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あなたと巡る、愛しい雨旅  作者: 七賀ごふん
輪転

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12/14

#2



自分の名前が“名田都築なだつづき”であると知ったとき、前世の記憶も息を吹き返した。

閉鎖的な村で生まれ育ち、代々続く流れに身を任せながら。


いつも酸素が薄い空間に閉じ込められてるような、言葉では言い表せない圧迫感を抱いていた。だが不思議と水の周りにいると心が落ち着いた。池、川、滝。海に連れて行ってもらったことがないから、高校一年生の夏休みにひとりで遠出した。


そのとき、細かった視界が開けたのかもしれない。初めて見る海は、俺の中に巣食う妥協や退屈を叩き壊した。

ああ。

この世には、こんなに広い世界があるんだ。

あの村で一生を終えるわけにはいかない。

きっと何でもできる。本気を出せばどこにだって行けるし、必ず見つけられる。


俺を助けてくれた主様。そして、いつも傍にいてくれた少年。彼らと、いつか─────。




「三十六度八分」

「良かった! おかげさまで下がりました」


翌朝。体温計を確認した景は、都築の声掛けに頷いた。

「食欲はあるか? 昨夜は何も食べなかっただろ」

「あー……ちょっと空いてきたかも」

「分かった。ちょっと待ってろ」

あ。もう帰ります。

と言うタイミングを逃し、またも項垂れる。

迷惑かけ過ぎだろ、俺……。

ここまでくるとどうお詫びしたらいいか分からない。迷惑料を支払わないといけないレベルかも。

ベッドの上でひとり頭を抱え、ため息をつく。


景さんは俺に優……いや、甘過ぎだよな。

嬉しいけど、こっちまで甘えぐせがつきそうで怖い。


「粥なら食える?」


少しして、景さんは一人用の土鍋に入った卵粥を持ってきてくれた。蓋を開けた時の湯気と香りは、眠っていた胃袋を起こすのに充分だった。

「美味そう……い、いいんですか?」

それでも申し訳なくて尋ねると、彼は蓮華にすくい、俺の口元に運んでくれた。

「ほら」

「あ、ありがとうございます……!」

はぐっと熱々のお粥を口にする。熱々……なんて生易しいレベルではなく、地獄の業火に等しかった。危うく吐き出すところだったが、決死の思いで口を塞ぎ、何とか推しとどめた。


「美味しいです……」

「泣くほど?」


あまりに熱くて涙が出てきた。俺を不審そうに見つめ、景さんは蓮華を差し出す。

ふわふわの卵とネギ、それから鶏がらの風味。実際すごく美味しくて、冷めてからは一気に平らげてしまった。

ちなみに上顎と舌はしっかり火傷した。

「ご馳走様でした! 美味しかった~」

「全部食えて良かった」

火傷なんて大した問題じゃない。景さんの手料理は基本、お店レベルで美味しいから。

お腹もいっぱいになり、幸せな気持ちでベッドに座り直す。するとスマホに数件メッセージが届いてることに気付いた。

「あ、職場からだ」

「……そういや今日のシフトは大丈夫なのか?」

「大丈夫です! この感じじゃまだ行けないと思って、昨日休みの連絡を入れておきました」

本当は休みたくないけど、無理したことで仕事中に迷惑かけたり、周りに風邪を伝染す危険もある。やはり全快まで大人しくしてる方が無難だ。

スマホを置くと、景さんはフムと頷き、顎に手を添えた。


「なら明日まで泊まればいい」

「いやいやいや!!」


さらっと告げる景さんに全力でツッコむ。彼の気遣いは本当に有り難いけど、もう限界だ。

「もういい加減出ていきますよ。本当に、色々ごめんなさい」

正座して頭を下げるも、彼は机の上のノートパソコンを手に取り、ドアの方へ向かった。


「俺は隣の部屋で仕事する」

「あ、はい」


……帰っていいってこと? それとも駄目ってこと?


汗をだらだら流しながら見つめてると、彼は去り際にわずかにこちらを向いた。

「夜なにが食べたいのか考えといて」

バタン、とドアが閉められる。

「…………」

ひとり部屋に取り残され、呆然と呟く。


「駄目ってことか……」


彼も中々意志が固いので、帰らせる気は毛頭なさそうだ。

相変わらずメンタル強めの青年を想い、都築は夜までのんびりすることにした。


日中は脈がありそうな聖地を調べたり、自宅の光熱費をスマホで払ったり、昼寝したりした。

せめて家事をしたかったけど、景さんの部屋のドアをノックするのは申し訳ないと思った。彼の集中力は生半可なものではない。モニターに向かって、十時間は座っていた。


よーし……!

二十時を回った頃、意を決して彼に声を掛けた。

「景さん、お腹空きませんか。なにか出前とりますよ」

ドアをノックし、スマホだけひらひらと翳す。すると彼はハッとしたように、椅子ごと振り返った。

「悪い、もうこんな時間か」

「いえいえ、お疲れ様です。俺もすっかり熱下がったし、出前じゃなくてなにか買ってくることもできますよ」

そう言うと、彼は首を横に振って立ち上がった。

「休んでろ。出前をとる」

何が食べたい? と訊かれたので、ちょっと困りながら頬をかいた。

「俺はいいので、景さんが食べたいものを」

「俺のことは気にするな。……遠慮し合う仲じゃないだろ?」

「それは……」

そうですね。と言うには、長く付き合い過ぎた。


今世で再会してから、三ヶ月近く経っている。突然無礼講というわけにもいかないので、接し方も手探り状態だ。


「遠慮か……」

「?」


それでも躊躇っていると、彼は考えながら顎に手を添えた。

「堅苦しいから、もっと自分勝手に振る舞え」

「そんなぁ……無理ですよ」

景さんの提案は、またまた俺にとっては困るものだった。

「前世はタメだっただろ。本心も打ち明けた。何を遠慮する必要があるんだ?」

彼は脚を組み、可笑しそうに見上げる。

問題ありまくりだというのに、もう彼の中では解決済みになってる気がした。

景さんが質実なことと、前世の記憶が戻りきってないこともあり、敬意を払わないといけない気になるんだけど。

……いいのかな。本当に、昔みたいな関係に戻って。


俺には、過去のことを訊く勇気もないのに。


「生意気なこととか言って、怒らせたりするかもしれませんよ」

「警戒してるな。いいよ、好きなだけ我儘になれ」


……今まで我慢して生きてたんだろう?

景は愛おしそうに目を細め、向き直る。


都築はパソコンで出前を検索し始めた景の隣に移動する。わずかに上擦った声で、はにかんだ。


「えへへ。どうしよ、すごい嬉しい」

「…………」


屈んでモニターを覗き込んでいると、不意に頭を撫でられた。

「景さん?」

「お前は本当に素直だよな。何でそのまんまで大人になれたんだか」

褒められてるのか貶されてるのか分からないが、彼のマウスに手を添え、メニューの一覧を眺める。

「景さん達のことだけ考えて、気付いたら大人になってました」

俺の二十年はとても長かった。それこそ気が狂いそうなほどに。


でも、彼と出逢ってからの経過は恐ろしいほど速い。


「ただ、長く生きてるわりに内面は成長してないからなぁ……」

「そんなことはない。お前は一番しっかりしてた」

「今も?」

「今は……そうだな。しっかりしてるかもしれない」

「退行しちゃった……!」


軽くショックだけど、今までで一番楽しそうな景さんから目が離せない。

俺も、控えめに言って最高の日だと思った。


本当に小さな一歩なんだろうけど、俺達は確かに前に進んでいる。


「ん~。ローストビーフ丼も美味しそうだけど……景さん、俺はこのジューシー盛々ハンバーグ丼にします」

「ほんとに病み上がりか?」


ひとりでは見えなかった景色。抱かなかった感情。

それを今、大切な人の隣で感じている。


隣で笑い合うことの喜びを、数百年ぶりに思い出した。




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