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1-2


 柳基に越してきたのは、ほんの一ヶ月ほど前のことだ。

急いで見つけた家は、決して居心地がいいとは言えなかった。

蒼土の戦乱の影響で移民が急増したためか、量産された簡素な家々は設備も最低限である。


 谷間の初春は朝晩に冷たい風が吹き、薄い壁を揺らした。

しかし、もともと標高が高く寒い土地の出である芙にとって、それは大して問題ではない。

加えて周囲には兄で通している同居人が「これだけは」と治安のある程度保たれた場所を選んだため、暮らしに大きな不自由はなかった。


 再び手の中に戻った鈴を大事に握りしめ、小石の転がる石畳を登る。

姚の家は大通りから少し離れた低地にあり、芙の住まいのある高地までは、どうしても坂を登らなければならなかった。


 賑わう市を通るのが一番早い。

だが、人混みが苦手な芙はいつも整備の行き届かない遠回りの坂道を選んだ。


 そのとき、不意に視界を何かが横切った。

続けて軽い音を立て、いくつか同じものが投げ込まれる。

石畳に転がったそれは、この地域で「シューの実」と呼ばれる、梅の実ほどの大きさの木の実だった。


 左手の、壁沿いの小高い山道から投げられているらしい。

視線を向けると、そこには数人の少年がいる。

芙が視線を向けると、彼らは楽しそうに顔を見合わせ、にやにやと笑った。


 こうしたことは、ここに来てから一ヶ月、珍しいことではなかった。

少年たちは大半が十歳前後だが、一人だけ背の高い子供がおり、年上らしく、頭目のように振る舞っていた。


 当初は蒼土の移民全員をよそ者としてからかっていた彼らだが、いつの間にか、標的は専ら芙一人に絞られていた。

理由は分からないが、頭目の少年が芙に目をつけたらしい。


 彼らはシューの実を投げては

「烏女!」

と芙を罵る。


 真っ黒な髪と、貧しい移民。

それを勝手に結びつけ、烏のように物乞いをすると嘲っているのだろう。


 だが芙の生活は、そこまで困窮していない。

物乞いをしたことなど一度もない。

移民の中にそういう者がいるのは事実だが、峪安郡は支援も整っており、その数も多くはなかった。


 おそらくこの罵倒は、

「蒼土の移民に税を使われる」

と親たちが漏らす不満を、そのまま真似しているのだろう。


 何も言わず立ち止まる芙を見て、少年たちが再びシューの実を構えた、そのとき、「おい!」と低く強い声が響いた。


 少年たちは体格のいい声の主を認めると、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「あいつら……」


 悪態をつきながら男は芙に近寄った。


(つぇん)


「大丈夫か?」


名を呼ばれた男は、怪我がないか確かめるように、芙の体を頭からつま先まで眺める。


 芙は小さく首を振った。


「まったく、懲りもせず……。

大体いつも蒼土を馬鹿にしてるくせに、あいつらが武器にしてるシューの実だって蒼土語じゃないか。」


 岑は憎々しげに、散らばった木の実の一つを踏み潰した。

シューの実とは、山の鼠が好んで食べることからついた名だ。

そもそも「シュー」とは、鼠を意味する蒼土語の発音である。


 それを知らずに、芙の出自を蒼土由来の名を持つ果実で嘲っているのだから、確かに滑稽だった。

文句を言いながら並んで歩く岑は、小柄な芙より頭ひとつ分ほど背が高い。


「特に、あの一番偉そうな餓鬼はもう少し大人になったほうがいい。」


岑は横目で芙を見た。


「なに?」


「……いや。

そういえば今日は遅いな。今頃ここを通るなんて。」


 西の空では、太陽が山に沈みかけ、辺りを緋色に染めていた。

普段なら、芙はもう家で夕飯の支度をしている時間だ。


 芙は鈴を握る手に、わずかに力を込める。

そして視線を逸らしながら答えた。


「……買い忘れたものを思い出して。

人が多かったから、時間がかかったんだ。」


 本当のことを言うのが、なんとなく憚られた。


「まあ、とにかく気をつけろ。

いくら柳基が太守の膝下とはいえ、夜は何があるか分からないからな。」


芙の違和感には気づかない様子で、岑は小言を言いながら歩調を早めた。

家の前に着くと、岑は当たり前のように先に回り、扉を開ける。

その様子に、芙は口元に小さな笑みを浮かべた。


「岑。」


名を呼ばれ、岑ははっとしてから、罰が悪そうに先に家へ入った。




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