01.始まりの夜
ここは、セントレス。西の大国、オードルの片田舎にある小さな町だ。ハウゼン伯爵家はその片田舎に家を構えている変わり者と呼ばれている一族だ。
「ふあ~あ。」
ハウゼン伯爵家の三女、ルイは自室の中でも一際日当たりの良い窓辺に腰掛け、本を読んでいた。
様々なジャンルの本を読むルイだが、今日は普段はあまり読まない恋愛小説を読んでいる。ものすごく感動すると巷で有名な本で、これでも見て恋について学べと父、ハウゼンが買ってきた物だ。せっかく買ってもらった物を興味がないだけで棚にしまい込んでしまうのも勿体ないと、読み出したが、やはりつまらない。先ほどからあくびが出ているのがその証拠だ。
「また本を読んでいるの?」
「姉様。」
声を掛けられ顔を上げると、長女のハナが部屋のドアから顔を出していた。眉間に皺を寄せ、昼間から本に読みふけっている事を快く思っていないのだろう。小言を言われる前に、とルイは栞を挟むと本を閉じた。
「今日は何の本?」
「父様が買って下さった恋愛小説です。」
「あら、あなたが恋愛小説だなんて、珍しいわね。」
クスクス、と穏やかな微笑みを浮かべるハナは身内の贔屓目をなしにしても本当に女神の様に美しい。この人は本当に自分の姉なのだろうか、と本気で思う。
美しく、聡明な、ハウゼン家の次期当主と名高い姉のハナ。それに比べ、平凡な容姿、頭脳しか持たない自分。何故、こうも違うのかと美し微笑む姉に淡く笑みを返しながら、どんよりとした気持ちが心に渦巻く。
「それで?お話は面白い?」
「残念ながら、私向きではありませんでした。」
「あら、残念。では、本を読むのは止めにして、お姉様とお茶の時間にしましょう。」
そう言って流れるような動作でルイの手を取り、ハナは彼女を階下へと連れ出す。
茶の席では先客が座って待っていた。
「ルイー!」
「マリ姉様、お帰りなさいませ。」
ルイの姿を見付けるなり、飛びついてきたマリを受け止めながら、出迎えの言葉を添える。
二番目の姉、マリは数多くの優秀な魔法使いを輩出しているグランドル魔法学校を最年少で卒業し、23歳の若さで王宮に仕える王宮魔法使いだ。その為、普段は王都で生活をしており、滅多に家に帰ってこないのだ。
「いつ戻られたのですか?」
「ついさっきよ。姉様の継承式に遅れるわけにはいかないからね。早めに休暇をもらって帰ってきたってわけ。」
「王宮魔法使い殿に継承の儀を執り行って頂ければ、我が家も安泰ですわ。」
「おう、プレッシャーをありがとう、姉様。」
ふふっと意地の悪い笑みを浮かべるハナに頬を引きつらせながら片手を挙げて答えるマリに彼女の隣に座りながらルイもクスクスと笑い声をあげる。そして、はた、と気づき、顔を上げる。
「父様はまだオリドール叔父様の家から戻らないのですか?」
「ええ。2、3日で帰ると仰っていたのだけれど・・・。」
父、ハウゼンは数日前から親戚のオリドール家に用事があると出掛けていた。継承式の日程も考え、ほんの2、3日が帰ると出掛けたが、未だ連絡はなかった。
「オリドール叔父様の事だもの、そう簡単に父様を離してくれないと思うよ~。」
「それもそうね。」
マリの言葉を受け、ハナは苦笑いを浮かべた。
オリドール家とハウゼン家は昔から懇意にしている。ただ、オリドール家はその地位を確固たる物にする為、もっと強い繋がりが欲しいのだ。上手い具合にハウゼン家には娘しかいない。だから息子をハウゼン家に嫁がせたいのだ。ハウゼン伯爵にその意志はなくとも、オリドールの家に行けばその話題になるのは必然。そう簡単には返してはもらえないだろう。
「ご愁傷様。」
「こらこら。人ごとじゃないぞ~。私は嫌だぞ、オリドール家の息子と結婚なんて。」
「大丈夫。皆嫌です。」
にっこり笑顔を浮かべてハナは言うが、かなり迫力があるのは何故だろう。ルイとマリは同時に同じ感想を抱き、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
この時は誰も思いもしなかった。まさか、この平穏な時が終わりを告げるだなんて。
その日の夜。ルイはランプに日を灯し、昼間の本の続きを読んでいた。明日明後日にでも父が帰ってくる。その前に、この本を読み終え、感想を伝えられるようにしておきたかったのだ。
お気に入りの窓際にランプに灯を運び、腰掛けてページを捲る。何ページかを読み進めた頃、物音が聞こえ、ルイは顔を上げた。
「っ!」
窓の外を見て、ルイは急いで、部屋を出て、玄関扉を開けた。そして、荒ぶるそれに近づき、優しく声を掛ける。
「コノハ!落ち着いて、お願い!」
大丈夫だから、そう何度も声を掛け、その黒い体を撫でてやる。次第に落ち着き始めて黒いそれにほっと息をつく。
「コノハ、どうしてお前だけここにいるの?」
それ、コノハは、父ハウゼンの愛馬だ。黒い立派な体躯の所々に傷がある。オリドールの家の帰り道だけでこんなになるはずがない。
嫌な予感だけが脳内を巡る。
「コノハ。コノハ、私を父様の所へ連れて行って!お願いよ!」
優しい黒い瞳を見つめ、願えば、コノハは一声、鳴き声をあげ、ルイに背中に乗るよう、促した。ルイはコノハに跨ると手綱を握りしめ、コノハの腹を軽く蹴り、合図を送る。それを受け、コノハは走り出す。
セントレスの暗い森の中に、ルイは足を踏み入れた。そこに何が待ち受けているか、まだ知らぬまま。