夜を裂く者【灯火】
窓はよほど傷んでいたのか、弱りきったいまの彼女には歯痒い存在だった。それでも石の窓枠に膝を乗せて体ごとぶつかっていけば、嫌々ながらも口を割らせる事が出来た。
サッと新鮮な夜風が、血生臭さの染みついた部屋へなだれ込んてくる。暗闇に慣れた目には、外は昼のように明るく感じられた。
己の目を眩ませたものが月光であったことに気づいたのは、数秒たってからのことだ。視界の焦点が合うなりとび込んできた眼下の光景に息を呑む。
「······ユオルッッ! まってて······今すぐ······ッ!」
叫んでおいてロプサーヌは愕然とする。王家の護剣が、龍晶がないことに。
いつもならこの程度の高さに躊躇いはしなかったろう。屋根を駆けおりて跳躍し、術を起動すればそれだけで足りる。わずか数秒でそこへ行けたはずだ。
だが今、自分はなんの超常な力もない少女。隔たりは一秒を争うなかで余りにも遠かった。
「く······」
それでも。
なんとか足がかりを見つけだそうとさらに身をのり出した、その時、
「お前ぇぇぇーーーーーッッッ!!!」
絶叫が背後からきこえ、身体が押された。
「──────」
「ッ!?」
「嘘ッ!!」
宙空にふわりと身が浮く、あの感覚。
いつもなら。そう、いつもなら身馴染の感覚。
そりゃあ頭が下になりかけていて、均衡は崩れ気味で不格好この上ない。不快感はある。それでもいつもならばすぐに立て直しているはずで──だがそうはならない。
身は痺れたように意思の命令に反応せず、支えてくれる力の抵抗も感じない。
空虚──死の空虚だ。
「っ!」
とっさにすがり伸ばした手がなにかを掴む。が、その支えも頼りなく瓦解して、ともにゴロゴロと急屋根を転がり落ちた。まるで巨人の手に乗るかのように、他愛なくぽうんと宙に投げ出される。
ロプスと、突き落としたコラルドの姿が、一種滑稽な影を月の面に浮かび上がらせた。
「駄目ッ!」
「むぅんッ!!」
目を血走らせたニコラが、額に青筋を立てながら心中でその号を叫ぶ。
持っていけ······! グランディオッサ······ッ!!
一気に樽が爆ぜ内より溢れた奔流が宙空へ透けた龍の姿を形造る。龍はひと声、音にならぬ叫びを発するように身を仰け反らせると、今しも落下せんとしたふたりと地面の間へ滑りこみ身を丸める。
グニャン、という感触が背中をつつんで衝撃を肩代わりした。おかげで地面を転がったものの、ロプスはほとんど無傷で生還を果たした。
「······っ、ニコラ······ッ」
むけられた視線に、歯を食いしばって耐えるその笑みが物語っている。
救えて本望だ、と。
「バカッ、無茶して!!」
助け起こすマイシャが悲痛な声をあげている。ロプサーヌは呆然と、いまの光景に目を開いた。
「ニコラ······マイシャ······ユオル」
なんだ、これは。自分は何をしたんだ。これは······みんなを危地へ巻きこんで······こんな······!
不甲斐ない自己への怒りが、魂になけなしの焔を灯していく。膝をあげ、一歩、また一歩と歩みを重ねる。
ごめん、ごめんね。ニコラ、ユオル。でも······もう。
大地へ倒れふすユオルが必死にとり戻してくれた戦乙女を拾いあげる。
ギラリとした湖色の瞳が灰色の騎士を射抜いた。
「······よくもやってくれたね。次はアンタにもたっぷりお礼してあげる······!」
「ほう? これはこれは、小さな騎士殿。あの小倅の魔手から逃れるとは大した運の持ち主だ」
怒りで目の前が真っ赤になった気がした。
「アイツの使用人が皆いい加減だったからね。貴方も含めて」
ロプサーヌはおおきく息を継いで断言する。
「けど、私が助かったのは運じゃない。ここにいる皆が命をはって助けに来てくれたからなんだ!!」
生命を喰らう陽炎が満ちるなか、白い輝きにつつまれたロプスがたつ。
熱をとり戻した手に何かがそっと触れた。
相変わらず不格好な造形だ。細長い人の形をなしたニコラの術が、透ける手で右拳に触れている。ひややかなその感触が、落ち着けとそう言っているようだ。
──わかったよ、ニコラ。わるいけど、もう少し力を貸してくれる?」
──お安い御用ですとも。
水人形が美しい飛沫を舞わせて散った。
かわるようにして光の道が地を駆け抜ける。ニコラから溢れた光の筋が白槍へと集い、戦乙女が槍としての真の姿をさらけだす。
「貴方、サヴェリウス人だね」
「······そちらもな。皮肉なもんだ。こんな遠国で顔を合わせれば胸糞悪かろうと分かっちまう」
ブワリ、と鬱気の圧力が膨れ、男の胸元で踊る灰黒色の結晶が、いびつな輝きを放つ。
「まったく忌々しい限りさ······!」
「名は? 私はロプサーヌ・アウルロア」
「ホボルク・シュトゥルーゼ」
「······なんでそんなになっちゃったかは訊かないよ、騎士シュトゥルーゼ。柄じゃないんだけど······義務だからやらせてもらう。
わが祖国サヴェリウスの名の下に──サルヴェンドラに連なる者として! 貴方に制裁を下すッ!!」
ひと間おおきく見開かれたホボルクの眼がすがまり、皮肉な笑みで口許がゆがむ。
「······やってみろ」
「そうするッ!!」
従者を相手どった時とは比べるべくもない。
全力の重い一撃が不吉な龍晶の輝きを乗せて繰り出される。まさに子供対大人の激突に、槍と剣のリーチ差はほぼない。
三撃弾いて柄でまわし受け、身を翻して薙ぐ。応じたホボルクも逆の回転で避け、ただちに詰めて刃を合わせる。
得物は止められるが灰色の気だけは神具をすら透かす。その一撃一撃の気刃には直接的に肉体を弑する力はなくとも、命中した箇所からは如実に機能が奪い去られていく。
白き輝きがこれを振り払わんとする。が、やはり繰る者の疲弊は濃く、速度ではるかに劣る。あっという間に手が詰まって体勢が崩された。
「──糧と成り果てろ······ッ!!」
必勝の機とみてホボルクが剣を構えて迫る。灰と白、二つの刃が再度交わり、風とも違う壮烈な流れを生み出した。
限界なぞ感じさせずに奔出しつづける灰黒の奔流が、主を護らんと包みこむ光の球を激流のごとくに呑みこんで。
あたりを暗闇へと落とした。
「···ッアアアアアア────ッッッ!!!」
瞬間、光が爆ぜた。
闇のなかに滲みた心細い点のように灯ったそれは、この一瞬、はるかなる航路をしめす灯台の軌跡となって死の影をきり裂き、邸の石壁、はては背後の夜空すらを横断したように思えた。
「は······?」
ホボルクに言えたのは、ただ、これだけ。
灰黒の陽炎が、靄のように形を失って散っていく。
胸元の結晶には錐で穿ったような白の真円が開き、荒んだ騎士は、信じられないといった表情を貼りつけにしたまま剣を落とす。
仁王立ちに頭から地面へと倒れこんだ。
今話もお寄り下さりありがとございました。
次回で四話最終部となります。
誤り、表現一部を修正しました。




