邂逅のカーニバル①
一昼夜を鞍のうえで過ごした。
これが農家の出とでもいうなら、戯れに馬にのる、なんてこともあったかも知れない。
だがあいにく、こっちは街の育ちである。とにかく長乗りがこれほどキツかろうとは思いもよらないことだった。
尻とガチガチの腰が痛い。
とくに尻は緊急事態をようするほどだ。酷使する乗り手に不満げな馬の脚も、さっきから緩み気味である。
これでも自国のこと。だいぶざっくりとではあるが、地理は頭に入っている。この方角へ行けば、街と贅沢はいえずとも、人の住む辺りまではたどり着けるはずなのだが············
問題はいつまでに──という所だ。さすがにもう身体は限界············
ユオルはうっすらと明けはじめた空をみ、朝をよぶ風に身をぶるりと震わせる。
「──────あ」
いまだ静かのヴェールに包まれひっそりとしている村の青い輪郭をみとめた時、恥ずかしながら涙が滲んだ。
夜が明けきって村の壁門の開くまで、と馬を降りて腰を降ろしたユオルは、石積みの前で倒れているところを農夫にゆり起こされた。
慌ててたち上がり、最寄りの警兵署をたずねると、さらにすこし先へ行けば街があり、そこにあるのだという。
彼は礼をいうと、馬に最後のハッパをかけた。
それほども行かぬ内に、丸みを帯びた城壁が丘の向こうにせり上がってきた。
ロスキーよりも辺鄙な田舎町を空に描いていたが、規模からみるにまずまずのものであるようだ。中よりは下、といったところか。
堀橋をかねた門はすでに開いており、番兵も立ってはいた。が、出入りする者には無頓着なようで、ただのいちど、彼にもチラと胡散臭そうに視線をなげかけただけで、とくに咎められもしなかった。余所者で、恰好に不釣りあいな馬に跨っているのを訝った、そんな視線であったのやもしれぬ。
ユオルは馬を降りると、手綱をひきながら厩をそなえた宿を探してこれをこっそりとつなぎ、一心に警兵署へとむかった。
「困ったなあ、大丈夫?」
気遣いながら、今朝から元気のない馬の鼻筋を撫でる。馬は甘えるようにピタリと彼女に沿って歩きながら、鼻先をその小さな掌にこすりつけている。
ロプスは足をとめ、鞍のバックから地図をガサゴソとり出した。
「もうちょっと頑張ろう? この先に村がある。そこで詳しい人に診てもらえるから」
馬を診てくれた農夫の意見はやはり、
「この馬ぁ、だいぶ疲れてるに。しばらくここで休ませていくといい」
だった。
無理もない。はじめての遠乗りにしては、ちょっときつい行程だった。
「そうですか············でも、お手間ではないですか?」
農夫は一頭も二頭もおんなじだで、と笑った。この笑顔に、ロプスは路銀から銀貨を二枚ほど出して、よろしくと頼む。
「あ、ついでに。この近くに警兵署のある街ってありませんか?」
「与太事を。帰れ」
警署長の第一声はにべもなかった。お前のような汚い恰好の警兵なぞいるか、といわんばかりの言い様で、とりつく島もないとはこのことだ。
「本当です、私はロスキー警兵隊所属の──」
「お前さんなぁ、オツムはまともかい? あんまりアレだと本当にぶち込むぞ」
「確認してください、そうすれば判る!」
あんまりにもユオルがしつこく食い下がったためか、その警兵長もとうとう折れて、
「三日後くらいにまた来い。伝書鳩を翔ばして訊いてみるから」
といってくれた。
ひとまずホッと息をついて、よろしくお願いしますと頭をさげ、署から一端退出する。
またしてもじりじりと日がゆくのを待つ身となった。
あの瞬間いちどは安堵したが、こうして時を食いつぶすうちにまた、不安が鎌首をもたげてくる。
果たしてあのモノグサそうな警署長は、本当に鳩を出してくれただろうか。
ロスキーは迅速に返事を翔ばしてくれるだろうか。また、その返答の内容は?
──お前らはあの若僧の失敗の生き証人──
牢内でのあの老兵の言葉が、暗がりに幾度も去来する。
壊れた水車小屋のなかにうずくまりながら、ユオルは虚ろな眠りをくり返すのだった。
待つ日を水と、お情けで持たされていた食糧袋の乾し肉だけで乗りきったユオルは、落ちくぼんだ目と疲れの抜けきらぬ身体をひきずり、なんとか小屋を抜けだして警兵署へとむかった。
道をいく人の数が多い。
活況を呈しているわけは、おりしも今日、街に週末の市がたっているためだ。ほんのりと、あの着任した日、ロスキーの市の光景が記憶をかすめた。
あの頃よりわずか一ヶ月。たった一ヶ月でこうも我が身をめぐる環境がかわろうとは、とうてい想像もつかないことだった。
すれ違う人々が眉をしかめ、自分を避けて過ぎていく。
だがいまの彼には、そんな反応に怒りや哀しみを覚える余裕もない。
と、行く手側から、なにやら集団がやって来るのがみえた。この街の警兵の恰好をしている。
なんだ······わざわざ迎えにきてくれたのか?
しかし集団はこちらに気づくと指差し声をあげ、ひと息に駆け足を速めたではないか。
「!??」
ユオルは反射的に背をむけ、びっこを引きながらも力の限り足を動かす。
知っている! あの動きは······あの動きは犯罪者を捕獲するための動きだ!!
人混みを嫌ってユオルは狭い脇道へと逃れた。その後へ、何事かと目を丸くする住民を押し退けて警兵らが殺到する。
やはり駄目だったのか? あのクソ隊長は俺を偽物か裏切り者とでも言いやがったのか?!
「っ······ちくしょうッッ············!」
必死に足を動かすが、ここまでの強行軍で身体は弱りきっている。さほども逃げぬうちに前後の道を阻まれ、ついに、よってたかってとり抑えられてしまった。
「この逃亡兵が! 賊徒に尻尾をふって密偵でもしに来たか!」
「おなじ警兵の恥だ! ロスキーに突き出してやるから覚悟しろ!」
「ちが············俺······はっ!」
「その話、詳しく訊きたいな!」
凛とした声が、野郎どもの蛮声を払った。何事か、とみなが返りみる。と、
「──────」
いっせいに言葉を失った。
暗がりにうずくまる彼らからみて、その小柄な姿は、天から降る燦々とした陽光を一身にうけた天使のように映ったろう。
「? 聞こえてる? その話、私にも聴かせてよ」
「──なっ、何を。いま逃走犯を捕らえたところだ! 子供のでる幕じゃない、ひっ込んでなさい!」
「子供ぉ?」
少女は腰に手をあて大人たちを睨みまわした。だが声音によらず、その表情に怒りはみられない。
「貴方、署長さんかしら」
「······そうだが」
少女はびしっと署長を指さし確認でつきとめると、その指を裏返し、ちょいちょいっと、と寄るよう手招きをする。
警署長はまったく動じない彼女の様子に戸惑いつつ、皆と顔を見合わせたあと、のっそりと立ちあがって傍へとよった。
背中をむけて何かを見せられた途端、ビクッ、と身体を硬直させたかとおもうと、二度彼女を見直し、うんうん、と頷き返されたところで、
「失礼しましたッ!」
部下たちが呆気にとられるほど、手本ともすべき見事なる敬礼をとったのだった。
これは夢か、幻か?
とり巻いていた集団は一時に崩れて去り、放りだされたユオルはぽかんとして、ゆっくりと歩みくる少女をみつめる。
藁色の癖毛に湖色の瞳······
不覚にも天使にも見紛うたその少女はこちらの汚い身形を嫌がる風でもなく、手をさし伸べてくる。
勝ち気な笑みを浮かべた口許が言った。
「キミ、ロスキーの人だって? 話、訊かせてもらいたいな?」




