風の行く先③
「あっ、見てよあれ」
前を歩いていたロプスが小さく声をあげ、かけ出した。向かう先からは、三日ぶりに陽の光が真正面から差し込んでくる。一行はついに森を抜けたのだった。
ふわっ、と押し込められた空気が和らいだのを肌で感じる。とうとうあの森域を越えたのだという実感が湧きあがってきた。
「──あれ、何でしょう」
はじまりはユオルが視界のなかに違和感を覚えたことだった。
鈍雲のかかる空の向こう。遥かに広がる大草原は多少の起伏はありながらも真っ平らで、目につくものといえば比較的近くにあるらしい城砦らしき建造物だけだ。
そんな中に一際の威容が在った。
いまだ黒い、遠目では「何か」としか形容できないものがある。あれだけ遠くにいるくせに、比べみて近くにある城砦にも迫る大きさであるように映る。一瞬わが目の正常さを疑ったほどだ。
「──あれが、盾壁・崩緑だよ」
声にみると、マイシャとシュダル、そして彼女らに随行した幾人かの勇士らがいた。むこうも今しがた森を出てきたらしい。
「アンタら──駄目だっていったのに」
マイシャは不機嫌そうではあったが、とくに咎めだてる様子もなく息をこぼした。
「おまけに風狼なんか連れてきて······御法度ものだよ、まったく」
「あれが······戦獣なの?」
「······そ」
彼女は忌々しげに静かに近づく影を眺めた。
「あんなの······一体どうするんだ」
「どうって······何もしないよ。嵐とおんなじ。ただ過ぎるのを待つだけ」
その割には、シュダルたち勇士の表情は怖いくらいに真剣だし、とうのマイシャにしたって仇をみるような眼つきで影を凝視しているではないか。
やる気なのだ、と三人は覚った。
「あの城砦で持ち堪えられるの?」
「無理でしょうね」
「兵器は? あんなデカブツに矢や剣を刺したところで、針ほどにも感じないんだろ」
「······でしょうね」
「────それでも、やるんだね」
「············」
無茶だよ、とロプスははっきり断じた。
「この森に入らせてもらって、すこしは分かった。私達は紛れもなく弱者なんだって。
──嫌じゃないの? 親しい人が傷ついたり、死ぬかも知れないんだよ? それでもいいの?」
草原の少女はすいっ、と澄んだ眼差しを真正面からロプサーヌへとむけた。風が躍り、彼女の長い髪や衣を揺らす。
「······嫌に決まってるでしょ。だからこそこの数年鍛えてきたんだ。だからこそ、仲間を護っての死は尊いんだ······」
言葉には重みがのっていた。ロプスに唇をかみしめて項垂れさせるには充分な重みが。だがふたたび顔をあげる。
「······ならせめて。せめて、今ここある力すべてを注ぎ込んで。同盟って、こういう時のものでしょ」
ほんの一瞬、マイシャの瞳が和らいだように感じた。あの質量の前では、皆が無力だ。援軍だとしたらなんて儚いことか。でも──
でも、それでも······
「他所者は手を出さないで」
それは明確な拒絶の言葉。
「半端な同情心で他所者が関わるな」
城砦ではツィージェンらツガロワの勇士らが吹きくる地嵐を迎えるべく万全な態勢で待ち構えていた。誉れ高き氏族長は天に向かうように、見晴らし台から高らかに宣う。
「来るなら来るがいい! 古めかしき災いよッ!! 三百年の余生、今こそ我らが終わらせてやる!!!」
大号令の下、掛け声をあげる勇士らによって砦の正面口を挟むかたちで二体の兵器が持ち出される。
それは機工仕掛けの巨大弩。木造の櫓に設置されたこの兵器が撃ち出すのは、当たれば骨まで砕きそうな、黒々と鈍く光る、八枝の銛。突き立てた牙はけして剥がされぬよう返しのついた、人の積年にわたる挑戦の結晶だ。
せめてあと二台······いや、一台でも間に合っていれば、完全にあのバケモノを抑え込んでみせようものを······
だがこればかりは如何ともしがたい。出来ることをやるしかない。そう、我々はつねに挑戦者なのだ。
崩緑の周辺には、おもに彼の眷属を中心とした獣渡りの群れが形成されていた。デカブツだけでも難儀なのに、これらの数で一斉に突っ込まれてはたまらぬ。
馬で先発した勇士らと、守りの本能を全開にした盾壁らとの間に前哨戦が始まった。
勇士らは途切れることなく矢の嵐を放ち群れを散らそうとはかるが、盾壁らは逆により集まってこれをことごとく弾き返し、止まってなるものかと足を速める。
襲撃に怯えたか弱き獣や、不幸にも足下に入り込んでしまった眷属でさえも顧みることはなく、崩緑はこれらを無残にも踏み砕き、追ってきた屍喰いが躍起して貪りつく。
あの悲劇の教訓として造営された砦へと駆け込んだマイシャは、武具置き場から備えつけてあったとっておきの一矢をつかむ。
総身が外国特注の軽金属で出来たこの矢なら、必ずや奴に一撃を加えることが出来る筈だ。
普通の弓ならばひける代物じゃないけど、お前ならいけるでしょ、サーリフ・チョノル!
武具庫をとび出すと支度されてあった馬にヒラリと跨る。
「私らも出るよ! 砦を護れッ!!」
皆をひきつれいっさんに前線へと駆けつける。
「いーーーまだぁーーーーーッッッ!!······放てェェェェェッ!!!」
大絶叫にも似た指揮者の号令で、金輪の音とともに一発限りの銛矢が撃ち出される。
根本に太綱を結わえられた銛は宙に尾をひいて崩緑へ翔ぶ。
狙うはその胴体──ではない。狙うべきは脚。あの巨大質量を支える前側の両脚。これをからげてしまえば、膝まづかせさえ出来れば、奴自身の重みによる大損傷は免れえないはずだ。
狙いは見事に当たる。そのあまりの硬さに銛が立たなかったのには驚かされたが、全身に蔓延った蔦にひっかかり辛うじて役割を果たした。
まるで山が哭いたとも思える重低音が響き、崩緑がつんのめって倒れていく。地面に固定されていた兵器が持ち上げられ、慌てて離れる勇士らの前で腹を見せてひっくり返る。
だがそれでも。
あの崩緑を足留めすることに成功した。
固唾を呑んで見守っていた勇士達から大歓声があがる。口々に叫びながら、己が武を示さんと巨大な獲物に群がる蟻のように殺到せんとした。
だが。独り冷静に戦況を観ていたツィージェンが、大声で叫びながら退却の旗を振らせる。
「まだ早い! 一旦退けェェェーーーーッッ!!!」




