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第十話 信用と信頼と

 意識を取り戻した後、セイバスさんやレイゴストさんから疑われることになった。


 というのも毒スープを飲んで倒れていたとき、邪神様にお会いして自分が前世からの転生者であることを知った。いや思い出した。そして、前世の記憶を持ったまま戻ってきた僕を見て、倒れる前の僕ではないと感じたお二人に疑われたのだ。

 今から皆に転生者であったことを話す。


「僕についていろいろお話したいと思います。ですが」


 チラッとヨヨさんを見る。ヨヨさんはふわふわと僕のそばまでやってくると、そっと小声で耳打ちする。


「あ、私のことは気にしないで。全部知ってるから」

「え? 全部知ってる? それはどういうことです?」


 動揺する気持ちを抑えて、小声で返す。

 あり得ない。侯爵様にもほかの人にも前世のことは言っていない。会ったばかりのヨヨさんに気づかれるはずもない。転生者であることは、僕ですら邪神様に聞いたばかりなのだ。


 ちょうどそのとき、食堂に数人のメイドさんたちがやってきた。それを見た侯爵様はセイバスさんに何か伝えている。うなずいたセイバスさんは、メイドさんたちを呼び止め声をかけているようだ。


 (くっ、考えるより本人から聞いたほうが早いか)


 想像だけではわからない。ヨヨさんの知っているという言葉の意味が、どこまで知っているのかわからないからだ。動揺を隠しながら小声で彼女に聞いてみる。


「知っているとは、どういうことでしょうか?」

「アルクんがこっちに戻ってからすぐに、魔族の神様が妖精の神様にお話ししたらしいのよ」


 ヨヨさんのこそこそ話の内容は突拍子もないものだった。

 どうやら、邪神様が妖精の神様に僕たちの話をしたそうだ。そして妖精族から誰か一人、僕の手伝いをする子を出して欲しいと妖精の神様に相談したらしい。


「で、妖精の神様がその話をうちの巫女に伝えたってわけ。それで私が派遣されたのよ。アルクんの話はそのときに聞いたの。まぁ妖精族でも、君のことを詳しく知っているのは巫女と女王様、あとは私だけ。もちろん誰にも言わないように、うちの神様に誓わされているから大丈夫」


 その話を聞いた僕は、めまいを感じながらため息をつく。


 邪神様ぁぁ! 速攻で何ペラペラしゃべっているんですか。なるべく話さないように、と僕に念押ししてたでしょ! “なるべく”の範囲が広すぎます! 魔族の世界どころか妖精の世界まで広まってるじゃないですか。

 それに……なに自慢げに話しているんです。


 もう何がどうなっているんだか。

 それよりも妖精族だ。


「……妖精族の“大丈夫”は、どれくらい大丈夫なんですか?」

「少なくても神様にお誓いした私たち三人に関しては、絶対、よ。それに私たちがアルクんのことを知ったのは、魔族の神様に何か理由があってのことだと思うの。知識や技術を授かったのも理由があるはず。だから約束は絶対に、護るわ、護るの、護るから」


 前世の名前でリズムをとりながら、連呼はやめて欲しい。


 それにしても前世の名前や知識のことまで聞いているようだ。ヨヨさんは何か理由があると言っているが、本当にあるのだろうか。邪神様は勢いで言っている気がしてならない。


「でも神様のお願いを聞いて、ヨヨさんがここに来るまでの時間が短すぎませんか?」

「あ、それは妖精界から来たからね。移動する距離と時間はなんとでもなるのよ」


 距離と時間? 

 妖精界がどんな所か気になるけれど、それは後だ。


「そうですか……まぁ、このまま聞いてくださって結構です」


 ヨヨさんは、にこりとすると僕の肩の上に座った。


 そこまで言われたら仕方ないな。

 もう知られているみたいだし、隠す必要もない。

 でも邪神様の理由とはいったい……今は深く考えている時間はないが、今度ゆっくり考えてみよう。


 ヨヨさんと密談こそこそばなししている間、侯爵様とセイバスさんは、メイドさんたちに僕のことについて話していたようだ。何人かのメイドさんが、僕のほうを心配そうにチラチラ見ている。

 食堂には、侯爵家で働いている何人かの使用人の姿も見えた。どうやらセイバスさんが、メイドさんたちにほかの使用人を呼ぶよう命じたらしい。


 皆が集まったのを確認した侯爵様が、全員に問うように話しかける。


「今から娘とアルクについて話がある。メイドや使用人の皆もこのまま聞いてもらってかまわない。ただし、聞いた話は他言無用だ。守れそうもない者は、部屋を出て行ってかまわない。普段の仕事に戻ってくれ」


 侯爵様の言葉に、使用人の皆は互いに顔を見合わせる。

 だが使用人やメイドの皆は、誰一人出ていこうとしなかった。


 その様子を見た侯爵様はもう一度確認する。


「皆いいのか?」


 その言葉に、うなずく使用人とメイドさんたち。

 ここにいる皆は、僕が小さな頃から世話になり、気心知れた心優しい仲間ばかりだ。僕のことを思い、話を聞いてくれるのは嬉しく思う反面、怖くもある。


「じゃあ、アルク。いいか?」


 侯爵様から話すように言われた僕は、軽くうなずき皆の顔を一人一人確認するように見回した。


 最初に、使用人やメイドさんたちにわかるようお嬢様と僕のことを話す。魔族のこと。毒のない食材を集めること。お嬢様のメニューを増やすことなどだ。

 多少のざわつきはあったものの、落ち着いて話を聞いてくれる。


 さて、ここからだ。

 今から僕のことについて話をする番だ。


「では、改めて説明します。まず、セイバスさん、レイゴストさん、イーラさんは、僕を疑っておられたようですが理由を教えていただけますか?」


 セイバスさんが顎に手をかけながら話し始めた。


「そうですね。やはり私たちの呼び方でしょうか。アルクくんが使用人になってから、名前を『さん』付けで呼ばれたことは、私とレイゴストともに一度たりともありません」

「だなぁ。俺もそこで気づいた」

「あとは、アルクくんの魂の色が変わっていたと言いましょうか。別人が混ざり合ったような感じでしたね。呪いの類や意識が乗っ取られたときと同じような色にそっくりでした」

「魂の色、ですか」

「ええ、濁っていたという表現のほうがわかりやすいでしょう」

「そういったものがわかるんですね、セイバスさん」

「はい、執事たるものあらゆる視点で物事をみることが大切です」


 魂の色が見える?

 そういえばセイバスさんの種族って聞いたことがない。種族独自の能力だろうか。魔族は自分の種族を秘密にしている。この件に関してはこれ以上、聞くのはやめておこう。


 僕は、セイバスさんとレイゴストさんにお礼を言ってから、眉を寄せたまま僕を見ているイーラさんに話しかけた。


「イーラさんはどうしてわかったんです?」

「だから話しかけるな、アルクもどき。返せ!」

「もどき脱せず!?」

「まぁ、いいわ。私は執事長と違って魂の色は見えないけど、気配を感じ、個人を判別することができるの。お嬢様やヨヨちゃんのように誰もが愛でたいと思う子なら特にね。ところが、もどきくんの気配が朝とは全然違ってたわ」


 もどきくんって、イーラさん辛辣しんらつです。まあ、これも前世の記憶が混ざっているせいだろうなぁ。


 僕はそんな彼女を上目遣いで見つめる。


「僕を信じてくれないの? お姉ちゃん」

「にゃに言ってるの? もちろん信じてゆわ、アルクきゅん」


 ふっ、ちょろろ。

 ヨヨさんが僕の肩の上で吹き出しながら笑いをこらえている。

 お姉ちゃんと呼ぶたびに、何か大切なものを削っている気がするのでほどほどにしておこう。そう何事も腹八分目だ。


「くっくっく。あとはそれですよ、アルクくん」

 

 可笑しそうに笑うセイバスさん。レイゴストさんも隣で、にやにやしている。なぜか侯爵様御夫妻も笑顔である。


 ん? 何のことだろう?


「アルクくん、先刻も言いましたよね。君は使用人として道理をちゃんとわきまえた態度だった、と。それは仕える者として非常に優れた資質ともいえますが、いささか堅すぎる態度、わきまえすぎた態度でもあったのです」


 真剣な顔つきで僕の評価をする執事長。


「アル坊はうちら使用人に対しても旦那や奥様と同じような態度で接することが多くなった。使用人の先輩として敬ってくれてたのかもしれんが急変しすぎだ。家族同然だと思っていた俺らから一歩も二歩も距離を置き始めたからな」


 少し寂しげな料理長と、その言葉にうなずく使用人とメイドさん。


「使用人として働きたいと言ってきたときのアルクには驚いたな。了承したのはいいが、次の日から初めて顔を合わせた使用人のように、よそよそしくなった。あまりの豹変ぶりに、エリスには俺がアルクを脅して言わせたと思われて、納得してもらうのに手間取った。……すごく」


 奥様を見ながら笑っている侯爵様。隣で頬を染める奥様。

 侯爵御夫妻にもそのように思われていたとは、申し訳なさすぎて、なんともいたたまれない思いだ。


「いずれにせよ、目を覚ました後のアルクくんは、私たちを昔のように『さん』付けで呼び、物腰も柔らかくなっていました。私たちに対する態度にしても堅さ、いえ、『警戒心』がとれたと言った方がしっくりくるでしょう。先ほどのようにイーラさんと楽しそうに話す姿は、昔のキミを見ているようでした」


 感慨深げにセイバスさんが語った言葉に、少し驚いた。


 確かに邪神様に会い、こちらに戻ってきたときから憑き物が落ちたような感覚がある。


 それにしても“警戒心”か。

 どうしてそんな態度を取っていたのか定かではないが、侯爵御夫妻をはじめ使用人の皆には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 僕の悩む様子を見たのか、執事長が声をかけてくれる。


「それでも、侯爵様や奥様、特にお嬢様に対する忠誠は、今朝も、そして今も本物です。君が侯爵様に訴えた言葉に偽りはなかった。だからこそ一度信じてみる気になったのです」

「それにしては、執事長さん。アルクんの頭、踏み潰そうとしてたよね」


 執事長の言葉に続いたのはヨヨさんだ。

 僕は頭を振りながらその言葉を否定する。


「ヨヨさん。それは違いますよ。セイバスさんたちは執事心得に従って、侯爵様をお守りしただけです」


 ん? そういえば。


「あれ? そのときって、ヨヨさん床に倒れてましたよね」と指摘すると、「あー。あれ? 気絶したフリ」と返事が返ってきた。


 開いた口が塞がらない。

 うん! 妖精の碑文削ったほうがいいと思う。過去に誰かを騙したとか、興味本位で悪事を働いたとかで、何かやらかしたんじゃないか? それを隠すために文献という名の証拠品を持ち去ったと考えれば納得できる。いやむしろそれに違いない。


 セイバスさんも執事スマイル(作り笑顔)を浮かべながら説明する。


「執事たるもの、仕えるご主人様を狙うような愚挙を犯す使用人や他国の使者くらい、躊躇ちゅうちょせず、完璧に、誰にも知られることなく、制圧できなくてどうするのですか」


 以前、執事長に教えていただいた執事心得には、『使用人』とか『他国の使者』という言葉入っていなかった。『誰にも知られることなく』って言葉もなかった。

 セイバスさん、それでは執事よりも暗殺者の心得に近いです。


「ま、そんなとこだな、アル坊」

「納得いただけましたか? アルクくん」

「お仕事じゃないときはお姉ちゃんで」


 僕のことをどう疑っていたのか理解した。三人にお礼を言うと深く深呼吸をして心を落ち着かせる。


 さて、次は僕の番だ。


「まぁ、待て。話す前にとりあえず皆、席に座れ。いつまでも立っていると疲れるだろう」侯爵様から声がかかる。

「旦那様、使用人を同じテーブルに同席させるなど」

「かまわん、さっきレイゴストも言っていただろう、家族同然だと。それは使用人の中だけの話ではない。いいからさっさと座れ。ヨヨ殿は申し訳ないがそのままでもよろしいか?」

「えぇ、かまいませんわ」


 そう言って僕の肩に手を置きながら笑顔で答える。


「イーラとメイドたちでお茶の用意を頼む。もちろん自分たちの分もだ」


 それだけ指示すると侯爵様と奥様はいつもの席へ。料理長(幽霊族って座れるんだ!)、執事長が座り、イーラさんとメイドさんらはお茶の準備中だ。


 皆が座ったのを確認してから僕も座る。


 各人にお茶が用意され(ヨヨさんは自前のコップを袋から出していた)、そのお茶を一口飲んで心を落ち着かせる。


 (そういえばこれ、紅茶だよな)


 飲んだ紅茶には毒がないことを確認する。もちろんこの茶葉にだけ毒がない可能性もある。あとで全部の食材をひとつひとつ調べないといけないだろう。


 ……僕が話した後も、侯爵家に居られたらだけど。

 皆が席につき、一呼吸してから話し始める。


 (さあ、覚悟を決めよう)


 皆の目が僕に集中していることを確認してから口を開く。


「実は、今の僕は前世の記憶を持っています」


 僕の一言で、衣擦れすら聞こえない絶対的な沈黙が食堂内に降りる。普段、外から聞こえてくる僅かな騒音すら聞こえない。


 その静けさが支配する食堂に、侯爵様の狼狽した声が響く。

 侯爵様は、僕の言葉を確認するように繰り返した。


「……前世の記憶だと?」

「はい。僕は以前、違う世界に生まれ、恐らくその世界で一度死んでいます。その後、邪神様にお会いしました。そして邪神様の手によって、僕はこの世界に魔族として転生したのです」


 侯爵様だけでなく皆もざわめき始める。僕の話を聞いても冷静な様子のセイバスさんが皆の声を静める。


「ゆっくりひとつずつ聞いていいか? アルク」


 息を飲み、声を落としながら侯爵様が僕に話しかける。


「はい。どうぞ」


「前世のことを全部覚えているのか?」

「いえ。全てを覚えているわけではありません。記憶が抜けている箇所がいくつかあります。事故で死んだはずですが、詳しくは覚えていないのです」


「違う世界というのは、このオノゴルト魔王国などの国ではなく、神域とか妖精界のような意味なのか?」

「はい、ほかの国とかではありません。世界そのものがここと違う場所にあり、僕はそこで生まれました」


「我々が住むこの世界とはどこか違うのか?」

「ええ。その世界ではここよりもはるかに高度な文明が発達しており、人族しか存在していませんでした。動物や鳥など、ほかの生命体はいましたけど」

「人族しかいない? ということは……」

「はい。僕も前世では人族でした」


 ここで一段と食堂内が騒がしくなった。皆、僕が人族だったことに驚いている。セイバス執事長だけがいつものように目を閉じ、微動だにしない。

 誰が言ったか、「勇者と同じ人族」という言葉が耳に入る。


「皆、静粛に。アルク、その世界に魔族は居なかったのか?」

「ええ。魔族という言葉はありましたが、あくまで“想像上の生き物”や“宗教”や“物語”の中の存在でした」


 魔族はいない、この一言でまた食堂は騒がしくなる。さすがにこのままでは話が聞きづらいと思ったのか、セイバスさんが声を落とすよう皆に伝える。そのおかげで食堂はまた静かさを取り戻した。


「ぐむぅ。魔族は滅ぼされたのだろうか」

「確実とはいえませんが、元から人族しかいなかった、と言われております。ほかの種族がいたと証明するものは何ひとつありませんでしたから」


「高度な文明と言っていたが、具体的にどのようなものか説明できるか?」

「そうですね……」


 少し悩むフリをしながら、どこまで言っていいのか考える。

 ここはあまり具体的なことは話さないほうがいいだろう、そう結論付けた僕は、建物の大きさについて話すことにした。


「そうですね。例えば、魔王様が住まわれるこの王都にある王宮『リモワール・ノイシュ城』の最も高い部分はおよそ六十メートルです。その三倍ほどの高さ、百八十メートル以上の建造物が建ち乱れる都市が各所にあるレベルの文明です」


「何ぃっ!」


 あれ? 具体的すぎた? まずかったかな。

 だが侯爵様は、声をあげた後、途端に興味を失ったかのように落ち着いた様子で話す。


「まぁ、いい。わかった」


 え? それだけ? なんかあっさり流されたけど。さっきの驚きの声はなんだったのだろう。


「アルク。前世の記憶があるのはわかった。倒れたときに邪神様にお会いし、記憶を戻していただいた。そしてティリアのことを聞いた。それで間違いはないか?」

「はい。間違いございません」


 皆の反応を待ってみるが、ほかに質問はないようなので話を続ける。


「僕に対する違和感は、邪神様によって前世の記憶が戻されたためだと思います。セイバスさんやイーラさんが感じたような“魂の色の違い”や“気配の違い”の原因は恐らく前世の記憶によるものと思います」


 皆、黙ったままだ。

 奥様は真剣な顔つきで話を聞いてみえた。セイバスさんは考えごとをしているかのように目を閉じたままだ。イーラさんやメイドさんは呆けたような顔で驚いていた。


 まあ、こんな話信じられないでしょうね、きっと。

 レイゴストさんはどうだろう、と目を向ける。


「なぁ、アル坊。その前世の記憶やら転生ってのは、よくあることなのか? ウソを言ってるなんていまさら思わないが、聞いたことがない話だ」

「邪神様のお言葉になりますが、転生者はまれにいるそうです」

「そうなのか。じゃあアル坊のように前世の記憶を持ったまま暮らしてる連中がいるかもしれないな」

「いえ、以前の僕のように前世の記憶を消してから転生させるそうです。それに、もし前世の記憶を持っていたとしても、僕と同じ世界の方であるとは限りません」


 この世界にある食材の名前は、僕と同じ世界から来た人間がつけたものと知ったら驚くだろうか。そう思っていると、今まで目を閉じていたセイバスさんから話しかけられた。


「そういえばアルクくんは『GPS』、と聞き慣れない言葉を口にしていましたね


 しまった! これはまずい。無意識のうちに喋ったか。


「アルク、GPSとは何だ?」


 どうやら気になる様子の侯爵様。侯爵様は珍しい魔道具とかお好きな方だ。先ほどから質問してくるのも侯爵様がほとんどだし、知らない世界の話に興味津々のようでらっしゃる。


「はい、GPSとは――」


 言いかけて、ふと邪神様の言葉を思い出す。いただいた前世の知識については他言無用という約束だった。


 だがこれは知識だろうか? 記憶だろうか? こういった判断はどこで線引きすればいいのだろう。


 さっき文明の差を説明するときに建造物の大きさを例に話したけど、実はあれも危なかったかも。あまり関心を持っておられなかったようなので助かったけど。


 一瞬、言葉に詰まったところに肩の上のヨヨさんが僕に向かって言った。


「アルクん。魔族の神様を信じておけばいいよ。神の力は偉大なりってね」

「どういう意味です?」

「大丈夫ってこと」


 自信ありげに言うヨヨさんだが、その自信はどこから出てくるのだろうか。


 とりあえず侯爵様には、言葉を選んでなるべく簡単に説明することにした。


「侯爵様、GPSとは自分の位置を把握できる魔道具の一種です」

「ほう! 魔道具! それは何の役に立つ?」


 身を乗り出し、目を輝かせている侯爵様。


「はい。例えば侯爵領から王都まで旅をする場合、王都に到着するまでに必要な日数や、その距離がわかります」


 かなり言葉を選んで話したけど大丈夫だろうか。元は軍事利用目的でした、なんて言えないし。この世界なら衛星がなくても魔道具で代用品を作ってしまいそうだ。


 邪神様は、こっちに持ってこられる知識は消したって言ってたけど、僕では何が削除されているのかまではわからない。知識があっても、「部品ないし作れないならそのままでいいや!」ってことで放置したままじゃないことを祈りたい」


「そう……か。セイバスがいれば十分だな」

「お任せください、旦那様」と恭しく一礼するセイバスさん。


 侯爵様の様子がおかしい。

 先ほどまで目を輝かせていた侯爵様はどこへやら。急に熱が覚めたような感じだ。魔道具好きの侯爵様でも、さほど興味が湧かなかったのだろうか。


 GPSは、使い方次第で物流にも利用できるし、軍の部隊が今どこにいるのか正確に把握できるほどの優れもの。自分の位置がわかる、その重要さに侯爵様や執事長が気づかないはずはない。


 そういえば、ヨヨさんが“大丈夫”だと言っていた。これがヨヨさんの言ってた“神の力は偉大なり”ってやつなのだろうか。


 それにしても、人のいる場所では前世の知識や言葉を話さないよう十分気をつけなくてはならない。聞かれても言ってることは理解できないだろうけど、面倒をひき起こす可能性は極力排除するべきだ。


「ねぇ~、アルクちゃん。邪神様から前世の話を聞いたのよね~? 魔族のこともティリアちゃんのことも」

「はい、そのとおりでございます。奥様」

「あら~、イーラちゃんたちと同じように普通に話してくれてもいいのに~。アナタ、今までの話を聞いてアルクちゃんに何か問題ある~?」

「いや、全く問題ない」


 ええぇ!? 前世の話は? 記憶は? 転生については?

 僕は元人族ですよ。魔王様と戦った勇者と同じ種族なんですよ。


「なあに、アルクはアルクだ。見習いとはいえ、ティリアの専属執事であることは変わらない。それに私は、私たちは、お前の忠誠を知っている。これからもティリアをよろしく頼んだぞ」

「そうよ~、アルクちゃん。これからもティリアちゃんのことよろしくね~」


「旦那様方がよろしければ私から申し上げることはございません」

「よかったな、アル坊よぅ」

「何かあったらお姉ちゃんに相談しなさい」


 使用人たちやメイドさんたちも手を叩きながら笑っている。

 ヨヨさんも晴れやかな顔をして僕たちの様子を見ている。


 (だけど、そんな……)


 僕は二度と、もう二度と皆と一緒に居られなくなることを覚悟した。お嬢様にお仕えすることもできなくなるのだ、と覚悟をしたのだ。


 僕はここにいてもいいのだろうか?

 僕はお嬢様の執事でいいのだろうか?


 狼狽うろたえる僕に向かってセイバス執事長が言う。


「アルクくん、君はお嬢様の執事として自覚が足りないようです。執事たるもの、仕えるご主人様のため、前世の記憶があるくらいで執務をおろそかにしてどうするのですか。お嬢様に誠心誠意お仕えし、お嬢様自らアルクくんをお認めになられてこそ“専属執事”を名乗ることができるのです。アルクくんはまだまだ見習いとしても未熟です。明日からは今まで以上、厳しく教えますから覚悟しておきなさい」


 セイバス執事長の言葉に胸が張り裂けそうだ。

 明日からも執事について教示してくださる。

 明日からもお嬢様にお仕えできる。


 椅子から立ち上がり姿勢を正した。


「僕は、いえ私は、侯爵家に仕えること、お嬢様の専属執事見習いとして仕えること、使用人の皆さんと一緒に働くことができて本当に幸せです。これからもご指導のほどよろしくお願いいたします」


 目頭からあふれ出そうな涙をこらえ、一礼する。


 僕はなんて幸せ者なんだろう。

 僕は捨て子で本当の両親や家族を知らない。侯爵家の前に捨てられていた僕を、侯爵家御夫妻は暖かく迎え入れて下さった。侯爵家御夫妻をはじめ、今日まで僕を育ててくれた使用人の皆に恩返しをする機会も失わずに済んだ。


 僕には侯爵家の皆がいる。

 僕は一人じゃない。


 僕は侯爵家にこれまで以上に誠心誠意仕えることを誓う。

 そしてこの大切な家族を命に変えても守ろうと思う。

 前世の記憶があろうとも転生した身であろうとも関係ない。


 僕は僕。アルクはアルク。



 これからもお嬢様の専属執事見習いとして仕えることができる。まずはお嬢様が健やかに暮らしていけるよう全力を尽くそう。


 執事たるもの、お嬢様にご満足いただける食事のひとつくらい用意できなくてどうするのですか、だ!



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