4.
空腹に耐えるというのは、一度目の人生ではそうとう得意だったというのに、なぜ今の人生では苦手な部類に入るのだろうかと疑問に思う。今の生活が一度目の人生に比べたら、ありえないほど裕福なのは分かってはいるが、なぜか釈然としない。一度目の人生で培った経験がほとんどゼロになっているというのだ。一度目の人生と同じような道をたどらなければ、それと同じようになることはありえないとわかってはいるのだが、どうしても納得がいかないのだ。
「あのー……」と、頭上から声が聞こえる。「具合が悪いのですか? ずっと机に倒れられているのですが……」
「大丈夫です」といいながら、いったい誰が話かけているのかと、身体をゆっくり上げる。
話しかけてきた人は、どうやら女性で、この学校の生徒であるようだ。藍色の髪を首の半分あたりで切りそろえた、俗にいうボブカットと呼ばれる髪型をした、白い肌の見た目14歳の女性で、制服を見るに、B組だろう。
この学校の制服は、A組とB組で形が違う。A組は全部白。B組はA組の白い制服を少し動きやすく、A組のそれに比べて、布地が少ない。そして黒い線をところどころにちりばめた、少しばかりすっきりとしたデザインとなっている。正直制服は、B組の方が人気が高い。私も本音をいうとB組の制服を着たかった。やはり一色の服より二色、三色といった服が好みなのだろう。私も一色よりそういった服の方が好みだ。
「ところで、あなたは?」と、明らかに、ここの組ではない彼女に問いかける。「A組ではないようなのだけど……、なぜここに?」
「あっ、ごめんなさい。あいさつもなしに……」そういって、彼女は勢いよく頭を下げた。「私は1年01B組のアラキナ・シルヴェスターと申します。そしてどうしてここにいるのかというと、その……。あなたが机に倒れられているのを見て……、はい……」
少し吃りすぎではないだろうかと、彼女改め、アラキナに微妙な視線を向ける。
「つまりは、私の姿が気になってここに来たということ?」と、アラキナに問いかける。
「は、はい。そういうことです……。はい……」うつむきながら、アラキナがいう。「数十分と、その姿勢でいられたので……」
アラキナの言葉に驚き、慌てながら腕時計に視線を向ける。腕時計は13:12を指していた。委員会は13:45分から始まる予定だ。
まだ時間に余裕があることに安堵して、思わず深く息を吐いた。
「もしかして……、えーと……」なにかをいいかけて、アラキナは言葉を詰まらせる。「お名前をお聞きしても……」
そういわれて、そういえば名乗ってなかったと気が付いた。
しかし、アラキナはなぜここまでかしこまっているのだろうかと、非常に疑問に思う。だが、今はそのことは関係ない。
「そういえば名乗っていなかったですね」小さく微笑みを表情に浮かべながらいう。「エリス・ルェアータです」
どこか簡潔になった気がするが、気のせいだろう。他者とのコミュニケーションは第一印象とは聞くが、ファーストコンタクトはほぼ終わっているのだ。今はそれの延長線上といったところか。
「エリスさんと、お呼びしても……」
「ええ、大丈夫です」そう私がいうと、ほんの少しの間を置いて、アラキナの表情が安堵したかのようなものへと変わった。いったいなにを恐れていたのだろうかと、思わず首をかしげてしまう。
実際、個人が特定できる呼び方だったら、よほどひどいものだったりしなければ文句はない。過去には“エルァ”などというなんともいいにくいあだ名を付けられたものだが、呼ばれて困るものではなかったうえに、呼ぶ方の舌が回らずに私ではなくそちらが困っていたという本末転倒な事態に陥ったりしていた。要は私に対して、実害がなければ問題はないのだ。
「ええと……、それでなんですが……」アラキナが一呼吸おいていう。「もしかして、エリスさんも委員会の集会を待っていらっしゃるのですか……?」
「ええ」と頷く。「ということは、あなたも?」
「はい! 私もそうなんです!」アラキナが表情をほころばせながらいう。「私の委員会は、実技向上委員会でして……」
その言葉に、アラキナも同じだったのかと思わず驚いた表情を浮かべてしまう。
「奇遇ですね……」その表情を崩さずに、小さくいう。「私もです」
「そうなんですか!?」アラキナが叫ぶようにいう。「本当に奇遇ですね!!」
本当に奇遇だと、心の中で思う。
「あの……」と、アラキナがこちらを横目で見ながらいう。「もしよろしければ、委員会が始まるまでお話ししていいですか……?」
突然の申し出に、微妙に戸惑う。思わず右手の人差し指で唇を押し上げる。
話すこと事態は拒否するようなことでもないし、委員会が始まるまでまだ二十分以上ある。時間を潰すにはもってこいの提案だろう。ただ、私と話しをしたいなどという人とは、あまりであったことがない。容姿が容姿なだけに、近づきたくないというのが周りの反応なのだろう。私に近づくのは、容姿の物珍しさにひかれた興味本位の人間か、容姿なんて関係ないといわんばかりに話かけてくる人間の、二通りである。
彼女――アラキナがどちらに分類されるかなどというのは、さっきまでの会話内容から考えると、おそらく後者だろう。私の容姿に一切反応を示さないことを考えると、彼女は容姿なんて関係ないのだろう。よほど醜悪でなければと、注釈がつくかもしれないが。
少し時間を置いてから、右手の人差し指を口から離して、口を開く。
「いいですよ」そういって、アラキナへと顔を向ける。「私でよければ」
「本当ですか!?」アラキナが満面の笑みを表情に浮かべていう。「ありがとうございます!」
アラキナが手を合わせて、頬へと当てる。そのしぐさを見て、恐らく彼女はいいところのお嬢様かなにかなのだろうという考えが浮かぶ。
この学院に、いいところの方々がやってくるのはなにもおかしいことではない。いくら超能力が使えない人間も受け入れているとはいえ、この学院はどれだけ腐っても国立である。設備、教師の質、授業内容と、どれをとっても一級品と聞く。この学院を運営するこの国に戸籍を置く人間なら、誰しもとはいわないが、大半が目指すのはこの学院だろう。
アラキナはどんな親を持っているのだろうと、少し興味がわく。この国にある大企業の社長か幹部の娘なのだろうか。
そんな考えをよそに、アラキナは「学院に入って、初めてのお友達です!」などと口走り、小躍りしていた。視界の端に映った彼女に、少し喜び過ぎではないかと、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
それにしても、こんな彼女が見ている方が楽しいと言われている洗礼を受けるなどと思うと、妙に気分が沈む。想像を絶するようなものではないといいのだが、心配である。
それと、いつの間に私とアラキナは友達になったのだろう。そんな疑問が浮かぶが、それは置いておいた方がいいのだろう。正直、悪い人間ではないのだろうから、友達という間柄になってもいいかなとは思う。
しかし、アラキナはいつまで小躍りしているのだろうか。友達が一人増えたぐらいでこの喜びようなことから、そうとうな箱入り娘なのだろうとは予想がつく。
「アラキナさん」放っておくといつまでも小躍りしてそうなアラキナに、右手の人差し指を唇から離して、声をかける。「ほら、話すなら座って話しましょう? ね?」
「あ、はい!」アラキナはそういいながら、私の目の前に位置する席に勢いよく座る。「な、なにをお話しますか!?」
アラキナが興奮冷めやらぬといった感じで目を輝かせる。どれほど嬉しいのだろうかと疑問が頭の中に浮かぶが、満面の笑みを浮かべるアラキナを見ると、そんな疑問はどうでもよくなってしまう。
「そうですね……」そう、手を顎に当てて、少し考える。「まずは……、もう少し詳しい自己紹介から始めませんか?」
◆
あれから、アラキナとここに来るまでも話しに花を咲かせた。彼女のクラスのことや人間関係、趣味など多岐にわたって、時間が許す限り話した。
話していてわかったことだが、彼女はどうやら一度心を開いた人間には、非情に近くまでくるタイプのようだ。一定の距離を保つ人間ならば、彼女は苦手な部類に入るのだろう。だが、私はあまり気にしない。近いのなら近いで対応の仕方があるのだし、なにより彼女は嫌いではない。私としては特に問題はないのだ。
13:45。その時間を告げる鐘の音が、校舎全体に響き渡る。
私がいるこの場所は、校舎地下一階、“超能力第一訓練場”。ここには個人練習用の部屋、対人戦闘を行える部屋、小さいながら集団練習が行える部屋がある。そして今私は、その中にある集団練習が行える部屋の中でも一番大きい部屋に来ている。
部屋の壁は白い塗装がされてあるコンクリートで覆い尽くされており、部屋の二階には観客席に当たる場所がある。地面は土で固められており、いったいどれだけの圧をかけて敷き詰めたのだろう。足の裏でこすって掘ろうとしても少し砂が動くだけで、その下にある土はまったくの変化を示さなかった。
しかし、少しばかり空調がしっかりしていないのか、それともあえて温度を下げているのかは分からないが、この部屋は妙に肌寒い。まだ四月なのだから、もう少し温度をあげてはもらえないだろうか。
「あー、チャイムが鳴ったことだし、さっそく始めるとしよう」生徒が列を作って座るそれの目の前に、今朝出会ったB組の担任である教師が立っていう。「これより、実技向上委員会の集会および活動を始める」
B組の担任がそういい終わって一拍ほど置いたあと、最高学年であろう生徒が「起立」と大きな声でいう。それから「よろしくお願いします」と、最初と同じ程度の声でいい、それに続いてほかの生徒も、大きな声でそれを繰り返した。
しかしB組の先生はやる気がない声を出すなと、委員会の概要や行動理念、今日にいたるまでの功績などのなかで重要な部分のみを聞き取りながら思う。
そういえば、今私たち生徒の目の前に立っているB組の担任は、フリッツ・ケルルという名前だそうだ。覚えておこう。
妙に長いフリッツ先生の話が終わり、二人組を作れとの命令が下る。
二人組をといわれても、今の私の周りには見知った顔が一人ぐらいしかいない。できるなら見知った関係の人と組みたいのだが、その見知った顔の一人にあたるアラキナが近く今この場所にいるはずだと、立ち上がって辺りを見回す。
上級生たちのほうへと目を向けると、彼らは新入生たる私たちを見ながら苦笑いのような、少し苦しいような表情を浮かべていた。中にはこちらから目を背けている人までいる。まるで昔の苦い思い出を見るような、見たくないものを目の前に置かれているような雰囲気である。
一体私たちの行動のなにが彼らを刺激するのだろうか。思わず右手の人差し指で唇を押し上げる。
「エリスさーん!」と、後ろからこれが聞こえる。
声からして、アラキナだろう。彼女の方から声をかけてくれるとはと、嬉しい気持ちを隠すことなく、アラキナの声がした方向へと身体を向ける。
「エリスさん!」アラキナが笑みを表情に浮かべながら、こちらへと走り寄ってくる。「二人組、組みませんか?」
そういいながら私の目の前で止まり、絶えず笑みをこちらに向ける。彼女はどうにも憎めない笑顔を浮かべるなと、その笑顔に笑い返す。
「いいですよ」アラキナの笑みがますます大きくなる。「私の方からも声をかけようかと思ってたところです」
嘘ではないし、事実彼女を探して、ペアを組んでくれないかと頼もうと思っていたところだ。
「本当ですか!?」思ってもみなかったと、両手を合わせ、胸のあたりへ持っていった。「ありがとうございます!」
「嘘じゃ……、ないですよね?」アラキナはなにを思ったのか、先ほどの表情とは打って変わり不安気な表情を見せた。
そんな嘘をついてなんになるのかと非常に疑問に思うが、彼女は人付き合いにあまりなれていないのは明白だ。もしくはそれに合わせて、親しい人間になにか、他人をあまり信用するななどと吹き込まれたか。そんな吹き込まれたなどと、そういうことはないとは思うが、なんと変なタイミングでこんなことを聞いてきたものだ。少し疑ってしまう。
「嘘はつかないですよ」そういって、アラキナの下げられた両手を、私の両手で包み込むように握り、持ち上げる。「私がそんな嘘をつくような人間に見えますか?」
その問いかけにアラキナが焦ったように首を大きく横に振る。首の半分の位置で切りそろえられた髪がそれに合わせて気持ちいい具合に揺れた。
「そ、そんな! 見えるわけないじゃないですか!」そう叫んで、彼女は私を見る。「エリスさんは嘘付きには、見えないです」
徐々に小さくなっていったアラキナの声。こういう仕草が男性に受けるのだろうかと、一度目の人生で人気者だった女性を思い出す。彼女もこんな仕草を得意としていて、いろんな男と肩を寄せ合い、物陰に消えていったのを覚えている。いつの間にか戻っていて男達にちやほやされていたのが、彼女のいつもの姿だった。そんな仕草を、おそらく素でやっているのだろう。アラキナの将来が地味に不安だ。
「そんな風に思っていてくれて、うれしいです」出来る限り優しげな笑顔を浮かべながら、そう返す。
しかし、いつの間にこんな、断言してくれるほどに彼女の信用を私は得ていたのだろうか。出会ってまだ半日と経ていないというのに。
そんな会話の最中にフリッツ先生の声が部屋に響く。
「二人組は作れたか?」との問いかけに、作れなかった、あまりができた等の声はなく、無事に二人組を作れたとの声が響いた。
そうか、と呟いてからしばらく間を開けた後、フリッツ先生はこう言い放った。
「この二人組はこの委員会に置いて対内的および対外的に公式なチームとする。いいか? 委員会を終えるまで今の二人組で活動するんだ」
訓練場の空気が凍てつくのを、私は感じた。冷たく高い耳鳴りにも似た音が自己主張する。アラキナさえも困惑の表情を浮かべている。
そして上級生たちは、「やはりこうなったか」といわんばかりの表情を浮かべ、下級生、私たちを見ている。
A組同士で組んだところから異論が飛び出すのは、それからすぐのことだった。こうなるのは当たり前だろうな、などとフリッツ先生に異論や不満をぶつけているA組の人間たちを視界から外しながら思う。
「アラキナさん、今の話によれば私とアラキナさんはこの一年間、この委員会でずっと一緒のようですね」
基本的に、委員会は一年で籍を置く人間が変わる。学院側は生徒に経験を積ませたいのか、連続して同じ委員会に所属することは許されていない。例外として、その委員会を担当する教師から指名され、それを生徒が許諾し、学院側から許可が下りればということがある。実際には教師からそこまで気に入れられるようなことは滅多にないそうだのだが。
私がアラキナとこの一年間、共にやっていけることを喜ばしく思っていたところ、アラキナは微妙な表情を浮かべ、私の顔を見ていた。それから少し間を挟んで、彼女は口を開いた。
「エリスさん……、私もエリスさんと一緒に実れて嬉しいとは思っているのですが、技向上委員会は卒業までずっと在籍していなければならないんですよ……?」
アラキナの口から思いもよらない言葉が飛び出し、それが私の聞き間違いではないかと視線をさ迷わせる。
「え……、えと……? 今なんと……?」戸惑いながらもアラキナにそう問いかける。語尾が上ずっているのは気のせいにしてほしいところだ。
「もしかしてエリスさん、知らなかったんですか……?」少しあり得ないといった感情を視線に込めて、アラキナが私を見る。「説明は……」
「そういったのは全く聞いてないですね……。ええ」手を額に当て、空をあおぐように顔を上へ向ける。あと、アラキナが小さく「先ほど先生が説明してたのですけど……」とつぶやいていたのは聞かなかったことにする。そうするったらするのだ。
しかし、もしかして委員会を決める時に誰も手を上げなかったのにはこういう裏があったせいなのかもしれない。情報を集めるのが早いなと思わず私のクラスを称賛する。だが、一言二言、そういうことがあると心配してくれてもいいのではないか。
「しっかり情報収集しとけばよかった……」
思わず愚痴がこぼれる。一気にやる気がなくなってしまったのは、仕方がないことだろう。もう洗礼とかどうでもいいなどとため息混じりに呟きたくなるほどには、やる気はなくなった。
脳裏に「話を聞かなかったお前が悪い」などとよぎるが、無視することにする。今回のことは棚に上げよう。上げてしまうのが一番だ。
「えっと、あの、その……」アラキナがなにかを言いたそうに、だが言いにくそうに言葉をつまらせる。そしてしばらくの沈黙のあと、叫ぶように言った。「だ、大丈夫ですよ! 私がついてます!」
その大きな、アラキナからは予想できない声に、思わず目を丸くする。周りの人がアラキナの声に驚いてないか少し不安になるが、どうやら私たちと同じような状態なようだ。やはり不安になるのだろう。三年間一緒など、普通は考えない。
私が驚いているあいだに、アラキナが次の言葉を紡ぐ。
「エリスさん、私はLv.9のハイドロキネシスです。……信用なりませんか?」
不安という感情を瞳の奥に隠しながら、アラキナは凜とした表情を私へ向ける。
アラキナはハイドロキネシス。要は水を操る能力を持っている。そして、そのLvは「9」である。この話はアラキナと親睦を深めることを兼ねて話をしていた時にしている。B組であることから、高位の能力者、少なくともLv.4以上であることは確実であろうと予想していたが、まさかそこまで高いといは思っていなかった。
なお、超能力は11の段階でが強さが分けられている。記号は「Lv.」で、0から始まり、10で終わりとなる。強さの区分けについてはその能力によって違うらしい。
アラキナは、Lv.9となると最高位から2番目。能力については折り紙つきなのは間違いないはずだ。
ちなみに私はLv.0である。能力が検知されない、だがそれらしきものはあるといった具合の能力の強さである。特に気にしたことはなかったが、改めて考えると、私は落ちこぼれの中でも最底辺ではないか。
これからも気にしないことにしよう。どうせどうあがいても自分が異質であることは変わらないのだから。
「信用ならないなんて、そんなことはありません。大丈夫ですよ」笑顔を浮かべながら言う。
出会ってからまだ半日も経っていないが、アラキナは信用するに値する、そう思っている。というより、出会ったばかりの私に、アラキナが嘘をついたところで何もメリットはないのだ。おまけにこの真摯な性格とくれば、信用するしないなんてすぐに判断がつくだろう。
「そうですね」と、いったん言葉を区切り、次の言葉を整える。「……アラキナさんがいれば心強いです」
Lv.9の能力者としても。この学園生活で最初にできた友達としても、どちらにしろアラキナは心強い。そう断言できる。
その言葉にアラキナは優しく微笑んで、小さく言った。
「私も、エリスさんがいれば心強いです」
Lv.0の私がいても、足手まといにしかならないのではと思ったが、なんとなく口に出すのははばかれた。
活動報告にて、しばらく音沙汰がなかったことについてご報告がありますので、一目お願いします。