第七話
仁木が乗ってきたのは、古いシルバーのセダンだった。高級そうなスーツの内側から発する、危険な雰囲気を隠そうともしない仁木には似合わない。私有車ではなく覆面パトカ-か。助手席ではなく後部座席に乗るよう指示する仁木に聞いてみると、機動捜査隊のお下がりだと不機嫌そうに言われた。
「自分の車はベンツのSクラスだ。ショボいのに乗ってるとヤクザに舐められるからな」
「警察官って、そんなに給料が高いんだ……」
「はあ? そんなわけないだろ、ただの地方公務員だぞ。でかいベンツやBMWとかは維持費が高いから、整備費用が嵩む二回目の車検を迎える中古は一気に安くなる。新車価格が高い輸入車は、五年くらいじゃ古くは見えない割に買い替える金持ちも多いから、それを狙って買うんだ。ヤクザ相手だと見栄も仕事のうちだから、見た目が安そうな車には乗れないんだよ」
愚痴を言いながらコインパーキングから車を出した仁木は、高牧駅の東口方面へ向かうガード下をくぐる。駅前通りを突っ切り国道へ出て南へ走っていたが、ルームミラーを見て舌打ちをした。
「つけられてる。絶対に振り返るなよ。群馬県警だが、所轄じゃないな。ナンバーと車種から見て、多分県警本部の刑事部だ。運転している奴の顔にも見覚えがある」
「県警本部の刑事部? どうして……?」
「お前の方が可能性が高いかな。俺も仕事柄後藤のことは調べていたし、事件についても気には掛けていた。だが、上司に嫌みの一つ二つ言われるくらいで今日までこんな気配はなかったんだ。お前が動き始めたのと同時ってことは、行動確認の対象はお前だろう」
コウカク? 一斗には訳が分からない。
「なぜ自分なんかを?」
「お前、自分が何をしているのか分かってないのか? Dメッセの事件をこそこそ探り始めて、事件関係者とも接触したよな。あの事件は、警察に汚点を残す形でケリがついてるんだ。そういった事件には触られたくないんだよ、警察は。だから唯一生き残ったお前は、退院してから監視対象だったのかもしれない。何か思い出した様子があれば先手を打つつもりでな。事情聴取で記憶が無いことは言ってあったんだろ?」
たったそれだけのことで、なんの力も持たない自分を監視するなど信じられなかった。
「入院中に受けた聴取で伝えました。まだ目が見えなかった時と退院の前」
「目が見えなかった? そんな情報は下りてこなかったな」
「爆発のときに、持っていた洗浄剤が目に入って化学熱傷で失明寸前だったんです。運良く角膜の提供を受けられて、今はかなり回復しましたが。警察関係の人ならみんな知っていると思っていましたけど……」
仁木は短く罵ると、ステアリングを叩いた。
「ヤバイかも知れないな。仮定の話だが、見られたらまずいものを見た目撃者がいたとしても、目が見えなくなって記憶も無くしていれば何の問題もない。だが、目撃者は視力を取り戻している。もし記憶も戻って、警察発表が全く違うものだったら目撃者はどうする? お前はそのまま黙っていられるか?」
「そんなことを言われても……。自分の記憶は戻っていないし、何かを目撃したかどうかなんて分からないですよ」
「それはお前の理屈だ。実際にお前は死んだ浦野の自宅に電話しているし、野村の嫁のところにも行き着いている。記憶が戻ったと思われても不思議じゃない」
事件について本格的に調べた早々ヤクザには脅されるし、ヤクザ顔負けの警察官には殴られ、県警には尾行をされている。一斗は早くも後悔し始めていた。
「仕方ない。とりあえず奴らを撒いてから有希子のところに行くぞ」
仁木は尾行を撒くためか、帰宅ラッシュが始まった下り方面に進路を変える。
背中に走る不安を抱えた一斗には、仁木が言っていることが本当かどうか確かめようがなかった。群馬県警が今でも自分を監視しているとしたら、二年前の事件は報道されていたような単純な構図ではなく、事件はまだ終わっていないということだ。