06.塔の上のお姫様
「困ったわ。」
ルイは言葉通り困っていた。とても、とても。
今日は何処を探索しようか、と城内をフラフラしていたルイは結局、書庫に行った。けれど、あまりにも天気が良く、外の方が心地よさそうだったので、本を外で読むことにしたのだ。そして、何処で読もうかとまたフラフラと歩いていると、木が重なりあって、スロープの様になっている場所を見付けた。これは面白そうだ、と登っていった結果、ものすごく高いところまで上がってきてしまった。そこは、城の天辺にも近く、城が一望出来た。景色が綺麗な事はいい。問題は・・・。
「高い所がダメだということを忘れていたわ・・・。」
つまり、腰が抜けてしまったのだ。登るときは一心不乱で気付かなかったが、木だけで出来ているスロープを下りるのはかなり怖い。
「・・・ランかユキが気付いてくれるのを待つしかないわね。」
幸い、今いる場所は危険という訳でもない。なるべく周りが見えない場所へ腰を下ろし、手に持っていた本を開いた。出来ることなら、夕飯の時間前に見付けて欲しい。遅れたらどうなるか、想像したくない。
19時の鐘が鳴る。とうに本は読み終えてしまった。たとえ読み終わっていなくても、この暗さでは見えないだろう。真冬の夜はかなり冷える。ショールは羽織ってきていたが、これでは風は防げない。
夕飯の時間が過ぎた自分を、誰かが心配して探してくれるといいのだが。
ああ。そう言えば昔、こうして帰れなくなった事があった。家族とはぐれ、森の中でひとりぼっち。寒くて、怖くて、泣くことしか出来なかった。
・・・あの日、どうやって家に帰った?誰が迎えに来てくれた?
「・・・赤。」
そうだ。赤い、赤い何かが目の前に沢山広がって・・・。それで?
思考が渦を巻く。ぐるぐる、ぐるぐる。忘れていた何かが溢れ出そうになる。
「赤い。赤い。赤い・・・。」
ルイは何度も同じ言葉を繰り返す。思い出してはダメだと警告音がする。なのに、赤が頭を染める。
「あか、あか、あかが・・・。」
「ルイ。」
名前を呼ばれた。絶対に呼んではくれないと思っていた人が。名前を呼んだ。
「セ、ト、さま?」
思考がぼやけている。目の前にいるのは、醜い野獣。けれど、その青い瞳は少しも醜くはない。だからか、ルイは恐怖しなかった。それどころか、その青い瞳に思考を塗りつぶそうとしていた赤からすくい上げられた。
涙が一筋頬を伝う。
「何故泣く?」
「わかりません。ただ、なんだかとてもほっとしたら、涙が・・・。」
後から後から、涙が溢れ出る。そんなルイの姿に野獣は小さなため息をつくと、自分よりもずっと小さいその存在を優しく抱き上げた。
「!?」
驚いたルイは落ちないように慌ててその体にしがみついた。
「馬鹿な娘だ。高い所がダメなら、こんな所まで来るんじゃない。」
「はい。すみません。」
「もう、大丈夫だ。」
「はい。ありがとうございます。」
怖くない。この人がいれば、この場所も、あの赤も怖くない。
ずっと恐怖していたはずの野獣の姿に安堵を覚えている自分に少し驚きながらも、その温もりに甘えるように、ルイは野獣の胸に顔を埋めた。
居間に入ると、ランとユキがほっとした表情で駆け寄ってきた。ルイは未だ、野獣の腕に抱かれたままだ。
「ルイ、心配したよ。何処に行っていたんだい?」
「塔の一番上にいた。よくもまあ、登ったものだ。」
「夕飯に遅れてしまって、すみません。」
憔悴しきっているルイの頭をランは優しく撫でた。無事ならそれでいいよ、と笑ってくれる彼になんとか笑みを返す。
「ルイ様、体がとても冷えています。いくら主がふかふかの毛皮でも、お風呂に入らねば、風邪を引いてしまいます。」
「ユキ。軽く傷つくぞ、今の発言。」
「何がでしょう?」
こてり、と首を傾げ、心底不思議そうに自身の顔を見あげるユキに、もういい、とため息を零し、ルイをそっと下ろす。腰が抜けていたらしい彼女は地面に下ろすと、ふらり、とよろけた。それをユキが支える。
「あの、セト様。見付けて下さり、ありがとうございました。」
ご迷惑をおかけしました。そう言って頭を下げるルイに野獣は小さくため息をつく。
「いいから、早く風呂に入れ。」
「行きましょう、ルイ様。」
ユキに促され、ルイは自室の方へと連れて行かれた。
「珍しいね、セトが探しに行くなんて。」
食卓の席につき、食事を始めた野獣にランがそう言って微笑む。実に満足げだ。忌々しい、と思いながら黙って食事を続ける。
今は深夜。結局、ルイは風呂に入りそのまま寝てしまった。相当疲れたのだろう。いや、それだけではないのかもしれない。
ルイを見付けたときの彼女の異常な様子。何度も何度も何かを呟いていた。
「ラン。あの娘、ハウゼン伯爵の娘と言っていたな。」
「ルイ?そうだよ。ハウゼン伯爵家の三女。噂ではかなり酷いこと言われてたからどんな子かと思ってたけど、普通に良い子だよね。」
むしろ、素直で、可愛くて、俺は好きだよ。そう言って聞いてもいない感想を述べてくるランにああ、そうかい、と適当な相づちを返す。
「過去に何か大きな事件に巻き込まれたとか、そういうことはないのか?」
「どうしたのさ、いきなり。ルイに興味が出てきた?」
「いいから。」
「俺も詳しい話はよく知らないけど、ルイがまだ幼い頃に母親が死んでいるらしいよ。しかも、かなり酷い殺され方をしたらしい。そして、犯人は今も捕まっていない。」
「・・・ラン、その事件。もう少し詳しく調べられるか?」
「時間はかかるかもしれないけど、やってみるよ。ただし、何でそんな事を言い出しか教えてくれたらね。」
にっこり、効果音のつきそうな笑顔を浮かべて言う従者に、野獣は舌打ちをする。
「塔の上で見付けた時、様子がおかしかった。ちょっと気になっただけだ。」
「ふ~ん。よしよし。調べてあげよう。セトが彼女に興味をもってくれてよかったよ。」
上機嫌な従者に対し、野獣の機嫌は急降下を辿る。
厄介な娘を抱え込んだかもしれない。そう思う。それは、彼女の抱える過去がどうこうではない。彼女が自分に見せた安堵の表情。人の温もり。それは今まで、彼が遠ざけてきたものだ。
自分に怯えていてくれればいい。そうすれば、彼女を傷つけることも、己が傷つくこともきっとない。