5・錬金術師
慎重に試薬を調合していたはずのガラス瓶が木っ端微塵にはじけ飛んだ。
「まあいつものことだ」と、『ベルモット・オルウェーズ』は部屋中に充満した黒煙を吐き出すため、大窓に向かった。
時は西暦1562年、ボズワーズの戦いから70数年後のイングランドの片田舎での出来事――。
「すっげえな、禁呪法でもここまで爆発しねえと思うんだが――」
独り言は、彼女の日常だ。師と仰いでいたはずの『レリック・ノーベンサー』から破門を言い渡された25歳は、目下、それまで禁忌とされていた『魔術』へと傾向していた。それが故の破門だった。
「ぷはあ、ゲホッ――。ま、今やエーテル理論だけで連金をやってこうなんていう、古臭い前時代の老人たちにつき合ってる暇はねえ。オレは魔術だろうが悪魔だろうが、使えるものはとことん使ってやる気なんだからよ。にしても、晴れねえ空だな」
緑豊かな林の奥に佇む小さな木造の小屋が、彼女の毎日の作業場だ。彼女はそこを『プラチナム・ターミナル』と名付けていた。
錬金術者界隈で純金を超える究極の鉱物と予測される『プラチナム』を生み出すために、彼女は日々、異臭と爆発と、時にターミナルを焼失させそうになる小火と闘っている。
「なんだかなあ――。もっとこう、ズバーンとドカーンと世界を変えられそうな非常事態でも起きないもんか――」
そう願う彼女に、すでに世界は相応な世界に変わっていたのだが、彼女はまだそれを知らない。先の爆発で発生した猛毒ガスにより、彼女は一度、命を落としているのだ。
中世の錬金術――究極的には「様々な金属を化学合成して『純粋な金を生み出そう』という夢と欲に溢れた無茶な試み」から始まった科学者たちの遊びは、その後、革新的で妄信的な学者を熱狂へと引きずり込んでいた。
現代科学であれば中学生でも否定できる無謀な賭けは、しかし誰かの大いなる失敗――時に命を落とす事態が引き起こされようとも、だからこそか、若き科学者たちは究極の錬金に寝る間も惜しんで没頭していた。
「あー、面倒くせえ……」
呟いた彼女は、とりあえず手持ちの銀貨一枚を右手に握り、これから金屑屋へ向かうための準備を始めていた。
今のところ、彼女が使える最大の錬金術は硬貨を生み出す(偽造とも呼ぶ)行為が精いっぱいだ。当時の価値で日本円に換算すると300円ほどの1ペニー銀貨を必死の形相で握りしめ、十分かけて二枚に増やした。そして精魂尽き果てるまで同じことを繰り返し、十五枚にもなれば身動きも取れなくなる。ただの気力と体力勝負だ。
ただし、気力や体力とは別に、その神にも背く行為には大いなる代償が伴う。
「チッ……またデカくなりやがった。動きにくいったらありゃしねえ」
いつもの愚痴をこぼせば、町外れの金屑屋へ向かうだけだ。銀貨は一枚だけ残して、一斤のパンを買って帰るつもりだった。
「なんだ……? こんな道、いつできたんだ?」
また独り言。ただし、何百回と通った林の中で異変に気付いた彼女の勘は、大方で正解だった。
「こりゃ、ヤベえことになっちまったかもしれねえぞ……」
今のところ、この世界を巻き込んだ異常事態に、僅かではあるものの気がつき始めているのは、彼女だけだった。時は令和7年、西暦2025年の8月9日。日本――。