09.雪化粧
募る想いの意味に今はまだ蓋をして。気付かないふりする。そうしなければ、きっと心が悲鳴をあげるから。
その日、ルイは日課の午後の散策に向かっていた。昨日は花園に行った。今日は薔薇園に行こうか。いや、今日は冬の花を見に行こう。そう決めて、ルイは少し奥まった所にある森の中に分け入った。
そこには、椿の花が咲き誇っていた。散策中に偶然見付けた場所だ。
「そういえば、椿も“赤”だわ。」
椿の赤に触れ、ルイはふと、自分が赤に拘っていた事を思い出す。だが、この赤でもないらしい。
「薔薇の次は椿か。」
「セト様!?」
「お前は・・・。」
振り返った先にいた野獣の名を呼べば、彼は青い瞳を瞬かせた。そんな彼にきょとん、としていると小さなため息をつかれ、「いや、いい」と、首を振られた。益々頭にクエッションマークを浮かべるが、答えてはくれなさそうな事にまあ、いいかと流すことにした。
「お前は花が好きだな。」
「はい!この城のお庭はお花が沢山で素敵です!」
花の様な笑顔とはこの事を言うのだろうか。柄にもなくそんな事を思う。
ルイは自身が気にしているように、華やかな方ではない。けれど、年相応の娘らしい魅力を持っている。十分、美しい花だ。何より、ルイの笑顔は温かい。
以前一度、名を呼ぶなど怒鳴りつけた事があった。けれど、ルイはそれ以降も自分を「セト」と呼ぶ。だが、不快だと思っていたはずのその名も、ルイに呼ばれるのは嫌ではない。
あの日、塔の上から降りられなくなったルイに名前を呼ばれた時、その声に名前を呼ばれたことを心地良いと感じてしまったのだ。
自分で思っていたよりも、自分はこの娘の存在に振り回されているらしい。
「ルイ。」
名を呼べば、花に向いていた視線が勢いよく、自分の方へと向いた。白い彼女の頬が色づいて見えるのは気のせいだろうか。
「・・・何を呆けた顔をしているんだ?」
「い、いえ。何でもありません。」
「?まあいい。ルイ、いいものを見せてやろう。」
「いいもの?」
こてり、と首を傾げる仕草が幼く、愛らしく、野獣は頬を和らげる。毛深く覆われていて、ルイにはその変化はいまいちわからなかったが、なんとなく、笑ってくれた気がして、自然、笑みが浮かぶ。
「是非!」
答えれば、満足気に頷いた野獣が大きな手を差し出す。本人自身も意識していない自然な動作に、彼が上流階級の人間であることを匂わせる。
差し出された手に手を重ね、2人連れだって歩き出す。それは、この城に来て、初めての事だった。
野獣に導かれるまま、森の中を進んでいくと、開けた場所に出た。そこには、大きな湖があった。
「わあ!」
ルイは野獣から手を離し、一目散に湖に近づく。
日の光を浴びて輝く湖面。水は澄んでいて、魚が泳いでいるのが見える。手を伸ばそうとして、はっとする。普通の貴族令嬢はこんな所に座り込んだり、湖に手を伸ばしたりはしない。はしたない、と思われただろうか。
「水に落ちるなよ。」
「え?」
「何だ?触れたいんだろう?」
野獣の問いかけにこくり、と頷けば、冷たいから気をつけろ、と言われた。はしたない、とかそんな事は言われなかった。そんな事がどうしようもなく嬉しくて、ルイはふふっと笑みを浮かべる。そして、湖面に手を伸ばし、湖に触れた。キンッとする様な冷たさに、「冷たい。」と、当たり前の事を口にして、また笑う。
「さて、お前に見せたいのはここからだ。」
そう言って野獣は指をパチンッと鳴らした。瞬間、湖面は凍り、辺りに雪が降り始めた。あっという間に辺りは一面雪景色に変わった。
「綺麗・・・。」
自分の濃い青とは違う、空色の瞳をキラキラと揺らめかせ、雪景色に見入るルイの横顔にらしくないながらも、やってよかったと思える。
「セト様!スケートしましょうよ!」
「落ちるのは嫌だからやらん。」
遊びに誘うルイにきっぱり断りをいれると、頬を膨らませる少女に思わず笑ってしまう。ならば雪だるまを作るとばかりに雪玉を転がし始めるルイを微笑ましく見つめる。時折、こちらの視線に気がついてか、少し恥ずかしそうに微笑みを向けてくれる。
「ルイ。」
名を呼び、手を伸ばせば、彼女は自分を恐れるどころか、嬉しそうに、頬を緩めて差し伸べた手に何の戸惑いもなく、手を重ねてくる。それをくすぐったく感じながら、その温もりをそっと握る。反対の手で頬に触れれば、随分と冷えてしまっていた。
「戻ろう。夕食の時間に間に合わなくなってしまう。」
「あの、あの、セト様。」
「何だ?」
「今日は素敵な魔法を見せてくださってありがとうございます。あの、また見せて下さいますか?」
「・・・・・・そうだな。今度は皆で雪合戦でもしよう。」
「はい!」
満面の笑顔で頷くルイに野獣は青の瞳を細める。握った手の中指に収まる、契約の指輪。これはルイに取ってはここへと縛る枷でしかない。けれどそれだけが、自分とルイを繋ぐ唯一の物。
いつか、この指輪を外す日が来る。その時、自分はこの少女の手を離すことが出来るだろうか。
成り行きで預かることになった少女。興味など欠片もなかった。けれど、少女が与える他愛もない日常が、微笑みが、自分の心を満たしている事に、彼は気づき始めていた。