04.薔薇の庭園
窓から差し込む日の光で、ルイは目を覚ました。
自分の知らないベッド。自分の知らない部屋。やはり、昨日の事は夢ではなく、自分は野獣の城にいるのだという事実を再確認して、ルイの胸に朝から暗い思いが渦めく。
「確か、7時から朝食と言っていたわね。」
その席に、野獣も現れるのだろうか。日の光と野獣。何だか不似合いな気がして首を傾げる。
「さて、支度をしなくては。」
時計の針は6時を差してはいるが、女という生き物は支度に時間がかかる。髪を梳かしたり、さすがにすっぴんではいられないので、軽く化粧を施したり、ドレスを着るのだって幾分かの時間が必要だ。
「でもやっぱり、どのドレスも気後れしてしまうわ。」
タンスの前に立ち、煌びやかなドレスを前に、ルイは尻込みする。綺麗な物は好きだ。可愛い物も。だから目の前のドレスも綺麗だし、着てみたいとは思うが、自分にはやはり不相応な気がして、袖を通しづらい。
「ルイ様、お目覚めでしょうか?」
扉をノックする音に続けて聞こえてきた声に、ルイはそうだ、と思いつき、扉を開けた。
「おはようございます、ルイ様。」
「おはようございます、ユキ。あの、早速で申し訳ないのだけれど、お願いがあるんです。」「はい?」
先ほどまでルイが頭を悩ませていた場所で、今度はユキが首を捻って頭を悩ませていた。「私の着るドレスを選んで欲しいの。」
そう願えば、侍女の役割を担うことになったユキは断ることも出来ず、ルイに似合うドレスを選ぶことになったのだが、如何せん、今まで同年代の女の子と接した事のないユキには、なかなかに難題だった。
「あの、ユキ、ごめんなさい。何だか、迷惑をかけてしまって・・・。」
真面目な性格なのだろう。無表情の中に苦悩の表情を浮かべて悩むユキの姿に申し訳なさが募る。
「いえ。私はルイ様の侍女ですので、これくらいは出来るようにならなければ。」
「ユキは今まではどんな役割を担っていたの?」
「私は主に、この城の炊事、洗濯、掃除を行っておりました。なので、こういった事はしたことがなくて。申し訳ありません。」
表情に変化はないが、なんとなく落ち込んで見えて、ルイは慌てて首を横に振った。
「あ!じゃあ、ユキは私には何色が似合うと思う?」
そう言って微笑みかければ、ユキはじっとルイを見つめ、「空色。」と呟くように言う。
「空色がお似合いかと思います。ルイ様の瞳の色は澄んでいて、とても綺麗ですから。」
真っ直ぐにそんな言葉を向けられ、ルイの頬に熱が集まる。そんな風に誉めてもらった事はなかったから。
ルイが戸惑っている内に、ユキはドレスを決めた。
「ルイ様。」
差し出されたそれは、淡い水色のシフォンドレス。ふんわりとしたスカートがまるで雲の様。滑らかな生地が高級感を伝えてくるが、煌びやかな装飾などはほとんどなく、抵抗感も薄らいだ。
「ありがとう、ユキ。」
ユキに礼を言い、早速着替え始める。自然な動作で手伝ってくれるユキに感謝しながら、ドレスを着て、髪を結い上げる。普段は無造作に下ろしていることがほとんどだが、それも失礼かと思い、サイドに編み込んで三つ編みにした。
「ルイ様は髪結いがお上手ですね。」
「一番上の姉が身だしなみは大事よって教えてくれたの。」
「そうですか。」
鏡に映る自分を見て、姉を思う。どう、姉様。私も一人で髪結いが出来ましたよ。と、聞こえるはずはないけれど、そう心の中で話しかける。
支度を終え、大広間へと足を向ける。そこには、長いテーブル。両端には、一人分ずつ、朝食が準備されていた。
「やあ、おはよう、ルイ。昨晩はよく眠れたかい?」
「おはようございます、ラン。十分睡眠がとれました。」
「そう。それは、良かった。では、朝食をどうぞ。」
椅子を引き、座るよう、ランに促されるまま椅子に腰掛け、反対側の席に誰もいない事に戸惑うと同時にほっとする。
「あの、あの方は・・・。」
「ああ、セト?あいつはいつも遅れるんだ。気にせず、温かい内に食べなよ。」
「え、でも・・・。」
「ルイ様。スープが冷めてしまいます。」
「はい、すみません。・・・いただきます。」
結局、ルイが食事を終えても、野獣は姿を現さなかった。
ルイは、片付けに入るランとユキに一声掛け、さっそく城の散策をする事にした。何処から行こうか、と考え、まず外に出てみることにした。
昨夜見たときは漆黒に染まり、ただ恐ろしいだけだったはずの場所だが、綺麗に整えられた庭園は実に美しかった。その一角に薔薇の花園を見付ける。
「綺麗。」
真っ赤に染まる薔薇は実に美しかった。吸い寄せられる様にその花弁に触れる。
「間違っても抜こうとするなよ。」
突然聞こえてきた声に花弁に触れていた手がぴたり、と動きを止める。恐る恐る声のした方を見ると、庭園の中から野獣が現れた。
薔薇と野獣。似合わないようで、何故かぴったりに思えた。
「朝食、お食べになったのですか?」
「お前には関係あるまい。」
「失礼致しました。」
そう言って俯けば、苛立たしげな唸り声が聞こえた。びくり、と体を震わせれば、遠ざかる足音。
「あの、セト様。」
「名前を呼ぶな!」
身を震わせる程の咆哮に、ルイは口をつぐむ。
「それは人間の名前だ。もう俺は、人間じゃない。」
怒りに震える声は恐ろしいのに、酷く悲しげで、その大きな体がとても小さなものの様に見えた。
人間の名前。もう、人間じゃない。では、以前は?あなたは一体何者で、あなたは誰なのですか?