死中に仰ぐ活
賊団こと、鬼鎧団アジト。
衆議場となっている例の大洞穴のなかで、首領・バーハルトは顔をあげた。
「隣国側から兵がくる?」
彼に報をとどけた、団のなかでも最古参に属する仲間の男は無言でこの問いを肯定する。
「斥候班が報せてきた。向こうさんしびれを切らしたって所だ」
「わざわざ越境してまでも滅ぼしたいのか。国からは出てやったというのに······」
そもそも鬼鎧団は、彼がウェラヌスギアで結成した組織である。
横暴な貴族どもに吠え面をかかせてやるために、スラムのはみ出し者らをよせ集めたのがきっかけだったのだが、被害がいよいよ看過できなくなったか、国が追討に本腰をいれ始めた。そのために、彼らはぎりぎり国境を隔てた先にあるこの山へと移ってきたのである。
「··················」
危急の事態に決断をもとめられたバーハルトは目をつむり、じっと考えにふけっているようだ。思考時の癖なのか、なにか独り言のようなものをブツブツと、誰かと話してでもいるのか、あるいは呟いているのか、とにかく唇がしずかに動きつづける。
「······毎度思うんだが。首領は誰と話しているんだろうな」
「しっ。首領は己と対話してるんだ。ああやって考えをまとめてんだよ」
「いま······首領の鎧、こっちを睨まかったか?」
「バカ、んなもん灯りの錯覚だ」
囁きあいながらも団員たちが辛抱づよく待つことしばし、彼はようやっと口を開いた。
「待たせたな。まだ大物と闘るには早いが······しかし来るものは仕方ない、迎撃する」
テーブル代わりに使っている平らな大岩のうえに、仲間が阿吽の呼吸でバサリと近隣の地図をひろげる。バーハルトはこれまた椅子代わりの岩にドカリと腰をおろし、しばし図面を睨んだあと、紙片へと指を這わせた。
「敵は間道を来るしかないんだ。仕込んだ罠でもって痛手を負わせられれば、充分凌げるだろう」
「面子はどうする? いまは町を抑えられるかどうかの大事な時期だ。本隊を損ないたくはないだろ」
「尖兵には降った奴を使おう。例の警兵どもはいけそうか?」
「······まあいいんじゃないですか。意見が割れているみたいたが、こっちに靡いている奴らもいます」
「なら、賛同派と否定派それぞれ二名一組にして半数をだし、残りは留めて人質とする。これなら妙な気は起こせない。
どう、首領」
「いいだろう、それで進めてくれ」
かりにも相手は一国の軍隊。
だが彼らは、自分たちが敗けるとは微塵も思っていないのだ。
ついこの前までの警兵隊の頃とは逆で、馬で追いたてられながら前をいく降伏者たちに、幹部たちは一応の規律をもとめた。
二列縦隊でちぐはぐな恰好の者らがすすむ様はまるで猿真似の軍隊のようで、滑稽でさえある。成りあがりほど形にこだわるの例え通り、とにかく従う側は得物を肩に南へと進むのみだ。
「······いいか、よく道を覚えておくんだぜ?」
後ろから怪しまれない程度に用心しながら、隣を歩くマズノルが囁く。
「これからは自分の目と脳ミソだけが頼りだ」
「ああ、分かってる」
ユオルはいって、林の奥に迫りあがってくる山塊へと目をやりながら答えた。
戦闘は昼過ぎにはじまった。
開幕の合図は地鳴り。
山道を伝ってやってくるウェラヌスギア軍の面前で、いきなり山が揺れた。
もちろんそう感じたのは錯覚で、緑の山肌を土砂まじりの砂波が汚し、大岩が唸りをあげて転がってくるのが見えたのだ。
ウェラヌスギアの総兵長は慌てて前進を中止させるがすでに遅く、前陣の兵がかなり呑み込まれた。指揮系統が中陣にいたのがせめてもの幸いだったというほかない。
狙いどおりだ······!
首領・バーハルトの読みはまことに機微を得ており、まるで願ったことがことごとく叶うのだというように、その言は意のままに実現する。
山腹にうずくまった迎撃隊の小頭目を任された、己も転移者である古参メンバーは、もみ手をしながら残忍な笑みを浮かべた。
「これだから止められねぇんだ、首領との狩りは。
いいか! 俺達にゃあらかじめ用意がある! 負けるはずがねえ!
溜まりに溜まった借りを返してやるぞッ!!」
「「オオッッ!!」」
「ち、賊どもめ。小賢しい」
ウェラヌスギア軍総兵長は歯がゆく思うが、いまは堪えるしかないこともまた、よく理解していた。
いまはまだ、隣国とは事を荒立てたくはない······そのためにわざわざ目を避けて、狭い間道をやってきたのだから。
鬼鎧団め。これを見越してあの地へと拠ったな······国外への脱出にくわえ、要害確保と、何重にも策を仕込んでいたとみえる。
そうこうするうちにも、樹間から雨のように矢が降りそそぐ。足止めを食っていた所を矢で撃たれ、さらに前陣の兵列が崩れた。
「盾を前に! 全軍前進! 奏兵ッ」
命令をうけ、トランペットを腰から持ちあげた吹奏兵の美音が高らかに谷間に響きわたる。
頭上からくる矢を盾で防ぎ、ハリネズミのようになりながらもウェラヌスギア軍はジリジリと前へ進む。
軍は偽りのそれでないかぎり、退くことは瓦解にもつながりかねない。辛抱を強いられても進むしかないのだと腹をくくったあたり、この総兵長もなかなかの人物といえるだろう。
「ち······にしてもいやに粘るな。何かあるのか······」
逆に苛立ったのは、目論見どおり将棋倒しまでを期待していた鬼鎧団の小頭目のほうだ。
首を傾げたちょうどその時、急の報告が飛び込んできた。
「沢沿い方面の間道から敵兵が来ます、数はおよそ三十!」
別動隊? 沢沿いにか。なるほどな!
「──おいお前ら! そっちに当たってくれ!」
「おう、任せとけ!」
興奮に目をギラつかせた仲間が即座に叫び、「ついて来い!」と手下をつれ山を駆けおりていく。
正規メンバーを欠くかもしれない指示は、鬼鎧団にとってはリスクではある。
だがこれは、相手が決勝手を狙った策。
ゆえに、兵も本隊にくらべ少数とはいえ精鋭のはず。さすがにそちらへ、まだ心服しているとは言い難い投降兵を用いるわけにはいかず、仕方なしに古参の仲間を別に選んで託すほかはない。
小頭目は念の為、もうふたつほどある間道へと物見を走らせるよう檄をとばした。
いまだ、と機を窺っていたふたりは目で合図をしあう。
「大将、俺も向こうに行かせて下さい!」
「おっ、俺もです! 志願します!」
マズノルとユオルは連なって声をあげた。
「······お前ら?」
突然の宣言に、小頭目は訝しげにふたりを見る。
その視線が前のめりになっているマズノルを滑り、ある意味、この場では滑稽にうつる直立不動の姿勢をとったユオルへとむいた。
(··················)
内心は冷や汗ものだ。
こんな本格的な戦闘は初めてであり、賊徒捕縛を捕物とするならほぼ初陣にひとしい。隣に仲間が立っていると思えばこそ、なんとか正気を保っていられるのだ。
さらに、その相棒の考えた策というものが、あまりにイカれているときた。
が、どのみち決死の思惑。脱走に危ない橋を避けては通れまい。
「··················」
日頃大人しくして、マズノルが巧みにおべっかを使っていた恩恵か、それとも運命の女神の気まぐれか、
「いいだろう、行けっ!」
しばらく考えてから小頭目はこれを許した。
ふたりは弾かれるように駆けだし、別動隊の後を追っていく。
「······いいのか?」
「構わねーだろ。奴らが使えるかどうか、テストにゃいい機会だ」
虚を突いたつもりでいた。
それなりに悪知恵が働くとは聞いていたが、所詮はならず者の寄せ集め。智恵などといっても程度が知れる、と。
今回派遣された彼らは、鬼鎧団と渡りあってきた警兵ではない。ある目的を含んだ正規の国軍兵たちで、ひき継ぎ情報から、耳だけでそうと理解したのみだ。いくら口を酸っぱくしようが、警兵隊が軽んじられるのはどこの国もご同様らしい。
だが彼らの読みに反して鬼鎧団は抜け目がなかった。
もとより想定していた流れ。
見落としがちな間道にもしっかと罠が配置してあり、その威力は寡兵の運用でも容易に敵を阻んでいた。
「おのれ雑魚ども! こんな所にまで! ええいッ! ネズミらしい芸の細かいことだッ!!」
水の流れならまだしも、積まれた岩堤はU字となった谷底を、しっかりと真一文字に隙間なく区切っている。これを登るにはどうしたって両腕から武具を離さなければならない。忌々しいことには、頑張ればどうにかよじ登れそうな程度なのがまた憎らしい。
幸いこちらは隠密ゆえに軽装できている。やれないことはないし、本隊が頑張っている今、おめおめとひき下がる選択肢はない。
「続け!」
いって分隊兵長はみずから先をきって岩肌に手をかけたその時、
「危ないッッ!」
煙をあげ、斜面を丸太が転がり落ちてきたではないか!
指揮官はなすすべなく卑劣な罠の下に埋まり、かろうじてこれを避けた兵たちにも、頭上からの液体入りの瓶が投げつけられる。鼻を燻すような臭いが脳に直結して危機を告げる。
「油だぞ!!」
「食らわせぇッ!!」
意外にも古来に発明された、これまた騎士らいうところの忌まわしい武器である機械式弓、弩から、火矢が空気を裂いて隣国兵に襲いかかる。
外れた矢も谷間を埋めた丸太に突きたたり、たっぷり油の染みた材に炎を宿した。
鬼鎧団お得意の火攻め。
程度からいえば紅蓮の炎などとはお世辞にもいえない規模でしかない。
だが被害者の心理への効果は絶大だった。
「やむ得ん、退けェッ!!」
これ以上は全滅覚悟の愚行でしかないと、残った兵たちは撤退の判断をくだす。
ここだ! 正真正銘最期の好機!
「飛び込めェェェッッ!!」
「くっそぉぉぉぉぉーーーッッッ!!」
「ハァ?! おい、まて何だッ!?」
なにをトチ狂ったのか。
手下見習いがふたり、目論見が外れて後退していく敵兵のなかへ。しなくてもよい突撃を仕掛け、斜面を駆け下りていくではないか!
(勇んで功を焦ったか? 馬鹿かッ!)
指揮を任されたべつの小頭目も、さすがに予想外の事態に絶句した。が、確認しようにも、すでに炎だけでなく煙もまわり始めた谷底は見通しがきかない。
眼下にみえるのは折れ曲がった山道の狭間に、散り散りになって逃げていく敵兵の影だけだ。
「······ちっ、まあいい。たかがふたり。替えは効く」
小頭目は充分に任務を果たしたと判断をし、手下に帰還を命じて自らも山道を登っていった。
「五十名か。思ったより削られたな······」
こちらは谷口まで後退したウェラヌスギア軍の陣営。
テーブルに置かれた地図から顔をあげた総兵官の声は意外にも落ち着きを失ってはいない。それは、周りにいる士官、下士官たちへの配慮か。それともより大局を見据えた思惑があるからか。
チラと機嫌をうかがうような視線をはしらせ、問題なしとみた士官のひとりが敬礼して問う。
「ご指示をお願いします」
「······まずは増派の要請。これを待つ間に山間にわけ入り、道を探って罠を潰すのだ」
ハッ、と鎧を鳴らしてテントを出ていく配下の者を見送ってから、総兵長は揺らめくランプの炎に隠していた凄味のこもる笑みを浮きあがらせた。
こうして人知れず行われた山間の戦闘は終結した。
一応ウェラヌスギア軍を押し返すことに成功したことで、鬼鎧団は目的を達成。
何人かのけが人に加え、心服しかけてはいたが功を焦った愚者が二名ほど欠けたとはいえ、成果だけをみれば上々といえるだろう。
報告を聞いて、首領はひとまず息をついたのだった。