海の彼方へ
しいなここみさま主催『梅雨のじめじめ企画』参加作品です。
昔、子供の頃に見た夢に加筆修正したモノになります。
こんな夢、普通はそうそう見ない気もする。
じわじわと身を焦がす様な熱が、陽の光も射さない「そこ」へも侵略していた。
本来であれば恐らくは涼しげで、この時期には過ごしやすい気温になるであろう「そこ」は奇妙なほど暑く、そのせいか周囲の湿度も相まって、異常な熱気を醸し出していた。
「そこ」は広い、石壁に囲まれた部屋だ。
面積は下手なダンスホール程もあり、石造りの部屋としては広大としか言いようがない。 天井も高く、見ただけではどの程度の高さがあるのか、さっぱり解らない。
その部屋と言うには広すぎる空間は、その広さに反して真面に過ごせそうな空間は僅かばかりしかない、奇妙な造りになっていた。
――ちゃぷ、っと水面が揺れる。
それに伴い、潮の香りが強くなった。
そう、この石造りの部屋は、その面積の大半が水堀で占められているのだ。 そこに溜まっているのは海水であるが。
と言っても水平線なぞ望むべくもなく、向こう側に見えるのは石の壁だけだ。
「ここ」は彼女の様な「魔女」を痛めつけ殺す為の部屋なのだから。
勿論、彼女は「魔女」ではない。
そもそも「魔女」など、教会の創り上げた都合の良い「敵」に過ぎない。
当初は「敵性存在」を誅殺する為の、言い訳の為の「神敵」。
今ではその家の「財産」を奪い取る為の、言い訳にもならない言い掛かりである。 場合によってはひとりの魔女認定で、村ひとつ、街ひとつが消されることすらあり、それは正しく「悪魔の所行」であると言えよう。
ならばどちらの存在が悪魔であるかなど言うまでもない。
結果、奴等は肥え太り、人々は萎縮し何も言えなくなっていった。
だからという訳ではないが、少女が捕まろうともその安否を気に掛けるのは少数だ。 何せ、彼女が余計なことを言えば、村ごと粛正されかねないのだ。
そうなれば全ての財を奪い取られ、「神罰」と言う名の放火で村は人々ごと焼き払われる事になる。
故に彼等は望むのだ。 口に出さずとも、心の底で。 世間様には知れずとも、身内だけの空間では。
望むのだ。
死んでくれ。
何もせずに死んでくれ。
ひとりで死んでくれ。
何も言わずに死んでくれ、と。
そう、彼女が何かを口にする前に死んでくれる事を望むのだ。
――ちゃぷん
波が跳ねる。 ゆれるゆれる。
それは堀が海に繋がる証明。
だがその「道」は海水に満たされた長い長い洞窟になっており、通り抜けられた者はいないのだと、ご丁寧に豚の様な体格の司教さまが教えてくれていた。
ニヤニヤと、下卑た笑みを浮かべながら。
その手に持つ鞭を振るいながら。
挑戦してみろと言わんばかりに。
この部屋は水が豊富なせいだろう、水責めのバリエーションも豊富だ。
司教は嬉しそうな様子でそれらを使う。
水中に沈める為の、錆だらけの鉄の檻があった。
檻の中に彼女を入れて、梃子の原理で水中空中と上下させるのだ。 酷く大がかりなそれは部屋のスペースを圧迫している。
動力は数人の奴隷と思しき男たち。
彼等も水に濡れた彼女を見て、ニヤニヤとしている。
同じ設備を使い、単純に逆さ吊りのまま水中に沈められる事もある。
これは司教が、やはり嬉しそうにひとりで使う事もある。 はあはあひいひい言いながらも楽しそうに上下させる。
水車もある。
手足を拘束する為の設備が備えられ、手動で、時には自動で回転させる。
波の強くないここは、放っておくとその回転数はあまり増えない。 だから楽な場合もあるが苦しみが長く続く事もある。
司教は、下着姿の彼女をニヤニヤと眺めている。
脈絡もなく、ただ水中に投げ出される時もある。
わざわざ着せられたワンピースが煩わしい。 丈夫な手枷が邪魔くさい。
溺れると足に巻き付いたロープが引かれる。 地上で息を整える間もなく再び水中に投げ出される。
投げる男の手つきがいやらしい。
水以外の責め苦もある。
鞭以外だとこの司教の好みはコウノトリと呼ばれる拘束具だ。
首と折りたたんだ手足をがっちり拘束する、鉄の棒と輪を悪趣味に組み合わせたコレは、放っておくだけで人を殺せる刑具でもある。
全裸で拘束された彼女を、司教はニヤニヤと見物する。
圧迫された全身の血が滞り、鬱血し始めるまで見続ける。
彼女は何も話さない。
村や村人たちの為と言うより、この豚の様に肥え太った司教の言いなりになるのが、気に喰わないから話さない。
ある夜、石壁へもたれ掛かる様にして眠る彼女の元へ、下卑た笑みを浮かべ司教がひとりでやってきた。
彼方此方が金糸で彩られ、ごてごてした悪趣味な司教服を着た元凶が、たったひとりでここに来た。
たったひとりで、この昼間の熱が残り、異常な湿度を保ち続けるこの石と水の部屋へ。
彼女は「魔女」ではない。
「Witch」という悪魔を奉じ、悪魔を慕い、悪魔と夜を共にする様な存在ではない。
だが、この時この瞬間、彼女は正しく「魔女」であった。
魔性に魅入られ、人道を捨て魔道へと踏み入った、ひとりの「魔女」であった。
司教は錆の浮いた鉄の扉をゆっくりと開閉する。 それでもギシギシと音を立てる扉の鍵を閉め、足音を忍ばせ彼女に近づいてくる。
司教にそんな事をする理由は少ない。
鍵は閉められ、そもそも彼女の両足には自由に動かせぬ様に枷が嵌められている。 気づかれたとしても、逃げようはないのだ。
なのにそんな事をする理由など簡単に想像がつく。
彼女は待つ。
司教の持つカンテラだけが辺りを照らす。 薄目で見ても気づかれる事はない。
彼女は待つ。
両足の枷が外され、傍らに置かれる。
いそいそと司教は悪趣味な服を開けると、彼女へのし掛かった。
薄目を開ける彼女の前には下卑た豚の顔。
今にも涎を垂らしそうな醜悪な顔が、カンテラの明かりの中、ゆらゆらと浮かぶ。
近づく顔。 その視線は彼女の顔に向けられてはいない。 彼女が起きている事に気づいていない。
彼女の手が上がる。 指を伸ばしたままの手が持ち上がる。
――ぴちゃん
波の音と、トマトを潰した様な音が重なった。
「――ぎゃああああああああぁぁぁぁっ!!」
両目を潰された司教が叫ぶ。
何が起こったかも理解出来ず、突然の痛みと急に訪れた暗闇に絶叫する。
カンテラの頼りない光の中、蠢く影絵はゆらゆらと揺れる。 ふらふらと揺れる。
愚かな司教は彼女が原因だなんて思わない。 思えない。 彼女はまだ寝ているはずなのだから。
彼女は傍にある重い枷を持つと、急ぎ司教の足首へ嵌めた。 ギリギリのサイズだった枷は司教の足首の皮や肉を挟み込んだが、しっかりと機械的に填め込まれる。
その痛みのせいで足をバタつかせる司教に、もう片方の枷は嵌めようがないが、片方だけでも十分だった。
彼女は足枷の先にある重りを両手で抱えると堀へ投げ込んだ。
突然足を牽引された司教は横に倒れ込む。
先程、下手に歩いてしまったせいだろう。 枷を嵌められた足はもう地面についていない。 堀の方へはみ出している。
彼女はもうひとつの枷の先にある重りを持ち上げると、司教の手の甲へ落とした。
「ぎゃっ!!?」
それを二度三度と繰り返し、両手を丹念に砕いてから、その手首へ残った枷を嵌めると、先程と同じ様にそれの先につく重りを堀へ落とした。
「……あ、あ……だ!?」
再び声を上げようとする司教の頭へ、体重を乗せて足を踏み降ろす。 頭を砕く様な威力はないが、鼻は潰れ、歯が折れ、唇は裂けた。
「……あ……あ……」
思わず身を引いてしまった司教は下半身まで堀に落ちてしまったが、最早後の祭りだ。
波が落ちた重りを引く。 強く、弱く、何度も何度も引く。
潰された目から光は失われている。
砕けた両手にちからは入らない。
腕のちからと服の摩擦だけが司教の命綱なのだ。
その司教の様子を彼女はじっと見つめる。 司教がこれまでしてきた様に、ただその有様をじっと見つめる。
波が重りを引く。
カンテラの灯火がゆらゆら揺れる。
海水が司教服に染み込み、それを新たな重りに変える。
先程開けたせいで脱げた服が重りに絡まり、更なるちからで司教を引く。
彼女はカンテラを司教の頭に叩き付けた。
額が割れ、顔に付いた油が燃え広がり、司教は身を逸らせてしまった。
「あ……」
両目を潰され、両手を砕かれ、豪華で悪趣味な重い司教服を身に纏った者が、足に枷を付けられ真面に泳げるはずもない。
重さに負けて、沈む、沈む。
暗い昏い水の中へ、沈む、沈む、沈む。
水に飲み込まれる様に。
水に喰らい尽くされる様に。
浮かんでくる様子は……ない。
「……良かったね。 沈めば無罪なんでしょ?」
酷薄な笑みを浮かべた彼女はそう言うと、僅かに残る灯火の中に海の向こうを見た。
視界に微かに映り込むのは石の壁。 その向こうには海が広がる。
彼女はそっと服を脱ぎ捨てた。
下着も全て捨て、残った小さな灯りの中に、幼い肢体に刻まれた無数の傷を晒す。
彼女は、水の中へ飛び込んだ。
彼女は海を目指すのだ。
海の遙か彼方を。
ノリに乗って書いていたら、司教と司祭が入り混じる光景になっていたので慌てて修正!?
この話に司祭はいないんです!
司教なんです!