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野獣の住む城  作者: 依槻
20/22

20.終焉

 目の前の赤い魔女が、憎くないのかと言われたら、そんなもの、憎いに決まっている。大好きだった母親を嬲り殺し、自分たち家族から奪った悪魔。けれど、それであの魔女は何を手に入れたというのだろう。人から憎しみだけを集め、彼女が欲しいものは何一つ手に入っていない。

 憎いし、悲しいし、狂気を孕んだあの瞳は恐ろしい。けれどそれ以上に、ミコトが哀れだ。奪うことしか知らない、哀れな魔女。

「良い子ぶらないでよ。セトに近づいたのだって、私が彼を欲しがっているからじゃないの!?」

「そうですね。そんな風に出来たら、あなたはさぞ屈辱なのでしょうね。そうしたら私の胸にぽっかり開いた穴も少しはすっきり出来たのかな。」

ミコトの挑発にもルイは冷静な声で返す。その事がミコトを苛立たせる。

 自分は、何でも持っていた。力も知識も、美も地位も。深紅の魔女とふたつ名を与えられ、国の人間からもまるで神の様に崇められた。

 ある時、ミコトは一国の王子であるセトに出会った。出会った頃のセトはまだ13歳の少年で、国の為に、民の為に、何より愛する家族の為に、強い人間になるのだと。魔法も剣術も鍛錬を欠かさなかった。セトの教育係として、そんな彼の成長をずっと見守ってきた。いつも、夢を語る彼を見つめ続けてきた。そして、気がつけば、彼を愛していた。セトも、そんな自分を愛してくれていた。そう、そのはずだった。

 「なのに!なのに、どうして!?私が魔女だから?私の姿が変わってしまったから?」愛して欲しい。あの頃のように、自分をその腕に抱きしめ、自分の名を愛しげに呼んで、口付けて・・・。

 泣き崩れるミコトにセトが一歩を踏み出す。その腕をルイが掴んで引き留めた。驚いて振り返れば、その瞳は不安に揺れていた。先ほどまでの凛とした瞳はない。その瞳はきっと、10年前の惨劇を見ている。だから安心させるようにルイの額に額を寄せた。

「ミコトがああなってしまったのは俺のせいなんだ。」

「でも・・・・・・。」

「一緒に死のうとなんてもうしない。でも、もう終わりにしてやりたいんだ。大丈夫。ちゃんと帰ってくる。」

青の瞳に迷いはなく、ルイはこくり、と頷いた。それに満足げに微笑み、ルイから離れると、荒い息を繰り返す悪友兼従者に視線を向ける。

「ラン。ルイを安全な所に。」

「わかった。おい、役立たず、ユキに怪我させたら殺すからな。」

「へいへい。相変わらずの溺愛っぷりで。」

「ルイ、おいで。」

リツがしっかりとユキを抱きかかえる姿を確認し、ランはルイに手を伸ばす。ルイはまだ、不安そうにセトと視線を交わしていた。ルイ、ともう一度呼べば、ルイの視線がランに寄せられる。

「大丈夫。セトがそう言っただろう?」

「うん。」

ルイがランの手を取る。彼女の手を引きながら、ランは部屋の外へとルイを連れ出した。そしてそのまま、部屋から離れ、階下へと繋がる階段へと進んでいく。

 ルイたちの気配が遠のくのを感じ、セトは息を吐く。

「ミコト。」

彼女は答えない。耳を塞ぎ、目を閉じ、全てを拒絶している。

「ミコト。」

一歩近づけば、かまいたちの風邪がセトの頬を切り裂く。それでも、セトは足を止めない。「来ないで。」

止まらない気配に気付き、ミコトが顔を上げないまま拒絶する。セトはそれには答えず、また一歩ミコトに近づく。

「ミコト。」

「近づかないで!」

突風がセトを襲う。弾くことも、身を守ることも出来た。けれど、セトはあえてせず、ミコトの攻撃を甘んじて受けた。

「セトは私が嫌いなんでしょう!?あの女がいいんでしょ!?ならもういいわ!貴方が私の物にならないと言うなら、全部壊してやる!全部!全部!あの女の言ったとおり、私は壊すことしか出来ないんだから!」

「そんな事ないよ。」

セトの腕がミコトを抱きしめる。それは、百年ぶりの温もりだった。

「ミコトが壊すことしか知らないのは、愛し方がわからなかったからだ。俺がお前に、ちゃんと愛していると告げなかったからだ。」

力一杯自分を抱きしめる腕の温もりが暖かくて、悲しい。それでも、やっぱり嬉しくて。ミコトの瞳から涙が溢れる。

「私の事、愛してた?」

「愛してたよ。本当に好きだったんだ。それでも、俺には大事な物が多すぎて、お前だけを大事にする事が出来なかった。ごめんな。お前を狂気に狂わせたのは、俺だ。」

「・・・・・・不安だった、の。どんなに魔女として偉大でも、私はあなたと一緒に年を取っていくことは出来ない。きっと妃にもなれない。それは、私の望んだことではなかったから。でも、あなたが誰かを娶ることは嫌だった。私だけの、あなたでいて欲しかった。」

それが間違いだと、本当はわかっていたのだ。それでも、欲しい物が手に入らないという事が我慢できなかった。セトの愛するもの全てが憎かった。

「ごめんなさい。・・・・・・あなたの友人を、私は被った。」

「うん・・・・・・。」

ミコトの今の姿は、セリという少女のものだった。

 セリはセトの国の貴族の娘で、セトの幼なじみだった。セトの思想に関心を寄せ、笑って聞いてくれていた。そこにあるのは友情だった。しかし、王子と貴族令嬢。端から見れば、仲睦まじい恋人同士に見えたのだろう。噂は、ミコトの耳にも聞こえてきた。

 壊すことでしか、奪うことでしか、セトを繋ぎ止める術がわからなかった。本当は違うのに。こんな事を望んだわけではなかったのに。

 壊して、壊して、壊して。ミコトはいつしか、セトから国も、民も、友人も、家族も、夢も、全てを奪っていた。

 全てを奪ったとき、セトの刃がミコトを襲った。セリの皮を被ったミコトの首をつかみ、刃をのど元に突きつけたセトはけれど、それ以上は動かなかった。

 絶望に染まるセトの瞳が自分だけを映しているとわかった瞬間、喜びに打ち震えた。もっともっと、自分を愛せばいい。もっともっと自分を憎めばいい。憎しみも愛情も、自分にだけ向ければいい。そうすれば、セトは自分のものだ。

 そしてミコトは、セトに呪いをかけた。自分と同じ異形のものに彼を変え、悠久の時を生きようとした。誤算は、セトが姿を消してしまった事。それでも、呪いの解けぬ気配にセトが自分を思い続けていることだけはわかった。それだけで、満足だった。違うのに。望んだことはこんな事ではなかったはずなのに。

「私はただ、あなたに愛されていたかった。一緒に年をとって、一緒に時を刻みたかった。ただ、それだけだったのに・・・。」

自分はいつからこんなに狂ってしまったのだろう。いつからこの手は、奪うものになってしまったのだろう。どれだけのものを奪ってきたのだろう。どれだけ、血で染めてきたのだろう。

「こんな風に、なりたかったわけじゃない・・・!!」

「うん・・・。」

ぼろぼろと、涙を流し、嗚咽を漏らしながら泣くミコトからはもう、狂気は感じられなかった。少し泣き虫で、意地っ張りで、魔女である自分に誇りを持っていた、セトの愛した、あの頃のミコトだ。。

「ミコト。」

愛しい声が、宥めるように名を紡ぐ。セトの言うとおり、もう彼は自分を愛してくれることはないだろう。けれどそれは、セトが自分という呪縛から解き放たれただけ。彼は進んでいく。それでも優しい彼は、立ち止まって、自分を抱きしめてくれている。あの頃と同じ気持ちではないかもしれない。それでも、想ってくれているのは、わかるから。だからもう、終わりにしよう。この心が、再び狂気に染まってしまう前に。

 セトの胸に手をつき、そっと押し返す。

「ミコト?」

不思議そうに呼ばれた名に微笑みながら、ミコトは自分の腹に、持っていたナイフを突き刺した。

「ぐっ!」

「ミコトっ!?」

ぐらり、と傾いだ体をセトが受け止める。げふっと、苦しげな咳をすると共に、ミコトの口から血が溢れる。

「臓器まで傷つけた。もう、私は助からない。」

「お前!何してるんだよ!」

青い瞳が悲しみに揺れている。セトの濡羽色の髪に手を伸ばし、優しく梳くように撫でる。何度も、何度も。昔、まだ少年だった彼がふてくされた時や落ち込んでいたときにそうしてあげていたように。

「ねえ、セト。お願いがあるの。」

「何・・・?」

「愛してるって、もう一度言って?」

眉が寄せられ、セトの青い瞳が揺らぐ。泣かせてしまった、と思う。涙は流れていないけれど、セトが泣いている事くらい、わかる。ごめんね。でも、これで最後だから。

 彼女の意図を汲み、セトは微笑む。優しく、愛おしむように。その笑みにミコトも微笑む。セトは自分の髪を梳く彼女の手を取り、握りしめる。

「愛してる。愛してる、ミコト。」

そっと、唇が重なる。触れるだけの口づけは、悲しくて、優しくて、暖かかった。

「ありがとう。・・・大好きよ、セト。」

微笑むミコトの赤銅色の瞳がゆっくりと閉じられていく。冷えていくその体を、セトは今一度、強く、強く、抱きしめた。

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