息吹く俊狼
氏族長の見立ての通りだった。
あれ程の衝撃であろうとも。本来なら自重で動くことさえ困難であろうはずの巨怪は、あろうことか身を持ちあげ始めたではないか。
「ッ!! この······バケモノがぁぁぁッッ!!!」
マイシャは剛弓に矢を番え放つ。
たとえこの一撃一撃が相手にとって蚤が噛んだほどにも感じないとしても。
「!」
気づけば目前に目を血走らせた盾壁の姿が迫っていた。止まれば死ぬ。それが解っている彼らに選択肢はひとつしかない。
「くっそ······ッ!」
やむなく剛弓に物を言わせて撃つ、撃つ。迫る盾壁が眉間を撃ち抜かれて次々と地に沈み、踏みつけられる。が──
「くっ?」
彼女の右手が最後に残していたあの特別な矢の感触にとまる。慌てて他の矢をまさぐるが全て撃ち尽くしてしまった。近くに仲間はおらず、換えを得るあてもない。
「──────」
見開かれた瞳がみたものは死。自身の死──
疾風が迫る。
いや違う、それは足音。軽やかに草地を踏む、風をもたらす者の足音だ。
突如左から走った閃光がマイシャの目に映る。
彼女の正面に突進した盾壁に側面から突っ込んできた流星のような輝きが、驚嘆することに巨体と互角に張り合い、弾き飛ばす。
自身もおなじく弾かれはしたものの、なんとか踏みとどまった騎士の国、サヴェリウスのちいさな特任大使が吠える。
「こっちだって背負ってきてんの、ハンパは許さない! 最後まで案内してもらうからねッ!!」
ふたりへ迫る怒涛の前へ盾を構えた者がまたひとり飛び込む。
「考えなしにッ! アンタが飛び出ると俺まで出る羽目になるでしょうがッ!!」
迫る盾壁を前に、ユオルはやむなく腹を据える。
くそったれ、やるしかない!······アンタのお仲間の姿、正直シビレたよ!
「せめて俺も······あれくらいはァァァァァッッッ!!!」
真正面から不可視の盾と実存の盾がぶつかり合う。
すわ、吹き飛ばされる! と思われる所を踏みとどまるユオルに、マイシャはさらに驚かされた。
「こんの······龍晶ォォォォォッッッッ!!」
稲光? いや、いまのは蒼緑の輝きだった。
盾がついに悲鳴をあげて砕け散る。だが音は聞こえない。より大きな音。猛風のたてる轟音にかき消されたのだ!
三人を囲むように広がった風の渦は望外の勢いで戦獣を押し飛ばした。立て続けの異変に、獣の群れがこれを忌避し、流れがふたつに割れていく。
フッ。マイシャの口許に笑みが咲く。アハハハッと、発作のような笑い声が戦場に響く。
「······あー、おっかし。大概だねーアンタらも。··················んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうかな······ッ!」
マイシャは最後にとっておいた秘蔵の矢を丁重にとり出し、囁やきかけるようにして愛弓に番える。
見据えるはふたたび歩みを再開させた大戦獣。
これは復讐じゃないと、そうは言い切れない。けれど、そもそもこの感情を色分けることに意味などあるのだろうか。
きっとない。人の心は、自然への想いはそんな小理屈で割り切れるもんじゃないのだ。
だから、これはせめてもの我らの想い。そして──憎々しい程に偉大な貴方に敬意をこめて······!
カッ、と彼女らの足元に白光の陣が広がる。
「!」
「!」
「!?」
ユオルだけではない、なんとマイシャの身体からも白の輝きが溢れ、ロプサーヌの描く大恒星の周囲にふたつの星が輝きを刻む。
「──! 戦乙女? それって······!」
バキッ、と音がしてマイシャの手の中にあった剛弓が綻び、乾ききったようなその身が開く。
「サーリフ・チョノル!?」
今まで押し込められていた剛弓の真の姿が花開いていく。これまでは中心にウェイトが置かれていた弓身がほどけ、両端へと集約していく。
見る者によってそれは違って見えたろう。ユオルにとって、それは大きく開かれた狼の牙にみえた。だがロプサーヌに見えたのは、
──鳥だ。硬質で鋭利な翼をもつ鵬······!
「──あれって······まさか神具!?」
「······じゃあマイシャは──異邦人!?」
わかる············この姿こそ、今の姿こそお前の真の姿なんだね、サーリフ・チョノル!!
マイシャが矢を番え、弓を引き絞る。
星屑の粉を散らすような光の粒子とともに、美しい音を立てて弦がひかれ、秀麗な弓身がしなっていく。呼応するように周囲の空気が圧縮され、人の丈ほどもある直径の嵐の球が、マイシャの指先に包まれる矢羽に圧縮されていく。
「唸れ、サーリフ・チョノル······」
呟きとともに牙むく狼が解き放たれる。
空間が爆ぜ、辺りの者すべてことごとくを吹き飛ばし、矢は崩緑へむかって吸い込まれた。
一瞬の静寂。
キィン、と遠くで硬質な音がした。
《グォォォォォォ······ッッ!!!》
大地の底から響くような音がしたかと思うと、崩緑がおおきく頭を仰け反らせた。
その頭上の先──左の角から別れ枝のように立ちあがる一本が吹き飛び、落石にひとしい重量の破片を地上へと降らせる。
これまでに受けたことのない、いやあるいは味わったことのあるはるか昔を懐古させる痛撃に混乱したのか。
その進路をかなり逸らし、砦の脇を避けて、不遜なる王は森の奥へと去った。
台詞を微修正しました。




