いつもの朝、いつもの風景
朝食のトーストを口にくわえながら、黒瀬は玄関のドアを足で押し開けた。
「……鍵、よし」
一言つぶやいてポケットを叩くと、春風を感じながら階段を駆け下りる。
築年数の古いワンルーム。管理人の姿は見かけたことがないし、隣人が誰なのかも知らない。そんな場所に、黒瀬は一人で暮らしている。
リビングの家具も、寝室も、すべて最低限。
思い出の品や家族写真などは、ひとつもない。
――いや、最初から“存在しなかった”のだ。
「さて、今日も普通に過ごせますように……」
誰にともなくそうつぶやいて、黒瀬は制服のポケットに手を突っ込みながら住宅街を歩いていく。
駅までの道は、いつもと変わらぬ風景だ。
通勤ラッシュに急ぐ大人たち。
集団登校する小学生の列。
道路脇で清掃活動をするボランティア。
けれど黒瀬は、ほんの少しの違和感に気づいていた。
電柱の根本に走る、小さな亀裂。
まるで内側から押し上げられたようなアスファルトの盛り上がり。
誰もそれを気に留めていない。けれど、黒瀬には分かる。
――あれは、“奴ら”の痕跡だ。
静かな日常に潜む異常。
それに気づけるのは、限られた者だけ。
黒瀬もまた、その一人だった。
そして今日も、そんな世界の“裏側”を知る者として、彼はごく普通の高校へと足を運ぶ。
――この平穏の裏に、誰も知らない戦いがあることを隠しながら。