば。


「レイゴストさん。さっき椅子に座ってましたよね」

「あれは座ったようなポーズして浮いてるだけだぞ」


 うわぁ、幽霊族の謎多すぎ。


「じゃあ、浮けるってことは、天井とか床も抜けれちゃいます?」

「できるが絶対しないぞ、アル坊。それに普段は壁抜けも、だ」

「どうしてですか」

「例えば、天井から抜けると二階の床から頭が出るだろ?」

「はい、そりゃ出ますね」

「二階でスカート履いたメイドが働いているわな」

「ああ、なるほど、それは」

「壁抜けも同様だ。部屋の中の様子までは、わからねぇ」

「で、メイドさんが着替えていたとしたら」

「おう、そんなわけで緊急時の壁抜け以外やらないのが幽霊族の掟だ。これを破った幽霊族は……」

「破った幽霊族は?」


 ごくり、と息を飲む。


「聖水で足を溶かされ、一生、卑猥者と言われながら生きることになる」

「本当ですか!」


 なんて恐ろしい掟だろう。思わず料理長の脚を見る。


 (よかった! レイゴストさんの足はちゃんとある)


 ホッとしてレイゴストさんを見上げると、にやけ顔で言った。


「嘘だ」


 ……がっはっは、じゃないですよ、レイゴストさん!


「暗黙の了解としてやらないっていうのは本当だがな」


「あはは。オジさまとアルクん、仲がいいのね」


 ヨヨさん的には今の話が面白かったらしい。

 それにしても、レイゴストさんに聞くまで、幽霊族のことをほとんど知らなかった。僕は今まで、本当に皆と距離を置いた付き合いをしてたのだな、と実感する。

 

「警戒心かぁ」とつい言葉が口から出る。


 “私たちに対する態度にしても堅さ、いえ、『警戒心』がとれた”

 いまさらだが執事長の言葉に考えさせられる。


「アル坊、今からでもいいじゃないか。そんなに固く考えるな」


 こうやって言葉にしてくれる料理長の優しさが嬉しく思う。


「それにしても妖精の嬢ちゃんは、なんで俺に触れるんだろうな」

「それだけじゃないですよ。ヨヨさんはレイゴストさんだけじゃなく、僕にも普通に触れますからね。どうなっているんでしょうね、妖精族って」

「おっと、そういや旦那の客人でもあったな、ヨヨ様とお呼びしたほうがよろしいですかな?」

「あ、オジさま。私のことはヨヨでお願い。そっちのほうが気楽でいいわ」

「おう、わかったよ、ヨヨ」

「うん、ありがと」


 レイゴストさんの肩に座ったまま、僕たちを見てニカッと笑う。


「妖精ってそんなに不思議かしら。もともとこっちの世界に住んでいたわけじゃないから、それも関係しているのかしらね。それでも壁抜けできる種族のほうが珍しいわよ」


 そのままレイゴストさんをじぃっと見ながら、ボソッと言った。


「売ってないの?」

「「まさかの奴隷商人!?」」


 レイゴストさんと声が重なった。

 しれっと、とんでもないことを言う妖精族の商人が恐ろしい。


「冗談よ、冗談。人族みたいなことするわけないでしょ」

「冗談に聞こえませんよ。妖精族なんでしょ? 誰にも気がつかれずに子供のいる貴族の屋敷に侵入し、誰にも見つからずに運び去る能力を持った、誰もが怖がる妖精族のヨヨさん」


「おー、怖い、怖い」と肩をすくめて身を震わせる僕。


「ちょっと! アルクん。こっそり屋敷に忍び込んで子供をさらうみたいなこと言わないでよ。それに妖精界に行き来できるのは、私たち妖精族と同じくらいの大きさの物までよ」

「でも子供を頭からぐいっと入れると、ずるずるって飲まれちゃうんですよね?」


 さっきより大袈裟おおげさに震えながら、「なんてひどい」とつぶやいてみる。


「できるかー! そりゃあ、絨毯みたいに丸めれば細長い物でも通せるけど、穴を広げるなんて無理。入ったとしても子供なんかさらいませんよーだ」

「そうでしたか。失礼なこと言ってすいませんでした」


 震えるのを止め、頭を下げる。


 なるほど、ね。


 妖精族は、結界が張られた貴族の屋敷であろうと、妖精界を経由すれば誰にも気づかれずに、姿を消したまま侵入することができる。


 妖精界への出入り口は、妖精族と同じくらいの穴。この穴を使って妖精界に物を入れたり、出したりすることが可能。穴に通れば長いものでも問題なしだが、穴の大きさは変えられない、と。だから妖精界に持ち去れたのは、文献や資料程度の大きさのものだったわけだ。


 穴の大きさが変えられないのであれば、妖精族以外は通りぬけできないから、移動手段として使えないな。それにヨヨさんの発言にあった“距離と時間はなんとでもなる”の意味は、妖精界を経由すれば距離も時間も短縮できるという意味だろう。


 神様の話を天啓として巫女が聞き、それを女王様へ。そして女王様が僕の手伝いをするようヨヨさんへと命令。そのヨヨさんは、侯爵様のことを調べあげ、僕の元へやってくる。それこそ飛んできても間に合うはずがない。だが、僕の推測したことが正しければ、つじつまがあう。


 この距離と時間短縮があれば、残り半年しかないお嬢様の食材探しに使えるかもと期待したが、妖精族サイズしか使えないのであれば意味はない。


 また、妖精族がこの妖精界を悪用して魔族を謀ろうとした場合だが、これは既に解決済みだ。妖精族が何かしようとも悪意の存在がわかるレイゴストさん(幽霊族)がいる。姿を消している妖精族を察知し、物理的に捕まえることができるのは、先ほど実証済みだ。


「ねぇ、アルクん。もしかして妖精族のこと、探ってない?」

「まさか」


 最高の笑顔で否定する。


 そんな“有意義”な会話が一段落すると、廊下から、とたとた、と足音が聞こえてくる。その足音は食堂にある扉の前で止まり、「んしょ、んしょ」と可愛らしい声とともに、ゆっくりと扉が開く。開いた扉の先には、バラのような赤い髪が美しいティリアお嬢様とイーラさんの姿があった。


「きたのー」


 お嬢様は、今朝起きた衝撃的な出来事など微塵も感じさせず、元気いっぱいの笑顔でご登場だ。僕は、ほっと胸を撫で下ろす。幼少期に心に深い衝撃を負うとそれがトラウマになることもあるのだ。お嬢様の楽しそうな笑顔を見ればそんな心配もなさそうだ。


 その元気いっぱいの可愛らしいお嬢様が声をあげる。


「ああああ! ようせいさんなのー!」


 目ざとくレイゴストさんの肩に座ってるヨヨさんを見つけたお嬢様。宝物を見つけたように目を輝かせながら両手を広げて嬉しそうな顔をされる。


 お嬢様の姿を見たヨヨさんは、レイゴストさんから飛び降りると、笑みを浮かべたままお嬢様の前までふわふわと飛んでいき、空中に静止して視線を合わせた。


「ティリアお嬢様。はじめまして。私は妖精のヨヨ。ティリアお嬢様とアルクんのお手伝いをするため妖精界から来ました」

「はじめまして。てぃりあ=みすとふぁんぐですなの」


 ヨヨさんの挨拶に、今朝着ていたフリル付きの白いワンピースのスカートを軽くつまみ、頭を下げ挨拶カーテシーを返すお嬢様。ご立派です! お嬢様。可愛らしく素晴らしいご挨拶ができました! 語尾は聞こえませんでした。


「アルクん! なにこの可愛いお嬢様!」

「あるくん! なにこのかあーいようせいさん!」


 ヨヨさん、お嬢様に変な言葉教えないでください。

 僕の心配をよそにお嬢様とヨヨさんは、きゃあきゃあ言いながら食堂をパタパタと跳ね回っている。どうやら意気投合したらしい。

 イーラさん。混ざろうとしないでください。


「なんか、お嬢。楽しそうだな」

「ええ、きっと初めて自分より小さな子を見たからじゃないでしょうか」

「そういや、侯爵家で一番年齢が近いのがアル坊だからなぁ」


 何周か走り回って疲れたのだろう。お嬢様は僕の前で息を整えている。ヨヨさんはお嬢様の頭の上で寝転がっている。

 ヨヨさん、降りてください。


 そう言おうとした僕に向かって、頭の上のヨヨさんを大事そうに手で隠そうとするお嬢様。


「よよちゃんは、てぃりあが、まもるのー」

「さすがはお嬢様。女神さまのような優しさです」と即答する。

「ティリアちゃんの髪って、ふわっとして気持ちいいのよ」


 知ってますよ、ヨヨさん。当たり前です。

 まぁ、お嬢様がよろしければいいのですけどね。

 そんなお嬢様はヨヨさんを頭に乗せたまま、僕の顔をじぃーっと見上げている。どうしたのだろうか?


「あるく? なの?」

「はい? アルクですよ。お嬢様」


 まさかの疑問形である。


「あるくはかわったの! ぽかぽかなの! あるくんなの!」

「ぶはっ。お嬢にまで言われてるぞ、アル坊」


 吹き出したレイゴストさんは大笑い。腹が痛い、腹が痛いとお腹抱えているけど幽霊族でも笑いすぎでお腹痛くなるらしい。


 もはや苦笑いしか出ない。前世の記憶が戻ったせいでお嬢様にも変わった、と言われてしまった。もし前世の記憶が戻ったせいでお嬢様に嫌われてたら立ち直れなかったところだ。ぽかぽかの意味はわからないが悪い意味ではないはずだ。


 僕の周りを、「あっるくん、あっるくん」と楽しそうにスキップするお嬢様と頭の上のヨヨさん。お嬢様が楽しそうだし、まぁいいか。


 さて、と。

「イーラさん。なぜお嬢様が妖精族のことを知っているんです? 確かイーラさんですよね、妖精族の文献うすいほん持ってるのって。お嬢様にお見せしましたか? 僕もちょーっと見てみたいなぁ」

「ア、アルクくん。 目が怖いわ」


 お嬢様の教育によろしくないものだと困るんです!


「アルクん、たぶんイーラさんが持っているの『妖精族入門冊子』だと思うわ」


 スキップをやめ僕のそばでおとなしくされているお嬢様の頭の上からヨヨさんが言った。お嬢様は僕の執事服の裾を握っている。そのお姿が実に可愛らしい。


「そう、それよ! 確か表紙にそう書いてあったわ」

「なんですか。そのいかがわしい題名の本は?」

「「いかがわしくないわよ!」」


 息ぴったりじゃないですか。イーラさん、ヨヨさん。


 この妖精族入門冊子。

 ヨヨさんによると、妖精族が妖精界に帰るときに残したらしい。この世界にいた証として、妖精族とは何か、といった妖精族に関する基本的なことが書かれているそうだ。しかもどんな姿だったかわかるよう図解付きなのだから驚きである。


「そうなの! 可愛い図解入りで、私たちのような種族を超えた紳士、淑女の間では希少なお宝として流通しているわ!」

「希少でもないでしょ? 結構な冊数と入れ替えたはずよ」とヨヨさん。

「そういえば妖精族は自分たちのことが書かれた文献を数多く持ち去ったと聞きましたが」

「ええ。私たちが持ち去ってその小冊子と入れ替えたのよ」

「なぜ入れ替えたのです? 妖精族のことが書かれた文献があったのなら、わざわざ妖精族入門冊子と入れ替える必要なんてありませんよね」

「まあ、それには理由があるけど秘密よ」

「絶対に?」

「ええ、これ以上は聞かないで」


 聞いても簡単には答えてくれそうもないな。

 今は諦めるか。


「だったらイーラさん。ヨヨさんが言われたようにたくさん残っているのでは?」

「ところがそれほど残っていないのよ」

「ヨヨたち、妖精族が妖精族に帰ったのってどれくらい前なんだ?」


 レイゴストさんが不思議そうにヨヨさんを見る。レイゴストさんの実年齢は知らないが、確か千五百歳は越えているはずだ。そもそも幽霊族に年齢の概念はあるのだろうか。


「一斉に妖精界に帰ったのは千年くらい前じゃないかな。それでもたまに来てるわよ。私みたいに」

「だったら俺も、一度くらい妖精を見たことがあってもおかしくないんだがなぁ」

「そりゃあ、こっちにいたときだって、ひきこもっていたからね」


 ひきこもり体質は昔からだったようだ。


 あのセイバスさんでも妖精の姿は見たことがないと言っていた。碑文に妖精族のことが書いてあっても姿などはわからない。妖精を見たことがあっても、冊子を見ているか、「私、妖精です」と言われない限りわからないだろう。


「ヨヨさんが言われたとおり千年も経っていれば、冊子が残ってないのも仕方ないのかもしれませんね」

「俺も見たことねぇもんな」


 いくら冊子の数が多くても、当時は各地で戦争が起きていた。戦火などで燃えてしまった本も多いだろう。


「まぁそうかもしれないわね」


 そう指摘すると、ヨヨさんは残念そうに肩をすくめた。


「そのせいで私も三冊しか持っていないわ」

「あら? 希少な割には、イーラさんは結構持っているのね」

「そうでもないわよ、ヨヨちゃん。私たちの間では三冊は標準所有数なの。これには自分用、保管用、布教用と、用途がわかれているわ」

「自分用、保管用、布教用? ――布教用っ!」


 ヨヨさんは布教用と聞いて驚いている。

 どんな布教をしているのやら。


「妖精族の身体からあふれている、可愛いエキスを広めるための一冊よ。そうやって妖精族の可愛さに目覚めた人が、最低でも三冊は欲しがるから流通する数が減り、希少になっているのよ」


「なにその無限連鎖講ねずみこう的布教活動!」


 一部の人たちが複数持ってると聞けばヨヨさんも驚くはずだ。本来の目的は妖精族の存在を残すためだった。それが一部の人が独占しているのはどうかと思う。


 だが、それだけの冊数が残っていれば、ほかの人が妖精族について知らないはずがない。では、なぜここまで情報が出てこなかったのだろう。そういえばイーラさんは、種族を超えた紳士、淑女と言ってた。魔族以外にも妖精族について知っている人がいるのだろうか。


「希少とはいえ、それだけの冊子が残っているのに、なぜ妖精族のことを皆知らないんですか。レイゴストさんや執事長ですら妖精族の姿を見たことがなかったんですよ。その冊子には絵姿も書かれているんですよね」

「あ、それはね。私たちの文献は、一般に出回ることはまずないの。布教するときも、見せるのは志を同じくする紳士、淑女のみ。ほかの人に見せるなんてとんでもないわ!」


 ああ、これは完全に駄目な集まりだ。この人たちのせいで妖精族の存在が一般的な世界から隠されてしまっている。


「ヨヨさんたち、妖精族からすれば不本意でしょう」

「そうでもないわよ、知ってる人が一部でもいれば十分だもの」

「おや? そういうものですか」

「そういうものよ」

「それにしても、よくそんな一部の人たちが集めている本をお嬢様にお見せしましたね」

「お嬢様には絵本代わりにお見せしたくらいよ。それをちゃんと覚えてらっしゃるティリアお嬢様の記憶力はすごいわよね」

「お嬢様なら当然じゃないですか」

「アルクくんのお嬢様に対する態度、人のこと言えないからね」


 何を言ってるのでしょうかね、イーラさんは。

 お嬢様は可愛い。誰よりも可愛い。


 自分が話題になっていることに気がついたお嬢様は、僕とイーラさんを不思議そうに見上げている。


「それにしてもずいぶん長生きしてきたが、まだまだ知らないことは多いもんだな」


 腕を組み、感心したようにうなずいている料理長。レイゴストさん、世の中には知らないほうがいいこともあります、とはさすがに言えなかった。


「ところで、ヨヨさん」

「なーにー」

「妖精族のエキスって美味しいんですか」

「な、何を言ってるの! そんなものないわよ! イーラさんが変なこと言うから」

「ヨヨちゃん、私のことはイーラでいいわよ」

「わかったわ、イーラ。でも妖精族からエキスなんて出ませんからね!」

「出ないのね。残念」と肩を落とす、別の意味で残念なイーラさん。


 そんなイーラさんは見なかったことにして、僕はヨヨさんに向かって一言。


「美味しそうな食材のひとつを見つけたと思ったのに残念」

「なに怖いこと言ってるのよ。美味しそうとか本気でひくわ!」

「いやぁ、すいません。つい悪ノリして」


 さすがに冗談ですよ、冗談。

 そんな会話を聞いていた料理長が僕たちに聞いてくる。


「なぁ、アル坊。食堂でも同じこと言ってたよな。お嬢のためにも美味しいものを食べさせたいとかなんとか。朝は“いろいろあった”から聞けなかったが、その美味しいものってどんな意味だ?」

「美味しいってなんなの? アルクくん」

「おーしー?」


 思わずお嬢様の頭の上にいるヨヨさんと顔を見合わせる。お嬢様に裾を離してもらい、ヨヨさんを借り受ける。そのまま二人で食堂の隅に行き、小声で相談。

 ヨヨさんがいなくなって軽くなった頭を触るお嬢様が少し寂しそうだ。お嬢様、ヨヨさんはすぐにお返しますからね。


「ねぇ、アルクん。魔族は味覚オンチって聞いていたけど、味の概念とか味を表現するとかしないの? 美味しいとか、うまいとか、まずいとか、口に合わないとか」

「はい。実は僕も邪神様にお会いするまでは意識していなかったくらいです。言われてみれば魔族の皆さんから、味に関する感想を聞いたことがありません。きれいとか素晴らしいとか、見た目の評価はありましたけど」

「私たち、ああいった魔族たちを相手に食材探すのよね?」

「ええ、それどころか料理長でさえ食材の名前を把握してません」

「それ本当!?」

「ええ。キノコの名前すらご存じありませんでした。ほかの食材に関しても色や形以外、興味がなさそうです」

「え? キノコって何?」


 あんたもかー!


「ヨヨさん、キノコ知らないって本当ですか」

「ええ。なんなの? そのキノコって」

「ちょ、ちょっと待っててください。い、今、持ってきますから」


 ヨヨさんの言葉に驚いてしまった。レイゴストさんだけでなく、彼女までキノコを知らないとは思わなかったのだ。本人にキノコを見せるため厨房に向かおうとした僕を、レイゴストさんが呼び止めた。


「アル坊、どこへいくんだ。厨房なら俺たちも行こうか?」

「あ、そうですね。皆で行った方がよさそうです。ではイーラさん、お嬢様をお部屋に――」

「ティリアもちゅーぼー、いくのー」


 自分だけ仲間外れにされそうになったお嬢様は、少し拗ねていらっしゃるようだ。


「お嬢。厨房はお嬢が行くような場所じゃないぞ。あぶないぞぅ」

「だいじょうぶなの! あるくんもいーらもいるの」

「おお、そうか。じゃあ、アルクんとイーラに任せような」


 最初は危ないと言いつつも、子供好きの料理長らしくあっさりと許可を出す。いざとなればレイゴストさんも僕もイーラさんもいるから問題はない。


「まかせるのー」


 お嬢様が、嬉しそうに、にぱっとした笑顔を僕たちに向けた。

 その笑顔に、にやにやする料理長とクネクネするイーラさん。

 はいはい、二人とも落ち着いてくださいね。


「お任せください、お嬢様」


 お嬢様に向かって一礼し、厨房までエスコートする。


 皆で連れ立って厨房へと移動する。ヨヨさんは、お嬢様の頭の上で腹ばいになり気持ちよさそうだ。お嬢様の頭の上が定位置になりつつある。


 さて、厨房で宝探しと行きましょうか。



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