08.訪問者
「こんにちは、お嬢さん。」
突然目の前に現れたその人は、人懐っこい笑みを浮かべていた。
男がルイの前に現れたのは、昼食を終え、日課の散策を行っているときだった。お気に入りである野獣の魔法が生み出した冬の花園でルイは花を愛でていた。ここの花で花冠を作って渡したら、あの人はどんな顔をするだろうか。怒るだろうか。呆れるだろうか。莫迦なことをと、苦笑いでも良い。笑ってくれるだろうか。
そんな事を考えているときだった。地を踏みしめる音に振り返れば、見覚えのない男がいた。焦げ茶色の髪を後ろで無造作に束ねている一見すると粗暴に見えるが何処か品のある、アンバランスな男だった。
「誰、ですか?」
ここは魔法の城。そう易々と人が入ってこれる場所ではない。
まさか、父が野獣との約束を破り、自分を連れ戻すために雇った人間だろうか。連れ戻されるのか、と。野獣はどうなるのか、と考えた自分にルイは驚く。
あんなに帰れないことを嘆いていたのに。あんなに、野獣を恐れていたのに。
「ああ、そんなに警戒しないで。俺、旦那の客人だから。」
「招かれざる客、だけどね。」
男の後ろから歩いてきたランの姿に、ルイは知らず詰めていた息を吐き出す。見知らぬ人物の登場に、自分はかなり緊張をしていたらしい。
「ごめんね、ルイ。不躾な男で。あとでしっかり躾ておくから。」
「おい、やめろ。俺はお前とは関わりたくないんだ。」
ぶんぶん、と音がしそうな程首を振る男に、冷たいな~、と意に介した様子もなくいつものにこにこ笑顔を浮かべている。その笑顔が逆に怖いのは何故だろうか。
「それより、仕事をしに来たのだろう?下らない情報しかなかったら、躾と称して手元が狂っちゃうかもね。」
「躾で手元が狂うってどういう事!?それ、最早躾じゃないよね!?」
「ぎゃんぎゃん喚かないでくれる?犬。」
「おい、誰が犬だ!俺は立派な情報屋だぞ!」
「はいはい。立派かどうかは持ってきた情報で判断させてもらうよ。あ~、鬱陶しい。セトもこんな奴呼ばなきゃいいのに。」
そう文句を零しながらも、一応野獣の元に連れて行く気ではあるらしい。男に向けた背中がさっさと付いてこいと言っている。
「相変わらず口の悪い奴だな。・・・それじゃあ、お嬢さん。また、夕飯の席でお会いしましょうね。」
ルイに手を大きく振りながらセトについて行く男を呆然と見送りながら、ランは怖い時も笑うのだな、と彼の笑顔の裏側に戦くのだった。
ランに通された部屋に足を踏み入れると、依頼主が窓の外をじっと見つめていた。姿は醜い野獣の姿をしているというのに、彼の持つ凛とした姿は変わらない。城に仕えていた頃のままだ。
「セト、お待ちかねの情報屋だよ。」
「ああ、来たか。久しいな、リツ。」
窓からこちらに向けられた視線にお久しゅうございます、とリツと呼ばれた男は恭しく頭を垂れた。
「庭でお会いしましたよ。彼女が件の少女ですね。」
「ああ。」
「可愛らしいお嬢さんですね。」
「・・・・・・下らん話は良い。俺が欲しいのはお前の持つ情報だ。」
「失礼致しました。」
野獣がソファに腰掛け、リツは許しを得てから対面のソファに腰を下ろした。ランは主である野獣の傍らに立ち、ちらり、と先ほどまで野獣が眺めていた窓の外を見る。
眼下には先ほどまで自分がリツを迎えに行った、野獣自身気に入っている魔法の花園。そこではまだ、ルイが花を愛で楽しんでいた。貴族の令嬢なら決してしないだろうが、その場に座り込み、花を摘んでは何かを作っているようだ。
父親の代わりにこの城に留まることとなったルイ。定められたルールの中、家族とも引き離され、ただ一人、野獣の城で暮らす少女は、初めこそ怯え、暗い表情をしていたが、今は笑顔を見せることの方が多い。何より、彼女の口からセトの名が出る事が増えた。
彼女は、打算も計算もなく、セトに近づきたいと願っている。知りたいと、望んでいる。それはランにとって実に喜ばしい事だった。従者である自分やユキでは与える事の出来ない人の温もりを、セトに思い出して欲しかった。セトを縛る呪いから、彼女なら解きはなってくれるのではないかという期待がランの中で高まっていく。
セト自身も、決して認めないが、ルイの存在を気に掛けている。今だってそうだ。彼は自分たちがここに来るまでの間、ここで、ルイを見守っていたのだろう。
「不要な情報やもしれませんが、ハウゼン家についても情報を仕入れて参りました。」
「ああ。約束を守ってか大人しいようだな。」
「まあ、どっかの腹黒が話せないように魔法をかけた事もありますが、娘の命がかかっていますからね。ただ、諦めた訳ではない様ですので、ご用心を。」
「ああ。聞き留めておこう。」
「では、本題に・・・。」
リツの話す情報に耳を傾ける主の表情は変わらず無表情で、何を考えているのかはランにもわからない。これから彼がどうするつもりなのかも。
問題は山積みだ。心の中でそう呟き、ランも男がもたらす情報に耳を傾けた。
夕食の席にルイがユキを伴って着いた時には、昼間会った男が既に腰を下ろしていた。ルイの姿を見ると、彼はやあ、と片腕を挙げた。
結局彼が何者なのか知らぬルイとしては、ただ困るばかりである。そんな彼女の様子に気がいてか、彼は席を立つとルイに歩み寄り、手を差し出してきた。
「俺はリツ。旦那に雇われている情報屋だよ。」
「ルイです。私は、えっと・・・。」
まさか人質とは言えない。それに、人質と称するには、ここの人たちはあまりに優しすぎる。
自分を何と紹介すればいいかわからずに頭を悩ませていると、目の前の男はクスクスと笑い出す。
「俺は情報屋だよ。お嬢さんの身の上ぐらいは知っているよ。それから、久しぶりだね、ユキちゃん。」
「お久しぶりです、リツ。海の藻屑となっておらず何よりです。」
「育ての親も育ての親なら子も子だな。何の君たち。何でそんなに俺の事嫌いなの!?ね!お嬢さん!酷いよね、今の言い方!」
ものすごい勢いで詰め寄られ、苦笑いを浮かべながら後退る。そんな2人の間にユキが割って入る。
「ルイ様に絡むのは辞めていただけますか。汚れます。」
「酷くない!?」
「お前たちは何を騒いでいるんだ。」
呆れたようなため息と共に、現れたのは野獣だった。その傍にランも控えている。2人で何か話をしていたのだろうか。それより何より、野獣がこの食事の場に現れた事にルイは瞳を見開き、瞬きを繰り返した。
この城に来て、食事の席に野獣が現れるのは初めての事ではないだろうか。
「旦那!酷いんですよ、ユキちゃん!俺が近づくとお嬢さんが汚れるとか言うんですよ!」
「・・・・・・。」
「なんすか、その納得、みたいな顔は!」
「喚かないでくれるかな、犬。わざわざセトが食事の席を設けてくれたんだからさっさと座りなよ。」
「お前は俺に何の恨みがあんだよ!」
「絡むなよ。俺なりのスキンシップさ。」
「笑顔で寒々しい台詞を吐くんじゃねぇよ!」
ポンポンと繰り返される応酬にルイは目が点になる。どうしていいかわからず立ちつくしていると、お前らな、という野獣の呆れた声が漏れる。助けを求めるようにそちらを見やれば、青の瞳と目が合う。どきり、と心臓が跳ねた。
「ランとリツに構わなくていい。食事にしよう。」
「はい。」
未だ言い争い(リツがひたすらランに噛みつき、ランが更に煽っている)は続いているが、ルイは野獣の言葉に頷き、席に着く。ユキは野獣とルイの双方のグラスに飲み物を注ぎ、一歩下がった。
「あー!ずるい!俺も食べたい!」
「お前が言い争いを続けているから先に食事を取っていただけだ。食事中は黙って食え。」
「へいへい。相変わらず無愛想な人だな。ねぇ、お嬢さん。」
「え・・・。」
「ルイに構うな、阿呆が。」
突如呼ばれた名前にどきり、とまた心臓が跳ねる。
この人はずるい、と思う。近づかせてはくれないくせに、時に優しく名前を呼ぶ。近づいたかと思えば、離れる。いつまで経っても、あなたに届かない。
そんなルイの気持ちなど、きっとこれっぽっちも知らないのだろう。
時が流れるにつれ、ルイの心は変化していく。日々募るこの想いの意味をルイはまだ知らない。まだ、知りたくないと、蓋をしている。