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知恵働き【裏目】


 何かあった、どころの話ではなかった。

 なんとかカーラを説得し、とにかく無事でいることだけは邸に報せようということになった翌日。夜を彼女らの隠れ場で過ごし、日が昇ってさあ出ようとした矢先に、いきなり大人数に追いかけられ始めた。

 追ってくる相手が市井の職人や漁人といった連中なのがまた、具合が悪かった。これが無法者や荒くれ者だったなら、いっそ対処を考えずにやれただろうものを。

 ユオルとマイシャは早くもくたくたになりながら、まだ土地勘のあるカーラに頼って逃げ隠れするので精一杯だ。


 倉庫と倉庫の間。路地ともいえぬ隙間をとおり抜けた所で、ユオルは肩で息をつぎつぎドカリと座りこむ。ガックリと首から項垂れた。


「くっそ······いい加減にしてほしい」


「······はー、まったくだね」


 マイシャも辟易(へきえき)といったふうに額を袖先で拭った。延々とつづく追跡劇に、この寒空に汗までかいてしまったではないか。これは冷えると堪えそうである。

 神経的にもまったく参る。追手からとんでくる言葉は、やれ


「お嬢様を返せ、この拐かしが!」


だの、


「余所者の密偵野郎どもが!」


で、いつの間にかすっかりこっちが悪者になっているではないか。


「モンデラッセがやらせてるんだよ。ウィルニッツが傭兵を雇ったと思ってやり方を変えたんだ」


 なる程、上手いもんだ。わざわざ荒っぽい連中をつかって悪目立ちしなくても、『お世話になってきた商会の旦那のために』といえば善良な人達が喜んで協力してくれる。これに賞金でもかけていれば完璧だろう。

 モンデラッセからすれば、追いかけて「保護してやる」のがともに街を盛りたててきた男の愛娘であるのだから、正義も情理も我が手に帰せり、というやつだ。

 餌が災いしてか今はまだ何とかなっている。追っ手同士の連携に囲まれるまでには至ってはいない。だがそれも時間の問題だ。


「これってやっぱりさ······」


「ああ。報せたのは、あの鎖鎌野郎だよな」


 大衆監視のなかやり損ねた向こう側の傭兵どもは、カーラが隠れ家にしていたあの吹き溜まりのことまではまだ掴んでいなかったはずだ。いずれはバレていただろうが、昨日の今日でという訳にはいくまい。

 知っているのは地元の、それも世俗に明るい階層の人間······。


「違うよ。ジャノ兄が、なんで······」


 やはりカーラは鎖鎌野郎(ジャノ)を庇うが、その否定の言葉には昨日までの力強さが欠けている。


 ほんとにジャノ兄が······いや違う、そんなまさか。

 たしかにジャノ兄は父さんが亡くなってすぐ、モンデラッセに鞍替えしたけど、それもなにか考えがあってのことなんだ。

 だってジャノ兄は······ジャノ兄が言ってくれたんじゃないか。





 あれは年の明け。父がみまかってすぐのこと。

 家を出た。

 自分をとり巻く状況はわかっているつもりだった。

 国法の関係上、どんなに嫌がろうとも私は家督を継がねばならず、どんなに望もうとも姉達にはそれが許されないことも。知りたくなくとも、使用人やまわりの人間達の態度から漏れ伝わってくるものだ。

 商会の主なんて冗談じゃない。私はなるんだ、父のような鍛冶師に。

 私の想いにはきっと誰もが気づいていたと思う。幼い頃からちょくちょく鍛冶場に出入りしては、職人たちにまとわりついていたんだから。

 けれど、しょせんは幼子の無邪気な夢。どうせなんの苦労も知らない成功者の娘の、無邪気な願望と思われるだろう。そうも判っていた。だから誰にも相談できずにいたのだ。

 けれどそんな時に、ジャノ兄は唯一言ってくれたんだ。

 家をでろ、と。


 例の吹き溜まりの隠れ場所まで私を脱出させてくれたジャノ兄は、マントにくるまって外の寒さに震えている私にいった。


『近いうちに船主の誰かと話をつける。それまではここに隠れているんだ。絶対、誰にも素性を明かすんじゃない』


『ジャノ兄、でも······』


 覚悟して出てきたはずなのに、不安が思わず表情に出てしまっていたのだろうか。見上げる私の肩に、あの人はそっと手を添えてくれ、言った。


『しっかりしろ。なるんだろう? 親爺さんのような鍛冶師に。けどこの街にいたんじゃそれは叶わない。わかるな?』 


『······うん』


『大丈夫だ。応援しているのは俺だけじゃない。ジーナ様も動いてくださっている。必ず俺たちがなんとかしてみせる』


『姉さんが?』


 すこし意外だった。確かにジーナ姉さんは私にとって親にも等しい存在だ。私の夢も笑うことなく真剣に聴いてくれた。

 けれどそれ以上に姉は貴族の人なのだ。

 私なんかとは違い、生まれながらの貴族。だからそこに絶対に揺らぎはない。

 貴族として血を受けた者に生まれついての義務。これを疎かにすることを何よりも疎んじたし、厳しかった。こうして逃げ出した私に、てっきり怒っていると思っていたから。

 そんな姉も応援してくれている、理解してくれている······

 私は腹を括りなおすと、今度はしっかりとジャノ兄の瞳を見返して頷いたんだ。





 ──そのジャノ兄が。まさか。本当にウィルニッツを裏切ってモンデラッセの走狗(そうく)に成り下がったっていうの? 商会をひき抜かれたのも、敢えてのことで偽りの行動なんだと思っていたのに。

 ジャノ兄。貴方は姉さんの想いを受けて動いてくれていたんじゃなかったの······?



「見つけたぞっ!!」



 不意の大声で黙想は打ち破られた。


「ええい、くそ!しつこい!」


 ユオルは反射的に立ちあがり、何のためにか置かれていた手頃な棒をすくい上げると、一本をマイシャへと投げ渡す。

 奥へ逃げては駄目だ。袋小路となりかえって追い詰められる。やむを得ず打って出るより他にない。

 ユオルは長柄棒を手におめき叫んでとび出ると、群衆を近寄らせまいとして、ブルンブルン棒を振り回した。おおっ、と皆が鼻白んで距離をとるところへ、マイシャとカーラも躍りでる。


「この野郎! 俺たちの庭で拐かしだのふざけやがって! それも人もあろうにウィルニッツのお嬢さんを狙うたぁ、許せん野郎だ!」


「違うよ、待って! この人たちは助けてくれただけで······」


「お嬢さんは黙ってこっちにいらっせい! みんな、ちゃーんとモンデラッセの旦那から聞いてるんだからよ!」


 駄目だ。興奮して、当の本人である自分の言葉さえ届かない。焦ったカーラがふたりの前へ出ようとする。が、



「やっちまえ!!」



誰かが叫んた途端、囲んでいた群衆がワッと一時に押し寄せた。

 いかに木の棒といえど無遠慮に振りまわせば怪我をさせる。ユオルもマイシャも本気で相手取る訳にもいかず、あっという間に開いていた空間が埋まった。


「おいやめろ!俺たちは違······!」

「話を聞きな──ってどこ触ってんだ!」


 カーラももはや自分のことなどお構いなしになった群衆のなかで揉みくちゃにされていると、



「こっちだ!!」



ふいに誰かに腕を掴まれ、強い力でひっ張られた。

 思わずこの場から離れまいと抵抗を試みる。だが不思議なことにはその途端、こちらをひっ張る力が緩んだ。不審におもってみると、そこには見慣れた者の顔があるではないか。



「ジャノ兄っ!」






 肩で息をする。騒ぎからはだいぶ離れたし、しばらくは追われることもないだろう。

 防波堤の石壁をこえた浜で息を整え終わったカーラは、やっと身体を起こした。


「ありがとう、ジャノ兄」


 そうは言ったが、素直に礼を言って良いものか判らない。あの場に留まっていれば、少なくとも今こうして自由の身でいることは出来なかったろうけれど。

 ユオルとマイシャには悪いことをしてしまった。怒った連中に吊し上げにされたりしていないだろうか。


「······大丈夫だ。あのふたりは賢い。提げてた武器をいちども皆に抜くことはなかった。それに気づけば皆も打ち殺したりまではしない」


 そう、だろうか。たしかに港の皆は、モンデラッセの手下共とは違う。私たちを追っていたのも、恩人の娘を窮地から救いたいという善意からの行動であるのだから。

 それにそうだ、ふたりはジーナ姉さんに頼まれて捜しにきたと言っていた。ならむしろ皆と目的は同じであり、ジーナ姉さんがきちんと話してくれれば解ってもらえるか。


 ザザン、と、うすら寂しい湖岸に、静かに波が寄せる。しっとりとした砂は音を吸い込み、水のものよりほか一切を阻んで、この場所を外界より隔絶させてしまっているかのようだ。

 さっきまで砂粒のような餌をついばんでいたちいさなハマガニが、うえを過った鳥の影におびえ、巣穴へとひっこんでいく。沖合にも船の影はみえない。そろそろ湖の表面が凍りつくこともある季節だ。便数はすくなくなる傾向にはあるのだが、たまたまか見えなかった。まさか港で水夫たちが大騒ぎしているから、と言う訳でもないだろうが。


 何故だろう、言葉が出てこない。

 一瞬でも疑ってしまったからか、どういう態度で接すればよいのか判らなくなってしまったようだ。ジャノ兄もさっきから無言で、こちらに背を向けたまま沖を見つめている。


「······大変なことになってしまったな」


 やっと彼がこぼしたことで、時間が動きだした。 


「······ねえ。なんでジーナ姉さんはあんな事を? 私を捜してるって。まさか邸で何かあった?」


「いや······そういう事じゃない。外国から商談相手が来たらしい。親爺さんの弔いやら何やらですっかり連絡を怠っていたからな。書状も行き違いになったんだろう。

 とにかく着いてしまった。立場上、ジーナ様も捜すフリをせざるを得なかったんだろ」


「······そう。なら、いいんだけど」


 また沈黙。


「······訊かないんだな」


何処かその声は、自嘲めいた響きだ。


「······モンデラッセの連中まで私を追うのは、ってこと?」


「ああ······」


やはりジャノ兄がこちらを向くことはない。


 そして、そんな連中と一緒になって、なぜ貴方が私を追ってきたか、ってこと······?


「モンデラッセ商会がお前を追うのは、スリベロンの若様にすり寄るためだ」


「知ってたよ、それは」


 カーラは俯きながら呟いた。


「薄々だけどさ。私と婚姻して家に入るつもりなんでしょ。私、ちょっとは気付いてた。けど······それでも家を出てきちゃった。······やっぱり甘ったれだったのかな」


 相変わらずジャノ兄は言葉を返してくれない。もともと口達者なほうではなく、職人らしく口数の少ない人ではあるけれど。

 けど何故? あれ程夢ならば諦めるな、親爺さんの鍛冶は素晴らしいものだぞ、と言っていてくれたその口は、なぜ何も語ってはくれないの? いまは頑なにひき結ばれたまま。開いても零れてくるのはジーナ姉さんの名前ばかり······

 貴方は。本当の貴方はどう思っているの。


「とにかく、スリベロン家まで出てきては大事になり過ぎだ」


 やっと彼はこちらをみてくれた。けれどその瞳は冷たくて真剣で。

 まるで冷めきった刃先を研ぎあげている時のような(カオ)で──


「カーラ。やはりお前には消えてもらうしかない」


 ······え


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