(ふっ)掛け売り【大勝負】④
「いるな······でかいイビキが聞こえる」
食堂へのものとおぼしき扉へ耳をあて様子を窺っていたユオルが身体を離した。スリベロンの手飼いの者らは皆、浴びるほど呑んでそのまま寝入ってしまったとみえる。好都合だ。
「···あまり刺激してくれるなよ。起こされてはかなわん」
憎まれ口を残してジャノはどんどん先へ進んでいく。
──ウィルニッツのご令嬢たちは全幅の信頼を置いているようだったが、やはりどうにも好きになれない男だ。
いわれなくともつつきなんかしない。野郎どもが縛りあげた坊さんを肴にして呑む訳がなかろう。なにより仲間がいないと言ったのだ、ここにニコラはいない。
小僧あつかいに眉を寄せながら、ユオルはその背を追った。
慎重につき当りを折れ、また表口へと延びる長い回廊をいく。程なくして、ぽっかりと闇に行く先を呑まれたような階段が姿を現した。ほかはホールへと続くであろう扉のみ。ここだけはマイシャの予測が外れたようだ。
ちなみに扉は錠がかってあり開かなかった。どうやらアウルロア邸とおなじく、神経質な家令がいるらしい。
「裏階段、だな」
ジャノが、解説というよりは独り言のようにつぶやいた。
「表側にあるものは見せかけか、二階止まり。戦時を考えての退き口ならばその方が理にかなう。
尖塔へと続く本命はこちらで正解だな」
「······鉄だけ相手する職人かと思ったら、建築にも詳しいんだな。ずいぶん饒舌じゃないか」
「フン」
見上げると、上部は奥底の知れぬ闇へと吸いこまれるようにして消えているのが、なんとも不気味だ。
とにかく石段をあがるのは靴音が響く。ふたりは焦る気持ちを宥めながら、慎重に足をかけた。
階段は二階で折れ返して屋根裏へと続いていく。行き詰まりにあったのは、暗闇につつまれた屋根裏の異様な空間だった。空気取りの窓から射る、わずかに仄明るい月光が、真闇をふり払うささやかな支えだ。
ジャノが肩がけにしてきた荷袋のなかより小サイズのランプを火種で灯す。と、茫洋たる大海てすがる木の葉のような船ともいうべき小さな小さな灯明が灯った。
中央の方へ足を向けると、いちおう柵がとり付けられているとはいえ、下まではほぼ吹き抜け。床から屋根までを縦に貫く何本かの太柱が闇にぽっかりと浮かびあがり、これを基点に巨木の梁が何本も張り巡らされているのがわかった。スッと灯火を持ちあげて遠くを照らせば、どうやら尖塔への階段は四隅に配置されているらしい。
厄介だ、四分の一か······。
「恨みっこなしでいこう」ユオルは提案した。
「おたがい、最優先を外した場合は保護。当てれば構わず脱出だ」
「いいだろ──」
応じたその瞬間、ザッとジャノの面に緊張がはしった。
暗闇と沈黙のなかで鋭敏になった聴覚にジリッ、ジリッ、と通路を踏む靴音が聴こえる。当然、立ち止まっているふたりの物ではない足音が。
空気を膨らませる音が続き、壁際に備えられていた照明に火がはいる。
赤い、いくつもの揺らめきが真闇を暴いた。
何かいるな、とマイシャは感じた。
確かに何がいる。生きている者か、あるいは半分生きている者か。いかに広いとはいえ、壁に囲まれ限定された空間である以上、彼女の天与【審眼】から逃れることはできない。
たしかに何かがいる······
「それも、複数に? 何がどうなってんのよ」
マイシャは呟いて、反応のあるあたりを睨みつける。反応は床、壁際、そして──宙空? いやいや、あり得ないっしょ。
暗闇を透かし見てやろうと天井に目を凝らすが、当然のごとく無駄だった。
──参ったな。こりゃあ気が散るわ。
ユオルたちと別れて右手へと進み、つき当りを左へ折れようとした所で──急に反応を感じるようになったのだった。
ここはいちど角へと身をたてて思案する。
ええい、まったく焦れったい。こうして潜入してしまっている以上、おなじ箇所に留まる時間は少なければ少ないほど良いというのに。
角の先はずっと暗闇だが、その濃度のほんのわずかな違いで、やや手前にはさらに右手へと折れる通路の先が見えている。
······悩んでいてもしゃーないか。
マイシャは短剣を引き抜くと、呼吸をあてて廊下へと踏み出していった。
何事もなく、おそらくは使用人棟へと続くのであろう折れ口へとたどり着き、さらなる奥をうかがう。
······いるなぁ。気配がする、それもなかなかの数が。相変わらず床だったり、壁だったりと天地を構わないのが不可解だ。おまけにことらが接近したにも関わらずどこか意志薄弱で、とりとめのない感もひっかかる。でも動きからしてこちらを警戒はしていない······。
とにかく迷っても進むしかない。
マイシャはまず一番手前にいた反応へ一気に間を詰め刃を突きつけた。が、そこには何者もいなかった。反応も霞のように消え失せている。
「······」
さしもの彼女も心中に冷やりとひたものを感じたが、気をとり直して前をむく。
瞬間、
「!」
鮮烈に。
それは【審眼】の視界内において爆発的に鮮明に、夜空へ新星が現れたように感じられた。
背後から凄まじい速度で何者かが接近し、すんでのところで躱した彼女の衣甲を裂いて過ぎた。
「このッ!」
刃を構える。が、
「! 反応が消えた······!?」
いや、厳密には消えたわけではない。だがゆっくりと移動している?
反応が急激に薄くなった所へ寄ってみる。壁を触ってみて合点がいった。
「なんとまぁ······隠し扉?」
まさか現実にお目にかかるとは思わなかった。
子供の頃、ニンジャ屋敷だかのアトラクションで体験したことがあるくらいの代物だ。
とにかく相手は移動している。だが足音はしない。してもごく静かに忍ばせている。て、ことは?
「ラノベや漫画じゃ······こういう場合はたいてい暗殺者、ってのが相場よね」
イコール、相手の刃は掠っても駄目。毒気がもれなく無料でついてくるだろう。
背筋をゾクリと悪寒が伝う。これは相当な難関だ、と。
間合いは完全に相手のもの。その動きは疾く、弓では弾いているうちに間を詰められてしまうだろう。間に合ってせいぜいが相討ちという所か。それでは駄目だ。
唯一こちらに利点があるとすれば、それは相手が思う以上にこちらが「視えている」ということだろう。いかに気配を殺そうとても、襲う瞬間にはどうしたって気が入る。反応の差は歴然だ。
通路は一本道。このさき相手がこちらを確実に仕留める戦法として予想されるのは、奥にあるとっつきの扉へと気をとられた瞬間背後から襲う。気配は前方へと消えた。ならば背後に気をつけながらこのまま進むか?
いや、もしも扉の向こうにもすでに伝わっていたら挟み討ちにされる。仕方ない、まずは何としてもコイツを仕留める。
マイシャはわざと隙を見せるように、さも背後を警戒する様を装って進行方向へ背を晒す。
このテの輩は襲うなら背後からでしょ、さあ来なよ。
だが襲撃の気配はない。通り様を横から突く気か?
マイシャが意識を外しかけ再び前方をむいた瞬間。
「!!」
またしても閃光のように気配が爆ぜた。
しかも、
「上!?」
天井ッ!
とっさに振り仰いで必殺の一撃を刃で打ち止め、その首元へ切っ先を突きつけた。
「······驚いた。女性とはね」
うずくまり膝をついて悔しそうに顔を歪めたのは、マイシャの知る由もないことだが、あの、コラルドの用をきいていた女召使いだった。いつぞやとは違い、衣はすっかり男の恰好で息遣いさえも悟られぬようにか、口許もヴェールで覆っている。
ま、何にしても。
「悪いけど······覚悟して」
生かしておけば必ずまた狙われる。
マイシャの容赦ない宣言に、女は覆面の下で微かに、しかし確かに笑った。
「貴女こそ···」
ゾッとした。
突如。
なんの前触れもなく背後に新たな気配が湧いたのだ。殺気の塊が有無を言わせぬ完璧な間合いで背後をとる。
やられた、扉の向こうじゃない! 相手ははじめからふたり!




