第2話:五階の惨劇
異変の最初の兆候は、階段を五階へと上っている最中に記録された。
ガタン!
鉄の扉が乱暴に閉められたような、硬質で暴力的な響きが棟全体にこだました。
斉藤拓也と相田美咲の軽口が止まり、映像が急に上を向く。反射的に、春日部塔子が早瀬春の前に手を出して制する。
「何? 誰かいるの?」
と早瀬春が小声で尋ねる。
「声でもかけてみるか?」
斉藤拓也の好奇心は、恐怖よりも勝っていたらしい。相田美咲もそれに同意する。
「待ちなよ、二人とも。様子がおかしい。やめておいた方がいい」
春日部塔子の冷静な制止も、スリルに浮かれた二人には届かない。
カメラは、ためらいがちに二人を追う。そして、五階の廊下。懐中電灯の光が捉えたのは、常軌を逸した光景だった。
最初は、暗がりに浮かぶ二つの人影。光が近づくにつれ、そのディテールが明らかになっていく。
呆然と立ち尽くす若い男女。女は恐怖に顔をこわばらせ、男の背中に隠れるように寄り添っている。そして、男の手に握られたコンクリートの瓦礫。そこには、べっとりと生々しい黒いシミが付着していた。
カメラがさらに下を向いた時、それが現れた。
うつ伏せに倒れた、白いワンピースの女。
その白は、周囲の汚れや闇をすべて吸収するかのように異様に際立っている。だらりと力なく広げられている手足。床に広がる濡れた黒髪が、まるでそれ自身が血だまりであるかのように不気味に艶めいていた。
《記者の注釈ーーこの男女は早瀬春、春日部塔子たちとは別にこの廃墟に肝試しに来ていた四人グループのうちの二人、伊集院健介と久保田沙織である》
伊集院健介がカメラの存在に気づき、ゆっくりとこちらを向く。その顔には、驚愕と、絶望と、そして「なぜここに」とでも言いたげな、わずかな非難の色が混じっていた。
次の瞬間、映像は激しく乱れる。
「ひっ…!」
カメラの主である早瀬春の、短く引きつった悲鳴。
「春、逃げるよ!」
春日部塔子の切羽詰まった声が響く。手ブレ補正の限界を超える激しい揺れ。思考が追いつかないパニックの中、天地が逆転し、壁と床が交互に映し出される。マイクが拾うのは、悲鳴ともつかない撮影者の喘ぎ声と、階段を転がるように駆け下りる無数の足音だけだ。
映像が安定したのは、一つ下の四階、とある空き部屋に転がり込んでからだった。ドアに背を預け、喘ぎながら床にへたり込む撮影者、早瀬春の視界。マイクは、彼女のパニックに満ちた嗚咽を拾っている。
「あれは何なの…? 私たち、何を見たの…?」
意味もなく繰り返す早瀬春を、春日部塔子が正面から両肩を掴んで制止する様子が、激しく揺れる映像に記録されていた。
「春、落ち着いて。私を見て」
春日部塔子は早瀬春をなだめながらも、その視線は虚空を彷徨い、まるで自分自身に言い聞かせるように目の前の光景を分析し始める。
「人が死んでた。状況から見て、あの男が殴り殺した…。でも、何かおかしい。違和感がある…」
映像は、春日部塔子が何かを懸命に思い出そうとしているかのような表情を捉えている。しかし彼女は「今はそんなことを考えている場合じゃない」と呟くと、思考を切り替えるように一度首を振った。そして、カメラの向こうにいる早瀬春を見据える。
「大丈夫、落ち着いて、春。私がついてる」
それに、「うん、うん…」と早瀬春が頷く声が応える。やがてカメラが辺りを見回し、早瀬春の声が続く。
「拓也と美咲は?」
その言葉に、春日部塔子もはっとしたように辺りを見回した。
「…はぐれたようね」
春日部塔子はすぐにスマートフォンを取り出し斉藤拓也に電話をかけるが、応答はない。早瀬春に向かって静かに首を振ると、「警察に知らせないと」と呟き、警察へと通報する。
そして、
「…え? すでに、通報を受けて向かってる…?」
オペレーターの言葉に困惑する春日部塔子の表情が、スマートフォンの画面の明かりに照らし出される。




