21.長月の夜明け
踊り場の階段前で待っていると、ボロボロの姿をしたセトが、ひどく疲れた様な、悲しそうな、安堵したような・・・。とにかく沢山の感情を含んだ表情でゆっくりと階段を下りてきた。
無事であるその姿にほっと安堵の息を吐き、ルイたちはセトに駆け寄る。
「セト。ミコトは?」
「自ら、命を絶った。」
そう言って、悲しみも涙も見せないまま、セトは淡々とミコトの最期を語った。
最期の時、自分たちのよく知る、ミコトに戻った事。互いに愛していた事を告げた事。満足そうに微笑んで逝った事。
「そうか。」
ランもリツもルイもそれしか言えなかった。セトに掛ける言葉が見つからなかった。そんな3人の様子に気付いてか、いいんだ、とセトは、自分に言い聞かせる様に呟いた。
「いいんだ。これでミコトはもう、誰も傷つけなくてすむ。それは、ミコトの望みでもあったんだから。」
そう言って、セトは微笑むと、傍らで心配げに自分を見つめるルイの頬の傷に手を伸ばした。びくり、とルイの肩が揺れる。
「やはり、痛むか?」
「ふぇ!?う、す、少し・・・。」
声は知っているセトのものなのに、その姿は整った顔立ちの青年のもので、ルイはドギマギしてしまう。
先ほどまでは勢いで接してしまっていたが、目の前のセトの姿にドキドキが止まらない。触れられる温度が胸を疼かせる。
頬が焼けているように熱い。真っ直ぐに青の瞳を見返す事が出来ず、ルイは視線を彷徨わせる。そんな彼女の姿に、セトはむっとする。
「何故こちらを見ない。」
「うぇ!?み、見てますよ!?」
あたふたするルイに、はあ、と大きくため息をつくと、その小さな身体を担ぎ上げた。
「うひゃ!?」
驚きの声を上げるルイに暴れるな、と一言告げると、微笑ましげにこちらの様子を見ている2人の従者に睨みをきかせる。
「ラン、お前はユキに一晩ついていてやれ。なんならリツもつけてやるぞ。」
「あっはっは。冗談。こんな変態、ユキに近づけるわけないでしょ。」
「意地でもまとわりついてやるから安心しろよ。」
笑って睨み合う従者に小さくため息を吐く。とりあえず、この2人にこれからの時間を邪魔されなければ何でもよかった。
「俺の部屋は酷い有様だからルイの部屋へ行こう。」
「え?え!?」
「セト。」
「ルイの治療とミコトの事を話すだけだ。・・・たぶん。」
最後の方は小さい声で言うが、半獣のランには聞こえていたらしく、セト、と厳しめに再度名前を呼ばれた。小さくため息を吐きながら昇り掛けた階段で振り返る。
「いいから、早くいけ。」
「はいはい。・・・もう、手放しちゃダメだよ。」
「・・・・・・。」
「セト様?」
不思議そうに自分の名前を呼ぶ少女にセトは微笑みかける。青い瞳を細めて笑うセトの表情はとても優しくて、胸の奥がぎゅう、となった。
部屋に入ると、セトによって、優しくベッドへと座らされた。彼は何処から取り出したのか、救急箱を持ってくると、ルイの至る所にある傷を治療し始めた。
一つ一つの出血量はそこまで多くはないが、白いルイの肌に幾筋も出来ている赤い傷は痛々しくて、自然、セトの眉が寄る。
「セト様?難しい顔をされています。」
セトの顔を覗く込むように首を傾げたルイが心配そうに手を伸ばす。優しく頬に触れるルイの手に片手で触れ、その手をそっと口元まで移動させると、掌に吸い付くように口付けた。びくり、とルイの肩が震え、怯えたように、手が引っ込もうとするのを強く握ることで押しとどめる。
「セ、ト様・・・?」
頬を薄紅に染めるルイに愛しさが募る。本当なら今すぐその小さな唇を塞ぎ、舌で咥内を堪能し、その白く柔らかな肌を撫で、まだ誰も聞いたことのないだろうルイの艶やかな声を聞きたい。全てを自分のものにしてしまいたい。
自分はそこまで、この少女に溺れていたのだと、今この時、初めて知った。
熱の籠もるセトの青い瞳に怯えると共に、ルイは疼くような熱を感じていた。期待と不安に身体が震える。この人にこれ以上触れられたら、自分はどうなってしまうのだろう。掌に口付けられただけでこの様だと言うのに・・・。
「ルイ。・・・俺が、怖いか?」
突然の質問に、ルイは瞳を瞬かせる。青い瞳に陰りを見付け、ルイは慌てて首を横に振った。怖いなど思うはずがない。
「どうして、そんな事を聞くのですか?」
「・・・お前には沢山怖い思いをさせてきた。野獣の姿で、言葉で、脅して、閉じこめて。」
「でも、それをやりたくてやっていたわけじゃないって知ってます。何より、セト様は優しくして下さいました!何も持たぬ私に、優しくして下さいました!」
必死に言い募るルイの言葉を、セトは優しい表情で、でも、何処か諦めるような瞳で聞いていた。それが悲しくて。セトが何処かに行ってしまいそうで。ルイは目の前の彼の両腕を掴んだ。
「ありがとう。だけど、俺は、結局、ミコトを救ってやれなかった。それどころか、最愛の人を壊してしまったんだ。お前の母上があんな悲惨な最期を迎えたのだって、元を辿れば俺のせいだ。俺の手は、血で汚れているんだよ。」
「違う。違う。全然、違う!ミコトさんだって、そんな風に思ってない!そんな風にあなたに思って欲しくて、命を絶ったわけじゃない!」
強い否定の言葉に顔を上げれば、ぽろぽろと、ルイの空色の瞳から涙が零れ落ちる。
「お願い、ですから・・・。1人で全ての罪を背負おうとしないで。全部を、あなたのせいにしないで・・・。」
呆然と自分を見つめる瞳は涙は流れていないけれど、泣いているみたいで。まるで、迷子の子どもの様だった。どうすれば、伝わるだろうか。どうすれば、彼をつなぎ止める事が出来るだろうか。
「・・・・・・好きです。」
「え?」
「好きなんです。」
あなたが、好きです。好きです。好きです。大好きです。
寂しそうな背中を抱きしめてあげたい。不器用な優しさに触れられる事が嬉しかった。名前を呼ばれると鼓動が跳ねて、落ち着かないのに、もっと、もっと、呼んで欲しいと思う。
「あなたが自分を許せないというのなら、それでもいいです。罪深いのだと言うのならそれでもいいから!ミコトさんを救えなかったというなら、それでもいいから!だから、どうか・・・。私の為に生きていて下さい。私の為に、ここにいてください。」
これじゃあミコトの身勝手な思いと変わらないのかもしれない。それでも、生きて欲しい。逃げないで欲しい。だって、きっとこれから楽しい事が沢山ある。もう、美しくも寂しいこの場所に閉じ籠もる必要なんてないのだから。
苦しくても、怖くても、悲しくても、生きて、生きて。
これはただのエゴかもしれない。ただ彼を苦しめるだけなのかもしれない。それでも、セトにセトを諦めて欲しくない。何よりも・・・。
「私は、好きな人に、死んで欲しくないです。」
「ルイ。」
セトの手がルイの頬を包み込む。そして、優しく額に、目尻に、頬に優しい口づけがふる。
「ルイ。・・・ルイ。・・・俺の名を呼んで?俺を、ここに繋ぎ止めて。」
「セト様。セト様。・・・セト。」
互いの顔がぼやけてしまいそうな程近くで見つめ合い、互いの名を呼び合いながら、唇を重ねる。互いの体温を確かめるように、浅く重なったそれは、次第に互いの存在を繋ぐかの様に、深く、深く、交わっていく。そのまま、白いシーツに埋もれていった。
私があなたを繋ぎ止められるなら、私はあなたに絡みつく鎖となりましょう。
長い、長い夜が明け、もうすぐ陽が昇る。けれど今は・・・・・・。
隣で眠る人の黒髪を撫でながら、ルイは瞳を細める。
もう少し、この微睡みに身を任せよう。
次回、最終話です。