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1ー4 


 別れを告げようとしたその時、三日前と同じように視界を何かが横切った。

カランと音を立てて落ちたそれはやはりシューの実だった。

そしていつも通りお決まりの「烏女」という蔑みが聞こえ、芙は声のする方を見やった。


 少年たちはいつものように頭目の子どもの周りを囲っていたが、今日は誰もその手に持った木の実を投げてこない。

それどころか、焦ったように頭目の少年の袖を引っ張っている。


「おい隆!今日はあいつ一人じゃないよ。」


「それにあの男は蒼土の人間じゃない。やめとこうよ。」


 取り巻きの少年たちは宗斐の存在におびえているようだが、頭目の少年は力いっぱい袖を振り縋りついてくる彼らをはがす。


「お前ら怖いのかよ!!あんな奴、烏女と一緒にいるなら辰京人の仲間でもなんでもない!」


 少年はそう云い放ち横で立っているだけの少年の手からシューの実を奪うと芙めがけて投げつける。

しかし、それは芙に届く前に宗斐の手に収まった。


「おい。」


 宗斐は木の実を握ったまま、少年たちに視線をやる。

二言話しただけで取り巻きたちは堪えきれないとばかりに逃げ出した。

頭目の少年は彼らを罵倒したが、一人残ってもどうすることもできず少し遅れて走り去る。


「……」


「……」


 またも二人の間に沈黙が流れる。

宗斐は手の中にあった小さな丸い実を見つめる。

その表情は怒っているというより、物憂げで困っているようだった。


「君は、いつもこれを投げられて、あんな風に……呼ばれているのか。」


「烏女」という言葉は口にできなかった。


「はい。でも本当にそこまで気になりませんので。」


 嘘偽りない本心だったのだが、宗斐は「全く気にならないわけはないだろ」と小さく呟く。


「……今日は見苦しいところをお見せしました。もう蒼土の区域に着きますから、ここまでで。ありがとうございました。」


 芙は早く切り上げたくなって別れを口にし背を向けた。

その手首を宗斐が慌てたように掴む。


 何かを言いかけ視線をさまよわせたが、やがてあきらめたように静かに芙の手を離した。


「君の手を借りたいんだ。蒼土に対する知識を貸して欲しい。」



*****



「この前の男だが、あまり関わらない方がいい。」


 岑はしゃがみ込み、靴を履きながら言った。

芙からは背中しか見えず、その表情はうかがえない。


「うん。」


 岑は勢いよく立ち上がり、そのまま出ていった。

岑は時折こうして、陽が落ちてから出かけ朝まで帰ってこない。

蒼土移民の会合だと言っていたが、芙がそこへ行くわけにもいかず、いつもは留守番をしている。


 だが、今日は違った。


 岑が出ていってしばらくしてから、芙は上着を羽織り、外へ出る。

夜目が利く彼女は、灯りのほとんどない闇の中でも迷うことなく歩を進めた。


 行き先は、家よりさらに外れにある霊廟。

蒼土移民が急ごしらえで柳基に建てた石造りの廟だ。


 蒼土には特定の神はいない。

木にも火にも風にも、あらゆるものに神が宿ると考える彼らにとって、霊廟は万物へ祈りを捧げる場所だった。


 誰もいないはずの夜の廟は、予想に反し、多くの松明と人の声に包まれていた。

近くで話し声がして、芙はとっさに路地へ身を滑り込ませる。

その瞬間、何かにぶつかった。


 上がりかけた声を、その「何か」に塞がれる。


 驚いて顔を上げると、宗斐がいた。

人差し指を唇に当て、静かに、という仕草をする。


 振り返ると、先ほどまで芙が立っていた場所を二人の男が通り過ぎていく。

どちらも、岑と話している姿を見たことがある。

一人の腰には美しい髪紐。

もう一人には木製の子どもの玩具が揺れていた。


「あの男には言わずに出てきたんだろう? 気をつけた方がいい」


 芙は小さくうなずく。

二人はさらに路地を進み、周囲を警戒しながら声を落とした。


「私は役人なんだ。夜な夜な蒼土人が妙な集会をしていると、民から苦情が来ている。

真偽を確かめたい。

君も、この集まりが何かは知らないんだよな?」


 芙は首を振る。

宗斐は困ったように首筋を掻いた。


「先日も来た。中へ入ろうとしたが、なぜか断られた。

理由は分からないか?」


 言われて、芙は改めて人々の様子を見る。

しばらく観察しているうちに、ひとつの可能性が浮かんだ。

それに気づいたのだろう。

宗斐が答えを促すように視線を向ける。

 

 だが芙は、言葉を飲み込んだ。


 もしこれが、弔いではなく政治的な集会だったなら。

役人を名乗る宗斐に内容を明かすことは、蒼土の人々を危険にさらすことになるかもしれない。

迷いが胸をよぎる。


「……君も感じているだろうが、蒼土への不安は日に日に強まっている。

このままでは、私は彼らを理解しないまま罰することになるかもしれない。頼む」


 宗斐は、静かに頭を下げた。

芙はぎゅっと目を閉じる。


「……分かりました」


 言ってから、自分の身を探る。

だが余計な装飾は何もない。

あるのは、腰に下げた鈴だけ。


 小さく息を吐き、鈴を一つ外す。

そしてそれを、宗斐の腰へ結びつけた。

宗斐の手が、戸惑うように宙をさまよう。


「蒼土では、故人の形見を腰に下げるんです。

ここにいる人たちも皆そうしていますし、場所も霊廟です

。おそらく……弔いの集まりなのでしょう」


「……この鈴も?」


「ええ。

……行きましょう」


 芙は先導し、廟へ近づく。

入口には二人の男が立っていたが、呼び止められることなく中へ通された。


 壁一面には、鮮やかな蒼土の風景が描かれている。

それ以外は何もない空間に、人々がひしめき合い、思い思いに祈りを捧げていた。


 芙は奥にいる岑の姿を見つけると、入口近くに腰を下ろし、手を合わせた。

宗斐もそれにならった。


 やがて扉が閉まり、天井の隙間から差し込む星明かりだけが廟を照らす。

聖職者らしき老人が、低く祈りの詩を歌い始めた。

すすり泣く声が、静かに広がっていった。



*****



 半刻ほど経ち、祈りの詩が終わって扉が開かれると、二人は早々に廟を出た。

他の人々と同じ方向へ帰るわけにはいかず、時間を潰すように廟の裏手の森の近くまで歩く。


 その間、宗斐は心ここにあらずといった様子で星空を見上げていた。


 やがて不意に腰へ手をやり、丁寧に鈴の紐を外す。


「ありがとう。」


 初めて会った時と同じように、彼の指に摘まれた鈴が小さく鳴った。


 今度は確かに、芙はそれを自分の手で受け取り、大切そうに握りしめる。


「その鈴の主も、先の大乱で?」


「はい。私を庇って死にました」


 宗斐の問いに、芙は偽ることなく、淡々と答えた。

宗斐は眩しそうに目を細め、星空を仰ぐ。


「私は……どうすればいいんだろうな」


 暗く沈んだ声に、自嘲が滲む。


「君たちの背景を知っても、痛みに触れても、どうすることもできない。

郡都の民にもそれを理解してほしいのに……。

文化の溝は、決して埋まらないんだろうか」


 取り繕いのない弱音だった。

芙は内心、動揺する。


 出会ってまだ一月も経っていない。

だが芙は、彼が可哀想な男なのだということだけは分かっていた。


 初めて会ったときの、自然体の明るい青年は偽りで、今、星明かりの下で無力を嘆く姿こそが本当なのだ。


 自由が偽りで、不自由が真の青年。


 横顔を改めて見つめる。

思っていたより、彼は若々しい顔立ちをしていた。






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