風の行く先②
遡ること数日前。
ロプサーヌたちのいる、南方のバルチコウ大森域から西へいくこと遥か。
ここは西の森域。
周辺の森番の居所として構えられた城砦に駐屯する第六牙氏族長ギニエヴは、見晴らし台から満足げに眼下を眺めていた。
今日も獣らが移動をしてゆく。この様子ならつつがなく大狩猟祭は執り行えるだろう······
だが。
唐突にそれは起こった。
「た、大変です! 大変なんです族長ッ!!」
バタバタと段を駆けのぼってきた一族の者が、口から泡を飛ばさん勢いで捲し立てる。
「何事か! 騒々しい」
「それが」
報告が言い終わらぬうちに、震えが足元を揺らした。ギニエヴは顔色をサッと青ざめさせる。言葉なぞなくともすべてを悟った証拠だった。
「まさか······まさか!······そんな、早すぎる! 三年前にあったばかりだろうがッ!!」
逡巡することしばし、はたと我にたち返り、声高に問う。
「どっちへ向かってる!」
「南です!」
「遣いを出せ! ツガロワに報せるのだッ!!」
緩慢に、気怠げに。
それでいて決して乱れぬ調子で、地面は震え続ける。いや。地面が揺れるのではない、地面が揺らされているのだ。
それは進む。さながら肉体を持った雲のごとく、秋の陰りがちな太陽との間にたち入って、下々にある万物に影を落としながら。
もはや苔むし、あげく全身から体毛のように生やした蔦を引きずる緑の塊となってそびえる巨神の頭上では、彼に巣食っていた鳥たちが、塒の突然の暴挙に慌てふためき、まばらな点となって旋回している。
ゆっくりと規則的な、なにか機工の類──そうとさえ思わなければ知性で説明がつかない──とも思えるそれは、不意に立ちどまると、ブルオン、ブルオン、と首を振る。まるで自分は生物であるのだと主張するように。そのつど、頭部の両脇からほぼ真横に延びた板状の巨角が、日を鈍く照り返しながら大気をも揺るがす。
光景だけをみれば平和的で静穏。
だがそれは死の行進。伴うものも、立ち塞がるものも等しく無情に蹂躙する、彼のためだけの行進。
おかげで虚しく空費した一時間を巻き返せたのだから、まったく風狼たちには感謝しなければならない。危険は去ったと判断したか、彼らの足も平静をとり戻した。
疲れもあるのだろう。三人は荷物から人間へもどり、ふたたび自らの足で大地を踏みして歩む。
「それで? どうするんです団長。逃げてきちまいましたけど」
気に食わないと駄々をこねたまではいいが、これが戻ったところで何をすべきなのか。今ひとつ判断に迷うところだ。
「何って······決まってるよ」
ロプスは白い風狼の後に続きながら藪をかけ分ける。
「本来の予定を消化するんだ。言ったでしょ? あのマッチョメンが。獣渡りをこの目で見る」
「──で、その時偶々、バケモノと出くわしてしまうって寸法ですね?」
「なかなか解ってきたじゃない」
ユオルの諦念をこめた答えにロプスはふり向くと、ニヤッと悪い笑みをみせた。
「姫様······」
ハァ、と大げさにアスタミオは溜め息をついてみせる。
「いーの、これは事故。介入じゃない、よろしい?」
だんだんと調子が戻ってきたのは喜ばしい限りだが、狙って当たりに行くのはもはや被害者ではないのではないですか、お嬢様······
三人がそんな会話をかわしていると、突如ピタリ、と風狼たちの脚が止まる。グルルルッと鼻に皺を寄せて唸り始めた。
「何々?」
冗談口を閉じてロプスは槍を引き抜き、アスタミオも剣を構える。ユオルもあわててバックパックから預かっていた盾を抜きだした。
ドヤドヤッ、と前方の樹間が騒ぎたち、大小混じった獣の集団が慌てたように過ぎっていくのが見えた。
ふとその中で一頭、こちらを凝視してくるものがいることに気づく。背後の群れが流れ過ぎるなか、その一頭だけがまるで静物画のように不動である。ロプスが不用意に一歩にじり寄ると足元に潜んだ落枝がペキリと高音をあげた。
とたんその獣は〈ブモウ〉と一声あげて威厳とともに推しだして来た。
濃茶の体毛を長くした巨体は、下に隠れる隆々たる筋骨以上に身体を大きく見せる。おおきな黒く長い顔、それにも増して太い首。盛りあがった、四肢の根幹をなす肩。そこから延びた、下へとくだるとともにまた太くなる脚元の蹄も黒々と猛々しく、大きな鼻の孔からブルゥと息を太く噴く。
まるで準備運動とばかりブルンと振った頭の両のサイドには平たい、地面に這うように伸びた古木の根をおもわせる角が、黄ばんだ骨の色をして、不気味に存在を誇示している。
「やる気満々みたいだね。戦獣?」
「おそらくは······」
答えはしたが、一見してそれと断じられるほど、ユオルも彼らに対して目が肥えたわけではない。
ただ、わずかの間相手したガープゥとかいう毛鹿よりもさらに猛々しく、巨大であることは確かだ。全高は十二フィート(約四メートル)は超えているだろう。
身体も長く角もたっぷりあるため、今まで出遭ってしまったどの獣よりも圧倒されるものがある。
「悪いけど急ぐから──通らせてもらうよッ!!」
いきなりロプスは槍を手に突っ込む、と見せかけて右脇を抜けようとはかった。
だが、
「ぎゃん!」
突如顔を打たれてひっくり返った。
「なあッ!?」
ユオルが慌てて、今しも彼女を踏み潰さんとした巨獣から救うべく前へ出ると、囮とばかりアスタミオが左側面から斬りつける。
「!」
が、これも角にすら触れることなく阻まれてしまった。
なにもない所で刃が止まった!「風」さえ使っていないのに!?
赤くした鼻の頭を押さえているロプスを庇って下がりながらも、ユオルは力比べに及ぶ両者を食い入るように見守る。
単純な力比べでは人がこの大質量の獣に適う道理はない。たまらずアスタミオが下がると、風狼たちが一斉に風の刃を撃ち込んだ。
が、それでも無傷。風の飛刃は双角をひと振した獣の動作で衝撃を散らされて消えた。
勢いを逸せずとロプスを乗せていた白い個体が喰らいつきにかかる。
がこれも無益だった。風を纏っての突進すらも頭突き一発で弾き返され、悲鳴をあげて地面を転がった。
鉄壁。まさに鉄壁。針を打ちこむ隙さえないのか。
こうも完璧に捌かれては攻め手の鋭気も萎えざるを得ない。身を護るというただそれだけの受け身な行動が、これ程に対峙する相手に圧迫を与えようとは。
ロプス、アスタミオ、風狼たちの間を踏み砕かんと暴れまわる獣にユオルは恐怖すら覚えた。
迫力こそは段違い。だが似通った相手の死力に晒されたからこそ解る、実感を伴った恐怖。呑まれてしまいそうだ。
「ならッ······ここだッッ!!」
ロプスが弾みをつけて踏みきる。背後をとられてはならじと三方に睨みをきかせる巨獣の頭上をとった。
だがあろうことか、巨獣は首を傾げるようにして角を上向けると、まるで蠅でも叩くように宙空にあるロプスを不可視の壁で地面へと叩きつける。
受け身が間に合わず、ロプスが左肩から地面へ堕ちた!
「! ええいッ!!」
動け足、動けッッ!!
高々と後脚で立ちあがり、全体重でのしかかろうとくる奴と、倒れ伏すロプサーヌの間にユオルが盾を掲げて身を滑りこませる。
「いぎッ!!!」
とんでもない重みと衝撃が盾を襲い、両腕だけではとても足らず、右足も盾裏にかけて防ぐ。激昂したように幾度となく襲う蹄に盾はビシビシと嫌な音をたてて木の片を降らせる。
「······は、はやく······ッ! アスタミ·····オ゙ッ!!」
間一髪、間に合ったアスタミオが、呆然と巨獣の猛攻をしのぐユオルを見つめていたロプスを引きずり出して退く。
「──ッ、離して!」
「!!」
我をとり戻したロプスが暴れ、彼の手を振りほどいて立ちあがった。左肩に激痛が走り、その顔が歪む。
この腕じゃ······まともに槍は振るえないっ······
アスタミオもロプスから善戦するユオルへと目をやる。
あの盾。補強してあるとはいえ、所詮はすこし硬いだけの木に過ぎない。それがあの相手にこうまで保つ。
これは──あるいは······
ユオルは蒼白決死の表情で盾ごと踏み潰されぬよう手足を踏んばり、いまだ黙りを決め込んでいる龍晶を睨めつける。
く······そっ! 重い······重い······重い! こんな時のッ、ための龍装じゃ、ないのか······ッ!
お前にとって、そんなに俺は値しない奴なのか? なんとか言えッ、龍晶ぉッッ······!
「──くっそぉぉぉぉ············ッ!!」
「ダメだ······! ユオルッ!!」
声にアスタミオが我に返ると、ロプスが右腕一本で槍を構えている。
すわ木漏れ日か、と思われる白の大円が彼女の足元に広がっていくのにアスタミオは目を見張った。
「貫······けェェェェッッッ!!!」
一閃の輝きが無理やりに白槍より撃ち出される。
脅威に勘づいた巨獣が慌てて首を振るが、角から派生しているのであろう不可視の壁はこれを受けきったものの勢いには勝てず、頭部を斜め横に剃るように灼かれ、鮮血が舞い散った。
「!」
だが。
だが。
それでも巨獣は引かず、倒れない!
なんという執念か。一体何がそこまで······
皆が、獣ながらこの強敵に畏怖すら覚え始めていた。
「あ······」
ちいさく呟いたのは、輝く槍をおろしたロプスだった。
みれば過ぎていく獣のうち、同種の二、三頭が逃げもせず暗がりに留まってこの戦いの様子を窺っている。なかでもひと際小柄なものは、あれは幼体か?
「つまり······仲間を護るためにこうしてたってこと······?」
おそらくは正しいのだ。彼らからすれば、この森でもっとも恐るべき風狼が突如目と鼻の先に現れたのだかから。気を荒立てるのは当然なのだ。
──なんだ、そうだったのか······。
ふ、とロプスの肩から力が抜ける。
「······大丈夫だよ、怖くない」
槍をザスリと地面に刺し、空手であることを示すように両の手を控えめにひろげみせる。
「私達はキミの家族を害しにきたんじゃない。ただ森を抜けたいだけなんだ······」
巨獣の怒りに燃えたつ瞳の色がわずかに変わった。じっと耳もそばだててロプスの様子を窺っている。
はじめてザスリと一歩下がる。
そうして、まだ警戒の色を露わにしながらも、ついには駆け去った仲間を追って、ゆっくりと樹々の奥間へと消えていった。
「ふーーーーっ」
ユオルが心底、それこそ魂まで抜けでるのではないかという溜め息をついて盾を放りだし、アスタミオも疲労の滲む顔で剣を納める。
やれやれ、とんだ難敵と不毛な死闘をする所だった······
ただロプサーヌだけが、槍の輝きもそのままに、消えた巨獣の背を見送る。胸元の拳をそっと握りこんでいた。
「盾壁」
特殊個体、崩緑のもとの姿。風狼を攻の一とするなら、守の一にあげられる戦獣。
平たく重い角を用いて、身体の側面に魔導由来の見えない壁をはる。実戦時はこれを横列にならべ、まさしく壁として敵軍の攻撃を防がせたという。
角を落とせれば壁は消失する。
壁は角から側面に展開するが、じつは頭部にはなんの恩恵もないためそこを突かれると脆い。
ロプサーヌ団長のメモ録より
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