陰謀の臭気①
ある日の放課後。明日は休養日という、今週最後の授業のあと。
クーベルの所在を級友たちに尋ねたロプスは、意外な返答にぽかんと口を開けた。
「へ? もう帰った?」
今日の午後は暇だと言っていたんだけど。
せっかく、検分という名目の遊興へ誘おうと想っていたのだが、なにか急用でも入ったのだろうか。
「それがですねー、フフッ」
級友たちはなにやら不穏な笑みで顔を見合わせている。
「私達、見てしまったんです。あの子が机の中から出てきた手紙を驚いて隠すのをっ!」
はい?······えーっと······???
「そう、あれは間違いないです! あの封蠟っ! グランシャスの紋でしたっ」
「そう! お相手はミハエド様に間違いありませんっ」
拳を握りしめ、キャーッとまたふたりは盛りあがっている。
封蠟? たかが呼出状に? ちょっと重すぎる気もするが──ってかそれよりも! おのれミハエド!
正直すぐに顔が思い浮かばないがミハエド! 色んな平民の娘に粉かけまくっていると噂の奴?! さすがに目が利くのは褒めてやる。だが許さん!
ロプスはひとり気炎をたち昇らせると、御機嫌ようの声を背中で聞きながら教室をとびだした。
目立ちたがりィで(噂では)自慢しいの(決めつけ)男とはいえ、醜聞をさけて女の子を呼びだすとしたら、まずひと目につかない所だろう。
さすがに男子寮に女子の立ち入りは禁じられているからそこは大丈夫として。
とにかく目立たない処、目立たない処······
そうアタリをつけ、菜園や裏バルコニーを経由して、念のため校舎裏から裏門前へといたったロプスは、三々五々散っていく平民階級の生徒のなかにやっと、独りたたずむクーベルの後ろ姿をみつけた。
の、だが。
············おもわず勢いできちゃったけど。
ぽつねんとする彼女の背中をみたとき、ロプスは何となしに声をかけることがためらわれた。
そりゃあ、たんなる遊び相手に指名した、なんて言おうものなら目にモノ見せてくれよう所だが。それも自分が勝手におもったことだ、事実はそうではないかもしれない。
だいいち、クーベルの気持ちだってある。
有力商人の娘と貴族が縁続きに──なんてことはこの国ではザラにあるとも聞く。彼女も親からそれくらいは言われているだろうし、そうなればこの件は「家の問題」ということになるわけで······
自分も少なからず抱えているだけに、友とはいえ、他人に首をつっ込まれるのを彼女も歓迎はしないだろうな、と思ってしまったのだった。
「······見守ろう、うん。どうするかは、それから」
とにかくも迎えにくる態度しだいだ。そこまで判断は保留にしてやる勇者よ。
ロプスは気を落ち着けて、そっと樹木の陰に背を預けた。
クーベルの前にガタガタ、と馬車が停まったのはその直後だった。紋こそみえないが、いかにも貴族のボンボンが乗り回していそうな格調たかい外装である。
すっと扉が開く。
······あれ?
だが降りてきた男は、学内一を自称する色男先輩ではなかった。年齢からみても学生ではなかろう。服装から察するにアイツの執事だろうか。
緊張していたクーベルもすこし面食らったような態度で男となにやら話しこんでいるが──どうした訳か突然反射的に一歩さがった。
その時だ、由々しき事態を目撃したのは。
この貴族家の遣いは勢いよく、気後れしたクーベルの腕を捕らえ、馬車へとひっぱり込もうとしたのだ!
「──クーベルッッ!!」
明らかに平常ではない! 直感してとび出したロプスの声に悲鳴にちかいものが混じる。
が、まちがっても彼女も武官候補生である。日頃の鍛錬は伊達ではなかった。
反射的に応じたクーベルはこれを振りほどき、逆に男の手首をつかんでひねりあげようとはかる。
覚悟していた以上の抵抗だったのか、窮した相手はわずかにみじろぐ。と、上着裾から不意にとびでた光軌が、彼女の右腕に走った。
「あッ!?」
「──ッッ、このォォォォ────ッッ!」
ようやく距離を詰めたロプスが負っていた小鞄をブン回して叩きつける。
短剣をはたき落とされた男は舌打ちをのこすと、素早く馬車へと跳びのる。そうしてロプスがケースをむしりとって槍を引きずり出すより先に、車は怖ろしい勢いで駆けだしていた。
これはさすがにどうしようもない。
悔しさに睨みつけていると、街路脇にもの待ちげに停まっていた馬車三台がいっせいに馬に鞭をくれて急発進し、跡を追うようにして去った。
「············」
いや、そんなことは今はいい。それよりも彼女だ。
「クーベルッ? 大丈夫ッ?!」
「う、うん。ちょっと切られただけ······」
ロプスはクーベルにとびつき、おさている左腕をどかし診る。
彼女の言のとおり、凶刃はそもそも威嚇のために振るわれたためか、右上腕を掠った程度だ。ただ、袖が切られ出血もわずかながらある。毒などは考えにくいが、念には念を入れ、だろう。
「立てる? 救護室へ行こっ」
日が暮れて、邸の照明にも灯がはいった。
クーベルの実家は貿易商を営む、庶民としては充分に裕福な家といえる。この邸も元貴族の邸宅を譲りうけたもの。瀟洒な佇まいは、少なくともロプスの住処と遜色はないほどに立派であった。
あの後クーベルは邸へと送られて、事情聴取は自室で行われることになった。今もその最中であり、学園自治会を代表してヤシャロがたち会っている。
関係者、ということでロプスも同道してきたのだが、とくに出来ることはない。
彼女の自室手前の通路に設置された長椅子のうえでうずくまり、もった槍の柄を、コツーン、コツーンと額に打ちつけて間を潰していた。
あのとき······あの瞬間。
もし私がこの槍を使いこなせてさえいれば、もっと事は安易に収束させられただろう······
宝槍「戦乙女」
実家から持ちだしてきたこの槍は、いまでこそ自身の丈に収まっているが、それを可能にするだけの権能は十二分にもっているのだ。だがなにが不満なのか、まるで意思を持っているかのように押し籠もったまま。
真の姿をみたのは今よりもさらに幼い日、ただの一度みたきり、か············
「······何がいけないの〜? もし貴方が力を貸してくれてたら、友達だって傷つかなくてもよかったんだよ〜」
囀るようにいい、じっと白槍をみつめる。が、所詮は無機物。返事をくれることはなかった。
「失礼いたします」
顔をあげると、この家の執事──正真正銘本物の執事らしき男性が直立不動でたっていた。
「よろしければ居間で主がお話を、と申しております」
さすがは貿易商だけあって品物をみる目は確かだ。ふかい絨毯のうえに飴色の卓や椅子がならんだ居間は、よく整えられたそれは結構なものである。
クーベルの父上は、腕一本でのし上がっただけあって、貴族の父兄とはまたひと味違った凄みを感じさせる人物だった。
背こそそこそこだが恰幅よく、最先端の礼服をまとって肘掛け椅子に収まっている姿は、いかにも重鎮といった風情。彼女の父にしてはすこし老けているが、それゆえ娘に甘いのは、友人の口の端からすでにこちらも承知ずみだ。
彼は、愛娘のあわやを救ってくれたことに丁寧に礼を述べ、娘にはなるべく貴系の方々とは円満につき合うよう聡しておいたが、それが悪かったのだと反省も口にした。
そこから話は娘の学院での様子へと移っていったが、やがてそれも尽き、たがい聴取をまつまでの間、黙々とした考えのうちに沈んでいった。
クーベル父は背を丸め、併せた掌を祈るように額にあてながら、独り言のようにつぶやく。
「──どうして娘が狙われたのか、心覚えがないのです。勿論敵がいないとは言わない。しかし、これ程の······」
──そう。
かりにも貴族家を騙ってまで事を仕掛けるなんて真似、平民界隈ではそれこそ天秤にあわないのだから。
「失礼。娘さんの聴取、終わりました」
ヤシャロがやや緊張したままの表情で居間へと通されてきた。クーベル父──レイベン氏は立ちあがって迎えると、深々と頭をさげる。
「娘はどうしておりますか?」
ヤシャロは面をあらため、貴族令嬢に相応しい優雅な微笑みをうかべた。
「ご心配なく。治癒魔法は適切と当院の僧も請けあっております。お疲れになられたのでしょう。いまは寝んでおられますよ」
柔らかな口調にレイベンもひとまず安堵の色を浮かべて、彼女にも椅子を勧めると自らも腰を降ろした。
「それにしても、どうして娘が······。
失礼ながら、貴女様は学院の自治会役員でもあらせられる。娘は院内でなにか──その、トラブルに巻き込まれている······とかは────」
「いいえ。私もお嬢様と親しいという訳では無いですが、こちらの──」
といってヤシャロはロプスへと手をかざして、
「アウルロア嬢はごく親しく、万が一にもそんなことになっていたとして、お嬢様が彼女を頼らないはずもなく、また、彼女も友人の危機を座してみている方ではありません」
と断言してみせた。
レイベンは、
「ええ、ええ、ありがたいことで」
とホッと息をつき、ロプスに向けてまた叩頭する。
「あの」
間合いをはかっていたロプスは、一瞬チラリとヤシャロをうかがってから、この邸にくる前よりずっともっていた疑問を口にした。
「お仕事の関係以外でなにかこう、お心当たりはありませんか?」
「──それなのです。さっきから考えておるのですが······やはり、特には。
我が商会はごくささやかな商いをしているつもりです。
祖国・ウェラヌスギアから出てきた当初は、異国者あつかいの嫌がらせもありましたが、今となってはそれも、もう······」
「······そうですか。
ごめんなさい、変なこと訊いて。
あ、はい、ですね先輩。私たちはそろそろ。
······また、お見舞いにきて宜しいですか?」
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かなりスーツにちかいデザインです。
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