記憶のありか
春、私は引っ越しをした。
父の知り合いの会社で働くことになったからだ。
知ってる人など誰も居ない新たな土地で世界で一番大好きな家族と離れて暮らす。パパ、ママ、颯馬。そんなの耐えられるわけがないよ。
私は当然そう思っていたが、実際はたまに寂しくはなるが仕事や一人暮らしなどが忙しくてそれどころではなかった。
そしてあっという間に夏が来た。
毎日、サウナを疑いたくなるくらい暑いが、その頃には何事にも慣れてきて、私の生活はとても充実していた。
仕事をし、そして好きな時間には本を読んだり本屋さんに行ったりする。そんな日々を過ごしていた。
今日も、私は行きつけの本屋さんに向かっていた。
来店を知らせるベルが鳴る。入った瞬間、ひんやりとした空気に包まれ、本屋さん独特の紙の香りが鼻を掠めた。
「いらっしゃいませー」
レジの方から声が聞こえる。私は小さくお辞儀をした。
その後は迷いなく奥の方へと進んでいき、今日の目的を手に取る。
そのまま、足早にレジの方へ向かい、お会計をしてもらう。
「『月刊ドリーム』お好きなんですか?」
びっくりした。突然話しかけられたからだ。
「は、はい」
レジをしてくれたのは高校生くらいの男の子。
素直にかっこいいと思った。私のタイプだ。
茶髪に天パで綺麗な目をしている。鍛えているのか、しっかりとした体つきでとても本が好きなタイプには見えない。
「あ、突然すみません。そのシリーズを買う人を久しぶりに見て……」
「そうなんですか、お兄さんはよく読むんですか?」
「はい! 姉が昔からずっと買っていたので僕も借りて読んでいたんです」
「私、この本を読むと幸せな気持ちになれるんです。そういう物語ばかりが集まっていて、大好きなんです」
「そっか……」
「お兄さん、大丈夫ですか……?」
突然、お兄さんの目が潤んで声が震えていた。
「大丈夫です。ごめんなさい……」
「謝らなくて、大丈夫ですよ」
「いえ、すみません。あの、こちらお品物です」
彼はそう言って月刊ドリームを差し出した。
「ありがとうございます」
「お姉さん、一つお願いがあります」
「……なんですか?」
「一度だけ颯馬って呼んでくれませんか?」
意味のわからないお願いだった。
まさか本屋さんに行って、初めて会う店員さんにこんなお願いされるなんて思わなかった。
でもなんかあまり悪い気はしなくて、私はコクリと頷いた。
「颯馬」
何故か、迷わなかった。まるでその名前を呼び慣れてるかのように。イントネーションも何もかも。
「ありがとう……ございます」
彼は泣いていた。私はどうすればわからなくてあたふたしていたら、また彼が話しだした。
「引き止めてすみません。あなたが幸せそうで良かったです。ありがとうございました」
「こちらこそ……沢山話せて良かったです。では、失礼します」
そう言って、私は本屋さんを去る。
夏の熱い空気が、また私を包み込んだ。




