14.旅立ち
「ルイ。今、何と言ったんだ?」
目の前で父親が驚愕しているのがわかる。その瞳は悲しみに揺れている。大好きな父にそんな顔をさせている事に強い罪悪感が胸に沸き上がる。父の隣で、二番目の姉のマリも驚きに目を見開いていた。
それでも、これは自分が決めた事だから。
「家を出ます。あの城に、私は戻ります。」
もう一度、はっきりとそう告げた。
「何で!?まさか、何か脅されているの?」
マリが立ち上がり、ルイの両肩をつかみ、強く揺さぶる。けれど、ルイはただ悲しそうに首を横に振るだけだった。
「ルイ!」
「マリ、やめなさい。ちゃんと、ルイの話を聞いてあげて。」
さらに問い詰めようとするマリをハナが制した。キッと姉を睨み付けるも、ハナはもう、覚悟を決めたかの様に揺るぎない瞳をしていた。
「・・・っ。」
「マリ。」
名を呼ばれ、マリはこくり、と頷くと元の場所に座った。ハウゼン伯爵はため息をつき、目の前で瞳を伏せている末娘の名を呼んだ。
「ルイ。何故、あの恐ろしい場所に帰りたいなどと言うんだい?」
「父様、あそこは怖い場所なんかじゃなかった。とても臆病で、とても優しい人がいたわ。あの人に名前を呼ばれると、胸が高鳴って、笑ってくれるとすごく嬉しくて、寂しそうな顔を見ると、傍にいたいと思うの。」
どうして彼が自分をこの家に帰したのかわからない。近づけたと思ったら突然突き放す。とても勝手な人。でも、それでも、傍にいたい。
「だが相手は野獣だ。お前にもしもの事があっては・・・。」
「彼が、ずっと野獣の姿のままだって構わない!愛されなくたっていい。ただ、彼の傍にいたいの。・・・お願いです。私を、あの人の傍に行かせてください。」
あの最後の瞬間の、あの悲しく揺れる青の瞳が忘れられない。あの日の泣いているような声が忘れられない。迷子の子どものような彼を、早く抱きしめてあげたい。
立ち上がり、深々と頭を下げるルイの姿に、もう誰も、何も言うことは出来なかった。末娘で、弱々しくて、守ってあげなければいけないと思い続けていた少女はもう何処にもいない。今のルイは強い意志を瞳に宿し、真っ直ぐに前を向いている。
「ルイ。」
娘の目の前に立ち、その体を強く抱きしめる。もしかしたら、もう二度と抱きしめることは出来ないかもしれないから。
「ルイ。よく顔を見せておくれ。」
両の頬に手を添え、顔を上げさせる。ルイの空色の瞳は涙に滲んでいた。胸元を握るルイの手が、涙に滲む瞳が、家族への愛情を訴えている。
「よくお聞き、ルイ。お前は私の自慢の娘だ。」
「でも、私は、姉様たちの様な取り柄は何もありません。」
「何を言う。お前の笑顔は私たち家族に幸福を与えてくれているんだよ。だから、きっと、その寂しい野獣には、お前が必要なんだと思うよ。お前をこうして、この家に帰してくれたのが、きっと何よりの証拠だ。・・・・・・愛しているよ、ルイ。私の可愛い娘。父はいつでもこの家で、お前を待っている。だから、お前はお前の思うようにしなさい。」
耐えきれない涙が瞳から溢れ、頬を伝い落ちる。とん、と軽い衝撃と共に、後ろから誰かに抱きしめられる。
「マリ姉様・・・。」
「離れても、何処にいても、あんたは私の可愛い妹なんだからね!大好きなんだからね!」
「はい。私も、マリ姉様が大好きです。」
「ルイ。」
優しい声に呼ばれ、ルイは少し離れて立つハナの胸に飛び込んだ。その体をハナは強く強く抱きしめる。
「ハナ姉様、ありがとうございます。私、あがきます。この想いがどうなるかはわからないけれど、後悔だけはしません。」
「うん。」
「姉様。」
「うん?」
「大好きです!」
ふわり、と笑顔を向けるルイに、ハナの瞳から涙が溢れる。
ルイが、自分やマリに劣等感を抱いていた事は知っていた。
ルイは平凡な子だ。2人の姉が無駄に大きな肩書きを背負うが故に、心ない言葉も沢山言われていた事だろう。それでもルイはいつも笑っていてくれた。いろんな気持ちを抱えながらも、いつも大好きだと、愛していると、笑顔で伝えてくれていた。ルイはこの家にとって、光だった。ルイがいるから、自分は、この重荷を投げ出さずに、この家に居続けることが出来た。
「大好きよ、ルイ。大好き。」
その光で、照らしたい人を見付けたのなら、私はこの手を離さなければいけない。
ルイがハナから少しずつ離れていく。今すぐ抱きしめ直して、この家に閉じこめてしまいたい。大切な大切な妹。けれど、ルイは涙を浮かべながらも、もう振り返ることはしない。彼女は、行く道を決めてしまったから。
「大好きです。父様、ハナ姉様、マリ姉様。行って参ります。」