11.魔女との邂逅
目の前に広がる赤、赤、赤・・・。触れたそれは生暖かい。誰かが倒れていて、その前にはやっぱり赤い誰か。赤いフードの下から除く顔が歪んだ笑みを浮かべている。
あなたはだあれ?
意識が浮上する。窓から差し込む光が、朝であることを知らせている。むくり、と体を起こし、小さなため息を吐く。
最近、毎日の様に同じ夢を見る。
目の前が赤に染まる世界。誰かが倒れていて、その前には赤い人がいる。
覚えているのはその不鮮明な映像だけ。それ以上を思い出そうと、よく見ようとすると、脳が拒否をするのか、自然と目が覚める。
一つ、今までとは違う事があった。いつもは赤い人がいる事を認識すると目が覚めたのに、今日は、その人が笑っていた。
口元に浮かぶ、歪んだ笑顔。それを怖いと思った。逃げたいのに、逃げられない。それがわかっているから余計に怖くて、それで・・・?
途切れる夢に、ルイは歯がみする。
知らなければいけないと思う。けれど、知りたくないとも思う。知ってしまったら、今のこの平穏を壊してしまう気がするから。
暗い思考を取り払うように、ルイはベッドから出ると、顔を洗いに行く。あの夢も一緒に洗い流せてしまえばいいと願いながら。
「ルイ様、あまり顔色がよろしくありませんが、体調がよろしくないのでは?」
朝食の席で、ユキが心配そうにルイの顔を覗き込む。事実、その顔色は青白く、体調不良であることは明確だった。さらに、いつもは残さずに食べる朝食もあまり進んでいない。失礼、とユキがルイの額に触れる。
「熱はないようですね。」
「ちょっと夢見が悪かったんだよ。外の空気を吸ってくるね。」
朝食、残してごめんなさい。ユキにそう一言謝ると、ルイは少しふらついた足取りで、食堂を出て行った。
「夢・・・・・・。」
言いようのない不安がユキの胸に燻る。「赤」に拘っていたルイ。それを聞かれた時も、夢に出てきたのだと言っていた。
「主に、報告した方がいいかもしれない。」
ユキは片付けをしようとした手を止め、未だ寝ているであろう、主の部屋へと足を向けた。
ぼんやりして、何もする気が起きない。
朝食を終えたルイは薔薇園に足を運んでいた。薔薇の花を見れば、元気が出るかと思ったが、ダメだったようだ。ならば今度は魔法の花園に行こう。最近は真っ赤な薔薇より、あちらの花の方が好きだ。そうしよう、とルイが動き出そうとした瞬間、強い風が吹いた。同時に、ぞくり、とした悪寒が背筋を駆け抜けた。体が反射的に背後を振り返る。
「赤・・・・・・。」
赤いフードを被った人間が目の前にいた。今まで感じたことのないものが心を騒がす。本能が告げた。危険だと。そして、わかってしまった。知りたかった赤は、あれだ、と。
「お嬢さん。」
びくり、と体を震わせる。同時に腕を引かれ、そのままルイは走らされた。
「え!?リツさん!?」
「いいから!走って!せめて城の中まで!」
「ど~して?久しぶりの再会だというのに、私を置いて何処へ行こうというの?」
ざわり、と肌が栗毛だつ。それは恐怖から来るものだ。リツが急ブレーキをかける。彼はルイの腕は掴んだまま、背後に隠すように、目の前のそれと対峙する。
「久しぶりね、リツ。」
フードをとったそこから現れたのは、屈託のない笑顔を浮かべる、ミルクティー色の髪をふたつに結んだ魔女だった。
「どーも、お久しぶりです。出来れば、俺は二度とあなたには会いたくなかったですけどね。」
「あら!私の事嗅ぎ回っておいてそれは酷いわ。」
「!!」
「何故それをって顔ね。」
クスクス、と屈託なく笑う姿は幼女の様なのに、体にかかる威圧感。ルイを掴むリツの手に汗が滲んでいる。
ルイの本能が告げる危険信号は間違いではないらしい。
「お前たちを見付けるのは本当に大変だったわ。セトってば、本当に上手にこの城とお前たちを隠してしまったから。」
「そんだけ旦那に嫌われちゃったって事ですね。」
「口を慎みなさい、リツ。」
「ぐあぁぁぁぁ!」
壮絶な悲鳴と共に、気がついた時には、ルイを掴んでいなかった方のリツの腕が切り取られていた。目の前に広がる赤。リツは痛みに呻き、その場に膝をついた。その姿を目の前の魔女は実に楽しそうに、歪んだ微笑みを口元に浮かべていた。
「あぁ~、良い音色だわ。今度は何処を切り落とそうかしら。」
恍惚とした表情を浮かべるこの女は間違いなく狂っている。ルイは恐怖で体が震え、その場を動くことが出来なかった。
「あら~。あなたは初めて見る顔ね。」
しばらくリツの苦しむ姿を見ていた魔女の赤銅色瞳がルイを映す。初めまして、と紡ぎかけた魔女の唇がぴたり、と止まり、じっとルイを見る。
「あら、あら。何処かで見た顔だわ。しかも胸くそ悪い感じで。」
魔女の瞳に狂気が走る。殺されるかもしれない。だからって目の前の魔女に屈するのは嫌だった。
「奇遇ですね。私も何処かでお会いした気がします。胸くそ悪い感じで。」
「ふ~ん。」
魔女の瞳が面白いものを見付けた、というように楽しげに細められる。
「ダメ、だ、お嬢さん。逃げろ・・・。」
「リツさん、喋っちゃダメです。傷に響きます。」
荒い息づかいをするリツの隣にしゃがみ込む。傷口からどんどん血が溢れ出てくる。このままで失血死してしまう事は目に見えている。けれど、止血の方法すらルイにはわからない。無力な自分に歯がみする。
また私は、何も出来ないのか。・・・・・・また?
ルイは自分の思考に疑問を抱く。そう。以前にも同じ事があった。流れでていく命を止める事が出来なかった。無力な自分を呪った事があった。
あれはいつの事・・・・・・?
頭痛がする。頭で警鐘が鳴る。これ以上考えてはいけない、と。
「人の庭で好き勝手するのはやめてもらおうか。」
「セト!」
「セ、ト様・・・・・・。」
ラン、ユキを伴い現れた野獣の姿に、ルイは安堵すると同時に、深くなっていく思考から浮上した。頭痛がやみ、知らず詰めていた息を吐く。
「ラン、リツはどうだ?」
「半獣はこんなもんじゃ死にませんよ。」
弱いな~、こいつ、と呆れたようなため息を吐きながらランがリツに歩み寄る。ユキから布を受け取ると、それを傷口に当て、止血を行う。その間に、ユキがリツの切り落とされた腕を回収した。
「ラ、ラン・・・・・・。」
「大丈夫だよ、ルイ。こいつは半獣だから、腕の一本を落とされたぐらいじゃ死なない。腕も元通りになるから。だから、大丈夫。」
小刻みに震える少女を安心させるように微笑み、ランはその頭を優しく撫でた。ランの言葉に安心したのか、こくり、と頷いたルイは安堵したように小さな笑みを浮かべた。
「会いたかったわ、セト!その姿もすっかり様になったわね。」
「お前が俺をこの姿に変えて数百年。様にもなるだろうな。」
野獣の言葉に、ルイは瞳を見開き、野獣と対峙する魔女を見る。
あれが、セトを野獣に変えた張本人。