(ふつ)掛け売り【大勝負】①
やっぱり間に合いませんでした。
二部だけですが···
早暁。やっと日の出を迎えたばかりの頃。
まだ霧もたち込む港には、すでに忙しく動いてまわる影があった。空の木箱に置かれた幾つかのカンテラの黄色い灯だけが、薄青い空間を浮きあがらせる頼りだ。
「おい、カールの小僧をみなかったか?」
船長ソーンダスは、荷の間をちょろちょろと鼠のよう駆けめぐる小僧どもの方を覗きこみながら問うた。だが水夫たちは一様に首を横に振った。
弱ったな。冬場は何かと不便で、出港できる日は限られてくる。ここ数日は時化での出港見直しが続いた。ようやっと出られるようになったっていうのに······ボヤボヤしてると湖に氷が増えちまうぞ。
「もう一度よく探してくれ」
荷積みだの船の点検だの忙しいのは解っているが、それでも船長は水夫らに命じた。
あれも立派な積荷なんだ。代金をもらっちまった以上、むざむざと積み残す訳にゃいかねえ。
「まったく······どこ行っちまったんだ」
肌を刺す寒さのせいで、白くなった息が弾む。手元に残った数少ない荷をまとめ、発ち仕度を終えたカーラは人を捜して走っていた。
特に誰という決めはない。誰でもいいのだ。自分の名を知っていて、頼めば言伝を届けてくれる気の良い人であれば。
あと少しで自分はこの国を去る。少なくとも一人前になるまでは戻るつもりはない。ジャノが紹介状を書いてくれた、父とも旧い交友をもつ親方の所へ行くのだ。彼は遠く聖湖を渡った東、ディルソムにいるのだという。
だから、ひと言でもいいから、姉達に伝えたかった。
我儘をいって御免なさい、責任を放りだして御免なさい。そして──応援してくれてありがとう、大好きだよ、と。
本音をいえば会って直接伝えたい。けれどそれはもう叶わない。
家を出た直後は我が身の想いで一杯で、姉の気持ちに気づくことも出来なかった。今、それがとても悔やまれる。
ジャノからふたりの想いを聞いて、なんて自分は子供だったのだろうと覚った。けれどいま自分がノコノコ姿を現しては、かならずや迷惑になるだろう。隠れ場まで追ってきたのだ。ウィルニッツの邸なんて、モンデラッセが見張りをつけていない訳がない。
だからせめて託けるのだ。今の、この自分の想いも。
──だが。
「ほほォ?」
「っ!」
この日の彼女は最悪に巡り合わせが悪かった。やっと出会えた人間が、見知りの水夫でも、職人ですらもなく。執拗に自分を追ってきた薄汚い傭兵どもであったとは。
暗がりの中から現れた三人は、明るさを増しくる空を塞ぐようにして立つ。それは山かと思えるほどに大きく見えた。
「港を見張れ、出港する船に特に注意しろ······ってか。やっぱり商会の主になる人間は、目の付け所が違うぜェ」
血の気の引く思いに背を向ければ、ドサリとなにか硬い物にぶつかる。と覚えるや否や、いきなり縄を口の中に突っ込まれ、気付いた時は後手に結わえつけられ男どもの肩に担ぎあげられていた。
「おおっと、気ィつけろよ。大事な金の卵だ。お嬢様も暴れねえで下せぇよ? キズモノをよこしたなんて、子爵様からガナられたかねぇですからねェ?」
競合相手をだし抜いた勝ち誇りか。金脈を掘りあてた喜びか。あるいはその両方か。喜色満面な男の声は調子をあげる。
翌日。
悲痛な声が朝食の間に響いた。ノーラのあげた声だ。原因となったのは、迷惑にも朝一番で届いた書状のせいだ。無理もあるまい、ジーナでさえも呆然とさせたのだ。
差出人はモンデラッセ。記されていたのは、
『カーラを保護し、スリベロン邸に届けた。諦めろ』
という勝利宣言だった。
ノーラがまた悲痛な声をあげる。
「姉さんッ! ああっ······これで何もかもお終いだわッ!!」
カーラの未来も、自分たちの未来も。
妹の嘆きに、ジーナは蒼白な顔で、それでも意地をみせて奥歯を噛みしめる。
「······いいえ。いいえ、何を言うのノーラ! まだよっ。まだ私達にはジャノがいる。彼が力を貸してくれるっ······!」
そうだ、諦めるものか、まだ打てる手はある。こうなれば説得材料に秘していた目論見を、一か八か、モンデラッセにぶつけるまでだ。望まれるならば、たとえこの身を添えてでも······
「しっかりするの、私達で叶えるのでしょッ!! ノーラッ!」
諦めれば、この街は実質モンデラッセ一強の地となる。そこに民の真なる活況はない。
母上が今際の際で仰った使命をなんとしても! ······街を、民を豊かに······! 我らがウィルニッツの手で!
そうだ。そのためなら安いものだ。
その日の午後になって、ジャノはようやく出来た商品の試作をたずさえ、商会館もかねたモンデラッセ邸を訪れていた。賑わう門前広場をぬけ、様々な者が集う広間を横切り、邸内奥へとむかう。
通りすがりにまたひとり、少女が獣の巣に迷い込んだと聞いた。
男の地位に目がくらんだ愚かな娘か。それとも憐れにも獣とたまたま行き合い、目に留まってしまった供物か。
どちらにせよ救いようがない。可哀想ではあるが、いち職工になにが出来るでもない。助ける義理もない。その生贄がカーラや、ウィルニッツ三姉妹の誰かでさえなければ、それでいい。
だが続いて耳に飛びこんで来たのは、全身を痺れさせるような言葉だった。
「とうとうあの小娘も捕らえたか!」
ギョッとして目をあげると、たむろする集団の中心にいた、あの傭われの頭と視線があった。
「······ようよう、ジャノ」
聞こえていたことは承知のくせに、わざわざモンデラッセの尻の蠅が、自らの手柄を誇りに寄ってくる。
「残念だったな。お手柄はひと足先に俺達がいただいたぜェ?」
一瞬本気で顔面を殴りつけてやると思った所を、なんとか踏みとどまる。
助かった。こちらの顔色が気色ばんだのを、獲物を攫われたからだと勘違いしてくれたらしい。傭兵くずれは勝ち誇ったような侮蔑の笑みをなげて、また仲間たちのもとへ戻っていく。
ジャノは必死に動揺を隠し背をむけた。
なんという事か! 信じられない! あと一歩──いや半歩ですべて上手く収まっていただろうに。
あの連中はどう見ても頭がまわる輩ではない。おそらくはモンデラッセの入れ知恵による成果だ。見破られた! いや、はなから信用されていなかったのだ!
ジャノは己の浅薄さに歯噛みをする思いを味わった。
抜かった······! 自分が迂闊に近づいてはと、あえて距離をとっていたが仇だ。最後の最後まで張りついているべきだったのだ!
事が済めば去ると決めながらも迷いがあった。どこかに未練を燻らせる己がいた。そのせいでカーラは!
執務室に通され、独り考えを巡らせていたジャノは、ついに持っていたものを卓に放りだす。焦れったく室内を歩きまわった。
どうする? ここまで来た以上速やかにカーラを救出せねばならない。だがすでに彼女の身柄はスリベロン邸へと届けられたという。いまからとび出したとて道中にさえ間に合わない。
ますます最悪だ。領主の邸に乗りこんで救けなければならなくなったのだ。
ジャノはしばらく焦りと不安を押し殺すことを必死に努めた。
(落ち着け、目標が定まったと思うのだ······)
鉄を相手どる時とおなじように。
意識して息を入れるたび、急速に冷えていく己を感じた。
そうだ。それでも──やらねば。
あの人達のために。ひいては、親爺さんが育んだこの街のために······
商主の到来を待つことなく彼は部屋をでた。
大丈夫だ、頭は冷えてきた。だが独りでは無茶だ。死は怖れずとも、失敗は何よりも怖ろしい。なにか──なにか妙案はないものか······
まるい天井をもつ廊下をぬけ、悩みながら門前広場へ至った時だった。
忙しく出入りする衆に混じって聞きこみをする者らがいる。いちどは拳を交えたふたりの姿が目に留まったとき、彼は悟った。
──見つけた、と。




