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ミクリス急行特別便【地獄】


 夕靄もせまる中、薪をとりにでた街道沿いの旅籠屋の女将(おかみ)は、耳慣れぬ音を聞いた気がして頭をあげた。

 なにか、まるで雄鶏が絞め殺される寸前のような······と思うや否や、霧のうちから急行をしめす赤色のランプを両側に灯した一台の四輪馬車が突っ切ってあらわれる。



「ギェェェェェ──────────────」



 とても車輪の軋み音とは思えないような音の筋をひいて、その馬車は瞬きの間に霧の向こうへと消えていった。

 真っ青になった女将は、とり落とした薪を拾いもせず宿のなかへ逃げこんだという。




 馬車のなかはそれ以上に阿鼻叫喚の坩堝(るつぼ)だ。

 空の水筒にいれた柑橘の実とでもいえばいいか。とにかくも、弾まないでいるのが精一杯の振動が絶え間なく襲いくる。



「あばばばばばばッッッ!!」


「喋らねェで下せぇ! 舌ァ噛みますぜ!!」



 壁越しに御者の無体な声が怒号のように聞こえる。特あつらえの長ベルトで座面につなぎとめられているとはいえ、とてもまともに座ってはいられない。ふたりは座面にしがみついてなんとか転げ落ちないようにと──



「ふぎゃ?!」



とうとうロプサーヌのちいさな身体が転がり落ち、床と座面とベルトの間に挟まれてシェイクされ始める。



「団長ぉぉぉぉぉぉッッ······!!!」






 急ぎの移動には、急行馬車の乗り継ぎが一等近道である。ほかにも手段がないではないが、余程の特別な身分でもない限りこの方法がもっとも現実的、という意味でだ。

 みずから馬を繰らずともこれなら速度は出るし、馬、ときには馬車ごととり換えて昼夜兼行で突っ走る。

 馬車そのものの出来にも左右されるうえ乗り手の体力頼みの完全なる力技ながら、それでも速いは速い。以前ぶっ通しで鞍にのって苦い思いをしたユオルとしては次善の策にも思えたのだが。

 なにぶん一週間の旅程を四日で駆け抜けるのだ。道中は前述のとおり、結果はどうしたってこうなる。




「ぅおぇ〜〜っっ············」



 頃は昼過ぎ。ロプサーヌがむこうで貴族令嬢にあるまじき声をあげている。主従そろいもそろって駅横の草間から身を起こす。


 辛い、辛すぎる······! もういっそこの路肩に長くなってしまいたい······


誘惑に負けて伸びようとしているロプスの肩をガッシと羽交い締めにして、なんとか阻止した。


 それだけは······それだけは駄目です、お嬢さ······うぉぇぇっ······



「······それじゃっ、アッシはこれで」


 荒い息をつく馬たちを気遣いながら、四頭立ての馬車が去る。その後ろから、元気万端、準備万全な状態の馬車がつぎは俺の出番とばかり乗りつける。



「ヘイ、お待ち!」



 いやに爽やかな笑顔の御者をユオルは恨めしくおもいながら、これからかかる山越えの道へと視線をなげ、そしていよいよ顔を蒼白とした。

 なんて嬉しくないお代わりだ······ぅ゙っ!



「──おやおや、お困り事ですか?」



 人好きのする声がした。

 なんだと思ってふり仰ぐと、背後にひとり、旅装に身を包んだ男が立っていた。旅装といっても世俗のそれではなく、僧侶の装束だ。どうやらこの駅で乗合馬車を待っていたらしい。


 みた感じ、歳の頃は二十をひとつふたつ出たところだろうか。長身で細身ながら肩幅がある。

 ごく粗末な、焦茶色の長袖長裾のローブで全身を覆い、腰元には黒革のベルト。端から覗く手首には手甲、足は脚絆(きゃはん)で締め、午後の日に艶びかりのする樫の杖を携えている。

 フードは被っておらず背に垂らしているため、顔ははっきりと見えた。明茶の前髪を極端に短くし、全体も小ざっぱりとした僧侶らしい髪形。落ち着きを感じさせる眉は長く流麗で、柔和な、やはり灰色の瞳をもつ目が、こちらを気遣わしげに見下ろしている。



「車酔いでしょうか。よろしければ拙僧が診てしんぜよう」



 否も応もない。ぜひお願いしたいとユオルは頭をさげた。



 旅の僧がおこなった施術はごく簡単なものだった。

 苦しむふたりにまずは水を摂るよういうと、その間に手早く火を熾した。つぎに負っていた荷からとりだした薬箱から、よい香りのする乾燥粉末状の薬草を数種混ぜあわせると、それを煮出した茶を淹れてふたりに勧めた。

 清潔な銀器のカップにはいった液体はなんだか緑色が強かったが、口に含んでみると苦みは薄く、すっきりとした飲み口であった。不思議なことには飲んでしばらくすると身の内がひんやりとするようで、それまでひっくり返りそうだった胃の腑が落ち着いていくのを感じた。

 待つことすこし。最後に彼は、ふたりの背中をさすりながら言霊を紡ぐ。

 両手が金色の輝きに包まれ、ロプスとユオルの身体にも伝わっていく。


「こんどは身体が······温まっていくような」


「これが神の奇蹟かぁ······」


 まるで湯につけられた仔犬のように、目を細めたロプスが感動の言葉をつぶやいた。




 ニコラレッティ・カノップス。若い僧侶はそう名乗った。

 推測の通り、彼もまた大陸神教の徒であり、神教国から来たという。身分は修道士であるともいった。

 なにか寄進を、というロプスに、ニコラ修道士は首を横にふった。だが世話になったのだ、礼なしという訳にはいかない。じゃあじゃあ、と彼女はなにか思いついたときにみせる表情で畳みかけた。


「代わりに、この馬車に同乗して行くっていうのはどうですかっ? 乗り合いも遅れてるみたいだし。これ以上かかればつぎの村までは夜になっちゃうでしょ。ユオルもいいよねっ?」


 もちろん問題はない。いやむしろ大歓迎である。  

 そう力強く告げると、ニコラ修道士もそれではお言葉に甘えて、と笑った。





「いい? 山を越すまではゆっくりと(・・・・・)行ってよ、御者君。御坊も乗っておられるんだから、くれぐれもっ(・・・・・・)、ゆっくりお願いね?」



 急ぎの任務であり、現場到着はすこしでも早いほうが好い。そのために馬車の手配はディルソムが、掛かりはサヴェリウスが出しているため、進行速度はほぼ強制的に一定である。

 これが失敗の元だったのだが、今更悔いても仕様がない。せめて今だけは、という切実な願いも籠もった要望(リクエスト)だった。



 二重の意味でふたりを救ってくれたニコラ修道士が後ろ、ふたりが御者側に壁を背にしてならんで座り、馬車はしぶしぶ、といった感じでゆっくりと進みだした。

 これは時間を縮めた分だけ実入りが上がるな、とユオルが勘ぐっている横で、ロプスがぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございました、お坊様。本当に助かりました。──それにしても変わった治療法でしたね。私、体験するのは初めてですけど、てっきり治癒の奇蹟でパーッてやっちゃうのかと思ってました」


 率直なロプスの言葉に、ニコラ修道士は愉快そうに笑った。


「あっはっは、そうですね。皆さんそのように仰っしゃりますよ。たしかに奇蹟の術は素晴らしい神よりの賜り物。ですが、残念ながら万能という訳ではありませんので。便利なものに安易に頼ると、却って悪い結果を呼ぶことも多いですからね」


 なるほど、とユオルも頷いた。


 「それであの薬茶というわけですね?」


 そうです、とニコラ士は澄んだ切れ長の目をユオルへ向ける。


「ことにおふたりの場合、車酔いということでしたので。奇蹟の術は、まぁありていに申せば、体内の活力向上を促進させているだけに過ぎません。あのまま施しては(いたずら)に神経を過敏にさせて、余計に苦しむだけでした」


 ほほう、とユオルは解った風を装いながら、このニコラとかいう修道士に興味をむけた。神教国の様子を尋ねるロプスへにこやかに応答している姿に、幼い頃みた僧侶らの陰が重なる。


 まだ故郷にいた頃のこと。よく辻で説法をしている彼らを見かけたものだ。口上をきいて集まった人々をまえに、巷説の士らは高々と神の御業の崇高なるを、悦びにも似た声音で謳っていた。

 だがそんな彼らと比べると、この修道士は一風変わっているようにうつる。なんというか、この人にはそこまで教えに心酔しているといった感がない。一歩引いて見ていると言うのか。あれ程の手練の術をしても、ただの手段としてみているような、そんな風情さえする。

 ──いや、ただこちらの勝手な推測に過ぎないのだろうけれども。


 ユオルは思いなおして、揺れる車窓の外、葉陰にいって暗くなってきた山道へと視界を移した。



 だから。



「でもさ、薬茶でまず酔いから抑えちゃうなんて、まるで医療術みたいだなぁ······」


ロプスのいった何気ない一言にニコラは一瞬だけ笑みを区切り、「そうですね」と返したことに気付いた者は誰もいなかった。





 つらなる峠を越し、村の近くまで降りた時にはもう日が暮れていた。ここで結構です、と申し出たニコラ士は、車を見送るつもりなのか、さきに歩き出す気配はないようだった。


「ホントに大丈夫? ちかくの村までなら送るよ?」


 窓から顔をだしたロプスの言葉に、ニコラは感謝をしめした。


「ありがとう御座います、お優しいお嬢さん。ですがこれも修養ですので」


「······そう。じゃあ気をつけてね」


「お世話になりました」


「ええ。貴女がたもご安全に。つつがなき旅になりますよう、神のご加護のあらんことを······」



 オイヤッ、と御者が手綱をうって促せば、馬車はふたたび車輪を回しはじめる。暮色のなかにポツンと、馬車の角灯より火を貰い受けたニコラ士のランプが、橙火をゆらめかせていた。




「······不思議な御坊でしたね」


 揺れる車内でロプスが後ろの席に移るのを目で追いながら、ユオルはつぶやいた。


「ホントだね。小難しいことも言わなかったし」


 ロプスも微笑み返す。

 たとえこれが任務がらみの旅だとしても、ああした面白い出会いはあるものなのだ。してみると、旅というものも存外良いものなのかも知れない······


 ちょっとした感傷に浸っていたふたりは、すっかり忘れていたのだ。


「じゃあ行きますぜ? ······やれやれ、遅れをとり戻さにゃ(ブツブツ)


後半はぶつくさと尻すぼみになった御者の言葉に、ふたりして「「ぇ゙」」と問いかえす。


 夕闇を裂くように、一帯の静寂をやぶる怪鳥末期の叫びが轟くのだった。


待って、ベルトもしてないの!

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