深層③【錯綜】
忌まわしい響きのする単語を、ユオルは問い返した。
「人魔、結晶?」
「ええ」
とニコラはうなずく。
語る気がないのか、おそらくは言えないのかもしれないが、黙りを通すマイシャに代わり、怪僧が事情を紐解いていく。
手段は不明だが、人為的に人の生命力や記憶といった情報を結晶化させたものだ、と彼は語った。カドヴァリスへ滞在する僧侶の報告によると、それは偶然に発生したとのだという。
その、人の血を凝固させたかのような禍々しい赤の晶石そのもののに、動力源たる力はない。だがそれは、石炭や木材といった、実存的な駆動系への意味あいのもので、これが魔術的な意味であればどうか。
答えは明白だ。とてつもない魅力となる。おそらくは、天秤の片端にのった崩緑の角など振り切ってしまうくらいには。
これをカドヴァリスは、ウェラヌスギアとの取引きの種へと目論んだ。ウェラヌスは魔術の新素材を、カドヴァリスは新たな人体飛躍への智慧を、それぞれ得ることが叶う。さらに両国の結びつきも強まるのだから言うことはない。
他方、これはケシュカガにとっては大いに脅威となった。もしカドヴァリスが背後をウェラヌスギアに脅かされることなく、いやもっと踏みこんで、後ろ盾にまでして自国に攻め入ってきたならば? もはや存亡の危機である。頼みは隣国にして盟主のサヴェリウスのみだが、ウェラヌスギアと直接的な悶着を避ける傾向にあるあの国が、いざという時になって力を貸してくれるかはいささか怪しい······
室内には重苦しい沈黙の幕が降りる。
にわかには信じ難い話だった。そもそも、その人魔結晶とかいうモノの名じたい初耳であるし、実物に至ってはこの場の誰一人として拝んだことのない代物なのだ。そんな者が裏で取引きされる──などと言われたところで。
「······それのためにアンタが出張ってきたと言われるんですか」
「ええ。彼女も、その取り引きの妨害のためにやって来た。宝角の盗難という事件をでっちあげ、サヴェリウスを当事者としつつ、両国の関心をそれとなく惹きつける······。真の目的は荷の奪取、破壊。最悪、人魔結晶を自国に持ち帰るつもりなのだと私は読みます」
マイシャはやはりひと声も発しなかったが、お手上げとばかり両手をあげてみせる。なんてことだ。話はどんどん手の届かない大事になってきた。
カドヴァリス・ウェラヌスギア間の取り引きを阻止したいケシュカガは回りくどい真似をしてサヴェリウスを引き込み。
カドヴァリスは自前の用件と、あわよくば大角の奪取までを目論み。
そしてウェラヌスギアは、まんまと両方を掌中に収めんとしている。
まったく何という企て、腹の探り合いか。ユオルは一気に詰め込まれた情報に頭がくらくらする思いがした。
「······証拠は」
ザペルが忌々しげに呟く。
「確証はあるのか。その言葉が言い逃れでないと言えるだけのものが」
「神教国は、これは創造主への冒涜だとみています。そして国境領一帯に警戒網を敷いていた······現状をみるに一定の効果はあったと思いますが?」
だがケシュカガの勇士、そしてマイシャ言う所のねちっこい性格をしているというザペルは、このニコラによる注釈にも心を動かせれた様子はなかった。
「他国の方の意見はありがたく拝聴した」
彼は穏便に、それでもピシャリと言った。
「だが私は、我が国の民としての信の証を問うている!」
鋭い視線の先は、いまだ黙したままの同胞へと向けられている。
マイシャはやれやれとばかり首を横にふると、襟巻きの下から何かをたくしあげて見せた。とたん、
「それは······」
とザペルの表情が変わる。
それは平たく言えば首飾りだ。獣の牙飾り三つほどに穴を開け、ビーズとともに紐に通した質素なもの。牙にはそれぞれ色が着けられており、黒、紫、そして赤である。これがいったい何の証になるというのか。
疑問はマイシャが説明してくれる。
「黒は権威を、赤は優先度を、そして紫は」
「──氏族を。紫は第一牙氏族の証······」
ザペルが苦々しげに接いだ。
「──では、これはすべて仕組まれたことだというのか。すべてはお前を使った第一氏族の思惑······」
その牙の証は、一族の族長のみが命じる権限をもつもの。だがこの盗難事件に第一氏族長は激怒したと聞くから、おそらくは彼の指示ではない。
となればそれをやれるのは唯一人。先々代氏族長であり、国の影の統率者、カリンガム・バハ・ケシュカガンしかあり得ない。
······あの糞爺······ッ!
ザペルは怒りと必死に戦いながら、ブルブルと身を震わせている。
「では······我々はとんだ道化を演じていたというのか。知らぬ間に踊らされ、一族を三人も意義不明な戦で失ってしまったというのか······ッ!!」
マイシャもこれには流石にすこしの同情を滲ませた。
「······すべては国のため、同胞のため。彼らの死は無駄じゃない」
「解っているッ!」ザペルは叫んだ。「無駄なものか! 一族の死は! 無駄になどさせてやるものか!!」




