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あなたと巡る、愛しい雨旅  作者: 七賀ごふん
雨飛の追憶

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41/45

#1



深夜二時の霧雨。

コートを羽織り、音を殺して部屋を出る。


都築は家の敷地を出て、フードを目深にかぶった。

ブレスレットとカフスをつけ、鬱陶しい髪を後ろに流す。


大丈夫。少し見に行くだけだ。


民家もない農道を進み、裏山へ入る。あまりの暗さに立ちくらみがしそうになったが、ライト付きの防犯ブザーを口にくわえ、スマホのライトも点灯させた。


この辺りで熊が出たことはない。どちらかというと、不安なのは猪や蛇だ。周囲の音に耳をそばたてながら、記憶を頼りに木の枝を掻き分ける。

明日まで待てないのは、雨は今夜だけだからだ。晴れの日に訪れても、今の自分では何も感じ取れずに終わってしまうと思う。


それなら今夜のうちにひとりで見に行きたい。

「さむ……っ」

雨の山中は真冬のようだ。手がかじかみ、スマホを持つのも辛くなってきた。

けど、子どもの頃訪れた石灯籠の道が見えた為、意を決して歩みを進めた。

村のことは、思い出せなければそれでもいい。両親や村人達のことも、何とも思ってない。強いて言うなら、最後に母を悲しませたことが申し訳なかった。


俺が思い出したいのは、自分の最期だ。

景さんに約束して別れたことだけ憶えている。


迎えに行く、と彼に告げた。


その理由が分からない。どうして、最期に彼と離れる必要があったのか。


辛いことを思い出させてしまうから、景さんに訊かず、自力で記憶を取り戻したい。

緩やかな坂を上り、白い息をはいた。


雨の音で掻き消されそうだが、かすかに一定の水音が聞こえる。

そういえばここにも沢があったな。

水源はもっと上。滝はなくなってしまったが、動物達が生きてく為の水が流れている。

「……よし!」

両の頬を叩き、気を引き締めて段差を上っていった。スニーカーは泥だらけで、中も水が入って、足が重たくなった。


でも、確かに近付いている。体温が下がれば下がるほど、施錠していた記憶の箱が開かれていく。

ようやく見つけた石碑は、ライトで照らしたものの苔むしており、何が書いてあるのか全く分からなかった。


ただ、真横の祠を見て確信する。中にはとても小さいが、龍を模した石像が置かれていた。


「主様……」


やって来た。と言うよりは、戻ってきた。

灯台もと暗し、独りでは絶対に気付けなかったこと。左耳のカフスに触れ、その場に屈み込む。

地面にそっと触れると、かつての笑い声が聞こえてきた。


その声を追いかけようとした時、持っていたスマホが震えた。

「あっ! まずい……」

着信だ。こんな夜中に誰から……と思ったら、相手は景さんだった。

出ないと心配させてしまうから、迷ったものの通話マークをスライドする。

「もしもし」

『都築! 今どこにいる?』

景さんの声は、いつになく緊迫している。慌ててスマホを耳に当てて、宥めるように笑った。


「すみません、眠れなくて……ちょっとコンビニにきてます。すぐ帰るので寝ててくださ」

『さっき言ってた祠にいるんだろ』


言葉を遮り、景さんの鋭い声が胸に突き刺さった。驚き、誤魔化す考えすら吹き飛んでしまう。

『反応し合ってるのか、耳鳴りがすごくて目が覚めた。今すぐ行くから、スマホの位置情報共有しろ』

「だ、大丈夫ですよ。本当に、すぐ帰ります」

『都築。……俺は今、初めてお前に怒りが沸いてるんだ』


ひえっ。

初めて怒らせてしまったようだ。

というか、今まで怒らせてなかったことが驚きなんだけど……慌ててスマホを操作し、彼に位置情報を送った。

『よし。迎えに行くから、絶対そこから動くなよ』

「景さん……俺、景さんとこれからも笑って過ごす為に、全部思い出したくて」

雑音が混じり始める。どうやら、彼は走りながら電話してるようだ。


「景さんに昔のことを訊くの……どうしても、申し訳なくて」

『大丈夫だ。何でも教える。だから独りで突っ走るな!』


……あぁ。

どうしてこの人は、こんなにも俺を容易く救ってくれるんだろう。


誰より強くて、頼り甲斐があって、優しい。……昔と同じ。

「ごめんなさい……っ」

両膝をつき、命乞いするように前に屈む。そのとき、何故か通話が切れてしまった。

画面を見ると、さっきまで何ともなかったのに、電源が落ちていた。


おかしい。まだ充電はあったはずだけど。

ぬれた頬を手でぬぐい、立ち上がる。ひとまず居場所は送ったし、景さんが無事に来られたら合流できるだろう。迎えにこさせてしまって、結果的に迷惑をかけた。

申し訳ないけど……俺は少しずつ、昔のことを思い出していた。



─────俺と同じく、滝に身を投げようとした少年のことを。






その少年は、とても綺麗だった。

崖の上から腕を掴み、やっとのことで引き上げた。彼は逃げられないよう手足を縄で縛られ、全身傷だらけだった。俺よりも痛めつけられた状態で放り出されて。そのボロボロな姿に、胸が引き裂かれそうになった。


自作の薬を塗って、一日看病して、ようやく彼は口を開いた。

「……もしかして、去年龍神の生贄にされた」

「あぁ。でも残念ながら生きてるよ」

水につけた布をしぼり、彼の地で汚れた額を拭いてやる。

「龍神様も、あんな村の為に雨は降らさないって怒ってる。でもそのせいで、今年は君が生贄に選ばれた。ごめんな」

「何でアンタが謝んだよ。自分だって、村から見放されたのに」

「ん~。……何でかね」

困ったように笑うと、彼も眉を下げて首を傾げた。

俺は作っておいた粥を用意して、彼にひとくち差し出した。


「とにかく、もう大丈夫だよ。君さえ良ければ、ここで一緒に暮らそう」


龍神様がいるから安心だし、と言うと、彼は引き攣った笑顔でお粥を口にした。

「……本当に龍神がいるの?」

「いるよ。ほら、祠も作ったんだ。安っぽいって怒られたけど」

洞窟の奥に建てた祠を指し示すと、彼はようやく笑った。

「ほんとだ。安っぽい」

「失礼」

「ごめんごめん。……未完成みたいだから、手伝おうか?」

少年は、黒曜石のような光をたたえた髪を掻き分ける。

前髪を振り払うと、とても綺麗な瞳が俺を映していた。


「まぁ、一人よりは二人の方が良いもんに仕上がりそうだよな。よし、手伝ってくれ」

「分かった。ところで、名前は?」


彼は正座し、こちらに手を差し出した。


「俺は成尋なるひろ。よろしく」


俺も微笑み、傷だらけの手を取る。滝に隠れた洞窟の中で、大切なひとを手に入れた瞬間だった。


明永あきなが。こちらこそよろしく!」


龍神様と過ごして二年目の秋。俺の前に、傷ついた少年が現れた。

裏切られた者同士ではあるけど、若いせいか悲観的にもならず、主様の為に祠を作り直した。小川に行って魚を捕ったり、木の実を食べたり、自給自足ながら毎日楽しかった。


ひとりじゃない。話せて、触れられる存在が傍にいることがこんなにも幸せだなんて。一年前はやはり想像もできなかった。

成尋は俺と違い、村の上役の息子だった。それなのにどうして生贄に選ばれたのか訊ねると、彼は妾の子なのだと話した。

「厄介払いができたって喜んでた」

「何それ。腹立つな」

「うん。でもそれまでは普通に良くしてくれてたから……恨んではいないよ」

どうでもいい、と零して彼は寝転がった。

夜、秋の名月を見上げ、虫の声に耳を傾ける。


「今もこうして生きてるし。……お前に会えたし」

「…………!」


その言葉を聞いた瞬間。

怒りとか理不尽とか、寒さや悲しさが消し飛んだ。


あるのは、ただただ愛しさ。

俺も大概、単純だ。横になっている彼の隣へいそいそと移動し、横になった。


「俺も~♪ お前がいればいい。……他には何も要らないよ」


そう言うと、成尋はわずかに目を見開き、俺の頬を撫でた。


「じゃあ、ずっと一緒にいるか」




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