#8
聞き間違いかと思ったが、彼は平然としている。
冗談には聞こえない……いや、彼は冗談を言うタイプじゃない。
都築はダラダラと伝う汗を感じながら、恐る恐る言葉を紡いだ。
「恋人と離れたくないから……っていう嘘をつく作戦ですか」
「そう。もう一緒に住んでるって言っておけ。ちなみに殴り込みにくる父親か?」
「さすがに東京までは来ないと思いますけど」
「じゃあ大丈夫だ」
だ……大丈夫か?
景さんは時々豪快というか、不敵極まりない。
「俺が彼女と暮らしてるなんて言ったら、大変ですよ。最低な話、あの人は跡取りがどうこう……」
「子どもは作る気ないって言えばいい」
「あはは! 景さんってほんとブレませんよね」
何だか可笑しくて、吹き出してしまった。
「そういうところ尊敬してます。俺は自立したいと思いながら、中途半端なところでいつも立ち往生するから」
半ば親と喧嘩して上京したことは、自分の中では歴史的瞬間とも言えるのだが。あれが最大瞬間風速で、以降は失速していくだけだった。
俺の二周目の人生は、一周目の補完に過ぎない。いや、補完すらできずに終わる可能性がある。
俯いて自嘲的に笑うと、何故か景さんは路肩に車を停めた。
「景さん? どうしたんですか?」
市街地はまだまだ先だ。ナビに目をやり、ルートの確認をしようとしたが、やはり手で制される。
「先に今日泊まれる場所を探す」
「さすがに二日連続で車内は体痛いですもんね。すみません」
急遽宿泊先を探し、予約を入れることになった。そう遠くない場所に空いてるビジネスホテルが見つかった為、やや急ぎながら向かう。
「お部屋は四〇二号室になります」
「ありがとうございます」
鍵を受け取り、ツインベッドの部屋に入る。
「わ。景さん、ここ眺め良いですよ」
都築は鞄をベッドに放り、真っ先に窓際に寄った。部屋の窓からは、夜の市街を一望できた。
「わかってはいたけど、やっぱり青森は遠いですね。トンボ帰りも無理があったな……」
「……」
「景さん?」
景も窓際にやってきたが、直ぐに違和感を覚え、都築は訝しげに腕を組んだ。
「どうしたんですか? 何か楽しそうですけど」
「いや」
景さんは再び翻り、薄く笑う。
「悪いことしてる気がして」
それだけ言うと、ベッドに腰を下ろした。パソコンを開き、仕事関係のメールの確認を始めている。
「風呂、先に入んな」
「え。……じ、じゃあお先に。ありがとうございます」
ブレスレットを外し、熱いシャワーを浴びる。せっかくだからバスタブにお湯を張り、湯船に浸かった。
はー、生き返る。
ここまで来たら温泉なんかも入りたかったけど、明日はフリーになったし日帰り温泉を探してもいいかもしれない。
青森から東京まで、高速を使ったとして八時間から九時間……充分な休憩を挟んだら、十時間はかかる。一人だとしんどいけど、交替して運転すれば何とかなりそうだ。
しかし、遠くに来たな。
関西を回ったときも思ったけど、彼と旅をしてることも未だに夢みたいだ。
景さんの感情が読み取れなくて焦ることも多いけど、基本彼は大人で、優しい。どんなミスをしても怒らないし、何も言わずにフォローしてくれる。
自分の至らなさで迷惑かけて、申し訳なくて思うことも多いけど、やっぱり彼が好きだ。
好き……。
「い、いやいや。……人として?」
途端に恥ずかしくなって、思わず声に出して補正してしまった。
もちろん景さんも主を見つけたいから目的が合致してるけど、それでも貴重な休日をつかって俺と行動してくれてるんだ。嫌いになる要素なんて見つからない、むしろ感謝しかない。……イコール、好き、……と。
飛躍し過ぎかな。何だかよく分からない。
俺はこれまでの人生で、本気の恋愛をしたことがない。性別云々の前に、誰かに夢中になったことがないのだ。
物心ついた時から、永く仕えた主と、共に過ごした従者のことを想っていた。
景さんはどうだろう。これまでどんな人生を送ってきたんだろう。
家族とは仲良い?
学校生活は楽しかった?
夢中になれるものは見つけられた?
この時代に生まれて良かった。……って、思えた?
訊きたいことがたくさんある。この短い旅の中ではおさまらないほど。
時間はたくさんあるようで、実は全然ないのだ。こうしてる間にも砂時計は進んでいる。
俺は主様を見つける前に、────彼に伝えたいことがあるから。
「随分長かったな」
「はい……」
バスルームから出ると、壁に寄りかかり、腕を組んでる景さんがいた。
「あまりに長いから浴槽の中に沈んでないか確認しようと思った」
「そんな……お年寄りじゃないんですから」
「どっちかって言うと今回は赤ん坊だな」
タオルを頭から被せられ、がしがしと拭かれる。急いで出てきた為、ドライヤーもかけていなかった。
「あれ、ブレスレット……」
ふと、左手にブレスレットがないことに気付く。
そういえば洗面台に置きっぱなしにしてしまった。一歩下がってバスルームの方に向いたが、
「おい!」
急に強い目眩が起きて、バランスを崩した。危うく近くの戸棚に激突するところだったが、腰と肩を掴まれ、寸でのところで支えてもらった。
「……っとに危ないな……」
「ご、ごめんなさい。何かフラフラしちゃって」
「のぼせたのかもな。ちょっとこっちに」
彼は俺の手を引いて誘導する。言う通りにベッドの方へ向かおうとしたが、彼のスリッパに足を引っ掛けてしまい。
「うわあっ!?」
またしてもバランスを崩し、事故を起こしてしまった。
景さんは床に倒れ、俺はその上に覆い被さる形で倒れた。
ひえぇぇええっ!!
「ごごごごめんなさい、景さん! 大丈夫ですか?」
「……あぁ」
「本当に? うわあああごめんなさい……俺もちょっと床に思いっきり頭打ち付けます! 痛み分けということで、どうかここはひとつ」
「落ち着け」
景さんは頭が痛そうに額に手を当てる。
しかし俺は気が気じゃなかった。ただでさえ迷惑かけてばかりの彼に、とうとう直接攻撃をかましてしまったのだから。
「け、景さん……本当に……ごめんなさい……っ」
今度ばかりは、本当に嫌われる。
そう思ったら胸と目頭が急激に熱くなって、声が震え始めた。
「少し倒れただけだろ。慌て過ぎだ」
彼は床に肘をついて上体を起こした。
するとまた息が当たりそうな距離で、見つめ合う体勢になる。
視線が交差する。その瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
「で、でも……怒ってませんか?」
「こんなことで怒るか」
景さんは乱れた前髪を乱暴にかき上げ、ため息混じりに問いかける。
「お前、俺のことが苦手だろ」
「え?」
「何に関しても気を遣い過ぎだ。一緒にいると疲れてしょうがないだろ」
「そ、そんなことないです!」
話の風向きが変わったことに焦ったが、すぐさま否定した。
苦手なんかじゃない。確かに接し方や感情の読み方は模索中だけど、それは全部彼を知る為。今より一歩歩み寄る為だ。
ところが、彼から見た俺はまるで違う姿に映っていたのかもしれない。
「お前が距離を取ろうとするのは当然だ。今の俺は昔とは違う。考え方も変わったし、世界の見方も変わった」
「いや、俺は」
「せめて赤の他人でいるよう努めるから、安心しろ」




