3.
入学式は滞りなく行われた。進行に関しては、校長からの式辞が妙に長かったことを除けば、たいしてほかの学校と変わらない入学式だっただろう。進行以外のところでなにやら一悶着あったようだが、私には関係ない。
教室に戻ると、真っ先にロッカーの中の荷物を取り出す。荷物を持って席に着き、しばらくすると、エズメ先生が教室へと入ってきた。それからすぐに、生徒の自己紹介が始まった。最初に自己紹介することになった生徒は、自身の名前、出身校、趣味特技等をつらつらと発表していく。
私の自己紹介の番はすぐに来た。名簿番号が04であるから早いのは当たり前なのだろうが、もう少し遅くしてほしかった。発表する内容が漠然としか決まっていない。
エズメ先生に名前を呼ばれ、仕方ないと腹をくくりながら立ち上がる。
「エリス・ルェアータです。出身校はスーティア中等学校。趣味は読書で、好きなジャンルはミステリィです」
エズメ先生の視線が、妙に気になるが、気にしてはいられない。無視を決め込んで、自己紹介を続ける。
「私の持つ超能力は、ものの成長を遅くすることです」そういうと生徒の大半がどこかしら、納得したような表情をする。やはり私の容姿を訝しんでいたのだろう。成長を阻害されていれば、身体になにかしらの異常がでるのだろうと勝手に納得したのではないかと、自分自身の中で予想する。
自己紹介では、私は超能力を持っていると説明したが、実際には、私は超能力を持っていない。私の、「ものの成長を遅くする超能力」など嘘っぱちなのだ。よって、私の容姿は先天的に決まっていたこととなる。この組の生徒には悪いことをした。いや、別に悪いとも思ってはいないが、彼らに勘違いを誘発させる形となった。ぶっちゃけ悪いのは勘違いしたそっちだ。私は悪くない。
「よろしくお願いします」そういって、自己紹介を締めくくる。
まばらな拍手の中、椅子に座る。そして次の名簿番号の生徒が自己紹介を始めた。それを適当に聞き流しながら、今日は午前中で学校が終わるという予定を思い出す。
自己紹介が終わったら、委員会を決めたり、授業の予定が書かれた表が配られたりするのだと、入学式が始まる前にエズメ先生がいっていた。そしてそのあとに、教科書が配られる手筈となっていたはずだ。
教科書は持ち帰ることをせずに、学校のロッカーに置くことが出来たはずだと、エズメ先生の言葉を思い出す。
いったいどのぐらい教科書が来るのかと心の中で戦々恐々としていると、いつのまにか自己紹介が、名簿番号の最後のほうまで来ていた。
「――よろしくお願いしますっ!」そう最後の名簿番号の人が締めくくると、教室内から拍手が沸いた。私のときよりも拍手している人間の量が多いのはいったいどういうことだろうかと、一瞬だけ苛立つ。
「はい、お疲れ様でした」エズメ先生が、拍手が止んだ教室で、一人拍手を続ける。「自己紹介も終わったことですので、さっそく次へ行きましょう」
そういってエズメ先生が取り出したのは、委員会の名前が書かれてある紙だった。どうやら最初に、生徒の所属する委員会を決めるようだ。
エズメ先生は紙を黒板に張って、委員会に入りたいという生徒を募る。
保健委員会、図書委員会、体育委員会……、と、どこの学校にもあるだろう委員会の名前が挙げられていく。それに反応して、あちこちから手が上がり、入りたいという委員会の名を挙げていく。
やはり学生という年代の人間は、活力が違うなと感心する。そういえば私も学生だったと思ってから気付く。だが、私が生きた年齢を累計すれば五十三歳というおばさんになるのだから、学生に感心してもどこもおかしくはないはずだ。
委員を募り始めてからすぐに委員会に入れる定員が一枠を除いて埋まった。なぜ一枠だけが埋まらないのかと、少しばかり疑問に思う。
「えーと、『実技向上委員会』に入りたい方は……、いませんか?」エズメ先生が困惑した声でいう。その言葉が聞こえた瞬間、教室の中が静まりかえった。
「実技向上委員会」誰にも聞こえないように小さな声で、それだけを復唱する。
実技向上委員会とは、つい数分前に、エズメ先生が説明していた。
それの活動内容とは、委員会に所属している人間が率先して実技の向上を目指し活動する、というものだった。が、それは世間に発表している話しであるらしく、実際には決闘もしくは実戦形式で戦いあうという、時代錯誤もいいところの内容であるそうだ。
どうしてこうなったのかと一人の生徒が聞いたところ、この学校は、国立であるがゆえに政治の介入が容易にされるらしく、この委員会がこういう方針になったのもその介入がされたせいだそうだ。数十年前から海を隔てた隣国が、正体不明のなにかと戦闘を繰り広げていて、それに警戒しての判断と介入だということだ。ただ、その正体不明のなにかを警戒しての介入だというのに、なぜ対人戦ばかりを想定しているのかという部分に、私は疑問を持った。もしかしたら、その隣国の件はただの建前で、どこかに戦争を仕掛けるための下準備なのかもしれないと、一人思う。
私立や町立なら介入されることはまったくといってないのだがと、エズメ先生が苦々しく呟いていたのを、私は聞き逃さなかった。政治の介入に対してそうとう抵抗したのだろう。そう予想できる声だったのは、気のせいではないはずだ。
ちなみに、その委員会に入った人間の大半は軍部に引き抜かれているらしい。
しかし、組の生徒の誰も手を上げない委員会というのも珍しい。だが、内容が内容なだけに、やりたがらないのも仕方がないだろう。
このまま誰も手を上げないと、推薦という形で決まることになるが、私としてはそれに異議はない。手を上げなかった生徒たちが悪いのだ。誰に決まろうと、問題はないはずだ。
「そうですね……」エズメ先生がいう。「私が決めてしまってもいいですか?」
まさか、そう来るとは予想していなかったと、エズメ先生を見る。教室の生徒たちも、驚きと困惑が混じりあった表情を浮かべながら、エズメ先生に視線を向けていた。
「それは……、先生の独断と偏見で決める、ということですか?」一人の生徒が、声をあげる。
「ええ、そうです。このままでは決まりそうにもありませんので」エズメ先生が笑みを浮かべながらいう。「それに、推薦にしても、みなさんはまだ、誰がどういう人間なのか、把握できてはいないでしょう? ならば、私が決めてしまおうかと思ったのですよ」
「確かにそうではありますけど……」と、声をあげた生徒が呻くようにいう。「では、いったい誰を起用しようというのですか?」
「それについては、もう決まっています」そういいながらエズメ先生は、私のいる方へと顔を向けた。とてつもなく嫌な予感がするのはなぜだろうか。
「エリスさん、やってくれませんか?」と、エズメ先生は、とてつもなくいい笑顔を表情に浮かべて、言い放った。「あなたが一番、適任なのです」
教室が凍りついた気がしたのは、気のせいではないだろう。もちろん、私は凍りついた。
嫌な予感というのはよく当たるが、こういう場面で当たってほしくないなと思うのは、私だけではないはずだ。自分自身の勘が正しいというのが証明されたという方面では喜んでいいのだろうが、当たったら当たったで後々がめんどうなことになるという方面では嫌悪してしまう。
なにか言葉を発しようと口を動かすが、まるで金魚の口のごとく開け閉めがされるだけで、一切の言葉が出てこなかった。今の私の顔はひどく間抜けに見えただろうと、混乱する頭が思う。
「いやいや、思うのはそういうことじゃない」と、必死に考えの軌道を元に戻す。
「どうですか? やってはくれないでしょうか」と、エズメ先生が困った笑みを表情に浮かべながらいう。
困ったような顔をしないでくれと、心の中に憂いを孕ませながらいう。
私はその表情に弱いのだと、過去三回の人生を思い返しながら思う。そんな表情をされると、引き受けないわけにはいかないだろう。この表情をどれだけされて、なんど私が折れたことか。
だがここで折れれば、超能力という名の凶弾が飛び交う中を、走り回らなければなくなる。とりあえずは、私を起用した理由を聞いてみることにしようと、エズメ先生の目を、真正面から見つめる。
「やるかやらないかの前に、なぜ私が適任なのか、理由を伺ってもいいでしょうか」唇をしっかりと動かして、教室の全体に聞こえるように、声を発する。
エズメ先生は一瞬、ハトが豆鉄砲を受けたような表情を浮かべたあと、「いいでしょう」と、一言いった。
「エリスさん、私があなたを実技向上委員会に推薦した理由は、あなたのその身体能力なら、実技向上委員会に入ってもやっていけると踏んだからです」
「私の身体能力ですか? 確かに、一応運動は、運動は得意ですが……」運動だけを強調していう。そこまでいって、私は一つのことに気が付いた。「もしかして、超能力が飛び回る中を、自身の運動能力だけで乗り切れ。という無理難題をおっしゃるつもりですか?」
「無理難題ではないと、私は思うのですよ」表情に薄い笑みを張り付けながら、先生はいう。「エリスさん、あなたの身体能力に関しては、目を見張るものがあるのです。百メートル走を十一秒弱で走り、体育の授業の成績を、学年トップで修めているあなたには。いったい、その小さな身体のどこからそんなエネルギーが出てくるのかと、すごく疑問に思います」
「小さいは余計です」身長に関しての言葉に、思わず言葉をはさむ。「そもそも、私のその身体能力は、超能力が飛び交う中を立っていられるほど優秀かは、判断しかねます。それに、空間移動系の超能力者や身体強化系の超能力者には手も足も出ません」
「ですが、あなたほど身体能力が優秀なのは、この中にはいません」教室内を見渡しながら、エズメ先生はいった。「それに、それがあなた以上にあったとしても、ここの組に属している時点で、この委員会に入りたいと思う生徒は中々いないでしょう」
「確かに、この組は私を含め、超能力を行使することは苦手であるか、超能力自体が弱い生徒の集まりです」そういって、教室内を見渡す。「それに活動内容が活動内容です。名乗りを上げる生徒など、そうそういないでしょう。いたとしても、その人はB組でしょうけど」
「そういうことなのです」エズメ先生が笑みを浮かべながらいう。「そして、あなたを推薦した根本的な理由は、つまりは超能力が期待できないのなら、身体能力に期待すればいいじゃないか、ということなのです」
まぁそうだろうなと、心なしか痛むこめかみを人差し指で押しまわす。ただ、ここまでいわれて断るという選択肢はないに等しい。ただ、私が生贄のごとく委員会へと捧げられればこの問題は丸く収まるのだが、どうしても腰が引ける。断れるものなら断りたいのだが、ここで断れば私より身体能力が低い生徒を、超能力の飛び交う戦場の中へと放ることとなる。そんなことをすれば組の中に、私の居場所はなくなってしまうだろう。現時点でも居場所というものがないに等しい気がするが、まだ学校が始まったばかりだから気のせいだろう。多分、気のせいだろう。
隠れた猛者はどこかにいないものか。
ただ、実技向上委員会である。名目上だけであっても、実技の向上だけを目的に活動をするのだ。淡い期待だが、もしかしたらA組ということで、隅の方にいられるかもしれない。
「……、わかりました。私以外に適任がいないというのなら、やりましょう」数秒の沈黙を漂わせたあと、そう教室に響かせる。「ところで、この委員会は一人だけなのでしょうか」
「ええ、この組からは一人です」申し訳なさそうな表情を浮かべ、エズメ先生がいう。「そもそもですが、A組からは、一人だけという規則となっているのですよ」
その言葉は、死刑宣告に等しいと、私は思ってしまった。ほかのA組からも委員が来るだろうが、やはり、組から一人で、というのは寂しくもあり、心もとないとも感じる。せめて二人でと思ってしまうのは、私が臆病なせいだろうか。一度目の人生では、戦争の最前線で戦っていたというのに。
落ちぶれたなと、ため息が零れ落ちる。
「すみません、学校の規則でして……」と、エズメ先生。「顧問の先生にできるだけフォローをしてくれと頼みますので……」
私の付いた溜息が、どうやら相棒がいないことに落胆したのだと先生には見えたようだ。考えていることは、それとはまったく違っていて、誰にいっても理解されないものだとことを思うと、いらない心配をさせたなと申し訳ない気持ちになる。
「ありがとうございます」エズメ先生の気づかいに、お礼をいう。「この組の評判を落とさないよう、最善を尽くします」
「そんな気を張らなくても大丈夫ですよ……」エズメ先生は苦笑いを浮かべた。「では、お願いしますね」
そういって、委員会の紙に私の名前を書き込んでいった。
そんなこんなで引き受けてしまったなと、席にゆっくりと座る。
委員を決めることが終わって、次は教科書が配られるようだ。いったいどれぐらいの量の教科書が来るのかと、それを持ってこようとして立ち上がった生徒の横顔を見る。A組にしてはしっかりとしている体型だと、視線を顔から下に向かわせながら思う。
お前が行けよなんて、心の中で毒づく。
それにしてもと、教室を教科書の量に対して戦々恐々としていた気持ちが、いつの間にか消え去っていた。教科書の量よりも気を張るものがやってきたせいなのだろう。私にできるのだろうかと、腕時計の長針を目で追う。
11:58。
放課後には委員会の集会および活動がある。もう少し時間を空けて、あさってかしあさってあたりにしてくれないものかと思うのは、学校に慣れてからのほうが委員会の活動も楽になるだろうと思うからだが、決まっているものは仕方ないとも思わなくもない。中には活動がなく、集会だけで終わらせるところもあるらしいが、実技向上委員会は毎年、新入生へ洗礼を受けさせるらしい。それはA組もB組も関係なく降りかかるものだそうで、この時期の風物詩となっているようだ。見ていると楽しいが、やっている方は地獄のさなかという温度差が激しい風物詩だと、エズメ先生が人伝に聞いたといっていた。
少し騒々しい教室のなかで、いったいどれだけの生徒が苦渋を飲んだのかと、思う。
この組は、いわば劣等生の集まりだ。超能力の行使が苦手であるという、この世界では致命的な弱点を、この組の生徒は全員持っている。どれだけの良家に生まれたとしても、どれだけ超能力の強い両親を持っていても、本人の超能力が弱ければ、それだけで存在価値を損なう。
もしかしたら、この世界での両親は、私が超能力を使えないことを知って捨てたのではないかと、ふと思った。“超能力が弱い”のではなく、“超能力が使えない”。もうそれは劣等生といわずに、もはや失敗作と呼んでもいいのではないか。人ではなく、ものあつかい。エリス・ルェアータという、動く、意思を持った有機物。
思えば、三度目の人生を除いた全部の人生に、親というものがいなかった。なぜいなかったのだろうかという疑問が、今になって浮き上がる。そんなこと考えることなど一度もなかったのにと、視線を机の上に落とした。
◆
教科書というものはどうしてこうにもかさばるのだろうと、誰しもが思うだろう。机の上に置かれた、机と合わせて私の身長以上にもなる教科書を、椅子に座って見上げながら思った。周りからの視線が地味に生暖かい。そんな視線を向けるなといいたいが、今座っているこの椅子では、足が地面につかないのだ。今までそんな視線を向けられなかったことの方がおかしい。
本当にどうしようと、教科書の山を見上げる。
私の身長は、十二歳から伸びていない。もともと発育がよくなかったせいか、私は女子の平均身長より数段小さかった。そして今、その伸びていないことに対してのツケ、というのはどこかおかしい気がするが、つまりはそれが来ているのだ。十五歳にして百十一センチメートルなんて、一回目の人生のときより少しばかり大きいぐらいではないか。そういえば二回目の人生もそれほど身長が伸びなかったなと、教科書の山を避けて、器用に机に突っ伏す。
教科書の厚さは平均して三センチメートルぐらいで、それが十冊もある。これを全部持とうとすれば、普通の持てるのだが、ひどいことに、全部持とうとすると、視界がふさがれるという現象が起きるのだ。どうしてどこの学校もかさばるものしか用意しないのだろう。電子書籍やカンニングペーパーにしてはくれないだろうか。電子書籍は予算の問題で難しいかもしれないが、カンニングペーパー程度だったら軽く用意できるだろう。誰か教育委員会に申し立てしてくれないだろうか。
書類の配布や今後の学生生活についての質問が終わって、今は放課後となっている。といっても、放課後となってからまだ時間はそう経ていない。せいぜい十分ぐらいだろうか。放課後に委員会があると聞いてはいたが、始まるのは放課から一時間後だ。問題はない。
机に突っ伏しながら、地面に着いていない両足を適当に動かす。
どうもこうもしているあいだにも時間は過ぎるのだろう。残酷にも程度というものがあるというのに。
この教科書をロッカーの中に入れることは、できはする。できはするのだが、四、五回往復しなければならない。つまりはめんどうなのだ。同じことを複数回繰り返すというのは、どうにも苦手である。
腕時計は12:27を指している。
めんどうだが仕方がないと、椅子から立ち上がって教科書の山へと手を伸ばす。誰か手伝ってくれる心優しい生徒はいないものかと教室をこっそりと見渡すが、傍観に徹している生徒ばかりで、手伝ってくれそうにはなかった。しかもひどいことに、こちらに向けている視線がいまだに生暖かい。そんな視線を向けるぐらいなら手伝ってくれと、眉間にしわを寄せて教科書を二冊ほど手に取る。
両手に、軽い重みが乗る。だが、これぐらいならこの程度かと、ロッカーへ運ぶ。
そういえばお弁当を持ってきてなかったなと、面倒な気持ちをはぐらかすように思い出す。そして、このままではお昼ごはんを抜かすことになるという事実に、思わず足を止めてしまった。
引きつる顔を必死に抑えながら、お昼ごはんはどうしようと、必死に頭の回転を最大にまで上げていく。だが、解決策が見当たらない。お金はないし、親しい間柄の人間もいない。
お昼ごはんが抜きになるだなんてと、肩を落として涙目になってしまうのは、仕方のないことだと私は思うのだ。
まさか委員会を頼まれることになるとはと思うものの、それを引き受けるという判断を下したのは私自身だ。それに関しては自分の責任であるというわけで、誰にも文句はいえない。ただお昼ごはんが食べられないという事態に陥るなんて、ただただありえないと思うばかりである。
2014 01/11 全体修正